ワラセアの中期完新世狩猟採集民のゲノム解析(追記有)

追記(2024年1月10日)
 指摘を受けて福建省の前期新石器時代遺跡(Qihe)の漢字表記を斎河から奇和洞に訂正し、要約を新たに掲載しました。



 ワラセア(ウォーレシア)の中期完新世狩猟採集民のゲノム解析結果を報告した研究(Carlhoff et al., 2021)が公表されました。


●要約

 アジア南東部では考古学的記録が乏しく、熱帯気候が古代人のDNAの保存に適さないため、この地域における初期現生人類の集団史には未解明の部分が多くんっています。これまでに、この地域で見つかり塩基配列が解読された新石器時代以前のヒトゲノムは、低網羅率のものが2例あるのみです。これらはいずれも大陸のホアビン文化(Hoabinhian)狩猟採集民の遺跡で見つかったもので、一方はラオスのファ・ファエン(Pha Faen)遺跡(年代は1950年を基点とする較正年代で7939~7751年前頃)、もう一方はマレーシアのグアチャ(Gua Cha)遺跡(較正年代で4400~4200年前頃)に由来します。

 本論文は、把握している限りで初めての、ウォーレシアの古代人ゲノムについて報告します。ウォーレシアは、スンダ大陸棚(アジア南東部大陸部およびインドネシア西部の大陸島から構成されます)と更新世のサフル大陸(オーストラリアおよびニューギニア)の間にある海洋島地域です。この研究は、インドネシアの南スラウェシ州のリアン・パニンゲ(Leang Panninge)鍾乳洞で7300~7200年前頃(較正年代)に埋葬された、狩猟採集民の若い女性の錐体骨からDNAを抽出しました。

 遺伝学的分析の結果、トアレアン(Toalean)技術複合と関連づけられているこの新石器時代以前の狩猟採集民は、現代のパプア人集団やオーストラリア先住民集団と大半の遺伝的浮動および形態的類似性を共有しているものの、37000年前頃にこれらの集団間で分岐が起きた頃に分岐した、これまで知られていなかった分岐系統を表している代表することが明らかになった。本論文はさらに、このリアン・パニンゲ個体のゲノムに認められる、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)祖先系統や古いアジア人関連の祖先系統の痕跡について説明し、現在この地域ではこの祖先系統が大規模に置換されている、と推測します。


●研究史

 現生人類(Homo sapiens)は、スンダ大陸棚(アジア東部大陸部とインドネシア西部の大陸島)を含むアジア南東部本土とサフルランド(更新世の寒冷期にはオーストラリア大陸とニューギニア島とタスマニア島は陸続きでした)との間の海洋島嶼地帯であるワラセアを通って、遅くとも5万年前頃(関連記事)、早ければ65000年前頃(関連記事)にはサフルランドに到達しました。

 現時点で、ワラセアにおける現生人類最初の考古学的証拠は45500年前頃のスラウェシ島における具象的芸術にまでさかのぼり(関連記事)、インドネシア領フローレス島のリアンブア(Liang Bua)洞窟における行動変化は47000~43000年前頃に起きました(関連記事)。ワラセアで最古となる現生人類の骨格遺骸は13000年前頃のものです。現生人類がどのような経路でサフルランドに到達したのか、まだ明らかになっていません。

 人口統計学的モデルでは、オセアニア集団とユーラシア集団の祖先間の人口集団分岐は58000年前頃、パプア人とオーストラリア先住民の祖先間の分岐は37000年前頃と推定されています(関連記事)。この期間に、現生人類は種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)関連集団と複数回混合し(関連記事)、他の未知の人類と混合した可能性も指摘されています(関連記事)。

