中川和哉「朝鮮半島南部の石器群から見た日本の前・中期旧石器」
2000年11月5日に発覚した旧石器捏造事件(関連記事)は、考古学のみならず日本社会に大きな衝撃をもたらしました。捏造石器と日本列島に隣接する地域の後期旧石器以前の石器群との明らかな違いにも関わらず、明確に古い地層から出土する石器を根拠に、日本列島には極東地域とは変容した文化がある、と考えられました。問題を複雑にしたのは、放射性炭素年代測定では5万年前頃までしか計測できず、前期石器時代はもちろん中期旧石器時代もそのほとんどが適用範囲外となることです。極東の遺跡では光刺激ルミネッセンス法(OSL)年代に依拠することが多く、その年代値が極端な場合もあることから、石器群の年代決定は困難でした。
韓国では1978 年の全谷里遺跡におけるハンドアックス(握斧)の発見以後、後期旧石器時代より古いと考えられる石器群が相次いで発見されて調査されました。その年代については、石器の持つ稚拙な加工やアシューリアン(Acheulian)に類似した形態から、70 万年前以前の石器群であるという見解や、理化学的な年代測定結果から4 万年以降とする説などがありました。全谷里遺跡などの発掘調査に携わっていた裵基同氏は、遺跡に共通してみられる地層の濃淡が過去の気候変動と連動しており、地層で編年できる、と主張しました。
韓国の地層にみられる周期的な色調変化は、中国の黄土高原で顕著に認められるレス-古土壌連続であると考えた松藤和人氏たちは、2001 年からの日中韓の共同研究において年代測定や火山灰分析、地形学などの手法を駆使し、韓国に見られる周期的な土層変化がレス-古土壌堆積物であり、海洋酸素同位体ステージ(MIS)に対応すると位置づけました。レス-古土壌編年研究の結果、アシューリアン類似のハンドアックスや石球やチョッパーやチョッピングツールといった重厚な石器は、MIS5aの8万年前頃まで存続している、と明らかになりました。また、こうした石器群には小型の石器が伴い、その数は重厚な石器に比べて多い傾向にあります。小型石器にはノッチやベックや錐や鋸歯縁などがあります。MIS4の石器群の詳細は、明確な出土石器が少ないため分かりませんが、4万年前前後にはスヤンゲ遺跡第VI地点4文化層や龍湖洞遺跡3文化層に見られるように、石刃技法により作られた剥片尖頭器石器群が出現します。
剥片尖頭器石器群以前のMIS3前半期の石器群は、層位関係においては不明ですが、坪倉里遺跡や新華里遺跡のように、MIS3の地層から剥片尖頭器石器群とは異なる石器群が出土しています。剥片尖頭器石器群がMIS2まで存続することを考えると、剥片尖頭器石器群以前の石器群と想定できます。両遺跡では石材環境を反映し、坪倉里遺跡では石英類、新華里遺跡1・2文化層ではフォルンフェルスが用いられています。坪倉里遺跡では、小型の石核から剥片を剥がし、掻器やノッチなどが製作されました。新華里遺跡では、大型剥片や大型石刃とともに、掻器やベックや削器などが出土しています。両者にはMIS5以前には少なかった掻器が特徴的に含まれており、刃部が弧状を呈しているなどの共通点が認められます。
日本列島のMIS3前半期とされる遺跡として挙げられるのが熊本県沈目遺跡で、鋸歯縁状の加工などの共通点もありますが、大型石刃や、小型の石核からある程度打面を固定して剥片を取る技術、弧状の刃部を持つ掻器がないなど現状では、積極的な共通点は見いだせません。ただ、韓国側の資料が多くはなく、将来的に再検討する可能性もあります。MIS5の資料としては、島根県砂原遺跡や長崎県入口遺跡があります。いずれの遺跡もアシューリアン類似の大型の礫器を含まない石器群です。韓国のアシューリアン類似の石器は、全谷里遺跡で見られるように石英質の石材が多く用いられますが、江原道錦山里葛洞遺跡や日本海沿岸部の遺跡では、堆積岩や火山岩も用いられており、石材環境が変化しても同じ形の石器が作られています。鋸歯縁状の加工は共通していますが、簡素な形態なので、詳細な研究により対比が可能になると考えられます。
前・中期旧石器時代の遺跡を見つける作業は、これからも必要とされます。一方、百数十万年前にアフリカを出たホモ・エレクトス(Homo erectus)は、その保有していた石器構成をほとんど変えずに極東アジアに至り、数十万年間その形態を変えませんでした。ホモ・エレクトスの末裔が日本列島に到来してアシューリアン類似の石器をすべて捨て去り生活様式を変えたとするのは、現状を解釈する上で一つの方法ですが、なぜ日本列島でだけ変容したのかについては、疑問が残ります。朝鮮半島の資料から見れば、これまで日本列島で出土している石器群は類似していないようです。
