古代DNA研究の倫理的指針
古代DNA研究の倫理的指針(Alpaslan-Roodenberg et al., 2021)が公表されました。この指針はオンライン版での先行公開となります。この指針は複数の言語に翻訳されており、日本語訳もあります。古代DNA研究の倫理的問題については以前から指摘があり(関連記事)、古代DNA研究の側でも対応が進んでいるように思われますが、この倫理的指針では、それは個別的なので世界的に適用可能な基準が必要になる、と指摘されています。さらにこの倫理的指針では、過去10年間、古代DNA研究は、他の学問分野からの情報に加えて、あらゆる集団の「純血」神話を否定し、人種差別主義者や国粋主義者の主張が間違っていることを立証してきており、遺伝情報を集団の帰属判断のための道具として誤用しようとする人がいますが、遺伝情報をアイデンティティの主要な基準として使用することは不適切である、と指摘されています(関連記事)。以下、要約の日本語訳を引用します。
私たちは31 カ国と多様なグローバルコミュニティを代表する考古学者、人類学者、博物館学芸員、遺伝学者のグループです。その多くは2020年11月に開催された古代DNA研究における倫理をテーマにしたバーチャルワークショップに参加しました。そこでは、 世界的に通用する倫理ガイドラインが必要であるという点で広く合意が得られましたが、北米でのヒト遺骨・遺体研究に関する議論に基づいた最近の推奨事項は、世界的には普遍化できないおそれがあります。様々な状況を考慮して、私たちは以下のような世界的に適用可能なガイドラインを提案します。これらは、1)研究者は、研究を実施する場所やヒト遺骨・遺体が出土する場所における、すべての法令や規則に準拠していることを確認すること、2)研究者は、研究を始める前に詳細な計画書を作成すること、3)研究者は、ヒト遺骨・遺体の損傷を最小限に抑えること、4)研究者は、科学的知見を批判的視点から再検証できるように、論文発表後にデータを確実に公開し利用可能にすること、5)研究者は、研究の初期段階から他の利害関係者と対話を進め、利害関係者の視点を尊重し細心の注意をもって理解すること、からなります。私たちは、このガイドラインを遵守することを約束し、これにより、ヒト遺骨・遺体についてのDNA 研究における高い倫理基準が育まれることを期待しています。
●共同体との倫理的関わりは状況に応じて変わる
その上で指摘されているのは、古代人を対象とした倫理的なDNA研究に関する文献の多くはアメリカ合衆国に焦点を当てている、ということです。開拓者による植民地主義の歴史、先住民の土地や人工物の収奪、先住民共同体の抑圧を経験した地域では、先住民の視点を中心に据えることがひじょうに重要となります。こうした状況においては、共同体との協議なしでは多くの問題が生じる危険性がある、というわけです。アメリカ合衆国では、連邦政府が出資する機関に保管されている古代のアメリカ先住民の遺骨・遺体はすべて、アメリカ先住民の墓地の保護と遺品の返還法(NAGPRA:Native American Graves Protection and Repatriation Act )の対象となります。それらの機関が先住民グループと協議し、古代人の遺体を、文化的に識別できるかどうかにかかわらず彼らに譲渡することに向けて努力することを義務づけています。
オーストラリアでは、類似の法律により、先住民(アボリジニ)やトレス海峡諸島民の共同体から持ち出された人骨を、4 万年前ころに遡るものの含めて返還しようとしています。しかし、現代の集団との物質的・口承的なつながりがほとんどない(あるいは、あったとしてもきわめて限定的である)古代人の遺体の調査を行なう場合や、ある集団が他の集団よりも文化遺産の所有権を持っている、との考えを支持することが社会的対立の原因となる場合には、古代人の一人一人を現代の集団と関連づけることを義務づける先住民中心の倫理的枠組みは適切ではありません。
●先住民の視点の代表としての政府機関
アメリカ大陸の多くの国では、先住民族の遺産が国家のアイデンティティに組み込まれ、政府の文化機関に包括されており、たとえばメキシコでは独立後に、大多数を占めるメスチーソ(混血の人々)は、ナワ(アステカ)やマヤやサポテカなど先住民族の遺産を国家のアイデンティティに不可欠な部分として受け入れてきました。ペルーでは、先住民の文化を広め差別と闘うことを目的とした運動であるインディヘニズモ(indigenismo)の流れの中で文化省が設立されました。こうした状況では、ヒト遺骨・遺体を分析するために政府や遺産保護団体に承認を求める手続きは、先住民遺産についての健全な対話と尊重ための方法となり得て、アメリカ合衆国の方式をそのまま適用することは逆効果になるおそれがあります。中南米の古代DNAに関する論文では、アメリカ合衆国で策定された先住民との関与に関する規準に適合していない、との査読評価を何度も受けた著者もおり、中南米出身の研究者は、このような査読評価が、よく言えば高慢、悪く言えば植民地主義的であると感じてきました。中南米の多くの国では、先住民族の遺産を受け入れ、それを政府の承認過程や文化施設に組み込むための取り組みがアメリカ合衆国よりも、はるかに進められてきました。
しかし、アメリカ大陸諸国では、政府と先住民共同体の関係性に大きな違いがあるため、研究者は個別に追加の協議が必要か否かを判断しなければなりません。ペルーとメキシコでは、先住民族の遺産がアイデンティティの重要な要素を占める集団は、さまざまな割合で政府に参加しています。一方ブラジルでは、先住民の共同体はしばしば抑圧されており、先住民グループが彼らの祖先に関連する考古学的資料の取り扱いについて発言できる法的仕組みはありません。アルゼンチンでは、先住民族の遺産に関わる研究課題を実施するさいには、共同体の同意を得る法律上の義務がありますが、必ずしも守られていません。グアテマラでは、人口の約半分を占めるマヤをはじめとする先住民族が、依然として政治・経済的に恵まれない立場に置かれています。このような状況では、古代DNA 研究チームの構成員は、法律上義務づけられている以上に、共同体との対話を進め、先住民の視点を取り入れることが倫理的な責任となります。
