アジアへの現生人類拡散(追記有)
追記(2024年1月10日)
指摘を受けて福建省の前期新石器時代遺跡(Qihe)の漢字表記を斎河から奇和洞に訂正し、要約を新たに掲載しました。
アジアへの現生人類(Homo sapiens)拡散に関する総説(Yang., 2022)が公表されました。本論文は、おもにユーラシア東部を対象とした現生人類の拡散に関する近年の古代ゲノム研究の成果を整理するとともに、古代ゲノム研究における代表的な手法と主要な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)も簡潔に解説しており、たいへん有益だと思います。本論文は、2018年8月31日に亡くなった、著名な集団遺伝学者であるカヴァッリ=スフォルツァ(Luigi Luca Cavalli-Sforza)氏の生誕100年を記念しての特集号に掲載されています。
●要約
カヴァッリ=スフォルツ氏は、ヒトの遺伝的歴史の研究の初期の取り組みの先頭に立ち、世界規模の多様な人口集団の標本抽出の重要性を認識しました。カヴァッリ=スフォルツァ氏は、アジアにおけるヒトの進化的遺伝学についての研究を支援し、20世紀後半に、アジアへのヒト拡散と、アジア東部現代人の間の遺伝的距離に関する研究を行ないました。それ以来、現代人の大規模なゲノム配列決定と古代人からのDNAの標的配列決定を通じて、アジアにおけるヒトの遺伝的歴史の理解では、大きな進歩がありました。
本論文は、アジアで早くも45000年前に居住していたヒトの配列データを用いた研究に基づいて、アジアにおけるヒトの遺伝的先史時代を調べます。現在のオーストラレーシア人とアジア人を比較する遺伝学的研究が示すのは、両者はアフリカからの単一の拡散に由来する可能性が高く、急速に3主要系統に分化した、ということです。その3主要系統とは、アジア南部で部分的に持続した系統、オーストラレーシアでおもに現在見られる系統、シベリアとアジア東部とアジア南東部全域で広く表される系統です。45000年前にさかのぼるアジアにおけるヒト遺骸の古代DNA研究は、現在のアジアの人口集団につながる人口動態に関する我々の理解を大いに高めました。
第1部:カヴァッリ=スフォルツァ氏の功績
20世紀半ばから後半にかけて、カヴァッリ=スフォルツァ氏は、現代人の過去の人口史を解明する遺伝学的パターンを用いる、ヒトの「遺伝学的人工統計」分野の創始を支援しました。カヴァッリ=スフォルツァ氏は、遺伝学的データの定量分析がヒトの歴史に独自の様相を追加できる、と認識しており、ヒトゲノム多様性計画(HGDP)で例示されるように、公開研究のためヒトの遺伝的標本の多様な一式を開発しようとする主要な提唱者でした。言語学者や考古学者などさまざまな研究者とのカヴァッリ=スフォルツァ氏の協力は、彼が学際的研究の強力な支持者だったことを証明しました。
この初期の一事例は、カヴァッリ=スフォルツァ氏とその学生だった金力(Li Jin)氏などにより1999年に行なわれた調査です。彼らは、世界中の現代人集団の21番染色体の隣接する断片の分布を調べました。彼らが発見したのは、アフリカの人口集団に続いて、オセアニア人が次に高水準のハプロタイプ多様性を示し、オセアニア人のハプロタイプのパターンは、アジア東部人とは異なっていた、ということです。これらの結果に基づく彼らの結論は、少なくとも3回の異なる移住があり、1回はオセアニア、1回はアジア(およびアメリカ大陸)、1回はヨーロッパだった、というものでした。この初期の研究は、ヒトの遺伝的歴史の理解におけるアジアの重要性を論証しました。
アジアは世界最大の人口を有する大陸で、全現代人の60%近くが居住し、高い民族多様性があります。カヴァッリ=スフォルツァ氏の研究のほとんどはヨーロッパのヒトの遺伝的歴史に焦点を当てましたが、彼はアジアのヒトの遺伝学に関する研究にも寄与し、支援しました。カヴァッリ=スフォルツァ氏はアジア東部の学者を指導してともに研究し、1980年代~1990年代に遺伝的距離と姓の関連を調べ、彼が、アジア東部で最初の大規模なヒト遺伝学計画である中国ヒトゲノム多様性計画で刊行した論評で示されるように、アジアのヒトの遺伝学的研究を高く評価しました。
ヒト進化遺伝学の成長分野におけるアジアの研究者の主要な寄与は、ヒトゲノム機構(HUGO)汎アジア一塩基多型(SNP)協会などの試みにつながり(関連記事)、アジアにおける現代人の遺伝的多様性の理解を深めています。そうした計画は、アジア64ヶ国の1739個体のDNAを配列したゲノムアジア10万(GA100K)計画(関連記事)など、現在見られる広範なゲノム配列決定の取り組みの先駆けでした。多くの点で、GA100K計画は、カヴァッリ=スフォルツァ氏が世界中のヒトの遺伝的多様性の目録を作成するという先見の直接的な産物です。
カヴァッリ=スフォルツァ氏によるヒトゲノム多様性計画への最初の呼びかけ以降の30年間で、配列決定技術の大きな改善により、多様な人口集団からのゲノム規模データの広範な保管所の作成が可能となり、現代人の何千ものゲノムが配列され、分析されてきました(関連記事1および関連記事2)。さらに、少量のDNAの配列決定、汚染の防止、死後のDNA損傷の補正により、絶滅ホモ属(古代型ホモ属)であるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)および種区分未定のデニソワ人(Denisovan)と現生人類両方の古代人のDNAデータの入手が増え、ヒトの遺伝的歴史の前例のない調査が可能となりました(関連記事)。
本論文の目的は、古代および現代の現生人類のゲノムデータの調査により、アジアにおける過去5万年の現生人類の拡散を理解することです。アジアへの現生人類拡散の理解は、古代人のDNAの配列決定の成功により、規模と解像度で大きく向上しました(図1A)。本論文は、(1)アジアへの現生人類の最初の移住、(2)上部旧石器時代のアジアにおけるヒトの移動と相互作用、(3)過去1万年のアジア内のヒトの急速な拡散、に関する理解を深めた調査結果に焦点を当てます。以下は本論文の図1です。
第2部:アジアとオーストラレーシアへの現生人類の最初の移住
ヒト拡散の出アフリカモデルは遺伝学的研究によりよく裏づけられていますが、絶滅ホモ属のその後の配列決定は、絶滅ホモ属から初期現生人類への小さいものの注目に値する寄与を論証してきました(関連記事1および関連記事2)。その後の遺伝学的研究でも、アフリカの人口集団からの分離は65000~45000年前頃に起きた可能性が高い、と確証されました(関連記事)。21世紀に入ってから、遺伝学的研究は、ユーラシアやその先(アメリカ大陸やオセアニアなど)における拡散の回数やヒト拡大の形態など、アフリカからのヒト拡散にも取り組み始めました。
アジアとオーストラレーシア(オーストラリアとニュージーランドとその近隣の南太平洋諸島で構成される地域)への移住に関して、二つの拡散モデルが提案されてきました。単一拡散モデルはアフリカからユーラシアへの単一の移住を表し、現代のオーストラリア先住民はアジア系統の初期の分枝とされます。複数回拡散モデルは、現生人類によるアフリカからの数回の拡散を想定し、現代のオーストラリア先住民は、現代のアジア本土人とヨーロッパ人に寄与した拡散から分離したより早期の拡散に由来する、と想定されます。
カヴァッリ=スフォルツァ氏と金力氏たちは、オセアニアの現代の人口集団における高水準の遺伝的多様性を見つけ、この発見を用いて、オーストラレーシアへのアフリカからの(アジア本土やヨーロッパへの移住とは)異なる移住を主張し、これは複数回拡散モデルと一致します。HUGO汎アジアSNP協会によるアジア全域の55000ヶ所のゲノム規模一塩基多型を含む系統発生分析では、アジア東部人とオーストラレーシア人は相互に、ヨーロッパ現代人とよりも密接な遺伝的関係を共有している、と明らかになり、複数回拡散モデルではなく、むしろ単一拡散モデルを支持する、と主張されました。
2011年に、現生人類1個体の最初の古代DNA研究の一つが刊行され、100年前頃のオーストラリア先住民のゲノム規模データが生成されました(関連記事)。D統計(後述の補足1を参照)として知られる相対的な遺伝的類似性の検定を用いて、オーストラリア先住民のDNAを現代のヨーロッパ人(フランス人)およびアジア人(中国漢人)の配列と比較すると、オーストラリア先住民に対するヨーロッパ人とアジア人との間で共有されるアレル(対立遺伝子)の過剰が示され、複数回拡散モデルが支持されます。
しかし、複雑な要因は、シベリア(関連記事1および関連記事2および関連記事3)とチベット高原(関連記事1および関連記事2)の初期絶滅ホモ属であるデニソワ人が、アジア南東部およびオーストラレーシア諸島の国々に居住する人口集団に、最大5%の祖先系統を寄与した、ということです(関連記事)。デニソワ人祖先系統の割合はアジア本土人口集団ではずっと低いので(0.05~2%)、遺伝学的に観察された深い分岐は、現生人類のより早期の拡散ではなく、絶滅ホモ属との混合により説明できるかもしれません(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。
いくつかの研究は、ネアンデルタール人とデニソワ人からの古代型祖先系統を説明した後で、他の現生人類とのオーストラリア先住民集団の関係を調べました。デニソワ人のDNAが30倍の網羅率で配列決定された後(関連記事)、混合を示せる最尤系統樹(Treemix、後述の補足1を参照)が推定され、パプア人とアジア東部人はヨーロッパ人と比較してまとまる、と明らかになりました。その後の研究では、よく合致する混合図(qpGraph、後述の補足1を参照)が、パプア人とオーストラリア先住民とアンダマン諸島のオンゲ人をアジア東部人とまとめ、パプア人とオーストラリア先住民には追加のデニソワ人との混合があった、と明らかになりました(関連記事)。
オンゲ人などアンダマン諸島人は高いデニソワ人との混合を示さないので、アンダマン諸島の個体群の全ゲノム配列が他の現代の人口集団と比較されました。TreemixとD統計分析の両方を用いると、アンダマン諸島人は本土インド人およびアジア東部人および他のオーストラレーシア人と密接な遺伝的関係を共有している、と明らかになりました。別の研究(関連記事)は、fastsimcoal2(後述の補足1を参照)を用いて、観察された接合頻度範囲を予測される頻度範囲と比較することにより、単一拡散モデル対複数回拡散モデルの可能性を調べました。その結果、デニソワ人との混合を考慮すると、単一拡散モデルの裏づけが向上するものの、デニソワ人との混合を除外すると、複数回拡散モデルへの裏づけが向上する、と明らかになりました。まとめると、これらの研究は、絶滅ホモ属(ネアンデルタール人とデニソワ人)との混合を考慮すると、オーストラレーシア人は一貫してアジア本土人口集団と密接にまとまり、単一拡散モデルを裏づける、と示します。
ヨーロッパ人とよりもオーストラレーシア人とアジア人との間の密接な関係は広く裏づけられましたが、一部の学者は依然として、出アフリカ現生人類のより早期の拡散からオーストラレーシア人への、小さいものの注目に値する寄与を主張します。MSMC分岐時間推定(後述の補足1を参照)を用いた研究は、パプア人はユーラシア本土人口集団よりも早くアフリカの人口集団から分離した、と主張します。その研究は、1世代30年で1ヶ所あたり1世代1.25×10⁻⁸の変異率と仮定して、パプア人とヨルバ人との間の分岐を9万年前頃、ユーラシア本土人とヨルバ人との間の分岐を75000年前頃と推定します。
その研究はfineSTRUCTURE(後述の補足1を参照)を用いて、より深い分岐と関連するパプア人のハプロタイプを調べ、パプア人のゲノムの2%はデニソワ人との混合もしくはユーラシア本土人と共有される起源により説明できないので、出アフリカ現生人類のより早期の拡散に起源があるものとして最良に説明できる、と見出だしました(関連記事)。より早期の拡散は、オーストラレーシア人のゲノムで部分的に表されている可能性がありますが、オーストラレーシア人のゲノムで観察された主要なパターンは、アジア東部地域の大半で現在広がっている人口集団との共有された進化史を示唆します。
第3部:アジアの祖先系統の定義
本論文は以下で、アジアの古代人と関連した遺伝学的発見を調べますが、多くの場合、「ancestry(祖先系統)」という用語を用いて、遺伝的パターンの重要な解釈を伝えます。祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)は進化遺伝学の関係を伝えるための有用な概念ですが、その不正確な適用は、「人種」の生物学的現実との誤解をさせる主張を意図せず支持する、「人種」分類化をもたらす可能性があります。以前の研究では、「ancestry」という用語がヒトの進化遺伝学でどのように使われて誤解されたのか、微妙な差異の調査が刊行されました。本論文はその一部を要約し、「ancestry」という用語がどのように本論文で用いられるのか、明確に定義します。
以前の研究で説明されているように、遺伝学的祖先系統の技術的定義は、DNA断片が継承された個人の祖先全体の一連の経路を指します。人口集団にとって、全個体にわたる一連の遺伝学的祖先系統はひじょうに複雑なので、実践的理由のため、研究者は集団間で観察された一般的な人口統計学的関係の要約に焦点を当てます。この「集団祖先系統」という概念は次に、ゲノム全体の変動パターンに応じて、1集団はさまざまな供給源人口集団(本論文では祖先系統として表記)の混合として表すことが可能である、と仮定します。
本論文の目的は、古代と現代の人口集団間の高い遺伝的類似性の調査結果から推測される、現時点で文献に記載されてきたアジアの主要なヒトの祖先系統を明瞭に表現することです。記載された祖先系統が現在の人口集団とだけ関連しているか、古代の1個体もしくは現在の1人口集団で部分的な代表によってのみ知られている場合、本論文は「祖先系統(ancestry)」ではなく「系統(lineage)」という用語を使って、まだ標本抽出されていない仮定的な祖先の子孫を示唆します。
以前の研究で指摘されているように、全ての供給源人口集団もしくは祖先系統は、次のような構成概念です。(1)関連する標本抽出された個体群と離れた関連でしかない可能性があり、(2)利用可能な標本では実際に表せない可能性があり(「亡霊集団(ghost population)」)、(3)個別の分類区分が実際には適用できない場合、ある人口集団の個別の供給源を作成します。本論文で言及される祖先系統(ancestry)と系統(lineage)は理論的構成概念で、それはさまざまな過去もしくは現在の人口集団の標本と関連づけられており、あらゆる現代の個体の実際の祖先としては記述できません。
●アジアの初期系統
アジアおよびオーストラレーシアの現代人は、ヨーロッパ現代人とよりも相互に密接に関連していますが、遺伝的比較はアジア東部および南東部本土人とアジア南東部島嶼人とオーストラレーシア人との間の深い分離を浮き彫りにします。フィリピンのネグリートとパプア人とオーストラリア先住民は、アジア東部および南東部本土人と比較して、相互に密接な遺伝的関係を共有しており(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、本論文ではオーストラレーシア(AA)系統(後述の補足2を参照)に属する、とまとめて言及されます。対照的に、アジア東部および南東部本土人と他の太平洋諸島人(オーストロネシア語族話者など)は相互に密接に関連しており、本論文ではアジア東部および南東部(ESEA)系統(後述の補足2を参照)に属する、と示されます。
アジア南部では、現代の人口集団はひじょうに混合していますが、古代DNAの最近の配列決定は、AAもしくはESEA系統と関連する人口集団とのみ遠い関係にある、深く分岐したアジア祖先系統の存在を示唆しました(関連記事)。この異なるアジア南部祖先系統は、古代祖先的インド南部(AASI)系統(後述の補足2を参照)として示され、アジア南部の古代人および現代人の少ない割合で見つかるだけでした。アンダマン諸島の現代のオンゲ人は、現時点で最良の参照人口集団ですが、以前の研究はqpGraphを用いて、AASI系統と現代オンゲ人で見つかる祖先系統との間の分岐はひじょうに深かった、と示しました(関連記事)。AASI系統と関連する祖先系統は、ほぼ全ての現代インドの人口集団において低水準で見つかり、とくにインド南部人では、アジア南部においてAASI系統の影響が大きい、と強調されます。
AA系統とESEA系統とAASI系統は、ヨーロッパ現代人で観察された系統とよりも相互に密接な関係を示し、ともに現在までに標本抽出されたアジア関連祖先系統の主要な分枝を表します(図1B)。AA系統とESEA系統とAASI系統の相互関係は充分に解決されておらず、それは一部には、現代のアジアとオーストラレーシアの人口集団における、絶滅ホモ属と(関連記事)か、他の非アフリカ祖先系統を有する人口集団と(関連記事)か、相互との、高水準の混合のためです。
