レヴァントの中期更新世の人類化石をめぐる議論
以前当ブログで取り上げた(関連記事)、レヴァントの中期更新世の人類化石に関する研究(Hershkovitz et al., 2021、以下H論文)に対する反論(Marom, and Rak., 2021、以下MR論文)と再反論(May et al., 2021、以下M論文)が公表されました。まずはMR論文を取り上げます。
H論文は、イスラエル中央部のネシェル・ラムラ(Nesher Ramla)開地遺跡(以下、NR)の中期更新世ホモ属の下顎と頭蓋を報告し、現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)との間の交差点としてのレヴァントの重要性を確証します。H論文によると、NR化石は独特なホモ属古集団を表しており、レヴァントのネアンデルタール人に先行し、「NRホモ属」と呼ばれます。H論文の結論は、ネアンデルタール人的特徴とネアンデルタール人よりも古い古代型の特徴の斑状がNR化石の頭頂骨と下顎骨と下顎第二大臼歯で観察され、ヨーロッパとアジア東部の中期更新世ホモ属の進化と関わった可能性があるネアンデルタール人の祖先の起源集団と、NR化石との類似性を裏づける充分な証拠を構成する、というものです。
H論文がNR化石の年代に持たせている意味(一種の系統種として扱われています)は、完全にネアンデルタール人と異議なく認められている別の化石が、同じくレヴァントのタブン(Tabun)遺跡で発見され、明らかに同じ年代であることを考えると、妥当ではありません。タブン遺跡のネアンデルタール人は、発掘者がC層と呼んでいた層で発見され、その年代は14万年前頃とNR化石と類似していることに要注意です。ただ最近になって、タブン遺跡のネアンデルタール人遺骸はより新しいB層に分類され、これは、中東でのネアンデルタール人の存在がずっと後の5万~4万年前頃に始まった、という一般的な合意と一致する年代です。したがって、タブン遺跡における元々の考古学的文脈を受け入れると、ネアンデルタール人が少なくとも2個体、14万年前頃に現在のイスラエルで生存していたことになります。
報道によると、NR化石の研究に関わっていないライトマイア(Philip Rightmire)氏は、NR化石の頭頂部は、「初期のどちらかと言えば古代型の外観のネアンデルタール人」と指摘しています。別の報道によると、同じくNR化石の研究に関わっていないハブリン(Jean-Jacques Hublin)氏は、NR化石はネアンデルタール人の起源集団を表しているにはあまりにも新しく、歯の証拠に基づくと、斑状の形態はネアンデルタール人の地域的変異を表している、と指摘しています。MR論文は、NR下顎骨を解剖学的構成要素に分解し、H論文で考慮されなかった下顎形態を再評価します。その結果、NR化石はネアンデルタール人として単純に分類されるべきだ、と示唆されます。
ネアンデルタール人の下顎骨は、一連の高度な診断的特徴を示し、それを理解するMR論文の手法の前提は、ネアンデルタール人の独特な生体力学的機能に由来します。ネアンデルタール人が派生的な種であることを考えると、これらの特徴はネアンデルタール人だけのものです。これらの特徴には、明白な中間翼状結節、臼歯後隙、下顎前部の台形輪郭(基底部の観点)、長髄歯、短く前方に位置する歯列弓、咬合平面に対する下顎頭の明確に低い位置があります。下顎の解剖学的構造は下顎の特有の機能に関わっているので、これらの特徴は生得的に相互と関連しており、他の形態学的結論もあります。
下顎頭自体は、いくつかの特有の解剖学的特徴と関連しています。ネアンデルタール人の下顎頭は、一般的な形態よりも低く位置しているだけではなく、前方に移動し(S字切痕の最深点にひじょうに近くなります)、これらには二つの重要な意味があります。まず、下顎頭の前方位置により、S字切痕の典型的な非対称輪郭が生じます(後方の観点)。次に、下顎稜は下顎頭極間の中間に位置しますが、一般的な構成では、下顎稜は通常、横方向にずれて側方極と結合します。さらに、ネアンデルタール人の歯列弓は短く、固定されたオトガイ孔に対して前方に位置しており、臼歯後隙を生じます。その結果、ネアンデルタール人においては、オトガイ孔を通る冠状断は通常、下顎第一大臼歯と交差します。