●先住性 の意味における世界的な差異
先住性(Indigeneity)の意味は世界的に様々です。アフリカでは、植民地化された集団の子孫が圧倒的に権力を握っており、「先住性」とは多くの場合、集団がその地域にどれだけ長く定着しているかという伝統よりも、アイデンティティに基づいて政治的または社会的に疎外されている状態を指します。アフリカの共同体の多くでは、植民地時代やその後の強制的な移住や社会的混乱などの歴史により、自分たちが住む土地との関わり方はひじょうに複雑なものになっています。地域によっては、過去の住民を自分たちと血族関係のあるものと認めないところもあります。この原因として、現代の宗教的・文化的な信念体系が旧来のものとは異なること、他地域からの移住に関する集団的な記憶、他集団と結びついていることによる迫害への恐れ、土地と結びついた社会政治形態を分断し、今でも暴力と望まざる移住の原因となっている、ヨーロッパ人による植民地化の間に行なわれた政策の余波が続いていることなどが挙げられます。こうした状況では、文化遺産に関する意思決定権の付与が社会的な対立を悪化させることのないように、地元集団から政府代表まで含んだ利害関係者間での慎重な協議が必要です。このような場合、先住性を古代のDNA分析を許可するための原則とすることは、望ましくないと考えられます。
アフリカ(および他の多くの地域)における古代DNA 研究に関連するより差し迫った問題は、非倫理的に収集され、また、多くの場合海外に送られたヒト遺骨・遺体という植民地時代の遺産に対処しなければならないことです。研究者は、古代人の遺体研究の許可を得るために保全機関および由来国の研究者と協力し、その作業の一環として、出所や歴史的不正義や送還や返還に関する議論を進める必要があります。これに関連する問題として、アフリカでは、現地の人々との対話がほとんどない、不公平で多くの場合搾取的な研究が、おもに欧米の研究者によって行なわれてきた歴史があります。外国人研究者は、利害関係者が研究課題や研究計画を立案できるようにするための研修やその他の能力開発などを通して、公平な協力関係を構築することに努力しなければなりません。
●集団アイデンティティの強調が弊害をもたらす可能性
誰が先住民族なのか議論することで、外国人への嫌悪や国粋主義的な主張を助長することにつながる地域が、世界中にいくつもあります。このような地域では、古代DNA研究許可の権利を持つ人の決定のため先住民のアイデンティティを基準とすることは、集団間の対立や差別を助長することになり、望ましい方法とは言えません。たとえばインドでは、長く集団のアイデンティティーに基づいて虐待が行われてきたので、カーストや宗教的信条に関する質問を避ける人が多く、実際にカーストを理由とした差別は違法とされています。現在、アジア南部の多くの地域では、どの集団が他の集団よりも古代の遺産に対してより多くの権利を持っているかを判断しようとすること自体が紛争の原因となっているだけでなく(関連記事)、ほとんど無意味なものとなっています。なぜならば、現代人集団の大半は、数千年前からインド亜大陸に居住していた祖先を持つ集団の混合により形成されたからです。ただ、アンダマン諸島のように、誰が先住民であるかが明確な場合もあります。アジア南部の多くの地域では、文化遺産を保護するための公的な手続きが発達しており、この枠組みの中で活動することが、共同体を被害から守るための重要な仕組みとなっています。
ユーラシア西部では、各地域に祖先を持つと主張する集団が特別な地位にあるべきだ、との考え方が外国人排斥や大量虐殺の一因となっています。ナチス時代に「血と土」の思想を推進していた国粋主義者たちは、ヨーロッパ東部の占領を正当化するために、その地で発掘された人骨が「ゲルマン人」の形態を呈すると主張し、考古学的な研究を歪めました。ヨーロッパの考古学者たちは、特定集団による文化遺産所有権の主張が誤った考えに基づいていることを解明するため、何十年もの間努力してきました。ユーラシア西部における古代DNA研究の倫理は、差別の対象となってきた少数民族の視点を尊重しつつ、特定の土地と先祖代々のつながりがあるという自分勝手な主張を文化遺産所有権の判断に適用しない、という流れを推し進める必要があります。政府の指導者が考古学や古代DNA研究を引用して、集団のアイデンティティに関して都合のよいシナリオを主張し、排他政策を正当化するために利用する危険性は、単なる仮説ではなく、実際にハンガリーやイスラエルなどユーラシア西部の一部の国で現在起きている問題です。
●世界的に適用可能な五つの指針
以下の古代DNA研究における健全な倫理基準を促進するための五つの指針は、上記全ての研究状況だけではなく、言及されなかったアジア中央部および東部および南東部やシベリアやオセアニアなど、他の主要地域にも適用されます。
(1)研究者は、研究する場所やヒト遺骨・遺体が出土した土地における、すべての規則が遵守されていることを確認しなければなりません。研究者は、ヒト遺骨・遺体のサンプルを取る地域の状況を考慮したうえで、古代DNA研究を行なうことが倫理的に正しいのか、まず判断する必要があります。研究課題を進めたならば、研究者は現地のすべての規則を遵守しなければなりません。一部の共著者による経験では、古代DNA研究者が必ずしも全ての合意事項に従っているわけではありません。たとえば、生物試料の科学的分析や輸出について、研究所や地方や地域や国の各機関からという複数段階の許可を得て、合意された期限内での保全機関への報告書提出が必要になる場合もあります。現地の規則が倫理的に不充分な場合、研究者は以下の原則に従って、より高い基準を遵守しなければなりません。
