ポーランドの41500年前頃の象牙製ペンダント

 ポーランドで発見された41500年前頃の象牙製ペンダントに関する研究(Talamo et al., 2021)が公表されました。人体の装飾や飾りの出現は、象徴的行動の最初期の兆候の一つと考えられており、ヒトの進化における民族言語的帰属意識と社会的複雑さの始まりを示しています。個人的装飾品が考古学的記録において出現した時期と場所は、古代人の抽象的思考の軌跡の再構築と、具象的表現が経時的にどのように変わったのか、理解するのに重要です。

 ヨーロッパでは、身体装飾の最古の証拠は、ブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)の初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)層で46000年前頃のものが報告されており、いくつかの肉食動物の歯がペンダントに加工されています(関連記事)。最初の体系的石刃製作としてのIUP石器群は、広くシベリアのアルタイ山脈とモンゴル北部で見つかり、通常は初期現生人類拡散の証拠として認識されています(関連記事)。マンモスの牙がペンダントや動産芸術の製作に扱われ始めた4万年前頃の前期オーリナシアン(Early Aurignacian)では、その後の技術的進歩が記録されています(関連記事)。

 これら新規の装身具のうち、装飾の新たな種類(区切りの整列)が出現し、フランス南西部のいくつかの装飾品や、ドイツのシュヴァーベン・ジュラ(Swabian Jura)の小像です。これまで、これら図像的装飾品のほとんどは、古い発掘中に回収され、遺跡形成史や過去の堆積後の攪乱はあまり認識されていませんでした。したがって、その年代的帰属は、直接的な年代測定ではなく層序状況にのみ基づいています。シュヴァーベン・ジュラ遺跡における最近の年代計測計画により矛盾した結果がもたらされ、野外調査で収集された標本の不正確な出所が確認されました。この状況は、ヨーロッパにおける、ヒトの身体装飾の出現の再構築と、熱く論じられている動産芸術拡散の中心に関する議論を、解決困難にします。

 こうした状況を踏まえて本論文は、ポーランドのスタイニャ洞窟(Stajnia Cave)で発見された新たな象牙製の穿刺跡のある装飾品の発見と直接的な年代測定を報告します。この発見は、ヨーロッパにおける現生人類の意思伝達と儀式と表現を理解するための、旧石器時代芸術品の直接的年代測定の重要性を示すのに、独特な役割を果たします。スタイニャ洞窟は、ポーランドン南部のクラクフ・チェンストホーヴァ高地(Krakow-Czestochowa Upland)の北側(北緯50度36分58秒、東経19度29分04秒)に位置します(図1a)。スタイニャ洞窟遺跡は2006~2010年に発掘され、7ユニットの層序系列が明らかになり、基底部は海洋酸素同位体ステージ(MIS)5cのG、最上層はMIS1のAです。スタイニャ洞窟の発掘中に、後期更新世の草原・ツンドラ地帯種の骨や、中部旧石器時代および上部旧石器時代の人工物の中で、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)遺骸が発見されました(関連記事)。

 2010年に、飾り立てた象牙のペンダント(S-22222とS-2310)がD1層で回収されました(図1b・cおよび図2)。さらに、千枚通しの断片(S-12160)がD1層の骨の断片群で識別されました(図3)。スタイニャ洞窟の考古学的記録の最近の評価では、堆積後の攪乱と現代の歪みにより、各層間の人工物とヒト遺骸がずれた、と明らかになっています(関連記事)。D1層で収集された石器のほとんどは、ヨーロッパ中央部および東部のミコッキアン(Micoquian)と関連しており、上部旧石器として分類されるものはほとんどないので、ペンダントと千枚通しの正確な文化的帰属には直接的な放射性炭素年代測定が必要です。破壊的分析に曝される量を最小限に抑えるため、放射性炭素年代測定における最新の方法論の発展に従いました。以下は本論文の図1です。
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●ペンダントと千枚通し

