和歌山県田辺市の磯間岩陰遺跡出土人骨のDNA分析

 本論文(安達他.,2021)は清家章編『磯間岩陰遺跡の研究分析・考察』に所収されており、PDFファイルで公開されています(P105-118)。本論文は、和歌山県田辺市の磯間岩陰遺跡で発見された人骨のDNA解析結果を報告しています。磯間岩陰遺跡では保存状態のきわめて良好な12個体の人骨が発見されています。本論文は、これらの個体のミトコンドリアDNA(mtDNA)および核DNA解析結果と、各個体の血縁関係や系統分析結果を報告します。mtDNAの解析結果とmtDNAハプログループ(mtHg)の分類は以下の表1に示されています。APLPは「Amplified Product-Length Polymorphism」の略称、NGSは次世代シークエンサ(Next Generation Sequencer)の略称です。
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 APLP分析では、全12個体から再現性のある結果が得られました。また、第4号・第5号・第6号石室出土人骨について行なわれた高多型領域のダイレクトシークエンス解析についても、全個体で再現性のある結果が得られました(表1)。第4号石室出土人骨のmtHgは3個体ともM7a1aで、ダイレクトシークエンスの結果も分析できた範囲で同一でした。第5号および第6号石室出土人骨のmtHgはそれぞれD4b2a2a1およびM7a1b1と推定されました。これらのmtHgは遺跡内の他の個体では見られません。

 1号・第2号・第3号石室出土人骨の7個体については、NGSによるミトコンドリアゲノム分析が行なわれました。いずれの個体からもミトコンドリアゲノムにマップされたリードが多く得られました。このデータから推定されたmtHgはAPLP法による分析結果と矛盾しませんでした。第1号石室1号および2号のmtHgはともにN9b1の祖型に分類され、個体特異的変異の多くも共通しますが、G7521Aの変異の有無で違いが認められました(表1)。ただ、ミトコンドリア全配列で1塩基のみの違いであるため突然変異の可能性は否定できず、両者が母系の血縁者である可能性は排除されません。一方、第2号石室の3個体、および第3号石室2号人骨のmtHgは全てM7a1a4aで、かつ、個体特異的変異まで共通していたことから、これらの人骨は母系の親族である可能性が高そうです。しかし、第3号石室1号人骨のmtHgはD5b2で、遺跡内の他の個体では見られません。

 ミトコンドリアゲノム分析で良好な結果が得られたことから、核ゲノム分析が進められており、現時点では第1号石室1号(紀元後398~468年頃)および2号(紀元後407~535年頃)で核ゲノム解析結果が得られています。X染色体とY染色体にマップしたリード数の比から性別を判定したところ、両個体とも男性と判断する基準である10:1に近いことから男性と判定されました。検出されたY染色体ハプログループ(YHg)は、第1号石室1号がO1b2a1a1、第1号石室2号がD1b(現在の分類ではD1a2aだと思いますので、以下D1a2aで統一します)でした。

 主成分分析によりアジア東部の現代人・古代人と比較した結果、第1号石室2号人骨は本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」現代人クラスタの近傍に投影されましたが、1号人骨は「本土」日本人と「縄文人」クラスタの間に位置しました(図1)。傾向としては、西北九州弥生時代の長崎県佐世保市下本山岩陰遺跡2号・3号(関連記事)と類似しています。次にF4統計による集団比較では、f4(ムブティ人、船泊縄文;アジア東部、磯間岩陰遺跡個体)で正の値(f4>0、Z>3)であることから、いずれも現代日本人と比較して縄文的な遺伝要素が多い、と統計的に有意に示されました。f4(ムブティ人、アジア東部人;船泊縄文人、磯間岩陰遺跡個体)の比較から、磯間岩陰遺跡個体の2個体には「渡来系集団」の混血がすでに認められます。混血の程度を判断するためにf4比による定量が行なわれた結果、1号および2号人骨は「縄文要素」がそれぞれ52.9~56.4%と42.4~51.6%で見られました。以下は本論文の図1です。
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 血縁推定は一般にIBS(identical by state)やIBD(identity-by-descent)に基づいた手法の開発がなされています。IBSは同じアレル(対立遺伝子)を有していることです。IBDとは、かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示し、IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります。しかし、これらの手法はゲノム網羅率が1倍以下の古代DNA試料には適用できず、この手法で血縁推定が可能な古代DNA試料はひじょうに限定されます。一方READ(Relationship Estimation from Ancient DNA)は、平均深度1倍以下と網羅率の低い古代DNAでも、個体間の血縁推定を2親等までは高い精度で推定できます。必要な一塩基多型数も2500以上あれば推定可能なので、READによる第1号石室1号および2号の血縁推定が試みられました。

