ダチョウの卵殻製ビーズから推測される過去5万年間のアフリカにおける社会的つながり
ダチョウの卵殻製ビーズから過去5万年間のアフリカ東部と南部とのつながりを推測した研究(Miller, and Wang., 2022)が公表されました。ヒトは、アフリカ各地の多様な集団が緩やかにつながった状況で進化してきました(関連記事1および関連記事2)。そのため、現在の人類の生物学的および文化的な多様性を説明するには、そうした集団がいつどのようにつながっていたのか、理解することが不可欠です。遺伝学的解析から、現代人のアフリカの東部と南部の系統が、更新世の35万~7万年前頃のどこかの時点で分岐した、と明らかになっていますが(関連記事1および関連記事2)、それらの相互作用があった正確な時期、そうした交流の文化的背景、系統間の分離を促進した機構に関しては、ほとんど知られていません。
本論文は、アフリカの東部と南部のダチョウの卵殻のビーズに見られる違いを比較し、過去5万年にわたる集団の動態を調べました。その結果、ダチョウの卵殻のビーズの技術の起源はおそらくアフリカ東部にあり、50000~33000年前頃に地域的なネットワークを介して南方へ広がったと、と分かりました。このつながりは33000頃年前に断絶し、各集団は2000年前頃以降に牧畜民がアフリカ南部に移動するまで隔離されたままでした。この断絶の時期は、ザンベジ川流域(アフリカの東部と南部をつなぐ地域)に周期的な洪水を引き起こした熱帯収束帯の南下の時期とおおむね一致します。これは、ヒトの社会的接触を形成するのに、気候が何らかの影響をもたらした、と示唆しています。この研究は、地域的分岐の時期が遺伝学的解析からの推測より遅かったことを示すとともに、約3000 kmにわたる様式的なつながりを明らかにし、古代の相互作用の社会的次元に関して重要な新知見をもたらしています。
ヒトの進化における未解決の問題は、アフリカ全域での現生人類(Homo sapiens)の古代の分布と多様化に関するものです。メタ個体群(対立遺伝子の交換といった、あるレベルで相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群のグループ)モデルでは、解剖学的な現代性と行動的な複雑さは、おそらく環境状況への対応において(関連記事)、つながりと孤立の波を経た人口集団のアフリカ全域の継ぎ接ぎ内で出現しました(関連記事)。
これらの変化するつながりの研究は、DNAと古代DNAの解析からますます得られており、現在のアフリカの狩猟採集民人口集団が更新世のある時点で地域的系統に分岐し、それには35万~7万年前頃の南部集団と東部集団との分岐が含まれる、と明らかになっています(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。古代DNAは生物学的変化についての情報を得る強力な手法ですが、古代の相互作用の文化的背景を扱えません。これら古代の相互作用について多くの問題が残っており、たとえば、古代の人口集団がいつどこでつながったのか、どのような社会的交換が起きたのか、どのような機構がその最終的な分離を引き起こしたのか、などです。
海洋酸素同位体ステージ(MIS)3に始まって(57000年前頃)、アフリカの人口集団はかなりの社会的再編を経ました(関連記事)。ビーズの体系的製作はかなりの労力投資であり、MIS3における社会的相互作用の規模と重要性の増大性を特徴づけ、おそらくはこの頃に明らかな人口規模と社会体系の増加に関連しています。これらの社会変革は、アフリカの後期更新世が複雑な社会的ネットワーク発展の理解に重要な期間であることを表します。
ダチョウの卵殻(OES)製ビーズは、最古の完全に製造されたビーズで、アフリカにおける後期更新世の社会的同体の解明に重要となる可能性があります。OESはアフリカ東部では52000年前頃までに、アフリカ南部では42000年前頃までに(関連記事)出現し、現在でも一部地域では製作されています。アフリカにおける現代の民族誌的研究では、OESビーズ細工の完成品(たとえば、ビーズの裾)が象徴的意味を有している、と示唆されます。しかし、個々のビーズは社会的情報も保存しており、それは、ビーズ製作の各段階が形態的違いを強める意図的な選択だからです。
これらのビーズの製作上の決定は、近隣集団間で一般的に共有される文化的規範ですが、長距離では伝達機会が減少し、文化的変化もしくは傾向につながります。したがって、OESビーズの特徴は、人口集団の相互作用の再構築の手段として使用できます。以前の研究は、2000年前頃となるアフリカ南部への牧畜の導入を、より大きな直径のOESビーズの出現と関連づけ、考古学および遺伝学の証拠により裏づけられるように(関連記事)、アフリカ東部人口集団とのつながりの可能性を示唆しました。最近のいくつかの研究は、後期更新世遺跡群内の様式の差異を報告しましたが、本論文が把握する限りでは、更新世における人口集団接触を調べるために類似の差異を用いる試みはありません。
