紀元前三千年紀のヨーロッパ中央部人類集団における遺伝的構成と社会構造の変化

追記(2024年7月17日)
 画像のリンク切れを修正するとともに、ブログの体裁を現在のものに変更し、要約を追加しました。



●要約

 ヨーロッパの先史時代には、これまで詳細な地域規模で調査されていなかった、多様な社会の動的で複雑な相互作用がありました。ヨーロッパの中心部であるボヘミアの紀元前4900~紀元前1600年頃の271点のヒトゲノムの研究により、本論文は前例のない遺伝的変化と社会的過程を明らかにします。大規模な移動は「草原地帯」祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の到来に先行し、紀元前2800年頃には、3つの遺伝的および文化的に区別される集団が共存していました。

 縄目文土器(Corded Ware)は紀元前2900年までに出現し、当初は遺伝的に多様で、既知のヤムナヤ(Yamnaya)文化関連集団にすべての草原地帯祖先系統が由来するわけではなく、多様な背景の女性を同化させました。縄目文土器および鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化集団は両方とも動的変化を経ており、それぞれ紀元前2600年頃と紀元前2400年頃のY染色体多様性の急激な減少および完全な置換と関わっており、後者は新石器時代的祖先系統の増加を伴いました。青銅器時代には、40%以上の人口置換の最中に、新たな社会組織が出現しました。


●研究史

 紀元前三千年紀のヨーロッパ中央部人類集団における遺伝的構成と社会構造の変化に関する研究(Papac et al., 2021)が公表されました。考古遺伝学は過去1万年のヨーロッパにおける2回の主要な人口集団交替を明らかにしてきました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。最初のものは、紀元前七千年紀に始まり、アナトリア半島からの農耕民共同体の拡大と関連していました。ヨーロッパの前期新石器時代農耕民は当初、在来の狩猟採集民と遺伝的に異なっており、アナトリア半島農耕民とほぼ区別できませんでしたが(関連記事1および関連記事2)、その後数千年にわたって遺伝子プールに狩猟採集民祖先系統(祖先系譜、ancestry)を組み込んできました(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。

 2番目の主要な人口集団交替は、紀元前三千年紀早期に縄目文土器(Corded Ware、略してCW)文化の個体群で起きました(関連記事1および関連記事2)。以下本論文では、ヒト骨格遺骸と考古学的文化(たとえば、副葬品や身体の向き)の標識の共伴を用いて、個体群と考古学的文化との間の関連が、たとえば「CW個体群」のように示されますが、これは統一された社会的実体を反映していないかもしれません。CWはヨーロッパ中央部と北部と北東部における主要な文化的変化を表しており、経済とイデオロギーと埋葬慣行に変化をもたらしました。

 CW個体群は、文化的にCWに先行する人々とは遺伝的に異なると示されており、その祖先系統の75%はポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)のヤムナヤ(Yamnaya)文化個体群と類似しています(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。その後、このヤムナヤ的「草原地帯」祖先系統は急速にヨーロッパ全域に拡大し、紀元前三千年紀末の前には、ブリテン島とアイルランド島とイベリア半島とバレアレス諸島とサルデーニャ島とシチリア島に到達しました(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)。

 紀元前三千年紀の重要性にも関わらず、現在の遺伝学的理解はおもに汎ヨーロッパ的な標本抽出戦略による研究に基づいており、地域的で高解像度の時間的区間にはほとんど重点が置かれていません。その結果、多くの時間的および地理的標本抽出の間隙が残り、社会と共同体の水準での過程、および文化的集団がどのように相互作用して影響を及ぼし、相互に生じたのかについて、知識が限定的です。さらに、地域を超えた考古学的現象を表す小さな標本規模の使用と、結果として生じる過度に単純化された文化・歴史的解釈は、考古学者から批判されてきました。

 未解決の問題は、CWと鐘状ビーカー(Bell Beaker、略してBB)個体群の遺伝的および地理的起源、両者の相互関係およびヤムナヤ個体群との関係、前期青銅器時代(EBA)のウーニェチツェ(Únětice)個体群の起源に関するものです。CWは遺伝的にヤムナヤ的な人々の男性に偏った西方への移住から形成された、と提案されてきましたが(関連記事1および関連記事2)、Y染色体系統の重なりは、いくつかの分類できないY染色体ハプログループ(YHg)I2を例外として、おもにYHg-R1aのCW男性と、おもにYHg-R1b1a1b1b(Z2103)を有するヤムナヤ男性との間で見つかってきました。

 草原地帯祖先系統はBB個体群にも存在しますが(関連記事)、そのYHgはおもにR1b1a1b1a1a2(P312)で、これはCWもしくはヤムナヤ男性ではまだ見つかっていません。したがって、草原地帯祖先系統の共有とかなりの年代的重複にも関わらず、現時点では、ヤムナヤとCWとBBの各集団を父系の供給源として直接的に結びつけることはできません。とくに、草原地帯祖先系統が男性主導で拡大したと示唆されていることと、これら3社会の父方居住・家長的社会親族制度が提案されていることを考慮すると(関連記事)、注目に値します。

