最古のデニソワ人のmtDNA分析とその文化的適応
種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の最古となる遺骸のミトコンドリアDNA(mtDNA)分析と関連する石器群についての研究(Brown et al., 2022)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。更新世人類遺骸の同定と分析は、ヒトの進化と相互作用と適応の支配的過程の解明の基礎を形成していますが、新たなヒト化石の発見が大きな困難を提示し続けています。発掘調査と考古学における最近の発展は、ヒト遺骸が、とくに儀礼的な埋葬が観察されない先史時代の文脈では稀にしか同定されない、という避けられない問題を覆すことができません。
これはとくにデニソワ人について当てはまります。デニソワ人はネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の姉妹集団で、その発見は後期更新世のユーラシアにおける人類の多様性の理解を根本的に変えました。デニソワ人個体(デニソワ3号)の高網羅率の核ゲノム(関連記事)から、デニソワ人は44万~39万年前頃にネアンデルタール人との共通祖先から分岐した、と示されました(関連記事)。オーストラリア先住民とパプアニューギニア人、およびアジア東部と南東部の現代人におけるデニソワ人祖先系統(祖先系譜、祖先成分、ancestry)の特定により、現生人類(Homo sapiens)は少なくとも2つの異なるデニソワ人集団と遭遇して混合した、と推測されました(関連記事1および関連記事2)。これは、デニソワ人がアジア大陸とアジア南東部島嶼部と近オセアニア(ニアオセアニア)に広がっていた可能性を高めます。
これまで、DNA分析に基づいてデニソワ人と同定されたのは、小さくひじょうに断片化された化石5点だけで、その全てはシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見されました(関連記事)。それは、摩耗して不完全な大臼歯(デニソワ2・4・8号)と、部分的な指骨(デニソワ3号)と小さな骨片(デニソワ11号)です。デニソワ3号のみで全ゲノム配列に充分なDNAが得られています。したがって、乏しいDNA保存と現代の汚染により、これまで他の標本の核ゲノム分析が妨げられてきました。デニソワ洞窟外では、中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)の下顎骨が、プロテオーム(タンパク質の総体)解析により暫定的にデニソワ人に分類され(関連記事)、さらに堆積物DNAにより、白石崖溶洞におけるデニソワ人の存在が確認されました(関連記事)。
プロテオーム研究、とくにペプチドフィンガープリント法もしくはZooMS(Zooarchaeology by Mass Spectrometry、質量分光測定による動物考古学)の一般的な応用の増加における発展は、コラーゲンの特性分析に基づく骨の分類学的特定を通じて、遺跡における人類の存在の判断にとって効率的な方法である、と示されてきました(関連記事)。脊椎動物では、プロテオーム解析は属もしくは科の水準での識別に一般的に用いられており、場合によっては、種間の決定にも適用可能です。ZooMSは、その時間的にも費用的にもひじょうに効率的な性質、DNAを含む他の生体分子と比較してのコラーゲンの再現性と長期保存により、断片的で形態学的に診断できない骨の識別ではひじょうに貴重な判別検査となります。ZooMSはデニソワ11号を含む大規模な骨の集合において人類遺骸を特定するのに用いられてきました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。デニソワ11号は、ネアンデルタール人の母親とデニソワ人の父親との間の娘です(関連記事)。
本論文は、デニソワ洞窟の同定されていない骨への、ペプチド質量フィンガープリント法の高処理適用を提示します。アルタイ山脈北西部に位置するデニソワ洞窟は、中期更新世から完新世までとなるユーラシア北部で最長の考古学的系列を保存しています(関連記事)。デニソワ洞窟には豊富な層序記録があり、中期および後期更新世の文化と動物相と化石遺骸でひじょうに有名です。デニソワ洞窟は、系列全体のいくつかの層において、デニソワ人とネアンデルタール人の存在が化石と洞窟堆積物(関連記事)の両方から回収されたDNAに基づいて確定された唯一の遺跡です。さらにデニソワ洞窟では、堆積物から回収されたミトコンドリアDNA(mtDNA)に基づいて、初期現生人類(Homo sapiens)の存在も確証されました。良好な生体分子の保存と、豊富な考古学的遺物と、複数の人類集団の存在の組み合わせにより、デニソワ洞窟は更新世ユーラシアにとって最も多くの情報をもたらす遺跡の一つになっています。