参考文献:
中川和哉(2020)「朝鮮半島南部の石器群から見た日本の前・中期旧石器」『Communication of the Paleo Perspective』第2巻P44-45
韓国では1978 年の全谷里遺跡におけるハンドアックス(握斧)の発見以後、後期旧石器時代より古いと考えられる石器群が相次いで発見されて調査されました。その年代については、石器の持つ稚拙な加工やアシューリアン(Acheulian)に類似した形態から、70 万年前以前の石器群であるという見解や、理化学的な年代測定結果から4 万年以降とする説などがありました。全谷里遺跡などの発掘調査に携わっていた裵基同氏は、遺跡に共通してみられる地層の濃淡が過去の気候変動と連動しており、地層で編年できる、と主張しました。
韓国の地層にみられる周期的な色調変化は、中国の黄土高原で顕著に認められるレス-古土壌連続であると考えた松藤和人氏たちは、2001 年からの日中韓の共同研究において年代測定や火山灰分析、地形学などの手法を駆使し、韓国に見られる周期的な土層変化がレス-古土壌堆積物であり、海洋酸素同位体ステージ(MIS)に対応すると位置づけました。レス-古土壌編年研究の結果、アシューリアン類似のハンドアックスや石球やチョッパーやチョッピングツールといった重厚な石器は、MIS5aの8万年前頃まで存続している、と明らかになりました。また、こうした石器群には小型の石器が伴い、その数は重厚な石器に比べて多い傾向にあります。小型石器にはノッチやベックや錐や鋸歯縁などがあります。MIS4の石器群の詳細は、明確な出土石器が少ないため分かりませんが、4万年前前後にはスヤンゲ遺跡第VI地点4文化層や龍湖洞遺跡3文化層に見られるように、石刃技法により作られた剥片尖頭器石器群が出現します。
剥片尖頭器石器群以前のMIS3前半期の石器群は、層位関係においては不明ですが、坪倉里遺跡や新華里遺跡のように、MIS3の地層から剥片尖頭器石器群とは異なる石器群が出土しています。剥片尖頭器石器群がMIS2まで存続することを考えると、剥片尖頭器石器群以前の石器群と想定できます。両遺跡では石材環境を反映し、坪倉里遺跡では石英類、新華里遺跡1・2文化層ではフォルンフェルスが用いられています。坪倉里遺跡では、小型の石核から剥片を剥がし、掻器やノッチなどが製作されました。新華里遺跡では、大型剥片や大型石刃とともに、掻器やベックや削器などが出土しています。両者にはMIS5以前には少なかった掻器が特徴的に含まれており、刃部が弧状を呈しているなどの共通点が認められます。
日本列島のMIS3前半期とされる遺跡として挙げられるのが熊本県沈目遺跡で、鋸歯縁状の加工などの共通点もありますが、大型石刃や、小型の石核からある程度打面を固定して剥片を取る技術、弧状の刃部を持つ掻器がないなど現状では、積極的な共通点は見いだせません。ただ、韓国側の資料が多くはなく、将来的に再検討する可能性もあります。MIS5の資料としては、島根県砂原遺跡や長崎県入口遺跡があります。いずれの遺跡もアシューリアン類似の大型の礫器を含まない石器群です。韓国のアシューリアン類似の石器は、全谷里遺跡で見られるように石英質の石材が多く用いられますが、江原道錦山里葛洞遺跡や日本海沿岸部の遺跡では、堆積岩や火山岩も用いられており、石材環境が変化しても同じ形の石器が作られています。鋸歯縁状の加工は共通していますが、簡素な形態なので、詳細な研究により対比が可能になると考えられます。
前・中期旧石器時代の遺跡を見つける作業は、これからも必要とされます。一方、百数十万年前にアフリカを出たホモ・エレクトス(Homo erectus)は、その保有していた石器構成をほとんど変えずに極東アジアに至り、数十万年間その形態を変えませんでした。ホモ・エレクトスの末裔が日本列島に到来してアシューリアン類似の石器をすべて捨て去り生活様式を変えたとするのは、現状を解釈する上で一つの方法ですが、なぜ日本列島でだけ変容したのかについては、疑問が残ります。朝鮮半島の資料から見れば、これまで日本列島で出土している石器群は類似していないようです。
参考文献:
中川和哉(2020)「朝鮮半島南部の石器群から見た日本の前・中期旧石器」『Communication of the Paleo Perspective』第2巻P44-45
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