 紀元前三千年紀のヨーロッパにおける文化的・社会的・遺伝的変化を理解するのに重要なのは、球状アンフォラ文化(Globular Amphora Culture、略してGAC)のようなCWに先行する文化と、CWやBBやEBAウーニェチツェに分類される社会の存在(共存)を証明する、緻密な居住地域です。現在、そうした地域は考古遺伝学の観点では体系的に研究されていません。ヨーロッパの中心部に位置し、重要なエルベ川に密着する、現在のチェコ共和国西部であるボヘミアの肥沃な低地では、多くの主要な超地域的な考古学的現象が見られました(図1)。

 ボヘミアの密集した農耕定住は、早期新石器時代農耕民の到来とともに紀元前5400年後に始まり、これは線形陶器(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)文化や後期刺突文土器(Stichbandkeramik、略してSTK)文化やレンジェル(Lengyel)文化です。これらの文化は、ヨルダヌフ(Jordanów)文化やミシェスベルク(Michelsberg)文化や漏斗状ビーカー(Funnelbeaker)文化やバデン(Baden)文化やリヴナック(Řivnáč)文化やGACや前期および後期CWやBBなど、二桁の考古学的文化集団と関連する、銅器時代(紀元前4400~紀元前2200年頃)の多くの社会に継承されました。銅器時代には、重要な革新(冶金や車輪や荷馬車と犂や要塞化された丘陵や古墳)が見られ、ボヘミア周辺に地理的に集まった、拡大したEBAウーニェチツェ文化に継承されました。

 物質的および技術的発展に加えて、埋葬行動を通じて示されるようにイデオロギー的変化も明らかです。漏斗状ビーカー期(紀元前3800~紀元前3400年頃、ボヘミアで100基の墓が知られています)には比較的一般的でしたが、通常の墓は中期銅器時代(紀元前3500~紀元前2800年頃)となるバデン期やリヴナック期やGAC期にはほぼ消滅します(ボヘミアでは20基)。単葬墳は、現在では身体の位置と副葬品で厳密な性区分が伴いますが、紀元前2900年頃のCWでは多数再出現して(ボヘミアでは1500基)BB期に継続し(ボヘミアでは600基)、BBは先行するCWとは重要な違いを発展させ維持しました。EBAウーニェチツェ文化では単葬墳が継続しましたが(ボヘミアでは4000~5000基)、再度身体位置の性差はなくなりました。

 これらの変化をよりよく理解するため、ボヘミア北部の271個体(新たに報告される206個体と既知の65個体)の高解像度の考古遺伝学的時期区分が分析されました(図1)。時空間的に重複する考古学的文化からの密な遺伝的標本抽出を通じての本論文の目的は、(1)ヨーロッパ中央部の銅器時代とEBAにおける文化的変化が非地元民の流入により引き起こされたのかどうかに取り組み、(2)CWの出現直前のヨーロッパ中央部の遺伝的多様性を特徴づけ、(3)ヤムナヤ的草原地帯祖先系統を有する個体群がヨーロッパ中央部に最初に出現した時期を特定して、その遺伝的起源と社会的構造を理解し、(4)CW出現後の「地元民」と「移民」との間の生物学的交換の性質と程度を特徴づけ、(5)遺伝的および考古学的変化と関連する社会的変容を特定することです。以下は本論文の図1です。
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●標本の概要

 37ヶ所の遺跡から古代人261個体が調べられ、219個体のゲノムで、1233013ヶ所の祖先系統(祖先系譜、ancestry)の情報をもたらす部位が濃縮されました(1240kキャプチャパネル)。濃縮後、3万ヶ所未満の部位もしくは汚染の兆候がある13個体は削除され、206個体の新たなデータセットが得られました。この新たなデータセットは、ボヘミアの既知の古代人65個体およびより広範な個体群と組み合わされ、それにより、ボヘミアの新石器時代および先CW銅器時代個体は7から58に、CW個体は7から54に、BB個体は40から64に、EBA個体は11から95に拡大されました。

 重要なのは、CW形成の頃(紀元前3200~紀元前2600年頃)の個体の標本規模をかなり拡大したことです(1個体から50個体)。その内訳は、バデン文化とリヴナック文化とGACとなる最後の先CW個体が0から18に、前期CW個体が1から32に増加しており、ヨーロッパ中央部のCWの起源と、その移住の性質と、共存する先CWの人々との社会的相互作用を直接的に研究できるようになりました。一親等の親族関係はアレル(対立遺伝子)頻度に基づく分析(f統計、qpWave、qpAdm、進化的兆候の祖先系統の時間区間の分布を示すDATES、Y染色体分析)では除外されました。本論文は140点の新たな放射性炭素年代も報告し、より精細な時間的解像度を支援し、重要な紀元前三千年紀の文化的集団(たとえば、CWやBBやウーニェチツェ)の前期と後期の間の遺伝的変化を調べることが可能となります。