これらのネアンデルタール人の形態学的特徴は、NR下顎で明確に示されます。たとえば、NR下顎頭は残っていませんが、その基部を用いて下顎頭の高さを推定できます。過大評価でさえ、非常に低い下顎頭が示唆されます(図1)。同様に、下顎頭頸状部の基部は、下顎稜が横方向にずれていないものの、下顎頭に垂直に接近していることを明確に示します(図1)。以下はMR論文の図1です。
ネアンデルタール人20個体、現生人類141個体、ホモ・エレクトス(Homo erectus)1個体(KNM-ER 993)の下顎標本に基づくMR論文の定量分析は、ネアンデルタール人と現生人類の下顎の形態間の違いの大きさを確証します。MR論文の図では、NR下顎は一貫して有意に、歯列弓の長さおよび結果として生じる臼歯後隙を含めて、全てのパラメータでネアンデルタール人の形状に一致します(図2および図3)。以下はMR論文の図2および図3です。
ネアンデルタール人の下顎、およびネアンデルタール人と現生人類の下顎間の違いの程度により示される分類学的に特有の特徴群を考えると、H論文で主張された急進的な想定には堅牢な証拠が必要です。そうした証拠が欠けているだけではなく、H論文自体が、「NR化石は、中期更新世ホモ属かネアンデルタール人かホモ・エレクトスのどれに分類できる可能性が高いのか、確定できない」と述べています。さらにH論文は、「分類学的に関連する下顎の特徴を組み合わせて」分析した、と述べています。しかし、上述の明確に診断的な特徴はほぼ見落とされています。
三次元幾何学的形態分析(geometric morphometric analysis、略してGMA)も形態比較も、分類学的分析と関連する詳細を捕捉していません。35点の標識のGMAが、視覚的に明らかなネアンデルタール人の診断的形態さえ捕捉しなかったのはなぜでしょうか?標識の選択、少なすぎる標識の使用、一般的な形態の主成分分析の使用を通じて最大の変異を強調したことの結果として、情報が失われたのかもしれません。H論文はNR化石の形態を本質的なネアンデルタール人の特徴と比較しませんでしたが、その結果はネアンデルタール人とのNR化石の類似性を排除していません。ヒッチェンズ(Christopher Hitchens)の剃刀を引用すると、「証拠なしで主張できることは証拠なしで却下もできます」。MR論文の分析は、NR化石は明白なネアンデルタール人として単純に分類すべきである、との証拠を提供します。
M論文は、こうしたMR論文の指摘に反論します。H論文では、NR化石は関係する形態を示す他のレヴァントのホモ属化石とともに、中期更新世ホモ属古集団の一部として認識されます。このホモ属集団はいくつかのネアンデルタール人的な下顎と歯の特徴を示しますが、いくつかの重要な特徴ではネアンデルタール人とはかなり異なります。それはおもに、H論文の補足資料で広範に記載され分析されているように、頭頂骨の古代型の形態(平坦さと厚さ、特有の頭蓋内表面形状、大きさ、管の痕跡に反映されています)も下顎形態により証明されています。
MR論文で示唆された主張とは対照的に、H論文はNR化石を新種として解釈しませんでした。「古集団(paleodeme)」という用語はひじょうに控えめで、さまざまな水準での人類化石記録の研究に適切かつ必要なので、H論文の主張は「急進的」ではなく慎重な手法を反映しています。NRホモ属化石がネアンデルタール人の事例とみなされるべきかどうかは、このホモ属集団をどう定義するかに完全に依存します。MR論文と同様に、M論文はネアンデルタール人下顎とのNR下顎の形態学的類似性を詳細に認識しました。しかし、MR論文とは異なりM論文は、NR化石の頭頂骨と下顎で観察された古代型の特徴は、無視できない古典的なネアンデルタール人との重要な進化的違いを説明する、と主張します。じっさいM論文は、NRホモ属がネアンデルタール人系統の先行者だったかもしれない、と提案します(図1)。以下はH論文の図1です。