最近の研究は、380万ヶ所の一塩基多型区画を標的とした古代DNA捕獲(後述の補足1を参照)を用いて、ブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)の44640~42700年前頃の個体群を配列しました(関連記事)。その結果、バチョキロ洞窟個体群は遺伝的に、外群f3統計分析(後述の補足1を参照)ではヨーロッパ現代人よりもアジアの現代人の方と類似していると分かり、現代のアジアの人口集団と関連する祖先系統の範囲が西方ではブルガリアにまで拡大しました。
第4部:45000~1万年前頃のアジアにおける分化と混合
現在まで、標本抽出された上部旧石器時代個体はAASI系統およびAA系統と関連していませんが、アジア南部とオーストラレーシアにおけるこれらの系統と関連した現代の人口集団でのADMIXTURE分析(後述の補足1を参照)は、複雑な構造と混合の存在を示唆します(関連記事)。古代の個体群からの遺伝的データは、ESEA系統について情報をもたらしました。現在までにアジアの上部旧石器時代(45000~1万年前頃)から標本抽出された全てのヒト標本は、中国とモンゴルとロシアで発掘されており、それは部分的には、ヒト標本におけるゲノム物質の保存はより寒冷で乾燥した地域において可能性が高いからです。本論文は次の項目で、古代DNAが上部旧石器時代のESEA系統と関連する人口集団における遺伝的構造と混合を明確にするのにどう役立つのか、再調査します。
●前期上部旧石器時代:45000~2万年前頃
40000~33000年前頃となる中国北部(関連記事1および関連記事2)とモンゴル北東部(関連記事)の個体群(図1B)は、古代DNA捕獲を用いて配列されました。アムール川地域の33000年前頃の個体(AR33K)では120万ヶ所、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性1個体とモンゴル北東部のサルキート渓谷(Salkhit Valley)で発見された34950~33900年前頃女性1個体では220万ヶ所の一塩基多型区画が標的とされました。外群f3統計とD統計を用いての現代の人口集団との比較では、これら40000~33000年前頃のアジア北東部個体群が、遺伝的にはアジア東部および南東部現代人と最も類似している、と示されるので、田園個体とサルキート個体とAR33Kは、AA 系統もしくはAASI 系統ではなくESEA系統と関連している、と示されます。
遺伝的連続性の検証では、田園個体はアジア東部および南東部現代人に寄与した人口集団とは異なる人口集団に由来すると示され、前期上部旧石器時代におけるESEA系統の分化が示唆されます。D統計分析では、AR33Kとサルキート個体がアジア東部および南東部現代人よりも田園個体の方と密接に関連している、と示されました。したがって、40000~33000年前頃までには、中国北部とモンゴルにおいて1つもしくは複数の人口集団が、アジア東部および南東部現代人に寄与した供給源人口集団と遺伝的に分化していました。本論文は、田園個体とAR33Kとサルキート個体との間で共有される祖先系統を田園祖先系統(後述の補足2を参照)と呼びます。田園祖先系統はアジア東部および南東部現代人の共通祖先と分岐しました。
アジア南方地域では4万~2万年前頃のヒト遺骸からDNAは回収されていませんが、ラオスとマレーシアのホアビン文化(Hòabìnhian)と関連する8000~4000年前頃の狩猟採集民が標本抽出され、前期上部旧石器時代には別の祖先系統が存在したに違いない、と明らかになっています。120万ヶ所の一塩基多型区画での古代DNA捕獲と、D統計を用いての相対的な遺伝的類似性の評価から、これらアジア南東部狩猟採集民は田園個体とアジア東部および南東部現代人と最も密接に関連していた、と示されました(関連記事)。
しかし、D統計比較でも、ホアビン文化関連狩猟採集民はアジア東部および南東部現代人と同様に遺伝的に田園個体と異なり、本論文ではホアビン祖先系統(後述の補足2を参照)と関連するものとして記載される、と示されます。まとめると、上述の遺伝的パターンが示すのは、ESEA系統は少なくとも異なる3祖先系統に分化した、ということです。まずは田園祖先系統で、アジア東部北方で40000~33000年前頃に見られます。次はアジア東部および南東部とシベリアの現代の人口集団全体で見られる祖先系統ですが、その起源は不明です。最後にホアビン祖先系統で、アジア南東部の8000~4000年前頃の狩猟採集民で見られますが、上部旧石器時代におけるその起源は不明です。
シベリア西部と近東とアジア中央部の古代人のDNA標本抽出は、現在直接的に表されない人口集団が過去のアジア西部地域には存在した、と示しました。たとえば、シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44380年前頃の男性1個体の大腿骨のDNAが回収され、18億6千万塩基対が配列されました(図1B)。D統計を用いると、ウスチイシム個体は上部旧石器時代ヨーロッパの狩猟採集民およびアジア東部現代人と同様に関連している、と示されました(関連記事)。
別の研究(関連記事)では、レヴァントとイランの12000~7000年前頃の個体で120万ヶ所の一塩基多型を標的とした後、ウスチイシム個体とアジア東部現代人はレヴァントとイランの個体群よりも相互にアレルを多く共有している、と明らかになりました。これは、レヴァントとイランの12000~7000年前頃の個体群が他の非アフリカ系現生人類と基底部で分岐したことを示唆します。主成分分析(PCA、後述の補足1を参照)では、レヴァントとイランの個体群は近東勾配の反対側の末端でまとまり、これら2人口集団間の高い遺伝的分化を示唆します。ウスチイシム個体とレヴァントおよびイランの12000~7000年前頃の個体群は、現代の人口集団で部分的に表されるか、表されない、深く分岐した非アフリカ祖先系統(本論文では基底部祖先系統として記載されます。後述の補足2を参照)を表しています。
シベリア北東部では、上部旧石器時代人口集団がESEA系統やAA系統やAASI系統とは関連していませんでした。シベリア北東部のヤナ犀角遺跡(Yana Rhinoceros Horn Site、略してヤナRHS)の31000年前頃となる2個体(ヤナ1号および2号)が標本抽出され(関連記事)、シベリア南部中央(図1B)では、24000年前頃のマリタ(Mal’ta)遺跡の少年1個体(マリタ1号)と17000年前頃となるアフォントヴァゴラ(Afontova Gora)遺跡の2個体(アフォントヴァゴラ2号および3号)が標本抽出されました(関連記事)。
f4統計(D統計の非標準化版、後述の補足1を参照)を用いてのヨーロッパとアジアの古代および現代の人口集団との比較は、これらの個体群が遺伝的に田園個体もしくはアジア東部および南東部現代人とよりもヨーロッパ狩猟採集民の方と類似している、と示しており、上部旧石器時代シベリア人は古代ヨーロッパ狩猟採集民に寄与した人口集団からの初期段階での分岐だった、と示唆されます。以前の研究に基づいて(関連記事)、ヤナRHSの2個体により表される祖先系統は、古代北シベリア(ANS)祖先系統(後述の補足2を参照)として記載されます(図1B)。
マリタ1号とアフォントヴァゴラ2号および3号は、祖先的北ユーラシア祖先系統を表す、と言及されることが多く、31000年前頃のシベリアで見られるANS祖先系統と密接に関連しており、ANS祖先系統に起源がある、と示唆されます(関連記事)。31000~17000年前頃のシベリアにおけるANS祖先系統の存続は、アジア北部を横断してのヒトの移住の初期の歴史に重要な役割を果たしました。シベリアとアジア東部および南東部におけるこれらのパターンは、4万~2万年前頃となる前期上部旧石器時代において、ユーラシア東部には互いに遺伝的に異なる人口集団が多くいたことを示します。ANS祖先系統とESEA祖先系統は両方、ヒトの遺伝的歴史の形成に役立ちました。
田園祖先系統およびANS祖先系統と関連する人口集団間の相互作用は、アジア東部とシベリアにおけるヒトの分布の形成に重要な役割を果たしました。たとえば、D統計を用いた対称性検定では、サルキート個体は田園個体もしくはAR33K のどちらかよりも、ANS関連のヤナRHSの2個体と多くの遺伝的類似性を共有しており(関連記事1および関連記事2)、田園祖先系統と関連する(サルキート個体に代表される)モンゴルの人口集団は、アムール川地域および華北平原の人口集団とよりも、ANS祖先系統と関連する人口集団の方と多く相互作用していた可能性が高い、と示唆されます。
D統計分析ではさらに、サルキート個体と田園個体は、アジア東部および南東部現代人よりも、35000年前頃となるヨーロッパ(ベルギー)のゴイエット洞窟(Goyet Cave)の狩猟採集民1個体(ゴイエットQ116-1)とアレルを多く共有する、と示されています(関連記事1および関連記事2)。以前の研究(関連記事)では、ヨーロッパ西部とアジア北東部の個体間の遺伝的つながりをもたらす人口動態を完全には説明できませんでしたが、最近の研究(関連記事)では、qpGraphを用いてブルガリアのバチョキロ洞窟の44640~42700年前頃の個体群でゴイエットQ116-1との同様の類似性が観察され、かつてはヨーロッパに居住していたアジア関連人口集団により、広範なつながりが促進された可能性がある、と示されました。前期上部旧石器時代ヨーロッパとアジアの人口集団間の相互接続は、前期上部旧石器時代狩猟採集民が完全には孤立しておらず、混合と移住がその祖先的構成において基本的役割を果たした、と示されます。
●後期上部旧石器時代:2万~1万年前頃
2万~1万年前頃のヒト遺骸は、シベリアとアジア東部および南東部の現代人を形成した祖先系統への洞察を提供し始めました。120万ヶ所の一塩基多型区画が、アムール川地域の19000年前頃の1個体(AR19K)と、福建省の12000年前頃の奇和洞(Qihe Cave)遺跡の1個体(奇和洞3号)、および9500~4000年前頃の中国の南北沿岸部の人口集団の分析に用いられました。これらの個体は全て、田園個体もしくは8000~4000年前頃のホアビン文化個体よりも、アジア東部および南東部現代人の方と大きな遺伝的類似性を共有しています。いくつかの研究は系統発生分析とD統計分析を用いて、黄河地域からアムール川地域の北方人口集団が、アジア東部南方沿岸部もしくは福建省地域の南方人口集団とよりも、相互に密接な遺伝的関係を共有している、と示しました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。
上述のように、24000~17000年前頃のシベリア南部中央の個体(マリタ1号とアフォントヴァゴラ2号および3号)は、シベリア北東部のヤナRHS の2個体で見られるようなANS祖先系統と関連する人口集団の子孫です。外群f3統計を用いた研究では、マリタ1号は現代のアメリカ大陸先住民と最も密接に関連している、と示されました(関連記事)。このパターンは、アメリカ大陸へのヒトの拡散が、アジア東部現代人関連とマリタ1号関連という、異なる2祖先系統の混合に由来するシベリアの人口集団に起源がある、とのモデルにつながります。
シベリア古代人のDNAを報告した最近の研究(関連記事1および関連記事2)は、アメリカ大陸先住民系統と密接に関連するシベリアにおける混合人口集団の直接的証拠を提供しました。それらqpGraphを用いた研究では、バイカル湖の南側のウスチキャフタ3(Ust-Kyakhta-3)遺跡で発見された14000年前頃となる個体(UKY)と、極東シベリアのコリマ川(Kolyma River)近くで発見された1万年前頃の個体(コリマ1号)がともに、アメリカ大陸先住民と密接な遺伝的関係を共有する、と示されました。fastsimcoal2での模擬実験に基づく人口統計学的モデル化を用いると、コリマ1号はアジア東部現代人(たとえば漢人)と関連する祖先系統とANS祖先系統との混合として説明できる、と分かりました。以前の研究(関連記事)では、シベリアの景観全体で見られるこの混合祖先系統は、旧シベリア祖先系統(後述の補足2を参照)として記載されています(図2)。以下は本論文の図2です。
アジア東部のどの人口集団がANS祖先系統と関連する人口集団と混合し、旧シベリア人およびアメリカ大陸先住民で見られる遺伝的混合の痕跡が生じたのかについては、問題が残ります。ショットガン配列決定を用いた研究(関連記事)は、以前に部分的に配列された(関連記事)極東ロシアのプリモライ(Primorye)地域の悪魔の門洞窟(Devil’s Gate Cave)の8000年前頃となる6個体の全ゲノムを生成しました。その結果、悪魔の門洞窟個体群はアジア東部現代人とまとまり、コリマ1号の最適なアジアの供給源人口集団を表している、と示されました。
その後の研究(関連記事)では、アムール川地域の14000年前頃の1個体(AR14K)で120万ヶ所の一塩基多型区画が標的とされ、qpAdm混合分析(後述の補足1を参照)とqpGraphモデル化を用いて、AR14Kが悪魔の門洞窟個体群よりもコリマ1号のアジア祖先系統のより適した供給源人口集団だった、と分かりました。その研究では、f4統計を用いると、悪魔の門洞窟新石器時代個体群(悪魔の門N)とAR14Kは相互に密接な遺伝的関係を共有し、古代人ではアジア東部南方個体群ではなく他のアジア東部北方個体群と系統発生的にまとまり、アムール川地域の人口集団はANS祖先系統と関連する人口集団との相互作用に重要な役割を果たした可能性が高い、と主張されています。本論文ではこれがアムール川祖先系統と記載され(図2、後述の補足2を参照)、アムール川地域とプリモライ地域で見つかったAR14Kおよび悪魔の門Nと関連した祖先系統で、シベリアとアメリカ大陸のヒトの景観に大きな影響を与えました。
以前の研究(関連記事)では、fastsimcoal2を用いてシベリアとアジア東部の人口集団間の分岐年代が推定されました。1世代で1ヶ所あたり1.25×10⁻⁸の変異率と1世代29年との仮定で、コリマ1号に寄与したアジアの供給源は24000年前頃に分岐した、と推定されました。そのアジアの供給源がアムール川祖先系統だったならば、24000年前頃は、他のアジアの祖先系統からアムール川祖先系統を分離する分岐年代も示唆しているかもしれません。
以前の研究(関連記事)は、アラスカのアップウォードサン川(Upward Sun River)で発見された11600~11270年前頃の1個体(USR1)の高網羅率ゲノムを配列し、USR1が現代のアメリカ大陸先住民と密接な関係を共有する、と示しました。その研究はdiCal2およびmomi2(後述の補足1を参照)を用いて、USR1と現代のアジア東部人およびシベリア人およびアメリカ大陸先住民との間の進化的関係のモデル化により、分岐年代も推定しました。その結果、1世代で1ヶ所あたり1.25×10⁻⁸の変異率と1世代29年との仮定に基づき、アメリカ大陸先住民とシベリア現代人は36000~25000年前頃に分離し、USR1は他のアメリカ大陸先住民と2万年前頃に分離した、と推定されました。その研究はこれらの推定を用いて、ANS祖先系統と関連する混合は25000~20000年前頃に起きた可能性が高い、と示唆しました。これらの結果は、旧シベリア人とアメリカ大陸先住民とアジア東部人を含むqpGraph分析と一致しており(関連記事1および関連記事2)、アメリカ大陸先住民にとってのアジアの供給源は、旧シベリア人にとってのアジアの供給源よりも早く分離した、と推測されています。
さらに南方では、120万ヶ所の一塩基多型区画が、広西チワン族自治区(福建省地域とアジア南東部の間に位置する中国南部地域)の隆林洞窟(Longlin Cave)で発見された10500年前頃の1個体(隆林個体)の古代DNA分析に用いられました(関連記事)。Treemixを用いた系統発生分析と、f4統計を用いた相対的遺伝的類似性検定の両方で、隆林個体は田園個体もしくはホアビン文化個体とよりも中国の南北沿岸部の9000~4000年前頃となるアジア東部人の方と密接に関連している、と示されました。しかし、これらの同じ分析では、隆林個体は9000~4000年前頃のアジア東部南北の人々の外群だと示されました。隆林個体と関連する祖先系統は広西祖先系統(後述の補足2を参照、図2)として記載され、広西チワン族自治区の歴史時代の標本もしくはアジア東部および南東部の現代人で観察されず、広西祖先系統が現代には存続しなかったことを示唆します。
日本列島における8000~3000年前頃の古代DNAを用いた推論では、日本列島の人口集団も上部旧石器時代末には分化していた、と示唆されます。これら古代の個体群は、16000~2800年前頃の考古学的記録で見られる文化期である、日本列島の縄文時代と関連しています。縄文時代の個体群は、北は北海道(関連記事)から本州(関連記事1および関連記事2および関連記事3)を経て南は九州(関連記事)で発見されています。これら縄文時代個体群は一貫して主成分分析でまとまり、他のアジアの人口集団とは異なり、相互に高い遺伝的類似性を示します。