 アジア南東部本土は、考古学的記録が乏しく、熱帯気候のため古代DNAの保存に適していないので、古代ゲノムデータは少ないものの、ラオスのファ・ファエン(Pha Faen)遺跡とマレーシアのグア・チャ(Gua Cha)遺跡のホアビン文化(Hòabìnhian)関連の狩猟採集民個体の遺伝的祖先系統(祖先系譜、ancestry)が明らかになっており、現代人ではアンダマン諸島のオンゲ人と最も高い類似性を示します(関連記事)。

 これらの古代人および現代人は、パプア人ほどデニソワ人関連祖先系統を有しておらず、ホアビン文化およびオンゲ人関連系統は、デニソワ人関連集団から現生人類への主要な遺伝子移入事象の前に分岐した、と示唆されます。ワラセアの現代人のデニソワ人関連祖先系統の割合はホアビン文化関連個体やオンゲ人よりも多いものの、パプア人やオーストラリア先住民よりもかなり低くなっています。これは恐らく、ワラセアに4000年前頃に到来したアジア東部新石器時代農耕民(オーストロネシア語族話者)との混合に起因します(関連記事)。


●リアン・パニンゲ鍾乳洞

 ワラセアの完新世狩猟採集民と関連する最も特徴的な考古学的遺物は、トアレアン(Toalean)技術複合に分類されます。トアレアン文化はスラウェシ島南部の1万㎢の地域にのみ見られ(図1b)、一般的に、背付き細石器と「マロス尖頭器(Maros points)」と呼ばれる小型投擲石器により特徴づけられます。2015年に、スラウェシ島南部のマロスのマラワ(Mallawa)地区のリアン・パニンゲ(Leang Panninge)鍾乳洞で発掘が行なわれ、厳密にトアレアン文化と関連づけられる最初の比較的完全な埋葬人類が発見されました。

 この個体は、豊富な先土器トアレアン層で屈曲した状態で埋葬されていました。約190cmの深さで露出した埋葬遺骸は、カンラン属種(Canarium sp.)の種の放射性炭素年代測定により、7300~7200年前頃と推定されました。この人類遺骸の形態学的特徴から、17~18歳の女性で、広くオーストラロ・メラネシア人との類似性を有するものの、最近のアジア南東部の変異の範囲外に位置する、と示唆されました。以下は本論文の図1です。
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●ゲノム解析

 リアン・パニンゲ鍾乳洞で発見された7300~7200年前頃の人類遺骸(以下、LP女性)の側頭骨錐体部から、DNAが抽出されました。その結果、ヒトゲノム全体で約300万ヶ所の一塩基多型が濃縮され、ほぼ完全なミトコンドリアゲノムが得られました。1240 Kパネルでは263207ヶ所の一塩基多型が、古代型混合パネルでは299047ヶ所の一塩基多型が回収されました。遺伝的にも、LP女性は女性と確認されました。ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)はMの深い分岐と示唆されました。

 まず主成分分析により、LP女性のゲノムが、アジア東部および南東部とオセアニア(オーストラリア先住民とパプアニューギニアとブーゲンビル島)の現代人と比較されました。次に、ユーラシア東部の古代人が主成分分析で投影されました。LP女性は、現代人もしくは古代人が占めていない主成分分析空間に位置しますが、大まかにはオーストラリア先住民とオンゲ人との間に位置します(図2a)。f3統計(ムブティ人;LP女性、X)では、Xがアジア太平洋地域の現代人集団で検証され、LP女性はニアオセアニア個体群と最も遺伝的浮動を共有する、と示唆されました(図2b)。これらの結果はf4統計でも確認され、ニアオセアニア集団がLP女性を除外するクレード(単系統群)を形成するにも関わらず、LP女性とパプア人のアジア現代人への同様の類似性が示唆されます。この地域の全現代人集団はママヌワ人(Mamanwa)とレボ人(Lebbo)を除いて、パプア人関連祖先系統からわずかな寄与しかありません。

