ジャワ島の後期更新世初期の層で発見された現生人類の歯の年代

 ジャワ島の後期更新世初期の層で発見された現生人類(Homo sapiens)の歯の年代測定結果を報告した研究(Kaifu et al., 2022)が公表されました。ユーラシア東部とオーストラレーシアへの現生人類の最初の拡散時期は、激しく議論されています。この地域への現生人類の移住を海洋酸素同位体ステージ(MIS)5・4(130000~57000年前頃)にまでさかのぼらせるモデルを支持する考古学者と古人類学者が増えつつありますが(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5および関連記事6)、これらの地域におけるMIS5・4の現生人類を明確に証明する信頼できる遺跡が存在するのかどうか、他の研究者は懐疑的です(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。

 初期移住モデルは通常、2回かそれ以上の拡散の波を提案し、アジア南東部と中国南部とオーストラリアおよびニューギニアへの「南方経路」でのMIS5・4の移住が最初だった、と想定します(関連記事1および関連記事2)。対照的に、後期拡散モデルは、ヨーロッパ東部から西部への経路と同様に、アジアの南北経路(ヒマラヤ山脈の南方もしくは北方)を通っての単一の急速な爆発的な拡散事象を示唆します。多くの遺伝学的研究は、後期拡散モデルの見解と一致していますが(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、これらの遺伝学的研究は、現生人類の初期拡散が現代の人口集団には実質的に寄与しなかった事象だった場合、初期拡散モデルを除外するわけではありません。この論争を解決するには、既知の遺跡をさらに精査し、新たな遺跡を探す必要があります。

 プヌンはジャワ島東部の南方山脈のグヌン・セウ(Gunung Sewu)カルスト地域に位置し、ジャワ島の後期更新世初期の熱帯雨林動物相を表すプヌン動物相の模式産地です。この地域も、MIS5・4におけるジャワ島への初期現生人類の到来についての議論で中心的役割を果たしてきました。それは、この地域で発見されたいくつかの遊離したヒトの歯が、この動物相における現生人類の存在を示唆しているからですが、これらの歯の正確な由来は不確実で、現生人類への分類は決定的ではありません。

 プヌン動物相は元々、プヌンI(Punung I)の裂け目充填物とプヌンII(Punung II)の表面収集の化石標本の組み合わせに基づいて定義されました。生物層序学および地理学的考察に基づいて、この動物相には後期更新世初期の年代が提案されてきましたが、曖昧な層序学的状況と数値的年代の欠如は、プヌン化石標本についての本質的な問題でした。幸いなことに、この元々の化石収集品にほぼ相当する動物相が、別の近隣遺跡であるプヌンIII(Punung III)で2003年に発掘され、化石を含む篩洞窟堆積物が斜面に露出しています。この新たな遺跡の放射性年代測定は、石灰岩洞窟体系の形成の中期更新世中期の年代と、哺乳類化石を含む堆積物の最終氷期初期の年代を示唆しました。したがって、後期更新世初期のプヌン動物相は、少なくともプヌンIII遺跡では実証されました。しかし、この最近の進歩は、ホモ属がこの地域において後期更新世初期に存在したのかどうか、という問題をまだ解決していません。なぜならば、プヌンのヒト遺骸について、文脈的および年代順の情報が引き続き不足しているからです。

 2014年9月の短期訪問において、プヌンIII遺跡の露頭の洗浄中に、以前の研究で128000年前頃と推定された角礫岩直下の損なわれていない堆積物から、2点のヒトの歯が掘り出されました。以前の発掘の参加者から、2003年に収集された化石のほとんどは年代測定された角礫岩ではなく、ヒトの歯の発見場所を覆っていた石灰化した砂の層に由来する、との報告がありました。2015年にプヌンIII遺跡で野外発掘調査が行なわれました。本論文は、新たなヒト遺骸について、放射性年代と予備的な化石生成論的考察を報告します。これは、ジャワ島やアジア東部の他地域における現生人類の起源についての議論への洞察を提供します。本論文は、この重要なプヌンIII遺跡の哺乳類動物相について、改定された文脈情報とわずかに更新された一覧表も報告します。


