弥生時代と古墳時代の人類の核ゲノム解析まとめ
以前、縄文時代の人類の核ゲノム解析結果をまとめたので(関連記事)、弥生時代と古墳時代についても、当ブログで取り上げた分を同様にまとめます。まず弥生時代について、現時点で核ゲノムデータが得られている最古の個体となりそうなのは、佐賀県唐津市大友遺跡の女性(大友8号)です(神澤他.,2021A、関連記事)。大友8号の年代は2730~2530年前頃(弥生時代早期)で、mtDNAハプログループ(mtHg)はM7a1a6です。大友8号は、既知の古代人および現代人との比較で、東日本の「縄文人」とまとまりを形成します。詳細を把握していませんが、東北地方の弥生時代の男性も核ゲノム解析では既知の「縄文人」の範疇に収まります(篠田.,2019,P173-174、関連記事)
弥生時代中期では、九州北部で複数の人類遺骸から核ゲノムデータが得られています。そのうち、福岡県那珂川市の安徳台遺跡の1個体(安徳台5号)は形態学的に「渡来系弥生人」と評価されていますが、核ゲノム解析により現代日本人(東京)の範疇に収まる、と指摘されています(篠田他.,2020、関連記事)。大友8号は遺伝的に「縄文人」と言えるわけです。同じく弥生時代中期の形態学的に「渡来系弥生人」とされる福岡県筑紫野市の隈・西小田遺跡の個体も、核ゲノム解析では現代日本人(東京)の範疇に収まります(Robbeets et al., 2021、関連記事)。一方、弥生時代中期でも安徳台5号や隈・西小田遺跡個体よりも新しく、形態学的に「縄文人」と近いと指摘されている、長崎県佐世保市の下本山岩陰遺跡の2個体(下本山2号および3号)は、相互に違いはあるものの、遺伝的には現代日本人と「縄文人」との中間に位置づけられます(篠田他.,2019、関連記事)。以下は安徳台5号と下本山2号および3号の核ゲノムデータに基づく主成分分析結果を示した篠田他.,2020の図2です。
下本山岩陰遺跡の2個体の核ゲノムは、「縄文人」構成要素の割合が50~60%程度とモデル化されており、現代日本人(東京)よりもかなり高くなっています(Cooke et al., 2021、関連記事)。一方、現代日本人(東京)と比較しての「縄文人」構成要素の割合は、安徳台5号ではやや高く、隈・西小田遺跡個体ではやや低くなります(Robbeets et al., 2021)。これらの事例から、弥生時代の人類の遺伝的構成は、「縄文人」そのものから現代日本人に近いものまで、地域と年代により大きな違いがあった、と推測されます。
同一遺跡では、弥生時代前期末から古墳時代初期の鳥取県鳥取市(旧気高郡)青谷町の青谷上寺遺跡で、弥生時代中期~後期の人類遺骸の核ゲノムデータが得られています(神澤他.,2021B、関連記事)。核ゲノム解析結果に基づく青谷上寺遺跡個体群の遺伝的特徴は、現代日本人(東京)の範疇に収まるか、そこに近く、違いが大きいことです。これは、経時的な「渡来系」と「在来系」の混合の進展を反映しているかもしれません。つまり、青谷上寺遺跡集団は遺伝的に長期にわたって孤立していたのではなく、日本列島外もしくは日本列島内の他地域との混合があったのではないか、というわけです。青谷上寺遺跡の事例からも、弥生時代の人類の遺伝的構成には大きな違いがあった、と改めて言えそうです。
古墳時代では、石川県金沢市の岩出横穴墓で末期となる3個体(JpIw32とJpIw31とJpIw33)の核ゲノムデータが得られています(Cooke et al., 2021)。この3個体は遺伝的に現代日本人(東京)と類似しているものの、「縄文人」構成要素の割合は現代日本人(東京)よりもやや高くなっています。古墳時代前期となる香川県高松市の高松茶臼山古墳の男性被葬者(茶臼山3号)も、核ゲノムデータに基づくと現代日本人(東京)の範疇に収まるものの、「縄文人」構成要素の割合は現代日本人(東京)よりもやや高くなっています(神澤他.,2021C、関連記事)。島根県出雲市猪目洞窟遺跡で発見された古墳時代末期(猪目3-2-1号)と奈良時代(猪目3-2-2号)の個体でも、茶臼山3号とほぼ同様の結果が得られています(神澤他.,2021D、関連記事)。
このように、やや「縄文人」構成要素の割合が高いとはいえ、古墳時代には遺伝的に現代日本人(東京)の範疇に収まる個体が、九州に限らず広く東日本でも確認されています。一方で、和歌山県田辺市の磯間岩陰遺跡の第1号石室1号(紀元後398~468年頃)および2号(紀元後407~535年頃)の核ゲノム解析では、両者が他の古墳時代個体や現代日本人(東京)よりも弥生時代中期の下本山2号および3号に近く、「縄文人」構成要素の割合は、第1号石室1号が52.9~56.4%、2号が42.4~51.6%と推定されています(安達他.,2021、関連記事)。以下は、磯間岩陰遺跡の2個体の核ゲノムデータに基づく主成分分析結果を示した安達他.,2021の図1です。