 デニソワ人関連集団に起因する遺伝的寄与の存在と分布を調べるため、f4統計(ムブティ人、デニソワ人;LP女性、X)が実行され、Xはアジア南東部島嶼部とニアオセアニアとアンダマン諸島の現代人およびアジア太平洋地域の古代人が対象とされました。ニアオセアニア集団で得られた正の値は、LP女性よりも高いデニソワ人関連祖先系統を示唆していますが、オンゲ人と残りの古代人は負の値を示し、デニソワ人関連祖先系統のより低い割合が示唆されます。

 f4比統計でデニソワ人の割合が推定され、デニソワ人祖先系統量は、オーストラリア先住民とパプア人が類似している(約2.9%)のに対して、LP女性はそれよりも低い2.2±0.5%と確認されました。LP女性におけるデニソワ人との混合割合は、ファ・ファエン遺跡とグア・チャ遺跡のホアビン文化関連の2個体よりも高く、ワラセアとスンダ大陸棚の狩猟採集民の祖先集団が、古代型ホモ属(絶滅ホモ属)と異なる遺伝子移入事象に関わった、と示唆されます。

 さらに、現代人における古代型祖先系統の寄与を測定するために設計された一連の一塩基多型でD統計が実行されました。その結果、LP女性が、パプア人と共有するデニソワ人関連アレル(対立遺伝子)は少ないものの、北京の南西56kmにある 田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の現生人類個体(関連記事)を含む、ほとんどの検証集団よりもそうしたアレルを多く有している、と示されました。

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)由来と推定されるアレルの共有は、検証された非アフリカ系現代人集団全てで類似していました。古代型混合の一塩基多型セットでadmixfrog(関連記事)が実行され、LP女性のゲノム全体に分散する33ヶ所の断片で2240万±190万塩基対が測定されました。このデニソワ人からの寄与は、パプア人集団で見られる量の約半分ですが、LP女性とニアオセアニア現代人集団のゲノムにおけるデニソワ人由来の断片には有意な相関があり、共有された遺伝子移入事象が示唆されます(図2c)。以下は本論文の図2です。
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 主成分分析でニアオセアニア集団からLP女性が明らかに離れていることは、遺伝的浮動だけに起因するのかどうか調べるため、f3(ムブティ人;LP女性、X)として測定された遺伝的類似性に基づいて多次元尺度構成プロットが実行されました。LP女性の多次元尺度構成プロットは主成分分析を要約し、LP女性はパプア人とアジア人の中間に位置します。次に、f4統計とqpWaveを用いて、パプア人関連祖先系統以外のLP女性における追加の遺伝的供給源の存在が検証されました。その結果、古代アジア人のゲノムへのわずかな類似性と、デニソワ人および/もしくは古代アジア人集団がqpWave参照集団に含まれる場合の少なくとも2つの祖先系統の流れが識別されました。

 これらの結果に基づいて、qpAdmを用いて、パプア人関連構成要素とともに、LP女性のゲノムにおけるアジア人関連祖先系統のあり得る供給源が識別されました。さまざまなアジア人集団間で循環手法を用いると、LP女性のゲノムをパプア人と田園洞窟個体(51±11%)もしくはオンゲ人(43±9%)の混合としてモデル化できました(図3a)。現代人集団および関連する古代人を含む、qpGraphとTreeMixで組み込まれた混合図でのさらなる調査により、深いアジア人祖先系統の存在の証拠が提供されました(図3b・c)。

 TreeMixでは、最初の混合端はデニソワ人関連集団からLP女性とニアオセアニア現代人集団の共通祖先への古代型遺伝子移入を表しています。その後、中国南東部の前期新石器時代農耕民のゲノムを表す、福建省の奇和洞(Qihe Cave)遺跡の個体(関連記事)を基点として、アジア東部人関連の遺伝子流動がLP女性に起きました(図3b)。qpGraph分析により、この分岐パターンが確認され、LP女性はデニソワ人からの遺伝子流動後にニアオセアニア集団クレードと分岐したものの、最も支持される接続形態は、LP女性のゲノムへの約50%の基底部アジア東部人構成要素を示唆します(図3c)。以下は本論文の図3です。
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●考察