(2)研究者は研究開始前に詳細な計画書を作成する必要があります。これには、研究課題の明確化、適用される技術とヒト遺骨・遺体への予想される影響の記述(分析対象となる骨の部位と使用量を含みます)、解読されるDNAデータの種類の記述、共同研究機関との試料の共有のための計画、未使用の試料の返却と結果の共有の予定や結果を、誰がどこでどのように広めるかの計画、能力開発または訓練が有用な場合はその計画、データ公開の原則に基づく、または利害関係者の合意を得た、データの保存と共有の計画などが含まれます。このような計画書は、研究の範囲を定義し、遺伝子データ解析が予期せぬ方向に進む可能性があることを認識した上で、想定される結果を正直に伝える必要があります。こうした計画書は、後に研究が当初の計画から逸脱した場合に参照できる、もともと意図された研究の記録となります。研究計画の変更は、当初の合意に関与した人々の賛同があって初めて行なわれるべきです。研究者は、古代人の遺骨を研究する許可が与えられると、同意を得られた研究目的のための試料の管理者となりますが、試料の「所有権」は移転されないことを認識すべきです。研究者は、その計画書をヒト遺体の管理責任者や、その他の発言権を持つと考えられる集団と共有する責任があります。そのため、専門家ではない人も計画書を理解できるように書く必要があります。また、適切と考えられ、すべての関係者から合意が得られている場合は、出土地以外で保管されているヒト遺体を出土地に戻すための道筋を計画書の中で説明できます。
(3)研究者は、ヒト遺骨・遺体の損傷を最小限に抑える必要があります。多くの場合他の部位の何倍もの遺伝子データを抽出できる側頭骨錐体部という骨部位が、近年分析の主な対象になっていることを考慮すると、研究による人類学的収集物に対する影響を最小限に抑えることは、とくに重要と言えます。研究者は他の利害関係者と協議しながら、ヒト遺骨・遺体の保護に関する懸念と科学的分析の調和のための方法を考える必要があります。研究者は、有用なデータの抽出量を最大化しつつ、ヒト遺体の損傷を最小限に抑えるために推奨される方法の習得なしに、ヒト遺体の試料を採取すべきではありません。また、科学的な疑問を解決するために必要される以上の試料を採取すべきではなく、いつ標本抽出されたのかを記述した、試料採取の記録をヒト遺体の管理責任者に提出しなければなりません。
さらに、DNA の保存状態が悪いヒト遺体に同様の方法での分析を繰り返さないために、有用なデータを得られなかった研究についても公表する必要があります。標本抽出の前に、高解像度の写真撮影と生物考古学(形態学を中心とした出土人骨研究)的な評価に基づいて形態を記録しておく必要があります。少なくとも、ひじょうに年代の古い個体や特殊な状況で出土した遺骨・遺体については、マイクロCTスキャンによる分析やレプリカ作成のための鋳型(cast)を作製する必要があり、動物遺体(骨)や生物考古学的にさほど有用でない人骨の部位を最初に分析して、その出土地におけるDNAの保存状態を評価した方がよいのか、議論する必要があります。
標本抽出後は、その後の研究における追加のサンプリングの必要性を減らすために、試料の他にDNA抽出物やDNAライブラリーなどの分子レベルの生成物を共有することにより、ヒト遺骨・遺体の責任ある取り扱い方を進めることができます。研究者は、研究の再現性を高めるために、このような分子レベルの生成物を保管する責任があります。また、標本抽出したヒト遺体や抽出・生成物を研究室間で共有する許可を得ることが勧められます。これにより、承認された研究計画に沿った使用であれば、最初の研究で取り上げた問題の再評価や最初の研究の範囲を超えた追加分析が容易になります。
(4)研究者は、成果の発表後、科学的知見の批判的な再検討が可能になるようにデータを公開しなければなりません。古代DNAデータは迅速に発表されるべきであり、その後、少なくとも結果を批判的に再評価する目的で利用できるようにする必要があります。少なくとも、発表された結果の正確さを検証するためのデータ提供の保証がなければ、科学者は倫理的に研究に参加することはできません。この保証は最初の研究許可に組み込まれている必要があります。これは、誤った情報の拡散を防ぐためにも、将来同じ問題を再検討するための分析を可能にするためにも重要です。
発表後には、データを完全に利用できるようにするのが最善の方法です。実際、ほぼ全ての古代ゲノムデータは、このように永続的な公開データリポジトリで公開されており、この分野の倫理的な強みとなっています。データの完全公開は科学的知識の進歩に貢献するだけでなく、データの再利用でさらなる標本抽出の必要性を減らすことができるという点で、ヒト遺骨・遺体の責任ある管理にも貢献します。しかし、利害関係者間の話し合いにより、古代DNAデータの再利用方法を制限することが倫理的に正しいと判断されるシナリオも想定されます。ある種の分析結果を開示することで利害関係者に不利益が生じ、データを完全公開することの利点を上回る可能性がある場合などです。こうした事例は、研究開始前の話し合いの過程で特定されるべきであり、研究結果を再評価する目的でのみデータを分析することに同意し、必要な知識・技術を持つ研究者にデータの配布を制限することは、最初の研究計画の一部であるべきです。