MR論文はH論文の複数の方法論の形態計測分析の欠陥を報告していませんが、M論文はMR論文の分析と結果の解釈に以下のような欠陥を見つけました。
(1)ネアンデルタール人の下顎の特徴について、MR論文ではネアンデルタール人特有と主張された6点の特徴は、じっさいにはNR化石に代表されるこのホモ属集団に限定されていません。たとえば、よく発達した中間翼状結節は、前期更新世のイベリア半島北部のATD6-96標本、イベリア半島北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)のホモ属下顎の一部、他の非ネアンデルタール人標本に存在します。長髄歯は、SH標本の大臼歯や、ATD6-96標本の第三大臼歯や、ホモ・エレクトスでさえ観察されます。
(2)下顎の特徴の重要性について、MR論文では、「下顎の解剖学的構造は下顎の特有の機能に関わっているので、これらの特徴は生得的に相互と関連している」と指摘されています。換言すると、ネアンデルタール人の下顎を適切に機能させるには、これら6点の特徴が共在しなければならない、とMR論文は提案したわけです。しかし、この指摘は、たとえば、ホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)がこれら全ての特徴を有していないものの、その咀嚼体系は機能している、との観察により容易に論破できます。MR論文がネアンデルタール人の下顎の特異性の生体力学的説明を提供しようとした場合、線形測定ではなく、下顎の三次元形態分析(つまり、幾何学的形態計測分析)を実行すべきです。なぜならば、三次元形態は下顎に加えられた負荷をより適切に表すからです。
(3)用いられた特徴の数について、主張の裏づけとなる下顎の6点の特徴を用いたMR論文とは異なり、H論文は既知の判別能力を有する47点の特徴を分析し、NR化石を他の化石と比較しました。
(4)臼歯後隙について、M論文はNR-2標本が臼歯後隙を有しており、この特徴がネアンデルタール人の下顎では優占的であることを報告します。ただ、H論文は、NR-2標本の臼歯後隙の形態が古典的ネアンデルタール人とは異なることを明示しています。第三大臼歯後方の領域は短く、わずかに傾斜していますが(祖先的状態)、ネアンデルタール人では大きくて水平です。臼歯後隙の提示のこのさらなる観察(図2)は、MR論文では考慮されませんでした。以下はM論文の図2です。
(5)下顎第二大臼歯の形態について、MR論文は長髄歯の存在を主張しましたが、NR化石とイスラエルのケセム洞窟(Qesem Cave)のホモ属遺骸とSHホモ属遺骸の歯の間の類似性を認識させられるような、他の形態学的特徴を無視しました。ネアンデルタール人に先行する集団と比較を無視しながら、選択された特徴に対処するというMR論文の選択の背後にある理論的根拠は、M論文の著者たちには不明なままです。
(6)頭頂骨について、NRホモ属化石を異なる古集団として解釈するH論文は、古代型の形態を明確に有している頭頂骨の詳細な分析に基づいています。MR論文では、頭頂骨の言及はありません。
(7)比較標本について、MR論文はNR下顎を、自身の種の分類学的帰属にしたがって、ネアンデルタール人と現生人類のみで構成される標本と比較しています。この手法は必然的に、NR遺骸の分類を、現生人類とネアンデルタール人との間の二元的選択へと強制しました。さらに悪いことに、MR論文は7点のSH標本をネアンデルタール人標本にまとめること(SH標本はネアンデルタール人であるとの先験的仮定を表しています)により、NR化石をネアンデルタール人として分類する以外に選択肢がない、循環論法を作りました。