 LP女性のゲノム規模分析により、ほとんどの遺伝的浮動がニューギニアおよびオーストラリア先住民の現代人集団で共有されている、と示されます(図2b)。しかし、このトアレアン文化関連とするLP女性のゲノムは、以前には報告されていなかった祖先系統特性を表しており、一方は、オンゲ人関連系統およびホアビン文化関連系統の分岐した後に、パプア人およびオーストラリア先住民集団と同じ頃に分岐した系統です(図3b・c)。LP女性が、遅くとも5万年前頃となるサフルランドへの最初の人類移住の前にスラウェシ島に存在した局所的祖先系統を有している可能性はありますが、この人口集団がスラウェシ島南部の岩絵(関連記事1および関連記事2および関連記事3)を描いたのかどうか、分かりません。

 LP女性はかなりの量のデニソワ人関連祖先系統を有しており、おそらくはニアオセアニア現代人集団と古代型混合を共有しています(図2c)。これは、現生人類がサフルランドに到達する前に起きた主要なデニソワ人関連の遺伝子流動への強い裏づけを提供し、ワラセアとスンダ大陸棚がこの古代型遺伝子移入事象の同等の可能性の候補地となります。しかし、スンダ大陸棚ドの既知の狩猟採集民ゲノムは、ほぼデニソワ人関連祖先系統を有しておらず、古代型遺伝子流動後のアジア南東部へのホアビン文化関連集団の拡大か、ワラセアがじっさいに絶滅ホモ属と現生人類との重要な遭遇地点だったことを示唆します。

 スラウェシ島南部は古代型人類集団が明らかに長く存在した地域で(関連記事)、この古代型遺伝子移入事象の候補地となります。以前の研究では、深く分岐したデニソワ人系統がパプア人の祖先と混合したと示唆されましたが(関連記事1および関連記事2)、本論文のゲノムデータには、1回もしくは複数回の遺伝子移入の波を区別するのに充分な解像度はありません。

 LP女性におけるパプア人やオーストラリア先住民よりも低いデニソワ人祖先系統の量は、ニアオセアニア集団の共通祖先へのデニソワ人祖先系統との追加の混合か、デニソワ人関連祖先系統が少ないか存在しない祖先系統との混合を通じての、LP女性のゲノムにおけるデニソワ人関連祖先系統の希釈の結果かもしれません。本論文のアレル頻度に基づく分析は、前者の仮定を裏づけず、後者の仮定を支持します。アジア全域の新石器時代前のゲノムの不足により、この遺伝子流動事象の正確な供給源と混合割合を定義することが妨げられます。

 しかし、再構築された人口集団系統樹(TreeMixおよびqpGraph)が、アジア東部本土からの中期完新世スラウェシ島への遺伝的影響を示唆するにも関わらず、本論文のqpAdmモデル化が、アンダマン諸島現代人と関連する集団からのアジア南東部の寄与を除外できないことは注目に値します(図3)。これは古代のオンゲ人関連人口集団と田園個体関連人口集団との間でのアジア全域の広範な混合を報告する最近の研究と一致します(関連記事 )。しかし、ワラセアからの中期完新世狩猟採集民であるLP女性におけるこの型の祖先系統の存在は、アジア人関連の混合がオーストロネシア語族社会のワラセアへの拡大のずっと前に起きた可能性を示唆します。

 検証された現代人集団では、LP女性の祖先系統の証拠は検出できませんでした。これは、ワラセアにおけるニアオセアニア関連祖先系統の全体的な限定的割合か、より早期の狩猟採集民と現代人集団との間の大規模な遺伝的不連続性に起因する可能性があります。後者の想定では、LP女性と関連するあらゆる遺伝的兆候は、オーストロネシア人の拡大を含む後の人口統計学的過程により覆い隠された、と提案されます。この独特な祖先系統特性と、より一般的にワラセアの狩猟採集民の遺伝的多様性をさらに調べるには、スラウェシ島の現代人集団からのより高い網羅率の遺伝的データと、追加のトアレアン文化関連の古代人のゲノムが必要です。


