『卑弥呼』第73話「勝ち抜き」
『ビッグコミックオリジナル』2021年11月5日号掲載分の感想です。前回は、腹の子のせいで大勢の民が死ぬが、その子を殺せばもっと大勢の人が死ぬ、とモモソに言われたヤノハが、ではどうすればよいのか、と問いかけるところで終了しました。今回は、日下(ヒノモト)の国の當麻(タイマ)で、手乞(テゴイ)、つまり相撲(捔力)が行なわれている場面から始まります。手乞に勝ち抜いたのはヤマヒコという男性で、蹴速(ケハヤ)の称号が与えられました。この勝ち抜き戦で、かなりの死傷者が出たようです。衝撃を受けたミマアキは、當麻の手乞と比較したら我々筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)の捔力(スモウ)は子供の遊びだ、とミトメ将軍に言います。トメ将軍は、當麻の手乞が試合ではなく戦場での組手だ、と指摘します。
當麻の長であるクジラは、筑紫の客人が當麻の力士(チカラビト)との手合わせを所望だ、と言います。トメ将軍の配下の兵士が何人か名乗り出ますが、トメ将軍は自ら出ると言い、配下の兵士は止めようとします。しかしトメ将軍は、當麻の組手に筑紫の捔力では勝てないので、別の技が必要だ、と指摘します。ミマアキに別の技とは何なのか問われたトメ将軍は、海を越えた彼の大国(漢のことでしょうか)には武術(ウーシュー)と呼ばれる組手がある、答えます。武術とは、400年前に海のごとく広大な黄河の沿岸に住む民から生まれた素手による戦いの技で、地战(ジークゥ)と呼ばれるものがあり、それ以外に當麻の捔力に勝つ術はない、と説明します。トメ将軍が名乗り出ると、クジラは、大将には兵を無事に筑紫に返す使命があるのではないか、と言って却下します。しかしトメ将軍は、三つ要求を提示します。まず、トメ将軍が勝とうが負けようが、河内湖(カワチノウミ)への山越えを當麻が手助けすることです。次に、クジラと戦うことです。するとクジラは愉快そうに笑いだし、自分は不敗のまま後進に道を譲った三代前の蹴速だ、と言います。トメ将軍はきこれを予想していなかったのか、焦ります。最後に、筑紫と當麻の捔力は定め事が違うので、この試合は定め無用とすることで、クジラはそれも認めます。
トメ将軍とクジラの捔力が始まりますが、両者互角で、組んだまま動きません。トメ将軍が先に足で仕掛け、それを返したクジラがトメ将軍を投げ飛ばし、勝ったと確信したクジラは倒れたトメ将軍を蹴り始めます。何発か蹴られたトメ将軍は、クジラの蹴りをかわすとその手と足を掴んで倒し、寝技に持ち込んでクジラの足首の辺りを極めます。クジラは動けず痛みのあまり悲鳴を発し、殺せ、と喚きますが、トメ将軍は技を解きます。とどめを刺せ、と言うクジラに、勝負は着いた、とトメ将軍は言います。立ち上がろうとしても足が動かないクジラに、跟腱(コンケン、アキレス腱)を切った、とトメ将軍は言います。なぜ殺さない、とクジラに問われたトメ将軍は、勝敗は敵の命を奪うことではなく、敵が戦えなくなれば充分で、我々が報じる日見子様はいつも、無用な殺生はするなと言う、と答えます。ミマアキやトメ将軍の配下の兵士たちは、さすが歴戦の戦人だ、とトメ将軍を称えます。筑紫の兵士たちの力を認めたクジラは、河内湖までの山越えを當麻の者に案内させると約束し、トメ将軍は礼を述べます。
日鷹(ヒタカ、現在の大分県日田市でしょうか)では、ヤノハの腹の子のせいで大勢の民が死ぬが、その子を殺せばもっと大勢の人が死ぬ、との予言はどのような意味か、とヤノハがモモソに問い質します。するとモモソは、腹の子は愛おしいか、命に代えても子を守りたいか、とヤノハに尋ねます。ヤノハは、正直なところ分からないが、人は生まれたら天命を全うすべきと思う、と答えます。腹の子と倭国の泰平のどちらを選ぶのか、とモモソに問われたヤノハは、沈黙してしまいます。日見子(ヒミコ)をやめたければやめるがよいが、ヤノハ以外では倭国の平和はない、天照様の怒りを身体中に受け、偽りと血にまみれて生きれば、倭国に明日は来る、とモモソはヤノハに告げます。モモソがヤノハに、一つ教えてやろう、と言って、今、腹の子を殺さねば、その子にお前は殺される運命だ、と告げるところで今回は終了です。