 READでははじめに、4個体以上の同一系統集団を用いて基準となる「赤の他人同士」の遺伝的差異(normalized-P0)を取得する必要があります。これは、主成分分析で同一クラスタに属する別集団で代用することも可能です。しかし今回は、磯間岩陰遺跡内では2個体のみです。また、主成分分析やF4統計の結果からも明らかなように、第1号石室の2個体は「渡来系弥生時代人」や現代人よりも「縄文人」的で、遺伝的に類似の別集団で解析に利用できる個体は西北九州弥生時代人である下本山3号のみです。そこで、やや強引ではありますが、「縄文人」と「渡来系弥生人」の両集団を用いてnormalized-P0の取得と血縁推定が行なわれた結果、第1号石室の2個体は2親等の範疇に含まれました。

 磯間岩陰遺跡第1号石室の2個体についてまず言えるのは、「縄文的」遺伝子を古墳時代人としてはかなり多く受け継いでいる可能性が高いことです。遺跡内に母系の血縁者が多いことは要注意ですが、mtHgはM7aとN9bが大部分を占めており、いずれも「縄文的遺伝子型」として知られています。また、核ゲノムでも第1号石室1号人骨は古墳時代人としては例外的に「縄文人」に近く、第1号埋葬2号人骨も現代日本人よりは「縄文的」です。さらに、各石室内でmtDNAの塩基配列の一致例が多く、母系単位の埋葬慣行の可能性が高そうです。しかし、第3号石室は2体合葬ですが、それぞれの人骨の母系が異なっています。第3号石室1号と2号には埋葬時期に時間差があり、歯冠計測値を用いた血縁推定でも血縁関係は否定的でしたが、今回の結果はそれを支持しています。第3号石室2号人骨はmtDNAの配列が完全に一致する第2号石室の3個体と母系の血縁があり、1号人骨とは血縁関係がないのかもしれません。

 遺跡の主体部である第1号~第3号石室から離れた第4号~第6号石室の埋葬人骨では、第4号石室出土の3個体はそれぞれ母系の血縁者である可能性があり、かつ第2号石室の3個体および第3号石室2号との血縁関係も否定されませんでした。一方、第5号および第6号石室人骨のmtHgは両方とも磯間岩陰遺跡で唯一のもので、主体部とは母系がはっきり異なっていました。上述のように磯間岩陰遺跡の埋葬原理は母系の血縁である可能性が高いので、第5号・第6号については主体部との血縁関係がないかもしれません。考古学的に第1号~第4号石室は紀元後5世紀中頃から6世紀初頭までに位置づけられる前半期の、第5号~第8号は紀元後6世紀後葉の埋葬施設で、遺跡の利用には6世紀前葉~中葉に空白期間があります。つまり、磯間岩陰遺跡を利用した人々はこの地をいったん放棄している可能性があるわけです。第5号および第6号石室人骨のmtHgが前半期に見られないタイプなのは、これが一因かもしれません。

 上述のように、第1号石室の2個体は2親等の範疇に含まれたが、父系を示すY染色体の遺伝子型が大きく異なり、母系のつながりを示すmtDNAの塩基配列にも1塩基ながら違いが見られました。mtDNA全配列中1塩基のみの違いは突然変異により生じる可能性があることから、この2個体に母系の親族関係が存在する可能性は否定されません。そこで、1塩基の違いを重視して両者に母系の親族関係がないと仮定する場合と、突然変異の可能性を考えて両者に母系の親族関係があると仮定する場合に分けて、両人骨の親族関係が検証されました。

 第1号石室の2個体に母系の親族関係がないと仮定した場合、Y染色体の遺伝子型が異なり、mtDNAの塩基配列を共有しない2親等の男性親族関係とすれば、まず祖父(1号人骨)と孫(2号人骨)が考えられます。Y染色体の遺伝子型が異なるので、2号人骨は1号の娘の子と想定されます。この場合、1号人骨と2号人骨の年齢差が問題となります。埋葬時期がほぼ同時と考えられているので、死亡年齢の差がそのまま生前の年齢差となります。他の分析によれば、1号人骨は中年、2号人骨は3歳前後と推定されています。両名ょ祖父と孫の関係とするにはやや年齢が近いものの、可能性はあります。奈良時代の戸令によれば男性は15歳、女性は13歳から婚姻が許されます。1号人骨とその娘がともに早くに婚姻して子を儲けたとすれば、1号人骨と2号人骨が祖父と孫の関係である可能性は残ります。

