アメリカ大陸における11世紀初期のヴァイキングの存在
アメリカ大陸における11世紀初期のヴァイキングの存在を報告した研究(Kuitems et al., 2022)が報道されました。大西洋をまたぐ探検は、コロンブスの航海の数世紀前に行なわれていました。カナダのニューファンドランド島では、アメリカ大陸における早期のヨーロッパ人の存在の物理的証拠を見つけられます。しかし、こうした探検活動が行なわれた年代は、これまで決定できませんでした。本論文は、ヴァイキングが紀元後1021年にニューファンドランド島に存在した、と示す証拠を提示します。
本論文は、宇宙線の放射に誘発された紀元後993年の大気中放射性炭素濃度の急上昇を利用することで、従来の年代推定の不正確さを克服しました。これにより得られた新たな年代は、ヨーロッパ人がアメリカ大陸を認識していた時期の指標を定めるもので、人類が地球を一回りした時期に関する既知で最初の時点となります。またこの年代は、知識の移転、遺伝情報、生物相、病気の潜在的交換など、大西洋をまたぐ活動の最初の一連の帰結(関連記事1および関連記事2)に関する今後の研究に対し、決定的な基準点を提供します。
ヴァイキングは、大西洋を横断した最初のヨーロッパ人でした。しかし、アメリカ大陸で確認されているヴァイキング遺跡は、ニューファンドランド島のランス・オ・メドー(L’Anse aux Meadows)だけでした。このユネスコ(国際連合教育科学文化機関)世界遺産では広範な現場運動が実施されてきており、入植地とその現代的な環境について多くの知識が得られました。ランス・オ・メドー遺跡が、さらに南方の地域も含めて他の場所を探索する基地だった、との証拠も明らかにされました。
受け入れられた枠組みは、ヴァイキングの入植年代が紀元後千年紀の終わりにさかのぼる、というものですが、ランス・オ・メドー遺跡の正確な年代は科学的に確立されていません。以前のほとんどの推定は、建築遺物および少数の人工物の様式分析と、アイスランドの年代記(サーガ)や数世紀後になってやっと記録された口承史の解釈に基づいていました。ランス・オ・メドーで放射性炭素(炭素14)分析が試みられてきましたが、とくに情報をもたらすとは証明されませんでした。150点以上の炭素14年代が得られ、そのうち55点はヴァイキングの居住と関連しています。しかし、これらの標本による較正年代の範囲はヴァイキング時代(紀元後793~1066年)の全体およびそれを超えた範囲に広がっています(図1)。
これは、考古学的証拠および年代記の解釈とは対照的です。年代記の解釈はアメリカ大陸におけるヴァイキングの活動の頻度および期間について異なる筋書きを提供しますが、考古学および文献記録は、ひじょうに短い居住と一致します。炭素14年代における不都合な広がりは、ほとんどの年代が得られた1960年代と1970年代の放射性炭素年代測定技術の限界の結果です。そうした障害には、ずっと大きな測定の不正確さと限定的な標本規模要件が含まれていました。さらに、これらの標本の多くは、未知の大量の本質的成分の年代(標本の文脈上の年代と生物が死んだ年の時間との間の時間差で、数百年に達する可能性があります)の影響にさらされやすかった、とされています。この相殺も、要約推定に不適切に組み込まれることがありました。以下は本論文の図1です。
●絶対時間標識としての宇宙線事象
本論文は、高度な時間計測手法をアメリカ大陸におけるヴァイキングの活動を正確な時点に固定します。炭素14の正確な年代の結果は、高精度加速器質量分析法(AMS)と、大気中の炭素14記録の明確な特徴との組み合わせで達成できます。既知の年代測定(年輪年代学)では、炭素14の生成は通常1年あたり2%未満でしか変動しない、と示されています。しかし、そうした時系列は、同位体が紀元後775年と紀元後993年にそれぞれ約12%と約9%と、急速に増加したことも明らかにしました。これら突然の増加は、宇宙船事象により引き起こされ、世界中の年輪年代学的記録に同時に現れます。
