海洋無脊椎動物のゲノムの安定性

 海洋無脊椎動物のゲノムの安定性に関する研究(Simakov et al., 2022)が公表されました。日本語の解説記事もあります。ゲノムとは、細胞の中に存在する取扱説明書のことで、DNAのコードで書き込まれています。生物が機能するために必要な情報全てが含まれているこの取扱説明書は、染色体という章に分かれており、さらに遺伝子という各ページに分かれています。染色体の中の遺伝子は、5億5千万年以上の長い年月の間に無作為に突然変異が起こり、順番に乱れが生じました。これは、本の中の章のページの順番が入れ替わるようなものです。さらに、異なる章が合わさって順番が入り乱れるように、2本の染色体が融合して混ざり合っているものもあります。

 しかし、筋肉や神経を持たない非常に単純な動物である海綿動物、クラゲやヒドラといった刺胞動物、ホタテ貝やナメクジウオといった左右相称動物という3つの主要な海洋無脊椎動物群のゲノムを比較したところ、祖先からの染色体セグメントが合計で29ヶ所特定され、動物が出現する約9~8億年前、すべての生命が単細胞またはひじょうに単純な多細胞生物であった頃から存在しており、全体的に見ると、著しい安定性がある、と明らかになりました。これら3つの動物群の最終共通祖先が生存していたのは5億年以上前ですが、それらの染色体の多くは同じ遺伝子群を持ち、ひじょうに類似していました。

 また、特定の下位群に特有の染色体融合パターンも発見され、たとえば、ホタテガイなどのさまざまな軟体動物には太古の融合体が4つ共通して見つかりましたが、これは海洋ワームのゲノムの下書きにみられる融合体とも類似しています。遺伝子は、異なる種でも同じ染色体上に見られることもありますが、多くの場合、異なる順序になっています。稀に、2本の染色体が融合し、新たに融合した染色体上で遺伝子が入り乱れて混ざり合うと、この融合体は元に戻せず、その染色体の進化史を記す永遠の標識となります。これは、2組のトランプを合わせてシャッフルするようなもので、いくらシャッフルし続けても、二度と元の2組に戻ることはありません。異なる生物種に同じ融合体が共通して見られるのは、太古の共通祖先において融合が発生したからと推測されます。この研究は、配列が未決定のゲノムについて、いくつかの検証可能な予測を行ない、軟体動物とその近縁種である螺旋動物のゲノムには、ホタテガイに見られるような特定の融合体が見られるはずと指摘します。

 現代人も含まれる哺乳類については、出現が5億年前よりずっと後になるのに、たとえばヒトとマウスのゲノムを比較すると、染色体はまるで数百個の切片に分割されて混ぜ合わされたかのようで、無脊椎動物において発見された染色体規模の保存性という特徴は、哺乳類では全く見られません。哺乳類の染色体が異なる進化を遂げたのは、歴史的に見て、哺乳類は海洋無脊椎動物の多くと比較して小規模に細分化された集団で生活してきたためではないか、と推測されます。小規模に細分化された集団では無作為に起きる突然変異が残りやすいため、哺乳類では染色体の再編成がより広がりやすい、というわけです。


参考文献:
Simakov O. et al.(2021): Deeply conserved synteny and the evolution of metazoan chromosomes. Science Advances, 7, 38, eabh2419.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abi5884

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