『卑弥呼』第68話「それぞれの運命」

 『ビッグコミックオリジナル』2021年8月20日号掲載分の感想です。前回は、ヤノハがヌカデに妊娠を伝えて助力を要請し、了承したヌカデが、助けないと言えばナツハ(チカラオ)に命じて自分を殺すつもりだっただろう、と指摘するところで終了しました。今回は、山社(ヤマト)国と都萬(トマ)国との境において、即席で設けられた柵を越えようとする庶民3人を、山社の兵士が取り締まる場面から始まります。3人は、邑が厲鬼(レイキ)に襲われて全滅し国を出ないと一家は飢え死にするので見逃してほしい、と兵士に懇願しますが、筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)はどこも厲鬼(疫病)に取り憑かれており、国境を封じて人の出入りを止めるのがせめてもの予防策だ、と言って追い返します。その近くでは、やはり柵を越えようとした庶民が2人、兵士2人に射殺されました。兵士の一人は同情しつつ、日見子(ヒミコ)様でも厲鬼には勝てないのか、と嘆息し、別の兵士がそれを窘めます。

 元は日向(ヒムカ)国だった山社国の油津(アブラツ、現在の宮崎県日南市油津港でしょうか)では、テヅチ将軍が兵士たちを指揮し、疫病で死んだ者たちを舟に乗せて火葬していました。配下のナギヒコに何か懸念があるのか問われたテヅチ将軍は、五百木(イオキ)の賊がなぜわざわざ山社に上陸を試みるのか、五百木から一番近いのは菟狭(ウサ、現在の宇佐市でしょうか)なのに、なぜさらに南西に海路をとるのか、と逆に尋ねます。ナギヒコは、陸までたどり着いた賊が、日向には厲鬼を殺す秘薬があると聞いていると言った、とテヅチ将軍に答えますが、テヅチ将軍はその話を知っており、誰がそのような流言を広めているのか、筑紫島、とりわけ山社に悪意を抱く誰かが、厲鬼に憑かれた者をわざと送り込んでいるのではないか、と推測します。

 日下(ヒノモト)の国の廃都では、サヌ王(記紀の神武天皇と思われます)の末裔であるフトニ王(記紀の第7代孝霊天皇でしょうか)追手での八咫烏(ヤタガラス)から逃れていたトメ将軍とミマアキの一行が、サヌ王の末裔と対立しているタギシ王の末裔の阿多(アタ)のチカトと名乗る武人と、逃亡経路について話していました。タギシ王とは、記紀に伝わる神武天皇の長男で、弟(綏靖天皇)に討たれた手研耳命(タギシミミノミコト)でしょうか。チカトは、トメ将軍とミマアキの一行が胆駒山(イコマヤマ)に向かうことは無謀だ、と警告します。胆駒山は鳥見(トミ)一族の故郷で、隠居した長髄日子(ナガスネヒコ)、つまり元武人が大勢住んでいる、というわけです。老兵の邑なら突破するは逆に容易いのでは、と言うミマアキに対して、隠居したとはいっても、吉備(キビ)国や鬼国(キノクニ)と戦った猛者たちで、トメ将軍とミマアキの一行よりも地の利に長けている、とチカトは警告します。では、生きて日下を抜けるにはどの道を進めばよいのか、とトメ将軍に問われたチカトは、南西の葛城山(カツラギノヤマ)なら可能かもしれない、と答えます。葛城山は當麻(タイマ)一族の地で、當麻一族はかつて鳥見の長脛者(ナガスネモノ)と勢力を二分していましたが、長脛者たちがサヌ王と連合した結果、往時の勢力を失い、現王朝には面従腹背というか、逆らわないものの服従もしないという態度を取っている、とチカトはトメ将軍とミマアキに説明します。當麻の地には走れば明け方には到達する、とチカトから聞いたミマアキは、そうするようトメ将軍に進言しますが、トメ将軍とミマアキの一行は八咫烏に追われている、と警告します。八咫烏はサヌ王の末裔である現在の日下王家お抱えの志能備(シノビ)で、闇夜や叢(クサムラ)での遊撃戦なら最強で、とくに移動中の部隊の隙を突くことに長けていて、さらにフトニ王の中隊が八咫烏の後方から近付いており、その長は伊香(イカガ)のシコオという日下一の将だ、とチカトはトメ将軍とミマアキに警告します。八咫烏の襲撃を警戒して動かず、中隊に追いつかれれば絶体絶命だ、とトメ将軍は思案します。八咫烏の人数をミマアキに問われたチカトは、その姿を見た者はおらず、八咫烏が残した大勢の死体しか見たことはない、と答えます。八咫烏の頭領は賀茂のタケツヌという者で、八咫烏は幼き頃より嗅覚と聴覚を鍛え、目を使わずとも戦えるよう仕込まれているそうです。どうすべきかトメ将軍に問われたチカトは、タギシ王の都だったこの地には自分たちしか知らない秘密の抜け道があり、そこを通って姿を隠し、八咫烏とシコオの中隊が諦めるのを気長に待つよう、勧めます。八咫烏と戦って勝ち目はあるのか、とトメ将軍に問われたチカトは、いかに猛者でも大半は死ぬだろう、と答えます。するとトメ将軍は、運を天に任せて今からひたすら南西に走る、と決断します。動けば八咫烏の思う壺だ、と警告するチカトに、たとえ一人しか生き残らずとも誰かが山社に戻らねばならない、と答えます。日下の王(フトニ王)が厲鬼を五百木の賊に仕込んで筑紫島に送り込んでいることを、一日でも早く我々の日見子(ヤノハ)様に伝えねばならないからだ、と答えます。トメ将軍の自信に満ちた表情を見たチカトは、トメ将軍が八咫烏と戦う策を思いついたのではないか、と悟ります。