人口集団のつながりと孤立の出来事は環境変化と関連づけられてきており、過去5万年、気候事象が気温変動と水文気候の再編成を引き起こしました。これらの変化は居住可能地域を断片化し、次に地域的人口集団が相互作用できる場所と時期に影響を及ぼします。したがって、集団間のつながりが後期更新世の気候および環境変化に対応している可能性を調べることが重要です。
本論文は過去5万年のOESビーズの特徴を分析し、人口集団のつながりと、アフリカにおける水文気候変化との関連のパターンを探しました。本論文は、アフリカ東部(東経22.5~40度、北緯9~南緯9度)とアフリカ南部(東経8~35度、南緯20~35度)の31ヶ所の遺跡のデータを集め、ビーズは合計1516個となり、そのうち1238個は初めて完全に報告されます(図1)。可能な限り、3通りの計量変数(ビーズの直径、開口部の直径、卵殻の厚さ)が記録されました。本論文のデータベースは、利用可能なデータを備えた厳密に年代測定された更新世遺跡群と、各地域におけるよく年代測定された系列から構成され、考古学的層位もしくは一括層位で年代測定された、直接的な放射性炭素年代測定からの推定年代を伴っています。以下は本論文の図1です。
これらのパターンについて気候の潜在的影響を理解するために、主要な氷期および間氷期の変化に基づいて、50000~2000年前頃が4期間に区分されました。第1期は50000~33000年前頃で、MIS3から氷床成長再活性化までとなります。第2期は33000~19000年前頃で、氷床成長期から最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)の終わりまでとなります。第3期は19000~11600年前頃で、最後の退氷期となります。第4期は11600~2000年前頃で、前期完新世からアフリカ南部への牧畜の拡大前となります。第5期は2000年前頃から現代までとなり、アフリカ南部への牧畜の拡大につれて現れる、以前に特定されたビーズの大きさの変化を示します。類似のビーズの特徴により示唆される人口集団のつながりが見られ、孤立期間は気候変化と並行するかもしれない、と予測されます。
●地域的および経時的なビーズ計量
本論文の結果は、アフリカ東部と南部のOESビーズが、経時的に独特な軌跡をたどった、と明らかにします(図2a)。時期と地域は両方とも、OESビーズの特徴の差異を促進する重要な要因ですが、時期と地域との間の相互作用はOESビーズの特徴に大きく影響を及ぼしてはいないようです。以下は本論文の図2です。
アフリカ東部では、ビーズと開口部の直径の範囲は過去5万年間では一定で、わずかな変動しかありません。アフリカ東部のビーズは平均して、全体の直径が6.9±1.2mm、開口部の直径が2.6±0.6mmで(図2a)、広範な差異があります。対照的に、アフリカ南部のビーズの特徴は経時的に変わり、第1期ではビーズと開口部の直径がより長く、それ以降の期間には顕著に小さくなるのが特徴です(図2a)。アフリカ南部のビーズは第2期には考古学的記録から事実上消えますが、19000年前頃となる退氷の開始には再出現し、一貫して大きさはより小さくなっています。第3期以降、アフリカ南部のビーズの全体の直径と開口部の直径は、アフリカ東部の同時代のビーズよりも狭い範囲でより小さくなります(それぞれ4.5±0.9mmと1.8±0.4mm)。アフリカ南部のビーズは2000年前頃まで一貫してより小さな様式のままで、それ以後にはより大きな特徴が現れ、牧畜共同体の移動と関連しています(図2bおよび図3)。以下は本論文の図3です。
3通りの計量パラメータ全てが存在する標本での主成分分析を用いて、第3期から第5期(19000年前頃から現在)を通じてのさまざまな程度の重複を有する明確な地域的まとまりが見つかりました(図3a)。PC1軸とPC2軸は、アフリカ南部と東部との間の、第3期と第4期と第5期の差異について、それぞれ92%、91%、93%を説明します(図3a)。単変量分散分析(ANOVA)がMANOVA出力で実行され、3パラメータすべてが第3期から第5期の地域的違いの促進に役割を果たした、と示されました。
さらに、最も一般的に報告されている2つの変数(ビーズ全体と開口部の直径)を用いて、これら地域的違いがさらに調べられ、標本規模が1445点とわずかに増加しました(図3b)。これら2つの変数だけを用いてのMANOVAの結果は、ビーズの特徴が第3期から第5期においてアフリカの東部と南部の間でわずかに違う、と確証します(図3b)。第3期と第4期におけるより多くの異なる地域的なビーズのまとまりと比較すると、第5期のビーズはアフリカの東部と南部の間で重複の増加を示します。この重複にも関わらず、第5期の最も南方のビーズはより小さいままで、第3期および第4期と一致します(図2bおよび図3b)。