●私見

 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、スラウェシ島南部という低緯度地域で発見された7000年以上前の人類遺骸のゲノム解析結果を報告した点で、大いに注目されます。何よりも興味深いのは、LP女性の遺伝的構成および他集団との遺伝的関係です。LP女性の遺伝的構成要素は二つの大きく異なる祖先系統に由来しており、一方はオーストラリア先住民とパプア人が分岐した頃に両者の共通祖先から分岐し、もう一方はアジア東部祖先系統において基底部から分岐したかオンゲ人関連祖先系統だった、とモデル化されています。

 このLP女性の遺伝的構成はこれまで知られておらず、現代人集団でもLP女性的な祖先系統は検出されていませんが、検証対象を拡大して網羅率を高めることで、今後現代人集団でLP女性的な祖先系統が見つかる可能性もあるとは思います。ただ、見つかったとしても、LP女性的な祖先系統を主要な遺伝的構成とする現代人集団はいないでしょう。その意味でも、LP女性的な集団は(ほぼ)絶滅してしまった可能性が高そうです。

 最近、中華人民共和国広西チワン族自治区の隆林洞窟(Longlin Cave)で発見された10686~10439年前頃の現生人類個体(隆林個体)は未知の遺伝的構成を示し、現代人には遺伝的影響を残していない、と報告されました(関連記事)。後期更新世~中期完新世にかけて、アジア東部南方やアジア南東部には遺伝的に大きく異なる複数の現生人類集団が存在したようです。現生人類が世界規模で拡大し、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)に代表される氷期には分断が珍しくない中で、遺伝的分化が進みやすかったのだと思います。

 完新世になると、農耕開始による人口増加とその圧力、さらには気候温暖化により通交が容易になったことなどで、ユーラシア規模で現生人類集団の遺伝的均質化が進み(関連記事)、ほぼ絶滅した集団も珍しくはなく、LP女性も隆林個体も、そうした集団を代表する個体だった可能性が高そうです。もっとも、こうした置換は更新世においても珍しくなかったようで、かつてアムール川地域も含めてアジア東部北方に広く存在したと考えられる田園個体的な集団は、少なくともアムール川地域ではLGMまでに置換されたようです(関連記事)。むしろ、完新世よりも気候が不安定だった更新世の方が、人類集団の絶滅は頻繁だったかもしれず、それは現生人類に限らずネアンデルタール人やデニソワ人でも起きたことでしょう(関連記事)。

 本論文のLP女性のゲノム解析で注目されるのは、パプア人やオーストラリア先住民やオンゲ人など、オーストラレーシア人の現生人類進化史における位置づけです。本論文は、古代のオンゲ人関連人口集団と田園個体関連人口集団との間でのアジア全域の広範な混合を示唆し、オーストラレーシア人はユーラシア東西系統の分岐後にユーラシア東部系統内でアジア東部系統と分岐した、と推定します。一方、最近の研究では、まずオーストラレーシア人がユーラシア東西集団の共通祖先と分岐した、と推定されています(関連記事)。

 こうした矛盾するように見える結果をどう解釈すべきか、もちろん現時点で私に妙案はありませんが、注目されるのは、パプア人が、ユーラシア東部系統内で早期にアジア東部系統と分岐した可能性と、ユーラシア東西系統の分岐前に分岐した系統(適切な名称ではありませんが、仮に「原オーストラレーシア祖先系統」と呼びます)とアジア東部系統との45000~37000年前頃の均等な混合として出現した可能性は同等である、と指摘した研究です(関連記事)。後者は、出アフリカ現生人類の系統樹において位置づけの異なる系統間の混合によりオーストラレーシア人が形成されたことを意味します。ネアンデルタール人由来のゲノム領域の割合が非アフリカ系現代人でほぼ同じであることから、原オーストラレーシア祖先系統とユーラシア東西の共通祖先系統との分岐は、現生人類とネアンデルタール人との主要な混合の後だったでしょう。