データが完全に公開されない場合、結果を批判的に再検証する目的でのデータの管理と配布は、データの誤用を防ぐための専門知識を持ち、研究結果に利害関係のない組織により行なわれるべきです。これまでは、博物館や先住民集団などの関係者が、発表後のデータの研究者への配布を担当すべきとされてきました。しかし、研究結果に利害関係を持つ者が、当初の研究に関する合意で対象とされていた問題を批判的に再検討しようとする、適切な知識と技術を持つ研究者へのデータの提供を拒否できるような研究課題は、研究者の職業倫理に反します。この点に関して、完全公開されていないデータを、批判的再検討の目的での使用を申請した研究者への配布を保証する仕組みが確立されています。たとえば、研究者がデータを管理するリポジトリにデータ使用を正式に申請し、それが出版物に記載されているデータ使用の制限を満たしているとデータアクセス委員会に承認された場合のみ、データを提供するという方法を取ることができます。データ取得の過程に時間を要するという欠点がありますが、dbGaP やEGA リポジトリなどでプライバシーの問題に対処するために、現代人のゲノムデータについてこのような方法がとられることがあります。また、データの保存と普及に共同体が関与する、先住民データのバイオリポジトリが設立され始めています。研究者や共同体の代表者や博物館学芸員などの利害関係者集団は、当初の研究に関する合意で対象とされていた問題の批判的再検証を望む研究者へのデータ配布を管理すべきではありませんが、当初の研究合意に含まれていなかった目的のためにデータを保存・配布する上で、先住民データのバイオリポジトリが重要な役割を果たす可能性があります。
(5)研究者は、研究の初期段階から他の利害関係者との話し合いを進め、利害関係者の視点を尊重し、よく理解することに務めなければなりません。古代DNAデータを新たに作成する研究課題は、地域共同体や考古学者や人類学者や遺伝学者や博物館学芸員など、さまざまな関係者によって開始されることがあり、それらのうち誰もが、学術的に貢献するなら研究チームの構成員となれます。相談を受けた他の利害関係者が名前を公表することに同意した場合は、論文の謝辞欄にその旨を記載すべきです。研究計画や研究課題や科学計画を進めるべきかどうかにの議論には、利害関係者(研究対象となるヒト遺骨・遺体が出土した地域の集団を含むことが望ましい)が積極的に関与する必要があります。研究者は、計画された研究について利害関係者の全員が一致する支持が得られない場合、否定的な意見を受け入れなければなりません。
一旦、研究を進めるという合意が得られれば、専門家としての科学倫理では、研究者はさらなる承認を必要とせずに、発表の時点まで研究を進めることができます。出版前に、研究チームの構成員ではない利害関係者集団による原稿の承認を義務づけるべきという条件は、科学研究の独立性を犯すことになり、研究者の職業倫理的上、実現が不可能です。しかし、一度研究が始まれば研究者が科学的な独立性を保つべきだということは、データの影響についての利害関係者の視点を考慮せずに結果を公表してよい、というわけではありません。とくに、研究結果が意外なものだったり、これまでの仮定を覆すものだったりした場合には、公開前に利害関係者の視点を加えたり、批判的な反応を提供してもらったりして、研究結果に関与してもらったりすることは有意義です。特定の方法で研究成果を伝えることが何らかの問題を起こさないのか考えることは、研究者にとって職業倫理上の責任であり、研究開始後、他の利害関係者と話し合いを続けることは、この義務を果たすために効果的な方法です。このような協議の結果、利害関係者集団に重大な不利益をもたらすことなく結果を公表できないと判断された場合、研究者はその結果を発表すべきではありません。
研究者は、利害関係者に対して定期的に研究の進捗状況を報告し、研究課題の最終段階で結果を提出するという義務を自覚しなければなりません。どのような研究成果が予想されるか、遺伝子データが他の知識体系と矛盾する解釈を示すかも知れないこと、科学的な分析結果を学術的成果として報告することが、伝統的な知識体系や深く根づいた信仰を否定したり、その価値を貶めたりするものではないことを、最初から明確にしておく必要があります。遺伝子解析の結果と他の証拠との間の不一致は、過去を理解するということの複雑さの重要な要素として報告されるべきです。
研究者は利害関係者と協力して、研究成果を共同体にとって理解しやすい形で広げるための普及活動に取り組むべきです。これには、現地の共同研究者と協力して論文の成果を現地の言語に翻訳すること、子供向けの教育資料を作成すること、図書館やその他の共同体総合施設向けにパンフレットや小冊子を作成すること、博物館と協力して展示会を計画することなどが含まれます。また必要に応じて、利害関係者集団や地域共同体の構成員などの研修や教育に貢献し、収集物の保存状態改善の方法を検討すべきです。これには、データの生成、解釈、普及に参加するために必要な援助、たとえばヒト遺骨・遺体の標本抽出や分析技術に関する訓練、さらなる継続的訓練や学会参加のための経済的支援などが含まれます。助成機関にとっては、能力開発のための計画に適切な資金を割り当てられるようにすることが重要です。
●ヒト遺骨・遺体を対象とした倫理的な古代DNA 研究の推進
研究者はその仕事の一環として、研究成果のイデオロギーに基づいた歪曲を正すという、社会的に影響の大きい義務も負っています。学術論文でデータが専門的に公表された後、多くの研究は科学ジャーナリストや教育者によって要約され、幅広い読者に伝えられます。ジャーナリストや政府関係者が、政治的な目的のために研究結果を誤って伝えた例がありますが、科学者には誤った解釈を正すために努力する義務があります。一般の人々への普及活動には、エッセイや書籍の執筆、ソーシャルメディアへの投稿、ドキュメンタリーへの参加などがあります。今回のワークショップの多様な参加者の間でこれらの指針が圧倒的に支持されたことから、古代DNA研究に携わるより広範な共同体もこれらの原則を支持すると期待され、今後、雑誌や専門機関や助成機関により作られる公式指針の基礎となることを望みます。
参考文献:
Alpaslan-Roodenberg S. et al.(2021): Ethics of DNA research on human remains: five globally applicable guidelines. Nature, 599, 7883, 41–46.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04008-x
私たちは31 カ国と多様なグローバルコミュニティを代表する考古学者、人類学者、博物館学芸員、遺伝学者のグループです。その多くは2020年11月に開催された古代DNA研究における倫理をテーマにしたバーチャルワークショップに参加しました。そこでは、 世界的に通用する倫理ガイドラインが必要であるという点で広く合意が得られましたが、北米でのヒト遺骨・遺体研究に関する議論に基づいた最近の推奨事項は、世界的には普遍化できないおそれがあります。様々な状況を考慮して、私たちは以下のような世界的に適用可能なガイドラインを提案します。これらは、1)研究者は、研究を実施する場所やヒト遺骨・遺体が出土する場所における、すべての法令や規則に準拠していることを確認すること、2)研究者は、研究を始める前に詳細な計画書を作成すること、3)研究者は、ヒト遺骨・遺体の損傷を最小限に抑えること、4)研究者は、科学的知見を批判的視点から再検証できるように、論文発表後にデータを確実に公開し利用可能にすること、5)研究者は、研究の初期段階から他の利害関係者と対話を進め、利害関係者の視点を尊重し細心の注意をもって理解すること、からなります。私たちは、このガイドラインを遵守することを約束し、これにより、ヒト遺骨・遺体についてのDNA 研究における高い倫理基準が育まれることを期待しています。
●共同体との倫理的関わりは状況に応じて変わる
その上で指摘されているのは、古代人を対象とした倫理的なDNA研究に関する文献の多くはアメリカ合衆国に焦点を当てている、ということです。開拓者による植民地主義の歴史、先住民の土地や人工物の収奪、先住民共同体の抑圧を経験した地域では、先住民の視点を中心に据えることがひじょうに重要となります。こうした状況においては、共同体との協議なしでは多くの問題が生じる危険性がある、というわけです。アメリカ合衆国では、連邦政府が出資する機関に保管されている古代のアメリカ先住民の遺骨・遺体はすべて、アメリカ先住民の墓地の保護と遺品の返還法(NAGPRA:Native American Graves Protection and Repatriation Act )の対象となります。それらの機関が先住民グループと協議し、古代人の遺体を、文化的に識別できるかどうかにかかわらず彼らに譲渡することに向けて努力することを義務づけています。
オーストラリアでは、類似の法律により、先住民(アボリジニ)やトレス海峡諸島民の共同体から持ち出された人骨を、4 万年前ころに遡るものの含めて返還しようとしています。しかし、現代の集団との物質的・口承的なつながりがほとんどない(あるいは、あったとしてもきわめて限定的である)古代人の遺体の調査を行なう場合や、ある集団が他の集団よりも文化遺産の所有権を持っている、との考えを支持することが社会的対立の原因となる場合には、古代人の一人一人を現代の集団と関連づけることを義務づける先住民中心の倫理的枠組みは適切ではありません。
●先住民の視点の代表としての政府機関
アメリカ大陸の多くの国では、先住民族の遺産が国家のアイデンティティに組み込まれ、政府の文化機関に包括されており、たとえばメキシコでは独立後に、大多数を占めるメスチーソ(混血の人々)は、ナワ(アステカ)やマヤやサポテカなど先住民族の遺産を国家のアイデンティティに不可欠な部分として受け入れてきました。ペルーでは、先住民の文化を広め差別と闘うことを目的とした運動であるインディヘニズモ(indigenismo)の流れの中で文化省が設立されました。こうした状況では、ヒト遺骨・遺体を分析するために政府や遺産保護団体に承認を求める手続きは、先住民遺産についての健全な対話と尊重ための方法となり得て、アメリカ合衆国の方式をそのまま適用することは逆効果になるおそれがあります。中南米の古代DNAに関する論文では、アメリカ合衆国で策定された先住民との関与に関する規準に適合していない、との査読評価を何度も受けた著者もおり、中南米出身の研究者は、このような査読評価が、よく言えば高慢、悪く言えば植民地主義的であると感じてきました。中南米の多くの国では、先住民族の遺産を受け入れ、それを政府の承認過程や文化施設に組み込むための取り組みがアメリカ合衆国よりも、はるかに進められてきました。
しかし、アメリカ大陸諸国では、政府と先住民共同体の関係性に大きな違いがあるため、研究者は個別に追加の協議が必要か否かを判断しなければなりません。ペルーとメキシコでは、先住民族の遺産がアイデンティティの重要な要素を占める集団は、さまざまな割合で政府に参加しています。一方ブラジルでは、先住民の共同体はしばしば抑圧されており、先住民グループが彼らの祖先に関連する考古学的資料の取り扱いについて発言できる法的仕組みはありません。アルゼンチンでは、先住民族の遺産に関わる研究課題を実施するさいには、共同体の同意を得る法律上の義務がありますが、必ずしも守られていません。グアテマラでは、人口の約半分を占めるマヤをはじめとする先住民族が、依然として政治・経済的に恵まれない立場に置かれています。このような状況では、古代DNA 研究チームの構成員は、法律上義務づけられている以上に、共同体との対話を進め、先住民の視点を取り入れることが倫理的な責任となります。
●先住性 の意味における世界的な差異