(8)推定された計測と再構築された解剖学的構造の使用について、NR下顎は不完全なので(図2A)、MR論文はその測定値を得るために、NR下顎の形態と大きさと一部の失われた解剖学的構造の位置について、いくつかの仮定を立てる必要がありました。MR論文に云う「ネアンデルタール人」の下顎の大半では、対象となる解剖学的領域が欠けているので、MR論文で類似の仮定は他の標本でも同様になされた、とM論文は推測します。そうした暫定的な測定値の使用には注意が必要になる、とM論文は考えます。とくに、MR論文はNR化石の下顎頭と下顎稜はネアンデルタール人的と説明しますが、M論文の図2Bで示されるように、下顎頭とその頸状部はNR下顎では失われています。さらに、MR論文におけるNR下顎頭の自由な描写が正しかったとしても、MR論文で記載された形態はネアンデルタール人だけのものではなく、中期更新世ホモ属化石でも見られます。MR論文における臼歯後隙の大きさの評価は、MR論文の不確かな手法の別の事例で、それは、第三大臼歯が壊れており、その大きさが正確には評価されなかったからです(図2C)。さらに、咬合平面の再構築は、存在する唯一の切歯が壊れている(もしくはひじょうに浸食されている)ものの、それにも関わらずMR論文では報告されていたことを考えると、不可能です。
(9)MR論文の再構築がH論文の結果を変える可能性の検証のため、M論文は全ての下顎の三次元標識形状に基づいて分析を実行し、分析では、アフリカの中期更新世ホモ属とヨーロッパの中期更新世ホモ属とSH集団とネアンデルタール人の平均的位置という4通りの代替的再構築を用いて、NR化石の下顎頭と下顎稜の位置が推定されました。主成分分析が明確に示すのは、用いられた再構築に関係なく、NR下顎は常に、ネアンデルタール人もしくは他のホモ属クラスタ内ではなく、SH集団の分布範囲内に投影された、ということです(図2D)。
(10)年代について、NRホモ属の年代の重要性がそれほどでないと主張するため、MR論文は以下のように述べています。最近になって、タブン遺跡のネアンデルタール人遺骸はより新しいB層に分類され、これは、中東でのネアンデルタール人の存在がずっと後の5万~4万年前頃に始まった、という一般的な合意と一致する年代です。このMR論文の指摘には根拠が欠けています。なぜならば、H論文のどこにも、タブン1標本の年代が5万~4万年前頃とは述べられていないからです。逆にH論文は、タブン1標本がずっと古い、と強調しています。
NR化石の正確な分類学的帰属は、可能だとしても、H論文の貢献の範囲を超えています。H論文は代わりに、これらのレヴァントでの発見を、より広い視点で調べ、ヨーロッパとアジアにおける中期更新世ホモ属の移住の役割の役割を議論しました。興味深いことに、明らかにネアンデルタール人と関連があり、遺伝学的にネアンデルタール人と近いと証明されているSH集団(関連記事)でさえ、ネアンデルタール人とは分類されませんでした。
MR論文は、NR化石が形態学的に、したがって系統発生的にネアンデルタール人と関連している、とのH論文の大前提を裏づけます。しかし、上述のようにM論文は、MR論文の比較標本における帰属と、その手法の形式と内容に欠陥を見つけました。NR化石に関するMR論文の評価は、頭頂骨の除外により制約されており、頭頂骨はNR化石を異なる古集団として認識するのに重要です。さらに、MR論文はその結果を、利用可能なデータの豊富さと、とくに人類史の複雑性を考慮せずに、伝統的な手法で解釈しました。本文に添付されている包括的な補足は、この種の批評を述べる前に、より慎重に考慮されるべきです。H論文は、保存された構造の全側面の記述的および定量的分析を用いて、NR化石を包括的に分析し、NR遺骸の最も徹底的で正確な形態学的および形態計測的評価を得ました。それにも関わらず、M論文は、化石証拠の解釈とヒト進化の再構築が困難な課題であることを認識しています。したがってM論文は、新たな見解を受け入れ続け、NR古集団に関する情報に基づいた科学的議論を歓迎します。
参考文献:
Hershkovitz I. et al.(2021): A Middle Pleistocene Homo from Nesher Ramla, Israel. Science, 372, 6549, 1424–1428.
https://doi.org/10.1126/science.abh3169
Marom A, and Rak Y.(2021): Comment on “A Middle Pleistocene Homo from Nesher Ramla, Israel”. Science, 374, 6572, ebl4336.
