江戸時代の人々の口腔内細菌叢

 江戸時代の人々の口腔内細菌叢に関する研究(Shiba et al., 2021)が公表されました。日本語の解説記事もあります。歯垢が石灰化することで形成される歯石には、食物や細菌のDNAが含まれています。歯石から抽出されたDNAを用いたゲノム解析により、当時の食生活や病気に関連した情報を入手可能であることが近年報告され、注目されています。これまでにも、古代人遺骸に付着した歯石を対象とした細菌ゲノム研究は行なわれていましたが、その報告の多くは西洋を対象としており、日本列島の古代人の歯石を対象にした細菌叢解析の報告はまだほとんど存在していません。

 江戸時代初期には房楊枝や歯磨き粉を用いた歯磨き習慣があるものの、これまでの研究報告から当時の人々も、齲蝕や歯周病といった疾患に罹患していた痕跡がある、と報告されていました。現代でも歯周病の原因菌とされる細菌がネアンデルタール人で検出された、と報告されており(関連記事)、古代より歯周病の原因菌が変わっていない可能性も指摘されていました。一方で、日本は周りを海に囲まれた島国であることに加え、江戸時代(1603~1867年)は鎖国状態であったために異国との接触がほとんどなかった、と知られています。そのような社会的背景や、現代と異なる文化・食生活が発展していたことから、口腔内細菌組成も現代と異なる構成により成立していたことが推測されるだけでなく、歯周病の原因菌も異国との交流が多くある現代の日本とでは異なるかもしれない、と考えられます。

 この研究は、江戸時代の深川に位置する雲光院(東京都江東区三好)で発掘された江戸時代後期のヒト(町人)12個体の遺骸に付着していた歯石より抽出した細菌のDNAから、当時の口腔疾患罹患状況と口腔内の細菌組成を評価しました。マイクロコンピュータ断層撮影法(高分解能のX線CT撮影装置を用いた画像解析)を用いた歯周病診断により、約4割を超える個体に歯周病が原因と推察される歯槽骨吸収を認め、歯周病に罹患していた、と明らかになりました。この研究はさらに、遺骸に付着した歯石から抽出されたDNAを対象にメタ16S解析法(標本中の細菌を単離・培養せず、細菌の保有する16SリボソームRNA遺伝子の配列を読み取り、菌種の構成を特定する方法)を用いた細菌叢解析により、現代日本人の歯垢における細菌叢と比較し、時代間の口腔内の細菌組成の変化を検討しました。

 その結果、11系統の細菌門が江戸時代と現代日本人の標本から共通して検出された一方、フソバクテリウム(Fusobacteria)門、SR1門、GN02 (Gracilibacteria) 門は現代日本人の歯垢でのみ検出されました。また、歯周炎の代表的な病原菌であるレッドコンプレックス(歯周病の発症に関連が深いとされる菌種群の総称、Porphyromonas gingivalis,Tannerella forsythia、Treponema denticola)は、現代日本人の歯垢から多く検出される一方で、江戸時代の歯石からは検出されない、と明らかになりました。細菌種間の相関関係をネットワーク解析(相関する細菌や遺伝子に線を引き可視化することで重要となる細菌や遺伝子を選定する解析手法)により調べると、江戸時代と現代では細菌種同士の関係性が異なり、特にユウバクテリウム(Eubacterium)属、モリクテス(Mollicutes)属、トレポネーマ属細菌(Treponema socranskii)といった細菌が、江戸時代の歯周病細菌ネットワークで特徴的に重要となる細菌だったかもしれない、と示唆されました。

 口腔内の細菌組成は食事や生活習慣などの環境要因により変化する、と知られています。日本が島国であることに加えて、江戸時代は約200年間にわたって実施されたいわゆる鎖国政策により、日本と諸外国との貿易が極端に制限されたことで外国からの細菌伝播が少なかったことから、江戸時代の人々は現代と異なる独特な細菌組成を持っていた可能性が示唆されました。この研究の新たな発見は、歯周病の成り立ちと原因について新しい知見を見出すと同時に、社会的背景が口腔内の細菌組成に及ぼす影響について重大な洞察をもたらす、と考えられます。この手法を先史時代などさまざまな遺跡の試料に適用することで、過去の人類における口腔疾患への罹患状況やその原因となる細菌種を明らかできるのではないか、と期待されます。


参考文献:
Shiba T. et al.(2021): Comparison of Periodontal Bacteria of Edo and Modern Periods Using Novel Diagnostic Approach for Periodontitis With Micro-CT. Frontiers in Cellular and Infection Microbiology, 11, 723821.
https://doi.org/10.3389/fcimb.2021.723821

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