高橋啓一「MIS 6の動物の渡来を探る」

 本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A01ホモ・サピエンスのアジア定着期における行動様式の解明」2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 32)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P64-68)。この他にも興味深そうな論文があるので、今後読んでいくつもりです。

 本論文は、海洋酸素同位体ステージ(MIS)10以降の日本列島の哺乳類化石のうち、これまで報告されてきた沖縄を除く298地点・地域の化石についての、産出化石および産出層準について再検討を報告します。旧石器考古学の主題の一つに、日本列島における4万年以前のヒトの渡来問題があります。4万年前以前の遺跡とされる数には異論もあるようですが、8遺跡12件とされています。それらの年代は、12万~4万年前頃で、MIS6の海面低下期以降の年代を示しています。仮にヒトが12万年前以降に日本列島に渡来したのならば、動物たちも同様に渡来した証拠が残っているはずです。本論文はこうした視点から、改めて日本列島に新たに出現した哺乳動物化石を検証しました。

 日本列島周辺には、4つの海峡があり、このうち間宮海峡と宗谷海峡は敷居水深がそれぞれ20m、60mと浅く、最終氷期まで北海道と大陸は陸続きだったと考えられています。一方、対馬海峡や津軽海峡の敷居水深は約130mと深く、推定された最終氷期最寒冷期の海水準低下量とほぼ同じ値となっています。そのため、両海峡において最終氷期最寒冷期に陸橋が成立したかどうかの議論が繰り返されてきました。しかし、1990 年代前半までに行われた海底地形学による検討や地球物理学的モデルによる解釈では、対馬海峡や津軽海峡は、きわめて浅いながらも最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)には陸化しなかった、という見解にほぼ落ち着きました。

 その後、2001年の日本海で行なわれた調査で、隠岐堆から得られたコア(MD01- 2407)の浮遊性有孔虫殻を使った酸素同位体比の研究や、2013年のIODP(Integrated Ocean Drilling Program)第346次航海による過去40万年間の東シナ海北部(U1429地点)の表層海水の酸素同位体比変動の復元により、対馬海峡付近の海水準変動の様子が推定できるようになりました。それらの結果から、MIS6およびMIS10の時代には、対馬暖流の日本海への流入量がMIS2の時代よりもはるかに少なかったか、あるいは停止していた、と示唆されました。

 脊椎動物化石を使った陸橋の成立についての議論は、ユーラシア大陸と日本列島との間の動物相の類似性や、新たな種の出現の証拠に基づいて行なわれてきました。その結果、12万年前頃以降には、後期更新世後半に起きた北方からのわずかな寒冷種の渡来を除いて、西の陸橋を通じての動物種の渡来はなかった、と繰り返し指摘されてきました。こうした脊椎動物化石による見解を用いて議論するさいには、そもそも脊椎動物化石の産出がそれほど多くないことや、それらの中には洞窟堆積物からの産出報告も多く、その化石あるいは動物群の年代とされているものが、MISやGRIP(深層雪氷コア)における温暖期番号(IS)で語れるほどの厳密な年代精度はないことに要注意です。

 このような脊椎動物化石の限界を抱えながらも、上述のようなMISの研究が進展する中で、MIS6にユーラシア大陸から日本列島に動物が渡来しなかったのか、本論文は改めて検討しました。MIS6における低海水準期より前については、「中部更新統上部(QM5帯)」とし、山口県美祢市伊佐町の宇部興産伊佐セメント工場の採石場を産地の代表とする見解が提示されています。また、その低海水準期より後は「上部更新統下部(QM6帯)」とし、その代表的な産地として栃木県佐野市葛生の上部葛生層が挙げられました。

 両者の構成種には、共通するものと異なるものが見られます。海峡を渡るのがより容易な大型の種でQM5帯では見られなかったものの、QM6帯では出現するものには、オオカミ(Canis lupus)、クマ(Ursus arctos)、トラ(Panthera tigris)、ヒョウ(Panthera pardus)、ヤベオオツノジカ(Sinomegaceros yabei)などです。これらのうち、クマやオオカミ、トラなどの大型ネコ科動物は、「中部更新統中部(QM4帯)」からも産出していることから、これらの時代に連続して生息した可能性も考えられます。

 ヤベオオツノジカに関しては、以前の研究で国内28ヶ所の産地が列挙されています。このうち、中期更新世もしくはその可能性があるものは、青森県東通村尻屋崎、秋田県男鹿市脇本、千葉県富津市長浜のみで、他は後期更新世もしくは時代不明のものです。中期更新世もしくはその可能性があるもののうち、尻屋崎の標本は、以前の研究では中嶋・桑野(1957)にリストの中にシカ科種(Megaceros sp.)として挙げられており、長骨の写真があるだけで詳細は不明です。男鹿市脇本の標本については、ヤベオオツノジカの可能性が指摘されているものの、種の同定に疑問が残ります。富津市長浜の標本は、産地などが挙げられているだけで、詳細は不明です。

 結局、ヤベオオツノジカとして確かな標本は後期更新世のものだけということになります。このことから、直ちにMIS6の時代(13万年前頃)に西の海峡部を経て新たな動物種の渡来があったと結論できませんが、海洋酸素同位体比の研究結果を踏まえつつ、今後も脊椎動物化石を丁寧に見直す作業が必要です。なお、著者の関連論文では中国東北部~北部におけるマンモス-ケサイ動物群と北方系細石刃石器群が報告されており(関連記事)、有益だと思います。


参考文献:
高橋啓一(2021)「MIS 6の動物の渡来を探る」『パレオアジア文化史学:ホモ・サピエンスのアジア定着期における行動様式の解明2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 33)』P64-68

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