先住性(Indigeneity)の意味は世界的に様々です。アフリカでは、植民地化された集団の子孫が圧倒的に権力を握っており、「先住性」とは多くの場合、集団がその地域にどれだけ長く定着しているかという伝統よりも、アイデンティティに基づいて政治的または社会的に疎外されている状態を指します。アフリカの共同体の多くでは、植民地時代やその後の強制的な移住や社会的混乱などの歴史により、自分たちが住む土地との関わり方はひじょうに複雑なものになっています。地域によっては、過去の住民を自分たちと血族関係のあるものと認めないところもあります。この原因として、現代の宗教的・文化的な信念体系が旧来のものとは異なること、他地域からの移住に関する集団的な記憶、他集団と結びついていることによる迫害への恐れ、土地と結びついた社会政治形態を分断し、今でも暴力と望まざる移住の原因となっている、ヨーロッパ人による植民地化の間に行なわれた政策の余波が続いていることなどが挙げられます。こうした状況では、文化遺産に関する意思決定権の付与が社会的な対立を悪化させることのないように、地元集団から政府代表まで含んだ利害関係者間での慎重な協議が必要です。このような場合、先住性を古代のDNA分析を許可するための原則とすることは、望ましくないと考えられます。
アフリカ(および他の多くの地域)における古代DNA 研究に関連するより差し迫った問題は、非倫理的に収集され、また、多くの場合海外に送られたヒト遺骨・遺体という植民地時代の遺産に対処しなければならないことです。研究者は、古代人の遺体研究の許可を得るために保全機関および由来国の研究者と協力し、その作業の一環として、出所や歴史的不正義や送還や返還に関する議論を進める必要があります。これに関連する問題として、アフリカでは、現地の人々との対話がほとんどない、不公平で多くの場合搾取的な研究が、おもに欧米の研究者によって行なわれてきた歴史があります。外国人研究者は、利害関係者が研究課題や研究計画を立案できるようにするための研修やその他の能力開発などを通して、公平な協力関係を構築することに努力しなければなりません。
●集団アイデンティティの強調が弊害をもたらす可能性
誰が先住民族なのか議論することで、外国人への嫌悪や国粋主義的な主張を助長することにつながる地域が、世界中にいくつもあります。このような地域では、古代DNA研究許可の権利を持つ人の決定のため先住民のアイデンティティを基準とすることは、集団間の対立や差別を助長することになり、望ましい方法とは言えません。たとえばインドでは、長く集団のアイデンティティーに基づいて虐待が行われてきたので、カーストや宗教的信条に関する質問を避ける人が多く、実際にカーストを理由とした差別は違法とされています。現在、アジア南部の多くの地域では、どの集団が他の集団よりも古代の遺産に対してより多くの権利を持っているかを判断しようとすること自体が紛争の原因となっているだけでなく(関連記事)、ほとんど無意味なものとなっています。なぜならば、現代人集団の大半は、数千年前からインド亜大陸に居住していた祖先を持つ集団の混合により形成されたからです。ただ、アンダマン諸島のように、誰が先住民であるかが明確な場合もあります。アジア南部の多くの地域では、文化遺産を保護するための公的な手続きが発達しており、この枠組みの中で活動することが、共同体を被害から守るための重要な仕組みとなっています。
ユーラシア西部では、各地域に祖先を持つと主張する集団が特別な地位にあるべきだ、との考え方が外国人排斥や大量虐殺の一因となっています。ナチス時代に「血と土」の思想を推進していた国粋主義者たちは、ヨーロッパ東部の占領を正当化するために、その地で発掘された人骨が「ゲルマン人」の形態を呈すると主張し、考古学的な研究を歪めました。ヨーロッパの考古学者たちは、特定集団による文化遺産所有権の主張が誤った考えに基づいていることを解明するため、何十年もの間努力してきました。ユーラシア西部における古代DNA研究の倫理は、差別の対象となってきた少数民族の視点を尊重しつつ、特定の土地と先祖代々のつながりがあるという自分勝手な主張を文化遺産所有権の判断に適用しない、という流れを推し進める必要があります。政府の指導者が考古学や古代DNA研究を引用して、集団のアイデンティティに関して都合のよいシナリオを主張し、排他政策を正当化するために利用する危険性は、単なる仮説ではなく、実際にハンガリーやイスラエルなどユーラシア西部の一部の国で現在起きている問題です。
●世界的に適用可能な五つの指針
以下の古代DNA研究における健全な倫理基準を促進するための五つの指針は、上記全ての研究状況だけではなく、言及されなかったアジア中央部および東部および南東部やシベリアやオセアニアなど、他の主要地域にも適用されます。
(1)研究者は、研究する場所やヒト遺骨・遺体が出土した土地における、すべての規則が遵守されていることを確認しなければなりません。研究者は、ヒト遺骨・遺体のサンプルを取る地域の状況を考慮したうえで、古代DNA研究を行なうことが倫理的に正しいのか、まず判断する必要があります。研究課題を進めたならば、研究者は現地のすべての規則を遵守しなければなりません。一部の共著者による経験では、古代DNA研究者が必ずしも全ての合意事項に従っているわけではありません。たとえば、生物試料の科学的分析や輸出について、研究所や地方や地域や国の各機関からという複数段階の許可を得て、合意された期限内での保全機関への報告書提出が必要になる場合もあります。現地の規則が倫理的に不充分な場合、研究者は以下の原則に従って、より高い基準を遵守しなければなりません。