この縄文時代個体群の関連祖先系統は、本論文では縄文祖先系統(後述の補足2を参照、図2)として記載されます。隆林個体のように、縄文時代個体群は田園個体もしくはホアビン文化個体とよりも中国の南北沿岸部の9000~4000年前頃アジア東部人の方と密接に関連していますが、これら南北のアジア東部人の外群となります。一部の研究では、ホアビン文化関連人口集団との混合を含む図にデータを適合させ、縄文時代の1個体より新しいアジア南東部人と比較してホアビン文化個体について異なるf4パターンを見つけることにより、ホアビン文化個体との過剰なつながりの存在が主張されています(関連記事)。しかし、代替的な混合図とf4統計比較は、このつながりの証拠を示しません(関連記事1および関連記事2)。
アジア南部もしくはアジア南東部を表す上部旧石器時代標本の欠如により、これらの地域内の祖先的パターンの評価が難しくなっています。上部旧石器時代の古代人の標本抽出は依然として疎らですが、現在までの調査結果は、アジア全域における一連の多様な祖先系統を明らかにします。この多様な祖先系統には、アジア東部全域の高い遺伝的構造と、アジア北部の異なる人口集団間の相互作用が伴います。
第5部:過去1万年間のアジア内の急速なヒトの拡散
120万ヶ所の一塩基多型区画での古代DNA捕獲は、過去1万年間のアジア全域の複数個体で実行されており、現在観察される遺伝的構成につながる人口動態についての洞察を提供します。本論文は以下の項目で、過去1万年間のヒトの分析から判断された人口統計学的パターンを再調査します。
●アジア東部北方とシベリアとチベット高原の人口動態
アジア東部北方とシベリアとチベット高原におけるアジア東部祖先系統の現代の人口集団を含む主成分分析は、2つの主要な勾配を示します。一方の勾配は、ウリチ人(Ulchi)などアムール川地域と、シボ人(Xibo)などユーラシア東部草原地帯全域の内陸部の現代の人口集団を含みますが、もう一方の勾配は、チベット高原もしくはその近くの人口集団を表します。これらの地域の古代の個体群の分析は、アジア東部現代人で観察されるよりも複雑な歴史を明らかにしました。
アムール川地域とシベリアの後期上部旧石器時代では、標本抽出された古代の個体群は、AR14Kなどアムール川祖先系統か、UKY個体やコリマ1号など混合した旧シベリア祖先系統と関連していました。アムール川地域では、14000~3000年前頃の個体群は相互により大きな遺伝的類似性を共有しており、主成分分析では、8000~7000年前頃の悪魔の門洞窟個体群や、アムール川地域と隣接するプリモライ地域沿岸部の紀元前5000年頃となるボイスマン2(Boisman-2)共同墓地個体とともに、この地域の現代の人口集団、とくにツングース語族話者やモンゴル語族話者とまとまります(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。したがって、この地域では共有される祖先系統が少なくとも14000年前頃から現在まで存続しました。
シベリア中央部のさらに西方では、バイカル湖地域とモンゴルとモンゴル南部(内モンゴル自治区)の8500年前頃から歴史時代までの古代人のDNA標本抽出により、シベリア中央部人口集団における高い遺伝的多様性と相互作用が明らかになりました。qpAdmを用いての混合モデル(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5)では、シベリア中央部の8500~3000年前頃のほとんどの人口集団は、アムール川祖先系統(悪魔の門Nなど)とANS祖先系統(マリタ1号もしくはコリマ1号)の混合を示します。
モンゴル東部および南部の8000~5000年前頃の何人かの古代の個体と、石板墓(Slab Grave)文化などモンゴル中央部の3000年前頃となる前期鉄器時代個体群は、ANS祖先系統を有する人口集団との混合の証拠を殆ど若しくは全く示さず(関連記事1および関連記事2)、モンゴルは多様な人口集団の相互作用地帯だった、と示唆されます。5000~3500年前頃まで、ヤムナヤ(Yamnaya)文化およびアファナシェヴォ(Afanasievo)文化と関連したユーラシア中央部および西部草原地帯の人口集団が、シンタシュタ(Sintashta)文化に続いてモンゴルへと移住し、モンゴルおよびシベリア南部中央部の人口集団に寄与しました(図2)。
これらユーラシア中央部および西部草原地帯の人口集団は、ANS祖先系統、レヴァントとイランの基底部祖先系統、ヨーロッパ東部のコーカサス地域の狩猟採集民と関連する祖先系統、の3祖先系統と関連した人口集団と関連した混合祖先系統をもたらし、本論文では草原地帯祖先系統として記載されます(後述の補足2を参照)。しかし、モンゴルでは2000年前頃に始まりますが、歴史時代の個体群はアムール川祖先系統と関連する個体群とよりも現代漢人の方と密接に関連しており、モンゴルの南側の人口集団との相互作用が示唆されます(図2)。
主成分分析に基づくと、バイカル湖地域とモンゴルとモンゴル南部の8000~5000年前頃の個体群は、ほとんどのアムール川地域とプリモライ地域の標本のようにアジア北部勾配に沿うのではなく、チベット勾配へと動きます(関連記事1および関連記事2)。D統計とTreemix分析では、現代チベット人と密接な遺伝的関係を共有するネパールの3000~1000年前頃の個体群(関連記事)は、アジア東部南方の福建省地域個体群とよりも、黄河祖先系統と関連した山東省地域の古代の個体群の方とまとまる傾向にあります(関連記事)。現代チベット人は、類似の遺伝的パターンを示します(関連記事)。
したがって、現時点で標本抽出されたチベットの人口集団は、アジア東部北方人で観察された遺伝的多様性の範囲内に収まりますが、以前に提案されたように、チベット人がチベット高原に在来の深く分岐した祖先系統を有するのかどうか判断するには、古代の個体群の標本抽出が必要です。したがって、これまでのところ、チベット高原での標本抽出が疎らなため、おもにアムール川祖先系統と関連する人口集団におけるチベット勾配への主成分分析での移動を説明できる人口統計学的を解明することは困難です(図2)。
エヴェン人(Even)などシベリア北部および北東部の現代人は、アジア東部北方人、とくにアムール川祖先系統と関連する個体群と、密接な遺伝的関係を共有します。qpAdm混合分析を用いて推定されたように、シベリアの現代人では旧シベリア祖先系統は低水準なので、以前の研究(関連記事)では、アジア東部北方からシベリアへの人口移動が起きたに違いない、と結論づけられました(図2)。同じ研究では、ベーリング海峡のシベリア沿岸部において、3000~2000年前頃の個体群がアメリカ大陸先住民および旧シベリア祖先系統と関連しており、アメリカ大陸からの人口集団の「逆移住」が示唆されます。この「逆移住」では、シベリア北東部の奥地で依然として見られる旧シベリア祖先系統と関連した残りの人口集団との混合がありました(図2)。
黄河中流から下流に沿って、9500~2000年前頃の個体群から古代DNAが回収されました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。これらの研究のD統計と外群f3統計分析と系統発生分析では、黄河中流から下流の9500~2000年前頃の個体群は、相互に、およびアムール川地域の古代の個体群と密接な遺伝的関係を共有します。主成分分析では、これら黄河流域個体群は、アジア東部北方勾配の基底部に位置します。これら黄河流域個体群は、アムール川地域人口集団を排除して相互に密接に関連しており、アムール川地域の祖先系統とは異なる共有された祖先系統が示唆され、本論文では黄河祖先系統と記載されます(後述の補足2を参照、図2)。
アムール川地域と黄河地域との間の古代の個体群は、この2地域の人口集団とのさまざまな類似性を示し、この2つの祖先系統と関連する人口集団間の高水準の相互作用が示唆されます(関連記事)。遺伝的類似性の検証では、山東省地域の黄河下流の古代の個体群は黄河祖先系統と関連しており、さらに南方の古代の個体群とよりも、アジア東部および南東部現代人の方とアレルを多く共有しています(関連記事)。これらの結果から、黄河流域の人口集団はアジア東部および南東部の現代の人口集団の形成に主要な役割を果たしたかもしれない、と示唆されます。
●アジア東部南方とアジア南東部と日本列島における祖先系統と混合
福建省地域では、奇和洞遺跡の9000年前頃の1個体と、福建省沖の亮島(Liang Island)遺跡の8000~7000年前頃の個体群が、奇和洞3号と密接な遺伝的関係を共有しており(関連記事)、これらの個体は全て同じ祖先系統と関連していると示唆され、本論文では福建省祖先系統として記載されます(後述の補足2を参照、図2)。これら古代の個体群は、4000年前頃となる福建省の遺跡群の他の個体群とも密接な遺伝的関係を共有しており、福建省祖先系統が12000~4000年前頃には高水準で存続していた、と示されます。
以前の研究(関連記事)は遺伝的分化の検定を用いて、黄河祖先系統および福建省祖先系統と関連する古代の個体群は、アジア東部の北方と南方の現代人の場合よりも相互に遺伝的に分化していた、と示します。これはおもに、アジア東部および南東部現代人が、福建省祖先系統と関連する個体群とよりも、黄河祖先系統と関連する個体群の方と多くのアレルを共有しているためです。qpAdmを用いての混合割合の推定では、アジア東部および南東部現代人は、黄河祖先系統と福建省祖先系統と旧シベリア祖先系統の混合と示されます(関連記事)。
4000年前頃以前のアジア南東部農耕民の祖先系統(関連記事1および関連記事2)は、深く分岐したホアビン祖先系統と関連する祖先系統とは異なり、おもにアジア東部現代人と関連しており、4000年前頃以降のアジア東部から南方への移住が、アジア南東部人の遺伝的構成に大きな影響を与えた、と示唆されます。まとめると、これらのパターンは、黄河祖先系統および福建省祖先系統と関連する古代の人口集団間の移住と混合が、アジア東部および南東部全域の現代人の遺伝的景観に大きな影響を与えた、との仮説を裏づけます。
台湾とアジア南東部の島々では、最終的にはポリネシア諸島へと到達して居住したオーストロネシア語族の拡大と関連した古代と現代の個体群の標本抽出が、福建省祖先系統と関連しています。現代の人口集団では、オーストロネシア語族話者が福建省地域の8000~4000年前頃の個体群と最も高い遺伝的類似性を共有しており、アジア本土とは異なって、福建省祖先系統が島嶼部オーストロネシア語族話者人口集団全体において高水準で存続した、と示されます(関連記事)。
オーストロネシア語族の拡散は台湾からポリネシア諸島への移動だった、と示唆する研究もありますが、アジア南東部本土経由を含めて、複数の移住経路を主張する研究もあります(関連記事)。最近の研究(関連記事)では、フィリピンの現代のコルディリェラ人(Cordilleran)が標本抽出されました。その研究ではqpAdm混合分析が用いられ、福建省の古代の個体群と台湾のオーストロネシア語族話者現代人は、黄河祖先系統と関連する個体群との混合を示し、コルディリェラ人ではそのパターンが見られなかった、と観察されました。その研究はこのパターンを用いて、コルディリェラ人は別の移住に由来したに違いなく、おそらくはアジア南東部本土経由だっただろう、と主張します。
アジア南東部とオセアニアの島々では、古代と現代の人口集団が、AA系統およびESEA系統と関連するさまざまな水準の祖先系統を示しており(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、アジア南東部と南西太平洋の島々における移住の複雑な層と深く分岐した人口集団間の相互作用が明らかになります(図2)。
広西チワン族自治区では、後期上部旧石器時代の隆林個体が、黄河祖先系統および福建省祖先系統と関連する古代の個体群を含むクレード(単系統群)の外群で、広西祖先系統だと分かりました(関連記事)。広西祖先系統はあらゆするアジア東部および南東部現代人と関連しておらず、広西チワン族自治区の独山洞窟(Dushan Cave)遺跡と包󠄁家山(Baojianshan)遺跡の8000~6000年前頃の個体群は、その説明として大きな遺伝的変化を示唆します。
独山洞窟個体と包󠄁家山個体は、広西祖先系統(隆林個体)と関連する個体群よりも福建省祖先系統(奇和洞3号)と関連する個体群の方と密接な遺伝的関係を有しており、qpAdmを用いての混合割合の推定では、独山洞窟個体と包󠄁家山個体は広西祖先系統および福建省祖先系統と関連する人口集団の混合として最適に説明される、と示されます(図2)。TreemixとqpAdm分析では、6000年前頃の包󠄁家山個体はさらに、アジア南東部狩猟採集民との混合の証拠を示し、これは中国南部におけるホアビン祖先系統の最初の検出となります(図2)。1500年前頃と500年前頃となる広西チワン族自治区の歴史時代の個体群は、アジア東部南方現代人と遺伝的に最も類似しているので、黄河祖先系統と関連する人口集団との高水準の混合を示します。
日本列島では、縄文文化と関連する7000~3000年前頃の個体がこれまで標本抽出されており、全て相互に密接に関連し、また縄文祖先系統と関連しています。Treemixとf4比分析(後述の補足1を参照)を用いた研究(関連記事)では、現代日本の人口集団は10%の縄文祖先系統を有する、と分かりました。この調査結果は、日本列島の人口史に関する二重構造仮説の中核的見解を大まかには裏づけます。二重構造仮説では、おそらくは朝鮮半島を経由したアジア本土からの移民が3000年前頃以降に日本列島へと移動し、在来の縄文人集団と混合した、とされます。
またその研究は、アジア北東部の現在の韓国人集団とウリチ人集団は縄文祖先系統を5~8%示す、と推定しました。さらにf4統計では、縄文時代個体群は、オーストロネシア語族話者現代人およびアジア東部南方沿岸部とシベリアの8000~7000年前頃の個体群とつながりを示します(関連記事)。沿岸部および島嶼部人口集団とのこれらのつながりは、縄文時代個体群が日本列島への移住後に完全には孤立していなかった可能性を示唆します(図2)。
●アジア南部における祖先系統と混合
アジア南部では、標本抽出はおもに現代の人口集団に限定されてきました。しかし、インダス川流域の上限で5000年前頃となる古代の個体群の最近の標本抽出により、2つのパターンが明らかになりました(関連記事)。まず、主成分分析では、5000~4000年前頃の個体群は、一方の端の個体群がAASIと関連し、もう一方の端の個体群が古代イラン人との基底部祖先系統のつながりと関連する勾配に分布しています。AASI祖先系統およびイラン祖先系統と関連する個体群間の勾配は、インダス川流域勾配として記載されています。
qpAdm分析では、これらの個体群は、インダス川流域のより新しい個体群およびアジア南部現代人にとっての供給源人口集団として最適に合致するので、本論文では、これらの個体群と関連する祖先系統が、インダス川流域祖先系統(IP)として記載されます(後述の補足2を参照、図2)。アジア南部北方地域の4000~3000年前頃の個体群における、qpAdmを用いての混合割合の推定は、ヤムナヤ文化および他のアジア中央部と草原地帯の人口集団と関連する、草原地帯祖先系統が増加する人口集団からの混合を示しました。このパターンは、草原地帯祖先系統と関連する人口集団がインダス川流域へと4000年前頃から南方に移住し、内陸アジア全域の草原地帯祖先系統の広範な痕跡に寄与した、と示唆します。
以前の研究では、現代インドの人口集団のゲノム規模配列決定が実行され、北方から南方への勾配が見つかりました。アジア南部の古代の個体群との比較では、インドの全ての現代人が、AASI系統および基底部イラン祖先系統および草原地帯祖先系統と関連する祖先系統の混合を有している、と示されました(関連記事)。インド南部の人口集団は、インダス川流域の古代の個体群で見られる、AASI系統と関連する追加の祖先系統を有しており、AASI系統を表す古代の個体群はまだ標本抽出されていないものの、インド南部に居住していた可能性が高い、と示唆されます。
インド北部人の遺伝的パターンは、4000年前頃以降のインダス川流域近くの古代の人口集団と類似しており、全て草原地帯祖先系統と関連する人口集団との混合を示します。これらのパターンが示すのは、アジア南部において、インド北部および南部の人々と関連する祖先系統の形成は4000年前頃以降だった可能性が高い、ということです。インダス川流域勾配と関連するインド北部の人口集団は、草原地帯祖先系統の人口集団と混合し、インダス川流域勾配でのインド南部人口集団は、おもにAASI系統の人口集団と混合しました(図2)。アジアの他地域と同様に、混合がインドの現代の人口集団の形成において重要な役割を果たしました。
第6部:まとめ
20世紀から21世紀の変わり目に、カヴァッリ=スフォルツァ氏とその同僚は、アジアを含む世界中の複数の現代の人口集団にわたる遺伝的変異の目録作成を推進し、ヒトの移住パターンへの深い洞察が可能となり、ヒトゲノム多様性計画は最高潮に達しました。これらのデータセットが利用可能になる前に、カヴァッリ=スフォルツァ氏は、世界中のヒトのDNA配列が、アフリカにおける現生人類の起源の確証と、ユーラシアへの拡散回数を明らかにするのにどのように重要なのか、示しました。アジアとオーストラリアの現代人の21世紀における高密度の標本抽出は、単一の主要な拡散がアジアとオーストラリアの現代人全員におもに寄与した、と解明するのに役立ちました。