第1期のビーズの特徴はアフリカの東部と南部でほぼ同一であり(図3b)、ビーズ全体の直径と開口部の直径により類似性が決まります。アフリカ南部における平均的なOESビーズの直径は、第1期(6.7mm)では他の期間より2mm以上長く、アフリカ東部の大きさ(平均直径6.9mm)とより類似しています(図3b)。アフリカ南部のビーズの大半(14個のうち12個)はボーダー洞窟(Border Cave)という単一の遺跡に由来し、直径の範囲は広くなっています(4.3~8.1mm)。残りのビーズは、VR003遺跡とホワイト・ペインティングス岩陰(White Paintings Shelter)遺跡から1個ずつ発見されました。両遺跡は顕著にさらに西方へと位置していますが、各ビーズの直径は5.7mmで、ボーダー洞窟のビーズの範囲内に収まります。
卵殻の厚さは様式の特徴でありませんが、代わりに環境とダチョウとの間の複雑な関係を反映しているかもしれません。アフリカ東部と南部は両方、過去5万年全体にわたって一貫した卵殻の厚さを維持しており、平均して、東部では1.7±0.2mm、南部では1.5±0.2mmです(図2b)。これは、卵殻の厚さが気温および湿度に応じて変化する、という以前の提案と矛盾しているようです。卵殻の厚さは経時的にアフリカ東部と南部内で変わりませんが、両地域間では有意に異なり、異なるダチョウの亜種を反映しているかもしれません。アフリカ南部の卵殻の方が東部よりも薄く、より小さなビーズの製作が促進されたかもしれず、将来の研究はこの仮説を検証すべきですが、これはアフリカ南部の第1期および第5期におけるより大きなビーズを説明しません。
●第1期における様式のつながり
アフリカ東部と南部との間のかなりの距離(3000km以上)にも関わらず、50000~33000年前頃となる第1期の利用可能なOESビーズは様式の類似性を共有しています。これは、アフリカ東部と南部の両地域が同じビーズの直径範囲を有していた最古(で唯一)の期間で、この期間における社会的に媒介された交換を強く示唆し、これまでに記録された更新世の最も遠い様式のつながりを示します。年代と遺跡の場所とビーズの特徴に基づくと、OESビーズは技術的にアフリカ東部に起源があったようです。
最古の直接的に年代測定されたアフリカ東部のビーズは、アフリカ南部の最古のビーズより約1万年ほど古くなります。この段階におけるほとんどのアフリカ南部のビーズはボーダー洞窟に由来し、アフリカ南部でも東方に位置します(図1aの16)。しかし、アフリカ南部の第1期の3ヶ所の遺跡では、遺跡でビーズを製作した兆候がありません。おもにボーダー洞窟の特徴から明らかなビーズ製作技術のこの拡大は、アフリカ東部の第1期における比較的湿潤な気候条件と対応します(図4)。以下は本論文の図4です。
●切断と気候のつながり
地域的ネットワークは第2期のある時点で崩壊したようで、社会的つながりへの気候の影響について問題を提起します(図4a)。33000年前頃までにアフリカ東部では降水量が減少し(図4b)、インド洋の冬季の季節風や海面水温の低下により変調をきたしました。これらのより乾燥した条件は16000年前頃まで持続し、気候モデル再現実験によると、過去5万年で最低の純一次生産量となりました。この純一次生産量の減少は、景観の植生と動物相の分布を変え、ヒトは遊動性と採集の戦略に順応する必要がありました。これにより景観での人々の分布は再編され、地域の人口は減少し、いくつかの以前の社会的ネットワークは持続不能になったかもしれません(関連記事1および関連記事2)。
第1期と第2期との間の崩壊も、以前の研究で予測されたアフリカにおける最低の有効人口規模と一致し、人口規模縮小が地域的な切断につながった可能性を示唆します。対照的に、ザンベジ川流域(アフリカ東部と南部をつなぐ広範な地域)は、気候代理データによると30000~16000年前頃により湿潤になりました(図4b)。この降雨量増加は、熱帯収束帯が10~20度ほど南方へと移動したことに起因し、おもに、氷山の大規模融解が3万年前頃に起きた北大西洋におけるハインリッヒイベント(HE)3に制御されています。降水量の増加によりザンベジ川とその支流では定期的に洪水が起き、それはアフリカ東部と南部との間のつながりへの地理的障壁を形成したかもしれません(図4b)。アフリカ東部における乾燥化傾向と洪水に見舞われるザンベジ川流域は、第2期までに出現した地域的切断を起こしたかもしれず、気候に起因する行動反応が、後期更新世における文化的孤立を推進した重要な機構だった可能性を示唆します(図4c)。