(2)研究者は研究開始前に詳細な計画書を作成する必要があります。これには、研究課題の明確化、適用される技術とヒト遺骨・遺体への予想される影響の記述(分析対象となる骨の部位と使用量を含みます)、解読されるDNAデータの種類の記述、共同研究機関との試料の共有のための計画、未使用の試料の返却と結果の共有の予定や結果を、誰がどこでどのように広めるかの計画、能力開発または訓練が有用な場合はその計画、データ公開の原則に基づく、または利害関係者の合意を得た、データの保存と共有の計画などが含まれます。このような計画書は、研究の範囲を定義し、遺伝子データ解析が予期せぬ方向に進む可能性があることを認識した上で、想定される結果を正直に伝える必要があります。こうした計画書は、後に研究が当初の計画から逸脱した場合に参照できる、もともと意図された研究の記録となります。研究計画の変更は、当初の合意に関与した人々の賛同があって初めて行なわれるべきです。研究者は、古代人の遺骨を研究する許可が与えられると、同意を得られた研究目的のための試料の管理者となりますが、試料の「所有権」は移転されないことを認識すべきです。研究者は、その計画書をヒト遺体の管理責任者や、その他の発言権を持つと考えられる集団と共有する責任があります。そのため、専門家ではない人も計画書を理解できるように書く必要があります。また、適切と考えられ、すべての関係者から合意が得られている場合は、出土地以外で保管されているヒト遺体を出土地に戻すための道筋を計画書の中で説明できます。
(3)研究者は、ヒト遺骨・遺体の損傷を最小限に抑える必要があります。多くの場合他の部位の何倍もの遺伝子データを抽出できる側頭骨錐体部という骨部位が、近年分析の主な対象になっていることを考慮すると、研究による人類学的収集物に対する影響を最小限に抑えることは、とくに重要と言えます。研究者は他の利害関係者と協議しながら、ヒト遺骨・遺体の保護に関する懸念と科学的分析の調和のための方法を考える必要があります。研究者は、有用なデータの抽出量を最大化しつつ、ヒト遺体の損傷を最小限に抑えるために推奨される方法の習得なしに、ヒト遺体の試料を採取すべきではありません。また、科学的な疑問を解決するために必要される以上の試料を採取すべきではなく、いつ標本抽出されたのかを記述した、試料採取の記録をヒト遺体の管理責任者に提出しなければなりません。
さらに、DNA の保存状態が悪いヒト遺体に同様の方法での分析を繰り返さないために、有用なデータを得られなかった研究についても公表する必要があります。標本抽出の前に、高解像度の写真撮影と生物考古学(形態学を中心とした出土人骨研究)的な評価に基づいて形態を記録しておく必要があります。少なくとも、ひじょうに年代の古い個体や特殊な状況で出土した遺骨・遺体については、マイクロCTスキャンによる分析やレプリカ作成のための鋳型(cast)を作製する必要があり、動物遺体(骨)や生物考古学的にさほど有用でない人骨の部位を最初に分析して、その出土地におけるDNAの保存状態を評価した方がよいのか、議論する必要があります。
標本抽出後は、その後の研究における追加のサンプリングの必要性を減らすために、試料の他にDNA抽出物やDNAライブラリーなどの分子レベルの生成物を共有することにより、ヒト遺骨・遺体の責任ある取り扱い方を進めることができます。研究者は、研究の再現性を高めるために、このような分子レベルの生成物を保管する責任があります。また、標本抽出したヒト遺体や抽出・生成物を研究室間で共有する許可を得ることが勧められます。これにより、承認された研究計画に沿った使用であれば、最初の研究で取り上げた問題の再評価や最初の研究の範囲を超えた追加分析が容易になります。
(4)研究者は、成果の発表後、科学的知見の批判的な再検討が可能になるようにデータを公開しなければなりません。古代DNAデータは迅速に発表されるべきであり、その後、少なくとも結果を批判的に再評価する目的で利用できるようにする必要があります。少なくとも、発表された結果の正確さを検証するためのデータ提供の保証がなければ、科学者は倫理的に研究に参加することはできません。この保証は最初の研究許可に組み込まれている必要があります。これは、誤った情報の拡散を防ぐためにも、将来同じ問題を再検討するための分析を可能にするためにも重要です。
発表後には、データを完全に利用できるようにするのが最善の方法です。実際、ほぼ全ての古代ゲノムデータは、このように永続的な公開データリポジトリで公開されており、この分野の倫理的な強みとなっています。データの完全公開は科学的知識の進歩に貢献するだけでなく、データの再利用でさらなる標本抽出の必要性を減らすことができるという点で、ヒト遺骨・遺体の責任ある管理にも貢献します。しかし、利害関係者間の話し合いにより、古代DNAデータの再利用方法を制限することが倫理的に正しいと判断されるシナリオも想定されます。ある種の分析結果を開示することで利害関係者に不利益が生じ、データを完全公開することの利点を上回る可能性がある場合などです。こうした事例は、研究開始前の話し合いの過程で特定されるべきであり、研究結果を再評価する目的でのみデータを分析することに同意し、必要な知識・技術を持つ研究者にデータの配布を制限することは、最初の研究計画の一部であるべきです。
データが完全に公開されない場合、結果を批判的に再検証する目的でのデータの管理と配布は、データの誤用を防ぐための専門知識を持ち、研究結果に利害関係のない組織により行なわれるべきです。これまでは、博物館や先住民集団などの関係者が、発表後のデータの研究者への配布を担当すべきとされてきました。しかし、研究結果に利害関係を持つ者が、当初の研究に関する合意で対象とされていた問題を批判的に再検討しようとする、適切な知識と技術を持つ研究者へのデータの提供を拒否できるような研究課題は、研究者の職業倫理に反します。この点に関して、完全公開されていないデータを、批判的再検討の目的での使用を申請した研究者への配布を保証する仕組みが確立されています。たとえば、研究者がデータを管理するリポジトリにデータ使用を正式に申請し、それが出版物に記載されているデータ使用の制限を満たしているとデータアクセス委員会に承認された場合のみ、データを提供するという方法を取ることができます。データ取得の過程に時間を要するという欠点がありますが、dbGaP やEGA リポジトリなどでプライバシーの問題に対処するために、現代人のゲノムデータについてこのような方法がとられることがあります。また、データの保存と普及に共同体が関与する、先住民データのバイオリポジトリが設立され始めています。研究者や共同体の代表者や博物館学芸員などの利害関係者集団は、当初の研究に関する合意で対象とされていた問題の批判的再検証を望む研究者へのデータ配布を管理すべきではありませんが、当初の研究合意に含まれていなかった目的のためにデータを保存・配布する上で、先住民データのバイオリポジトリが重要な役割を果たす可能性があります。