●紀元前2800年頃以前となる先CW期のボヘミア

 まず、ボヘミアの古代人を、ユーラシア西部現代人1141個体から構築された主成分分析の最初の2軸に投影することにより、ゲノム規模データが評価されました。その結果(図2A)、ボヘミアの全ての先CW個体(58個体)はアナトリア半島新石器時代(アナトリアN)とヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)の間で、ヨーロッパ中央部の既知の文化的に先CWに分類される個体群と密接した状態に位置しました。これは、草原地帯祖先系統の欠如を示唆しており、qpAdmモデル化を用いても確認され、ボヘミアの先CW個体群はほぼアナトリアNとWHGの2方向混合としてモデル化できる、と明らかになりました(図3A)。狩猟採集民(HG)祖先系統の割合は年代と正の相関があり、以前に報告された新石器時代におけるHG祖先系統の増加傾向はボヘミアでも起きた、と示されました(関連記事1および関連記事2)。このHG祖先系統の増加は2段階の線形過程として最良にモデル化でき(図3A)、紀元前五千年紀にHG祖先系統が増加し、その後に停滞(有意ではない勾配)が続く、と明らかになりました。以下は本論文の図2です。
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 HG祖先系統がボヘミアの先CW個体群の遺伝子プールに組み込まれた過程への洞察を得るため、qpAdmを用いて、先CW文化的集団がそれぞれ、アナトリアNとルクセンブルクのヴァルトビリヒ(Waldbillig)のロシュブール(Loschbour)遺跡の中石器時代個体とケレス(Körös)遺跡狩猟採集民の3方向混合としてモデル化され、組み込まれたHG祖先系統の遺伝子移入された年代がDATESにより推定されました(図3B)。HG祖先系統の連続的な組み込みを伴う人口集団継続性のシナリオでは、後続の文化の遺伝子移入の平均年代は、図3Bの灰色の間隔(右側)で示唆されるように、経時的により新しくなる、と予測されます。逆に、さらなるHG祖先系統の組み込みがない人口集団の連続性では、混合年代は類似のHG割合を有する連続した文化的集団では類似したものになるはずです。

 本論文の結果は、両方の予測が満たされない、2つの文化的移行を示唆します。まず、ボヘミアのヨルダヌフと漏斗状ビーカーは類似の量のWHG祖先系統を有していますが、漏斗状ビーカーのWHGからの遺伝子移入の推定年代(図3B)はヨルダヌフ(紀元前4636~紀元前4310年)よりも有意に早く(紀元前5079~紀元前4748年)、ボヘミアの漏斗状ビーカー個体群がさまざまな人口集団(その祖先系統はさらに昔に組み込まれました)に由来することと一致し、ボヘミアではヨルダヌフ人口集団に取って代わりました。

 ヨルダヌフと漏斗状ビーカーとの間のこの移行は、3点の追加の観察により裏づけられます。第一に、f4統計(ムブティ人、ボヘミアの漏斗状ビーカー;ボヘミアのヨルダヌフ、ドイツの漏斗状ビーカー)は正で、ボヘミアの漏斗状ビーカーが、先行する在来のヨルダヌフ個体群よりも、ザクセン=アンハルト(Saxony-Anhalt)のバールベルゲ(Baalberge)遺跡とザルツミュンデ(Salzmünde)遺跡の漏斗状ビーカー個体と有意により大きな遺伝的類似性を示す、と明らかにします。逆に、f4統計(ムブティ人、ボヘミアのヨルダヌフ;ドイツの漏斗状ビーカー、ボヘミアの漏斗状ビーカー)は一貫して0と一致しており、ボヘミアのヨルダヌフ個体群に関して、ボヘミアとドイツの漏斗状ビーカー個体群間の系統発生的クレード(単系統群)化を示唆します。

 第二に、ボヘミアのヨルダヌフ個体群は、アナトリアNとケロスHGの2方向混合としてモデル化できるものの、アナトリアNとロシュブールの2方向混合としてはモデル化できない一方で、ボヘミアの漏斗状ビーカー個体群では逆が当てはまります。これは、さまざまな遺伝子移入年代に加えて、ボヘミアのヨルダヌフ文化的集団と漏斗状ビーカー文化的集団におけるHG祖先系統のさまざまな類似性を示唆します。第三に、qpWaveはボヘミアのヨルダヌフと漏斗状ビーカーの個体群間のクレード化を裏づけませんが、ボヘミアとドイツの漏斗状ビーカー個体群間のクレード化を却下できません。まとめると、これらの結果は、ボヘミアの漏斗状ビーカー個体群の大半(有意に50%以上)の非在来の遺伝的起源を示唆します。