●プヌンIII遺跡と層序系列

 プヌンIII古生物学遺跡は2003年に発見されました。プヌンIIIは、幅3mの東部露頭と、幅4mの西部岩陰に分かれる、小さな岩陰遺跡です(図1)。プヌンIII遺跡は、断片的ではあるものの豊富な脊椎動物化石(おもに遊離した歯で、一部のホモはヤマアラシが齧った痕跡を示します)を含む角礫岩のある、崩壊した洞窟の残骸です。2015年には、一般的な構造と主要な層序単位が報告されました(図1B)。以下は本論文の図1です。
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 西部岩陰では、古洞窟床面は巨大で密集した石灰岩です。その上を流華石が覆っており、以前の研究では「下部流華石」とされており、この層の標本のウラン系列年代は492000±38000年前です。古洞窟壁面は、直系2~4cmの多数の侵食性空洞が多数ある、巨大で密集した石灰岩で、以前の研究では「中部流華石」とされており、ウラン系列年代は424000±19000年前と443000±32000年前です。古洞窟天井は巨大な石灰岩で、小さな鍾乳石があります。

 東部露頭では、下部は直径4~6cmの風化して角状から亜角状の石灰岩砕屑物のある単量体角礫岩で、粗い砂と炭酸塩の、選別の悪い、よくまとまった母岩を有します。その上部境界は、起伏のある侵食面のある角礫岩系列の上部と接しています。その上部は、直径8~9cmの風化して角状から亜角状の石灰岩砕屑物のある単量体角礫岩で、ひじょうに粗い砂と炭酸塩の選別が悪くよく固まった母岩を有します。その角礫岩系列の上部との境界は起伏があり、一部で深い洗掘があり、角礫岩の表面侵食を示唆します。以前の報告では、角礫岩のこの層は、ルミネッセンス年代測定技術を用いて、MIS5初期(143000~115000年前もしくは128000±15000年前)と報告されました。上部は22cmの厚さの、白色から黄白色の流華石で、よく発達した方解石があります。水平な上層と曲がった下層は、角礫岩の上を直接流れた水による沈殿を示唆します。以前の研究では、この層はウラン系列年代によりMIS5・4(121000~57100年前頃)と報告されました。黄白色から褐色の石灰岩砂岩層は、最大の厚さが15cmで、下部の流華石と重なります。この層には、角礫岩に由来するものと同様に豊富な動物遺骸が含まれています。この層の大半は、2003年の発掘調査により除去されていました。これは、隣接する角礫岩に由来する二次堆積物かもしれません。他には、年代不明の土が所々で壁面や床面の空洞や穴を埋めています。


●ヒトの歯

 2014年に回収されたヒトの歯は、永久歯の右上顎中切歯(GD14-1)と左下顎第一大臼歯(GD14-2)です(図2)。以下は本論文の図2です。
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 これらは、広範な舌側(切歯)もしくは頬側(大臼歯)の小円鋸歯状が欠けている点で、オランウータンとは異なります。上顎中切歯の歯冠は近心側(MD)が9.1mm、唇舌側(LL)が7.4mmで、現代および後期更新世のボルネオ島オランウータン(Pongo pygmaeus)とは異なり、ボルネオ島オランウータンでは、40頭のMDが12.8~17.7mm、61頭のLLが10.4~15.2mmです。これらヒトの歯は、ヤマアラシ属やウシ属やイノシシ科など18点の他の哺乳類の歯とともに発見されました(図3A)。以下は本論文の図3です。
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 これらの標本は全て、西部岩陰の東隅で、128000年前頃の角礫岩と492000年前頃の下部流華石との間の狭い空洞を満たしている、緩く層になっていない土壌から発掘されました(図4A・D)。2003年の発掘中に撮影された写真は、この空洞が、発掘されて除去された厚さ約15cmの化石を含む石灰化砂岩で覆われていた、と示唆します(図4A・C)。この状態の簡単な解釈は、空洞の堆積物は覆っている角礫岩より古いものの、何らかの型で石灰化から逃れたか、あるいは歯の遺骸が角礫岩もしくは石灰化した砂から形成後にできた空洞に落下した、というものです。いずれにしても、ヒトの歯は、この遺跡の更新世動物相群に由来する可能性が高い、と考えられました。以下は本論文の図4です。
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●2015年の野外調査