 また、3親等ではありますが、オジ(1号人骨)とオイ(2号人骨)の関係も考えられます。この場合、Y染色体とmtDNAの遺伝子型をともに共有しないので、2号人骨は1号人骨の異父兄弟の子か、1号人骨の異母姉妹の子と想定されます。以前の古代戸籍の研究によると、奈良時代では再婚が数多く行なわれていた、と指摘されています。多産多死の世界では集団を維持するためには再婚は必要で、この傾向は古墳時代でも当てはまる、と予想されます。また、古代は夫婦のつながりが弱い対偶婚であったとする説もあり、その場合も再婚が頻繁に行なわれます。そうならば2号人骨が1号人骨の異父兄弟の子、あるいは異母姉妹の子という想定もあり得ます。なお、イトコは4親等です、この可能性は排除されません。その場合、1号人骨と2号人骨の親の関係が姉弟や兄妹のように異性であることが求められます。ただ、30歳以上年齢差のあるイトコの想定は難しく、可能性は低いと言えるでしょう。

 第1号石室の2個体に母系の親族関係があると仮定した場合、父系を示すY染色体の遺伝子型が異なり、母系のつながりを示すmtDNAの塩基配列を共有する2親等となれば、両者は異父兄弟である可能性があります。しかし、埋葬時期ほぼ同時と考えられるにもかかわらず両者の年齢差が大きいことから、この考えは棄却されます。そうすると考えられるのは3親等ですが、両者の血縁関係としてはオジ(1号人骨)とオイ(2号人骨)が最も考えやすそうです。mtDNAを共有するとすれば、2号人骨は1号人骨の同母姉妹の子であるはずですが、父が同じか否かは問われません。また、母系の親族関係がないと仮定した場合と同じく、4親等のイトコの関係だった可能性は排除されません。その場合、mtDNAを共有するので、1号人骨と2号人骨の親は同母姉妹の必要があります。母系の親族関係がないと仮定した場合と同じく、30歳以上年齢差のあるイトコの想定は難しく、可能性は低いと言えるでしょう。

 この推定結果の信頼性については将来、磯間岩陰遺跡の別個体の核ゲノムを用いて検討することになりますが、現時点で遺伝的に類似している下本山3号との比較で、第1号石室1号および2号と下本山3号の分布域はnormalized-P0(0.1193)と重複することから、両者に2親等レベルの血縁関係が存在する、という推定結果には妥当性があると考えられます。ただ、normalized-P0はその集団の遺伝的多様度により変動することから、多様度が下本山3号と磯間岩陰遺跡個体群で異なる場合は、normalized-P0も信頼できません。将来的には、縄文時代人と「渡来系弥生時代人」を磯間岩陰遺跡集団と同程度に混血させた模擬データを用いた詳細な検証が必要でしょう。あるいは上述のように、磯間岩陰遺跡の残りの個体についても核ゲノム分析を行ない、そこから推定することが望ましいと言えます。

 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、古墳時代の近畿地方においても、日本列島「本土」現代人集団よりも顕著に高い割合の「縄文人」的な遺伝的構成要素の個体が存在したことを示しています。古墳時代前期となる香川県高松市の高松茶臼山古墳の男性遺骸(茶臼山3号)は、核ゲノムでは日本列島「本土」現代人集団の分布範囲内に収まるものの、日本列島「本土」現代人集団よりも「縄文人」に遺伝的に近い、と推測されており(関連記事)、日本列島「本土」現代人集団の遺伝的構成が弥生時代以降に長い時間をかけて形成され、古墳時代にはまだ大きな地域差があった、と示唆されます。磯間岩陰遺跡の事例は、本州の沿岸地域となる「周辺部」と「中央軸」地域(九州の博多、近畿の大坂と京都と奈良、関東の鎌倉と江戸)との遺伝的違い(日本列島の内部二重構造モデル)を反映しているかもしれません(関連記事)。磯間岩陰遺跡は「周辺部」に位置し、「縄文人」的な遺伝的構成要素が遅くまで残りやすかったのではないか、というわけです。


参考文献:
安達登、神澤秀明、藤井元人、清家章(2021)「磯間岩陰遺跡出土人骨のDNA分析」清家章編『磯間岩陰遺跡の研究分析・考察』P105-118

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