 この第二のような事例は、リヴナックからGACへの文化的移行で見られます。GAC個体群はボヘミアの先CW文化的集団で最も高いHG祖先系統を有しており(25.7±1.4%)、リヴナック個体群よりも有意に多くにっています。しかし、GACにおけるHGとの混合の推定年代は、リヴナック個体群よりも遅いわけではなく(図3B)、GAC個体群はリヴナックとHGの起源集団の最近の混合に由来するのではなく、ボヘミアにおける最近の非在来の侵入を構成しており、それは、たとえばポーランドのように(関連記事1および関連記事2)より多くのHGからの遺伝子流動を受けた地域からの侵入で、考古学的証拠の解釈とも一致します。

 リヴナック個体群とGAC個体群の異なる遺伝的起源は、主成分分析とqpAdmモデル化によりさらに裏づけられます。主成分分析では、GACのTUC003個体を除いて、リヴナック個体群とGAC個体群は異なる一群を形成します(図3C)。これはqpAdmモデル化により確認され、GAC個体群はアナトリアNとロシュブールの混合としてモデル化できますが、アナトリアNとケロスHGの混合としてはモデル化できない一方で、リヴナック個体群にはその逆が当てはまります。その結果、リヴナック個体群とGAC個体群はHG祖先系統の量と供給源に基づいて区別でき、ボヘミアにはCW出現時にリヴナック個体群とGAC個体群という遺伝的に異なる集団が存在した、と示唆されます。リヴナック個体群の外れ値個体(TUC003)も、GAC集団で生まれたものの、リヴナック集団の文化的背景で埋葬された、という興味深い可能性を提起します。以下は本論文の図3です。
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 ボヘミアにおけるCWの出現と同時代かその後のリヴナックとGACの16個体間(図1B)では、草原地帯祖先系統の検出可能な痕跡は見つからず(図2A)、CW/ヤムナヤから文化的にCWに先行する人々(リヴナックやGACなど)への生物学的交換は低く、おそらく存在していなかった、と示唆されます。草原地帯祖先系統は、CW個体群とともに紀元前三千年紀初期のボヘミアに出現します。


●縄目文土器(CW)

 本論文は現時点で最初期となるCW個体群のゲノムデータを報告し、その中には、紀元前3010~紀元前2889年頃となるボヘミア北西部のSTD003個体や、紀元前3018~紀元前2901年頃となるボヘミア中央部のVLI076個体や、紀元前2914~紀元前2879年頃となるボヘミア東部のPNL001個体が含まれ、CWはボヘミア全域に紀元前2900年頃までに広範に拡大した、と示されます。これら初期の放射性炭素年代は、これらの個体の遺伝的特性によっても裏づけられます。これらの個体は、最初のCWが地元民と混合した東方からの移民で、後の世代ではPC2軸の位置が中間になる、というシナリオで予測されているように、PC2軸では最も極端な位置にあります(図2B)。

 ボヘミアのCW個体群の遺伝子プールの形成を調べるため、草原地帯祖先系統を有しており平均年代が紀元前2600年以前のCWの27個体がボヘミアCW前期、残りの21個体がボヘミアCW後期とまとめられました。ボヘミアCW前期を、あらゆる既知のヤムナヤ供給源と、あらゆる在来のボヘミアもしくはポーランドやウクライナやハンガリーやドイツといった非在来の先CW供給源の2方向混合としてモデル化する統計的裏づけは乏しい、と明らかになりました。新石器時代祖先系統(アナトリアNと一連のHG供給源)の代理として遠方の供給源を用いると、3方向遠位混合モデルの一つを除いて強い裏づけは見つかりませんでした。しかし、この統計的に裏付けられた一つのモデルから、ヨーロッパにおける新石器時代祖先系統の以前には観察されていなかった比率が得られました。それは、アナトリアNとスウェーデンのムータラ(Motala)遺跡狩猟採集民との1:1の混合比の新石器時代人口集団です。さらに、前期CWを個々に、アナトリアNとWHGとヤムナヤ・サマラ(Yamnaya_Samara)の「標準」3方向混合としてモデル化すると、37%(27事例のうち10事例)で、このモデルが強い裏づけを欠いている、と明らかになりました。

 ヤムナヤとヨーロッパ新石器時代人口集団の供給源間の2方向近位モデルが、ボヘミアCW前期の遺伝的多様性を説明するのに不充分な理由を調べるため、よりよいモデル適合を得られる第三の供給源の追加が試みられました。ラトヴィア中期新石器時代(ラトヴィアMN)やウクライナ新石器時代(ウクライナN)や円洞尖底陶(Pitted Ware、略してPW)文化のいずれかを供給源として追加すると、ほぼ全てのモデル(285例のうち280例)の適合が改善し、その改善のほとんどは数桁に達しました。全ての2方向近位モデル(95例)が強い裏づけを欠いている一方で、ラトヴィアMN(95例のうち57例)かウクライナN(95例のうち53例)かPW(95例のうち32例)を供給源に追加すると、裏づけられたモデルの数が大幅に増加しました。