 新たなヒトの歯の層序学的および化石生成論的状況を記録し、追加の動物遺骸を収集する目的で、2015年に野外調査が行なわれました。2003年の発掘調査に参加した3人も、2015年の野外調査に参加しました。この3人によると、以前に収集された化石のほとんどは、以前の研究で年代測定された角礫岩ではなく、西部岩陰の石灰化した砂岩に由来します(図4A)。2003年の発掘調査では、西部岩陰の天井に付着した角礫岩から少数の化石が収集されました。

 2015年の野外調査では、0.5および1.0mの格子方式(grid system)が用いられました(図1B)。東部露頭では、鶴嘴とノミと金槌とさまざまな大きさ(5mmと4mmと1mm)の網目の篩を用いて、角礫岩から直接的に動物相遺骸が収集されました。角礫岩下部の垂直露頭から合計1.1m²が掘られました(図1B)。上部角礫岩との不整合な接触は、発掘された化石が以前の研究で報告された上部角礫岩の年代(143000~115000年前もしくは128000±15000年前)より古いことを示唆します。バルティントン(Bartington)MS2磁化率方式を用いて、遺跡およびその周辺の一部の土壌堆積物の磁化率が測定されました。


●放射性炭素年代測定

 2点のヒトの歯の年代測定には、放射性炭素年代測定法が用いられました。加熱処理や化学的処理などといった前処理の後、加速器質量分析法(AMS)により、炭素の同位体比(炭素14と炭素12)が測定されました。同時に、いくつかの国際標準法も用いられました。較正曲線は、2020年に公開されたIntCal20(北半球)もしくはShCal20(南半球)が用いられました(関連記事)。


●化石生成論とヒトの歯の年代

 2014年に発見されたヒトの歯(図2A・B)の保存状態は、下部角礫岩から発掘された128000年前頃の化石の歯(図3B・D・E)と著しく異なっていました。角礫岩で発掘された哺乳類の歯は固まっており、その歯根およびエナメル質の亀裂に沿って褐色もしくは赤色の染みを示し、外因性鉱物による続成作用の変化を示唆します。この歯冠内の褐色の染みは、オランウータンの歯の咬合面のエナメル質を通して見られます(図3B・D・E)。対照的にヒトの歯は、虫歯の影響を受けた歯頚部を除いて、わずかに黄色の歯根と褐色もしくは赤色の染みのある歯冠を示しており、異なる化石生成論的過程を示唆します。空洞からヒトの歯とともに見つかった非ヒト動物の歯は、これら2種類の混合のように見えます(図3A)。

 西部岩陰での1週間の表面の洗浄後、石灰岩の壁面に「排水管」が見つかりました。これは天井の上から下方にヒトの歯が埋まっていた空洞へとつながっています(図4B)。これは、2点のヒトの歯の最近の嵌入を示唆します。この改定された解釈と一致して、空洞と「排水管」の土壌の磁化率は、相互および岩陰の他の点在ヶ所と類似していますが、岩陰外の現代の土壌とは異なっていました。図4Dは、2014年に発掘された角礫岩の直下と開けた空洞の横の区画を拡大しています。空洞から続く黒っぽい土壌は、この部分の石灰化した砂岩層の中に入ります。

 2点のヒトの歯の直接的な放射性炭素年代測定結果は、表1に示されます。最近の嵌入との想定の確実な裏づけとして、よく保存されたコラーゲンの年代は、IntCal20較正曲線では紀元後1951~1959年と紀元後1671~1953年に、あるいはShCal20較正曲線では紀元後1951~1959年と紀元後1695~1949年に相当します。以下は本論文の表1です。
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●動物相一覧表の更新

 東部露頭の角礫岩下部で、251点の化石化した歯と骨片が発掘されました(図1B)。角礫岩の下部と上部との間の侵食性接触は、これらの動物相化石が多かれ少なかれ、上部角礫岩の年代(128000±15000年前)より古いことを意味します。表2では、下部角礫岩の251点の化石から作成された動物相一覧表で、20世紀の研究のプヌンIおよびIIと2003年の発掘のプヌンIIIのデータもまとめられています。以下は本論文の表2です。
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 2003年と2015年の発掘調査の哺乳類動物相一覧表の一般的な類似性は、2003年に発掘された石灰化した砂岩がおもに化石を含む角礫岩からの再堆積だった、との本論文の解釈と矛盾しません。オランウータンやテナガザル属(図5B)やラングール属の複数の出現は、熱帯雨林環境との以前の見解を裏づけます。ジャワイタチアナグマ(Melogale orientalis)と思われる化石の出現は、後期更新世プヌン動物相におけるこの種の最初の報告となります。ヤマアラシの遺骸とおそらくはジャワイタチアナグマの噛んだ痕跡は一般的なので、この洞窟堆積物における骨の蓄積の主要な媒介者だった、と示唆されます。以下は本論文の図5です。
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●考察