今回は、當麻での命をかけたトメ将軍とクジラとの大将同士の戦いが中心に描かれ、最後にモモソからヤノハに衝撃的な予言が告げられました。トメ将軍とミマアキの一行が命をかけて當麻の力士と戦って勝ち、窮地を脱することは予想できていましたが、何度も朝鮮半島に渡っているというトメ将軍の設定を活かした面白い話になっていたと思います。以前にもトメ将軍は、倭国では見慣れない漢の刀と剣法で暈(クマ)のオシクマ将軍に勝っており(22話)、今後もトメ将軍のこの設定を活かした話が描かれるのではないか、と楽しみです。
モモソの予言は衝撃的でしたが、漠然としており、具体的にどのような状況でヤノハが自分の子に殺されるのか、予想が難しいところです。自分が祈祷女(イノリメ)になる前に死ぬことまでは予知できても、楼観からヤノハに突き落とされて殺されるところまでは予知できなかったように、モモソにも漠然とした未来しか見えてなさそうですから、より具体的な内容はヤノハの子が成長するまで分からないままでしょうか。『三国志』では、魏に使者を派遣した倭国王は年長とされているので、その頃の日見子(卑弥呼)がヤノハである可能性は高そうです。『三国志』からは、狗奴国(おそらくは暈)との戦いの中で卑弥呼が死んだと考えられるので、暈との戦いで情勢が厳しくなるなど、日見子の権威が低下するなかで、ヤノハは自分の子に殺されるのでしょうか。『三国志』では、卑弥呼の死後に男王が擁立されたもののまとまらず、卑弥呼の一族である台与(壱与)という13歳の少女を擁立することで国が収まった、とあります。台与がヤノハとチカラオ(ナツハ)との間の子供が儲けた子供(ヤノハにとって孫)と予想していましたが、ヤノハとチカラオとの間の子供は男性で、ヤノハを殺して王になったものの倭国がまとまらず、その娘でモモソのように霊力のある台与が王に擁立されてやっと国がまとまった、ということでしょうか。もっとも、それが描かれるのは終盤でしょうし、まだ疫病がどう終息するのか、日下との関係がどうなるのか、といった話が長く続きそうですから、魏への使者の派遣とヤノハの晩年が描かれるのは当分先になりそうです。本作はかなり壮大な話になりそうなので、これまでのような丁寧な描写が長く続くよう、期待しています。
當麻の長であるクジラは、筑紫の客人が當麻の力士(チカラビト)との手合わせを所望だ、と言います。トメ将軍の配下の兵士が何人か名乗り出ますが、トメ将軍は自ら出ると言い、配下の兵士は止めようとします。しかしトメ将軍は、當麻の組手に筑紫の捔力では勝てないので、別の技が必要だ、と指摘します。ミマアキに別の技とは何なのか問われたトメ将軍は、海を越えた彼の大国(漢のことでしょうか)には武術(ウーシュー)と呼ばれる組手がある、答えます。武術とは、400年前に海のごとく広大な黄河の沿岸に住む民から生まれた素手による戦いの技で、地战(ジークゥ)と呼ばれるものがあり、それ以外に當麻の捔力に勝つ術はない、と説明します。トメ将軍が名乗り出ると、クジラは、大将には兵を無事に筑紫に返す使命があるのではないか、と言って却下します。しかしトメ将軍は、三つ要求を提示します。まず、トメ将軍が勝とうが負けようが、河内湖(カワチノウミ)への山越えを當麻が手助けすることです。次に、クジラと戦うことです。するとクジラは愉快そうに笑いだし、自分は不敗のまま後進に道を譲った三代前の蹴速だ、と言います。トメ将軍はきこれを予想していなかったのか、焦ります。最後に、筑紫と當麻の捔力は定め事が違うので、この試合は定め無用とすることで、クジラはそれも認めます。