https://doi.org/10.1126/science.abl4336
May H. et al.(2021): Response to Comment on “A Middle Pleistocene Homo from Nesher Ramla, Israel”. Science, 374, 6572, eabl5789.
https://doi.org/10.1126/science.abl5789
H論文は、イスラエル中央部のネシェル・ラムラ(Nesher Ramla)開地遺跡(以下、NR)の中期更新世ホモ属の下顎と頭蓋を報告し、現生人類(Homo sapiens)とネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)との間の交差点としてのレヴァントの重要性を確証します。H論文によると、NR化石は独特なホモ属古集団を表しており、レヴァントのネアンデルタール人に先行し、「NRホモ属」と呼ばれます。H論文の結論は、ネアンデルタール人的特徴とネアンデルタール人よりも古い古代型の特徴の斑状がNR化石の頭頂骨と下顎骨と下顎第二大臼歯で観察され、ヨーロッパとアジア東部の中期更新世ホモ属の進化と関わった可能性があるネアンデルタール人の祖先の起源集団と、NR化石との類似性を裏づける充分な証拠を構成する、というものです。
H論文がNR化石の年代に持たせている意味(一種の系統種として扱われています)は、完全にネアンデルタール人と異議なく認められている別の化石が、同じくレヴァントのタブン(Tabun)遺跡で発見され、明らかに同じ年代であることを考えると、妥当ではありません。タブン遺跡のネアンデルタール人は、発掘者がC層と呼んでいた層で発見され、その年代は14万年前頃とNR化石と類似していることに要注意です。ただ最近になって、タブン遺跡のネアンデルタール人遺骸はより新しいB層に分類され、これは、中東でのネアンデルタール人の存在がずっと後の5万~4万年前頃に始まった、という一般的な合意と一致する年代です。したがって、タブン遺跡における元々の考古学的文脈を受け入れると、ネアンデルタール人が少なくとも2個体、14万年前頃に現在のイスラエルで生存していたことになります。
報道によると、NR化石の研究に関わっていないライトマイア(Philip Rightmire)氏は、NR化石の頭頂部は、「初期のどちらかと言えば古代型の外観のネアンデルタール人」と指摘しています。別の報道によると、同じくNR化石の研究に関わっていないハブリン(Jean-Jacques Hublin)氏は、NR化石はネアンデルタール人の起源集団を表しているにはあまりにも新しく、歯の証拠に基づくと、斑状の形態はネアンデルタール人の地域的変異を表している、と指摘しています。MR論文は、NR下顎骨を解剖学的構成要素に分解し、H論文で考慮されなかった下顎形態を再評価します。その結果、NR化石はネアンデルタール人として単純に分類されるべきだ、と示唆されます。
ネアンデルタール人の下顎骨は、一連の高度な診断的特徴を示し、それを理解するMR論文の手法の前提は、ネアンデルタール人の独特な生体力学的機能に由来します。ネアンデルタール人が派生的な種であることを考えると、これらの特徴はネアンデルタール人だけのものです。これらの特徴には、明白な中間翼状結節、臼歯後隙、下顎前部の台形輪郭(基底部の観点)、長髄歯、短く前方に位置する歯列弓、咬合平面に対する下顎頭の明確に低い位置があります。下顎の解剖学的構造は下顎の特有の機能に関わっているので、これらの特徴は生得的に相互と関連しており、他の形態学的結論もあります。
下顎頭自体は、いくつかの特有の解剖学的特徴と関連しています。ネアンデルタール人の下顎頭は、一般的な形態よりも低く位置しているだけではなく、前方に移動し(S字切痕の最深点にひじょうに近くなります)、これらには二つの重要な意味があります。まず、下顎頭の前方位置により、S字切痕の典型的な非対称輪郭が生じます(後方の観点)。次に、下顎稜は下顎頭極間の中間に位置しますが、一般的な構成では、下顎稜は通常、横方向にずれて側方極と結合します。さらに、ネアンデルタール人の歯列弓は短く、固定されたオトガイ孔に対して前方に位置しており、臼歯後隙を生じます。その結果、ネアンデルタール人においては、オトガイ孔を通る冠状断は通常、下顎第一大臼歯と交差します。