年代不明の年輪標本でこれらの特徴を明らかにすることにより、そうした標本と参照系列との間で合致する正確なパターンを提供できます。そのためには、樹皮の端(より具体的には、樹皮が残った端)も存在する場合、樹木の正確な伐採年を測定できるようになります。さらに、紀元後993年の異常を含む年輪が検出されたら、樹皮が残った端の数を計測するだけなので、最外周の成長年輪の炭素14年代を知る必要はありません。樹皮が残った端の早期の木材と後期の木材の細胞の発達状態に基づいて、正確な伐採の季節を測定することも可能です。
●アメリカ大陸におけるヴァイキングの活動の正確な年代測定
本論文は木製人工遺物127点の炭素14測定値を提示します。IntCal20(関連記事)により年代が較正され、樹皮が残った標本の95%確率範囲は全て、紀元後1019~紀元後1024年の間にあります(図1c)。これは、紀元後993年の異常が、木材の伐採の26~31年前に存在しなければならない、と示唆します。複数標本での樹皮が残った端の最適年代は紀元後1021年です(図2a)。この結果は、先コロンブス期に大西洋を横断したヨーロッパ人の存在の唯一となる確実な暦年代です。3点の木材標本の年代が紀元後1021年に収束するので、この年のランス・オ・メドー遺跡におけるヴァイキングの活動を強く示唆します。樹皮が残っていることから、流木である可能性は事実上無視でき、当時この地域では木材が豊富だったので、ヴァイキングが枯れ木を利用する必要はなかったでしょう。以下は本論文の図2です。
アイスランドの年代記では、ヴァイキングは北アメリカ大陸の先住民集団と文化的交流を行なった、と示唆されています。こうした遭遇が本当に起きたのならば、病原体の伝染、外来動植物の導入、遺伝子流動など、不測の事態が発生したかもしれません。しかし、ヴァイキングのグリーンランド人口集団の最近のデータは、ヴァイキングと北アメリカ大陸先住民との間の遺伝的混合の証拠を示しません(関連記事)。紀元後1021年がヴァイキングの大西洋横断活動とどのように関連しているのかは、今後の研究課題です。ともかく、本論文の調査結果は、ヴァイキングの最西端拡大の結果へのさらなる調査のための、年代的軸を提供します。
●まとめ
本論文は、ヴァイキングが紀元後1021年に北アメリカ大陸で活動していた証拠を提供します。この年代は、ヴァイキングの後期の年代に確実な接合点を与えます。さらに重要なことに、この年代はアメリカ大陸についてのヨーロッパ人の認識、およびヒトが地球を一周した最初の既知の年代として機能します。さらに本論文は、大気中の炭素14濃度の紀元後993年の異常が、過去の移住と文化的相互作用の年代を正確に特定した可能性を示します。他の宇宙線事象と合わせて、この特有の特徴は、多くの他の考古学的および環境的文脈の正確な年代測定を可能にするでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
考古学:アメリカ大陸におけるバイキングの存在を正確に把握する
早ければ今からちょうど1000年前の西暦1021年にバイキングがアメリカ大陸に居住していた可能性を示唆する論文が、Nature に掲載される。今回の研究では、カナダのニューファンドランド島の遺跡で発見された木製人工遺物の放射性炭素年代測定が行われ、ヨーロッパからアメリカ大陸へ渡った人類の最古の記録が得られたと考えられている。
バイキングは、大西洋を横断した初めてのヨーロッパ人で、ニューファンドランド島の北の半島部に位置するランス・オ・メドーに入植した。初期のヨーロッパ人は、第1千年紀の頃にアメリカ大陸に居住していたことが知られているが、入植の正確な年代決定は行われていない。
今回、Michael Dee、Margot Kuitemsたちは、ランス・オ・メドー遺跡のバイキングの入植地内で発見された一連の木製人工遺物の分析について報告しており、入植地内での人工遺物の位置と、その当時の地元の先住民族が製作したものではない金属製の道具を用いて人工遺物の改良が行われたことを示す証拠に基づいて、これらの木製人工遺物がバイキングの持ち物だったと確信している。また、Deeたちは、大気中の炭素に関する記録の特定の項目を用いて、人工遺物の原材料の高木が伐採された時期を示す正確な放射性炭素測定年代を決定することによって、バイキングがランス・オ・メドーに居住していた時期を正確に把握できた。今回のケースでは、西暦993年の宇宙線事象による大気中放射性炭素濃度の上昇が基準点になった。
