イタリアの中石器時代の女児の埋葬
イタリアの中石器時代の女児の埋葬に関する研究(Hodgkins et al., 2021)が報道されました。埋葬慣行は、過去の世界観と社会構造への窓を提供します。民族誌的には、多くの文化が年少の子供への人格の認知を遅らせてきており、年少の子供は人格の識閾状態に置かれています。したがって、子供の葬儀の扱いは、誰が人間で、それにより個人的な自己の属性、道徳的代理性、集団構成員としての資格を与えられたのか、という重要な洞察を提供します。じっさい、先史時代の人々の間で乳児の人格の認識に関して、重要な議論が続いています。
本論文は、イタリア北西部のリグリーア(Liguria)州アルベンガ(Albenga)のアルマ・ヴェイラナ(Arma Veirana)洞窟(図1)で発見された、直接的な年代測定で初期完新世となる通称ニーヴ(Neve)の乳児(AVH-1)の埋葬を報告します。アルマ・ヴェイラナ洞窟は海抜451mの大理石の崖壁面内の、急勾配のヴァル・ニーヴァ(Val Neva)の北側に位置します。アルマ・ヴェイラナ洞窟には、ムステリアン(Mousterian)と続グラヴェティアン(Epigravettian)の文化期から構成される後期更新世と、初期完新世の堆積物が保存されています。2017年と2018年に、原位置の骨格遺骸および関連する人工物が、下にある後期続グラヴェティアン堆積物へと入り込む深さ15cmの楕円形の穴(面積800cm²未満)で発見されました。以下は本論文の図1です。
ヨーロッパでは、完新世の始まり(較正年代で11700年前頃)は、ヒトが最終氷期の終わりに続く重大な環境変化に適応したため、重要な社会的変化を触媒した可能性が高い文化期である、初期中石器時代と大まかには一致します。初期中石器時代の埋葬は、ひじょうに稀か記録が最小限で、AVH-1は先史時代のこの重要な期間の必須のデータに寄与します。重要なことに、AVH-1はユーラシアで記録された最初となる女性のほぼ新生児の埋葬を表しており、年齢と性別(sex/gender)が先史時代狩猟採集社会で人格の構築にどのように影響したかについて、洞察を提供します。
●骨格遺骸と放射性炭素年代と生物学的特性
AVH-1乳児の、神経頭蓋、関節のある右肩甲骨と上腕骨、間接のある肋骨と胸椎は、頭を西に、下肢を東に向けた、仰向けの身体位置を示唆します。椎弓の加速器質量分析(AMS)放射性炭素年代測定は、10211~9914年前(95.4%の確率)という直接的年代を提供します。AVH-1乳児の骨格遺骸は、表面の踏み付け、水の浸食、あるいは化学的変化のため大きな損傷を受けています。埋葬遺構の深さが現代の洞窟の床面と比較して浅いため、骨格の大半が圧縮され、断片化された可能性があります。胸部や腰部や骨盤の後端面など、骨格の腹部中央部のほとんどが欠落しています。下肢骨幹断片の割合は、埋葬姿勢の解剖学的位置の近くにあるようですが(図2)、ほとんど特徴がなく、少なくとも部分的に化石化され、固まっています。これら下肢要素の鉱化作用の増加は、埋葬遺構のこの部分を通って水の移動がやや増加したことを示唆します。以下は本論文の図2です。
頭蓋から下の遺骸では、右上腕骨と右肩甲骨が最も完全な要素で、その密接な関連は、それらが相互に解剖学的にほぼ関節接合していたことを示唆します。明らかに関節でつながっている貝殻製ビーズとペンダントに対するそれらの位置は、移動がほとんどないことを示唆しており、埋葬時の肩の元々の位置を表している可能性が高そうです。右胸部上部の位置はほぼ損なわれておらず、ほぼ解剖学的位置にありました。いくつかの肋骨は保存されていますが、ひじょうに脆弱で、発掘中にひどく断片化されました。しかし、その元々の位置は写真測量モデルで撮影されました(図2)。胸部の位置は、右肩が埋葬時の元々の位置にある、との解釈と一致します。押しつぶされたものの、神経頭蓋の大半が存在し、関節で離れた左右の前頭骨に沿った単一の塊内で収集された頭蓋底の頭蓋冠の位置の大半を伴います。後頭骨の遊離して発達的に癒合していない構成要素が、別々に収集されました。右側半下顎を除いて、顔面頭蓋全体が欠落しています。
