中村美知夫「ヒト以外の霊長類の行動と社会 ヒトを相対化する」

 井原泰雄、梅﨑昌裕、米田穣編『人間の本質にせまる科学 自然人類学の挑戦』所収の論文です。本書は、第1部「人類進化の歩み」が第1章~第4章、第2部「ヒトのゲノム科学」が第5章~第8章、第3部「生きているヒト」が第9章~第12章、第4部「文化と人間 文理の境界領域」が第13章~第15章で構成されています。本書を1本の記事にまとめるとひじょうに長くなりそうなので、各章およびコラムを単独の記事で取り上げます。本書は参考文献と索引もあり、人類進化に関する最新の知見を日本語で学ぶのに適切な一冊になっていると思います。


●霊長類の分類と生活

 本論文は、ヒト(Homo sapiens)が霊長類、さらには類人猿(ヒト上科)の一種であることから、その行動や社会の進化を考察するさいに参考になる、ヒト以外の(野生)霊長類の行動と社会を取り上げています。本論文はまず、霊長類には分かりやすい視覚的な特徴を見つけにくいものの、四肢がいずれも手のようになっていることは特徴と言えるかもしれない、と指摘します。これにより、手足の親指が残り4本の指と離れた拇指対向性を示し、枝などをつかめる、というわけです。また、両目が顔面前方にあり、立体視できることも霊長類共通の特徴で、樹上生活への適応と考えられています。

 霊長類(霊長目)は、大きく曲鼻亜目と直鼻亜目に分類されます。かつては原猿亜目と真猿亜目に二分されていましたが、原猿に分類されていたメガネザルが系統的には真猿類に近いと明らかになり、メガネザルと真猿類をあわせて直鼻猿に分類されるようになりました。真猿類は一般的に想像されるだろう「サル(monkey)」のことで、さらに広鼻猿類と狭鼻猿類に区分されます。広鼻猿類はラテンアメリカに、狭鼻猿類はアジアとアフリカに生息しています。狭鼻猿類はさらにオナガザル上科とヒト上科に区分され、オナガザル上科には日本固有種のニホンザルも含まれます。ヒト上科は類人猿で、比較的小型のテナガザル科と大型類人猿およびヒトを含むヒト科に区分されます。

 霊長類は熱帯から温帯にかけての森林におもに分布しており、赤道付近の熱帯森林では同所的に複数(場所によっては十数種)の霊長類が共存しています。霊長類の中には乾燥地や寒冷気候に適応した種もおり、ヒヒやパタスモンキーは乾燥地の木が疎らなサバンナに生息しており、二次的に地上性が強くなっています。ニホンザルは積雪地帯にも生息しており、ヒトを除く霊長類の分布の北限(青森県下北半島)を表しています。

 霊長類の祖先は樹上の昆虫食者として進化したと考えられており、夜行性曲鼻類の多くはそうした食性ですが、真猿類はほとんどが昼行性で、果実を主食とする雑食性です。真猿類の中には脊椎動物や昆虫を捕食する種もいますが、コロブス亜科は葉食に適応した胃の構造を有しており、ゴリラは草本を中心とした食性で、草食傾向がつよい霊長類もいます。

 霊長類の捕食者には、中~大型の食肉目や大型猛禽類や爬虫類などがいます。大型食肉目はヒトも含めて大型類人猿を捕食することがあります。霊長類の進化において捕食圧は重要で、とくに昼行性霊長類の集団生活は、捕食者への対抗のためと考えられています。集団生活により捕食者を早く発見できるほか、捕食者に標的を絞りにくくさせる「薄めの効果」や、集団防衛の効果が推測されています。一方、集団生活により採食競合が激しくなるため、捕食者に対する利点と採食に関する不利益の均衡で集団規模が決定されている、と考えられています。動物の生体には寄生者の存在も重要で、多くの霊長類は回虫や条虫や線虫や蟯虫といった内部寄生中に感染しており、その多くは複数種で共通しています。外部寄生虫も霊長類の進化においては重要で、多くの霊長類にとって重要な社会行動である毛づくろいは、外部寄生虫であるシラミ除去のためです。