診断できない骨片は、ヒト化石の可能性を有する重要ではあるもののまだ利用されていない供給源で、デニソワ洞窟において発掘された骨の95%を占めています。デニソワ洞窟の3ヶ所の探索された回廊のうち1ヶ所である東空洞の3791点の骨片に、ZooMSが適用されました。骨片は、巨視的識別を妨げる診断できる特徴が欠けているものが、とくに選ばれました。分析された骨は、東空洞の第9・11・12・13・14・15層で発見されました。第17層の少ない骨の集合も分析され、その中には人類居住の考古学的証拠が含まれません(第10・16層は文化的痕跡のない堆積物で構成されています)。分析された骨の大半は、以前には人類の骨が見つかっていなかった第14・15層で発掘されましたが、東空洞で考古学的に最下層となる第15層では、以前に堆積物からデニソワ人のDNAが得られています(関連記事)。それぞれの骨は約20mg削られ、確立したZooMS実施要綱にしたがって、マトリックス支援レーザー脱離/電離時間型飛行(MALDI-TOF)質量分光計を用いて、分類学的識別が実行されました。分析された骨の大半は大型草食動物(ウシ属/バイソン属やウマ科やシカ科)と肉食動物で、形態学的分析を通じてデニソワ洞窟で以前に識別された動物相と妥当に一致します。
●ZooMS
5点の骨片(図1a)から、ヒト科(大型類人猿)と一致する特徴的な標識を有するペプチド質量フィンガープリントが生成されました(図1b)。その内訳は、第15層からが4点(DC7277とDC7795とDC8591とDC8846)、第12層からが1点(DC4969)です。アルタイ山脈では大型類人猿が知られていないことを考えると、これらの骨はほぼ確実にヒトに分類されます。ZooMSを用いて特定されたヒト化石は現在、デニソワ洞窟で発見された人類(ヒト亜科)の骨の多く(17点の化石のうち9点)を占めます。以下は本論文の図1です。
●microCT分析
骨片の形態をデジタルで保存するため、5点の標本のうち4点が、microCTシステム(Bruker SkyScan 2211 X-ray Nanotomograph)でスキャンされました。古代DNAへのX線照射の劣化効果を避けるため、以前の研究の推奨に従って、0.020~0.023mmの破壊で画像空間解像度が用いられました。化石骨の3D表面は、microCTスキャンから抽出されました。
●mtDNA分析
ペプチド質量フィンガープリント法はヒト科における下位の具体的な分類学的割り当てには使えないので、mtDNAに基づいて、これら5点の人類の骨の分類が特定されました。それぞれの骨からの古代人のDNAの抽出と配列決定と証明は、公開されている手順に従いました。mtDNA濃縮手法を用いて、古代人の充分なDNAが分離され、5点の標本のうち4点のミトコンドリアゲノムが復元されました。それは、デニソワ17号(DC4969)と19号(DC8846)と20号(DC7795)と21号(DC8591)です。これらはそれぞれ、2698倍、15倍、31倍、28倍の平均網羅率で配列されました。ペアワイズ差異および系統発生分析により、デニソワ17号のmtDNAはネアンデルタール人のmtDNAの多様性内に収まったものの、デニソワ19・20・21号はデニソワ人のmtDNAの多様性内に収まりました(図2)。デニソワ18号(DC7277)の古代DNA断片は、人類集団と確実に関連づけるには少なすぎました。以下は本論文の図2です。
●考察
アルタイ山脈におけるネアンデルタール人の存在は元々、mtDNAの証拠に基づいて、デニソワ洞窟の北方50kmに位置するオクラドニコフ洞窟(Okladnikov Cave)で特定されました(関連記事)。さらなる考古学および遺伝学のデータから、ネアンデルタール人はシベリアにおいて何回か別々の時期に存在した、と示唆されました(関連記事1および関連記事2)。ネアンデルタール人はデニソワ洞窟において、遅くとも15万~13万年前頃には出現しました(関連記事)。これまでデニソワ洞窟東空洞ではネアンデルタール人の化石が5点発見されたことになり、そのうち第12層が3点(デニソワ9・11・17号)、第11.4層が2点(デニソワ5・15号)です(図3a)。東空洞の第14層の単一の堆積物標本からはネアンデルタール人のDNAが得られていますが(関連記事)、この兆候を再現して確証するには、さらなる研究が必要です。
本論文では、新たに特定されたネアンデルタール人(デニソワ17号)のmtDNAの分子年代が、BEAST v.1.10.4に実装されたベイズ年代測定と、較正点としての放射性炭素年代測定されたネアンデルタール人12個体のmtDNAを用いて、最高事後密度(highest posterior density、HPD)95%で177000~94000年前(134000年前頃)と推定されました。系統発生推論から、デニソワ17号のmtDNAは、相互により密接に関連しているデニソワ洞窟の他のネアンデルタール人2個体(デニソワ5・15号)と、より遠くに関連していると示されます(図2a)。対照的に、デニソワ11号のmtDNAは、ユーラシア西部、およびオクラドニコフ洞窟とチャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)のネアンデルタール人のmtDNAとより密接に関連しています(図2a)。