カヴァッリ=スフォルツァ氏の地域水準でのおもな取り組みは、ヨーロッパにおけるヒトの遺伝的歴史を特徴づけることで、カヴァッリ=スフォルツァ氏は、アジアにおける同様の新構想を支持し、アジアにおけるヒト進化史の理解の重要性を認識していました。アジアのヒト遺伝学に関する研究はヨーロッパよりも遅れていましたが、過去10年間で大きく変わり、アジアの人口集団の大規模なDNA配列決定と分析についてのGA100K計画など最近の取り組みがあります(関連記事)。2017年には、アジアで配列された古代人はごく僅かでしたが、それ以来、アジアにおける古代DNA研究は急速に利用可能性を高めました。過去5年のアジアの古代人の標本抽出は、過去45000年間のアジアにおけるヒトの移動と相互作用に関する理解を根本的に変えました。
祖先的アジア人口集団の急速な多様化により、少なくとも3つのアジア系統が出現し、それは、オーストラレーシア人およびネグリートと関連する系統(AA)、アジア南部人およびアンダマン諸島人の系統(AASI)、アジア東部および南東部人の系統(ESEA)です。アジア東部における時空間的な標本抽出から、ESEA系統は上部旧石器時代にはひじょうに下位構造化されており、シベリアとアジア東部および南東部の人口集団は、多くの異なる祖先系統と関連しています。現在、シベリアとアジア東部および南東部のほとんどの人口集団は、アジア東部の古代の個体群でおもに標本抽出された祖先系統の混合と関連しています。
注目すべきことに、AA系統・AASI系統・ESEA系統と関連しない深く分岐した祖先系統も、アジアでは大きな影響を有しました。上部旧石器時代のシベリアでは、繁栄した古代北シベリア(ANS)祖先系統と関連する人口集団が広範に分布し、ヨーロッパの狩猟採集民と密接に関連していました(図1B)。ANS祖先系統は、「最初のアメリカ人」や、モンゴルとシベリアとアジア中央部および南部の人口集団に後に影響を及ぼすことになる草原地帯人口集団に寄与した祖先的人口集団に、永続的な影響を及ぼしました。人口移動と混合は、過去1万年間にヒトの遺伝的景観を劇的に変えました(図2)。それは、上部旧石器時代にかつて居住していた人口集団が現代には継続しなかったことと、以前には孤立していた人口集団間の遺伝子流動が、過去の遺伝的多様性を覆い隠したこと、両方のためです。
配列決定と計算と統計の革新的進歩に伴い、アジアにおけるヒトの遺伝的多様性の豊富な絵模様が明らかになりつつあります。しかし、配列された個体群の間では、大規模な時空間的間隙がまだ残っています。これは、アジアにおけるヒトの人口史について依然として残る多くの問題を示唆しており、それは、祖先の範囲と供給源人口集団の決定を困難にしています。たとえば、チベット高原と中国南西部でのヒトの移動と相互作用はまだ不明で、長江地域は、その人口集団がアジアの多くの地域に影響を及ぼした可能性が高く、稲作農耕の主要な貢献者だったものの、古代人はまだ標本抽出されていません。
多くの祖先系統は1個体もしくは数個体だけで表され、過剰なアレル共有を、人口集団構造なのか、遺伝的混合なのか判断するのは困難です。MSMCやmomi2のような、多くの人口統計学的推論手法は、より高い網羅率と段階的なゲノムを必要とします。現在でも、ほとんどの古代DNA研究で高い網羅率の個体は稀です。これらの限界に対処するには、アジア全域でのより体系的な標本抽出とともに、低網羅率のゲノムデータを組み込んだ古代DNA配列決定技術と集団遺伝学的推論手法の大きな進歩が必要です。これらの欠点にも関わらず、これまでの研究は、アジアにおけるヒトの遺伝的歴史の解明において、カヴァッリ=スフォルツァ氏により提唱された空間的な標本抽出と、時間的な遺伝的標本抽出の両方の力を明確に論証してきました。
以上、本論文についてざっと見てきました。本論文の著者が発言しているように、おそらくは本論文の脱稿後にも複数の関連研究が刊行されているので、以下に当ブログで言及した研究を取り上げます。ワラセアでは、スラウェシ島の7300~7200年前頃の現生人類遺骸が、遺伝的には大きく異なる2つの祖先系統の混合により形成され、既知の古代人および現代人には見られない独特な遺伝的構成を示し、現代人には遺伝的影響を(ほとんど)まったく残していない、と推測されています(関連記事)。
古墳時代と縄文時代の人類遺骸のゲノムデータを報告した研究で、本論文でも取り上げられた九州の縄文時代早期人類のみだった西日本の縄文時代の人類の核ゲノムデータが複数報告され、縄文時代の人類の遺伝的構造の解明に大きく貢献しました(関連記事)。日本列島では、オホーツク文化関連個体のゲノム解析結果が報告され、アイヌ集団の形成過程も考察されています(関連記事)。アジア北東部の学際的研究では、言語学と考古学と遺伝学の研究成果が統合され、既知の縄文時代個体群的な遺伝的構成の集団の文化が縄文文化に限定されていなかった、と示唆されます(関連記事)。
新疆ウイグル自治区の青銅器時代人の古代DNA研究では、牧畜の伝播が人口移動を伴った場合もそうでなかった場合もあることを示唆しており、文化伝播と人口移動の関係という考古学の重要な問題にも関わってくる点で注目されます(関連記事)。アジア中央部南方の現代人集団の鉄器時代以降の遺伝的連続性に関する研究も、現代の各地域人口集団の形成過程の解明に寄与しているという点で注目されます(関連記事)。
補足1:古代人と現代人の遺伝的関係の分析に一般的に用いられる手法とソフトウェア
●ADMIXTURE・・・個々のゲノムが共有される構成要素の混合としてモデル化できると仮定し、構成要素と関連づけることができる各ゲノムの割合を推定する統計的手法です。構成要素の数であるKは使用者により規定され、この手法は通常、複数のKにわたって使用されます。
●古代DNA捕獲・・・標本で見つかった全てのDNAを配列決定するのではなく、一塩基多型(SNP)の区画について濃縮する配列決定技術です。これにより、環境中のDNAの配列決定ではなく、対象種(この場合はヒト)に特異的なDNAを標的にできます。古代の標本における内在性DNAは少なく、対象種からDNAを効率的に回収できるので、この実験室手法は一般的です。いくつかの一塩基多型区画がヒトで開発されてきており、本論文で参照される古代DNA捕獲技術を用いた研究は、以前の2つの研究(関連記事1および関連記事2)で開発された以下の一塩基多型区画の一方を使用しています。より小さなものは大きなものの部分集合で、一塩基多型区画は、380万ヶ所と220万ヶ所と最も一般的な120万ヶ所です。
●D統計もしくはf4統計・・・比較的遺伝的類似性のある4集団検定です。典型的なのはD型式(A、B;C、外群)で、AとCに対するBとCとの間の共有されるアレル(対立遺伝子)の数を測定します。共有されるアレルの数が多いほど、第三集団と比較してのそれら2集団間のより高い遺伝的類似性を示唆します。
●diCal2・・・条件付き標本抽出分岐を用いて経時的な人口規模の変化や分岐時間の推定などの媒介変数を推定する、集団遺伝学的推定手法です。この手法では、完全に媒介変数の人口統計学的モデルの包摂が可能となり、移住と関連する媒介変数を可能とします。
●f4比統計・・・f4統計を用いて、混合事象から混合割合を推定するのに用いられる手法です。この手法は、標的集団もしくは他の供給源集団とも混合しなかった1供給源集団と密接に関連した標本の利用可能性を前提としています。
●fastsimcoal2・・・標本抽出集団の模擬実験と部位頻度範囲、および特定のモデルの媒介変数を推定する複合尤度法を用いる集団遺伝学的推定手法です。
●fineSTRUCTURE・・・一連の個体のうち高い類似性を有する連続した配列もしくはハプロタイプの区画を、同じ構成要素に割り当てる統計的手法です。「染色体画法」と呼ばれるこの手法により、各塩基対の物理的位置を用いて、より精細な規模で類似性を調べることができます。
●momi2・・・特定のモデルで計算された部位頻度範囲を、標本抽出された集団一式の観察された部位頻度範囲と比較し、特定のモデルで媒介変数を推定する集団遺伝学的推定手法です。
●MSMC(複数連続マルコフ合祖)・・・ゲノムの小規模な一式に依存し、分岐時間を推定して個体群のさまざまな下位集団の内部および全体にわたる経時的な人口規模や合祖(合着)率など媒介変数を推定する、集団遺伝学的推定手法です。
●外群f3統計・・・f3型式(外群;A、B)の統計3集団検定です。f3値が高いほど、A集団とB集団との間の遺伝的類似性が高いことを示唆します。
●主成分分析(PCA)・・・次元削減によりデータを単純化する統計的手法です。データは、データにより説明される分散の量(主成分と呼ばれます)に基づいて、新たな変数一式に再編成されます。カヴァッリ=スフォルツァ氏たちは、最初のいくつかの主成分が進化的な遺伝的関係について情報をもたらすことが多い、という関連を作ることにより、初めて主成分分析をヒトの集団遺伝学的研究に導入しました。古代DNA研究では、現代の人口集団が主成分分析に使用されることが多く、次にその上に古代の個体群が投影されます。
●qpAdm・・・n個の指定された供給源からの特定の標的における混合割合の推定を可能とする手法です。この手法は、f4統計を用いて特定の供給源と差次的に関連する参照人口集団一式に対して、標的と供給源を比較することにより、混合割合を測定します。ここでは、標的のf4統計は、標的が真に供給源と関連する祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の混合である場合、供給源のf4統計の線形結合と仮定されます。
●qpGraph・・・混合図の推定です。これにより、特定の集団間一式の分岐と混合の関係の提示が可能となります。特定の混合図について、予測されるf2値とf3値とf4値は、特定の人口集団について観察されたf2値とf3値とf4値と比較され、モデルの可能性が判断されます。
●Treemix・・・アレル頻度相関を用いて最尤系統樹を推定する手法で、使用者により指定されたm回の移住事象の推測を可能とします。
補足2:本論文の主要な系統(lineage)と祖先系統(ancestry)
◎アジアとオーストラレーシアの現代人を形成するだろう祖先系統(ancestry)に寄与したアジアとオーストラレーシアで見られる系統(lineage)
●古代祖先的インド南部(AASI)系統・・・AASI系統は、アジア南部、とくにインド南部に居住するヒトにおもに寄与した祖先的人口集団を指します。AASI系統は、インダス川流域もしくはその周辺の5000~1500年前頃の個体群とインド現代人で部分的に表されます(関連記事)。
●オーストラレーシア(AA)系統・・・AA系統は、オーストラレーシアの人口集団におもに寄与した祖先的人口集団を指します。AA系統は、パプア人やオーストラリア先住民など、オーストラレーシアの現代人でおもに表されます。
●アジア東部および南東部(ESEA)系統・・・ESEA系統は、アジア東部および南東部本土に居住しているヒトにおもに寄与した祖先的人口集団を指します。ESEA系統は、漢人やキン人などアジア東部および南東部の現代人によりおもに表されます。
◎アジア東部および南東部(ESEA)における祖先系統
●アムール川祖先系統・・・アムール川地域とモンゴルとシベリアの人口集団と関連する祖先系統で、現時点で標本抽出された最古の個体は、アムール川地域の14000年前頃の個体(Amur14K)により表されます(関連記事)。アムール川祖先系統と関連する人口集団は、アメリカ大陸先住民および旧シベリア人祖先系統と関連する人口集団の祖先に寄与した可能性が高そうです。
●福建省祖先系統・・・12000~4000年前頃の中国南部沿岸の福建省地域の人口集団と関連する祖先系統です。現時点で標本抽出された最古の個体は、福建省の奇和洞遺跡で発見された個体です(関連記事)。福建省祖先系統と関連する人口集団は、現代のオーストロネシア語族話者に寄与しました。
●広西祖先系統・・・広西チワン族自治区の隆林洞窟(Longlin Cave)で発見された10500年前頃の1個体と関連する祖先系統です(関連記事)。広西祖先系統と関連する人口集団は、広西チワン族自治区の8000~6000年前頃の狩猟採集民で部分的に観察され、歴史時代の広西チワン族自治区個体群やアジア東部および南東部現代人では観察されません。
●ホアビン祖先系統・・・ラオスとマレーシアのホアビン文化(Hòabìnhian)と関連する8000~4000年前頃の狩猟採集民と関連するESEA系統の祖先系統です(関連記事)。ホアビン祖先系統は、アジア東部・南東部現代人の共通祖先および田園祖先系統(後述)と深く分岐しています。
●縄文祖先系統・・・日本列島の8000~3000年前頃の個体群と関連する祖先系統です。標本抽出された現時点で最古の個体は、佐賀市の東名貝塚遺跡で発見されました(関連記事)。なお、恐らくは本論文の脱稿後に、さらに古い縄文時代の人類遺骸のゲノムデータが報告されています(関連記事)。縄文祖先系統と関連する人口集団は、現代日本人集団に部分的に寄与しました。
●田園祖先系統・・・上部旧石器時代個体と関連するESEA系統の祖先系統です。北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性1個体(関連記事)と、モンゴル北東部のサルキート渓谷(Salkhit Valley)で発見された34950~33900年前頃の女性1個体(関連記事)により表されます(関連記事)。田園祖先系統は、アジア東部および南東部現代人の共通祖先と深く分岐しています。
●チベット祖先系統・・・チベット高原のヒマラヤ山脈地域の3000~1000年前頃の個体群と関連する祖先系統です(関連記事)。チベット祖先系統と関連する人口集団は、チベットとシェルパの現代人集団に寄与しました。
●黄河祖先系統・・・黄河地域の人口集団と関連する祖先系統で、現時点で最古の標本抽出された個体は、黄河下流に位置する山東省の變變(Bianbian)遺跡で発見された9500年前頃の個体により表されます(関連記事)。黄河祖先系統と関連する人口集団は、ほとんどのアジア東部および南東部現代人に大きな影響を与えました。
◎AA・AASI・ESEA系統から完全には派生していない祖先系統
●古代北シベリア(ANS)祖先系統・・・シベリア北部のヤナ川(Yana River)近くの33000年前頃の2個体と関連する祖先系統です(関連記事)。シベリアのバイカル湖地域の24000年前頃と17000年前頃の個体は、ANS祖先系統と関連する系統に由来します(関連記事)。ANS祖先系統は、アジア東部および南東部現代人で見られる祖先系統よりも、ヨーロッパ現代人で見られる祖先系統の方と密接に関連しています。
●基底部祖先系統・・・アフリカからの拡散においてひじょうに早期に分岐した人口集団と関連する祖先系統です。少なくとも3つの異なる祖先系統が報告されており、それは、シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44380年前頃の男性1個体と関連する祖先系統(関連記事)、現時点で最古級の標本抽出された農耕民の一部である、レヴァントとイランの12000~7000年前頃の2個体と関連する祖先系統(関連記事)を含みます。基底部イラン人祖先系統と関連する人口集団は、アジア中央部および南部の人口集団に寄与しました。
●インダス川流域(IP)祖先系統・・・インダス川流域近くで発見された5000~4000年前頃の個体群と関連する祖先系統です(関連記事)。IP祖先系統はAASI系統と関連する祖先系統と基底部イラン祖先系統の混合で、IP祖先系統と関連する人口集団はアジア南部の人口集団に寄与しました。
●アメリカ大陸先住民祖先系統・・・現代のアメリカ大陸先住民と関連する祖先系統です。アメリカ大陸先住民祖先系統は、アムール川祖先系統と関連する祖先系統とANS祖先系統との混合で、旧シベリア祖先系統(後述)と密接に関連しています。アメリカ大陸先住民祖先系統と関連する現時点で最古の配列された個体は、アラスカのアップウォードサン川(Upward Sun River)で発見された11600~11270年前頃の1個体です(関連記事)。
●旧シベリア祖先系統・・・14000~10000年前頃となるシベリアのバイカル湖地域の個体群と関連する祖先系統です(関連記事1および関連記事2)。旧シベリア祖先系統はANSと関連する祖先系統とアムール川祖先系統との混合で、アメリカ大陸先住民と関連する祖先系統と密接に関連しています。
●草原地帯祖先系統・・・ユーラシア中央部および西部草原地帯の5000~3500年前頃の個体群と関連する祖先系統で、ヤムナヤ(Yamnaya)文化およびアファナシェヴォ(Afanasievo)文化と関連しています(関連記事1および関連記事2)。草原地帯祖先系統は、ANSと関連する人口集団と関連する祖先系統と、レヴァントおよびイランの基底部祖先系統と、ヨーロッパ東部のコーカサス地域の狩猟採集民と関連する祖先系統との混合です。
参考文献:
Yang MA.(2022): A genetic history of migration, diversification, and admixture in Asia. Human Population Genetics and Genomics, 2, 1, 0001.