 ペンダントは、丸い端と2ヶ所の穿孔された穴と連続的な穿刺パターンから構成される装飾を有する楕円形により特徴づけられます。ペンダントの最大の断片は、長さが4.5cm、幅が1.5cmで、厚さは0.36~0.39cmです、完全な人工物の再構築された幅は図2に示されます。最大の断片で、上部端近くの再構築された人工物の中心近くに位置する、目に見える完全に保存された穿孔が一つあります(図2の穴1)。もう一方の穴(図2の穴2)は、最初に人工物の反対側に位置し、部分的に保存されています。完全に保存された穴1の直径は2.3mmで、部分的に保存されている穴2の元々の直径もおそらく同じです。ペンダントの背面は、不規則な輪状曲線を描く、少なくとも50点の穿刺跡で装飾されています(図1c)。この装飾は、穴1の近くの剥離により部分的に破壊されています(図1c、図2d)。この剥離の他にも表面には縦方向の亀裂も見られます。以下は本論文の図2です。
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 走査電子顕微鏡(SEM)が用いられ、観察された特徴のうち人工物の特徴が確かめられ、その製作に用いられた技術が特定されました。SEM分析(図2b・c・d・e・g)から、ペンダントの背面には穿刺跡の前の意図的準備の明確な痕跡はない、と示唆されます。しかし、腹側穿刺は平滑化の痕跡を示し(図2g)、ペンダントの最長軸に直線的で平行です。こうした痕跡のV字型断面は、燧石製人工物の使用を示唆しており(図2b・g)、筋の深さと幅の違いは、適用された石器の不規則な端により説明できるかもしれません。

 穴1および2は、それ以前に薄くされていなかった両側から穴をあけることにより人口的に製作されたもので、断面が二重円錐形となりました(図2f)。ほとんどの穿刺跡は輪郭と断面の観点で類似しており(図2c・e)、同じ道具で、恐らくは比較的短時間に作られた可能性がひじょうに高そうです。穿刺は完全に保存された穴1の真下に位置し、わずかに異なる形態を示し、その端はあまり定義されていません(図2a)。これらの穿刺跡が他のものと異なる時間に作られた可能性を排除できませんが、ペンダントの段階的な摩耗もしくは変化した位置がより節約的です。

 千枚通しの最大長は68.33mmです(図3)。いくつかの摩耗面が千枚通しの表面で見え、底部断面(5.8mm×3.4mm)は平らになっています。底面では、丸い顕著な端と平坦なスパイクを有する滑らかな表面があります。上側はより凹面で、先端に向かって、極端に滑らかな面がさらなる精錬をもたらしています。スパイクの側面は丸みを帯びており、磨かれています。スパイクから38.18mmで、千枚通しは基本的に厚くなります。骨を加工した明確な証拠は底面で示され、底面では鋭い端が両貝に向かってあり、丸いスパイクは摩耗の痕跡を示し、廃棄される前に広く使用された、と示唆されます(図3)。ZooMS(Zooarchaeology by Mass Spectrometry、質量分光測定による動物考古学)分析により、ペンダントはマンモスの牙で、千枚通しは馬の骨で作られた、と明らかになりました。以下は本論文の図3です。
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●年代測定

 骨と象牙は、放射性炭素年代測定を試みるのに、最も適切で確立された骨資料です。ペンダント(R-EVA 2651)と千枚通し(R-EVA 2650)におけるコラーゲンの存在は、放射性炭素年代測定の標本抽出前に、近赤外線(NIR)分析を用いて検証されました。その結果、両標本はよく保存されており、ペンダントでは5.30±1.52%、千枚通しでは8.04±1.43%の重量のコラーゲンが示唆され、抽出後に得られたコラーゲンの収量と密接に一致します(表1)。

