ヨーロッパ南東部前期青銅器時代における親族構造と社会的地位の相続

 取り上げるのが遅れてしまいましたが、ヨーロッパ南東部前期青銅器時代における親族構造と社会的地位の相続に関する研究(Žegarac et al., 2021)が公表されました。最近当ブログで取り上げた、新石器時代と青銅器時代のクロアチアにおける人口史と社会構造に関する研究(関連記事)に本論文が引用されており、興味深い内容のように思われたので、読んでみました。近年では、ユーラシア東部における古代ゲノム研究も飛躍的に発展していますが、親族構造と社会的地位の相続に関しては、ヨーロッパと比較してまだ古代ゲノム研究がかなり遅れているように思われるので、日本列島も含めてユーラシア東部圏におけるそうした観点の研究の進展が期待されます。


●先史時代の社会構造の再構築における親族関係研究

 過去の社会の組織を理解することは、最近のヒトの進化を理解するのに重要であり、考古学者と人類学者は数世代にわたって、考古学的記録における社会的状態を検出するための、科学的および概念的な一連の手法の開発に取り組んできました。これらの手法が用いられて、社会的不平等を含む社会的複雑さが最初に出現した時期、社会的階層化の初期形態の性質と機能、これらの出現した構造が時空間的にどのように永続されたのか、ということが調べられました。

 文字記録がない場合、先史時代の社会構造はおもに埋葬遺骸の証拠から再構築されます。考古学的親族関係の研究は、埋葬の証拠を用いて社会組織形成における家族構造の特有の役割を理解しており、家族的関係が社会的複雑性の出現と持続的な不平等の進化にどのように影響を及ぼしたのか、判断するのに重要です。

 親族関係の人類学的理解には、生物学的近縁性だけではなく、広範な非生物学的社会関係も含まれます。最近、古代DNA研究が先史時代の親族関係の結びつきの補足的な証拠として開発されました。親族関係はひじょうに変動しやすい概念で、社会における個体間の複雑な相互作用を伴い、古代DNA研究は生物学的近縁性という一側面しか引き出せません。一連の複数の生物考古学および考古学的証拠と組み合わせてのみ、古遺伝学的データは家族概念と社会組織の包括的な調査に貢献できます(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。


●前期青銅器時代における垂直的分化の発達

 更新世末以前の顕著な社会的階層化の証拠は、ほとんどありません。定住と動物の家畜化および植物の栽培家の採用を可能にしたのは完新世の安定した気候条件で、大きな人口増加を促進しました。次にこの人口増加は先史時代の社会の経済構造に影響を及ぼし、最終的にはより大きな人口圧と社会組織の変化にさえつながりました。新石器時代以降、社会的不平等化増加の一般的傾向が見られ(関連記事)、これは銅器時代および前期青銅器時代(EBA)に再度顕著に激化し、物質文化および埋葬慣習で視覚的に表現されるようになりました(関連記事)。しかし注意すべきは、継承的エリートにより支配された階層的な首長制としての青銅器時代共同体との伝統的見解には一部から異議が唱えられており、青銅器時代における社会的不平等性の程度と性質は依然として議論されている、ということです。

 貴重な資源の差異的管理とともに、思想や知識や「外来」商品の長距離交換など経済的革新は物質的な富の顕著に多い蓄積を可能にした、との合意があります。この社会的および経済的複雑さの増加は、エリートの個人の出現を支えた可能性がひじょうに高そうです。EBAの社会的複雑さは、生物学的関連があったかもしれません。階級化された社会では、社会的地位は資源入手や権力の地位に影響を及ぼし、個人の健康と富にはひじょうに重要かもしれません。

 ヨーロッパ南東部では、後期新石器時代共同体における社会的不平等の存在の証拠があり、この不比等は増加したか、少なくともEBAまで持続したようです。地位と富を永続させる仕組みに関して議論があり、青銅器時代の首長制のような複雑な社会では、親族関係ネットワークや姻戚関係の結びつきが、指導者による富の分配と労働力管理と自身の地位強化の経路として機能した、との仮説が提示されています。人類学的研究では、富の血統に基づく世代間継承が、富の不平等を持続させる主要な仕組みだった、と示唆されています。