https://doi.org/10.47248/hpgg2202010001
指摘を受けて福建省の前期新石器時代遺跡(Qihe)の漢字表記を斎河から奇和洞に訂正し、要約を新たに掲載しました。
アジアへの現生人類(Homo sapiens)拡散に関する総説(Yang., 2022)が公表されました。本論文は、おもにユーラシア東部を対象とした現生人類の拡散に関する近年の古代ゲノム研究の成果を整理するとともに、古代ゲノム研究における代表的な手法と主要な祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)も簡潔に解説しており、たいへん有益だと思います。本論文は、2018年8月31日に亡くなった、著名な集団遺伝学者であるカヴァッリ=スフォルツァ(Luigi Luca Cavalli-Sforza)氏の生誕100年を記念しての特集号に掲載されています。
●要約
カヴァッリ=スフォルツ氏は、ヒトの遺伝的歴史の研究の初期の取り組みの先頭に立ち、世界規模の多様な人口集団の標本抽出の重要性を認識しました。カヴァッリ=スフォルツァ氏は、アジアにおけるヒトの進化的遺伝学についての研究を支援し、20世紀後半に、アジアへのヒト拡散と、アジア東部現代人の間の遺伝的距離に関する研究を行ないました。それ以来、現代人の大規模なゲノム配列決定と古代人からのDNAの標的配列決定を通じて、アジアにおけるヒトの遺伝的歴史の理解では、大きな進歩がありました。
本論文は、アジアで早くも45000年前に居住していたヒトの配列データを用いた研究に基づいて、アジアにおけるヒトの遺伝的先史時代を調べます。現在のオーストラレーシア人とアジア人を比較する遺伝学的研究が示すのは、両者はアフリカからの単一の拡散に由来する可能性が高く、急速に3主要系統に分化した、ということです。その3主要系統とは、アジア南部で部分的に持続した系統、オーストラレーシアでおもに現在見られる系統、シベリアとアジア東部とアジア南東部全域で広く表される系統です。45000年前にさかのぼるアジアにおけるヒト遺骸の古代DNA研究は、現在のアジアの人口集団につながる人口動態に関する我々の理解を大いに高めました。
第1部:カヴァッリ=スフォルツァ氏の功績
20世紀半ばから後半にかけて、カヴァッリ=スフォルツァ氏は、現代人の過去の人口史を解明する遺伝学的パターンを用いる、ヒトの「遺伝学的人工統計」分野の創始を支援しました。カヴァッリ=スフォルツァ氏は、遺伝学的データの定量分析がヒトの歴史に独自の様相を追加できる、と認識しており、ヒトゲノム多様性計画(HGDP)で例示されるように、公開研究のためヒトの遺伝的標本の多様な一式を開発しようとする主要な提唱者でした。言語学者や考古学者などさまざまな研究者とのカヴァッリ=スフォルツァ氏の協力は、彼が学際的研究の強力な支持者だったことを証明しました。
この初期の一事例は、カヴァッリ=スフォルツァ氏とその学生だった金力(Li Jin)氏などにより1999年に行なわれた調査です。彼らは、世界中の現代人集団の21番染色体の隣接する断片の分布を調べました。彼らが発見したのは、アフリカの人口集団に続いて、オセアニア人が次に高水準のハプロタイプ多様性を示し、オセアニア人のハプロタイプのパターンは、アジア東部人とは異なっていた、ということです。これらの結果に基づく彼らの結論は、少なくとも3回の異なる移住があり、1回はオセアニア、1回はアジア(およびアメリカ大陸)、1回はヨーロッパだった、というものでした。この初期の研究は、ヒトの遺伝的歴史の理解におけるアジアの重要性を論証しました。
アジアは世界最大の人口を有する大陸で、全現代人の60%近くが居住し、高い民族多様性があります。カヴァッリ=スフォルツァ氏の研究のほとんどはヨーロッパのヒトの遺伝的歴史に焦点を当てましたが、彼はアジアのヒトの遺伝学に関する研究にも寄与し、支援しました。カヴァッリ=スフォルツァ氏はアジア東部の学者を指導してともに研究し、1980年代~1990年代に遺伝的距離と姓の関連を調べ、彼が、アジア東部で最初の大規模なヒト遺伝学計画である中国ヒトゲノム多様性計画で刊行した論評で示されるように、アジアのヒトの遺伝学的研究を高く評価しました。
ヒト進化遺伝学の成長分野におけるアジアの研究者の主要な寄与は、ヒトゲノム機構(HUGO)汎アジア一塩基多型(SNP)協会などの試みにつながり(関連記事)、アジアにおける現代人の遺伝的多様性の理解を深めています。そうした計画は、アジア64ヶ国の1739個体のDNAを配列したゲノムアジア10万(GA100K)計画(関連記事)など、現在見られる広範なゲノム配列決定の取り組みの先駆けでした。多くの点で、GA100K計画は、カヴァッリ=スフォルツァ氏が世界中のヒトの遺伝的多様性の目録を作成するという先見の直接的な産物です。
カヴァッリ=スフォルツァ氏によるヒトゲノム多様性計画への最初の呼びかけ以降の30年間で、配列決定技術の大きな改善により、多様な人口集団からのゲノム規模データの広範な保管所の作成が可能となり、現代人の何千ものゲノムが配列され、分析されてきました(関連記事1および関連記事2)。さらに、少量のDNAの配列決定、汚染の防止、死後のDNA損傷の補正により、絶滅ホモ属(古代型ホモ属)であるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)および種区分未定のデニソワ人(Denisovan)と現生人類両方の古代人のDNAデータの入手が増え、ヒトの遺伝的歴史の前例のない調査が可能となりました(関連記事)。
本論文の目的は、古代および現代の現生人類のゲノムデータの調査により、アジアにおける過去5万年の現生人類の拡散を理解することです。アジアへの現生人類拡散の理解は、古代人のDNAの配列決定の成功により、規模と解像度で大きく向上しました(図1A)。本論文は、(1)アジアへの現生人類の最初の移住、(2)上部旧石器時代のアジアにおけるヒトの移動と相互作用、(3)過去1万年のアジア内のヒトの急速な拡散、に関する理解を深めた調査結果に焦点を当てます。以下は本論文の図1です。
第2部:アジアとオーストラレーシアへの現生人類の最初の移住
ヒト拡散の出アフリカモデルは遺伝学的研究によりよく裏づけられていますが、絶滅ホモ属のその後の配列決定は、絶滅ホモ属から初期現生人類への小さいものの注目に値する寄与を論証してきました(関連記事1および関連記事2)。その後の遺伝学的研究でも、アフリカの人口集団からの分離は65000~45000年前頃に起きた可能性が高い、と確証されました(関連記事)。21世紀に入ってから、遺伝学的研究は、ユーラシアやその先(アメリカ大陸やオセアニアなど)における拡散の回数やヒト拡大の形態など、アフリカからのヒト拡散にも取り組み始めました。
アジアとオーストラレーシア(オーストラリアとニュージーランドとその近隣の南太平洋諸島で構成される地域)への移住に関して、二つの拡散モデルが提案されてきました。単一拡散モデルはアフリカからユーラシアへの単一の移住を表し、現代のオーストラリア先住民はアジア系統の初期の分枝とされます。複数回拡散モデルは、現生人類によるアフリカからの数回の拡散を想定し、現代のオーストラリア先住民は、現代のアジア本土人とヨーロッパ人に寄与した拡散から分離したより早期の拡散に由来する、と想定されます。
カヴァッリ=スフォルツァ氏と金力氏たちは、オセアニアの現代の人口集団における高水準の遺伝的多様性を見つけ、この発見を用いて、オーストラレーシアへのアフリカからの(アジア本土やヨーロッパへの移住とは)異なる移住を主張し、これは複数回拡散モデルと一致します。HUGO汎アジアSNP協会によるアジア全域の55000ヶ所のゲノム規模一塩基多型を含む系統発生分析では、アジア東部人とオーストラレーシア人は相互に、ヨーロッパ現代人とよりも密接な遺伝的関係を共有している、と明らかになり、複数回拡散モデルではなく、むしろ単一拡散モデルを支持する、と主張されました。
2011年に、現生人類1個体の最初の古代DNA研究の一つが刊行され、100年前頃のオーストラリア先住民のゲノム規模データが生成されました(関連記事)。D統計(後述の補足1を参照)として知られる相対的な遺伝的類似性の検定を用いて、オーストラリア先住民のDNAを現代のヨーロッパ人(フランス人)およびアジア人(中国漢人)の配列と比較すると、オーストラリア先住民に対するヨーロッパ人とアジア人との間で共有されるアレル(対立遺伝子)の過剰が示され、複数回拡散モデルが支持されます。
しかし、複雑な要因は、シベリア(関連記事1および関連記事2および関連記事3)とチベット高原(関連記事1および関連記事2)の初期絶滅ホモ属であるデニソワ人が、アジア南東部およびオーストラレーシア諸島の国々に居住する人口集団に、最大5%の祖先系統を寄与した、ということです(関連記事)。デニソワ人祖先系統の割合はアジア本土人口集団ではずっと低いので(0.05~2%)、遺伝学的に観察された深い分岐は、現生人類のより早期の拡散ではなく、絶滅ホモ属との混合により説明できるかもしれません(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。
いくつかの研究は、ネアンデルタール人とデニソワ人からの古代型祖先系統を説明した後で、他の現生人類とのオーストラリア先住民集団の関係を調べました。デニソワ人のDNAが30倍の網羅率で配列決定された後(関連記事)、混合を示せる最尤系統樹(Treemix、後述の補足1を参照)が推定され、パプア人とアジア東部人はヨーロッパ人と比較してまとまる、と明らかになりました。その後の研究では、よく合致する混合図(qpGraph、後述の補足1を参照)が、パプア人とオーストラリア先住民とアンダマン諸島のオンゲ人をアジア東部人とまとめ、パプア人とオーストラリア先住民には追加のデニソワ人との混合があった、と明らかになりました(関連記事)。
オンゲ人などアンダマン諸島人は高いデニソワ人との混合を示さないので、アンダマン諸島の個体群の全ゲノム配列が他の現代の人口集団と比較されました。TreemixとD統計分析の両方を用いると、アンダマン諸島人は本土インド人およびアジア東部人および他のオーストラレーシア人と密接な遺伝的関係を共有している、と明らかになりました。別の研究(関連記事)は、fastsimcoal2(後述の補足1を参照)を用いて、観察された接合頻度範囲を予測される頻度範囲と比較することにより、単一拡散モデル対複数回拡散モデルの可能性を調べました。その結果、デニソワ人との混合を考慮すると、単一拡散モデルの裏づけが向上するものの、デニソワ人との混合を除外すると、複数回拡散モデルへの裏づけが向上する、と明らかになりました。まとめると、これらの研究は、絶滅ホモ属(ネアンデルタール人とデニソワ人)との混合を考慮すると、オーストラレーシア人は一貫してアジア本土人口集団と密接にまとまり、単一拡散モデルを裏づける、と示します。
ヨーロッパ人とよりもオーストラレーシア人とアジア人との間の密接な関係は広く裏づけられましたが、一部の学者は依然として、出アフリカ現生人類のより早期の拡散からオーストラレーシア人への、小さいものの注目に値する寄与を主張します。MSMC分岐時間推定(後述の補足1を参照)を用いた研究は、パプア人はユーラシア本土人口集団よりも早くアフリカの人口集団から分離した、と主張します。その研究は、1世代30年で1ヶ所あたり1世代1.25×10⁻⁸の変異率と仮定して、パプア人とヨルバ人との間の分岐を9万年前頃、ユーラシア本土人とヨルバ人との間の分岐を75000年前頃と推定します。
その研究はfineSTRUCTURE(後述の補足1を参照)を用いて、より深い分岐と関連するパプア人のハプロタイプを調べ、パプア人のゲノムの2%はデニソワ人との混合もしくはユーラシア本土人と共有される起源により説明できないので、出アフリカ現生人類のより早期の拡散に起源があるものとして最良に説明できる、と見出だしました(関連記事)。より早期の拡散は、オーストラレーシア人のゲノムで部分的に表されている可能性がありますが、オーストラレーシア人のゲノムで観察された主要なパターンは、アジア東部地域の大半で現在広がっている人口集団との共有された進化史を示唆します。
第3部:アジアの祖先系統の定義
本論文は以下で、アジアの古代人と関連した遺伝学的発見を調べますが、多くの場合、「ancestry(祖先系統)」という用語を用いて、遺伝的パターンの重要な解釈を伝えます。祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)は進化遺伝学の関係を伝えるための有用な概念ですが、その不正確な適用は、「人種」の生物学的現実との誤解をさせる主張を意図せず支持する、「人種」分類化をもたらす可能性があります。以前の研究では、「ancestry」という用語がヒトの進化遺伝学でどのように使われて誤解されたのか、微妙な差異の調査が刊行されました。本論文はその一部を要約し、「ancestry」という用語がどのように本論文で用いられるのか、明確に定義します。
以前の研究で説明されているように、遺伝学的祖先系統の技術的定義は、DNA断片が継承された個人の祖先全体の一連の経路を指します。人口集団にとって、全個体にわたる一連の遺伝学的祖先系統はひじょうに複雑なので、実践的理由のため、研究者は集団間で観察された一般的な人口統計学的関係の要約に焦点を当てます。この「集団祖先系統」という概念は次に、ゲノム全体の変動パターンに応じて、1集団はさまざまな供給源人口集団(本論文では祖先系統として表記)の混合として表すことが可能である、と仮定します。
本論文の目的は、古代と現代の人口集団間の高い遺伝的類似性の調査結果から推測される、現時点で文献に記載されてきたアジアの主要なヒトの祖先系統を明瞭に表現することです。記載された祖先系統が現在の人口集団とだけ関連しているか、古代の1個体もしくは現在の1人口集団で部分的な代表によってのみ知られている場合、本論文は「祖先系統(ancestry)」ではなく「系統(lineage)」という用語を使って、まだ標本抽出されていない仮定的な祖先の子孫を示唆します。
以前の研究で指摘されているように、全ての供給源人口集団もしくは祖先系統は、次のような構成概念です。(1)関連する標本抽出された個体群と離れた関連でしかない可能性があり、(2)利用可能な標本では実際に表せない可能性があり(「亡霊集団(ghost population)」)、(3)個別の分類区分が実際には適用できない場合、ある人口集団の個別の供給源を作成します。本論文で言及される祖先系統(ancestry)と系統(lineage)は理論的構成概念で、それはさまざまな過去もしくは現在の人口集団の標本と関連づけられており、あらゆる現代の個体の実際の祖先としては記述できません。
●アジアの初期系統
アジアおよびオーストラレーシアの現代人は、ヨーロッパ現代人とよりも相互に密接に関連していますが、遺伝的比較はアジア東部および南東部本土人とアジア南東部島嶼人とオーストラレーシア人との間の深い分離を浮き彫りにします。フィリピンのネグリートとパプア人とオーストラリア先住民は、アジア東部および南東部本土人と比較して、相互に密接な遺伝的関係を共有しており(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、本論文ではオーストラレーシア(AA)系統(後述の補足2を参照)に属する、とまとめて言及されます。対照的に、アジア東部および南東部本土人と他の太平洋諸島人(オーストロネシア語族話者など)は相互に密接に関連しており、本論文ではアジア東部および南東部(ESEA)系統(後述の補足2を参照)に属する、と示されます。
アジア南部では、現代の人口集団はひじょうに混合していますが、古代DNAの最近の配列決定は、AAもしくはESEA系統と関連する人口集団とのみ遠い関係にある、深く分岐したアジア祖先系統の存在を示唆しました(関連記事)。この異なるアジア南部祖先系統は、古代祖先的インド南部(AASI)系統(後述の補足2を参照)として示され、アジア南部の古代人および現代人の少ない割合で見つかるだけでした。アンダマン諸島の現代のオンゲ人は、現時点で最良の参照人口集団ですが、以前の研究はqpGraphを用いて、AASI系統と現代オンゲ人で見つかる祖先系統との間の分岐はひじょうに深かった、と示しました(関連記事)。AASI系統と関連する祖先系統は、ほぼ全ての現代インドの人口集団において低水準で見つかり、とくにインド南部人では、アジア南部においてAASI系統の影響が大きい、と強調されます。
AA系統とESEA系統とAASI系統は、ヨーロッパ現代人で観察された系統とよりも相互に密接な関係を示し、ともに現在までに標本抽出されたアジア関連祖先系統の主要な分枝を表します(図1B)。AA系統とESEA系統とAASI系統の相互関係は充分に解決されておらず、それは一部には、現代のアジアとオーストラレーシアの人口集団における、絶滅ホモ属と(関連記事)か、他の非アフリカ祖先系統を有する人口集団と(関連記事)か、相互との、高水準の混合のためです。