これらのネアンデルタール人の形態学的特徴は、NR下顎で明確に示されます。たとえば、NR下顎頭は残っていませんが、その基部を用いて下顎頭の高さを推定できます。過大評価でさえ、非常に低い下顎頭が示唆されます(図1)。同様に、下顎頭頸状部の基部は、下顎稜が横方向にずれていないものの、下顎頭に垂直に接近していることを明確に示します(図1)。以下はMR論文の図1です。
ネアンデルタール人20個体、現生人類141個体、ホモ・エレクトス(Homo erectus)1個体(KNM-ER 993)の下顎標本に基づくMR論文の定量分析は、ネアンデルタール人と現生人類の下顎の形態間の違いの大きさを確証します。MR論文の図では、NR下顎は一貫して有意に、歯列弓の長さおよび結果として生じる臼歯後隙を含めて、全てのパラメータでネアンデルタール人の形状に一致します(図2および図3)。以下はMR論文の図2および図3です。
ネアンデルタール人の下顎、およびネアンデルタール人と現生人類の下顎間の違いの程度により示される分類学的に特有の特徴群を考えると、H論文で主張された急進的な想定には堅牢な証拠が必要です。そうした証拠が欠けているだけではなく、H論文自体が、「NR化石は、中期更新世ホモ属かネアンデルタール人かホモ・エレクトスのどれに分類できる可能性が高いのか、確定できない」と述べています。さらにH論文は、「分類学的に関連する下顎の特徴を組み合わせて」分析した、と述べています。しかし、上述の明確に診断的な特徴はほぼ見落とされています。
三次元幾何学的形態分析(geometric morphometric analysis、略してGMA)も形態比較も、分類学的分析と関連する詳細を捕捉していません。35点の標識のGMAが、視覚的に明らかなネアンデルタール人の診断的形態さえ捕捉しなかったのはなぜでしょうか?標識の選択、少なすぎる標識の使用、一般的な形態の主成分分析の使用を通じて最大の変異を強調したことの結果として、情報が失われたのかもしれません。H論文はNR化石の形態を本質的なネアンデルタール人の特徴と比較しませんでしたが、その結果はネアンデルタール人とのNR化石の類似性を排除していません。ヒッチェンズ(Christopher Hitchens)の剃刀を引用すると、「証拠なしで主張できることは証拠なしで却下もできます」。MR論文の分析は、NR化石は明白なネアンデルタール人として単純に分類すべきである、との証拠を提供します。
M論文は、こうしたMR論文の指摘に反論します。H論文では、NR化石は関係する形態を示す他のレヴァントのホモ属化石とともに、中期更新世ホモ属古集団の一部として認識されます。このホモ属集団はいくつかのネアンデルタール人的な下顎と歯の特徴を示しますが、いくつかの重要な特徴ではネアンデルタール人とはかなり異なります。それはおもに、H論文の補足資料で広範に記載され分析されているように、頭頂骨の古代型の形態(平坦さと厚さ、特有の頭蓋内表面形状、大きさ、管の痕跡に反映されています)も下顎形態により証明されています。
MR論文で示唆された主張とは対照的に、H論文はNR化石を新種として解釈しませんでした。「古集団(paleodeme)」という用語はひじょうに控えめで、さまざまな水準での人類化石記録の研究に適切かつ必要なので、H論文の主張は「急進的」ではなく慎重な手法を反映しています。NRホモ属化石がネアンデルタール人の事例とみなされるべきかどうかは、このホモ属集団をどう定義するかに完全に依存します。MR論文と同様に、M論文はネアンデルタール人下顎とのNR下顎の形態学的類似性を詳細に認識しました。しかし、MR論文とは異なりM論文は、NR化石の頭頂骨と下顎で観察された古代型の特徴は、無視できない古典的なネアンデルタール人との重要な進化的違いを説明する、と主張します。じっさいM論文は、NRホモ属がネアンデルタール人系統の先行者だったかもしれない、と提案します(図1)。以下はH論文の図1です。
MR論文はH論文の複数の方法論の形態計測分析の欠陥を報告していませんが、M論文はMR論文の分析と結果の解釈に以下のような欠陥を見つけました。
