子供は「不作為の嘘」には寛容になりやすい

 子供が「不作為の嘘」には寛容になりやすいことを報告した研究(Hayashi, and Mizuta., 2021)が公表されました。日本語の解説記事もあります。人間は誰でも嘘をついたことがあり、嘘は身近な社会的行動です。子供においても、親や先生に怒られるのを避けるために、悪事を隠そうとして嘘をつくことは頻繁に見られます。嘘は行為の形態により2種類に分けられます。一つは「事実と違うことを相手に伝える」ことで欺くものです。人間が「嘘」と聞いた時に通常思い浮かべるのはこの種類で、積極的な発言を伴っていることから、「作為による嘘(lie of commission)」とみなせます。しかし人間は、事実を知っているのに「あえて何も言わない」ことで欺くこともあります。これは「不作為の嘘(lie of omission)」と呼ばれることがあります。

 人間は物事を判断するとき、常に客観的であったり、合理的であったりするわけではなく、認知バイアスにより歪みが生じ得る、と知られています。作為と不作為についても同様で、人間は、作為による悪いことを不作為による悪いことよりも否定的に判断する(不作為の方が気にならない)傾向があります。これは「不作為バイアス」と呼ばれます。これは、「他者の大切なものを突き落として壊す/落下しそうな他者の大切なものに気づきながら支えない(その結果、落下して壊れる)」というように、「何かをする/何もしない」という「行動の有無」に主として焦点を当てられた研究から明らかになりました。この研究では、「発言の有無」に焦点を絞り、作為の嘘と不作為の嘘の道徳的判断においても不作為バイアスが生じるのかどうか、さらに年齢や状況によりバイアスの程度に差があるのか、検討しました。

 この実験の参加者は、小学3年生(8~9歳)78人、6年生(11~12歳)76人、大人80人です。2つの類似した話で構成された4場面が用意されました。4場面のうち2場面は「利己的状況」で、主人公が自分を守るために先生を欺く場面でした。残りの2場面は「他者をかばう状況」で、主人公が同級生を守るために先生を欺く場面でした。さらに、利己的状況の2場面のうち一方は、主人公がわざわざ悪いことをする「意図的悪事」(たとえば、ゴミ箱に投げ入れて遊んで、ゴミを散らかすようなこと)でした。もう一方は、主人公がうっかり悪いことをしてしまう「偶発的悪事」(たとえば、うっかりゴミ箱をひっくり返して、ゴミを散らかしたようなこと)でした。他者を庇う状況の2場面も同様で、一方は同級生がわざわざ悪いことをする「意図的悪事」で、それを主人公が目撃しました(たとえば、壁に落書きをしている同級生と目が合ったような場合)。もう一方は、同級生がうっかり悪いことをしてしまう「偶発的悪事」で、それを主人公が目撃しました(たとえば、:うっかり壁を汚してしまった同級生と目が合ったような場合)。各状況内の2場面で、主人公(および同級生)の性別が入れ替えられています。

 各場面の2つの話で、主人公の「意図」(たとえば、先生に訊かれたら、「わたしではない」と言おうとしたような場合)と、「結果」(たとえば、主人公が安堵として喜んだような場合)は完全に同じでした。唯一の違いは、主人公の嘘が「作為」によるもの(偽の情報を伝える)か、それとも「不作為」によるもの(何も言わない)かでした。各場面で事実確認の質問をした後、2つの話それぞれについて「善悪の評価」(たとえば、話1で、甲さんが「私ではありません」と言ったこと、もしくは、話2で、乙さんが何も言わなかったことは、どれくらい良いことか、それとも悪いことか)を、7段階(3:とても良い、2:まあまあ良い、1:少し良い、0:どちらでもない、-1:少し悪い、-2:まあまあ悪い、-3:とても悪い)で回答してもらいました。

 全学年の4場面全てで、作為による嘘を不作為による嘘よりも悪いと判断しており、大人だけでなく子供でも、嘘の道徳的判断において不作為バイアスが見られました。次に、バイアスの強さを明確にするために、バイアス値が算出されました。これは、作為による嘘(話1)での善悪評定値から、不作為による嘘(話2)での善悪評定値を引き算し、符号を逆転させたものです。2つの話で主人公の意図や生じた結果は完全に同一だったので、仮に人間の嘘に対する道徳的判断が論理的であれば、バイアス値は0になるはずです。しかし、結果はすべてで統計的に有意に0より大きかったため、年齢や状況の違いを問わず、不作為バイアスが生じる、と確認されました。

 さらに、バイアスの強さは年齢によって違いがあり、小学3年生と6年生では4場面の間で差はなかったのに対して、大人では統計的に有意な差があり、利己的状況の方で他者をかばう状況よりもバイアスが大きく、また意図的悪事を隠す方で偶発的悪事を隠す場合よりバイアスが大きくなりました。事実確認質問から、悪事が意図的であったか偶発的であったかを区別できなかった参加者は分析から除外されているので、子供は大人と違って、状況に左右されず不作為バイアスが同程度に生起する、と示されました。

 結果を見直すと、不作為の嘘に対して、どの状況でも大人の方が小学3年生や6年生よりも寛容であることが窺え、これが大人における不作為バイアスの強さを生み出していました。さらに、3年生から既に他者をかばう嘘に対して寛容な傾向が見られます。しかし、3年生では隠蔽する悪事の意図性の違いは評価に影響せず、6年生と大人では、他者を庇う状況において、他者の悪事が偶発的だった場合は、寛容に判断している、と示されました。

 一般的に子供は「嘘は悪いことだ」と教えられて育ちますが、これらの知見を総合すると、子供の嘘に対する道徳的判断は、幼い頃から長い時間をかけて変化していく、と示唆されます。この研究の結果は、教育にも重要な意味を持つと考えられます。たとえば、子供が自分や友達の犯した罪を報告しなかった場合、不作為バイアスが無意識に働くことで、「嘘をついていないから問題ない」と考えてしまうこともあるでしょう。この場合、親や教師など大人が、「真実を何も言わない」こと(不作為の嘘)は、「虚偽の情報を提供する」こと(作為の嘘)と同じ結果を生み出すことがあり、そうであれば、どちらも同じように悪いことであると指導すべき場合もあることでしょう。

 しかし、この研究の結果は、大人でも嘘の道徳的判断において不作為バイアスが生起するだけでなく、むしろ子供よりもバイアスが強く働くことを示しています。これは、大人自身も「不作為による嘘に対して、甘く判断しがちになる傾向」に気づきにくいことを意味します。その結果、子供の道徳性を向上させる機会を逸している可能性もあります。バイアスによる影響を大人が知っておくことで、子供の嘘にかかわる道徳性を高めていくことができる、と考えられます。進化心理学的観点からも注目される研究だと思います。


参考文献:
Hayashi H, and Mizuta N.(2021): Omission bias in children’s and adults’ moral judgments of lies. Journal of Experimental Child Psychology, 215, 105320.
https://doi.org/10.1016/j.jecp.2021.105320

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