ネアンデルタール人とデニソワ人との間の遺伝子流動は、両者のより早期の相互作用の追加の間接的証拠を提供します。たとえば、デニソワ人女性(デニソワ2号)のゲノム分析により、デニソワ2号はその1500年前頃となる遺伝子移入に由来するネアンデルタール人の祖先系統を有しており、その年代は早ければ25万~20万年前頃になる、と明らかになりました(関連記事)。より上の層序系列で回収された他のデニソワ人2個体(デニソワ8・3号)も、異なるネアンデルタール人2集団からの遺伝子移入を示します(関連記事)。これらの交雑事象は、どこで起きたのか識別することはできませんが、20万年以上前のネアンデルタール人とデニソワ人両集団からアルタイ山脈における両者の消滅の5万年前頃までの、共存と頻繁な相互作用の可能性の証拠を提供します。
ネアンデルタール人の存在は、デニソワ洞窟における最終間氷期、つまり海洋酸素同位体ステージ(MIS)5ではより顕著ですが、アルタイ山脈では不連続であり(関連記事)、ユーラシアの広範な地域にまたがるネアンデルタール人集団の時折の東方への移動を反映しているかもしれません。デニソワ人からヨーロッパの後期ネアンデルタール人への遺伝子流動はこれまで特定されていないので、これらの相互作用はユーラシア北東部で起きた可能性が最も高そうです。とくにアルタイ山脈は、デニソワ人集団とネアンデルタール人集団の両方が15万年以上重複していた地帯のようで、この長期にわたる集団混合と異なる人口集団の維持があり、おそらくは促進されました。以下は本論文の図3です。
デニソワ人型のmtDNAを有する3標本(デニソワ19・20・21号)は全て、東空洞の第15層に由来します。デニソワ19号とデニソワ21号のミトコンドリア配列は同一なので、同じ個体か母系の親族である可能性が示唆されます。デニソワ19・21号は、4ヶ所の置換によりデニソワ20号とは異なります。系統樹では、新たに特定されたデニソワ人のmtDNAは、デニソワ2号(主空洞の第22.1層)およびデニソワ8号(東空洞の第11.4層)とクレード(単系統群)を形成し、それぞれ20ヶ所と30ヶ所の置換により異なります(図2b)。節約分析は一貫して、デニソワ19・20・21号がデニソワ2号と類似もしくはやや古い年代で、デニソワ8号とデニソワ3号(東空洞の第11.2層)とデニソワ4号(南空洞の第11.1層)よりもかなり古いことと一致します。
新たに特定された化石のmtDNAの年代推定値と、デニソワ2号との関係は、全体的な層序状況および、絶対年代と考古学的系列と人類集団に基づいてデニソワ洞窟の3ヶ所の空洞を相互に相関させようとした以前の試みと一致します。その以前の研究(関連記事)では、最初のデニソワ人(デニソワ2号)の年代が、光学と遺伝学と層序学の年代測定を組み込んだベイズ手法により194000~122000年前頃、もしくは光学的年代測定のみに基づいて早ければ28万年前頃と推定されました。デニソワ2号は1984年に主空洞で発見され、その状況の確実性には疑問が呈されてきましたが、本論文で報告された新たな化石は2012~2013年に確実な状況で発掘されました。
第15層は東空洞の最古の考古学的層位で、既知の光学的年代のベイズモデル化に基づいて、20万年前頃(信頼区間68.2%で205000~192000年前、信頼区間95.4%で217000~187000年前)と推定されています(図3a)。これらの年代推定値をベイズ統計枠組みの較正点として用いて、新たなデニソワ人3個体と既知のデニソワ人4個体の分岐年代は、間氷期となるMIS7の229000年前頃(HPD95%で252000~206000年前)と推定されました。mtDNAの年代と、第15層の確立した年代は、デニソワ19・20・21号もしくはその母系親族が、現在記録されている最古のデニソワ人と示します。
東空洞の考古学的に最下層となる第15層におけるデニソワ人型のmtDNAを有する個体群の存在は、この人類集団のより広範な考古学的および生計の状況の検討機会を提供します。これまでそうした検討は、デニソワ人化石が、考古学的物質の乏しい層か、ネアンデルタール人との共存の可能性を除外できない層に由来するため、不可能でした。デニソワ19・20・21号の年代はMIS7となる第二間氷期となり(図3b)、この時期は現代に匹敵する条件の温暖な気候で、アルタイ山脈は人類の拡大と居住強化に適した場になったでしょう。