(1)ネアンデルタール人の下顎の特徴について、MR論文ではネアンデルタール人特有と主張された6点の特徴は、じっさいにはNR化石に代表されるこのホモ属集団に限定されていません。たとえば、よく発達した中間翼状結節は、前期更新世のイベリア半島北部のATD6-96標本、イベリア半島北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)のホモ属下顎の一部、他の非ネアンデルタール人標本に存在します。長髄歯は、SH標本の大臼歯や、ATD6-96標本の第三大臼歯や、ホモ・エレクトスでさえ観察されます。
(2)下顎の特徴の重要性について、MR論文では、「下顎の解剖学的構造は下顎の特有の機能に関わっているので、これらの特徴は生得的に相互と関連している」と指摘されています。換言すると、ネアンデルタール人の下顎を適切に機能させるには、これら6点の特徴が共在しなければならない、とMR論文は提案したわけです。しかし、この指摘は、たとえば、ホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)がこれら全ての特徴を有していないものの、その咀嚼体系は機能している、との観察により容易に論破できます。MR論文がネアンデルタール人の下顎の特異性の生体力学的説明を提供しようとした場合、線形測定ではなく、下顎の三次元形態分析(つまり、幾何学的形態計測分析)を実行すべきです。なぜならば、三次元形態は下顎に加えられた負荷をより適切に表すからです。
(3)用いられた特徴の数について、主張の裏づけとなる下顎の6点の特徴を用いたMR論文とは異なり、H論文は既知の判別能力を有する47点の特徴を分析し、NR化石を他の化石と比較しました。
(4)臼歯後隙について、M論文はNR-2標本が臼歯後隙を有しており、この特徴がネアンデルタール人の下顎では優占的であることを報告します。ただ、H論文は、NR-2標本の臼歯後隙の形態が古典的ネアンデルタール人とは異なることを明示しています。第三大臼歯後方の領域は短く、わずかに傾斜していますが(祖先的状態)、ネアンデルタール人では大きくて水平です。臼歯後隙の提示のこのさらなる観察(図2)は、MR論文では考慮されませんでした。以下はM論文の図2です。
(5)下顎第二大臼歯の形態について、MR論文は長髄歯の存在を主張しましたが、NR化石とイスラエルのケセム洞窟(Qesem Cave)のホモ属遺骸とSHホモ属遺骸の歯の間の類似性を認識させられるような、他の形態学的特徴を無視しました。ネアンデルタール人に先行する集団と比較を無視しながら、選択された特徴に対処するというMR論文の選択の背後にある理論的根拠は、M論文の著者たちには不明なままです。
(6)頭頂骨について、NRホモ属化石を異なる古集団として解釈するH論文は、古代型の形態を明確に有している頭頂骨の詳細な分析に基づいています。MR論文では、頭頂骨の言及はありません。
(7)比較標本について、MR論文はNR下顎を、自身の種の分類学的帰属にしたがって、ネアンデルタール人と現生人類のみで構成される標本と比較しています。この手法は必然的に、NR遺骸の分類を、現生人類とネアンデルタール人との間の二元的選択へと強制しました。さらに悪いことに、MR論文は7点のSH標本をネアンデルタール人標本にまとめること(SH標本はネアンデルタール人であるとの先験的仮定を表しています)により、NR化石をネアンデルタール人として分類する以外に選択肢がない、循環論法を作りました。
(8)推定された計測と再構築された解剖学的構造の使用について、NR下顎は不完全なので(図2A)、MR論文はその測定値を得るために、NR下顎の形態と大きさと一部の失われた解剖学的構造の位置について、いくつかの仮定を立てる必要がありました。MR論文に云う「ネアンデルタール人」の下顎の大半では、対象となる解剖学的領域が欠けているので、MR論文で類似の仮定は他の標本でも同様になされた、とM論文は推測します。そうした暫定的な測定値の使用には注意が必要になる、とM論文は考えます。とくに、MR論文はNR化石の下顎頭と下顎稜はネアンデルタール人的と説明しますが、M論文の図2Bで示されるように、下顎頭とその頸状部はNR下顎では失われています。さらに、MR論文におけるNR下顎頭の自由な描写が正しかったとしても、MR論文で記載された形態はネアンデルタール人だけのものではなく、中期更新世ホモ属化石でも見られます。MR論文における臼歯後隙の大きさの評価は、MR論文の不確かな手法の別の事例で、それは、第三大臼歯が壊れており、その大きさが正確には評価されなかったからです(図2C)。さらに、咬合平面の再構築は、存在する唯一の切歯が壊れている(もしくはひじょうに浸食されている)ものの、それにも関わらずMR論文では報告されていたことを考えると、不可能です。