アフリカ南部のOESビーズは稀になり、33000年前頃までに消えたようで、19000年前頃後まで再出現しませんでした。アフリカ南部におけるOESビーズの欠如は、アフリカ南部における最低の純一次生産量および最も低い氷期の温度と一致し、後期更新世における人口規模を制約したかもしれません。社会的集団規模が小さければ、標準化されたビーズの大規模製作は、利益をもたらすよりも費用がかかったかもしれません。これは、OESビーズ製作が、第1期における技術の導入後でさえ、文化的目録の一部にならなかった理由を説明できるかもしれません。アフリカ南部でビーズが19000年前頃に再出現すると、排他的により小さな様式となります。この様式の地域化は長期の社会的孤立を反映しており、アフリカ南部における漸進的な降水量増加と気温上昇に対応しています(図4b)。最後に、ビーズの様式は、遊動的牧畜民がアフリカ南部に到来してきた、2000年前頃以後のつながりの別の事象を記録しています。
●ヒトの回復力と地域的適応
ビーズの特徴の異なる軌跡は、各地域の人口集団がさまざまな社会的戦略を伴う環境変化に対応したことを示唆します。アフリカ東部のビーズ伝統は継続的で、その特徴は気候変化に関係なく安定しています。この一貫性は、過去5万年の環境の不確実性を通じてさえ維持された、回復力のある地域間の社会的ネットワークの存在を示唆します。全体的な高い純一次生産量と環境収容力のため、アフリカ東部の人口集団は、より大きな人口規模か、気候変化を軽減するための戦略としてより堅牢な社会的ネットワークを維持したかもしれません。
対照的に、アフリカ南部のOESビーズの特徴は大きく異なり、ビーズの使用は30000~19000年前頃まで稀でした。これは、人口集団がより小規模で切断されたまとまりで暮らし、象徴的行動の必要性がより少ないような戦略を反映しているかもしれません。この期間の他の考古学的証拠はこれを裏づけているようで、アフリカ南部においては、共存しているかもしれないもの、文化的には独自の下位人口集団とともに、MIS3~2には時差のある技術的移行を示します。19000年前頃以後の一貫した大きさのビーズの急増は、気候条件改善後の象徴的行動への依存度の高まりを示唆します。これらの地域的違いは、ヒトの社会的行動の柔軟性を浮き彫りにし、後期更新世の環境変化に対処するためのさまざまな戦略を示します。
●展望
本論文は、遺伝学的データだけでは理解が困難な、古代の人口集団間の複雑な相互作用の解明に役立つ、新たな一連の証拠を提示します。OESビーズの様式の変化は、過去5万年間のアフリカ東部と南部の人口集団間の断続的なつながりを明らかにし、その中にはこれまでに特定された最古の地域的な様式のつながりが含まれます。さらに本論文の知見は、文化的接触が、7万年前頃という遺伝的な分岐推定年代の後に長く持続したことを示唆します。これは、こうした社会的つながりが、人口集団の混合とは独立して存在したのか、それとも生物学的な遺伝子移入とともに共存したのか、という興味深い問題を提起します。こうした想定を調べるには、将来の研究が必要です。さらに、気候変動とヒトの行動応答が、人々が遭遇できる場所と時間を条件づけることにより、地域間の社会的ネットワークに影響を及ぼした、と想定することは妥当と明らかになりました。研究者は、より広範な地域間比較を洗練するために、遺跡に基づく研究から得られたOESビーズのデータを取り入れることで、この基盤を構築できます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
考古学:ダチョウの卵殻のビーズから明らかになった5万年にわたるアフリカの社会ネットワーク
考古学:卵殻のビーズがつないだアフリカの古代ネットワーク
古代DNAの研究から、アフリカ人の遺伝的系統は東部と南部とで約35万~7万年前に分岐したと示唆されている。しかし、ダチョウの卵殻(OES)のビーズの形状の経時的な変化に見て取れるように、文化的なつながりはその後も持続していた可能性がある。OESビーズは、一般に小型の円形で、中央に穴が空いており、サイズや形状はドーナツ型のシリアルとほぼ同じか、それよりやや平たい。今回、こうしたOESビーズが新たに調べられ、その起源がアフリカ東部にあることが明らかになった。この地域のビーズは、本体と穴の直径が5万年にわたってほぼ一定で、ごくわずかな変化しか見られない。こうしたビーズの製作は、約5万~3万3000年前に地域的な集団のつながりを介して南方へと広がった。アフリカ南部のビーズは東部のものより多様で、最初は東部と同様にかなり大きかったが時間とともに小型化した。その後、東部と南部のつながりは散発的になり、南部のOESビーズは3万3000年前以降に消滅したようだ。これは気候条件の悪化が原因であった可能性があり、この地域の集団は2000年前以降に牧畜民が南部に移動するまで隔離されたままだった。南部の新しいビーズは、サイズが著しく小型化しており、本体も穴も直径が小さくなっていた。今回の研究は、アフリカの地域集団が相互作用した時期および場所を条件付ける上で、気候のプッシュプル機構が重要な役目を果たしたことを示唆している。
参考文献:
Miller JM, and Wang YV.(2022): Ostrich eggshell beads reveal 50,000-year-old social network in Africa. Nature, 601, 7892, 234–239.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04227-2
本論文は、アフリカの東部と南部のダチョウの卵殻のビーズに見られる違いを比較し、過去5万年にわたる集団の動態を調べました。その結果、ダチョウの卵殻のビーズの技術の起源はおそらくアフリカ東部にあり、50000~33000年前頃に地域的なネットワークを介して南方へ広がったと、と分かりました。このつながりは33000頃年前に断絶し、各集団は2000年前頃以降に牧畜民がアフリカ南部に移動するまで隔離されたままでした。この断絶の時期は、ザンベジ川流域(アフリカの東部と南部をつなぐ地域)に周期的な洪水を引き起こした熱帯収束帯の南下の時期とおおむね一致します。これは、ヒトの社会的接触を形成するのに、気候が何らかの影響をもたらした、と示唆しています。この研究は、地域的分岐の時期が遺伝学的解析からの推測より遅かったことを示すとともに、約3000 kmにわたる様式的なつながりを明らかにし、古代の相互作用の社会的次元に関して重要な新知見をもたらしています。
ヒトの進化における未解決の問題は、アフリカ全域での現生人類(Homo sapiens)の古代の分布と多様化に関するものです。メタ個体群(対立遺伝子の交換といった、あるレベルで相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群のグループ)モデルでは、解剖学的な現代性と行動的な複雑さは、おそらく環境状況への対応において(関連記事)、つながりと孤立の波を経た人口集団のアフリカ全域の継ぎ接ぎ内で出現しました(関連記事)。
これらの変化するつながりの研究は、DNAと古代DNAの解析からますます得られており、現在のアフリカの狩猟採集民人口集団が更新世のある時点で地域的系統に分岐し、それには35万~7万年前頃の南部集団と東部集団との分岐が含まれる、と明らかになっています(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。古代DNAは生物学的変化についての情報を得る強力な手法ですが、古代の相互作用の文化的背景を扱えません。これら古代の相互作用について多くの問題が残っており、たとえば、古代の人口集団がいつどこでつながったのか、どのような社会的交換が起きたのか、どのような機構がその最終的な分離を引き起こしたのか、などです。
海洋酸素同位体ステージ(MIS)3に始まって(57000年前頃)、アフリカの人口集団はかなりの社会的再編を経ました(関連記事)。ビーズの体系的製作はかなりの労力投資であり、MIS3における社会的相互作用の規模と重要性の増大性を特徴づけ、おそらくはこの頃に明らかな人口規模と社会体系の増加に関連しています。これらの社会変革は、アフリカの後期更新世が複雑な社会的ネットワーク発展の理解に重要な期間であることを表します。
ダチョウの卵殻(OES)製ビーズは、最古の完全に製造されたビーズで、アフリカにおける後期更新世の社会的同体の解明に重要となる可能性があります。OESはアフリカ東部では52000年前頃までに、アフリカ南部では42000年前頃までに(関連記事)出現し、現在でも一部地域では製作されています。アフリカにおける現代の民族誌的研究では、OESビーズ細工の完成品(たとえば、ビーズの裾)が象徴的意味を有している、と示唆されます。しかし、個々のビーズは社会的情報も保存しており、それは、ビーズ製作の各段階が形態的違いを強める意図的な選択だからです。
これらのビーズの製作上の決定は、近隣集団間で一般的に共有される文化的規範ですが、長距離では伝達機会が減少し、文化的変化もしくは傾向につながります。したがって、OESビーズの特徴は、人口集団の相互作用の再構築の手段として使用できます。以前の研究は、2000年前頃となるアフリカ南部への牧畜の導入を、より大きな直径のOESビーズの出現と関連づけ、考古学および遺伝学の証拠により裏づけられるように(関連記事)、アフリカ東部人口集団とのつながりの可能性を示唆しました。最近のいくつかの研究は、後期更新世遺跡群内の様式の差異を報告しましたが、本論文が把握する限りでは、更新世における人口集団接触を調べるために類似の差異を用いる試みはありません。
人口集団のつながりと孤立の出来事は環境変化と関連づけられてきており、過去5万年、気候事象が気温変動と水文気候の再編成を引き起こしました。これらの変化は居住可能地域を断片化し、次に地域的人口集団が相互作用できる場所と時期に影響を及ぼします。したがって、集団間のつながりが後期更新世の気候および環境変化に対応している可能性を調べることが重要です。