●EBAの社会組織を理解するうえでのモクリンの役割

 本論文は、セルビアのバナト(Banat)北部のキキンダ(Kikinda)町近くに位置する、モクリン(Mokrin)のEBAネクロポリス(大規模共同墓地)の親族関係分析を行なうため、古ゲノミクスと生物考古学と人類学の証拠を組み合わせた研究の調査結果を報告します。このネクロポリスは、ハンガリー南東部とルーマニア西部とセルビア北部に及ぶ一連の共同体を含む、紀元前2700~紀元前1500年頃となるマロス(Maros)文化に分類される人口集団により用いられました(図1)。放射性炭素年代測定から、モクリンのネクロポリスは紀元前2100~紀元前1800年頃の300年間使われた、と示唆されています。

 巨大でよく保存された墓地はマロス文化の集落の典型で、合計300基以上の墓があるモクリンは最大級のマロス文化集落の一つです。モクリンの規範的な埋葬パターンは、単一の土葬で構成されます。遺骸の体は東を向いて曲がっていますが、北もしくは南の体の向きは性別により異なりました。女性はその頭が南側を向いて右側に置かれているのに対して、男性は北側に頭を向けて左側に置かれています。本論文では、生物学的性別がモクリンの社会的性別と完全には切り離されていない、という完全には根拠のない仮定に依拠し、さらに詳しく以前の研究を参照します。

 川沿いのマロス文化村落群の位置と明確に外来の副葬品の存在から、マロス文化共同体は、製造された商品や資源の交換を含む外部集団との頻繁な相互作用に関わっていた、と示唆されます。モクリン遺跡の社会的組織の生物考古学的および物質文化的相関は、量と質と空間分布の観点で、副葬品の詳細な古人口統計学的情報をもたらす分析によりすでによく特徴づけられています。さらなる研究では、骨格から識別される身体活動のパターンにより反映された、富や地位や社会政治的要因の慣行が調べられました。これら一連の研究によって、より高い社会的地位の標識として機能した副葬品が特定されました。同時にこうした一連の研究により、これらの標識と増加する男性の身体活動の増加との間の正の相関が検出されました。

 間違いなく、副葬品は社会的領域の完全な反映ではなく、複数の意味を有する可能性があります。さらに、副葬品の一覧は決して完全ではありません。それはとくに、腐敗しやすい物質で作られたものは回収できないからです。それにも関わらず、モクリンのネクロポリスに関する以前の研究では、回収された副葬品は重要な社会的側面を反映しており、少なくとも社会的地位の大まかな代理として機能できる、と示唆されています。副葬品が、直線的ではないとしても、定期的に個人の社会的存在と関連している、との論証は、モクリンにおける社会的地位の継承への以下の調査の明確な基礎的過程を形成します。以下は本論文の図1です。
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この研究は、モクリンのネクロポリスの24個体の骨格標本について古ゲノム分析を行ない、個体間の生物学的関連の明確な特定を提供します。次に、特定された生物学的関連が社会的地位の考古学的標識とともに用いられ、EBAマロス社会内の埋葬習慣の特徴や家族構造や地位の継承が推定され、より広く、青銅器時代社会の発展の側面が追跡されます。本論文は以下の4点の問題に対処します。

 (1)モクリンの埋葬遺跡により提供された共同体における親族関係体系はどのようなものだったのか、ということです。家族は氏族か家柄かより大きな血縁で組織されていましたか?居住と結婚のパターンを再構築できますか?(2)富と地位はモクリンの埋葬地により表される社会において継承されましたか?(3)モクリン標本における遺伝的変動性は単一の人口集団に対応していますか?近親交配の証拠はありますか?(4)モクリンの埋葬地は銅器時代から青銅器時代の移行期における遺伝的多様性を表していますか?