 那(ナ)国の岡では、ヤノハとヌカデが建物にて二人だけで話し合っていました。疫病による混乱を利用して妊娠を隠すとは、さすがに自分の見込んだ女性だ、とヌカデはヤノハに改めて感心します。しかしヌカデは、厲鬼に怯える民を見捨てるつもりか、とヤノハに問いかけます。するとヤノハは、正直に言ってもう自分にやることはない、と打ち明けます。厲鬼に勝つ術は神の力でも政治でもなく、ひとえに人々の忍耐と努力だ、とヤノハはヌカデに説明します。人と距離を置き、家人単位で行動し、外出時は布で口や鼻を覆い、帰宅跡すぐに口をゆすいで手を洗って、市などで知人と会っても会話を慎むことが必要だ、というわけです。ヤノハの説明を聞いたヌカデは納得しますが、簡単なようで難しい、と言います。ヤノハはヌカデに、これからも人が続々と死ぬ時に、自分が山社の楼閣に現れたら皆は元気づけられるが、それは最初のうちだけで、二ヶ月もしないうちに自分を非力な日見子と思うだろうから、人前からに姿を消して厲鬼と戦っていると思わせる方がずっと得だ、と説明します。お前はどこまでも勝ち運を呼び寄せる女性だ、と感心するヌカデに、人が自分を信用するのはせいぜい一年と少しで、そこまで経っても厲鬼が去らなければ、民は新たな日見子・日見彦(ヒミヒコ)を望んで自分を人柱にするよう欲するだろう、とヤノハは打ち明けます。そうなった場合、お前が率先して自分を祈祷(イノリ)の場から引きずり出して殺せ、とヤノハはヌカデに命じます。本気なのか、と驚くヌカデに、その時はその時だ、それが日見子の運命なのだ、とヤノハが答えるところで今回は終了です。


 今回は、絶体絶命の危機に陥ったトメ将軍とヤノハの胆力と覚悟が描かれました。トメ将軍が八咫烏とどう戦うのか、注目されますが、ミマアキが千穂で正体不明の「鬼」と戦った経験を活かして活躍する場面もありそうです。正体不明だから恐れるものの、相手が人間だと分かれば対処する方法はある、とミマアキは考えそうです。なお、前回述べ忘れましたが、『日本書紀』の大日本根子彦太瓊天皇(オオヤマトネコヒコフトニノスメラミコト)、つまり第7代孝霊天皇と思われるフトニ王が本作ではサヌ王から数えて8代目とされているのは、記紀では天皇とされていない神武天皇の長男である手研耳命がサヌ王の次に即位した王だった、との設定に基づいているようです。ヤノハの決断と覚悟はしっかりとした利害計算に基づくもので、ヤノハのこれまでの描写に合致したものになっていました。ヤノハがこの決断を打ち明けて今後の策を委ねる相手としてヌカデを選んだのは、ヌカデがヤノハの本性を最もよく知ることからも、説得力があったと思います。ヤノハが事代主(コトシロヌシ)から授けられた知識を活かしてこの危機をどう切り抜けるのかが、当面の山場となりそうで、たいへん楽しみです。

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