Deeたちは、この「西暦1021年」がヨーロッパ人によるアメリカ大陸の認知を示す新しい標識になると主張しており、大局的には、今後の人工遺物と環境事象の年代測定における基準点としての宇宙線事象(例えば、今回の西暦993年の宇宙線事象)を研究することの潜在的価値を強調している。
考古学:紀元1021年に南北アメリカ大陸にヨーロッパ人が存在したことを示す証拠
考古学:ニューファンドランド島にバイキングが居住していた年代
ノース人(バイキング)が大西洋を渡り、ニューファンドランド島北部のランス・オ・メドー(LʻAnse aux Meadows;LAM)遺跡の場所に集落を形成したことは、以前から知られている。ノース人の物語からは、LAMでの居住がさほど長く続かなかったことが示唆されているが、これまで放射性炭素年代測定法で得られた年代は不正確で、ノース人がこの地に存在した年代の推定は、バイキング時代全体(紀元793〜1066年)と幅があった。今回M Deeたちは、1年の精度で年代を特定できる比較的新しい放射性炭素年代測定法を用いて、ノース人のLAMでの居住が紀元1021年であったことを明らかにしている。この証拠は、正確な伐採年が特定可能な木製人工物の新たな放射性炭素年代測定値と、紀元993年に宇宙線の活動が急激に活発化したことで大気中の14Cの量が急増した、という偶然の天文学的事象によってもたらされた。今回の結果は、バイキングがLAMに存在したのが今からちょうど1000年前であったことを示しており、これは、コロンブスの大航海以前に大西洋を渡ったヨーロッパ人の存在を示す唯一の確かな暦年となる。
参考文献:
Kuitems M. et al.(2022): Evidence for European presence in the Americas in AD 1021. Nature, 601, 7893, 388–391.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03972-8
本論文は、宇宙線の放射に誘発された紀元後993年の大気中放射性炭素濃度の急上昇を利用することで、従来の年代推定の不正確さを克服しました。これにより得られた新たな年代は、ヨーロッパ人がアメリカ大陸を認識していた時期の指標を定めるもので、人類が地球を一回りした時期に関する既知で最初の時点となります。またこの年代は、知識の移転、遺伝情報、生物相、病気の潜在的交換など、大西洋をまたぐ活動の最初の一連の帰結(関連記事1および関連記事2)に関する今後の研究に対し、決定的な基準点を提供します。
ヴァイキングは、大西洋を横断した最初のヨーロッパ人でした。しかし、アメリカ大陸で確認されているヴァイキング遺跡は、ニューファンドランド島のランス・オ・メドー(L’Anse aux Meadows)だけでした。このユネスコ(国際連合教育科学文化機関)世界遺産では広範な現場運動が実施されてきており、入植地とその現代的な環境について多くの知識が得られました。ランス・オ・メドー遺跡が、さらに南方の地域も含めて他の場所を探索する基地だった、との証拠も明らかにされました。
受け入れられた枠組みは、ヴァイキングの入植年代が紀元後千年紀の終わりにさかのぼる、というものですが、ランス・オ・メドー遺跡の正確な年代は科学的に確立されていません。以前のほとんどの推定は、建築遺物および少数の人工物の様式分析と、アイスランドの年代記(サーガ)や数世紀後になってやっと記録された口承史の解釈に基づいていました。ランス・オ・メドーで放射性炭素(炭素14)分析が試みられてきましたが、とくに情報をもたらすとは証明されませんでした。150点以上の炭素14年代が得られ、そのうち55点はヴァイキングの居住と関連しています。しかし、これらの標本による較正年代の範囲はヴァイキング時代(紀元後793~1066年)の全体およびそれを超えた範囲に広がっています(図1)。