全体の歯の発達は、AVH-1が生後2ヶ月未満だったことを示唆しますが、出生後エナメル質形成のシンクロトロン画像化を用いた仮想組織学的測定は、生後40~50日というより正確な死亡年齢を提供します(図3)。出生前のエナメル質における強調された線(図3B)も、出生の約47日および28日前に胎児もしくは母親に影響を与えたストレス事象を明らかにします。コラーゲンの安定同位体(炭素13と窒素15)は、おそらく母乳育児の兆候により影響を受けておらず、上部旧石器時代後期のこの地域の個体群と類似した、AVH-1の母親の陸生食性を示唆します。以下は本論文の図3です。
プロテオーム解析(図4A)は、アメロゲニン(AMELY)タンパク質の欠如を示唆しているので、女性である可能性が高そうです。この結果は、X染色体および常染色体と一致する核DNA断片の数により確証されます(図4B)。AVH-1のミトコンドリアDNA(mtDNA)は9774年前(95%最高事後密度で16662~1853年前)と推定されており、放射性炭素年代と類似しています。AVH-1のmtDNAハプログループ(mtHg)はU5b2bで、ヨーロッパ中央部および西部の後期更新世および初期完新世の個体群のクレード(単系統群)内に重なります。以下は本論文の図4です。
●装飾品と他の人工物
AVH-1は、少なくとも66点の穿孔されたカタモトガイ(Columbella rustica)の装飾用貝殻製ビーズと、タマキガイ属種(Glycymeris sp.)の磨かれた貝殻断片で作られた3点の穿孔されたペンダントで飾られていました(図5)。一連の貝殻製ビーズと3点のペンダントは右肩および胸部上部のその位置で回収され(図2)、毛布もしくは頭巾に縫いつけられていたことを示唆します。カタモトガイの貝殻製ビーズの20点以上は腹部を覆っており、おそらくはビーズで飾られた衣服か、腰と胴体を覆う他の品目を反映しています。
骨格と密接に関連するビーズに加えて、27点のカタモトガイの貝殻製ビーズと、1点のキリガイダマシ属種(Turritella sp.)製および1点のタマキガイ属種ペンダントは、遺構充填物もしくはその近くの攪乱された状況に由来します。ほとんどの貝殻製ビーズには顕著な摩耗があり、長い使用寿命を示唆し、おそらくは元々葬儀目的で作られていませんでした。むしろ、AVH-1乳児は当初他の個体が身に着けていたビーズを受け取った可能性が高そうです。ともかく、そうした装飾品はかなりの労働を表しています。予備的実験では、貝殻を集めてビーズを衣服に縫いつけるのに必要な時間を含めずに、全ての装飾品の製作には8~11人時が必要と推定されています。以下は本論文の図5です。
AVH-1と関連する他の人工物にはワシミミズク(Bubo bubo)の鉤爪(趾骨)があり、二次遺構とつながっていたかもしれないAVH-1遺骸から20cmほどの場所で回収されました。この鉤爪の表面修飾は、装飾品の使用と一致します。縁の直接的修正を伴う灰色の燧石製層状剥片が頭蓋の近くで収集され、装飾品以外では、AVH-1遺骸と最も近い空間関係の人工物です。断片的なソーヴェテル文化(Sauveterrian)尖頭器は、初期中石器時代で一般的ではあるものの、局所的な続グラヴェティアン(グラヴェット文化)でも時として見られ、遺構充填物の最上部に由来します。遺構充填物では、5点のオーカーの断片と、19点の燧石および放散虫岩の非目的製作物断片も回収されました。大型および中型の偶蹄類と鳥類と識別できない哺乳類の骨の断片的な動物相遺骸が、遺構充填物および隣接する堆積物で回収されました。
貝殻製装飾品は明らかに縫いつけられているか、さもなくば身体を覆っていましたが、他の人工物が副葬品として埋められたのか、より新しい堆積物から、遺構が掘られて再度埋められたことにより堆積したのかどうかについて、不確実性があります。炭と動物断片の放射性炭素年代は、充填物構成要素が較正年代で16000~15000年前頃と示唆し、これは、埋葬が掘られた可能性のある基盤として、上部旧石器時代の後期続グラヴェティアンの堆積物を示します。したがって、石器の多くは恐らく埋葬の下にある堆積物に由来します。密接な空間関係を考えると、灰色の燧石製層状剥片は、AVH-1遺骸と本当に関連している可能性が最も高そうです。ソーヴェテル文化尖頭器は、診断できる中石器時代人工物に最も近いものの、埋葬充填物内のより高い位置から除去された、篩にかけた物質から回収されました。
●考察