この期間にデニソワ洞窟付近では、広葉樹林と開けた草原景観を含む、斑状の景観を検出できます。伝統的な動物考古学分析とZooMS分析の両方により明らかにされたのは、デニソワ洞窟の居住者がこうした環境に生息するさまざまな分類群を標的としていた、ということです。そうした獲物には間氷期森林地帯や森林と草原の混在地帯の種が含まれ、たとえばシベリアノロジカ(Capreolus pygargus)やシベリアアカシカ(Cervus elaphus)やギガンテウスオオツノジカ(Megaloceros giganteus)です。より開けた地域に典型的な種では、ユーラシア絶滅シマウマ(Equus ovodovi)や野生ウマ(Equus ferus)やステップバイソン(Bison priscus)やケブカサイ(Coelodonta antiquitatis)やモンゴルガゼル(Gazella guttursza)です。
切断や燃焼や屠殺の解体痕など動物の骨の頻繁な人為的影響は、これらの種が定期的にヒトにより獲得されていたことを確証します。しかし、ヒトはデニソワ洞窟にはこの期間の唯一の居住者ではなかったようです。第15層の巨視的に識別された動物相群の約1/4は、肉食動物、おもにハイイロオオカミ(Canis lupus)とアカオオカミ(Cuon alpinus)で構成されていました。肉食動物分類群のこの高い割合から、ヒトはこれらの捕食者と、資源および恐らくは洞窟自体を巡って積極的に競争していたかもしれない、と示唆されます。
考古学的に、東空洞の第15層(および第14層)にはデニソワ洞窟の全系列で最高頻度の石器が含まれており、1m²あたり3000点以上となります。石器群は、円盤状、ルヴァロワ(Levallois)式、平行石核で構成され、一次縮小技術を用いて剥片が製作されます(図4)。スクレイパーが主要な石器様式となり、急勾配のキーナ(Quina)型再加工により形成されたものや、突出的で鋸歯緑的で刻み目のある形態などが含まれます。大型の側部が薄くなり、基底部が切断された剥片、もしくは切断され面を刻んだ剥片が典型的な断片です。縦方向の背部の痕跡パターンを有する石刃も、少数存在しています。第15層の再加工された剥片から収集された有機残留物の分析により、飽和および不飽和脂肪酸が明らかになり、骨と植物の微小残留物の欠如とともに提案された使用は、擦り落としと切断および/もしくは鋸切断など、動物の皮膚の処理でした。以下は本論文の図4です。
それら石器群の技術分類的特徴と年代層序学的位置に基づいて、東空洞の第14・15層の石器群は、アジア北部および中央部には直接的対応物がない中部旧石器インダストリーに分類されました。さらに遠方に目を向けるならば、最も近い平行石器群は近東のアシュール・ヤブルディアン(Acheulo-Yabrudian)文化複合(AYCC)です。AYCCは、40万/35万~25万年前頃となる、タブン(Tabun)やケセム(Qesem)やハヨニム(Hayonim)やミスリヤ(Misliya)などいくつかの洞窟(おもに)と、開地遺跡で同定されてきました。これは、前期旧石器時代から中期旧石器時代への移行期で、人類の適応および認知能力における大きな変化、および大きな技術的および生計の革新と関連しています。これらには、とりわけ火の習慣的使用(関連記事)と、ダマジカなど中型の有蹄類の体系的な狩りと屠殺が含まれます。
デニソワ洞窟東空洞の第14層と第15層のAYCC間の技術分類的類似性は、側部が薄くなり、基底部が切断された剥片の同等の形態と、鋸歯緑的で刻み目のある石器であるキーナ式スクレイパーの存在を含みます。デニソワ洞窟の石器群には両面石器がありません。両面石器はAYCCのアシューリアン(Acheulean)変異型の典型的要素ですが、第14層と第15層では稀か欠けています。しかし、レヴァントとアルタイ山脈との間の類似の石器技術伝統の中間の存在はなく、アルタイ山脈とチベット高原以外ではデニソワ人と直接的に関連するかもしれない人類遺骸がないので、デニソワ人の文化的適応と革新をめぐる問題の解決には、将来の研究が必要です。最初のデニソワ人の層の石器構成要素を特徴づける注目される試みが現在進行中で、将来は経時的なデニソワ人の道具一式の進化をさらに理解できるでしょう。
現代人におけるデニソワ人由来のDNAの分布から、デニソワ人は広範に拡散しており、更新世アジアの広い地域に居住し、その人口集団には時空間的な構造があった、と示唆されます(関連記事1および関連記事2)。シベリアとアジア東部の現代人およびアメリカ大陸先住民において遺伝子移入されたデニソワ人のDNAは、デニソワ3号の高品質なゲノムと最高の類似性を共有します。しかし、本論文で特定されたより古いデニソワ人3個体(デニソワ19・20・21号)のmtDNAは、デニソワ3号とは異なる系統に分類されます。これら初期デニソワ人が、アジア南東部島嶼部およびニューギニア島に居住している現代人の祖先と混合したデニソワ人(関連記事)とより密接に関連しているのかどうか確定するには、これらデニソワ人個体の核DNAの特性評価が必要です。
参考文献:
Brown S. et al.(2022): The earliest Denisovans and their cultural adaptation. Nature Ecology & Evolution, 6, 1, 28–35.
