吉村武彦『新版 古代天皇の誕生』
角川ソフィア文庫の一冊として、KADOKAWAから2019年6月に刊行されました。 電子書籍での購入です。本書は『漢書』に見える倭人の記事から天皇号成立の頃までの、王位継承とその称号の変遷についての概説です。本書は『漢書』や『後漢書』に見える卑弥呼以前の倭の記事を簡潔に取り上げた後、卑弥呼についてはやや詳しく言及しています。本書は、女性の王としての卑弥呼と台与は特殊な政治状況下の存在で、一般化できない、と指摘します。また本書は、卑弥呼の時代の倭国とヤマト王権とは連続しない、との見解を提示していますが、これに関しては議論があるとは思います。
紀元後3世紀の前方後円墳の出現は王権史において画期となりそうですが、本書は、王権研究の主対象は古墳ではなく王宮であるべきだ、と指摘します。いわゆる倭の五王については、『宋書』では倭姓の同じ父系一族と把握されており、『宋書』から当時の倭王が二つの氏族・家柄が存在したとは言えない、と指摘されています。また本書は、「大王」は称号ではなく尊称だった、と指摘します。本書がヤマト王権における王位継承で重視するのは、王は群臣の推挙を経て即位するのであり、王もしくは王族内の自由意志により王位継承を実現させる条件はなかった、ということです。この新王即位において、大臣をはじめとして群臣も改めてその地位を確認されました。
『隋書』と『日本書紀』の相違について、本書は当時の倭国王が基本的には人前に現れない存在で、外交使節にも姿を見せなかったことが要因ではないか、と推測しています。隋から倭国に使節として赴いた裴世清が接触したのは厩戸王子(聖徳太子)で、裴世清は自分の任務達成のために、厩戸王子を国王に見立てる倭国側の方策を受け入れた、というわけです。なお、本書では『隋書』に倭国王の名(字)が「多利思北(比)孤」であることからも、裴世清が倭国王を男性として隋に報告したことは間違いないとされますが、律令制確立前の日本においては名前が男女で明確に区別されていたわけではなく、『日本書紀』などに見える、これまで男性と考えられてきた名前の人物の中に女性もいたかもしれない、と指摘されています(関連記事)。
乙巳の変は、ヤマト王権史上初の譲位が実現した点で画期的だった、と本書は評価します。それまでは終身王位制で、しかも上述のように群臣推挙により王は即位ましたが、乙巳の変後の皇極から孝徳への譲位には群臣が介在せず、国王の意思に基づく王位継承だった、というわけです。その後の王権において重要なのは、壬申の乱に勝った天武天皇以降、天皇の神格化が始まったことです。天皇号の使用については、天武朝には確実で、天智朝にまでさかのぼる可能性があるものの、法制度化されたのは浄御原令からだろう、と本書は指摘します。
紀元後3世紀の前方後円墳の出現は王権史において画期となりそうですが、本書は、王権研究の主対象は古墳ではなく王宮であるべきだ、と指摘します。いわゆる倭の五王については、『宋書』では倭姓の同じ父系一族と把握されており、『宋書』から当時の倭王が二つの氏族・家柄が存在したとは言えない、と指摘されています。また本書は、「大王」は称号ではなく尊称だった、と指摘します。本書がヤマト王権における王位継承で重視するのは、王は群臣の推挙を経て即位するのであり、王もしくは王族内の自由意志により王位継承を実現させる条件はなかった、ということです。この新王即位において、大臣をはじめとして群臣も改めてその地位を確認されました。
『隋書』と『日本書紀』の相違について、本書は当時の倭国王が基本的には人前に現れない存在で、外交使節にも姿を見せなかったことが要因ではないか、と推測しています。隋から倭国に使節として赴いた裴世清が接触したのは厩戸王子(聖徳太子)で、裴世清は自分の任務達成のために、厩戸王子を国王に見立てる倭国側の方策を受け入れた、というわけです。なお、本書では『隋書』に倭国王の名(字)が「多利思北(比)孤」であることからも、裴世清が倭国王を男性として隋に報告したことは間違いないとされますが、律令制確立前の日本においては名前が男女で明確に区別されていたわけではなく、『日本書紀』などに見える、これまで男性と考えられてきた名前の人物の中に女性もいたかもしれない、と指摘されています(関連記事)。
乙巳の変は、ヤマト王権史上初の譲位が実現した点で画期的だった、と本書は評価します。それまでは終身王位制で、しかも上述のように群臣推挙により王は即位ましたが、乙巳の変後の皇極から孝徳への譲位には群臣が介在せず、国王の意思に基づく王位継承だった、というわけです。その後の王権において重要なのは、壬申の乱に勝った天武天皇以降、天皇の神格化が始まったことです。天皇号の使用については、天武朝には確実で、天智朝にまでさかのぼる可能性があるものの、法制度化されたのは浄御原令からだろう、と本書は指摘します。
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