AVH-1の単一の意図的な埋葬と関連する装飾用人工物が豊富にあることは、少なくとも初期中石器時代集団はこのほぼ新生児の少女に人格があったと考えていた、と示唆します。一般的に初期中石器時代標本、とくに乳児が不足していることを考えると、この結果を完新世開始期におけるヨーロッパの他地域に一般化することは困難です。しかし、女性新生児と乳児の埋葬は、ドナウ渓谷のレペンスキヴィール(Lepenski Vir)など後期中石器時代と初期新石器時代の遺跡で実証されています。レペンスキヴィール遺跡の40人の乳児に関する研究では、DNAに基づく性別特定が含まれ、女性乳児は男性乳児と類似の頻度で埋葬され、空間分布もしくはビーズなど副葬品の偏りについて性別で異なる強いパターンはない、と示されています。
残念ながら、ほとんどの中石器時代および新石器時代の遺跡では、正確な年齢と性別のデータが乳児標本では利用できず、これらの変数が人格の構築とどのように交差するのか、多くの理解が必要です。後期中石器時代と新石器時代の少なくともいくつかのヨーロッパ南部の遺跡については、埋葬儀式の観点では幼い子供は成人と類似した扱いをよく受けていると示される、と議論されており、幼い個体における人格の一般的属性が示唆されます。
ヨーロッパ北部の比較的大規模な後期中石器時代墓地でも、多数の子供の土葬が含まれていました。一部の後期中石器時代の事例では、幼い乳児(1歳未満)は、デンマークのヴェドベック(Vedbaek)遺跡の(おそらくは)母親とともに埋葬された周産期の子供に見られるように、明らかに象徴的扱いを受けていました。ヴェドベック遺跡の幼い子供は白鳥の翼の上に横たわって、オーカーで覆われており、少なくとも何らかの血統に影響された社会的地位の程度を示唆します。
しかし、ヨーロッパ北部の後期中石器時代全体での乳児の葬儀の扱いには、かなりの時空間的変動があります。成人とは別に埋葬されたスウェーデンのスケートホルム(Skateholm)などの遺跡の子供たちは、ほぼ副葬品なしで埋葬されていました。ドイツのグロース・フレーデンヴァルデ(Groß Fredenwalde)遺跡のよく保存された較正年代で8400年前頃の子供(生後6ヶ月未満)は、ヨーロッパ北部の乳児の記録をより古く中石器時代にさかのぼらせることにより、とくに完全な生物学的特性がそろった場合には、重要な洞察を提供する可能性が高そうです。
乳児の埋葬は、ヨーロッパやより広くユーラシアでは、中部旧石器時代や上部旧石器時代や初期中石器時代といったより古い時代で知られていますが、そのほとんどは古い発掘か、さもなくば最小限の記録に由来します。したがって、正確な死亡年齢と性別など生物学的特性は、ほぼ全ての事例で利用できません。オーストリアのクレムス=ヴァハトベルク(Krems-Wachtberg)のグラヴェティアン遺跡で発見された新生児1組は較正年代で27000年前頃となり、重要な例外で、古代DNA分析により男性の一卵性双生児と示されました(関連記事)。
しかし、ベーリンジア(ベーリング陸橋)東部のアッパーサン川(Upper Sun River)で発見された、較正年代で11500年前頃となるDNAが解析された副葬品のある女性乳児(関連記事)は、イタリアのアルマ・ヴェイラナ洞窟で観察された女児の埋葬(AVH-1)の扱いが他の末期更新世文化を特徴づけた、と示します。これは、女性を含む乳児の人格は共通の祖先的文化でより深い起源があるか、地球全体でほぼ同時代の人口集団において並行して発生した、と示唆します。いずれにしても、末期更新世と最初期完新世は、地球上の文化において社会の構成員としての幼い少女の認識について、下限の古さとみなされるべきです。
人格認知の遅れは乳児死亡の高い危険性と対応していることが多いので、AVH-1とアッパーサン川の埋葬は、狩猟採集民が後期更新世と初期完新世の多様な地理と変化する環境に適応したとしても、乳児死亡率が比較的低水準であることを示唆しているかもしれません。いくつかの民族誌の事例では、人格が乳児にあるとされる場合、子供の脆弱性を補うため死後もその状態を支えるよう、豊富な墓の装飾品が供えられます。初期完新世狩猟採集民における女性乳児へのそうした扱いの拡大は、年齢と性別(sex/gender)に関わらず生死における個体のある程度の平等主義的扱いを示唆します。
参考文献:
Hodgkins J. et al.(2021): An infant burial from Arma Veirana in northwestern Italy provides insights into funerary practices and female personhood in early Mesolithic Europe. Scientific Reports, 11, 23735.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-02804-z