 プヌンIIIの2点のヒトの歯は、発見時点では、アジア南東部における現生人類の初期拡散モデルの裏づけとなる証拠を提供した、と考えられたかもしれません。しかし、本論文の直接的な放射性炭素年代測定により、128000年前頃の角礫岩の下から回収された2点のヒトの歯は最近の嵌入だった、と確証されました。2015年の野外調査では石灰岩に形成された「排水管」が見つかり、おそらくは遊離したヒトの歯が古い洞窟堆積物と混合することを可能にしました。最近の嵌入の別の兆候として、角礫岩で発掘された化石化した哺乳類の歯と比較して、2点のヒトの歯は化石化の視覚的痕跡(たとえば、鉱物化過程の一部としての外因性鉱物吸収や変色)を示しません。

 MIS5・4となるアジア東部および南東部への現生人類の初期拡散の証拠とされる遺骸は、スマトラ島中部のリダアジャー(Lida Ajer)洞窟遺跡で発見された推定年代73000~63000年前頃の歯(関連記事)、湖南省永州市(Yongzhou)道県(Daoxian)の福岩洞窟(Fuyan Cave)で発見された10万年前頃の下顎前部と歯(関連記事)、中国南東部の広西壮族(チワン族)自治区崇左市の智人洞窟(Zhiren Cave)で発見された10万年前頃の歯(関連記事)、中国南部の陸那洞窟(Luna Cave)や黄龍洞窟(Huanglong Cave)で発見された歯などです。

 全ての研究者が、これらの提案の一部もしくは全てを受け入れているわれではありませんが、より詳細な層序学的情報、化石生成論的考察、直接的年代測定のさらなる努力を求めています(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。こうした状況では、問題となっているヒト遺骸と厳密に年代測定された動物相化石との間の保存状態の間の非破壊的比較が、有益な指針となるでしょう。そうした観察自体は、異なるもしくは同一の層序学的起源の独立した証拠ではありません。なぜならば、同じ層序学的単位に埋まっていた骨と歯は、水量や表面露出や他の物理化学的媒介の局所的変動により、かなり異なる外見を獲得する可能性があるからです。それでも、本論文で報告された事例のように、ヒト標本が同じ層序学的単位の化石の骨および歯と比較して、わずかしか、若しくは全く化石化の兆候を示さないならば、ヒト標本の最近の嵌入を疑うべきです。

 プヌンIIIの下部角礫岩から発掘された動物遺骸は、多かれ少なかれ128000±15000年前より古く、プヌン地域における厳密な更新世の文脈化された情報を有する最初の哺乳類化石となります。本論文の哺乳類分類群と同じ地域の以前に報告された標本との一般的な類似性は、森林性生息分類群であるジャワイタチアナグマと思われる生物の新たな発見とともに、現代の熱帯雨林分類群により特徴づけられる後期更新世初期のプヌン動物相との考えを裏づけます。しかし、本論文の化石標本は251点と比較的小規模で、以前の化石標本の地質学的年代は、説得力がないか事実上不明です。将来の体系的発掘を通じたより多くの標本抽出と年代測定が、とくに、類似しているかやや古い年代で、古代の動物相要素と開けた森林環境により特徴づけられる近隣のンガンドン動物相(関連記事)との関連で、ジャワ島における後期更新世の動物相進化をさらに解明するでしょう。

 最後に、ホモ・エレクトス(Homo erectus)もしくは現生人類のような人類が、プヌン動物相遺骸に存在するのか否か、という問題は未解決です。本論文は、プヌン動物相における人類の存在を実証できませんでしたが、以前に報告された遊離した人類の歯の年代と分類学は、さらなる野外調査とともに、人類の存在の有無に関する研究の進展に必要です。


参考文献:
Kaifu Y. et al.(2022): Modern human teeth unearthed from below the ∼128,000-year-old level at Punung, Java: A case highlighting the problem of recent intrusion in cave sediments. Journal of Human Evolution, 163, 103122.
https://doi.org/10.1016/j.jhevol.2021.103122

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