トメ将軍とクジラの捔力が始まりますが、両者互角で、組んだまま動きません。トメ将軍が先に足で仕掛け、それを返したクジラがトメ将軍を投げ飛ばし、勝ったと確信したクジラは倒れたトメ将軍を蹴り始めます。何発か蹴られたトメ将軍は、クジラの蹴りをかわすとその手と足を掴んで倒し、寝技に持ち込んでクジラの足首の辺りを極めます。クジラは動けず痛みのあまり悲鳴を発し、殺せ、と喚きますが、トメ将軍は技を解きます。とどめを刺せ、と言うクジラに、勝負は着いた、とトメ将軍は言います。立ち上がろうとしても足が動かないクジラに、跟腱(コンケン、アキレス腱)を切った、とトメ将軍は言います。なぜ殺さない、とクジラに問われたトメ将軍は、勝敗は敵の命を奪うことではなく、敵が戦えなくなれば充分で、我々が報じる日見子様はいつも、無用な殺生はするなと言う、と答えます。ミマアキやトメ将軍の配下の兵士たちは、さすが歴戦の戦人だ、とトメ将軍を称えます。筑紫の兵士たちの力を認めたクジラは、河内湖までの山越えを當麻の者に案内させると約束し、トメ将軍は礼を述べます。
日鷹(ヒタカ、現在の大分県日田市でしょうか)では、ヤノハの腹の子のせいで大勢の民が死ぬが、その子を殺せばもっと大勢の人が死ぬ、との予言はどのような意味か、とヤノハがモモソに問い質します。するとモモソは、腹の子は愛おしいか、命に代えても子を守りたいか、とヤノハに尋ねます。ヤノハは、正直なところ分からないが、人は生まれたら天命を全うすべきと思う、と答えます。腹の子と倭国の泰平のどちらを選ぶのか、とモモソに問われたヤノハは、沈黙してしまいます。日見子(ヒミコ)をやめたければやめるがよいが、ヤノハ以外では倭国の平和はない、天照様の怒りを身体中に受け、偽りと血にまみれて生きれば、倭国に明日は来る、とモモソはヤノハに告げます。モモソがヤノハに、一つ教えてやろう、と言って、今、腹の子を殺さねば、その子にお前は殺される運命だ、と告げるところで今回は終了です。
今回は、當麻での命をかけたトメ将軍とクジラとの大将同士の戦いが中心に描かれ、最後にモモソからヤノハに衝撃的な予言が告げられました。トメ将軍とミマアキの一行が命をかけて當麻の力士と戦って勝ち、窮地を脱することは予想できていましたが、何度も朝鮮半島に渡っているというトメ将軍の設定を活かした面白い話になっていたと思います。以前にもトメ将軍は、倭国では見慣れない漢の刀と剣法で暈(クマ)のオシクマ将軍に勝っており(22話)、今後もトメ将軍のこの設定を活かした話が描かれるのではないか、と楽しみです。
モモソの予言は衝撃的でしたが、漠然としており、具体的にどのような状況でヤノハが自分の子に殺されるのか、予想が難しいところです。自分が祈祷女(イノリメ)になる前に死ぬことまでは予知できても、楼観からヤノハに突き落とされて殺されるところまでは予知できなかったように、モモソにも漠然とした未来しか見えてなさそうですから、より具体的な内容はヤノハの子が成長するまで分からないままでしょうか。『三国志』では、魏に使者を派遣した倭国王は年長とされているので、その頃の日見子(卑弥呼)がヤノハである可能性は高そうです。『三国志』からは、狗奴国(おそらくは暈)との戦いの中で卑弥呼が死んだと考えられるので、暈との戦いで情勢が厳しくなるなど、日見子の権威が低下するなかで、ヤノハは自分の子に殺されるのでしょうか。『三国志』では、卑弥呼の死後に男王が擁立されたもののまとまらず、卑弥呼の一族である台与(壱与)という13歳の少女を擁立することで国が収まった、とあります。台与がヤノハとチカラオ(ナツハ)との間の子供が儲けた子供(ヤノハにとって孫)と予想していましたが、ヤノハとチカラオとの間の子供は男性で、ヤノハを殺して王になったものの倭国がまとまらず、その娘でモモソのように霊力のある台与が王に擁立されてやっと国がまとまった、ということでしょうか。もっとも、それが描かれるのは終盤でしょうし、まだ疫病がどう終息するのか、日下との関係がどうなるのか、といった話が長く続きそうですから、魏への使者の派遣とヤノハの晩年が描かれるのは当分先になりそうです。本作はかなり壮大な話になりそうなので、これまでのような丁寧な描写が長く続くよう、期待しています。
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