●霊長類の社会

 霊長類の社会について、伊谷純一郎氏が社会構造を全体としての社会として把握するのに対して、欧米の霊長類学では、社会は下位の要素に分解できる、と考えられる傾向が強いようです。たとえば、社会システムは、社会組織と繁殖システムと社会構造に3区分されています。ここでの社会組織とは、社会集団の大きさや性年齢構成や時空間的な凝集性などです。単独生活やペアや単雄複雌群や複雄複雌群といった区分は、社会組織に関するものです。繁殖システムは、じっさいにどのような雄と雌が交尾により仔を残すのか、という問題で、社会組織と密接に関連しますが、区別して考えるべきとされます。たとえば、単独生活の霊長類でも、1頭の雄が複数の雌の行動圏を移動し、繁殖に関しては一夫多妻になっている場合があります。社会構造は、社会的相互作用のパターンと、その結果として生じる社会関係の累積です。たとえば、ある種では血縁雌同士の絆が強く、別の種では雄同士が強固な関係を築きます。

 夜行性曲鼻類の多くは単独性で、交尾と子育ての間だけ同種他個体と関わります。夜行性曲鼻類は営巣し、仔を1回に複数産む種がいる点でも、昼行性真猿類とは社会の特徴が異なります。曲鼻類の中でも比較的から他の大きい昼行性のキツネザル類は、母系の複雄複雌群を作ることが多く、ワオキツネザルのように、雌の方が体は大きく、雄より優位な種も存在します。広鼻猿のうち、クモザルなどは父系の複雄複雌群を作ります。小型のマーモセット類は、繁殖ペアと子供たちで集団を作ることが多く、双子が多いことも特徴です。雄も子供の運搬などを手伝い、父親が子育てを手伝う点でヒト社会との共通点も注目されています。

 ニホンザルなどマカク属は、母系の複雄複雌群を作ります。母娘や姉妹など母系の血縁に基づいた雌同士の結びつきが強く、個体間で順位が不明なことも多くなっています。ヒヒには、1頭の雄と複数の雌から構成される「ワン・メイル・ユニット」が多数集まる重層社会を形成するものもしられています。派手な顔をしているマンドリルは、ヒトを除く霊長類で最大の集団を形成し、詳細はよく分かっていませんが、500~600頭の大集団が確認されています。

 類人猿は、少ない種数のわりには多様な社会を形成します。テナガザルは、多くの場合ペア型の集団を作り、雄と雌が共同で縄張りを防衛します。オランウータンは、昼行性霊長類としては例外的に単独性が強く、典型的には、単独で動く複数の雌の遊動域を1頭のフランジ雄(顔ひだのある成熟雄)がカバーしますが、地域によっては複数の雌が集団を作ることもあります。ゴリラはまとまりのより単雄複雌群を作りますが、マウンテンゴリラでは、成熟した息子が群に残り、父系的な複雌群となることもあります。チンパンジーとボノボは父系の複雄複雌集団を形成します。類人猿の社会に共通しているのは、いずれも非母系である点です。母系社会は哺乳類の多くの種に見られるため、類人猿(ヒト上科)で母系が見られない理由について、現時点で明確な答えはありません。

 霊長類では離合集散が見られ、集団内の構成員が繰り返し集まったり離れたりします。以前は、クモザルやチンパンジーなどが離合集散型の社会を作り、ニホンザルやゴリラの安定した群型社会とよく対比されていました。しかし、こうした二分法は必ずしも適切ではない、と指摘されるようになっています。たとえば、基本的には安定した群を作るニホンザルでも、群が数日間二分してしまったり、1~数頭の個体が群から離れてしまったりする現象が確認されています。現在では、離合集散性は度合の問題で、離合集散性が低くて遊動時の構成員が安定した社会から、離合集散性が高くて遊動時の構成員が大きく変わる社会まで連続的に把握すべきと考えられています。

 離合集散性の高い社会を作るチンパンジーでは、単位集団の構成員が日常的には1~数十頭に分かれて遊動します。こうした一時的な小集団は「パーティ」もしくは「サブグループ」と呼ばれています。採食時には平均2~4頭のパーティとなることが多く、移動や休息のさいには十数頭くらいとなります。そのため、離合集散性の度合は、基本的には食物の分布と量に関係している、と考えられています。季節によっては、パーティ同士が数ヶ月も出会わないこともありますが、長期の別離でも単位集団が崩壊することはなく、再会しても同じパーティで共に遊動できます。離合集散性の高い種では、別離後の再会時に、「挨拶」と呼ばれる行動が生じることも多くあります。