●標本抽出と人類学的分析

 錐体骨が保存され、隣接する墓が存在し、成人の近くに埋葬されたより若い個体が存在しており(地位の継承を追跡できる家族集団)、物質文化の標識で多様な、一連の基準に従った分析のため、22基の墓に埋葬された24個体が選択されました(成人14個体と子供10個体)。その内訳は、単葬墓の20個体と二重墓(257号墓)および三重墓(122号墓、第三の個体は保存状態が悪く分析できませんでした)の2個体ずつです。観察された古病理学的および生理学的ストレスマーカーは、この地域と期間の先史時代人口集団に典型的です。以前の副葬品分析結果に基づいて、これらの遺骸は副葬品の豊富さに応じて2区分されました。「名声」型は高い社会的地位を示唆する副葬品の存在と数により特徴づけられ、「簡素」型は、数個もしくは簡素な副葬品を有するか、副葬品がありません。


●DNAの保存と汚染と死後損傷と性別の評価

 錐体骨からDNAが抽出され、全ゲノムショットガン配列により、常染色体で平均深度0.85±0.25倍(0.33~1.41倍)に達しました。調査対象の24標本における内在性ヒトDNAの割合は8~70%であり、20%未満は2個体のみで、これらの標本のひじょうに優れた分子保存状態を反映しています。優れた保存状態は標本で検出された低い汚染水準でも示唆され、ミトコンドリアの平均汚染水準は1%未満でした。USERで処理されていないライブラリでは、脱アミノ化率の範囲はリードの5'末端の最初の塩基で0.13~0.26で、古代DNAデータの確実性を裏づけます。

 分枝的性別により14個体の女性と10個体の男性が識別され(表1)、遺骸の人類学的な性別決定が確認されました。211号墓の個体の遺伝的性別は、当初以前の研究では決定されませんでしたが、X染色体とY染色体の量はそれぞれXY核型を示唆し、形態学的調査と一致する結果でした。これは、以前の研究で報告された手法の適用によりさらに確認されました。分子的性別決定と考古学的性別決定との間で3件の不一致が観察され、その全ては、当初の性別決定が標準的なモクリンの葬儀のみの仮定に基づいていました(122Sと220と257B)。この3個体のうち2個体(257Bと122S)は、それぞれ二重墓と三重墓に由来し、考古学的観点からは標準外なので、体の向きも影響を受けた可能性があります。


●片親性遺伝標識とゲノム多様性の推定

 片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)では、モクリン標本はY染色体の非組換え領域とミトコンドリアDNA(mtDNA)の両方で比較的高い多様性を示します。少なくとも14のmtDNAハプロタイプが識別され、先史時代ヨーロッパ中央部採集民でよく見つかるmtDNAハプログループ(mtHg)Uや、H・T2・K1・J1が含まれます。10個体のY染色体は少なくとも5つの異なるハプロタイプに分類でき、そのうち3個体は現代ヨーロッパ人口集団で共通するY染色体ハプログループ(YHg)R1bです。

 有意な人口集団の遺伝的構造の証拠は見つかりませんでした。以前の研究で報告された手法に基づいて、近交係数F(人口集団のアレル頻度が与えられた場合のヘテロ接合体遺伝子型の欠損と定義されます)は0と推定されました。さらに、いくつかの仮説を立てて標本が分割されましたが、どの場合でも有意な人口集団分化は観察されませんでした。


●祖先系統分析

 ヨーロッパ人口集団の主成分分析に投影すると、全モクリン標本は現代ヨーロッパ人の遺伝的変異の範囲内に収まり、ヨーロッパ北部と東部と南部の現代人の中間でまとまります。ヨーロッパ青銅器時代人口集団の構成要素は3つでじゅうぶんにモデル化できる、との仮定で個々の混合割合が推定されました。それは、鉄門(Iron Gates)狩猟採集民とエーゲ海新石器時代農耕民とヨーロッパ東部草原地帯的人口集団です。個体186号は例外かもしれませんが、個体間でヨーロッパ東部草原地帯的構成要素の有意な変動は観察されませんでした。個体群を共同計算すると、混合割合は、12.5±1.8%の鉄門狩猟採集民と、53.7%±2.5%のエーゲ海新石器時代農耕民と、33.8±2.3%のヨーロッパ東部草原地帯的人口集団と推定されます。