 これらの結果は、全ての既知のヤムナヤおよびヨーロッパ中央部新石器時代人口集団と比較して、ボヘミアCW前期における、ラトヴィアMN/ウクライナN/ PW的な祖先系統の存在を示します。本論文のモデルから、この祖先系統はボヘミアCW前期遺伝子プールの5~15%を占める、と示唆されます。ボヘミアCW後期およびドイツCWをモデル化すると、これら第三の供給源のいずれかとのモデル適合の増加も観察され、この祖先系統が後のヨーロッパ中央部CWにも存在し、CW集団はヤムナヤよりも古代ヨーロッパ北東部集団と多くのアレルを共有すると示すアレル共有f4統計とも一致する、と示唆されます。

 本論文は、草原地帯祖先系統を有さないCW個体群からの最初のゲノムデータを提供し、それにより、CWとCWに先行する人々との間の相互作用の社会的過程を解明します。草原地帯祖先系統を有さない前期CW個体群間の女性のみ(4個体)の観察結果(図2Bおよび図3C)から、先CWの人々を前期CW社会に同化させる過程が女性に偏っていた、と示唆されます。この女性4個体のうち2個体(STD003とVLI008)は主成分分析ではボヘミアとポーランドのGAC個体群の近くに位置します(図3C)。これらを一群にまとめると、STD003とVLI008はボヘミアのリヴナック個体群よりもボヘミアのGAC個体群とより多くの遺伝的類似性を共有します。STD003とVLI008はポーランドのGAC個体群と比較してボヘミアのGAC個体群と遺伝的により密接ではなく、非在来の東部もしくは北東部起源(たとえば、ポーランド)の可能性が除外できないことを意味します。さらに、VLI009とVLI079は主成分分析では、標本抽出されたボヘミアの中期銅器時代(バデンとリヴナックとGAC)個体群の遺伝的多様性の範囲外に位置し、有意により多くのHG祖先系統を有しており、前期CW社会の遺伝的に先CW女性の大きな割合(50%か、STD003とVLI008を含めるとそれ以上)はボヘミア外に由来する、と示唆されます。

 ボヘミアCW後期はボヘミアCW前期と比較して、有意に先CW銅器時代的祖先系統をより多く有する、と明らかになりました。しかし、この兆候は草原地帯祖先系統を有さない前期CW女性を含めると失われます。ボヘミアCW前期と比較しての、ボヘミアCW後期におけるこの追加の先CW銅器時代的祖先系統は、地元の供給源に由来するものとしては上手くモデル化されず、ボヘミアのCW遺伝子プールに地元以外の遺伝的影響が経時的にあった、示唆されます。これは、ボヘミア外に由来する遺伝的に先CWの女性と一致し、類似の量の先CW銅器時代的祖先系統を有するにも関わらず、ボヘミアCW前期(草原地帯祖先系統を有さない女性を含みます)とボヘミアCW後期がqpWave分析でクレード化しない、という知見により裏づけられます。

 経時的な常染色体の遺伝的変化に加えて、前期CWの異なる5系統から後期CWの優勢な(単一)系統へと移行する、Y染色体多様性の急激な減少が観察されます(図4A)。フォワードシミュレーションを用いて、Y染色体多様性の観察された減少を説明できる人口統計学的シナリオが調べられました。ボヘミアCW前期で観察された開始頻度を中心としたYHg-R1a1a1(M417)の開始頻度で人口集団のシミュレーションが100万回実行され、この系統が、閉鎖集団と任意交配のモデル下で500年の時間枠において、ボヘミアCW後期で観察される頻度(11個体のうち10個体)に達する妥当性が評価されました。

 その結果、妥当な人口規模の広範囲を考慮すると、この頻度変化が偶然に起きたという「中立的」仮説は却下されました。代わりに本論文の結果から示唆されるのは、YHg-R1a1a1は無作為ではない増加を経ており、この系統の男性は他系統の男性と比較して1世代あたり15.79%(4.12~44.42%)多く子を儲けた、ということです。Y染色体頻度におけるこの変化は、同じ男性内の充分に網羅された常染色体124万ヶ所におけるアレル頻度の変化と比較して極端だと明らかになり、常染色体の遺伝的多様性と比較してY染色体に不均衡に影響を及ぼした過程が示唆され、このY染色体多様性の急激な減少の原因として人口集団のボトルネック(瓶首効果)は除外されます。以下は本論文の図4です。
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 本論文の結果から、前期CW男性のY染色体系統の多様性は、無作為ではない過程により取って代わられ、それは選択か社会的構造か外来のYHg-R1a1a1の流入であり、Y染色体多様性の崩壊を引き起こした、と示唆されます。新石器時代にさかのぼるY染色体多様性の同時に起きた減少は、ほぼ全ての現存YHgで観察されており、おそらくは男性を中心とした家系間の紛争増加に起因します(関連記事)。本論文は、社会的構造の変化(たとえば、厳密に排他的な社会規範を有する孤立した婚姻ネットワーク)が別の原因かもしれないものの、基礎となるモデルパラメータで区別することは難しいだろう、と考えます。初期CW個体群内の最大の遺伝的分化は、ヴリネヴェス(Vliněves)遺跡個体で見られます。ヴリネヴェス遺跡のPC2軸上のCW個体群で最も高い3個体と最も低い3個体間の遺伝的違いは、全ての現代ヨーロッパの人口集団の組み合わせ比較よりも大きくなります(図5)。以下は本論文の図5です。
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●鐘状ビーカー(BB)