(5)研究者は、研究の初期段階から他の利害関係者との話し合いを進め、利害関係者の視点を尊重し、よく理解することに務めなければなりません。古代DNAデータを新たに作成する研究課題は、地域共同体や考古学者や人類学者や遺伝学者や博物館学芸員など、さまざまな関係者によって開始されることがあり、それらのうち誰もが、学術的に貢献するなら研究チームの構成員となれます。相談を受けた他の利害関係者が名前を公表することに同意した場合は、論文の謝辞欄にその旨を記載すべきです。研究計画や研究課題や科学計画を進めるべきかどうかにの議論には、利害関係者(研究対象となるヒト遺骨・遺体が出土した地域の集団を含むことが望ましい)が積極的に関与する必要があります。研究者は、計画された研究について利害関係者の全員が一致する支持が得られない場合、否定的な意見を受け入れなければなりません。
一旦、研究を進めるという合意が得られれば、専門家としての科学倫理では、研究者はさらなる承認を必要とせずに、発表の時点まで研究を進めることができます。出版前に、研究チームの構成員ではない利害関係者集団による原稿の承認を義務づけるべきという条件は、科学研究の独立性を犯すことになり、研究者の職業倫理的上、実現が不可能です。しかし、一度研究が始まれば研究者が科学的な独立性を保つべきだということは、データの影響についての利害関係者の視点を考慮せずに結果を公表してよい、というわけではありません。とくに、研究結果が意外なものだったり、これまでの仮定を覆すものだったりした場合には、公開前に利害関係者の視点を加えたり、批判的な反応を提供してもらったりして、研究結果に関与してもらったりすることは有意義です。特定の方法で研究成果を伝えることが何らかの問題を起こさないのか考えることは、研究者にとって職業倫理上の責任であり、研究開始後、他の利害関係者と話し合いを続けることは、この義務を果たすために効果的な方法です。このような協議の結果、利害関係者集団に重大な不利益をもたらすことなく結果を公表できないと判断された場合、研究者はその結果を発表すべきではありません。
研究者は、利害関係者に対して定期的に研究の進捗状況を報告し、研究課題の最終段階で結果を提出するという義務を自覚しなければなりません。どのような研究成果が予想されるか、遺伝子データが他の知識体系と矛盾する解釈を示すかも知れないこと、科学的な分析結果を学術的成果として報告することが、伝統的な知識体系や深く根づいた信仰を否定したり、その価値を貶めたりするものではないことを、最初から明確にしておく必要があります。遺伝子解析の結果と他の証拠との間の不一致は、過去を理解するということの複雑さの重要な要素として報告されるべきです。
研究者は利害関係者と協力して、研究成果を共同体にとって理解しやすい形で広げるための普及活動に取り組むべきです。これには、現地の共同研究者と協力して論文の成果を現地の言語に翻訳すること、子供向けの教育資料を作成すること、図書館やその他の共同体総合施設向けにパンフレットや小冊子を作成すること、博物館と協力して展示会を計画することなどが含まれます。また必要に応じて、利害関係者集団や地域共同体の構成員などの研修や教育に貢献し、収集物の保存状態改善の方法を検討すべきです。これには、データの生成、解釈、普及に参加するために必要な援助、たとえばヒト遺骨・遺体の標本抽出や分析技術に関する訓練、さらなる継続的訓練や学会参加のための経済的支援などが含まれます。助成機関にとっては、能力開発のための計画に適切な資金を割り当てられるようにすることが重要です。
●ヒト遺骨・遺体を対象とした倫理的な古代DNA 研究の推進
研究者はその仕事の一環として、研究成果のイデオロギーに基づいた歪曲を正すという、社会的に影響の大きい義務も負っています。学術論文でデータが専門的に公表された後、多くの研究は科学ジャーナリストや教育者によって要約され、幅広い読者に伝えられます。ジャーナリストや政府関係者が、政治的な目的のために研究結果を誤って伝えた例がありますが、科学者には誤った解釈を正すために努力する義務があります。一般の人々への普及活動には、エッセイや書籍の執筆、ソーシャルメディアへの投稿、ドキュメンタリーへの参加などがあります。今回のワークショップの多様な参加者の間でこれらの指針が圧倒的に支持されたことから、古代DNA研究に携わるより広範な共同体もこれらの原則を支持すると期待され、今後、雑誌や専門機関や助成機関により作られる公式指針の基礎となることを望みます。
参考文献:
Alpaslan-Roodenberg S. et al.(2021): Ethics of DNA research on human remains: five globally applicable guidelines. Nature, 599, 7883, 41–46.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04008-x
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