これは、考古学的証拠および年代記の解釈とは対照的です。年代記の解釈はアメリカ大陸におけるヴァイキングの活動の頻度および期間について異なる筋書きを提供しますが、考古学および文献記録は、ひじょうに短い居住と一致します。炭素14年代における不都合な広がりは、ほとんどの年代が得られた1960年代と1970年代の放射性炭素年代測定技術の限界の結果です。そうした障害には、ずっと大きな測定の不正確さと限定的な標本規模要件が含まれていました。さらに、これらの標本の多くは、未知の大量の本質的成分の年代(標本の文脈上の年代と生物が死んだ年の時間との間の時間差で、数百年に達する可能性があります)の影響にさらされやすかった、とされています。この相殺も、要約推定に不適切に組み込まれることがありました。以下は本論文の図1です。
●絶対時間標識としての宇宙線事象
本論文は、高度な時間計測手法をアメリカ大陸におけるヴァイキングの活動を正確な時点に固定します。炭素14の正確な年代の結果は、高精度加速器質量分析法(AMS)と、大気中の炭素14記録の明確な特徴との組み合わせで達成できます。既知の年代測定(年輪年代学)では、炭素14の生成は通常1年あたり2%未満でしか変動しない、と示されています。しかし、そうした時系列は、同位体が紀元後775年と紀元後993年にそれぞれ約12%と約9%と、急速に増加したことも明らかにしました。これら突然の増加は、宇宙船事象により引き起こされ、世界中の年輪年代学的記録に同時に現れます。
年代不明の年輪標本でこれらの特徴を明らかにすることにより、そうした標本と参照系列との間で合致する正確なパターンを提供できます。そのためには、樹皮の端(より具体的には、樹皮が残った端)も存在する場合、樹木の正確な伐採年を測定できるようになります。さらに、紀元後993年の異常を含む年輪が検出されたら、樹皮が残った端の数を計測するだけなので、最外周の成長年輪の炭素14年代を知る必要はありません。樹皮が残った端の早期の木材と後期の木材の細胞の発達状態に基づいて、正確な伐採の季節を測定することも可能です。
●アメリカ大陸におけるヴァイキングの活動の正確な年代測定
本論文は木製人工遺物127点の炭素14測定値を提示します。IntCal20(関連記事)により年代が較正され、樹皮が残った標本の95%確率範囲は全て、紀元後1019~紀元後1024年の間にあります(図1c)。これは、紀元後993年の異常が、木材の伐採の26~31年前に存在しなければならない、と示唆します。複数標本での樹皮が残った端の最適年代は紀元後1021年です(図2a)。この結果は、先コロンブス期に大西洋を横断したヨーロッパ人の存在の唯一となる確実な暦年代です。3点の木材標本の年代が紀元後1021年に収束するので、この年のランス・オ・メドー遺跡におけるヴァイキングの活動を強く示唆します。樹皮が残っていることから、流木である可能性は事実上無視でき、当時この地域では木材が豊富だったので、ヴァイキングが枯れ木を利用する必要はなかったでしょう。以下は本論文の図2です。
アイスランドの年代記では、ヴァイキングは北アメリカ大陸の先住民集団と文化的交流を行なった、と示唆されています。こうした遭遇が本当に起きたのならば、病原体の伝染、外来動植物の導入、遺伝子流動など、不測の事態が発生したかもしれません。しかし、ヴァイキングのグリーンランド人口集団の最近のデータは、ヴァイキングと北アメリカ大陸先住民との間の遺伝的混合の証拠を示しません(関連記事)。紀元後1021年がヴァイキングの大西洋横断活動とどのように関連しているのかは、今後の研究課題です。ともかく、本論文の調査結果は、ヴァイキングの最西端拡大の結果へのさらなる調査のための、年代的軸を提供します。
●まとめ