 最初期のBB個体群は、主成分分析ではCWと類似の位置を占めており(図4B)、ある程度の遺伝的連続性が示唆されます。前期BB個体群(ボヘミアBB前期、平均年代が紀元前2400年以前で、3個体)の遺伝的起源を調べるため、先行する文化的集団と同時代の文化的集団との間の2方向混合としてモデル化されました。その結果、地元起源の裏づけが明らかになりましたが、外来の代替案を除外できませんでした。しかし、本論文のボヘミアBB前期集団はわずか3個体の女性で構成されているので、供給源人口集団を識別するための代表性と解像度が制約されているかもしれません。

 後期BB個体群(ボヘミアBB後期、紀元前2400年以後で、56個体)は、ボヘミアBB前期と比較して有意により多くの中期銅器時代的祖先系統を有する、と明らかになりました。この遺伝的変化を調べるため、ボヘミアBB後期がボヘミアBB前期と地元の中期銅器時代供給源の2方向混合としてモデル化され、ボヘミアBB前期と比較してボヘミアBB後期では追加の20%程度の地元の中期銅器時代的祖先系統の裏づけが見つかりました。

 前期CWとBBで見つかったY染色体系統間では、後期CWもしくはヤムナヤおよびBBの場合より密接な系統発生関係が観察されます。YHg-R1b1a1b1a1a(L151)は前期CW男性では最も一般的なY染色体系統で(11個体のうち6個体)、YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)の祖先的系統であり(図4A)、BBでは優勢な系統です。YHg-R1b1a1b1a1a2の(複数の)変異がボヘミアの前期CWのYHg-R1b1a1b1a1a男性の1人で生じたのかどうか、判断できませんが、ほとんどのボヘミアのBB男性はさらに派生的なYHg-R1b1a1b1a1a2(S116)とYHg-R1b1a1b1a1a2b1(L2)を有しており、何人かはYHg-R1b1a1b1a1a2c1(L21)派生的変異を有するイングランドの男性とは対照的です。これは、イギリスとボヘミアのBB男性が相互の子孫ではあり得ず、むしろ並行して多様化したことを示します。YHg-R1b1a1b1a1a2(P312)がボヘミアとイングランドの間のどこか、おそらくはライン川の近くで生じ、その後で北西と東方へ拡大した、とのシナリオは、古代のYHg-R1b1a1b1a1a(L151)の派生的系統の系統地理に関する本論文の理解と一致します。


●EBAウーニェチツェ文化

 ボヘミアにおけるEBAへの移行は、先行する後期BBと比較して、PC2軸の正の変化と関連しています(図4B)。ヨーロッパ東部狩猟採集民(EHG)もしくはシベリア西部狩猟採集民(WSHG)を、時空間的に近接するボヘミアにBB後期に加えて第二の供給源として用いると、f3統計の混合は最も負の値となり、ボヘミアウーニェチツェ先古典期への北東部からの寄与が示唆されます。あり得る追加の供給源人口集団の適切な代理を見つけるため、ボヘミア・ウーニェチツェ先古典期が、地元のボヘミアBB後期とPC2軸上のより正の値を示すさまざまな供給源の2方向混合としてモデル化されました。

 その結果、ボヘミアBB後期とヤムナヤ、もしくはボヘミアBB後期とCWを含む混合モデルは却下されました。ボヘミアBB前期63.5%とボヘミアBB後期36.5%の2方向混合モデルは却下できず、前期BB系統からの大きな割合が示唆されます。前期BB系統は後期BB段階(紀元前2400~紀元前2200年頃)ではほぼ標本抽出されていませんが、青銅器時代開始期のあり得る新たな系統を表しています。Y染色体データはさらに大きな置換さえ示唆します。後期BBでは100%だったYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)が、先古典期ウーニェチツェ文化では20%に減少しており、EBA開始期における少なくとも80%の新たなY染色体の流入が示唆されます。