●知性

 霊長類の治世の進化に関する仮説は、「生態仮説」と「社会仮説」に大きく区分されます。生態仮説では、複雑な環境への対処が知性の進化に重要だった、とされます。環境の中から餌を探し出すことなどにおいて高い知性が必要だった、というわけです。より具体的には、行動圏の中に食べ物がある場所と時期を覚えておく「メンタルマップ」、地下や倒木の中などに隠れた食物や、棘や殻などで防御された食物を利用する「取り出し採餌」などが指摘されており、道具使用も生態仮説の一部として理解できます。

 社会仮説では、集団生活を送る中で同種の他個体と駆け引きをしたり協力したりするといった、社会的もんだいへの対処により知性が進化した、とされます。多くの昼行性霊長類は集団を作るので、社会的環境が霊長類の治世の進化においてとくに重要な淘汰圧になった、というわけです。狭鼻猿類において集団規模と大脳新皮質との間の正の相関が見られることからも、この仮説は支持されています。社会的知性仮説の中でも、とくに相手を騙したり出し抜いたりすることを強調するものは、「マキャベリ的知性」と呼ばれています。

 かつてはヒトにのみ見られると考えられていた「知的」行動が他の霊長類でも確認されるようになってきており、道具使用はその代表例です。動物の行動研究において道具とは、下界から切り離されて手や口などで操作可能な物体と定義され、類似の機能を果たす「基盤使用」と区別されます。つまり、操作可能な石を使ってナッツを割る場合は道具使用で、岩盤にナッツを打ち付けて割る場合は基盤使用となります。道具使用は霊長類に限らず、道具使用は稀でも基盤使用が多い種もいます。

 チンパンジーの道具使用は、おそらく非ヒト動物では最も多様で、また最もよく調べられています。重要なのは、道具使用自体はチンパンジーにおいて普遍的ですが、使用道具は場所により異なることです。これは、道具使用が固定的行動ではなく、何らかの社会学習による獲得であることを示唆します。じっさい、チンパンジーの道具使用の獲得には一定の時間がかかり、多くの場合2~3歳で最初の道具使用に成功し、効率よく使えるようになるには、さらに数年かかります。ナッツ割りのように石の道具が使われる場合もありますが、チンパンジーの道具の大半は植物性(棒や蔓や葉など)です。これは初期人類の道具使用にもおそらく当てはまり、石器として考古学的証拠が残るずっと前から植物性の道具はつかわれていた、と考えられます。

 社会的知性では、チンパンジーの駆け引きがよく知られています。タンザニアのマハレの事例では、第1位雄のカソンタと第2位のソボンゴが順位をめぐって争っている間、第3位のカメマンフはカソンタとソボンゴのどちらにも付く日和見的な姿勢を見せ、カメマンフの動向により上位2個体の形成が逆転するため、カメマンフは第3位であるにも関わらず、上位2個体に一目置かれる存在となり、その間一時的に、カメマンフの交尾頻度が高くなりました。類似の三者関係は飼育下でも観察されています。他には、マハレのントロギという第1位雄は、自分にとって脅威となる第2位の雄が他の雄と毛づくろいしていると、突撃ディスプレイをして蹴散らす一方で、連合相手には肉分配で寛容だったことなど、自分以外の個体関係も理解したうえで狡猾に振舞っていました。


●肉食と食物分配

 人類進化のある段階で、肉食の重要性が増したと考えられています。ヒトは他の類人猿と比較して明らかに高い割合で動物性食物を食べており、相対的に腸が短く(一般的に、肉食動物と比較して草食動物の腸は長いと考えられています)、大型化した脳が高質の栄養を必要とすることなどから、支持されています。そのため、かつては「狩猟仮説」が優勢でした。狩猟仮説では、人類進化の過程で、家族・性的分業・直立二足歩行・食物の運搬・ホームベース・道具使用などのヒト的特徴が、いずれも狩猟の開始とともに生じた、とされていました。現在ではこうした狩猟仮説は否定されており、それは、直立二足歩行を始めた直後の人類が弓矢のような高度な武器を用いて体系的な狩猟をしていたとは考えられていないからです。しかし、肉食および狩猟の重要性は変わっておらず、その関係でチンパンジーの肉食が注目されることも多くなっています。