 コラーゲンは、ドイツのライプツィヒにあるマックス・プランク進化人類学研究所(MPI-EVA)で両標本から抽出されました。ペンダントと千枚通しのコラーゲンは、2ヶ所の異なる放射性炭素年代測定実験室(MAMSとETH)で2回、加速器質量分析(AMS)で放射性炭素年代が測定され、最近更新されたIntCal20較正曲線(関連記事)でひじょうに正確な放射性炭素年代が得られました。ペンダント(S-22222)の組み合わされた放射性炭素年代は36577±183年前で、千枚通し(S-12160)の組み合わされた放射性炭素年代は37701±208年前でした。較正年代(68.3%の確率)では、ペンダントが41730~41340年前、千枚通しが42270~42070年前です(表1)。

 マックス・プランク進化人類学研究所で前処理された動物標本20点のうち、11点は49000年前より古く、それは、E層の1点、D3層の2点、D2層の3点、D1層の4点、C18層の1点です。D1層では、ペンダントと千枚通しの標本を含めて、さらに5点の標本の年代が、非較正で45300±1410~36577±183年前となります。C19層の3点の年代範囲は、非較正で37750±310~33450±350年前となり、C18層の最上部の1点の年代は、C19層下層の標本(MAMS-19870)の年代と比較して、非較正で40400±420年前とひじょうに古くなります(表1)。D2層とD1層とC19層のマンモスの牙の断片は5万年以上前ですが、D1層の別の象牙断片の年代は、非較正で44600±2100年前です。

 次に、ソフトウエアOxCal 4.4とIntCal20曲線を用いて、ベイズ年代モデルが再構築され、スタイニャ洞窟の放射性炭素年代の較正が改良されました。較正年代(表1の年代はモデル化されていません)とモデル化された年代が得られましたが、モデル化された年代では49000年以上前のものは含まれません。スタイニャ洞窟最下層は、放射性炭素年代測定法の範囲を超えています。D1層のさらなる5点の年代と、C18層の1点の年代も49000年以上前ですが、上部旧石器時代の人工物が含まれています。これは、高解像度の放射性炭素年代と層序の低解像度との間の一致が不充分であることを示しており、14点のモデル化された標本のうち4点の外れ値(20%超)で、34.5%のモデル一致指数が得られます。

 この状況から、D1層で見つかった千枚通しとペンダント(それぞれ、外れ値の確率が32%と21%)は層の間で動いており、元々はD1層ではなくC19層にあった可能性が高そうだと示唆されます。この仮説は、C19層の2点の骨の放射性炭素年代により裏づけられ、それは千枚通しおよびペンダントと類似の年代範囲です(表1)。標本R-EVA 739(MAMS-19851では、非較正で36080±460年前)も人為的改変を示し、スタイニャ洞窟のヒトの居住と象牙製ペンダントとの間の密接な関連を示唆します。


●考察

 直接的な放射性炭素年代の結果、スタイニャ洞窟の装飾ペンダントの較正年代は41730~41340年前(確率68.3%)となり、現時点では既知のユーラシア前期上部旧石器時代の記録で最初の穿刺象牙物となります(図4b)。スタイニャ洞窟におけるオーリナシアン(オーリニャック文化)の定住は一時的でしたが、ペンダントと千枚通しの直接的な放射性炭素年代により、これらの精巧で高度に作られた物体は、現生人類によるひじょうに象徴的な価値を伴う文化的革新の形態として、42000年前頃までには確立していた、と確証されます。他の象牙断片の放射性炭素年代は、中部旧石器時代以降のマンモスの牙の現地の輸送を明らかにしますが(表1)、前期オーリナシアンにおいてのみ、この原材料としての象牙は動産芸術の製作のため加工されました。以下は本論文の図4です。
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 ペンダント自体の年代が、装飾が施された年代よりずっと古い可能性は、本論文の実験および年代のデータを考えると、低いと考えられます。2点の貴重な物体の直接的年代は、C19層の年代範囲と対応しており、層序年代との一致ではなく、オーリナシアンにおける短期の洞窟居住を示唆します。永久凍土層では何千年もの間、開地遺跡でマンモスの牙の完全な保存が可能かもしれませんが、これらの条件はポーランド南部のMIS3および2では欠けています。この証拠から、マンモスの牙が何千年にもわたって、象牙の進行性の劣化を引き起こす、化石生成的過程を経ていた可能性が高そうです。本論文の複製実験で示されるように、中程度/悪条件で半化石化して乾燥した牙の断片を用いると、スタイニャ洞窟で見つかったような装飾品を形作り飾ることはできませんでした。したがって、形成と穿刺の装飾は、マンモスの牙が新鮮な状態で行なわれ、41500年前頃の較正年代を裏づける、と推定されます。