最近の研究は、380万ヶ所の一塩基多型区画を標的とした古代DNA捕獲(後述の補足1を参照)を用いて、ブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)の44640~42700年前頃の個体群を配列しました(関連記事)。その結果、バチョキロ洞窟個体群は遺伝的に、外群f3統計分析(後述の補足1を参照)ではヨーロッパ現代人よりもアジアの現代人の方と類似していると分かり、現代のアジアの人口集団と関連する祖先系統の範囲が西方ではブルガリアにまで拡大しました。
第4部:45000~1万年前頃のアジアにおける分化と混合
現在まで、標本抽出された上部旧石器時代個体はAASI系統およびAA系統と関連していませんが、アジア南部とオーストラレーシアにおけるこれらの系統と関連した現代の人口集団でのADMIXTURE分析(後述の補足1を参照)は、複雑な構造と混合の存在を示唆します(関連記事)。古代の個体群からの遺伝的データは、ESEA系統について情報をもたらしました。現在までにアジアの上部旧石器時代(45000~1万年前頃)から標本抽出された全てのヒト標本は、中国とモンゴルとロシアで発掘されており、それは部分的には、ヒト標本におけるゲノム物質の保存はより寒冷で乾燥した地域において可能性が高いからです。本論文は次の項目で、古代DNAが上部旧石器時代のESEA系統と関連する人口集団における遺伝的構造と混合を明確にするのにどう役立つのか、再調査します。
●前期上部旧石器時代:45000~2万年前頃
40000~33000年前頃となる中国北部(関連記事1および関連記事2)とモンゴル北東部(関連記事)の個体群(図1B)は、古代DNA捕獲を用いて配列されました。アムール川地域の33000年前頃の個体(AR33K)では120万ヶ所、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性1個体とモンゴル北東部のサルキート渓谷(Salkhit Valley)で発見された34950~33900年前頃女性1個体では220万ヶ所の一塩基多型区画が標的とされました。外群f3統計とD統計を用いての現代の人口集団との比較では、これら40000~33000年前頃のアジア北東部個体群が、遺伝的にはアジア東部および南東部現代人と最も類似している、と示されるので、田園個体とサルキート個体とAR33Kは、AA 系統もしくはAASI 系統ではなくESEA系統と関連している、と示されます。
遺伝的連続性の検証では、田園個体はアジア東部および南東部現代人に寄与した人口集団とは異なる人口集団に由来すると示され、前期上部旧石器時代におけるESEA系統の分化が示唆されます。D統計分析では、AR33Kとサルキート個体がアジア東部および南東部現代人よりも田園個体の方と密接に関連している、と示されました。したがって、40000~33000年前頃までには、中国北部とモンゴルにおいて1つもしくは複数の人口集団が、アジア東部および南東部現代人に寄与した供給源人口集団と遺伝的に分化していました。本論文は、田園個体とAR33Kとサルキート個体との間で共有される祖先系統を田園祖先系統(後述の補足2を参照)と呼びます。田園祖先系統はアジア東部および南東部現代人の共通祖先と分岐しました。
アジア南方地域では4万~2万年前頃のヒト遺骸からDNAは回収されていませんが、ラオスとマレーシアのホアビン文化(Hòabìnhian)と関連する8000~4000年前頃の狩猟採集民が標本抽出され、前期上部旧石器時代には別の祖先系統が存在したに違いない、と明らかになっています。120万ヶ所の一塩基多型区画での古代DNA捕獲と、D統計を用いての相対的な遺伝的類似性の評価から、これらアジア南東部狩猟採集民は田園個体とアジア東部および南東部現代人と最も密接に関連していた、と示されました(関連記事)。
しかし、D統計比較でも、ホアビン文化関連狩猟採集民はアジア東部および南東部現代人と同様に遺伝的に田園個体と異なり、本論文ではホアビン祖先系統(後述の補足2を参照)と関連するものとして記載される、と示されます。まとめると、上述の遺伝的パターンが示すのは、ESEA系統は少なくとも異なる3祖先系統に分化した、ということです。まずは田園祖先系統で、アジア東部北方で40000~33000年前頃に見られます。次はアジア東部および南東部とシベリアの現代の人口集団全体で見られる祖先系統ですが、その起源は不明です。最後にホアビン祖先系統で、アジア南東部の8000~4000年前頃の狩猟採集民で見られますが、上部旧石器時代におけるその起源は不明です。
シベリア西部と近東とアジア中央部の古代人のDNA標本抽出は、現在直接的に表されない人口集団が過去のアジア西部地域には存在した、と示しました。たとえば、シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44380年前頃の男性1個体の大腿骨のDNAが回収され、18億6千万塩基対が配列されました(図1B)。D統計を用いると、ウスチイシム個体は上部旧石器時代ヨーロッパの狩猟採集民およびアジア東部現代人と同様に関連している、と示されました(関連記事)。
別の研究(関連記事)では、レヴァントとイランの12000~7000年前頃の個体で120万ヶ所の一塩基多型を標的とした後、ウスチイシム個体とアジア東部現代人はレヴァントとイランの個体群よりも相互にアレルを多く共有している、と明らかになりました。これは、レヴァントとイランの12000~7000年前頃の個体群が他の非アフリカ系現生人類と基底部で分岐したことを示唆します。主成分分析(PCA、後述の補足1を参照)では、レヴァントとイランの個体群は近東勾配の反対側の末端でまとまり、これら2人口集団間の高い遺伝的分化を示唆します。ウスチイシム個体とレヴァントおよびイランの12000~7000年前頃の個体群は、現代の人口集団で部分的に表されるか、表されない、深く分岐した非アフリカ祖先系統(本論文では基底部祖先系統として記載されます。後述の補足2を参照)を表しています。
シベリア北東部では、上部旧石器時代人口集団がESEA系統やAA系統やAASI系統とは関連していませんでした。シベリア北東部のヤナ犀角遺跡(Yana Rhinoceros Horn Site、略してヤナRHS)の31000年前頃となる2個体(ヤナ1号および2号)が標本抽出され(関連記事)、シベリア南部中央(図1B)では、24000年前頃のマリタ(Mal’ta)遺跡の少年1個体(マリタ1号)と17000年前頃となるアフォントヴァゴラ(Afontova Gora)遺跡の2個体(アフォントヴァゴラ2号および3号)が標本抽出されました(関連記事)。
f4統計(D統計の非標準化版、後述の補足1を参照)を用いてのヨーロッパとアジアの古代および現代の人口集団との比較は、これらの個体群が遺伝的に田園個体もしくはアジア東部および南東部現代人とよりもヨーロッパ狩猟採集民の方と類似している、と示しており、上部旧石器時代シベリア人は古代ヨーロッパ狩猟採集民に寄与した人口集団からの初期段階での分岐だった、と示唆されます。以前の研究に基づいて(関連記事)、ヤナRHSの2個体により表される祖先系統は、古代北シベリア(ANS)祖先系統(後述の補足2を参照)として記載されます(図1B)。
マリタ1号とアフォントヴァゴラ2号および3号は、祖先的北ユーラシア祖先系統を表す、と言及されることが多く、31000年前頃のシベリアで見られるANS祖先系統と密接に関連しており、ANS祖先系統に起源がある、と示唆されます(関連記事)。31000~17000年前頃のシベリアにおけるANS祖先系統の存続は、アジア北部を横断してのヒトの移住の初期の歴史に重要な役割を果たしました。シベリアとアジア東部および南東部におけるこれらのパターンは、4万~2万年前頃となる前期上部旧石器時代において、ユーラシア東部には互いに遺伝的に異なる人口集団が多くいたことを示します。ANS祖先系統とESEA祖先系統は両方、ヒトの遺伝的歴史の形成に役立ちました。
田園祖先系統およびANS祖先系統と関連する人口集団間の相互作用は、アジア東部とシベリアにおけるヒトの分布の形成に重要な役割を果たしました。たとえば、D統計を用いた対称性検定では、サルキート個体は田園個体もしくはAR33K のどちらかよりも、ANS関連のヤナRHSの2個体と多くの遺伝的類似性を共有しており(関連記事1および関連記事2)、田園祖先系統と関連する(サルキート個体に代表される)モンゴルの人口集団は、アムール川地域および華北平原の人口集団とよりも、ANS祖先系統と関連する人口集団の方と多く相互作用していた可能性が高い、と示唆されます。
D統計分析ではさらに、サルキート個体と田園個体は、アジア東部および南東部現代人よりも、35000年前頃となるヨーロッパ(ベルギー)のゴイエット洞窟(Goyet Cave)の狩猟採集民1個体(ゴイエットQ116-1)とアレルを多く共有する、と示されています(関連記事1および関連記事2)。以前の研究(関連記事)では、ヨーロッパ西部とアジア北東部の個体間の遺伝的つながりをもたらす人口動態を完全には説明できませんでしたが、最近の研究(関連記事)では、qpGraphを用いてブルガリアのバチョキロ洞窟の44640~42700年前頃の個体群でゴイエットQ116-1との同様の類似性が観察され、かつてはヨーロッパに居住していたアジア関連人口集団により、広範なつながりが促進された可能性がある、と示されました。前期上部旧石器時代ヨーロッパとアジアの人口集団間の相互接続は、前期上部旧石器時代狩猟採集民が完全には孤立しておらず、混合と移住がその祖先的構成において基本的役割を果たした、と示されます。
●後期上部旧石器時代:2万~1万年前頃
2万~1万年前頃のヒト遺骸は、シベリアとアジア東部および南東部の現代人を形成した祖先系統への洞察を提供し始めました。120万ヶ所の一塩基多型区画が、アムール川地域の19000年前頃の1個体(AR19K)と、福建省の12000年前頃の奇和洞(Qihe Cave)遺跡の1個体(奇和洞3号)、および9500~4000年前頃の中国の南北沿岸部の人口集団の分析に用いられました。これらの個体は全て、田園個体もしくは8000~4000年前頃のホアビン文化個体よりも、アジア東部および南東部現代人の方と大きな遺伝的類似性を共有しています。いくつかの研究は系統発生分析とD統計分析を用いて、黄河地域からアムール川地域の北方人口集団が、アジア東部南方沿岸部もしくは福建省地域の南方人口集団とよりも、相互に密接な遺伝的関係を共有している、と示しました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。
上述のように、24000~17000年前頃のシベリア南部中央の個体(マリタ1号とアフォントヴァゴラ2号および3号)は、シベリア北東部のヤナRHS の2個体で見られるようなANS祖先系統と関連する人口集団の子孫です。外群f3統計を用いた研究では、マリタ1号は現代のアメリカ大陸先住民と最も密接に関連している、と示されました(関連記事)。このパターンは、アメリカ大陸へのヒトの拡散が、アジア東部現代人関連とマリタ1号関連という、異なる2祖先系統の混合に由来するシベリアの人口集団に起源がある、とのモデルにつながります。
シベリア古代人のDNAを報告した最近の研究(関連記事1および関連記事2)は、アメリカ大陸先住民系統と密接に関連するシベリアにおける混合人口集団の直接的証拠を提供しました。それらqpGraphを用いた研究では、バイカル湖の南側のウスチキャフタ3(Ust-Kyakhta-3)遺跡で発見された14000年前頃となる個体(UKY)と、極東シベリアのコリマ川(Kolyma River)近くで発見された1万年前頃の個体(コリマ1号)がともに、アメリカ大陸先住民と密接な遺伝的関係を共有する、と示されました。fastsimcoal2での模擬実験に基づく人口統計学的モデル化を用いると、コリマ1号はアジア東部現代人(たとえば漢人)と関連する祖先系統とANS祖先系統との混合として説明できる、と分かりました。以前の研究(関連記事)では、シベリアの景観全体で見られるこの混合祖先系統は、旧シベリア祖先系統(後述の補足2を参照)として記載されています(図2)。以下は本論文の図2です。
アジア東部のどの人口集団がANS祖先系統と関連する人口集団と混合し、旧シベリア人およびアメリカ大陸先住民で見られる遺伝的混合の痕跡が生じたのかについては、問題が残ります。ショットガン配列決定を用いた研究(関連記事)は、以前に部分的に配列された(関連記事)極東ロシアのプリモライ(Primorye)地域の悪魔の門洞窟(Devil’s Gate Cave)の8000年前頃となる6個体の全ゲノムを生成しました。その結果、悪魔の門洞窟個体群はアジア東部現代人とまとまり、コリマ1号の最適なアジアの供給源人口集団を表している、と示されました。
その後の研究(関連記事)では、アムール川地域の14000年前頃の1個体(AR14K)で120万ヶ所の一塩基多型区画が標的とされ、qpAdm混合分析(後述の補足1を参照)とqpGraphモデル化を用いて、AR14Kが悪魔の門洞窟個体群よりもコリマ1号のアジア祖先系統のより適した供給源人口集団だった、と分かりました。その研究では、f4統計を用いると、悪魔の門洞窟新石器時代個体群(悪魔の門N)とAR14Kは相互に密接な遺伝的関係を共有し、古代人ではアジア東部南方個体群ではなく他のアジア東部北方個体群と系統発生的にまとまり、アムール川地域の人口集団はANS祖先系統と関連する人口集団との相互作用に重要な役割を果たした可能性が高い、と主張されています。本論文ではこれがアムール川祖先系統と記載され(図2、後述の補足2を参照)、アムール川地域とプリモライ地域で見つかったAR14Kおよび悪魔の門Nと関連した祖先系統で、シベリアとアメリカ大陸のヒトの景観に大きな影響を与えました。
以前の研究(関連記事)では、fastsimcoal2を用いてシベリアとアジア東部の人口集団間の分岐年代が推定されました。1世代で1ヶ所あたり1.25×10⁻⁸の変異率と1世代29年との仮定で、コリマ1号に寄与したアジアの供給源は24000年前頃に分岐した、と推定されました。そのアジアの供給源がアムール川祖先系統だったならば、24000年前頃は、他のアジアの祖先系統からアムール川祖先系統を分離する分岐年代も示唆しているかもしれません。
以前の研究(関連記事)は、アラスカのアップウォードサン川(Upward Sun River)で発見された11600~11270年前頃の1個体(USR1)の高網羅率ゲノムを配列し、USR1が現代のアメリカ大陸先住民と密接な関係を共有する、と示しました。その研究はdiCal2およびmomi2(後述の補足1を参照)を用いて、USR1と現代のアジア東部人およびシベリア人およびアメリカ大陸先住民との間の進化的関係のモデル化により、分岐年代も推定しました。その結果、1世代で1ヶ所あたり1.25×10⁻⁸の変異率と1世代29年との仮定に基づき、アメリカ大陸先住民とシベリア現代人は36000~25000年前頃に分離し、USR1は他のアメリカ大陸先住民と2万年前頃に分離した、と推定されました。その研究はこれらの推定を用いて、ANS祖先系統と関連する混合は25000~20000年前頃に起きた可能性が高い、と示唆しました。これらの結果は、旧シベリア人とアメリカ大陸先住民とアジア東部人を含むqpGraph分析と一致しており(関連記事1および関連記事2)、アメリカ大陸先住民にとってのアジアの供給源は、旧シベリア人にとってのアジアの供給源よりも早く分離した、と推測されています。
さらに南方では、120万ヶ所の一塩基多型区画が、広西チワン族自治区(福建省地域とアジア南東部の間に位置する中国南部地域)の隆林洞窟(Longlin Cave)で発見された10500年前頃の1個体(隆林個体)の古代DNA分析に用いられました(関連記事)。Treemixを用いた系統発生分析と、f4統計を用いた相対的遺伝的類似性検定の両方で、隆林個体は田園個体もしくはホアビン文化個体とよりも中国の南北沿岸部の9000~4000年前頃となるアジア東部人の方と密接に関連している、と示されました。しかし、これらの同じ分析では、隆林個体は9000~4000年前頃のアジア東部南北の人々の外群だと示されました。隆林個体と関連する祖先系統は広西祖先系統(後述の補足2を参照、図2)として記載され、広西チワン族自治区の歴史時代の標本もしくはアジア東部および南東部の現代人で観察されず、広西祖先系統が現代には存続しなかったことを示唆します。
日本列島における8000~3000年前頃の古代DNAを用いた推論では、日本列島の人口集団も上部旧石器時代末には分化していた、と示唆されます。これら古代の個体群は、16000~2800年前頃の考古学的記録で見られる文化期である、日本列島の縄文時代と関連しています。縄文時代の個体群は、北は北海道(関連記事)から本州(関連記事1および関連記事2および関連記事3)を経て南は九州(関連記事)で発見されています。これら縄文時代個体群は一貫して主成分分析でまとまり、他のアジアの人口集団とは異なり、相互に高い遺伝的類似性を示します。
この縄文時代個体群の関連祖先系統は、本論文では縄文祖先系統(後述の補足2を参照、図2)として記載されます。隆林個体のように、縄文時代個体群は田園個体もしくはホアビン文化個体とよりも中国の南北沿岸部の9000~4000年前頃アジア東部人の方と密接に関連していますが、これら南北のアジア東部人の外群となります。一部の研究では、ホアビン文化関連人口集団との混合を含む図にデータを適合させ、縄文時代の1個体より新しいアジア南東部人と比較してホアビン文化個体について異なるf4パターンを見つけることにより、ホアビン文化個体との過剰なつながりの存在が主張されています(関連記事)。しかし、代替的な混合図とf4統計比較は、このつながりの証拠を示しません(関連記事1および関連記事2)。