このように、古墳時代の近畿地方(畿内ではありませんが)においてさえ、現代日本人の平均よりもずっと「縄文人」の遺伝的影響が高い、と推定される個体が確認されています。現代日本人の基本的な遺伝的構成の確立は、少なくとも平安時代まで視野に入れる必要があり、さらに言えば、中世後期に安定した村落(惣村)が成立していくこととも深く関わっているのではないか、と現時点では予測していますが、この私見の妥当性の判断は、歴史時代も含めた古代ゲノム研究の進展を俟つしかありません。もちろん、現代(Watanabe et al., 2021、関連記事)がそうであるように、中世と近世においても地域差はあったでしょうし、さらに階層差がどの程度あったのかという点でも、研究の進展が期待されます。
参考文献:
Cooke H. et al.(2021): Ancient genomics reveals tripartite origins of Japanese populations. Science Advances, 7, 38, eabh2419.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abh2419
関連記事
Robbeets M. et al.(2021): Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages. Research Square.
https://doi.org/10.21203/rs.3.rs-255765/v1
関連記事
Watanabe Y, Isshiki M, and Ohashi J.(2021): Prefecture-level population structure of the Japanese based on SNP genotypes of 11,069 individuals. Journal of Human Genetics, 66, 4, 431–437.
https://doi.org/10.1038/s10038-020-00847-0
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安達登、神澤秀明、藤井元人、清家章(2021)「磯間岩陰遺跡出土人骨のDNA分析」清家章編『磯間岩陰遺跡の研究分析・考察』P105-118
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神澤秀明、角田恒雄、安達登、篠田謙一(2021A)「佐賀県唐津市大友遺跡第5次調査出土弥生人骨の核DNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P385-393
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神澤秀明、角田恒雄、安達登、篠田謙一(2021B)「鳥取県鳥取市青谷上寺遺跡出土弥生後期人骨の核DNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P295-307
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神澤秀明、角田恒雄、安達登、篠田謙一(2021C)「香川県高松市茶臼山古墳出土古墳前期人骨の核DNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P369-373
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神澤秀明、角田恒雄、安達登、篠田謙一、斎藤成也(2021D)「島根県出雲市猪目洞窟遺跡出土人骨の核DNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P329-340
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篠田謙一(2019)『日本人になった祖先たち DNAが解明する多元的構造』(NHK出版)
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篠田謙一、神澤秀明、角田恒雄、安達登(2019)「西北九州弥生人の遺伝的な特徴―佐世保市下本山岩陰遺跡出土人骨の核ゲノム解析―」『Anthropological Science (Japanese Series)』119巻1号P25-43
https://doi.org/10.1537/asj.1904231
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篠田謙一、神澤秀明、角田恒雄、安達登(2020)「福岡県那珂川市安徳台遺跡出土弥生中期人骨のDNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第219集P199-210