本論文は、イタリア北西部のリグリーア(Liguria)州アルベンガ(Albenga)のアルマ・ヴェイラナ(Arma Veirana)洞窟(図1)で発見された、直接的な年代測定で初期完新世となる通称ニーヴ(Neve)の乳児(AVH-1)の埋葬を報告します。アルマ・ヴェイラナ洞窟は海抜451mの大理石の崖壁面内の、急勾配のヴァル・ニーヴァ(Val Neva)の北側に位置します。アルマ・ヴェイラナ洞窟には、ムステリアン(Mousterian)と続グラヴェティアン(Epigravettian)の文化期から構成される後期更新世と、初期完新世の堆積物が保存されています。2017年と2018年に、原位置の骨格遺骸および関連する人工物が、下にある後期続グラヴェティアン堆積物へと入り込む深さ15cmの楕円形の穴(面積800cm²未満)で発見されました。以下は本論文の図1です。
ヨーロッパでは、完新世の始まり(較正年代で11700年前頃)は、ヒトが最終氷期の終わりに続く重大な環境変化に適応したため、重要な社会的変化を触媒した可能性が高い文化期である、初期中石器時代と大まかには一致します。初期中石器時代の埋葬は、ひじょうに稀か記録が最小限で、AVH-1は先史時代のこの重要な期間の必須のデータに寄与します。重要なことに、AVH-1はユーラシアで記録された最初となる女性のほぼ新生児の埋葬を表しており、年齢と性別(sex/gender)が先史時代狩猟採集社会で人格の構築にどのように影響したかについて、洞察を提供します。
●骨格遺骸と放射性炭素年代と生物学的特性
AVH-1乳児の、神経頭蓋、関節のある右肩甲骨と上腕骨、間接のある肋骨と胸椎は、頭を西に、下肢を東に向けた、仰向けの身体位置を示唆します。椎弓の加速器質量分析(AMS)放射性炭素年代測定は、10211~9914年前(95.4%の確率)という直接的年代を提供します。AVH-1乳児の骨格遺骸は、表面の踏み付け、水の浸食、あるいは化学的変化のため大きな損傷を受けています。埋葬遺構の深さが現代の洞窟の床面と比較して浅いため、骨格の大半が圧縮され、断片化された可能性があります。胸部や腰部や骨盤の後端面など、骨格の腹部中央部のほとんどが欠落しています。下肢骨幹断片の割合は、埋葬姿勢の解剖学的位置の近くにあるようですが(図2)、ほとんど特徴がなく、少なくとも部分的に化石化され、固まっています。これら下肢要素の鉱化作用の増加は、埋葬遺構のこの部分を通って水の移動がやや増加したことを示唆します。以下は本論文の図2です。
頭蓋から下の遺骸では、右上腕骨と右肩甲骨が最も完全な要素で、その密接な関連は、それらが相互に解剖学的にほぼ関節接合していたことを示唆します。明らかに関節でつながっている貝殻製ビーズとペンダントに対するそれらの位置は、移動がほとんどないことを示唆しており、埋葬時の肩の元々の位置を表している可能性が高そうです。右胸部上部の位置はほぼ損なわれておらず、ほぼ解剖学的位置にありました。いくつかの肋骨は保存されていますが、ひじょうに脆弱で、発掘中にひどく断片化されました。しかし、その元々の位置は写真測量モデルで撮影されました(図2)。胸部の位置は、右肩が埋葬時の元々の位置にある、との解釈と一致します。押しつぶされたものの、神経頭蓋の大半が存在し、関節で離れた左右の前頭骨に沿った単一の塊内で収集された頭蓋底の頭蓋冠の位置の大半を伴います。後頭骨の遊離して発達的に癒合していない構成要素が、別々に収集されました。右側半下顎を除いて、顔面頭蓋全体が欠落しています。
全体の歯の発達は、AVH-1が生後2ヶ月未満だったことを示唆しますが、出生後エナメル質形成のシンクロトロン画像化を用いた仮想組織学的測定は、生後40~50日というより正確な死亡年齢を提供します(図3)。出生前のエナメル質における強調された線(図3B)も、出生の約47日および28日前に胎児もしくは母親に影響を与えたストレス事象を明らかにします。コラーゲンの安定同位体(炭素13と窒素15)は、おそらく母乳育児の兆候により影響を受けておらず、上部旧石器時代後期のこの地域の個体群と類似した、AVH-1の母親の陸生食性を示唆します。以下は本論文の図3です。