 この仮定は、Y染色体ハプログループ(YHg)との関連でも注目しています。オーストラレーシア人のYHgでは、アンダマン諸島人がほぼD(D1a2b)なのに対して、オーストラリア先住民とパプア人ではK2(から派生したS1a1a1など)とC1b2が多くなっていますが、田園個体がYHg-K2bなので、オーストラリア先住民とパプア人のYHg-K2はアジア東部祖先系統を主要な遺伝的構成要素とする集団に由来するかもしれません。YHg-Cは、遺伝的にアジア東部系に近いヨーロッパの4万年以上前の集団でも確認されているので(関連記事)、こちらもアジア東部系集団に由来するかもしれませんが、YHg-Cは分岐が早いので、原オーストラレーシア系集団にも存在していて不思議ではないと思います。

 アンダマン諸島人がほぼYHg-Dで、ホアビン文化集団でもYHg-Dが確認されていることから(関連記事)、原オーストラレーシア祖先系統が主要な遺伝的構成要素だった集団では、元々YHg-Dが多く、アンダマン諸島人の祖先ではアジア東部系集団と混合してもYHg-Dが残ったのに対して、オーストラリア先住民とパプア人の共通祖先ではYHg-Dが消滅したのかもしれません。ご都合主義的な推測ではありますが、YHgは置換が起きやすいので(関連記事)、無理な想定ではないと思います。

 アジア東部系集団と原オーストラレーシア系集団がいつどのようにアジア南東部やワラセアやオセアニアに拡散してきたのか、現時点では不明で、この私見に基づいて考古学的知見を整合的に解釈できるような見識と能力は現時点でありません。それでもあえて推測すると、アジア東部系集団に関しては、ユーラシアを北回りで東進し、アジア東部に到達してから南下した可能性と、ユーラシアを南回りで東進してアジア南東部に到達してから北上した可能性と、アジア南西部もしくは南部で北回りと南回りに分岐した可能性が考えられます。原オーストラレーシア系集団は、ユーラシアを南回りで東進してきた可能性が高そうです。

 オーストラレーシア人関連祖先系統は、アジア東部でも北方の遼河地域で確認されており(関連記事 )、さらには南アメリカ大陸先住民でも確認されています(関連記事)。原オーストラレーシア祖先系統は、アジア東部祖先系統を主要な遺伝的構成要素とする集団との複雑な混合により、ユーラシア東部沿岸に広まったのかもしれません。パプア人もオーストラリア先住民も原オーストラレーシア祖先系統とアジア東部祖先系統との混合により形成されたとすると、LP女性の祖先系統の起源もかなり複雑なものになりそうです。

 原オーストラレーシア祖先系統が主要な遺伝的構成要素だった集団は、隆林個体やオーストラリアの一部の更新世人類遺骸などから推測すると、かなり頑丈な形態だった可能性があります。ただ、原オーストラレーシア系集団が出アフリカ現生人類集団の初期の形態をよく保っているとは限らず、新たな環境への適応と創始者効果の相乗による派生的形態の可能性もあるとは思います。この問題で示唆的なのは、オーストラリア先住民が、華奢なアジア東部起源の集団と頑丈なアジア南東部起源の集団との混合により形成された、との現生人類多地域進化説の想定です(Shreeve.,1996,P124-128)。多地域進化説は今ではほぼ否定されましたが、碩学の提唱だけに、注目すべき指摘は少なくないかもしれません。