https://doi.org/10.1038/s41559-021-01581-2
これはとくにデニソワ人について当てはまります。デニソワ人はネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の姉妹集団で、その発見は後期更新世のユーラシアにおける人類の多様性の理解を根本的に変えました。デニソワ人個体(デニソワ3号)の高網羅率の核ゲノム(関連記事)から、デニソワ人は44万~39万年前頃にネアンデルタール人との共通祖先から分岐した、と示されました(関連記事)。オーストラリア先住民とパプアニューギニア人、およびアジア東部と南東部の現代人におけるデニソワ人祖先系統(祖先系譜、祖先成分、ancestry)の特定により、現生人類(Homo sapiens)は少なくとも2つの異なるデニソワ人集団と遭遇して混合した、と推測されました(関連記事1および関連記事2)。これは、デニソワ人がアジア大陸とアジア南東部島嶼部と近オセアニア(ニアオセアニア)に広がっていた可能性を高めます。
これまで、DNA分析に基づいてデニソワ人と同定されたのは、小さくひじょうに断片化された化石5点だけで、その全てはシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)で発見されました(関連記事)。それは、摩耗して不完全な大臼歯(デニソワ2・4・8号)と、部分的な指骨(デニソワ3号)と小さな骨片(デニソワ11号)です。デニソワ3号のみで全ゲノム配列に充分なDNAが得られています。したがって、乏しいDNA保存と現代の汚染により、これまで他の標本の核ゲノム分析が妨げられてきました。デニソワ洞窟外では、中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)の下顎骨が、プロテオーム(タンパク質の総体)解析により暫定的にデニソワ人に分類され(関連記事)、さらに堆積物DNAにより、白石崖溶洞におけるデニソワ人の存在が確認されました(関連記事)。
プロテオーム研究、とくにペプチドフィンガープリント法もしくはZooMS(Zooarchaeology by Mass Spectrometry、質量分光測定による動物考古学)の一般的な応用の増加における発展は、コラーゲンの特性分析に基づく骨の分類学的特定を通じて、遺跡における人類の存在の判断にとって効率的な方法である、と示されてきました(関連記事)。脊椎動物では、プロテオーム解析は属もしくは科の水準での識別に一般的に用いられており、場合によっては、種間の決定にも適用可能です。ZooMSは、その時間的にも費用的にもひじょうに効率的な性質、DNAを含む他の生体分子と比較してのコラーゲンの再現性と長期保存により、断片的で形態学的に診断できない骨の識別ではひじょうに貴重な判別検査となります。ZooMSはデニソワ11号を含む大規模な骨の集合において人類遺骸を特定するのに用いられてきました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。デニソワ11号は、ネアンデルタール人の母親とデニソワ人の父親との間の娘です(関連記事)。
本論文は、デニソワ洞窟の同定されていない骨への、ペプチド質量フィンガープリント法の高処理適用を提示します。アルタイ山脈北西部に位置するデニソワ洞窟は、中期更新世から完新世までとなるユーラシア北部で最長の考古学的系列を保存しています(関連記事)。デニソワ洞窟には豊富な層序記録があり、中期および後期更新世の文化と動物相と化石遺骸でひじょうに有名です。デニソワ洞窟は、系列全体のいくつかの層において、デニソワ人とネアンデルタール人の存在が化石と洞窟堆積物(関連記事)の両方から回収されたDNAに基づいて確定された唯一の遺跡です。さらにデニソワ洞窟では、堆積物から回収されたミトコンドリアDNA(mtDNA)に基づいて、初期現生人類(Homo sapiens)の存在も確証されました。良好な生体分子の保存と、豊富な考古学的遺物と、複数の人類集団の存在の組み合わせにより、デニソワ洞窟は更新世ユーラシアにとって最も多くの情報をもたらす遺跡の一つになっています。
診断できない骨片は、ヒト化石の可能性を有する重要ではあるもののまだ利用されていない供給源で、デニソワ洞窟において発掘された骨の95%を占めています。デニソワ洞窟の3ヶ所の探索された回廊のうち1ヶ所である東空洞の3791点の骨片に、ZooMSが適用されました。骨片は、巨視的識別を妨げる診断できる特徴が欠けているものが、とくに選ばれました。分析された骨は、東空洞の第9・11・12・13・14・15層で発見されました。第17層の少ない骨の集合も分析され、その中には人類居住の考古学的証拠が含まれません(第10・16層は文化的痕跡のない堆積物で構成されています)。分析された骨の大半は、以前には人類の骨が見つかっていなかった第14・15層で発掘されましたが、東空洞で考古学的に最下層となる第15層では、以前に堆積物からデニソワ人のDNAが得られています(関連記事)。それぞれの骨は約20mg削られ、確立したZooMS実施要綱にしたがって、マトリックス支援レーザー脱離/電離時間型飛行(MALDI-TOF)質量分光計を用いて、分類学的識別が実行されました。分析された骨の大半は大型草食動物(ウシ属/バイソン属やウマ科やシカ科)と肉食動物で、形態学的分析を通じてデニソワ洞窟で以前に識別された動物相と妥当に一致します。