プロテオーム解析(図4A)は、アメロゲニン(AMELY)タンパク質の欠如を示唆しているので、女性である可能性が高そうです。この結果は、X染色体および常染色体と一致する核DNA断片の数により確証されます(図4B)。AVH-1のミトコンドリアDNA(mtDNA)は9774年前(95%最高事後密度で16662~1853年前)と推定されており、放射性炭素年代と類似しています。AVH-1のmtDNAハプログループ(mtHg)はU5b2bで、ヨーロッパ中央部および西部の後期更新世および初期完新世の個体群のクレード(単系統群)内に重なります。以下は本論文の図4です。
●装飾品と他の人工物
AVH-1は、少なくとも66点の穿孔されたカタモトガイ(Columbella rustica)の装飾用貝殻製ビーズと、タマキガイ属種(Glycymeris sp.)の磨かれた貝殻断片で作られた3点の穿孔されたペンダントで飾られていました(図5)。一連の貝殻製ビーズと3点のペンダントは右肩および胸部上部のその位置で回収され(図2)、毛布もしくは頭巾に縫いつけられていたことを示唆します。カタモトガイの貝殻製ビーズの20点以上は腹部を覆っており、おそらくはビーズで飾られた衣服か、腰と胴体を覆う他の品目を反映しています。
骨格と密接に関連するビーズに加えて、27点のカタモトガイの貝殻製ビーズと、1点のキリガイダマシ属種(Turritella sp.)製および1点のタマキガイ属種ペンダントは、遺構充填物もしくはその近くの攪乱された状況に由来します。ほとんどの貝殻製ビーズには顕著な摩耗があり、長い使用寿命を示唆し、おそらくは元々葬儀目的で作られていませんでした。むしろ、AVH-1乳児は当初他の個体が身に着けていたビーズを受け取った可能性が高そうです。ともかく、そうした装飾品はかなりの労働を表しています。予備的実験では、貝殻を集めてビーズを衣服に縫いつけるのに必要な時間を含めずに、全ての装飾品の製作には8~11人時が必要と推定されています。以下は本論文の図5です。
AVH-1と関連する他の人工物にはワシミミズク(Bubo bubo)の鉤爪(趾骨)があり、二次遺構とつながっていたかもしれないAVH-1遺骸から20cmほどの場所で回収されました。この鉤爪の表面修飾は、装飾品の使用と一致します。縁の直接的修正を伴う灰色の燧石製層状剥片が頭蓋の近くで収集され、装飾品以外では、AVH-1遺骸と最も近い空間関係の人工物です。断片的なソーヴェテル文化(Sauveterrian)尖頭器は、初期中石器時代で一般的ではあるものの、局所的な続グラヴェティアン(グラヴェット文化)でも時として見られ、遺構充填物の最上部に由来します。遺構充填物では、5点のオーカーの断片と、19点の燧石および放散虫岩の非目的製作物断片も回収されました。大型および中型の偶蹄類と鳥類と識別できない哺乳類の骨の断片的な動物相遺骸が、遺構充填物および隣接する堆積物で回収されました。
貝殻製装飾品は明らかに縫いつけられているか、さもなくば身体を覆っていましたが、他の人工物が副葬品として埋められたのか、より新しい堆積物から、遺構が掘られて再度埋められたことにより堆積したのかどうかについて、不確実性があります。炭と動物断片の放射性炭素年代は、充填物構成要素が較正年代で16000~15000年前頃と示唆し、これは、埋葬が掘られた可能性のある基盤として、上部旧石器時代の後期続グラヴェティアンの堆積物を示します。したがって、石器の多くは恐らく埋葬の下にある堆積物に由来します。密接な空間関係を考えると、灰色の燧石製層状剥片は、AVH-1遺骸と本当に関連している可能性が最も高そうです。ソーヴェテル文化尖頭器は、診断できる中石器時代人工物に最も近いものの、埋葬充填物内のより高い位置から除去された、篩にかけた物質から回収されました。
●考察
AVH-1の単一の意図的な埋葬と関連する装飾用人工物が豊富にあることは、少なくとも初期中石器時代集団はこのほぼ新生児の少女に人格があったと考えていた、と示唆します。一般的に初期中石器時代標本、とくに乳児が不足していることを考えると、この結果を完新世開始期におけるヨーロッパの他地域に一般化することは困難です。しかし、女性新生児と乳児の埋葬は、ドナウ渓谷のレペンスキヴィール(Lepenski Vir)など後期中石器時代と初期新石器時代の遺跡で実証されています。レペンスキヴィール遺跡の40人の乳児に関する研究では、DNAに基づく性別特定が含まれ、女性乳児は男性乳児と類似の頻度で埋葬され、空間分布もしくはビーズなど副葬品の偏りについて性別で異なる強いパターンはない、と示されています。