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下本山岩陰遺跡の2個体の核ゲノムは、「縄文人」構成要素の割合が50~60%程度とモデル化されており、現代日本人(東京)よりもかなり高くなっています(Cooke et al., 2021、関連記事)。一方、現代日本人(東京)と比較しての「縄文人」構成要素の割合は、安徳台5号ではやや高く、隈・西小田遺跡個体ではやや低くなります(Robbeets et al., 2021)。これらの事例から、弥生時代の人類の遺伝的構成は、「縄文人」そのものから現代日本人に近いものまで、地域と年代により大きな違いがあった、と推測されます。
同一遺跡では、弥生時代前期末から古墳時代初期の鳥取県鳥取市(旧気高郡)青谷町の青谷上寺遺跡で、弥生時代中期~後期の人類遺骸の核ゲノムデータが得られています(神澤他.,2021B、関連記事)。核ゲノム解析結果に基づく青谷上寺遺跡個体群の遺伝的特徴は、現代日本人(東京)の範疇に収まるか、そこに近く、違いが大きいことです。これは、経時的な「渡来系」と「在来系」の混合の進展を反映しているかもしれません。つまり、青谷上寺遺跡集団は遺伝的に長期にわたって孤立していたのではなく、日本列島外もしくは日本列島内の他地域との混合があったのではないか、というわけです。青谷上寺遺跡の事例からも、弥生時代の人類の遺伝的構成には大きな違いがあった、と改めて言えそうです。
古墳時代では、石川県金沢市の岩出横穴墓で末期となる3個体(JpIw32とJpIw31とJpIw33)の核ゲノムデータが得られています(Cooke et al., 2021)。この3個体は遺伝的に現代日本人(東京)と類似しているものの、「縄文人」構成要素の割合は現代日本人(東京)よりもやや高くなっています。古墳時代前期となる香川県高松市の高松茶臼山古墳の男性被葬者(茶臼山3号)も、核ゲノムデータに基づくと現代日本人(東京)の範疇に収まるものの、「縄文人」構成要素の割合は現代日本人(東京)よりもやや高くなっています(神澤他.,2021C、関連記事)。島根県出雲市猪目洞窟遺跡で発見された古墳時代末期(猪目3-2-1号)と奈良時代(猪目3-2-2号)の個体でも、茶臼山3号とほぼ同様の結果が得られています(神澤他.,2021D、関連記事)。
このように、やや「縄文人」構成要素の割合が高いとはいえ、古墳時代には遺伝的に現代日本人(東京)の範疇に収まる個体が、九州に限らず広く東日本でも確認されています。一方で、和歌山県田辺市の磯間岩陰遺跡の第1号石室1号(紀元後398~468年頃)および2号(紀元後407~535年頃)の核ゲノム解析では、両者が他の古墳時代個体や現代日本人(東京)よりも弥生時代中期の下本山2号および3号に近く、「縄文人」構成要素の割合は、第1号石室1号が52.9~56.4%、2号が42.4~51.6%と推定されています(安達他.,2021、関連記事)。以下は、磯間岩陰遺跡の2個体の核ゲノムデータに基づく主成分分析結果を示した安達他.,2021の図1です。
このように、古墳時代の近畿地方(畿内ではありませんが)においてさえ、現代日本人の平均よりもずっと「縄文人」の遺伝的影響が高い、と推定される個体が確認されています。現代日本人の基本的な遺伝的構成の確立は、少なくとも平安時代まで視野に入れる必要があり、さらに言えば、中世後期に安定した村落(惣村)が成立していくこととも深く関わっているのではないか、と現時点では予測していますが、この私見の妥当性の判断は、歴史時代も含めた古代ゲノム研究の進展を俟つしかありません。もちろん、現代(Watanabe et al., 2021、関連記事)がそうであるように、中世と近世においても地域差はあったでしょうし、さらに階層差がどの程度あったのかという点でも、研究の進展が期待されます。
参考文献:
Cooke H. et al.(2021): Ancient genomics reveals tripartite origins of Japanese populations. Science Advances, 7, 38, eabh2419.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abh2419
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Robbeets M. et al.(2021): Triangulation supports agricultural spread of the Transeurasian languages. Research Square.
https://doi.org/10.21203/rs.3.rs-255765/v1
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https://doi.org/10.1537/asj.1904231
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