 チンパンジーは日常的に哺乳類を捕らえて食べますが、その対象は自身よりも小型の動物です。霊長類学ではこうした捕食が「狩猟」と呼ばれますが、初期人類の「狩猟」が議論される場合には、こうした小動物の捕獲はしばしば考慮されません。それは、獲物の化石に残された痕跡などから明らかにできるのは、槍や弓矢などの道具を用いて大型獣を組織的に狩るようなものがほとんどだからです。

 チンパンジーの狩猟対象はおもにアカコロブスという猿類で、小型のレイヨウやイノシシの幼獣や齧歯類や鳥類なども対象となります。サル以外の獲物の場合、機会的につかみ取りすることが多いものの、アカコロブスが対象の場合は集団での狩猟が行なわれます。つまり、多くのチンパンジーが包囲網を作るようにアカコロブスの群にさまざまな方向から近付き、一部の個体は木に登ってアカコロブスを枝先に追いやり、逃げ損なって地面に落ちるアカコロブスを別の個体が待ち伏せています。こうした状況は、一見すると勢子と待ち伏せ役との役割分担ができており、「協力」しているようですが、この評価に関しては議論となっています。節約的解釈では、各個体が最も捕まえやすそうと判断する場所に自らを配置することで、結果的に包囲網が形成され、役割分担ができているように見える、と指摘されています。真に協力的な場合、協力の程度に見合った「分け前」があってしかるべきですが、そうなっていない場合が多い、というわけです。むしろ多くの場合、狩猟への貢献度よりも肉の保持者との社会関係により分配がなされています。

 初期人類は大型獣狩猟を行なっていなかった、との見解で重視されているのが屍肉食です。肉食獣などが殺した獲物の屍体を入手する形での肉食が先行していた、というわけです。チンパンジーも屍肉食をしますが、その頻度は自ら動物を捕まえるよりもずっと低く、それは森林で新鮮な動物の屍体に遭遇する頻度が低いからです。チンパンジーが動物の屍体と遭遇した場面の分析では、屍体が狩猟対象になっている(食べ慣れている)種のもので新しければ、屍肉食をする割合は高く、同所的に生息するヒョウ(チンパンジーにとって捕食者です)から獲物を入手することはないと考えられてきましたが、チンパンジーが集団で駆けつけてヒョウの獲物を入手して食べた事例も報告されています。

 チンパンジーの獲物は小型でも5~10kgほどあるのりで、一気に食べられるものではなく、肉食のさいには頻繁に分配が見られます。食物分配(もしくは食物移動)も、人類進化の考察では興味深い行動です。多くの霊長類が主食とする果実は、ほぼその場で口に入れて消費できる程度のサイズで、周辺で他にも入手できるため、さほど食物分配が生じる必然性はありません。ただ、未成熟個体が母親から果実などの一部を与えられて食べるような、恐らく採食アイテムの学習に貢献している事例は、より多く見られます。チンパンジーの肉分配は基本的に消極的で、貰う側がベッギング(掌を上に向けて相手の口の付近に伸ばすなど)を示して初めて、分配が起きることがほとんどです。このため、食物分配は「許容された盗み」とも呼ばれており、基本的には肉を完全に防衛するよりも一部を分配した方がコストは低い、と考えられています。また、分配される食物は少量で比較的低質のもの(肉をほとんど食べた後の骨など)が多くなります。それでも、肉はチンパンジーにとって価値が高く、分配は社会的用途にも使われます。たとえば、第1位雄が地位を高める目的や、毛づくろいや喧嘩での支援、交尾といった「見返り」を期待してのものなど、戦術的な分配が知られています。チンパンジーの肉分配では、保持者は高位雄であることが多く、価値の高い肉を入手しようと多くの個体が集まってくるため、ひじょうに騒がしく、攻撃的交渉も頻繁に生じます。