本論文は、ヴァイキングが紀元後1021年に北アメリカ大陸で活動していた証拠を提供します。この年代は、ヴァイキングの後期の年代に確実な接合点を与えます。さらに重要なことに、この年代はアメリカ大陸についてのヨーロッパ人の認識、およびヒトが地球を一周した最初の既知の年代として機能します。さらに本論文は、大気中の炭素14濃度の紀元後993年の異常が、過去の移住と文化的相互作用の年代を正確に特定した可能性を示します。他の宇宙線事象と合わせて、この特有の特徴は、多くの他の考古学的および環境的文脈の正確な年代測定を可能にするでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。
考古学:アメリカ大陸におけるバイキングの存在を正確に把握する
早ければ今からちょうど1000年前の西暦1021年にバイキングがアメリカ大陸に居住していた可能性を示唆する論文が、Nature に掲載される。今回の研究では、カナダのニューファンドランド島の遺跡で発見された木製人工遺物の放射性炭素年代測定が行われ、ヨーロッパからアメリカ大陸へ渡った人類の最古の記録が得られたと考えられている。
バイキングは、大西洋を横断した初めてのヨーロッパ人で、ニューファンドランド島の北の半島部に位置するランス・オ・メドーに入植した。初期のヨーロッパ人は、第1千年紀の頃にアメリカ大陸に居住していたことが知られているが、入植の正確な年代決定は行われていない。
今回、Michael Dee、Margot Kuitemsたちは、ランス・オ・メドー遺跡のバイキングの入植地内で発見された一連の木製人工遺物の分析について報告しており、入植地内での人工遺物の位置と、その当時の地元の先住民族が製作したものではない金属製の道具を用いて人工遺物の改良が行われたことを示す証拠に基づいて、これらの木製人工遺物がバイキングの持ち物だったと確信している。また、Deeたちは、大気中の炭素に関する記録の特定の項目を用いて、人工遺物の原材料の高木が伐採された時期を示す正確な放射性炭素測定年代を決定することによって、バイキングがランス・オ・メドーに居住していた時期を正確に把握できた。今回のケースでは、西暦993年の宇宙線事象による大気中放射性炭素濃度の上昇が基準点になった。
Deeたちは、この「西暦1021年」がヨーロッパ人によるアメリカ大陸の認知を示す新しい標識になると主張しており、大局的には、今後の人工遺物と環境事象の年代測定における基準点としての宇宙線事象(例えば、今回の西暦993年の宇宙線事象)を研究することの潜在的価値を強調している。
考古学:紀元1021年に南北アメリカ大陸にヨーロッパ人が存在したことを示す証拠
考古学:ニューファンドランド島にバイキングが居住していた年代
ノース人(バイキング)が大西洋を渡り、ニューファンドランド島北部のランス・オ・メドー(LʻAnse aux Meadows;LAM)遺跡の場所に集落を形成したことは、以前から知られている。ノース人の物語からは、LAMでの居住がさほど長く続かなかったことが示唆されているが、これまで放射性炭素年代測定法で得られた年代は不正確で、ノース人がこの地に存在した年代の推定は、バイキング時代全体(紀元793〜1066年)と幅があった。今回M Deeたちは、1年の精度で年代を特定できる比較的新しい放射性炭素年代測定法を用いて、ノース人のLAMでの居住が紀元1021年であったことを明らかにしている。この証拠は、正確な伐採年が特定可能な木製人工物の新たな放射性炭素年代測定値と、紀元993年に宇宙線の活動が急激に活発化したことで大気中の14Cの量が急増した、という偶然の天文学的事象によってもたらされた。今回の結果は、バイキングがLAMに存在したのが今からちょうど1000年前であったことを示しており、これは、コロンブスの大航海以前に大西洋を渡ったヨーロッパ人の存在を示す唯一の確かな暦年となる。
参考文献:
Kuitems M. et al.(2022): Evidence for European presence in the Americas in AD 1021. Nature, 601, 7893, 388–391.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03972-8
この記事へのコメント