本論文は過去5万年のOESビーズの特徴を分析し、人口集団のつながりと、アフリカにおける水文気候変化との関連のパターンを探しました。本論文は、アフリカ東部(東経22.5~40度、北緯9~南緯9度)とアフリカ南部(東経8~35度、南緯20~35度)の31ヶ所の遺跡のデータを集め、ビーズは合計1516個となり、そのうち1238個は初めて完全に報告されます(図1)。可能な限り、3通りの計量変数(ビーズの直径、開口部の直径、卵殻の厚さ)が記録されました。本論文のデータベースは、利用可能なデータを備えた厳密に年代測定された更新世遺跡群と、各地域におけるよく年代測定された系列から構成され、考古学的層位もしくは一括層位で年代測定された、直接的な放射性炭素年代測定からの推定年代を伴っています。以下は本論文の図1です。
これらのパターンについて気候の潜在的影響を理解するために、主要な氷期および間氷期の変化に基づいて、50000~2000年前頃が4期間に区分されました。第1期は50000~33000年前頃で、MIS3から氷床成長再活性化までとなります。第2期は33000~19000年前頃で、氷床成長期から最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)の終わりまでとなります。第3期は19000~11600年前頃で、最後の退氷期となります。第4期は11600~2000年前頃で、前期完新世からアフリカ南部への牧畜の拡大前となります。第5期は2000年前頃から現代までとなり、アフリカ南部への牧畜の拡大につれて現れる、以前に特定されたビーズの大きさの変化を示します。類似のビーズの特徴により示唆される人口集団のつながりが見られ、孤立期間は気候変化と並行するかもしれない、と予測されます。
●地域的および経時的なビーズ計量
本論文の結果は、アフリカ東部と南部のOESビーズが、経時的に独特な軌跡をたどった、と明らかにします(図2a)。時期と地域は両方とも、OESビーズの特徴の差異を促進する重要な要因ですが、時期と地域との間の相互作用はOESビーズの特徴に大きく影響を及ぼしてはいないようです。以下は本論文の図2です。
アフリカ東部では、ビーズと開口部の直径の範囲は過去5万年間では一定で、わずかな変動しかありません。アフリカ東部のビーズは平均して、全体の直径が6.9±1.2mm、開口部の直径が2.6±0.6mmで(図2a)、広範な差異があります。対照的に、アフリカ南部のビーズの特徴は経時的に変わり、第1期ではビーズと開口部の直径がより長く、それ以降の期間には顕著に小さくなるのが特徴です(図2a)。アフリカ南部のビーズは第2期には考古学的記録から事実上消えますが、19000年前頃となる退氷の開始には再出現し、一貫して大きさはより小さくなっています。第3期以降、アフリカ南部のビーズの全体の直径と開口部の直径は、アフリカ東部の同時代のビーズよりも狭い範囲でより小さくなります(それぞれ4.5±0.9mmと1.8±0.4mm)。アフリカ南部のビーズは2000年前頃まで一貫してより小さな様式のままで、それ以後にはより大きな特徴が現れ、牧畜共同体の移動と関連しています(図2bおよび図3)。以下は本論文の図3です。
3通りの計量パラメータ全てが存在する標本での主成分分析を用いて、第3期から第5期(19000年前頃から現在)を通じてのさまざまな程度の重複を有する明確な地域的まとまりが見つかりました(図3a)。PC1軸とPC2軸は、アフリカ南部と東部との間の、第3期と第4期と第5期の差異について、それぞれ92%、91%、93%を説明します(図3a)。単変量分散分析(ANOVA)がMANOVA出力で実行され、3パラメータすべてが第3期から第5期の地域的違いの促進に役割を果たした、と示されました。
さらに、最も一般的に報告されている2つの変数(ビーズ全体と開口部の直径)を用いて、これら地域的違いがさらに調べられ、標本規模が1445点とわずかに増加しました(図3b)。これら2つの変数だけを用いてのMANOVAの結果は、ビーズの特徴が第3期から第5期においてアフリカの東部と南部の間でわずかに違う、と確証します(図3b)。第3期と第4期におけるより多くの異なる地域的なビーズのまとまりと比較すると、第5期のビーズはアフリカの東部と南部の間で重複の増加を示します。この重複にも関わらず、第5期の最も南方のビーズはより小さいままで、第3期および第4期と一致します(図2bおよび図3b)。
第1期のビーズの特徴はアフリカの東部と南部でほぼ同一であり(図3b)、ビーズ全体の直径と開口部の直径により類似性が決まります。アフリカ南部における平均的なOESビーズの直径は、第1期(6.7mm)では他の期間より2mm以上長く、アフリカ東部の大きさ(平均直径6.9mm)とより類似しています(図3b)。アフリカ南部のビーズの大半(14個のうち12個)はボーダー洞窟(Border Cave)という単一の遺跡に由来し、直径の範囲は広くなっています(4.3~8.1mm)。残りのビーズは、VR003遺跡とホワイト・ペインティングス岩陰(White Paintings Shelter)遺跡から1個ずつ発見されました。両遺跡は顕著にさらに西方へと位置していますが、各ビーズの直径は5.7mmで、ボーダー洞窟のビーズの範囲内に収まります。
