呉汝康「中国古人類学30年」

 中華人民共和国における古人類学の発展に関する概説(呉., 1981)を読みました。40年前の論文なので、もちろん現時点では更新された情報が多く、基本的に個別の事例は取り上げませんが、最近言及した中国における人類進化認識(関連記事)との関連で取り上げます。個別の事例を一つだけ取り上げると、ギガントピテクスについて本論文は、「絶滅枝の一つであり,従って人類あるいは猿類の直系の祖先とすることはできない」と指摘しており、最近のタンパク質解析研究でも改めて示されました(関連記事)。ギガントピテクスは、現生類人猿ではオランウータンと最も近縁です。

 本論文はまず、

中国は人類の起源と発展にとって重要な地域であり,人類化石や旧石器等の関連資料がきわめて豊富である。しかし半封建・半植民地の状態にあった旧中国においては,この方面の科学が重視され発展するということはありえなかった。1949年に新中国が成立してから,中国の古人類学は独立自主の道を歩むことになった。この30年間に我々は比較的大規模な調査活動をすすめ,かつまた重要な地点を選んで発掘を行ない,大量の新しい資料を獲得して各方面の研究を進展させた。

と指摘します。本論文は最後に、

我国において古人類学に従事するということは,人類の起源と発展の過程とその法則を理解するということだけではなく,人類の起源と発展の科学的事実を通じて労働者・農民・兵士と広範な大衆に対して弁証法的唯物論と歴史的唯物論を宣伝することなのである。

と指摘し、

我国において古人類学に従事するということは,人類の起源と発展の過程とその法則を理解するということだけではなく,人類の起源と発展の科学的事実を通じて労働者・農民・兵士と広範な大衆に対して弁証法的唯物論と歴史的唯物論を宣伝することなのである。

と結んでいます。本論文は全体的には中国の個々の遺跡と化石と石器を簡潔にまとめており、1981年時点での中国における古人類学の状況を把握するのにたいへん有益だったでしょうし、40年経った現在でも、学説史を把握するうえで大いに参考になるとは思います。ただ、本論文からは中国の古人類学研究における強いイデオロギー色も窺えます。もちろん、「自由主義陣営」や「先進国」にもイデオロギーはあり、それが古人類学に限らず学問を規定するというか制約することは否定できません。本論文からは、1981年の中国におけるイデオロギーが窺え、当時と40年後の現在で中国が大きく変わったことを否定する人はほぼいないでしょうが、一方で当時のイデオロギーや人類進化認識は現在でも建前として多分に残っているようにも思います。

 本論文は、

丁村人,北京原人,現代黄色人種の間には体質形態上少なからぬ類似点がみられる。たとえばシャベル形の切歯を持つことや頭頂骨の後上角に鋸歯状のぎざぎざを持つことからインカ骨があると考えられること等は,三者の間に親縁関係のあったことを示すものである。丁村人は北京原人と現代黄色人種の中間に位置するリンクの一つである。

と指摘し、

我が国の旧石器時代後期の文化遺物の発見件数は多く,分布範囲も広い。この時期のホモ・サピエンス化石とその文化遺物の発見と研究は,現代人の種族の起源を探るうえにおいて,とりわけ黄色人種あるいはモンゴロイドの起源を探るうえにおいて重要なよりどころを与えるものであり,また中国の遠古の住民が当時の外界と接触し文化交流を行ないつつも,彼等自身及びその文化には独自の特徴が継承されていたことを明らかにしたのである。

との見解を提示しており、中国における人類の長期の連続性を前提としています。原書が2009年刊行の『人類20万年遥かなる旅路』(関連記事)やそのドキュメンタリー番組(関連記事)でも、中国の経済が飛躍的に発展し、社会が大きく変わっても、中国において現生人類(Homo sapiens)多地域進化説が多数派を占めている、と指摘されています。中国の考古学は「土着発展(The indigenous development model)」型と分類されており(関連記事)、現生人類多地域進化説ときわめて親和的です。しかし、遺伝学を中心に現代中国の専門家の間では、ホモ属のアフリカ起源、さらには現生人類のアフリカ単一起源説を前提とする傾向が現在では強いようです(関連記事)。なお、シャベル型切歯が「北京原人」と現代中国人(さらにはアジア東部現代人や現代のアメリカ大陸先住民)との遺伝的連続性の証拠になるとの主張は、今では無理筋と言うべきでしょう(関連記事)。

 さらに現代中国の遺伝学の研究者の間では、現生人類アフリカ単一起源説を前提として、中国で発見された非現生人類ホモ属が現代中国人の主要な祖先集団であることに否定的なばかりか、5万年前頃以降に現在の中国領に拡散してきた現生人類集団の中に、現代人とは遺伝的につながらず絶滅した集団も存在した、と明らかにされており、それは現在の中国領の北方(関連記事)でも南方(関連記事)でも確認されています。これは、本論文の見解と大きく異なります。2009年と今年(2021年)とでは、中国社会における人類進化認識がかなり変わっているかもしれませんが、十数年では社会全体で大きく変わる可能性は低いように思います。その意味で、現在の中国領で発見された人類化石のうち、非現生人類ホモ属のみならず、現生人類の中にも現代中国人と遺伝的につながらない集団が存在した、との見解は現代中国社会ではあまり受け入れられていない可能性が高そうです。ただ、現代中国社会の主流的見解とは異なっても、古代DNA研究も含めて遺伝学的研究は中国の技術と経済の発展に必要と考えられているでしょうから、中国政府が古代DNA研究を抑圧する可能性は低い、とやや楽観的に考えています。