 穿刺装飾品がユーラシアでいつ出現したのか、正確に判断するには、この芸術的パターンが見つかった他の遺跡と比較する必要があります(図4)。ドイツのガイセンクレステレ洞窟(Geißenklösterle Cave)では、較正年代で40280~38800年前(68.3%の確率)となる層準IIbで穿刺が識別されました(象牙の擬人化は後部の規則的な穿刺装飾を示します)。フランスでは、較正年代で40790~30830年前(68.3%の確率)となるトゥト・デ・キャマルホット(Tuto de Camalhot)遺跡の前期オーリナシアンと、キャステル・マーレ渓谷(Castel-Merle Valley)のいくつかの遺跡でオーリナシアン後期でのみ、穿刺模様が出現します。

 しかし、本論文のモデルの出力は、ドイツのフォーゲルヘルト洞窟(Vogelherd Cave)について、低い一致指数と乏しい層序学的統合を明らかにします。トゥト・デ・キャマルホット洞窟では、ベイズモデルから得られた境界は「仮説的」とみなされるべきで、それは、あらゆる層序学的情報がない、2点の骨に基づいているからです。さらに東方では、象牙製ペンダントの連続的な穿刺パターンが、ロシアのスンギール(Sungir)開地遺跡において較正年代で34810~33500年前(68.3%の確率)、シベリア北極圏のヤナ遺跡において較正年代で32400~30820年前(68.3%の確率)となる前期上部旧石器時代に作られました。この証拠は、穿刺の記号表現の広範な地理的分布を明らかにし、ユーラシアにおいて、スタイニャ洞窟の穿刺装飾がこの種の装飾活動の他の事例に2000年先行する、と示します(図4b)。

 ユーラシアにおける動産芸術と身体装飾の拡散の始まりのより深い調査は、いくつかの年代の不確実性を示します。スンギール遺跡では、埋葬された個体群の直接的年代が象牙製ビーズの年代の正確な指標となりますが、ヤナ遺跡では、崩積作用や土壌流や浮氷など堆積後の過程により、元々の位置から一部のペンダントが動いています。ヨーロッパでは、ガイセンクレステレ洞窟を除いて、全ての個人的装飾品は19世紀後期と20世紀初期の発掘で発見され、前期もしくはもっと新しいオーリナシアンと間接的にのみ関連しています。ガイセンクレステレ洞窟では、年代順はさまざまなオーリナシアン層でよく確立しています。対照的に、他の前期上部旧石器時代遺跡の年代解像度は低く、オーリナシアンの芸術表現の通時的な発展の明確な理解を妨げます。この状況はおもに、遺跡における疑わしい層序学的文脈により起きた、制約が不充分な放射性炭素年代解像度に起因します。スタイニャ洞窟のペンダントに照らして考えると、シュヴァーベン・ジュラが芸術的革新の拡散の中心だった、とするクルトゥルプンペ(Kulturpumpe)仮説は、さらなる調査が必要です。


●まとめ

 穿刺装飾模様は、ヨーロッパにおける前期オーリナシアンとロシア平原における前期上部旧石器時代に発展した、芸術的革新の一つです。したがって、これまでのところ、動産物体におけるこれらの刻印は、狩猟記録や計数体系や月の記録として解釈されてきましたが、他の人々は美的目的を提案してきました。スタイニャ洞窟のペンダントで表されている輪状曲線は、ブランチャード(Blanchard)銘板の刻印パターンと似ています。これらの刻印が周期的な記録もしくは獲物の数を示唆しているのかどうかは未解決の問題ですが、月のアナレンマ(地球や他の惑星上の同一地点で、1年間、毎日同じ時刻に見掛けの星の位置を記録した図)との類似性は印象的です。