 しかし、ボヘミアBB前期の解像度が限定的なため(小規模で低解像度で大きな標準誤差)、先古典期ウーニェチツェ個体群について代替モデルが調べられました。ラトヴィアBAを供給源に含めると全てのモデル化が改善し、2つの追加のモデルが裏づけられます。ボヘミアBB後期とボヘミアCW前期とラトヴィアBAの3方向混合は、47.7%という人口集団置換の控えめな推定値を裏づけるだけではなく、先古典期ウーニェチツェで見つかるY染色体多様性も説明し、その中にはボヘミアBB後期のYHg-R1b1a1b1a1a2(P312)と、ボヘミアCW前期のYHg-R1b1a1b1a1a1(U106)およびI2と、ラトヴィアBAのYHg-R1a1a1b(Z645)があります(図4A)。

 この新たな祖先系統の地理的起源は正確に特定できませんが、3点の観察結果が手がかりを提供します。第一に、全てのモデル適合性を改善するラトヴィアBA祖先系統は、究極的な北東部起源を示唆します。第二に、YHg-R1a1a1bはEBAの始まりにボヘミア(およびより広範なヨーロッパ中央部)で初めて出現します。YHg-R1a1a1bはそれ以前にはバルト海地域に固定されており、スカンジナビア半島のCW男性で一般的で、北部・北東部からの遺伝的寄与を裏づけます。第三に、ウーニェチツェの遺伝的外れ値であるYHg-R1a1a1bの男性個体VLI051は、青銅器時代(BA)のラトヴィアの個体群と類似しており(関連記事)、北東部からの移住の直接的証拠を提供します。

 先古典期から古典期へのウーニェチツェの遺伝的移行も検出され、それは紀元前2000年頃以後のウーニェチツェ個体群のPC2軸における減少に反映されており、qpWaveとf4統計で確認されました。ボヘミアのウーニェチツェ古典期個体群は、ボヘミアのウーニェチツェ先古典期と地元の銅器時代の供給源の混合としてモデル化できます。後期BBと先古典期ウーニェチツェとの間の遺伝的変化とは対照的に、Y染色体多様性はウーニェチツェの両期間(先古典期と古典期)を通じて類似しており、同化と微妙な社会的変化を示唆します。


●考察

 ボヘミアにおける高解像度の遺伝的時間区間により、文化的集団の前期と後期を区別して個々に研究することが可能となり(たとえば、CWやBBやウーニェチツェ)、草原地帯祖先系統到来前後のいくつかの大きな過程を解明します(図6)。本論文の密な標本抽出により、厳密な文化史的観点を通じて見るならば、文化的集団内の新しく重要でおそらくは「予期せぬ」変化の検出が可能となりました(CWやBBなど)。以前の研究では、新石器時代の始まりと終わりにおける主要な移民の解明としておもに解釈されてきましたが(つまり、侵入集団が遺伝的にひじょうに異なる期間です)、本論文の結果は、追加の大きな遺伝的置換を明らかにします。連続的かつ部分的な同時代の文化的集団の標本抽出により、漏斗状ビーカーとGACの拡大は、ウーニェチツェの起源と同様に、短期間での大きな遺伝的変化を伴っており、おそらくは移住により説明される、と示されます。以下は本論文の図6です。
画像

 前期CWは遺伝的にひじょうに多様で、一部はGACやヤムナヤと似ており、いくつかの個体は以前に標本抽出されたヨーロッパ中央部新石器時代の遺伝的多様性の範囲外に位置する、と示されます。そうした顕著に多様な兆候は、多様な文化的および言語的背景から、考古学的に類似しているものの多民族的もしくは複数社会への人々の密集の結果だった可能性があります。民族自認の重要な要素には、祖先系統と歴史とイデオロギーと言語が含まれます。草原地帯祖先系統の割合が高いか存在しない前期CW個体群間の遺伝的分化の水準(つまり、共通祖先以来の時間)は、長い生物学的孤立と、それ故の異なる歴史を示唆します。前期CWにおけるGAC的およびヤムナヤ的遺伝的特性の発見は、イデオロギー的に多様な社会(つまり、CWとは異なり、GACもヤムナヤも埋葬慣行で強い性差はありませんでした)から来た人々の統合を示唆します。GACとCW/ヤムナヤ個体群が異なる言語を話していた可能性はあり、それが意味するのは、ボヘミアの前期CW社会は明らかに異なる歴史を有しており、イデオロギー的に多様な文化に由来したかもしれず、異なる母語を話す人々が含まれていた、ということです。

 前期CW社会への草原地帯祖先系統を有さない個体群の同化過程は、女性に偏っていました。しかし、草原地帯祖先系統の最高量を有する個体群間でも女性が見つかっており(5個体のうち3個体、図2B)、移住してきたCW個体群間にも女性が存在したか、近隣のヤムナヤ集団から恐らくは同化されたことを示唆します(たとえば、現在のハンガリー)。前期CWにおける草原地帯祖先系統を有さない個体の発見は、先CWにおける草原地帯祖先系統を有する個体よりも一般的です(たとえば、先CWのGACではそうした個体が確認されていません)。同時代のGACとCWとの間の非対称的な遺伝子流動のこのパターンは、自分たちの共同体に重要な在来の知識(つまり、先CW文化からの知識)を有する人々を組み込むことでより多くの利益を得た、新来者(CW集団)を反映しているかもしれません。考古学的記録では、いくつかの地域におけるそうした知識(たとえば、土器製作や石材)の継続性が示されます。