(9)MR論文の再構築がH論文の結果を変える可能性の検証のため、M論文は全ての下顎の三次元標識形状に基づいて分析を実行し、分析では、アフリカの中期更新世ホモ属とヨーロッパの中期更新世ホモ属とSH集団とネアンデルタール人の平均的位置という4通りの代替的再構築を用いて、NR化石の下顎頭と下顎稜の位置が推定されました。主成分分析が明確に示すのは、用いられた再構築に関係なく、NR下顎は常に、ネアンデルタール人もしくは他のホモ属クラスタ内ではなく、SH集団の分布範囲内に投影された、ということです(図2D)。
(10)年代について、NRホモ属の年代の重要性がそれほどでないと主張するため、MR論文は以下のように述べています。最近になって、タブン遺跡のネアンデルタール人遺骸はより新しいB層に分類され、これは、中東でのネアンデルタール人の存在がずっと後の5万~4万年前頃に始まった、という一般的な合意と一致する年代です。このMR論文の指摘には根拠が欠けています。なぜならば、H論文のどこにも、タブン1標本の年代が5万~4万年前頃とは述べられていないからです。逆にH論文は、タブン1標本がずっと古い、と強調しています。
NR化石の正確な分類学的帰属は、可能だとしても、H論文の貢献の範囲を超えています。H論文は代わりに、これらのレヴァントでの発見を、より広い視点で調べ、ヨーロッパとアジアにおける中期更新世ホモ属の移住の役割の役割を議論しました。興味深いことに、明らかにネアンデルタール人と関連があり、遺伝学的にネアンデルタール人と近いと証明されているSH集団(関連記事)でさえ、ネアンデルタール人とは分類されませんでした。
MR論文は、NR化石が形態学的に、したがって系統発生的にネアンデルタール人と関連している、とのH論文の大前提を裏づけます。しかし、上述のようにM論文は、MR論文の比較標本における帰属と、その手法の形式と内容に欠陥を見つけました。NR化石に関するMR論文の評価は、頭頂骨の除外により制約されており、頭頂骨はNR化石を異なる古集団として認識するのに重要です。さらに、MR論文はその結果を、利用可能なデータの豊富さと、とくに人類史の複雑性を考慮せずに、伝統的な手法で解釈しました。本文に添付されている包括的な補足は、この種の批評を述べる前に、より慎重に考慮されるべきです。H論文は、保存された構造の全側面の記述的および定量的分析を用いて、NR化石を包括的に分析し、NR遺骸の最も徹底的で正確な形態学的および形態計測的評価を得ました。それにも関わらず、M論文は、化石証拠の解釈とヒト進化の再構築が困難な課題であることを認識しています。したがってM論文は、新たな見解を受け入れ続け、NR古集団に関する情報に基づいた科学的議論を歓迎します。
参考文献:
Hershkovitz I. et al.(2021): A Middle Pleistocene Homo from Nesher Ramla, Israel. Science, 372, 6549, 1424–1428.
https://doi.org/10.1126/science.abh3169
Marom A, and Rak Y.(2021): Comment on “A Middle Pleistocene Homo from Nesher Ramla, Israel”. Science, 374, 6572, ebl4336.
https://doi.org/10.1126/science.abl4336
May H. et al.(2021): Response to Comment on “A Middle Pleistocene Homo from Nesher Ramla, Israel”. Science, 374, 6572, eabl5789.
https://doi.org/10.1126/science.abl5789
この記事へのコメント