 他の個人的装飾品や象牙製品では、穿刺パターンの使用は、製作者が新たな文脈で自然のパターンを模倣して移そうとしたので、容易に識別できます。これらは、フォーゲルヘルト洞窟におけるネコ科とマスの皮の模造や、フランスのラ・ソウケット(La Souquette)遺跡とアブリ・キャスタネット(Abri Castanet)遺跡における貝殻のさまざまな種類の複製や、スンギール遺跡におけるウマの皮の模写です。さらに、穿刺は、ガイセンクレステレ洞窟の擬人化の後部、スンギール遺跡の穿孔杖、ヤナ遺跡の象牙製王冠と針で見られるように、単純な装飾としても機能する可能性があります。動産芸術と身体装飾の正確な異文化比較は、とくにヨーロッパでは、上部旧石器時代の始まりにおける現生人類集団間の同時代性と社会文化的つながりに関する議論されてきた問題を解決するには、これら小像と装飾品のいくつかの直接的な放射性炭素年代測定が必要です。

 放射性炭素時計の正確な刻みを用いて旧石器時代芸術を調べるのは、とくに貴重で独特な人工物の破壊を伴う場合、困難です。しかし、更新された放射性炭素前処理と、非破壊的にコラーゲンの保存を定量化するNIR分光法前検査と、最新のAMS機器の発展の較正曲線を組み合わせることで、小さく、ひじょうに貴重な装飾品の直接的年代測定への以前の限界を克服し、代わりに数世紀の精度の放射性炭素年代と直接的に関連づけられます。スタイニャ洞窟の装飾された象牙製ペンダントの41500年前頃という較正年代は、ヒトの進化における象徴的行動と現代的認知の出現に関する興味深い難問の解決のために、芸術を直接的に年代測定することの重要性を強調します。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。


考古学:人類がユーラシアで宝飾品の装飾をしたことを示す最古の証拠

 マンモスの骨から作られ、装飾された楕円形のペンダントが、4万1500年前のものとされ、人類が装飾を施した宝飾品の最古の実例になったことを報告する論文が、Scientific Reports に掲載される。

 今回、Sahra Talamoたちは、2010年にポーランドのスタイニャ洞窟で発見されたペンダントと馬の骨でできた道具である千枚通しを分析した。Talamoたちは、高度な放射性炭素年代測定法を用いて、ペンダント、千枚通し、骨断片の年代を後期旧石器時代初期(4万2000~3万7000年前)と決定した。放射性炭素年代測定法は、放射性炭素の存在量を測定することによって有機試料の年代を決定する方法だ。Talamoたちによると、これらの出土品は、ユーラシアで人類が宝飾品の装飾をしていたことを示す最古の証拠であり、人類の進化における象徴的行動の出現だとされる。

 このペンダントの装飾として、50か所以上の穿刺跡が不規則なループ状曲線に並んだパターンと、2つの完全な穴が見つかった。Talamoたちは、この刻み目のパターンが、その後の時代のものとしてヨーロッパで発見された宝飾品における刻み目に似ており、獲物の数を記録したもの(数学的な計数システム)、あるいは月や太陽の約1か月の周期に対応する陰暦表記である可能性を指摘している。

 Talamoたちは、ペンダントと骨製千枚通しと共に動物の骨が存在することは、人類がユーラシア全土に広がり始めた4万1500年前に、携帯できる小さな芸術作品を作製し始めたことを示していると考えられると述べている。



参考文献:
Talamo S. et al.(2021): A 41,500 year-old decorated ivory pendant from Stajnia Cave (Poland). Scientific Reports, 11, 22078.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-01221-6

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