 ヴリネヴェス遺跡は、高い草原地帯祖先系統を有する個体群と草原地帯祖先系統を有さない個体群間の相互作用の解明に重要です。ヴリネヴェス遺跡では、最初期のCW個体(紀元前3018~紀元前2901年頃のVLI076)が見つかっており、VLI076は先CW個体群と遺伝的に最も分化していますが、ヴリネヴェス遺跡の標本抽出された前期CWの15個体のうち3個体は草原地帯祖先系統を有していません。興味深いことに、ヴリネヴェス遺跡とシュタッダイス(Stadice)遺跡の草原地帯祖先系統を有する個体と有さない個体との間の考古学的違いは観察されず、同じ考古学的文化内の、遺伝的に、および恐らくは民族的に多様な個体群の完全な統合が示唆されます。

 前期CWにおけるラトヴィアMN的祖先系統は、前期CWとヤムナヤの男性間で共有されるY染色体の欠如とともに、ヨーロッパ中央部へのCWの起源と拡大における既知のヤムナヤの限定的もしくは間接的役割を示唆します。本論文の結果は、前期CWへのヨーロッパ北東部銅器時代森林草原地帯(考古学的証拠の一部の解釈と一致する地域です)の寄与か、過剰なラトヴィアMN的祖先系統を有するこれまで標本抽出されていない草原地帯人口集団を示唆します。これは、紀元前3000年頃の草原地帯集団間の高水準の遺伝的均質性を考えると、ありそうにないことです。たとえば、ヤムナヤとシベリア南部のアファナシェヴォ(Afanasievo)は、2500km離れているものの、遺伝的にはほぼ区別できません。紀元前4000~紀元前2500年頃のヨーロッパ東部(北東部)の遺骸の大半は標本抽出されておらず、前期CW個体群の正確な地理的起源は理解しにくいままです。

 社会的親族制度は遺伝的多様性のパターンに影響を及ぼすので(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4)、いくつかの異なる親族制度が紀元前三千年紀のヨーロッパ中央部に存在したかもしれません。前期CWのひじょうに多様な遺伝的特性(常染色体とY染色体の両方)は、Y染色体パターンが厳密な父系を示唆する後期CWおよびBBとは異なる社会組織を示唆します。これが示唆するのは、さまざまな文化的集団が、多様な形態の物質文化と埋葬慣行を用いたことに加えて、その配偶パターンおよび/もしくは社会組織で表現されているような、異なるイデオロギーに従っていた可能性がある、ということです。これは、部分的に同時代の後期CWとBBとの間の完全に重複しないY染色体多様性の発見により裏づけられ、これら2集団間の父方の大規模な配偶孤立を示唆し、たとえばヴリネヴェス遺跡のように同じ遺跡でさえ見られます。

 先古典期ウーニェチツェ文化の始まりは、究極的には北東部に起源があり、後期CWとBBの性別による埋葬慣行の違いと厳密な父系を破壊した、40%以上の核DNAと80%以上のY染色体の寄与が伴いしました。これは、埋葬慣行でも物質文化でも明らかではありませんでしたが、バルト海地域との根底的なつながりを表しており、バルト海地域は、後に出現する琥珀路と関連する、ボヘミアにおけるEBAの琥珀の究極的な供給源だったかもしれません。したがって本論文の結果は、北東部からの遺伝的影響の2つの主要な期間(前期CWと前期ウーニェチツェ)を示唆し、その時期の人類遺骸の大半はヨーロッパの考古学的記録では標本抽出されていません(たとえば、ベラルーシなど)。

 本論文の結果は、新石器時代からEBAのヨーロッパ中央部の複雑でひじょうに動的な歴史を明らかにし、この期間には人々の移住と移動が急速な遺伝的および社会的変化を促進しました。大規模な人口拡大が、ヨーロッパにおける草原地帯祖先系統の出現の前後に複数回起きました。前期CW社会は多様で、強い文化的および遺伝的移行の最中に出現し、多様な起源とおそらくは民族性の男女が関わっていました。CWとBBとEBAの社会内では、物質文化の連続性にも関わらず、遺伝的変化が生じました。文化的役割が紀元前三千年紀の社会的行動に重要な役割を果たしましたが、究極的には経時的な新たな人々の流入に伴って変化しました。遺伝的多様性のパターンには社会的過程の影響が観察されますが、これらの変化の動因を小規模および大規模両方の地域的水準で特徴づけるには、さらなる学際的研究が必要です。


参考文献:
Papac L. et al.(2021): Dynamic changes in genomic and social structures in third millennium BCE central Europe. Science Advances, 7, 35, eabi6941.
https://doi.org/10.1126/sciadv.abi6941

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