残念ながら、ほとんどの中石器時代および新石器時代の遺跡では、正確な年齢と性別のデータが乳児標本では利用できず、これらの変数が人格の構築とどのように交差するのか、多くの理解が必要です。後期中石器時代と新石器時代の少なくともいくつかのヨーロッパ南部の遺跡については、埋葬儀式の観点では幼い子供は成人と類似した扱いをよく受けていると示される、と議論されており、幼い個体における人格の一般的属性が示唆されます。
ヨーロッパ北部の比較的大規模な後期中石器時代墓地でも、多数の子供の土葬が含まれていました。一部の後期中石器時代の事例では、幼い乳児(1歳未満)は、デンマークのヴェドベック(Vedbaek)遺跡の(おそらくは)母親とともに埋葬された周産期の子供に見られるように、明らかに象徴的扱いを受けていました。ヴェドベック遺跡の幼い子供は白鳥の翼の上に横たわって、オーカーで覆われており、少なくとも何らかの血統に影響された社会的地位の程度を示唆します。
しかし、ヨーロッパ北部の後期中石器時代全体での乳児の葬儀の扱いには、かなりの時空間的変動があります。成人とは別に埋葬されたスウェーデンのスケートホルム(Skateholm)などの遺跡の子供たちは、ほぼ副葬品なしで埋葬されていました。ドイツのグロース・フレーデンヴァルデ(Groß Fredenwalde)遺跡のよく保存された較正年代で8400年前頃の子供(生後6ヶ月未満)は、ヨーロッパ北部の乳児の記録をより古く中石器時代にさかのぼらせることにより、とくに完全な生物学的特性がそろった場合には、重要な洞察を提供する可能性が高そうです。
乳児の埋葬は、ヨーロッパやより広くユーラシアでは、中部旧石器時代や上部旧石器時代や初期中石器時代といったより古い時代で知られていますが、そのほとんどは古い発掘か、さもなくば最小限の記録に由来します。したがって、正確な死亡年齢と性別など生物学的特性は、ほぼ全ての事例で利用できません。オーストリアのクレムス=ヴァハトベルク(Krems-Wachtberg)のグラヴェティアン遺跡で発見された新生児1組は較正年代で27000年前頃となり、重要な例外で、古代DNA分析により男性の一卵性双生児と示されました(関連記事)。
しかし、ベーリンジア(ベーリング陸橋)東部のアッパーサン川(Upper Sun River)で発見された、較正年代で11500年前頃となるDNAが解析された副葬品のある女性乳児(関連記事)は、イタリアのアルマ・ヴェイラナ洞窟で観察された女児の埋葬(AVH-1)の扱いが他の末期更新世文化を特徴づけた、と示します。これは、女性を含む乳児の人格は共通の祖先的文化でより深い起源があるか、地球全体でほぼ同時代の人口集団において並行して発生した、と示唆します。いずれにしても、末期更新世と最初期完新世は、地球上の文化において社会の構成員としての幼い少女の認識について、下限の古さとみなされるべきです。
人格認知の遅れは乳児死亡の高い危険性と対応していることが多いので、AVH-1とアッパーサン川の埋葬は、狩猟採集民が後期更新世と初期完新世の多様な地理と変化する環境に適応したとしても、乳児死亡率が比較的低水準であることを示唆しているかもしれません。いくつかの民族誌の事例では、人格が乳児にあるとされる場合、子供の脆弱性を補うため死後もその状態を支えるよう、豊富な墓の装飾品が供えられます。初期完新世狩猟採集民における女性乳児へのそうした扱いの拡大は、年齢と性別(sex/gender)に関わらず生死における個体のある程度の平等主義的扱いを示唆します。
参考文献:
Hodgkins J. et al.(2021): An infant burial from Arma Veirana in northwestern Italy provides insights into funerary practices and female personhood in early Mesolithic Europe. Scientific Reports, 11, 23735.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-02804-z
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