 以上、まとまりのない私見がやや長くなってしまったので、今回はここまでとして、述べ忘れたことは今後機会があれば言及するつもりです。この試験が的外れである可能性は低くありませんし、仮にそうでなくとも、かなり単純化した話になっており、じっさいの人口史はずっと複雑なのでしょう。現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人との間の関係さえ複雑と推測されていますから(関連記事)、現生人類同士の関係はそれ以上に複雑で、単純な系統樹で的確に表せるものではないでしょうが、上述のように現生人類の拡散過程で遺伝的分化が進んだこともあり、系統樹での理解が有用であることも否定できないとは思います。

 オーストラレーシア人の出アフリカ現生人類進化史における位置づけは、デニソワ人と現生人類の混合が起きた場所・年代・回数の問題とも関連して、かなり複雑です。本論文も示唆するように、デニソワ人がスラウェシ島に存在した可能性も低くはないでしょう。もしそうならば、デニソワ人は高地から熱帯環境まで適応できたことになり、現生人類に次いで多様な環境に適応できた分類群かもしれません。それは、デニソワ人系統では遺伝的分化が進んでいたことも示唆しており、それもデニソワ人と現生人類との混合の解明を難しくしているのかもしれません。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


遺伝学:ウォーレシアの古代人DNAが回収された

 新石器時代以前のウォーレシアの狩猟採集民のゲノム規模のデータについて記述された論文が、今週のNature に掲載される。今回の研究で、初めてのウォーレシアの古代ヒトゲノムデータが得られ、東南アジアでの人類の定住を解明するための新たな手掛かりになった。

 ウォーレシアは、主にインドネシアの島々(スラウェシ島、ロンボク島、フロレス島など)からなる島嶼の一群である。この地域では、化石が少なく、熱帯気候のために古代DNAが分解しやすいため、この地域の現生人類の集団史はほとんど分かっていない。現生人類は、少なくとも5万年前にウォーレシアを経由してオーストラリア大陸へ移動したが、ウォーレシアにおける人類の存在を示す最古の考古学的証拠は、それより後の時代のもので、その一例が、少なくとも4万5500年前のものとされるスラウェシの洞窟壁画だ。

 今回、Adam Brumm、Selina Carlhoffたちは、インドネシアの南スラウェシにあるLeang Panninge鍾乳洞で骨格の残骸が発見されたことを報告している。これは、若い女性のものとされ、約7200年前にToaleanの埋葬複合体に埋葬されていた。錐体骨から回収したDNAの解析が行われ、この女性が、東アジア集団よりも現代の近オセアニア集団に近縁な集団に属していたことが明らかになった。ただし、この女性のゲノムは、未知の分岐したヒト系統のゲノムであり、地球上の他の地域では見つかっていない。

 著者たちは、この若い女性の祖先が、現生人類が到来した時からスラウェシ島で生活していた可能性があるという考えを示しているが、この祖先の集団が、スラウェシ島南部で洞窟壁画を描いていたかどうかは不明だ。


進化学:ウォーレシアで見つかった中期完新世の狩猟採集民のゲノム

進化学:ウォーレシアの人骨から得られた古代ゲノムDNA

 東南アジアは考古学的および古ゲノム学的記録が乏しく、この地域におけるヒト集団史の解明はなかなか進んでいない。今回A Brummたちは、インドネシア・南スラウェシ州のLeang Panninge鍾乳洞で発見された女性の骨格について行った、DNAのゲノム解析結果を報告している。この女性の骨は新石器時代以前のToaleanの埋葬跡から発見されたもので、年代は約7200年前と推定された。錐体骨から抽出したDNAから得られたゲノム規模のデータによって、このLeang Panningeの女性が属していた集団が、現代の東アジア人集団よりも近オセアニア集団に近縁であること、そして、その独特な祖先構成は現在世界のどこにも見られないことが明らかになった。



参考文献:
Carlhoff S. et al.(2021): Genome of a middle Holocene hunter-gatherer from Wallacea. Nature, 596, 7873, 543–547.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03823-6

Shreeve J.著(1996)、名谷一郎訳『ネアンデルタールの謎』(角川書店、原書の刊行は1995年)

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