アジア南部もしくはアジア南東部を表す上部旧石器時代標本の欠如により、これらの地域内の祖先的パターンの評価が難しくなっています。上部旧石器時代の古代人の標本抽出は依然として疎らですが、現在までの調査結果は、アジア全域における一連の多様な祖先系統を明らかにします。この多様な祖先系統には、アジア東部全域の高い遺伝的構造と、アジア北部の異なる人口集団間の相互作用が伴います。
第5部:過去1万年間のアジア内の急速なヒトの拡散
120万ヶ所の一塩基多型区画での古代DNA捕獲は、過去1万年間のアジア全域の複数個体で実行されており、現在観察される遺伝的構成につながる人口動態についての洞察を提供します。本論文は以下の項目で、過去1万年間のヒトの分析から判断された人口統計学的パターンを再調査します。
●アジア東部北方とシベリアとチベット高原の人口動態
アジア東部北方とシベリアとチベット高原におけるアジア東部祖先系統の現代の人口集団を含む主成分分析は、2つの主要な勾配を示します。一方の勾配は、ウリチ人(Ulchi)などアムール川地域と、シボ人(Xibo)などユーラシア東部草原地帯全域の内陸部の現代の人口集団を含みますが、もう一方の勾配は、チベット高原もしくはその近くの人口集団を表します。これらの地域の古代の個体群の分析は、アジア東部現代人で観察されるよりも複雑な歴史を明らかにしました。
アムール川地域とシベリアの後期上部旧石器時代では、標本抽出された古代の個体群は、AR14Kなどアムール川祖先系統か、UKY個体やコリマ1号など混合した旧シベリア祖先系統と関連していました。アムール川地域では、14000~3000年前頃の個体群は相互により大きな遺伝的類似性を共有しており、主成分分析では、8000~7000年前頃の悪魔の門洞窟個体群や、アムール川地域と隣接するプリモライ地域沿岸部の紀元前5000年頃となるボイスマン2(Boisman-2)共同墓地個体とともに、この地域の現代の人口集団、とくにツングース語族話者やモンゴル語族話者とまとまります(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。したがって、この地域では共有される祖先系統が少なくとも14000年前頃から現在まで存続しました。
シベリア中央部のさらに西方では、バイカル湖地域とモンゴルとモンゴル南部(内モンゴル自治区)の8500年前頃から歴史時代までの古代人のDNA標本抽出により、シベリア中央部人口集団における高い遺伝的多様性と相互作用が明らかになりました。qpAdmを用いての混合モデル(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5)では、シベリア中央部の8500~3000年前頃のほとんどの人口集団は、アムール川祖先系統(悪魔の門Nなど)とANS祖先系統(マリタ1号もしくはコリマ1号)の混合を示します。
モンゴル東部および南部の8000~5000年前頃の何人かの古代の個体と、石板墓(Slab Grave)文化などモンゴル中央部の3000年前頃となる前期鉄器時代個体群は、ANS祖先系統を有する人口集団との混合の証拠を殆ど若しくは全く示さず(関連記事1および関連記事2)、モンゴルは多様な人口集団の相互作用地帯だった、と示唆されます。5000~3500年前頃まで、ヤムナヤ(Yamnaya)文化およびアファナシェヴォ(Afanasievo)文化と関連したユーラシア中央部および西部草原地帯の人口集団が、シンタシュタ(Sintashta)文化に続いてモンゴルへと移住し、モンゴルおよびシベリア南部中央部の人口集団に寄与しました(図2)。
これらユーラシア中央部および西部草原地帯の人口集団は、ANS祖先系統、レヴァントとイランの基底部祖先系統、ヨーロッパ東部のコーカサス地域の狩猟採集民と関連する祖先系統、の3祖先系統と関連した人口集団と関連した混合祖先系統をもたらし、本論文では草原地帯祖先系統として記載されます(後述の補足2を参照)。しかし、モンゴルでは2000年前頃に始まりますが、歴史時代の個体群はアムール川祖先系統と関連する個体群とよりも現代漢人の方と密接に関連しており、モンゴルの南側の人口集団との相互作用が示唆されます(図2)。
主成分分析に基づくと、バイカル湖地域とモンゴルとモンゴル南部の8000~5000年前頃の個体群は、ほとんどのアムール川地域とプリモライ地域の標本のようにアジア北部勾配に沿うのではなく、チベット勾配へと動きます(関連記事1および関連記事2)。D統計とTreemix分析では、現代チベット人と密接な遺伝的関係を共有するネパールの3000~1000年前頃の個体群(関連記事)は、アジア東部南方の福建省地域個体群とよりも、黄河祖先系統と関連した山東省地域の古代の個体群の方とまとまる傾向にあります(関連記事)。現代チベット人は、類似の遺伝的パターンを示します(関連記事)。
したがって、現時点で標本抽出されたチベットの人口集団は、アジア東部北方人で観察された遺伝的多様性の範囲内に収まりますが、以前に提案されたように、チベット人がチベット高原に在来の深く分岐した祖先系統を有するのかどうか判断するには、古代の個体群の標本抽出が必要です。したがって、これまでのところ、チベット高原での標本抽出が疎らなため、おもにアムール川祖先系統と関連する人口集団におけるチベット勾配への主成分分析での移動を説明できる人口統計学的を解明することは困難です(図2)。
エヴェン人(Even)などシベリア北部および北東部の現代人は、アジア東部北方人、とくにアムール川祖先系統と関連する個体群と、密接な遺伝的関係を共有します。qpAdm混合分析を用いて推定されたように、シベリアの現代人では旧シベリア祖先系統は低水準なので、以前の研究(関連記事)では、アジア東部北方からシベリアへの人口移動が起きたに違いない、と結論づけられました(図2)。同じ研究では、ベーリング海峡のシベリア沿岸部において、3000~2000年前頃の個体群がアメリカ大陸先住民および旧シベリア祖先系統と関連しており、アメリカ大陸からの人口集団の「逆移住」が示唆されます。この「逆移住」では、シベリア北東部の奥地で依然として見られる旧シベリア祖先系統と関連した残りの人口集団との混合がありました(図2)。
黄河中流から下流に沿って、9500~2000年前頃の個体群から古代DNAが回収されました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。これらの研究のD統計と外群f3統計分析と系統発生分析では、黄河中流から下流の9500~2000年前頃の個体群は、相互に、およびアムール川地域の古代の個体群と密接な遺伝的関係を共有します。主成分分析では、これら黄河流域個体群は、アジア東部北方勾配の基底部に位置します。これら黄河流域個体群は、アムール川地域人口集団を排除して相互に密接に関連しており、アムール川地域の祖先系統とは異なる共有された祖先系統が示唆され、本論文では黄河祖先系統と記載されます(後述の補足2を参照、図2)。
アムール川地域と黄河地域との間の古代の個体群は、この2地域の人口集団とのさまざまな類似性を示し、この2つの祖先系統と関連する人口集団間の高水準の相互作用が示唆されます(関連記事)。遺伝的類似性の検証では、山東省地域の黄河下流の古代の個体群は黄河祖先系統と関連しており、さらに南方の古代の個体群とよりも、アジア東部および南東部現代人の方とアレルを多く共有しています(関連記事)。これらの結果から、黄河流域の人口集団はアジア東部および南東部の現代の人口集団の形成に主要な役割を果たしたかもしれない、と示唆されます。
●アジア東部南方とアジア南東部と日本列島における祖先系統と混合
福建省地域では、奇和洞遺跡の9000年前頃の1個体と、福建省沖の亮島(Liang Island)遺跡の8000~7000年前頃の個体群が、奇和洞3号と密接な遺伝的関係を共有しており(関連記事)、これらの個体は全て同じ祖先系統と関連していると示唆され、本論文では福建省祖先系統として記載されます(後述の補足2を参照、図2)。これら古代の個体群は、4000年前頃となる福建省の遺跡群の他の個体群とも密接な遺伝的関係を共有しており、福建省祖先系統が12000~4000年前頃には高水準で存続していた、と示されます。
以前の研究(関連記事)は遺伝的分化の検定を用いて、黄河祖先系統および福建省祖先系統と関連する古代の個体群は、アジア東部の北方と南方の現代人の場合よりも相互に遺伝的に分化していた、と示します。これはおもに、アジア東部および南東部現代人が、福建省祖先系統と関連する個体群とよりも、黄河祖先系統と関連する個体群の方と多くのアレルを共有しているためです。qpAdmを用いての混合割合の推定では、アジア東部および南東部現代人は、黄河祖先系統と福建省祖先系統と旧シベリア祖先系統の混合と示されます(関連記事)。
4000年前頃以前のアジア南東部農耕民の祖先系統(関連記事1および関連記事2)は、深く分岐したホアビン祖先系統と関連する祖先系統とは異なり、おもにアジア東部現代人と関連しており、4000年前頃以降のアジア東部から南方への移住が、アジア南東部人の遺伝的構成に大きな影響を与えた、と示唆されます。まとめると、これらのパターンは、黄河祖先系統および福建省祖先系統と関連する古代の人口集団間の移住と混合が、アジア東部および南東部全域の現代人の遺伝的景観に大きな影響を与えた、との仮説を裏づけます。
台湾とアジア南東部の島々では、最終的にはポリネシア諸島へと到達して居住したオーストロネシア語族の拡大と関連した古代と現代の個体群の標本抽出が、福建省祖先系統と関連しています。現代の人口集団では、オーストロネシア語族話者が福建省地域の8000~4000年前頃の個体群と最も高い遺伝的類似性を共有しており、アジア本土とは異なって、福建省祖先系統が島嶼部オーストロネシア語族話者人口集団全体において高水準で存続した、と示されます(関連記事)。
オーストロネシア語族の拡散は台湾からポリネシア諸島への移動だった、と示唆する研究もありますが、アジア南東部本土経由を含めて、複数の移住経路を主張する研究もあります(関連記事)。最近の研究(関連記事)では、フィリピンの現代のコルディリェラ人(Cordilleran)が標本抽出されました。その研究ではqpAdm混合分析が用いられ、福建省の古代の個体群と台湾のオーストロネシア語族話者現代人は、黄河祖先系統と関連する個体群との混合を示し、コルディリェラ人ではそのパターンが見られなかった、と観察されました。その研究はこのパターンを用いて、コルディリェラ人は別の移住に由来したに違いなく、おそらくはアジア南東部本土経由だっただろう、と主張します。
アジア南東部とオセアニアの島々では、古代と現代の人口集団が、AA系統およびESEA系統と関連するさまざまな水準の祖先系統を示しており(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、アジア南東部と南西太平洋の島々における移住の複雑な層と深く分岐した人口集団間の相互作用が明らかになります(図2)。
広西チワン族自治区では、後期上部旧石器時代の隆林個体が、黄河祖先系統および福建省祖先系統と関連する古代の個体群を含むクレード(単系統群)の外群で、広西祖先系統だと分かりました(関連記事)。広西祖先系統はあらゆするアジア東部および南東部現代人と関連しておらず、広西チワン族自治区の独山洞窟(Dushan Cave)遺跡と包󠄁家山(Baojianshan)遺跡の8000~6000年前頃の個体群は、その説明として大きな遺伝的変化を示唆します。
独山洞窟個体と包󠄁家山個体は、広西祖先系統(隆林個体)と関連する個体群よりも福建省祖先系統(奇和洞3号)と関連する個体群の方と密接な遺伝的関係を有しており、qpAdmを用いての混合割合の推定では、独山洞窟個体と包󠄁家山個体は広西祖先系統および福建省祖先系統と関連する人口集団の混合として最適に説明される、と示されます(図2)。TreemixとqpAdm分析では、6000年前頃の包󠄁家山個体はさらに、アジア南東部狩猟採集民との混合の証拠を示し、これは中国南部におけるホアビン祖先系統の最初の検出となります(図2)。1500年前頃と500年前頃となる広西チワン族自治区の歴史時代の個体群は、アジア東部南方現代人と遺伝的に最も類似しているので、黄河祖先系統と関連する人口集団との高水準の混合を示します。
日本列島では、縄文文化と関連する7000~3000年前頃の個体がこれまで標本抽出されており、全て相互に密接に関連し、また縄文祖先系統と関連しています。Treemixとf4比分析(後述の補足1を参照)を用いた研究(関連記事)では、現代日本の人口集団は10%の縄文祖先系統を有する、と分かりました。この調査結果は、日本列島の人口史に関する二重構造仮説の中核的見解を大まかには裏づけます。二重構造仮説では、おそらくは朝鮮半島を経由したアジア本土からの移民が3000年前頃以降に日本列島へと移動し、在来の縄文人集団と混合した、とされます。
またその研究は、アジア北東部の現在の韓国人集団とウリチ人集団は縄文祖先系統を5~8%示す、と推定しました。さらにf4統計では、縄文時代個体群は、オーストロネシア語族話者現代人およびアジア東部南方沿岸部とシベリアの8000~7000年前頃の個体群とつながりを示します(関連記事)。沿岸部および島嶼部人口集団とのこれらのつながりは、縄文時代個体群が日本列島への移住後に完全には孤立していなかった可能性を示唆します(図2)。
●アジア南部における祖先系統と混合
アジア南部では、標本抽出はおもに現代の人口集団に限定されてきました。しかし、インダス川流域の上限で5000年前頃となる古代の個体群の最近の標本抽出により、2つのパターンが明らかになりました(関連記事)。まず、主成分分析では、5000~4000年前頃の個体群は、一方の端の個体群がAASIと関連し、もう一方の端の個体群が古代イラン人との基底部祖先系統のつながりと関連する勾配に分布しています。AASI祖先系統およびイラン祖先系統と関連する個体群間の勾配は、インダス川流域勾配として記載されています。
qpAdm分析では、これらの個体群は、インダス川流域のより新しい個体群およびアジア南部現代人にとっての供給源人口集団として最適に合致するので、本論文では、これらの個体群と関連する祖先系統が、インダス川流域祖先系統(IP)として記載されます(後述の補足2を参照、図2)。アジア南部北方地域の4000~3000年前頃の個体群における、qpAdmを用いての混合割合の推定は、ヤムナヤ文化および他のアジア中央部と草原地帯の人口集団と関連する、草原地帯祖先系統が増加する人口集団からの混合を示しました。このパターンは、草原地帯祖先系統と関連する人口集団がインダス川流域へと4000年前頃から南方に移住し、内陸アジア全域の草原地帯祖先系統の広範な痕跡に寄与した、と示唆します。
以前の研究では、現代インドの人口集団のゲノム規模配列決定が実行され、北方から南方への勾配が見つかりました。アジア南部の古代の個体群との比較では、インドの全ての現代人が、AASI系統および基底部イラン祖先系統および草原地帯祖先系統と関連する祖先系統の混合を有している、と示されました(関連記事)。インド南部の人口集団は、インダス川流域の古代の個体群で見られる、AASI系統と関連する追加の祖先系統を有しており、AASI系統を表す古代の個体群はまだ標本抽出されていないものの、インド南部に居住していた可能性が高い、と示唆されます。
インド北部人の遺伝的パターンは、4000年前頃以降のインダス川流域近くの古代の人口集団と類似しており、全て草原地帯祖先系統と関連する人口集団との混合を示します。これらのパターンが示すのは、アジア南部において、インド北部および南部の人々と関連する祖先系統の形成は4000年前頃以降だった可能性が高い、ということです。インダス川流域勾配と関連するインド北部の人口集団は、草原地帯祖先系統の人口集団と混合し、インダス川流域勾配でのインド南部人口集団は、おもにAASI系統の人口集団と混合しました(図2)。アジアの他地域と同様に、混合がインドの現代の人口集団の形成において重要な役割を果たしました。
第6部:まとめ
20世紀から21世紀の変わり目に、カヴァッリ=スフォルツァ氏とその同僚は、アジアを含む世界中の複数の現代の人口集団にわたる遺伝的変異の目録作成を推進し、ヒトの移住パターンへの深い洞察が可能となり、ヒトゲノム多様性計画は最高潮に達しました。これらのデータセットが利用可能になる前に、カヴァッリ=スフォルツァ氏は、世界中のヒトのDNA配列が、アフリカにおける現生人類の起源の確証と、ユーラシアへの拡散回数を明らかにするのにどのように重要なのか、示しました。アジアとオーストラリアの現代人の21世紀における高密度の標本抽出は、単一の主要な拡散がアジアとオーストラリアの現代人全員におもに寄与した、と解明するのに役立ちました。