 また本論文は、中国における人類進化の長期の連続性とともに、唯物史観的な人類進化観を強く打ち出しており、これも建前として「特色ある社会主義」が強調されている現代中国社会において、依然として強い影響を有しているかもしれません。本論文は、

1949年の中国解放以後,我々は労働が人類を作ったとする理論にもとづき,新しい解釈を提出した。原人の体質形態は人体各部の発達が不均衡であったことを明示している。人類進化の過程の中ではまず直立二足歩行が確立し,手が支持作用から解放され,道具を製作・使用して生産労働を進めていくようになったのである。ヒトの脳は直立二足歩行確立の後,長期にわたる生産労働の実践中に発展したものである。エンゲルスはこう言っている。「或る意味では労働が人間自身を作ったと言わざるをえない」と。原人化石の研究は,エンゲルスの労働が人類を創造したとする理論に有力な証拠を提供した。

 と指摘します。しかし、570万~530万年前頃となるアルディピテクス・カダバ(Ardipithecus kadabba)の存在から、人類の直立二足歩行は600万年前頃には確立していた可能性が高そうなのに、「脳の発展」というか脳容量の増加はホモ属系統においてで、せいぜい300万年前頃以降のこととなり、しかも体格の大型化と連動しています(関連記事)。チンパンジーの事例から、人類も直立二足歩行以前から道具を使用していた可能性は高い、と考えられます(関連記事)。直立二足歩行により「道具を製作・使用して生産労働を進めていく」ことがより効率的になったとしても、直立二足歩行の開始から脳容量の増加が始まるのにおそらく300万年以上要しており、道具製作が「脳の発展」というか脳容量の増加とどれだけ直結していたのか、はなはだ疑問です。

 脳容量の増加というかホモ属出現の背景としては、不安定な気候が指摘されています(関連記事)。ホモ属が出現する頃のアフリカの気候は、乾燥化と草原の拡大(森林の減少)という傾向として単純に把握できるものではなく、環境が不安定化・断片化したことが重視されるべきだ、というわけです。この300万~200万年前頃のアフリカにおける気候変動に対応して、アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)はそうした状況で定期的に食料不足に陥り、それへの適応として、広範な生態系で活動し、食料不足に対応したのではないか、と推測されています(関連記事)。また、アウストラロピテクス・アフリカヌスの母親が育児にさいして、食料不足の時期には授乳で対応し、それが長期にわたったことから、母子の間のつながりとともに、授乳期間の長期化による潜在的な出産回数の減少を招来し、200万年前頃にはアフリカ南部でアウストラロピテクス属が絶滅した一因になった可能性も指摘されています。もちろん、道具使用と脳容量増加との間に関連はあったというか、道具使用が脳容量増加の選択圧の一つにはなったでしょうが、直立二足歩行が始まっておそらく300万年以上前も脳容量の大幅な増加が見られず、不安定な気候で脳容量増加が始まり、しかもそれは体格の大型化と連動していたわけですから、「労働が人間自身を作った」との評価は的外れだと思います。

 最近、環境問題対策としての「脱成長」の典拠をマルクス(Karl Marx)に求めるような動きもありますが、「聖典」としてのマルクスの言説の中に現在の問題の解決策を見出すのは、率直に言ってマルクスを崇める宗教だと思います。マルクスの言説は広範囲にわたり、期間も長いので、その中に現代の問題と解決策と通ずるように思えるもしれない言説もあるかもしれませんが、それをわざわざ現代においてマルクスの言説の中に見出す必要があるのか、はなはだ疑問です。「マルクス教」の神官ならば、時代に適応して生き残るために、「教祖」の言説を現代的に解釈する必要もあるでしょうが、それは「マルクス教徒」ではないほとんどの人々にとってはさして意味のない行為であり、社会に大きく役立つとは言えないでしょう。

 人類進化を唯物史観というかエンゲルス(Friedrich Engels)の主張に沿って解釈することにも、同様の問題があります。エンゲルス(やマルクス)のような大家ならば、示唆に富んだ言説は多くあるでしょうし、そうした中には、現代における人類進化の有力説と通ずるものもあるかもしれません。しかし、人類はもちろん、非ヒト霊長類の研究が現代と比較にならないほど貧弱だった時代の研究に依拠しているエンゲルスの主張の枠組みで人類史を理解しようとすることには大きな無理があると言うべきでしょう。また、仮に現代にも通ずるようなエンゲルスの指摘があったりしても、それが人類進化の研究においてエンゲルスの言説を重視すべき理由にはならないと思います。「唯物史観教」の「神官」や「信者」が人類進化史におけるエンゲルスの言説に「重要な示唆」を見出すのは自由ですが、エンゲルスの言説に沿って人類史を理解するのは、率直に言って時代錯誤だと思います。おそらくはエンゲルスの言説により広まった人類の「原始的社会」は母系制だった、との現在でも根強そうな理解も、今となってはかなりの無理筋だと思います(関連記事)。


参考文献:
呉汝康著、谷豊信翻訳(1981)「中国古人類学30年」『人類學雜誌』第89巻第2号P127-135
https://doi.org/10.1537/ase1911.89.127

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック