大河ドラマ『青天を衝け』全体的な感想

 前作の『麒麟がくる』が、重要人物の演者の降板により放送開始が遅れたことと、新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のため収録が中断され、最終回が年明けにずれ込んだことから、本作は初回が今年(2021年)2月14日と遅れ、さらにはCOVID-19のため1年延期された東京オリンピック・パラリンピックの開催と重なって放送休止となったため、41回で放送終了になり、その意味ではたいへん不運だったように思います。まだ試行錯誤だった最初期と、1993~1994年の変則放送期間の作品を除けば、本作は大河ドラマとしては最も放送回数の少ない作品だったのでしょう。

 これと関連して残念だったのが、明治維新以降の短さで、終盤、とくに岩崎弥太郎と五代友厚の死後はかなり駆け足気味だったように思います。ただ、元々幕末編に比重を置いていたらしいので、5~6回程度増えても、明治以降、とくに1890年代以降は駆け足気味になったかもしれませんが。正直なところ、もう少し明治以降に時間を割いてほしかったとは思いますが、本作の主人公である渋沢栄一の世界観形成と使命の自覚に重点が置かれていたと考えれば、本作の時間配分は大きな問題ではなかった、とも考えています。

 本作の時間配分では、序盤の血洗島での描写が比較的丁寧だったように思います。有名人による幕末政治劇を期待していた視聴者には不評だったかもしれませんが、栄一の世界観形成と使命の自覚を描くには、血洗島での経験が不可欠だったわけで、ここを丁寧に描いたのは正解だったように思います。大河ドラマに限らず、時代劇ではあまり描かれない幕末の農村の描写は、私にはなかなか楽しめました。この期間の幕末政治劇はおもに徳川慶喜視点で描かれており、この点はなかなか工夫されていたように思います。

 本作の最大の魅力は、主人公が能動的に選択し、自分の道を切り開いていくところが描かれていた点だと、私は評価しています。もちろん、明治維新のように栄一が時代の大きな流れに翻弄されることも、仕えた一橋家の意向に振り回されることもあったわけですが、栄一はそうした局面でもそれまでの人脈を活かしつつ乗り越えていき、新たな道を開いています。大河ドラマの主人公でも、上司(主君)など周囲の人物や大きな情勢に振り回されることが珍しくないように思うので、本作の主人公の能動性は魅力的に思えます。もちろん、受動的な人物を主人公に据えると魅力的な物語を描けない、というわけではありませんが。

 本作で評価が分かれそうなのは、栄一が一橋家に仕官して以降、政治劇も基本的には栄一視点となり、栄一のヨーロッパ訪問中に起きた大政奉還から王政復古を経て戊辰戦争へと至る過程が、詳しくは描かれなかったことです。この期間を慶喜視点で詳しく描くこともできたでしょうが、主人公である栄一にはよく分からないまま国内の政治情勢が激変した、と視聴者に印象づける構成になっており、悪くなかったように思います。

 明治以降、とくに1890年代以降が駆け足気味だったことなど、不満がないわけではありませんが、主人公が能動的だったこともあって、本作の全体的な出来にはかなり満足しており、これまでに視聴した幕末(もしくは幕末~近代前期)ものの大河ドラマでは、1980年放送の『獅子の時代』に次いで楽しめました。また、今後の幕末大河ドラマへの影響も注目され、たとえば本作の井伊直弼の人物像は、自信がなく頼りなさを自他ともに認めており、それまでの大河ドラマで多かったように思われる、大物感溢れる人物像とはかなり異なっていました。今後の幕末大河ドラマでは、井伊直弼はどのように描かれるのでしょうか。

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