●生物学的関連性分析

 モクリンのネクロポリスの分析された24個体の同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD。かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示し、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります)のゲノム規模パターンから、15個体を含む9つの家族関係が明らかになりました(表2)。3組の親子関係と2組のキョウダイ関係に加えて、3組の2親等程度の関係(両親のどちらかが同じ半キョウダイ、オジ・オバとオイ・メイ、祖父母と孫)と1組の3親等程度の関係(イトコ)が再構築されました。

 推定された親族関係は、関連個体が密接にまとまる外群f3分析で裏づけられました。関連する個体は、2件の例外を除いて、近接して埋葬される傾向がありました(図2)。24個体のうち9個体(186・122S・223・224・237・246・247・287・302)は他のどの個体とも密接な関係を有しておらず、全員女性でした(若い少女3個体と成人6個体)。これらの女性は、標本抽出領域全体に均等に分布しています。以下は本論文の図2です。
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●表現型遺伝標識

 ATLASに実装されたベイジアン手法を用いて個体の遺伝子型尤度を計算することにより、モクリン標本における色素沈着と関連する一連の遺伝子標識の頻度が推定されました。SLC45A2遺伝子のrs16891982*Gの派生的アレル(対立遺伝子)頻度は0.7098で、SLC24A5遺伝子のrs1426654*Aの頻度は1です。両者はヨーロッパ人の皮膚の色素沈着と関連しています。同等の頻度はスペインの現代人集団で見られます。虹彩の色素脱失と強く関連するHERC2遺伝子のrs12913832における派生的なGアレルは、頻度が0.4498で、トスカーナの現代人集団と類似しています。


●モクリンの人口集団の祖先系統と構造と遺伝的多様性

 個々のモクリン遺跡人類遺骸のゲノムは、鉄門狩猟採集民とエーゲ海新石器時代農耕民とヨーロッパ東部草原地帯的人口集団からの影響の混合としてよくモデル化されています。本論文の標本ではエーゲ海/地中海祖先系統(祖先系譜、ancestry)構成要素が優勢で(53.6±2.5%)、狩猟採集民構成要素は比較的低く(12.5±1.8%)、じっさい5個体では統計的に裏づけられていません。

 推定近交係数(F)はひじょうに低く、モクリンのネクロポリスには多様な祖先系統を有する人々が居住している一方で、任意交配人口集団を表している、と示唆されます。ミトコンドリア系統数はかなり多い、と明らかになりました(24個体で14ハプロタイプ)。高いmtDNA多様性は、考古学的および同位体的証拠と組み合わされ、女性の族外婚を示唆します(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。モクリンでは、遺伝的下位構造がなく、Y染色体とミトコンドリアの多様性が中程度から高いという事実を考えると、最も節約的な説明は、この共同墓地が単一の巨大で隣接した人口集団に使われた、というものです。


●生物学的関連性とモクリンの親族関係体系への示唆

 遺伝的親族関係分析は、分析された被葬者24個体のうち15個体を含む密接な遺伝的関係を明らかにし、モクリン遺跡における埋葬慣行への洞察を提供しました。本論文の親族関係分析では、父や娘は特定されなかったので、母と父と子の組み合わせはありませんでした。ドイツ南部の青銅器時代社会に関する親族関係研究(関連記事)とは対照的に、本論文の標本ではより大きな血族関係や拡大家族や氏族や家柄の遺伝的証拠は見つかりませんでした。これは、分析された標本数が限定的だったこと(被葬者312個体のうち24個体)、もしくは3親等を超えた遺伝的親族関係を確実に検出する能力が不充分なことに起因するかもしれません。したがって、より大きな家族単位が共同墓地で散らばって埋葬された可能性は否定できません。