●ZooMS
5点の骨片(図1a)から、ヒト科(大型類人猿)と一致する特徴的な標識を有するペプチド質量フィンガープリントが生成されました(図1b)。その内訳は、第15層からが4点(DC7277とDC7795とDC8591とDC8846)、第12層からが1点(DC4969)です。アルタイ山脈では大型類人猿が知られていないことを考えると、これらの骨はほぼ確実にヒトに分類されます。ZooMSを用いて特定されたヒト化石は現在、デニソワ洞窟で発見された人類(ヒト亜科)の骨の多く(17点の化石のうち9点)を占めます。以下は本論文の図1です。
●microCT分析
骨片の形態をデジタルで保存するため、5点の標本のうち4点が、microCTシステム(Bruker SkyScan 2211 X-ray Nanotomograph)でスキャンされました。古代DNAへのX線照射の劣化効果を避けるため、以前の研究の推奨に従って、0.020~0.023mmの破壊で画像空間解像度が用いられました。化石骨の3D表面は、microCTスキャンから抽出されました。
●mtDNA分析
ペプチド質量フィンガープリント法はヒト科における下位の具体的な分類学的割り当てには使えないので、mtDNAに基づいて、これら5点の人類の骨の分類が特定されました。それぞれの骨からの古代人のDNAの抽出と配列決定と証明は、公開されている手順に従いました。mtDNA濃縮手法を用いて、古代人の充分なDNAが分離され、5点の標本のうち4点のミトコンドリアゲノムが復元されました。それは、デニソワ17号(DC4969)と19号(DC8846)と20号(DC7795)と21号(DC8591)です。これらはそれぞれ、2698倍、15倍、31倍、28倍の平均網羅率で配列されました。ペアワイズ差異および系統発生分析により、デニソワ17号のmtDNAはネアンデルタール人のmtDNAの多様性内に収まったものの、デニソワ19・20・21号はデニソワ人のmtDNAの多様性内に収まりました(図2)。デニソワ18号(DC7277)の古代DNA断片は、人類集団と確実に関連づけるには少なすぎました。以下は本論文の図2です。
●考察
アルタイ山脈におけるネアンデルタール人の存在は元々、mtDNAの証拠に基づいて、デニソワ洞窟の北方50kmに位置するオクラドニコフ洞窟(Okladnikov Cave)で特定されました(関連記事)。さらなる考古学および遺伝学のデータから、ネアンデルタール人はシベリアにおいて何回か別々の時期に存在した、と示唆されました(関連記事1および関連記事2)。ネアンデルタール人はデニソワ洞窟において、遅くとも15万~13万年前頃には出現しました(関連記事)。これまでデニソワ洞窟東空洞ではネアンデルタール人の化石が5点発見されたことになり、そのうち第12層が3点(デニソワ9・11・17号)、第11.4層が2点(デニソワ5・15号)です(図3a)。東空洞の第14層の単一の堆積物標本からはネアンデルタール人のDNAが得られていますが(関連記事)、この兆候を再現して確証するには、さらなる研究が必要です。
本論文では、新たに特定されたネアンデルタール人(デニソワ17号)のmtDNAの分子年代が、BEAST v.1.10.4に実装されたベイズ年代測定と、較正点としての放射性炭素年代測定されたネアンデルタール人12個体のmtDNAを用いて、最高事後密度(highest posterior density、HPD)95%で177000~94000年前(134000年前頃)と推定されました。系統発生推論から、デニソワ17号のmtDNAは、相互により密接に関連しているデニソワ洞窟の他のネアンデルタール人2個体(デニソワ5・15号)と、より遠くに関連していると示されます(図2a)。対照的に、デニソワ11号のmtDNAは、ユーラシア西部、およびオクラドニコフ洞窟とチャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)のネアンデルタール人のmtDNAとより密接に関連しています(図2a)。