●文化

 文化は言語や知性とともにヒト固有の特徴と考えられることが多く、遺伝的多様性の低いヒトの行動や社会が多様なのは、文化の存在が大きいことを示しています。非ヒト霊長類にも文化が存在し得ることは1952年に今西錦司が予言しており、その後のニホンザルの研究で実例が報告されました。1973年には、各地のニホンザルの行動比較から、多様な行動が文化(もしくは前文化)として報告されましたが、国際的にはさほど認知されず、この時点では文化の存在はヒトだけとする見解が根強かったようです。

 動物の文化が世界的に認められるようになった発端は、チンパンジーの文化に関する1999年に報告された研究です。その後、チンパンジーの文化に関する研究が盛んになり、オランウータンやオマキザルやボノボや鯨類でも、行動の地域間比較により文化の存在が報告されています。チンパンジーの文化研究は物質文化が中心で、それは一つには、チンパンジーに多様な道具使用が見られ、地域間での比較が進んだためです。道具使用は知性の進化との関連が指摘されており、道具自体や使用の痕跡が残るため、直接観察ができないような調査地でも研究可能であることも、その理由となっています。

 文化は物質文化だけではなく、挨拶のさいに抱き合うか会釈をするかといった違いも、文化的と考えられます。非ヒト霊長類ではこうした視点での詳細な研究はまだありません。社会的慣習の代表的な事例は、チンパンジーの対角毛づくろいです。これは、2頭が対面して座り、互いの対応する手を宙に上げて組み、相手の脇の下を毛づくろいする、という行為です。この行動はいくつかの集団で見られ、他集団では報告がなく、飼育下の集団での報告もあります。他に、毛づくろいのさいに相手の背中などを「掻く」という単純な行動(ソーシャル・スクラッチ)が限られた集団でしか見られなかったり、毛づくろいのさいに発せられる音が集団によって違ったりする、といった現象も報告されています。

 求愛ディスプレイも集団間で異なり、たとえばマハレでは、求愛のさいに葉を唇でちぎる「リーフ・クリッピング」が行なわれますが、ボッソウでは同じ状況で「かかと叩き」が行なわれます。いずれも微細な干支が出て、その音で相手の注目を惹きつける、と考えられています。類似の機能を果たすものとして、マハレの「灌木曲げ」やタイの「拳たたき」などがあります。こうした社会的習慣の興味深い点は、集団間で違いがあることに積極的な意味を見いだしにくいことです。たとえば、「リーフ・クリッピング」なのか「かかと叩き」なのかに大きな機能的違いがあるとは考えにくく、ヒトの社会的習慣についても同様の「意味がわからない」違いが存在することから、人類学的には興味深い現象です。

 非ヒト動物の研究者による「文化(culture)」の定義は、「(少なくとも部分的には)社会学習によって集団内に共有された行動変異」と言えますが、ほぼ同じものを「伝統(tradition)」と呼んで、文化と区別する研究者もいます。その理由として、高次の社会学習である模倣や教育で伝達されるもののみを文化とすべきとの見解や、文化には累積的に複雑さが増大するラチェット効果があるとの見解が挙げられています。文化(もしくは伝統)に何らかの社会学習が必須との点ではほとんどの研究者が一致しており、そうした社会学習についての研究はほとんどが飼育下で行なわれています。これは、学習に影響し得るさまざまな要因を制御しやすいからです。社会学習の存在を厳密に証明するには、社会的影響を排除した学習との比較が必須ですが、野生動物ではそうした状況をそもそも考えにくい、という事情もあります。

 野生下での分化の存在を示すために用いられることが多いのは、「民族誌的方法(排除法)」です。これは、まず同種の行動を複数の地域間で比較し、地域変異を把握します。全ての変異が文化的なものではないため、遺伝的説明や環境による説明が排除される時に文化的な違いとされます。ただ、この方法論には批判もあり、未知の遺伝的および環境的要因による違いの可能性を排除できないので、じっさいには文化ではないものを文化と判断している可能性があります。逆に、遺伝や環境と文化がそれぞれ排他的と考えることで、じっさいに文化的な変異を文化ではないと排除する恐れもあります。このように、霊長類、さらには動物の文化については、まだ論争が続いています。