 いずれにしても、モクリン遺跡の埋葬儀式は、子供が父母両方とともに埋葬されたドイツ南部の青銅器時代標本の報告例とはかなり異なっていたようです。一般的に本論文の標本では、相互に近くに埋葬された個体は遺伝的にも関連している傾向があります。この発見が標本抽出戦略により部分的に影響を受けたとしても、近親者(母と息子)が相互により離れた距離で埋葬されたのは1例だけです(260号と228号)。

 モクリン遺跡被葬者で、遺伝的親族関係のない標本の9個体(186・122S・223・224・237・246・247・287・302)は女性でした。そのうち7個体は、家族との結びつきのある個体の近くで発見されており、彼女たちが地域共同体で完全には社会的に孤立していなかった可能性を示唆します。モクリンのネクロポリスのより大きな親族関係ネットワークにおける彼女たちの位置を、ある程度確実に推測することは困難です。彼女たちの少なくとも一部は共同体の新参者だったかもしれませんが、その親族関係は共同墓地の他の標本抽出されていない個体で見つかる可能性が高そうです。

 夫婦関係は、親族関係が特定されなかった女性9個体のうち2個体について議論の余地があります。成人女性個体224号は成人男性個体225号の隣に埋葬されており、両者とも副葬品はありませんでした。同様の事例は若い女性302号でも見られ、熟年男性個体163号の近くに埋葬されていました。熟年男性個体163号と若い女性302号は、おそらく163号の母親だった成人女性181号の近くに埋葬されました。この3個体には全て名声型の副葬品がありました。

 まとめると、互いに近くに埋葬された個体は遺伝的に関連している傾向が観察されますが、同時に生物学的近親者のいない女性も近くに存在します。この知見から、ネクロポリスにおける埋葬の配置が、生物学的関連性や社会的親族関係の結びつきや死亡時期や社会的集団もしくは社会的役割など、いくつかのメカニズムにより影響を受けた、と示唆されます。この結論は、一般的傾向に反して同じ墓の亜成体122E号と遺伝的に関連しない、三重墓に埋葬された女性122S号の事例から追加の裏づけを得ます。

 生物学的な娘の欠如と近接した親族のいないさまざまな地位の女性の存在は、本論文の標本における高いmtDNAの多様性と合わせて考えると、女性族外婚がモクリン集団で行なわれていたかもしれない、と示唆されます。女性族外婚は最近、ドイツ南部とスイスの同様の年代の地域で示されており(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)、中世前期などずっと最近でも明らかに役割を果たしていました(関連記事)。

 上述の観察結果は厳密な母方居住の推論を裏づけませんが、モクリン社会が父系的および/もしくは父方居住的だった、と最終的に結論づけることはできません。モクリンのネクロポリスが単一の構造化されていない人口集団により用いられていた、という観察結果は、中程度から高いY染色体ハプロタイプの多様性とともに、厳密な父方居住に反するものであり、厳密な父方居住社会では、Y染色体多様性は相対的により低いと予測されます(関連記事1および関連記事2)。


●モクリンにおける地位の継承パターン

 本論文の標本抽出戦略は、モクリン遺跡内で相互に近くにある被葬者を対象としており、これらは遺伝的に関連する個体を含んでいる可能性が高い、と仮定されました。親族関係分析を通じてこれらの生物学的結びつきを解明することで、モクリン墓地に代表されるマロス社会において、(副葬品により示唆される)富と社会的地位が継承されていたのか、それとも獲得されたのか、調べることが可能となります。社会的名声が世代間で伝わる場合、これが地位の標識に反映される、と予測されます。同様の期間の他地域の古ゲノムおよび同位体に関する以前の研究(関連記事1および関連記事2)と、モクリン遺跡に関する以前の人類学的および考古学的研究に基づくと、社会的地位は父系で継承され、女性はその地位を結婚により獲得する、と仮定されます。