ネアンデルタール人とデニソワ人との間の遺伝子流動は、両者のより早期の相互作用の追加の間接的証拠を提供します。たとえば、デニソワ人女性(デニソワ2号)のゲノム分析により、デニソワ2号はその1500年前頃となる遺伝子移入に由来するネアンデルタール人の祖先系統を有しており、その年代は早ければ25万~20万年前頃になる、と明らかになりました(関連記事)。より上の層序系列で回収された他のデニソワ人2個体(デニソワ8・3号)も、異なるネアンデルタール人2集団からの遺伝子移入を示します(関連記事)。これらの交雑事象は、どこで起きたのか識別することはできませんが、20万年以上前のネアンデルタール人とデニソワ人両集団からアルタイ山脈における両者の消滅の5万年前頃までの、共存と頻繁な相互作用の可能性の証拠を提供します。
ネアンデルタール人の存在は、デニソワ洞窟における最終間氷期、つまり海洋酸素同位体ステージ(MIS)5ではより顕著ですが、アルタイ山脈では不連続であり(関連記事)、ユーラシアの広範な地域にまたがるネアンデルタール人集団の時折の東方への移動を反映しているかもしれません。デニソワ人からヨーロッパの後期ネアンデルタール人への遺伝子流動はこれまで特定されていないので、これらの相互作用はユーラシア北東部で起きた可能性が最も高そうです。とくにアルタイ山脈は、デニソワ人集団とネアンデルタール人集団の両方が15万年以上重複していた地帯のようで、この長期にわたる集団混合と異なる人口集団の維持があり、おそらくは促進されました。以下は本論文の図3です。
デニソワ人型のmtDNAを有する3標本(デニソワ19・20・21号)は全て、東空洞の第15層に由来します。デニソワ19号とデニソワ21号のミトコンドリア配列は同一なので、同じ個体か母系の親族である可能性が示唆されます。デニソワ19・21号は、4ヶ所の置換によりデニソワ20号とは異なります。系統樹では、新たに特定されたデニソワ人のmtDNAは、デニソワ2号(主空洞の第22.1層)およびデニソワ8号(東空洞の第11.4層)とクレード(単系統群)を形成し、それぞれ20ヶ所と30ヶ所の置換により異なります(図2b)。節約分析は一貫して、デニソワ19・20・21号がデニソワ2号と類似もしくはやや古い年代で、デニソワ8号とデニソワ3号(東空洞の第11.2層)とデニソワ4号(南空洞の第11.1層)よりもかなり古いことと一致します。
新たに特定された化石のmtDNAの年代推定値と、デニソワ2号との関係は、全体的な層序状況および、絶対年代と考古学的系列と人類集団に基づいてデニソワ洞窟の3ヶ所の空洞を相互に相関させようとした以前の試みと一致します。その以前の研究(関連記事)では、最初のデニソワ人(デニソワ2号)の年代が、光学と遺伝学と層序学の年代測定を組み込んだベイズ手法により194000~122000年前頃、もしくは光学的年代測定のみに基づいて早ければ28万年前頃と推定されました。デニソワ2号は1984年に主空洞で発見され、その状況の確実性には疑問が呈されてきましたが、本論文で報告された新たな化石は2012~2013年に確実な状況で発掘されました。
第15層は東空洞の最古の考古学的層位で、既知の光学的年代のベイズモデル化に基づいて、20万年前頃(信頼区間68.2%で205000~192000年前、信頼区間95.4%で217000~187000年前)と推定されています(図3a)。これらの年代推定値をベイズ統計枠組みの較正点として用いて、新たなデニソワ人3個体と既知のデニソワ人4個体の分岐年代は、間氷期となるMIS7の229000年前頃(HPD95%で252000~206000年前)と推定されました。mtDNAの年代と、第15層の確立した年代は、デニソワ19・20・21号もしくはその母系親族が、現在記録されている最古のデニソワ人と示します。
東空洞の考古学的に最下層となる第15層におけるデニソワ人型のmtDNAを有する個体群の存在は、この人類集団のより広範な考古学的および生計の状況の検討機会を提供します。これまでそうした検討は、デニソワ人化石が、考古学的物質の乏しい層か、ネアンデルタール人との共存の可能性を除外できない層に由来するため、不可能でした。デニソワ19・20・21号の年代はMIS7となる第二間氷期となり(図3b)、この時期は現代に匹敵する条件の温暖な気候で、アルタイ山脈は人類の拡大と居住強化に適した場になったでしょう。
この期間にデニソワ洞窟付近では、広葉樹林と開けた草原景観を含む、斑状の景観を検出できます。伝統的な動物考古学分析とZooMS分析の両方により明らかにされたのは、デニソワ洞窟の居住者がこうした環境に生息するさまざまな分類群を標的としていた、ということです。そうした獲物には間氷期森林地帯や森林と草原の混在地帯の種が含まれ、たとえばシベリアノロジカ(Capreolus pygargus)やシベリアアカシカ(Cervus elaphus)やギガンテウスオオツノジカ(Megaloceros giganteus)です。より開けた地域に典型的な種では、ユーラシア絶滅シマウマ(Equus ovodovi)や野生ウマ(Equus ferus)やステップバイソン(Bison priscus)やケブカサイ(Coelodonta antiquitatis)やモンゴルガゼル(Gazella guttursza)です。
