加藤真二「ユーラシア東部の状況からみた旧石器文化の列島への拡散」

 本論文のユーラシア東部とは、中国を中心とする大陸部を指し、中国は秦嶺山脈―淮河線で南北に区分されます。ユーラシア東部と日本列島を結ぶ路線としては、北ルート(アムール河口部―サハリン-北海道)、西ルート(陸化した大陸棚・朝鮮半島-九州北部)、南ルート(華南-台湾-琉球弧-九州南部)の他、日本海ルート(日本海横断)などが想定できます。ただ、現生人類(Homo sapiens)以前の人類が日本列島へ移動するさいには、渡海能力が低かったので、氷期に陸化した北ルートや西ルートを経由したと考えられます。

 中国北半部、華北北辺の泥河湾盆地(The Nihewan Basin)では166 万年前の河北省馬圏溝III以降、旧石器遺跡が断続的に形成されます。したがって、少なくとも、これ以降の西ルートが陸化した時期には、日本列島への人類集団と石器群の拡散機会があったことになります。この陸化した西ルートを通り、120万年前頃にトロゴンテリゾウなどの動物群、43 万年前頃にナウマンゾウの祖先種などの動物群が中国北半部を含む旧北区から、また63 万年前頃にトウヨウゾウなどの動物群が中国南半部以南の東洋区から、日本列島に渡来しました。この時、ホモ・エレクトス(Homo erectus)が動物群とともに列島にやってきたとすれば、どのような石器群を持ち込んだのか、という点が問題となります。

 華北の河北省飛梁・麻地溝(120 万年前頃)、北京市周口店第1地点上部文化層(50万~40万年前頃)などでは、不定形剥片を臨機的に二次加工したノッチやペッグなどの小型剥片石器に粗粒石材の礫器を交えた石器群が見られます。一方、中国南半部となる長江下流域の江蘇省和尚墩12 層(66万~62万年前頃)では、礫器やピックなどの大型重量石器を主体とする石器群が出土しました。朝鮮半島南部でも、東洋区の動物群が列島に渡来した時期に、全羅北道甑山などのピックや多面体石器などの大型重量石器をもつ石器群が出現し、それ以後、最終間氷期ごろまで盛行することが知られています。

 ユーラシア東部では、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5(128000~71000年前頃)となる最終間氷期に、北ルート入口と同緯度の北緯50度付近まで旧石器遺跡が形成されます。そのため、この地域にいた種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)やネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)などの非現生人類ホモ属が、MIS4(71000~57000年前頃)となる間氷期直後の寒冷期に陸化した北ルートを経由して、北海道に渡来した可能性があります。なお、MIS4では西ルートは陸続きになりませんでした。

 このMIS5~4において、中国北半部には、鋸歯縁石器類や厚型削器などの各種削器、カンソン型やタヤック型などの尖頭器、石球をもつ鋸歯縁石器群が広く見られます。これと類似する同時期の石器群が東シベリアのイゲチェイスキー・ログ1(北緯53 度)でも抽出されています。一方、中国東北部では、内モンゴル自治区三龍洞でキナ型スクレイパーやムスチエ型尖頭器をもつ石器群が出土しました。内モンゴル自治区チンスタイ(金斯太、Jinsitai)8・7層(北緯45度) でもルヴァロワ(Levallois)技法が確認されています(関連記事)。これらはムステリアン(Mousterian)が北方もしくは西方から中国東北部に伝播したことを示している、と考えられます。将来、北ルートを経由してきた絶滅ホモ属集団がもたらした、鋸歯縁石器群やムステリアンなどの中部旧石器が北海道で出土するかもしれません。

 ユーラシア東部に現生人類による上部旧石器的な石器群が出現するのは、中国南半部でやや古く43500年前頃、中国北半部では41500~40000年前頃です。現生人類は渡海能力を有しており、日本列島への移動は氷期でなくとも可能でした。また、これまでの2ルートに加えて、海上移動が必須な南ルートなども利用されました。現生人類が最初に日本列島にもたらした石器群を考えるさいにまず参考になるのは、中国南半部最古の上部旧石器で、43500年前頃のスマトラリス(甲高な打製石斧)を有するホアビニアン的な雲南省硝洞の石器群です。

 中国北半部最古の上部旧石器は、寧夏回族自治区水洞溝(Shuidonggou)の41500~41000年前頃のものです。円盤状石核や柱状石核から剥離された大型石刃に特徴づけられる初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)石器群です。IUP 石器群は、忠清北道スヤンゲ第6 地点やシベリア東部のカーメンカやマカロヴォIVなどでも出土しており、各地での最古の上部旧石器とされています。ただ、中国北半部では水洞溝石器群のみで、中国におけるEUP(上部旧石器時代前期)石器群とされる、小石刃技術や磨製骨角器、装身具類などの上部旧石器的要素を付加し、技術変容した鋸歯縁石器群が主体的です。この石器群は、熊本県石の本8区や江原道魯峰第2文化層の石器群などとも類似点を有します。また、山西省下川の36000~27000年前頃の石器群は、小石刃技術や石斧や台形様石器など、日本列島のものと共通する要素を有しており、注目されます。

 上述のように41500~40000年前頃とされる中国北半部での現生人類の出現について、50000~40000年前頃とされる河北省西白馬営では、初源的な磨製骨器や火処での火の管理など、現生人類的な活動の痕跡が認められ、この地域での現生人類の出現は従来の説よりも古かったかもしれません。その場合、日本列島に近い華北沿海部でも見られた中部旧石器的な鋸歯縁石器群が日本列島に拡散した可能性もあります。最後に本論文は、日本列島では最古の上部旧石器や上部旧石器以前の確実な石器群は、まだ発見されていない、との認識を示しています。一方で本論文は、ユーラシア東部に起源するより古い石器群が日本列島で出土しても不思議ではない、とも指摘しています。


参考文献:
加藤真二(2020)「ユーラシア東部の状況からみた旧石器文化の列島への拡散」『Communication of the Paleo Perspective』第2巻P42-43

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