 モクリンのネクロポリス内の地位の違いは極端ではありませんでしたが、名声型と簡素型との間の違いを区別するには充分で、既存の範囲内では、生物学的親族により示される副葬品の大きな変動性さえありました。親族がその副葬品を通じて類似の社会的地位を示すのは2例だけで、それは220号(15~25歳)と225号(25~35歳)の男性2人です。この2人は二親等の親族で、ともに副葬品なしで埋葬されていますが、注意すべきは、生物学的男性の220号は女性で一般的な南北向きの体の位置だったことです。地位の連続体の対極には、181号墓に埋葬された女性がおり、163号墓の男性の母親である可能性がひじょうに高く、両者にはより高い社会的地位を示唆する副葬品が共伴していました。男性個体は死亡時に成人だったので、男性がその地位を継承したのか、それとも獲得したのか、不明です。

 モクリンでの他の観察は、社会的地位が男性に世代間で伝えられた、との推論を裏づけません。たとえば、228号墓の女性は260号墓の亜成体男性(15~18歳)の母親ですが、母親には比較的豊富な副葬品があるのに対して、息子の方には副葬品が全くありません。この息子は母親の社会的地位を継承しなかったか、その短い生涯において社会的地位を獲得しなかった、と推測されます。同様に、243号墓に埋葬された20~35歳の男性の母親と特定された女性257A号の副葬品から、この女性の地位はより低いと示唆される一方で、その息子の副葬品には母親より高い地位を示す斧が含まれていました。この地位の不一致から、息子はその生涯においてより豊かな埋葬を命じられる地位を獲得した、と示唆されます。さらに注意すべきは、この4組の被葬者で観察された副葬品の豊富さの対比は、母系での地位継承と一致していないことです。

 他の埋葬の組み合わせの証拠から、亜成体の個体は、少女の場合、豊富な副葬品を有する可能性がある、と示されます。9~11歳の少女である161号には、ネックレスや青銅製頭部装飾品や骨製針や青銅製指輪など、より高い地位のさまざまな標識が含まれていました。死亡時に15~20歳だったその兄(295号)の側には、小さくて簡素な土器しかありませんでした。このキョウダイが墓で異なる地位を示す事実は、男性ではなく女性が社会的地位を継承できる体系とより一致します。この事例はとくに、女性のみが地位を継承できる説得力のある証拠です。なぜならば、少女はほぼ確実に、地位獲得の機会を有するには若すぎて、その豊富な装飾品を、おそらくは持参金/婚資の一部として継承したに違いないからです。

 しかし、代替的な説明では、ティーンエージャー/思春期ではなくひじょうに若い子供たちが墓では地位を継承した、というものです。さらに、より地位の高い成人女性(288号)とより地位の低い学童期(juvenile)男性(282号)との間で、イトコの関係が観察されました。このイトコ間の相違は、男性が地位を継承しないという見解と一致するものの、男児が特定の年齢もしくは一定の功績を立てると、その父の地位を与えられる、というシステムを除外しません。

 合計では、標本の10人の男性で生物学的親族関係が推定されました。地位と年齢の分布を考えると、本論文の標本では、男性の社会的地位の高低の二分が年齢の違いにのみ起因することを除外できます。1親等の関係のみを考えると、男性6個体のうち3個体では、地位が継承された可能性は低そうです(20~25歳の243号、15~18歳の260号、15~20歳の295号)。なぜならば、その直接的な女性親族(母親もしくは姉妹)は男性たちと副葬品の地位が異なっていたからです。他の男性2個体(44~55歳の163号、50~55歳の211号)については、地位が継承されたのか、それとも獲得されたのか、不明です。本論文の解釈で最も問題となる事例は、より高い地位の標識で埋葬された6~9歳の122E号で、継承された地位の明確な証拠のようです。しかし、122E号は非定形の三重埋葬の一部で、122E号への副葬品の分類は完全に堅牢ではありません。

 まとめると、これらの観察は、男性の社会的地位の継承との推論を裏づけません。男性の地位は獲得されるもののようで、例外は決定的ではない122号墓の少年の事例です。しかし、本論文の標本には埋葬された男性と少年の父親は含まれていません。したがって、本論文の主張については、本論文の標本の息子たちは母親から社会的地位を継承しなかった、と仮定することに限定しなければなりません。