切断や燃焼や屠殺の解体痕など動物の骨の頻繁な人為的影響は、これらの種が定期的にヒトにより獲得されていたことを確証します。しかし、ヒトはデニソワ洞窟にはこの期間の唯一の居住者ではなかったようです。第15層の巨視的に識別された動物相群の約1/4は、肉食動物、おもにハイイロオオカミ(Canis lupus)とアカオオカミ(Cuon alpinus)で構成されていました。肉食動物分類群のこの高い割合から、ヒトはこれらの捕食者と、資源および恐らくは洞窟自体を巡って積極的に競争していたかもしれない、と示唆されます。
考古学的に、東空洞の第15層(および第14層)にはデニソワ洞窟の全系列で最高頻度の石器が含まれており、1m²あたり3000点以上となります。石器群は、円盤状、ルヴァロワ(Levallois)式、平行石核で構成され、一次縮小技術を用いて剥片が製作されます(図4)。スクレイパーが主要な石器様式となり、急勾配のキーナ(Quina)型再加工により形成されたものや、突出的で鋸歯緑的で刻み目のある形態などが含まれます。大型の側部が薄くなり、基底部が切断された剥片、もしくは切断され面を刻んだ剥片が典型的な断片です。縦方向の背部の痕跡パターンを有する石刃も、少数存在しています。第15層の再加工された剥片から収集された有機残留物の分析により、飽和および不飽和脂肪酸が明らかになり、骨と植物の微小残留物の欠如とともに提案された使用は、擦り落としと切断および/もしくは鋸切断など、動物の皮膚の処理でした。以下は本論文の図4です。
それら石器群の技術分類的特徴と年代層序学的位置に基づいて、東空洞の第14・15層の石器群は、アジア北部および中央部には直接的対応物がない中部旧石器インダストリーに分類されました。さらに遠方に目を向けるならば、最も近い平行石器群は近東のアシュール・ヤブルディアン(Acheulo-Yabrudian)文化複合(AYCC)です。AYCCは、40万/35万~25万年前頃となる、タブン(Tabun)やケセム(Qesem)やハヨニム(Hayonim)やミスリヤ(Misliya)などいくつかの洞窟(おもに)と、開地遺跡で同定されてきました。これは、前期旧石器時代から中期旧石器時代への移行期で、人類の適応および認知能力における大きな変化、および大きな技術的および生計の革新と関連しています。これらには、とりわけ火の習慣的使用(関連記事)と、ダマジカなど中型の有蹄類の体系的な狩りと屠殺が含まれます。
デニソワ洞窟東空洞の第14層と第15層のAYCC間の技術分類的類似性は、側部が薄くなり、基底部が切断された剥片の同等の形態と、鋸歯緑的で刻み目のある石器であるキーナ式スクレイパーの存在を含みます。デニソワ洞窟の石器群には両面石器がありません。両面石器はAYCCのアシューリアン(Acheulean)変異型の典型的要素ですが、第14層と第15層では稀か欠けています。しかし、レヴァントとアルタイ山脈との間の類似の石器技術伝統の中間の存在はなく、アルタイ山脈とチベット高原以外ではデニソワ人と直接的に関連するかもしれない人類遺骸がないので、デニソワ人の文化的適応と革新をめぐる問題の解決には、将来の研究が必要です。最初のデニソワ人の層の石器構成要素を特徴づける注目される試みが現在進行中で、将来は経時的なデニソワ人の道具一式の進化をさらに理解できるでしょう。
現代人におけるデニソワ人由来のDNAの分布から、デニソワ人は広範に拡散しており、更新世アジアの広い地域に居住し、その人口集団には時空間的な構造があった、と示唆されます(関連記事1および関連記事2)。シベリアとアジア東部の現代人およびアメリカ大陸先住民において遺伝子移入されたデニソワ人のDNAは、デニソワ3号の高品質なゲノムと最高の類似性を共有します。しかし、本論文で特定されたより古いデニソワ人3個体(デニソワ19・20・21号)のmtDNAは、デニソワ3号とは異なる系統に分類されます。これら初期デニソワ人が、アジア南東部島嶼部およびニューギニア島に居住している現代人の祖先と混合したデニソワ人(関連記事)とより密接に関連しているのかどうか確定するには、これらデニソワ人個体の核DNAの特性評価が必要です。
参考文献:
Brown S. et al.(2022): The earliest Denisovans and their cultural adaptation. Nature Ecology & Evolution, 6, 1, 28–35.
https://doi.org/10.1038/s41559-021-01581-2
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