藤田祐樹「サピエンス以前の人類の島への分布を考える」
本論文はまず、インドネシア領フローレス島のホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)やルソン島のホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)やシベリア南部およびチベットの種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)など、相次いで新たな分類群の人類が発見されたことから、アジアの更新世人類史が従来の想像をはるかに超えて複雑だった可能性を指摘します。現生人類(Homo sapiens)以外の人類が日本列島に到来していたのかどうか、まだ明らかにはなっていませんが、日本列島は更新世に何度か大陸と陸続きになった、と考えられています。非現生人類ホモ属が分布を広げたとすれば、大陸と接続した時期に日本列島に移住した可能性を考えるべきでしょうが、本論文はあえて、非現生人類ホモ属の渡海について考察しています。本論文は、非現生人類ホモ属に現生人類のような渡海能力がなかったのは当然としても、それならば島々への非現生人類ホモ属の分布をどう解釈すればよいのだろう、と問題提起します。
人類の海洋進出は、現生人類において飛躍的に発展しました。その重要な舞台となったアジア南東部島嶼域では、4 万年前頃からマグロやカツオといった外洋性の魚類が獲られ(関連記事)、16000~23000年前頃には釣り針も発明されていました。日本列島も現生人類の海洋進出の重要な舞台で、35000年前頃に黒潮を越えて恩馳島の黒曜石利用していたことや、琉球列島全域への35000~30000年前頃の移住、サキタリ洞の23000年前頃の貝製釣り針や多様な貝器、水産資源利用などは、いずれも現生人類の渡海能力や海と関連の深い生活を示す証拠です。これらの他にも、西太平洋島嶼域には、現生人類の海洋進出の証拠が数多く発見されています。
それに対して非現生人類ホモ属は、一般的には陸上資源に強く依存していたと考えられていますが、ネアンデルタール人に関しては、地中海沿岸域の遺跡では貝類など水産資源を利用し、冷水刺激により生じる外耳道骨腫の報告もあります(関連記事)。地域的には、水辺環境を積極的に利用する集団もいたと考えられます。ホモ・エレクトス(Homo erectus)などネアンデルタール人出現以前の人類(本論文では「原人」とされています)水産資源利用の証拠はもっと乏しいものの、アフリカではオオナマズやカバなど水辺の動物を利用し(関連記事)、インドネシアではホモ・エレクトスによる貝殻の線刻が報告されています(関連記事)。更新世に大陸と接続しなかったフローレス島やスラウェシ島やルソン島における「原人」の分布からも、この地域に水辺環境に親しんだ「原人」がいた可能性も考えられそうです。
「原人」の島への分布は、偶然の漂流を想定するのが主流ですが(関連記事)、一般的に陸上動物の海流分散の頻度はかなり低く、たとえば琉球列島のトカゲの仲間では、琉球列島全体に分布を広げるのに数百万~数十万年かかっています。アジア南東部島嶼域の「原人」と琉球列島のトカゲを比較するのは乱暴ですが、トカゲ類は一年に複数回、数個の卵を産むのに対して、数年で一子を産む「原人」の海流分散の成功率は、ずっと低くなるはずです。少ない証拠で議論しても仕方ありませんが、動物にとって移動の障壁となるハックスレー線やウォーレス線を越えて複数の「原人」遺跡が見つかるのは、もっと高い頻度で移住を実現したからと考えられます。「原人」の中にも積極的に水産資源を利用するような集団があり、漂流の確率や漂流後の生存確率を高めるような何かしらの行動的特徴(ある程度の遊泳能力や木片を浮き具として利用するなど)を有していた可能性も考えられるかもしれません。
渡海の問題では、琉球列島で1970 年に港川人が発見されたさいに、旧石器人に渡海能力はないと考えられていました。そのため、古地理学や動物地理学や古生物学の点から後期更新世の琉球列島陸橋化は否定されていたにも関わらず、港川人は最終氷期最寒冷期の陸地化によって分布を広げた、と結論づけられたまし。「原人」の分布がこれと同じ状況だとは言えないとしても、「原人」の島への分布を偶然の漂流と簡単に決めつけないほうがよいでしょう(関連記事)。
遺跡出土の証拠だけではなく、新技術により判明する新事実に対しても同様で、近年のDNA研究によれば、オセアニアやアジア南東部の現代人にデニソワの遺伝子が一部共有されている、と指摘されています(関連記事)。現生人類とデニソワがどこでどう接触したの、まだ不明です、一連の近年の発見からは、かつてユーラシア東部には「原人」、ネアンデルタール人やデニソワ人などの「旧人」と現生人類人が共存し、部分的に複雑に交流したようです。日本列島に「原人」や「旧人」が到来していたのか、まだ不明ですが、現代日本人の祖先が「原人」や「旧人」と何らかの形で接触していた可能性も考えられます。
参考文献:
藤田祐樹(2020)「サピエンス以前の人類の島への分布を考える」『Communication of the Paleo Perspective』第2巻P6-7
人類の海洋進出は、現生人類において飛躍的に発展しました。その重要な舞台となったアジア南東部島嶼域では、4 万年前頃からマグロやカツオといった外洋性の魚類が獲られ(関連記事)、16000~23000年前頃には釣り針も発明されていました。日本列島も現生人類の海洋進出の重要な舞台で、35000年前頃に黒潮を越えて恩馳島の黒曜石利用していたことや、琉球列島全域への35000~30000年前頃の移住、サキタリ洞の23000年前頃の貝製釣り針や多様な貝器、水産資源利用などは、いずれも現生人類の渡海能力や海と関連の深い生活を示す証拠です。これらの他にも、西太平洋島嶼域には、現生人類の海洋進出の証拠が数多く発見されています。
それに対して非現生人類ホモ属は、一般的には陸上資源に強く依存していたと考えられていますが、ネアンデルタール人に関しては、地中海沿岸域の遺跡では貝類など水産資源を利用し、冷水刺激により生じる外耳道骨腫の報告もあります(関連記事)。地域的には、水辺環境を積極的に利用する集団もいたと考えられます。ホモ・エレクトス(Homo erectus)などネアンデルタール人出現以前の人類(本論文では「原人」とされています)水産資源利用の証拠はもっと乏しいものの、アフリカではオオナマズやカバなど水辺の動物を利用し(関連記事)、インドネシアではホモ・エレクトスによる貝殻の線刻が報告されています(関連記事)。更新世に大陸と接続しなかったフローレス島やスラウェシ島やルソン島における「原人」の分布からも、この地域に水辺環境に親しんだ「原人」がいた可能性も考えられそうです。
「原人」の島への分布は、偶然の漂流を想定するのが主流ですが(関連記事)、一般的に陸上動物の海流分散の頻度はかなり低く、たとえば琉球列島のトカゲの仲間では、琉球列島全体に分布を広げるのに数百万~数十万年かかっています。アジア南東部島嶼域の「原人」と琉球列島のトカゲを比較するのは乱暴ですが、トカゲ類は一年に複数回、数個の卵を産むのに対して、数年で一子を産む「原人」の海流分散の成功率は、ずっと低くなるはずです。少ない証拠で議論しても仕方ありませんが、動物にとって移動の障壁となるハックスレー線やウォーレス線を越えて複数の「原人」遺跡が見つかるのは、もっと高い頻度で移住を実現したからと考えられます。「原人」の中にも積極的に水産資源を利用するような集団があり、漂流の確率や漂流後の生存確率を高めるような何かしらの行動的特徴(ある程度の遊泳能力や木片を浮き具として利用するなど)を有していた可能性も考えられるかもしれません。
渡海の問題では、琉球列島で1970 年に港川人が発見されたさいに、旧石器人に渡海能力はないと考えられていました。そのため、古地理学や動物地理学や古生物学の点から後期更新世の琉球列島陸橋化は否定されていたにも関わらず、港川人は最終氷期最寒冷期の陸地化によって分布を広げた、と結論づけられたまし。「原人」の分布がこれと同じ状況だとは言えないとしても、「原人」の島への分布を偶然の漂流と簡単に決めつけないほうがよいでしょう(関連記事)。
遺跡出土の証拠だけではなく、新技術により判明する新事実に対しても同様で、近年のDNA研究によれば、オセアニアやアジア南東部の現代人にデニソワの遺伝子が一部共有されている、と指摘されています(関連記事)。現生人類とデニソワがどこでどう接触したの、まだ不明です、一連の近年の発見からは、かつてユーラシア東部には「原人」、ネアンデルタール人やデニソワ人などの「旧人」と現生人類人が共存し、部分的に複雑に交流したようです。日本列島に「原人」や「旧人」が到来していたのか、まだ不明ですが、現代日本人の祖先が「原人」や「旧人」と何らかの形で接触していた可能性も考えられます。
参考文献:
藤田祐樹(2020)「サピエンス以前の人類の島への分布を考える」『Communication of the Paleo Perspective』第2巻P6-7
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