●殺し

 ヒトの行動や社会の特徴を理解するには、殺しという暗い側面に注目することも重要です。1960年代頃までは、同種殺しはヒトに特有と考えられていました。非ヒト動物でも種内攻撃はあるものの、通常は相手を殺すまでには至らない、というわけです。こうした見解が大きく変わる契機は、霊長類の野外研究でした。霊長類の子殺しに関する最初の報告は、インドのダルワールでのハヌマンラングールの事例で、1962年に杉山幸丸氏により発見されました。これは当時病的な異常行動と考えられ、正当な評価を受けませんでしたが、その後、社会生物学の興隆とともに、子殺しは雄の繁殖戦略として有効と考えられるようになっていきます。

 ハヌマンラングールは単雄複雌群を形成し、群外の雄による乗っ取りが生じる場合もあり、そのさいに乗っ取り雄が前の雄の子供を次々と殺害します。子供を殺された雌たちは発情を再開し、乗っ取り雄と交尾します。通常、哺乳類の雌は授乳期間には発情しませんが、乳飲み子を失うと発情を再開するので、乗っ取り雄は子殺しにより前の雄の子供が離乳するまで待たずに子供を残せることになります。こうした子殺しは、種もしくは集団の利益のためではなく、個々の雄が自分の遺伝子を最大限に残す戦略として考えれば理解可能です。その後、子殺しは霊長類を含む多くの哺乳類種で確認されており、現在では哺乳類の約40%の種で子殺しがある、と指摘されています。

 チンパンジーでも子殺しが確認されており、殺した乳児を食べるカニバリズムがしばしば伴います。これはハヌマンラングールと同様に雄の繁殖戦略と考えられることも多いものの、乱婚社会のチンパンジーでは自身の子供である可能性がある集団内の乳児を殺す事例や、雌が殺す事例もあるため、単純に繁殖戦略との解釈が当てはまらない場合も多くあります。そのため、競合者を減らすためとか、栄養(肉)のために殺すとかいった仮説もありますが、決定的ではありません。チンパンジーでは、子殺しだけではなく成熟個体の殺害もあります。多くの場合、複数個体が1頭を攻撃し、数的優位性の状態で殺害が起きます。成熟個体の殺しも、集団間のものが多いものの、集団内でも起きます。こうした複数個体による「連合での殺し」ヒトの戦争の起源と関連づけて論じる研究者もいますが、チンパンジーの連合的殺しの場合はあくまでも多数対1個体の攻撃で、戦争に見られるような集団間の組織的な殺し合いではありません。


●ヒトの相対化

 形態や生理や遺伝子などの生物学的特徴は、ヒトでも他の生物でも同じ手法で調べることが可能で、直接的比較ができます。一方、行動や社会については、人間の特殊性が強調されます。これは、人間の行動や社会に関する研究が通常は文系分野で行なわれ、場合によっては生物学とは無関係であるとすら考えられてきたこととも深く関連しています。古くは霊魂や理性、最近では言語や象徴能力など、人間だけが有し、他の動物とは明確に分断されるようなメルクマールが強調され続けてきました。そうした特徴の故に、「人間」は生物学的な「ヒト」以上の存在である、というわけです。

 しかし、ヒトの行動や社会を他の霊長類、さらには動物と比較し、できるだけ相対化することで人間を知ることにつなげることも必要でしょう。霊長類研究は、一昔前ならば人間に特有と考えられてきた数々の行動上の特徴が、程度の違いはあれども、他の霊長類にも見られることを明らかにしてきました。非ヒト霊長類における個体間のやり取りは、「社会的」という用語を使わずに記述することは困難です。

 行動や社会が生物学と無縁のものと考えることは、もはや不合理です。ヒトと他の生物を比較することは、ヒトを物質に諫言して考えることではなく、決定論的に考えることでもありません。ヒトが機械ではないのと同様に、他の生物も機械ではありません。細胞内の物質や遺伝子の水準でのメカニズムの中には、決定論的な仮定もあるとしても、個体の行動や個体間の相互作用により形成される社会水準となると、もはや決定論的かていでは記述しきれないような現象が日常的に生じています。ヒトの行動や社会もまた、他の生物との比較の中で相対的なものとし把握することこそが、本当の意味での人間性の理解につながるでしょう。


参考文献:
中村美知夫(2021)「ヒト以外の霊長類の行動と社会 ヒトを相対化する」井原泰雄、梅﨑昌裕、米田穣編『人間の本質にせまる科学 自然人類学の挑戦』(東京大学出版会)第1章P2-20

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