卵殻の厚さは様式の特徴でありませんが、代わりに環境とダチョウとの間の複雑な関係を反映しているかもしれません。アフリカ東部と南部は両方、過去5万年全体にわたって一貫した卵殻の厚さを維持しており、平均して、東部では1.7±0.2mm、南部では1.5±0.2mmです(図2b)。これは、卵殻の厚さが気温および湿度に応じて変化する、という以前の提案と矛盾しているようです。卵殻の厚さは経時的にアフリカ東部と南部内で変わりませんが、両地域間では有意に異なり、異なるダチョウの亜種を反映しているかもしれません。アフリカ南部の卵殻の方が東部よりも薄く、より小さなビーズの製作が促進されたかもしれず、将来の研究はこの仮説を検証すべきですが、これはアフリカ南部の第1期および第5期におけるより大きなビーズを説明しません。
●第1期における様式のつながり
アフリカ東部と南部との間のかなりの距離(3000km以上)にも関わらず、50000~33000年前頃となる第1期の利用可能なOESビーズは様式の類似性を共有しています。これは、アフリカ東部と南部の両地域が同じビーズの直径範囲を有していた最古(で唯一)の期間で、この期間における社会的に媒介された交換を強く示唆し、これまでに記録された更新世の最も遠い様式のつながりを示します。年代と遺跡の場所とビーズの特徴に基づくと、OESビーズは技術的にアフリカ東部に起源があったようです。
最古の直接的に年代測定されたアフリカ東部のビーズは、アフリカ南部の最古のビーズより約1万年ほど古くなります。この段階におけるほとんどのアフリカ南部のビーズはボーダー洞窟に由来し、アフリカ南部でも東方に位置します(図1aの16)。しかし、アフリカ南部の第1期の3ヶ所の遺跡では、遺跡でビーズを製作した兆候がありません。おもにボーダー洞窟の特徴から明らかなビーズ製作技術のこの拡大は、アフリカ東部の第1期における比較的湿潤な気候条件と対応します(図4)。以下は本論文の図4です。
●切断と気候のつながり
地域的ネットワークは第2期のある時点で崩壊したようで、社会的つながりへの気候の影響について問題を提起します(図4a)。33000年前頃までにアフリカ東部では降水量が減少し(図4b)、インド洋の冬季の季節風や海面水温の低下により変調をきたしました。これらのより乾燥した条件は16000年前頃まで持続し、気候モデル再現実験によると、過去5万年で最低の純一次生産量となりました。この純一次生産量の減少は、景観の植生と動物相の分布を変え、ヒトは遊動性と採集の戦略に順応する必要がありました。これにより景観での人々の分布は再編され、地域の人口は減少し、いくつかの以前の社会的ネットワークは持続不能になったかもしれません(関連記事1および関連記事2)。
第1期と第2期との間の崩壊も、以前の研究で予測されたアフリカにおける最低の有効人口規模と一致し、人口規模縮小が地域的な切断につながった可能性を示唆します。対照的に、ザンベジ川流域(アフリカ東部と南部をつなぐ広範な地域)は、気候代理データによると30000~16000年前頃により湿潤になりました(図4b)。この降雨量増加は、熱帯収束帯が10~20度ほど南方へと移動したことに起因し、おもに、氷山の大規模融解が3万年前頃に起きた北大西洋におけるハインリッヒイベント(HE)3に制御されています。降水量の増加によりザンベジ川とその支流では定期的に洪水が起き、それはアフリカ東部と南部との間のつながりへの地理的障壁を形成したかもしれません(図4b)。アフリカ東部における乾燥化傾向と洪水に見舞われるザンベジ川流域は、第2期までに出現した地域的切断を起こしたかもしれず、気候に起因する行動反応が、後期更新世における文化的孤立を推進した重要な機構だった可能性を示唆します(図4c)。
アフリカ南部のOESビーズは稀になり、33000年前頃までに消えたようで、19000年前頃後まで再出現しませんでした。アフリカ南部におけるOESビーズの欠如は、アフリカ南部における最低の純一次生産量および最も低い氷期の温度と一致し、後期更新世における人口規模を制約したかもしれません。社会的集団規模が小さければ、標準化されたビーズの大規模製作は、利益をもたらすよりも費用がかかったかもしれません。これは、OESビーズ製作が、第1期における技術の導入後でさえ、文化的目録の一部にならなかった理由を説明できるかもしれません。アフリカ南部でビーズが19000年前頃に再出現すると、排他的により小さな様式となります。この様式の地域化は長期の社会的孤立を反映しており、アフリカ南部における漸進的な降水量増加と気温上昇に対応しています(図4b)。最後に、ビーズの様式は、遊動的牧畜民がアフリカ南部に到来してきた、2000年前頃以後のつながりの別の事象を記録しています。
●ヒトの回復力と地域的適応
ビーズの特徴の異なる軌跡は、各地域の人口集団がさまざまな社会的戦略を伴う環境変化に対応したことを示唆します。アフリカ東部のビーズ伝統は継続的で、その特徴は気候変化に関係なく安定しています。この一貫性は、過去5万年の環境の不確実性を通じてさえ維持された、回復力のある地域間の社会的ネットワークの存在を示唆します。全体的な高い純一次生産量と環境収容力のため、アフリカ東部の人口集団は、より大きな人口規模か、気候変化を軽減するための戦略としてより堅牢な社会的ネットワークを維持したかもしれません。
対照的に、アフリカ南部のOESビーズの特徴は大きく異なり、ビーズの使用は30000~19000年前頃まで稀でした。これは、人口集団がより小規模で切断されたまとまりで暮らし、象徴的行動の必要性がより少ないような戦略を反映しているかもしれません。この期間の他の考古学的証拠はこれを裏づけているようで、アフリカ南部においては、共存しているかもしれないもの、文化的には独自の下位人口集団とともに、MIS3~2には時差のある技術的移行を示します。19000年前頃以後の一貫した大きさのビーズの急増は、気候条件改善後の象徴的行動への依存度の高まりを示唆します。これらの地域的違いは、ヒトの社会的行動の柔軟性を浮き彫りにし、後期更新世の環境変化に対処するためのさまざまな戦略を示します。
●展望
本論文は、遺伝学的データだけでは理解が困難な、古代の人口集団間の複雑な相互作用の解明に役立つ、新たな一連の証拠を提示します。OESビーズの様式の変化は、過去5万年間のアフリカ東部と南部の人口集団間の断続的なつながりを明らかにし、その中にはこれまでに特定された最古の地域的な様式のつながりが含まれます。さらに本論文の知見は、文化的接触が、7万年前頃という遺伝的な分岐推定年代の後に長く持続したことを示唆します。これは、こうした社会的つながりが、人口集団の混合とは独立して存在したのか、それとも生物学的な遺伝子移入とともに共存したのか、という興味深い問題を提起します。こうした想定を調べるには、将来の研究が必要です。さらに、気候変動とヒトの行動応答が、人々が遭遇できる場所と時間を条件づけることにより、地域間の社会的ネットワークに影響を及ぼした、と想定することは妥当と明らかになりました。研究者は、より広範な地域間比較を洗練するために、遺跡に基づく研究から得られたOESビーズのデータを取り入れることで、この基盤を構築できます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
考古学:ダチョウの卵殻のビーズから明らかになった5万年にわたるアフリカの社会ネットワーク
考古学:卵殻のビーズがつないだアフリカの古代ネットワーク
古代DNAの研究から、アフリカ人の遺伝的系統は東部と南部とで約35万~7万年前に分岐したと示唆されている。しかし、ダチョウの卵殻(OES)のビーズの形状の経時的な変化に見て取れるように、文化的なつながりはその後も持続していた可能性がある。OESビーズは、一般に小型の円形で、中央に穴が空いており、サイズや形状はドーナツ型のシリアルとほぼ同じか、それよりやや平たい。今回、こうしたOESビーズが新たに調べられ、その起源がアフリカ東部にあることが明らかになった。この地域のビーズは、本体と穴の直径が5万年にわたってほぼ一定で、ごくわずかな変化しか見られない。こうしたビーズの製作は、約5万~3万3000年前に地域的な集団のつながりを介して南方へと広がった。アフリカ南部のビーズは東部のものより多様で、最初は東部と同様にかなり大きかったが時間とともに小型化した。その後、東部と南部のつながりは散発的になり、南部のOESビーズは3万3000年前以降に消滅したようだ。これは気候条件の悪化が原因であった可能性があり、この地域の集団は2000年前以降に牧畜民が南部に移動するまで隔離されたままだった。南部の新しいビーズは、サイズが著しく小型化しており、本体も穴も直径が小さくなっていた。今回の研究は、アフリカの地域集団が相互作用した時期および場所を条件付ける上で、気候のプッシュプル機構が重要な役目を果たしたことを示唆している。
参考文献:
Miller JM, and Wang YV.(2022): Ostrich eggshell beads reveal 50,000-year-old social network in Africa. Nature, 601, 7892, 234–239.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04227-2
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