カヴァッリ=スフォルツァ氏の地域水準でのおもな取り組みは、ヨーロッパにおけるヒトの遺伝的歴史を特徴づけることで、カヴァッリ=スフォルツァ氏は、アジアにおける同様の新構想を支持し、アジアにおけるヒト進化史の理解の重要性を認識していました。アジアのヒト遺伝学に関する研究はヨーロッパよりも遅れていましたが、過去10年間で大きく変わり、アジアの人口集団の大規模なDNA配列決定と分析についてのGA100K計画など最近の取り組みがあります(関連記事)。2017年には、アジアで配列された古代人はごく僅かでしたが、それ以来、アジアにおける古代DNA研究は急速に利用可能性を高めました。過去5年のアジアの古代人の標本抽出は、過去45000年間のアジアにおけるヒトの移動と相互作用に関する理解を根本的に変えました。
祖先的アジア人口集団の急速な多様化により、少なくとも3つのアジア系統が出現し、それは、オーストラレーシア人およびネグリートと関連する系統(AA)、アジア南部人およびアンダマン諸島人の系統(AASI)、アジア東部および南東部人の系統(ESEA)です。アジア東部における時空間的な標本抽出から、ESEA系統は上部旧石器時代にはひじょうに下位構造化されており、シベリアとアジア東部および南東部の人口集団は、多くの異なる祖先系統と関連しています。現在、シベリアとアジア東部および南東部のほとんどの人口集団は、アジア東部の古代の個体群でおもに標本抽出された祖先系統の混合と関連しています。
注目すべきことに、AA系統・AASI系統・ESEA系統と関連しない深く分岐した祖先系統も、アジアでは大きな影響を有しました。上部旧石器時代のシベリアでは、繁栄した古代北シベリア(ANS)祖先系統と関連する人口集団が広範に分布し、ヨーロッパの狩猟採集民と密接に関連していました(図1B)。ANS祖先系統は、「最初のアメリカ人」や、モンゴルとシベリアとアジア中央部および南部の人口集団に後に影響を及ぼすことになる草原地帯人口集団に寄与した祖先的人口集団に、永続的な影響を及ぼしました。人口移動と混合は、過去1万年間にヒトの遺伝的景観を劇的に変えました(図2)。それは、上部旧石器時代にかつて居住していた人口集団が現代には継続しなかったことと、以前には孤立していた人口集団間の遺伝子流動が、過去の遺伝的多様性を覆い隠したこと、両方のためです。
配列決定と計算と統計の革新的進歩に伴い、アジアにおけるヒトの遺伝的多様性の豊富な絵模様が明らかになりつつあります。しかし、配列された個体群の間では、大規模な時空間的間隙がまだ残っています。これは、アジアにおけるヒトの人口史について依然として残る多くの問題を示唆しており、それは、祖先の範囲と供給源人口集団の決定を困難にしています。たとえば、チベット高原と中国南西部でのヒトの移動と相互作用はまだ不明で、長江地域は、その人口集団がアジアの多くの地域に影響を及ぼした可能性が高く、稲作農耕の主要な貢献者だったものの、古代人はまだ標本抽出されていません。
多くの祖先系統は1個体もしくは数個体だけで表され、過剰なアレル共有を、人口集団構造なのか、遺伝的混合なのか判断するのは困難です。MSMCやmomi2のような、多くの人口統計学的推論手法は、より高い網羅率と段階的なゲノムを必要とします。現在でも、ほとんどの古代DNA研究で高い網羅率の個体は稀です。これらの限界に対処するには、アジア全域でのより体系的な標本抽出とともに、低網羅率のゲノムデータを組み込んだ古代DNA配列決定技術と集団遺伝学的推論手法の大きな進歩が必要です。これらの欠点にも関わらず、これまでの研究は、アジアにおけるヒトの遺伝的歴史の解明において、カヴァッリ=スフォルツァ氏により提唱された空間的な標本抽出と、時間的な遺伝的標本抽出の両方の力を明確に論証してきました。
以上、本論文についてざっと見てきました。本論文の著者が発言しているように、おそらくは本論文の脱稿後にも複数の関連研究が刊行されているので、以下に当ブログで言及した研究を取り上げます。ワラセアでは、スラウェシ島の7300~7200年前頃の現生人類遺骸が、遺伝的には大きく異なる2つの祖先系統の混合により形成され、既知の古代人および現代人には見られない独特な遺伝的構成を示し、現代人には遺伝的影響を(ほとんど)まったく残していない、と推測されています(関連記事)。
古墳時代と縄文時代の人類遺骸のゲノムデータを報告した研究で、本論文でも取り上げられた九州の縄文時代早期人類のみだった西日本の縄文時代の人類の核ゲノムデータが複数報告され、縄文時代の人類の遺伝的構造の解明に大きく貢献しました(関連記事)。日本列島では、オホーツク文化関連個体のゲノム解析結果が報告され、アイヌ集団の形成過程も考察されています(関連記事)。アジア北東部の学際的研究では、言語学と考古学と遺伝学の研究成果が統合され、既知の縄文時代個体群的な遺伝的構成の集団の文化が縄文文化に限定されていなかった、と示唆されます(関連記事)。
新疆ウイグル自治区の青銅器時代人の古代DNA研究では、牧畜の伝播が人口移動を伴った場合もそうでなかった場合もあることを示唆しており、文化伝播と人口移動の関係という考古学の重要な問題にも関わってくる点で注目されます(関連記事)。アジア中央部南方の現代人集団の鉄器時代以降の遺伝的連続性に関する研究も、現代の各地域人口集団の形成過程の解明に寄与しているという点で注目されます(関連記事)。
補足1:古代人と現代人の遺伝的関係の分析に一般的に用いられる手法とソフトウェア
●ADMIXTURE・・・個々のゲノムが共有される構成要素の混合としてモデル化できると仮定し、構成要素と関連づけることができる各ゲノムの割合を推定する統計的手法です。構成要素の数であるKは使用者により規定され、この手法は通常、複数のKにわたって使用されます。
●古代DNA捕獲・・・標本で見つかった全てのDNAを配列決定するのではなく、一塩基多型(SNP)の区画について濃縮する配列決定技術です。これにより、環境中のDNAの配列決定ではなく、対象種(この場合はヒト)に特異的なDNAを標的にできます。古代の標本における内在性DNAは少なく、対象種からDNAを効率的に回収できるので、この実験室手法は一般的です。いくつかの一塩基多型区画がヒトで開発されてきており、本論文で参照される古代DNA捕獲技術を用いた研究は、以前の2つの研究(関連記事1および関連記事2)で開発された以下の一塩基多型区画の一方を使用しています。より小さなものは大きなものの部分集合で、一塩基多型区画は、380万ヶ所と220万ヶ所と最も一般的な120万ヶ所です。
●D統計もしくはf4統計・・・比較的遺伝的類似性のある4集団検定です。典型的なのはD型式(A、B;C、外群)で、AとCに対するBとCとの間の共有されるアレル(対立遺伝子)の数を測定します。共有されるアレルの数が多いほど、第三集団と比較してのそれら2集団間のより高い遺伝的類似性を示唆します。
●diCal2・・・条件付き標本抽出分岐を用いて経時的な人口規模の変化や分岐時間の推定などの媒介変数を推定する、集団遺伝学的推定手法です。この手法では、完全に媒介変数の人口統計学的モデルの包摂が可能となり、移住と関連する媒介変数を可能とします。
●f4比統計・・・f4統計を用いて、混合事象から混合割合を推定するのに用いられる手法です。この手法は、標的集団もしくは他の供給源集団とも混合しなかった1供給源集団と密接に関連した標本の利用可能性を前提としています。
●fastsimcoal2・・・標本抽出集団の模擬実験と部位頻度範囲、および特定のモデルの媒介変数を推定する複合尤度法を用いる集団遺伝学的推定手法です。
●fineSTRUCTURE・・・一連の個体のうち高い類似性を有する連続した配列もしくはハプロタイプの区画を、同じ構成要素に割り当てる統計的手法です。「染色体画法」と呼ばれるこの手法により、各塩基対の物理的位置を用いて、より精細な規模で類似性を調べることができます。
●momi2・・・特定のモデルで計算された部位頻度範囲を、標本抽出された集団一式の観察された部位頻度範囲と比較し、特定のモデルで媒介変数を推定する集団遺伝学的推定手法です。
●MSMC(複数連続マルコフ合祖)・・・ゲノムの小規模な一式に依存し、分岐時間を推定して個体群のさまざまな下位集団の内部および全体にわたる経時的な人口規模や合祖(合着)率など媒介変数を推定する、集団遺伝学的推定手法です。
●外群f3統計・・・f3型式(外群;A、B)の統計3集団検定です。f3値が高いほど、A集団とB集団との間の遺伝的類似性が高いことを示唆します。
●主成分分析(PCA)・・・次元削減によりデータを単純化する統計的手法です。データは、データにより説明される分散の量(主成分と呼ばれます)に基づいて、新たな変数一式に再編成されます。カヴァッリ=スフォルツァ氏たちは、最初のいくつかの主成分が進化的な遺伝的関係について情報をもたらすことが多い、という関連を作ることにより、初めて主成分分析をヒトの集団遺伝学的研究に導入しました。古代DNA研究では、現代の人口集団が主成分分析に使用されることが多く、次にその上に古代の個体群が投影されます。
●qpAdm・・・n個の指定された供給源からの特定の標的における混合割合の推定を可能とする手法です。この手法は、f4統計を用いて特定の供給源と差次的に関連する参照人口集団一式に対して、標的と供給源を比較することにより、混合割合を測定します。ここでは、標的のf4統計は、標的が真に供給源と関連する祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の混合である場合、供給源のf4統計の線形結合と仮定されます。
●qpGraph・・・混合図の推定です。これにより、特定の集団間一式の分岐と混合の関係の提示が可能となります。特定の混合図について、予測されるf2値とf3値とf4値は、特定の人口集団について観察されたf2値とf3値とf4値と比較され、モデルの可能性が判断されます。
●Treemix・・・アレル頻度相関を用いて最尤系統樹を推定する手法で、使用者により指定されたm回の移住事象の推測を可能とします。
補足2:本論文の主要な系統(lineage)と祖先系統(ancestry)
◎アジアとオーストラレーシアの現代人を形成するだろう祖先系統(ancestry)に寄与したアジアとオーストラレーシアで見られる系統(lineage)
●古代祖先的インド南部(AASI)系統・・・AASI系統は、アジア南部、とくにインド南部に居住するヒトにおもに寄与した祖先的人口集団を指します。AASI系統は、インダス川流域もしくはその周辺の5000~1500年前頃の個体群とインド現代人で部分的に表されます(関連記事)。
●オーストラレーシア(AA)系統・・・AA系統は、オーストラレーシアの人口集団におもに寄与した祖先的人口集団を指します。AA系統は、パプア人やオーストラリア先住民など、オーストラレーシアの現代人でおもに表されます。
●アジア東部および南東部(ESEA)系統・・・ESEA系統は、アジア東部および南東部本土に居住しているヒトにおもに寄与した祖先的人口集団を指します。ESEA系統は、漢人やキン人などアジア東部および南東部の現代人によりおもに表されます。
◎アジア東部および南東部(ESEA)における祖先系統
●アムール川祖先系統・・・アムール川地域とモンゴルとシベリアの人口集団と関連する祖先系統で、現時点で標本抽出された最古の個体は、アムール川地域の14000年前頃の個体(Amur14K)により表されます(関連記事)。アムール川祖先系統と関連する人口集団は、アメリカ大陸先住民および旧シベリア人祖先系統と関連する人口集団の祖先に寄与した可能性が高そうです。
●福建省祖先系統・・・12000~4000年前頃の中国南部沿岸の福建省地域の人口集団と関連する祖先系統です。現時点で標本抽出された最古の個体は、福建省の奇和洞遺跡で発見された個体です(関連記事)。福建省祖先系統と関連する人口集団は、現代のオーストロネシア語族話者に寄与しました。
●広西祖先系統・・・広西チワン族自治区の隆林洞窟(Longlin Cave)で発見された10500年前頃の1個体と関連する祖先系統です(関連記事)。広西祖先系統と関連する人口集団は、広西チワン族自治区の8000~6000年前頃の狩猟採集民で部分的に観察され、歴史時代の広西チワン族自治区個体群やアジア東部および南東部現代人では観察されません。
●ホアビン祖先系統・・・ラオスとマレーシアのホアビン文化(Hòabìnhian)と関連する8000~4000年前頃の狩猟採集民と関連するESEA系統の祖先系統です(関連記事)。ホアビン祖先系統は、アジア東部・南東部現代人の共通祖先および田園祖先系統(後述)と深く分岐しています。
●縄文祖先系統・・・日本列島の8000~3000年前頃の個体群と関連する祖先系統です。標本抽出された現時点で最古の個体は、佐賀市の東名貝塚遺跡で発見されました(関連記事)。なお、恐らくは本論文の脱稿後に、さらに古い縄文時代の人類遺骸のゲノムデータが報告されています(関連記事)。縄文祖先系統と関連する人口集団は、現代日本人集団に部分的に寄与しました。
●田園祖先系統・・・上部旧石器時代個体と関連するESEA系統の祖先系統です。北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性1個体(関連記事)と、モンゴル北東部のサルキート渓谷(Salkhit Valley)で発見された34950~33900年前頃の女性1個体(関連記事)により表されます(関連記事)。田園祖先系統は、アジア東部および南東部現代人の共通祖先と深く分岐しています。
●チベット祖先系統・・・チベット高原のヒマラヤ山脈地域の3000~1000年前頃の個体群と関連する祖先系統です(関連記事)。チベット祖先系統と関連する人口集団は、チベットとシェルパの現代人集団に寄与しました。
●黄河祖先系統・・・黄河地域の人口集団と関連する祖先系統で、現時点で最古の標本抽出された個体は、黄河下流に位置する山東省の變變(Bianbian)遺跡で発見された9500年前頃の個体により表されます(関連記事)。黄河祖先系統と関連する人口集団は、ほとんどのアジア東部および南東部現代人に大きな影響を与えました。
◎AA・AASI・ESEA系統から完全には派生していない祖先系統
●古代北シベリア(ANS)祖先系統・・・シベリア北部のヤナ川(Yana River)近くの33000年前頃の2個体と関連する祖先系統です(関連記事)。シベリアのバイカル湖地域の24000年前頃と17000年前頃の個体は、ANS祖先系統と関連する系統に由来します(関連記事)。ANS祖先系統は、アジア東部および南東部現代人で見られる祖先系統よりも、ヨーロッパ現代人で見られる祖先系統の方と密接に関連しています。
●基底部祖先系統・・・アフリカからの拡散においてひじょうに早期に分岐した人口集団と関連する祖先系統です。少なくとも3つの異なる祖先系統が報告されており、それは、シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44380年前頃の男性1個体と関連する祖先系統(関連記事)、現時点で最古級の標本抽出された農耕民の一部である、レヴァントとイランの12000~7000年前頃の2個体と関連する祖先系統(関連記事)を含みます。基底部イラン人祖先系統と関連する人口集団は、アジア中央部および南部の人口集団に寄与しました。
●インダス川流域(IP)祖先系統・・・インダス川流域近くで発見された5000~4000年前頃の個体群と関連する祖先系統です(関連記事)。IP祖先系統はAASI系統と関連する祖先系統と基底部イラン祖先系統の混合で、IP祖先系統と関連する人口集団はアジア南部の人口集団に寄与しました。
●アメリカ大陸先住民祖先系統・・・現代のアメリカ大陸先住民と関連する祖先系統です。アメリカ大陸先住民祖先系統は、アムール川祖先系統と関連する祖先系統とANS祖先系統との混合で、旧シベリア祖先系統(後述)と密接に関連しています。アメリカ大陸先住民祖先系統と関連する現時点で最古の配列された個体は、アラスカのアップウォードサン川(Upward Sun River)で発見された11600~11270年前頃の1個体です(関連記事)。
●旧シベリア祖先系統・・・14000~10000年前頃となるシベリアのバイカル湖地域の個体群と関連する祖先系統です(関連記事1および関連記事2)。旧シベリア祖先系統はANSと関連する祖先系統とアムール川祖先系統との混合で、アメリカ大陸先住民と関連する祖先系統と密接に関連しています。
●草原地帯祖先系統・・・ユーラシア中央部および西部草原地帯の5000~3500年前頃の個体群と関連する祖先系統で、ヤムナヤ(Yamnaya)文化およびアファナシェヴォ(Afanasievo)文化と関連しています(関連記事1および関連記事2)。草原地帯祖先系統は、ANSと関連する人口集団と関連する祖先系統と、レヴァントおよびイランの基底部祖先系統と、ヨーロッパ東部のコーカサス地域の狩猟採集民と関連する祖先系統との混合です。
参考文献:
Yang MA.(2022): A genetic history of migration, diversification, and admixture in Asia. Human Population Genetics and Genomics, 2, 1, 0001.
https://doi.org/10.47248/hpgg2202010001
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