●モクリンの社会組織の年代的背景での再構築

 モクリンのネクロポリスで発見された24個体の古代ゲノムの分析は、とくに地位の継承に関して、前期青銅器時代の社会組織の重要な特徴を示しました。上述のように、モクリン遺跡の骨格標本は遺伝的に構造化されていない人口集団を表しているようです。これは社会的階層の存在を排除しませんが、社会的集団間の婚姻に厳密な障壁がなかったことを示唆します。

 高いmtDNA変動性、親族関係が特定されなかった女性の一定数の存在、娘の不在といった本論文における一連の複数の証拠から、女性族外婚がモクリン遺跡と他の集落では行なわれていた、と示唆されます。親族関係が特定されなかった女性たちは、簡素型から名声型まで、副葬品の豊かさがさまざまです。興味深いことに、成人の娘の不在と親族関係が特定されなかった女性の存在は、バイエルンの青銅器時代農場でも報告されており、そこではほぼ全ての親族関係が特定されなかった外来女性が、よく整備された墓に埋葬されていました(関連記事)。

 モクリンのネクロポリスでは、親族は小さな親族集団でともに近くに埋葬されていました。興味深いことに、本論文の標本ではこれら小集団には生物学的な父親が含まれていませんでした。本論文の標本におけるより大きな血族関係の不在と比較的高いY染色体ハプロタイプ多様性は、モクリン人口集団における厳密な父方居住への反証です。同時に、これらの観察は、ドイツ南部のレヒ川渓谷の青銅器時代農場とは異なる形態の社会組織を示唆します。

 ドイツ南部の青銅器時代農場では、近親者もともに埋葬されていますが、父方居住の明確な兆候があります(関連記事1および関連記事2)。モクリン集団はドイツ南部の鐘状ビーカー(Bell Beaker、略してBB)集団とも明確な違いがあり、BB集団では、高いmtDNA変動性と単一のY染色体系統が見られますが、低いY染色体の変動性はこの時点での地域全体に典型的で、社会的意味をまったく有さない可能性があります(関連記事)。モクリン遺跡の状況は、スイスの後期新石器時代家族とも完全に異なり、そこでは男性親族がともに埋葬されることが多かった、と明らかになっています(関連記事)。

 モクリンにおける地位の継承も、他のEBA文化とは異なっていたようです。本論文の親族関係分析は、母親3個体と姉(妹)1個体と親族関係が特定されなかった女性9個体を特定しましたが、娘は特定されず、女性では地位が継承されたのか、それとも獲得されたのか、推測が複雑になりました。息子はその生物学的母親から社会的地位を継承しなかったものの、生涯を通じて地位を獲得する機会があったようです。また、息子がその父親から地位を継承した可能性もあります。代替的な説明は、モクリンでは長子の法則が有効で(関連記事)、本論文の標本では出生後の息子だけが存在する、というものです。いずれにしても、モクリンの状況は、(男性の)地位継承の明確な兆候が存在したように見えるバイエルンの末期新石器時代およびEBAとは確かに異なります。

 地位継承に関する数少ない既存の古ゲノム研究から、後期/末期新石器時代とEBAの社会的構造および地位の継承パターンに、顕著な時空間的変動性があることは明らかですが、調査対象となったさまざまな社会で共通しているのは、女性族外婚の慣行のようです。垂直分化と継承体系の発達を解明することにより、モクリンのようなより大きな墓地の完全な分析は、EBA社会の進化を追跡するのに役立てます。以上、本論文についてざっと見てきましたが、EBAヨーロッパでさまざまな配偶体系が見られるものの、そうした慣行の異なる少なくとも複数の地域で女性族外婚が共通していることは、他の類人猿との共通祖先にまでさかのぼる、人類進化史における非母系社会の名残を反映しているのかもしれません(関連記事)。


参考文献:
Žegarac A. et al.(2021): Ancient genomes provide insights into family structure and the heredity of social status in the early Bronze Age of southeastern Europe. Scientific Reports, 11, 10072.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-89090-x

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