先植民地期のガボンにおける埋葬習慣

 先植民地期のガボンにおける埋葬習慣についての研究(Villotte et al., 2021)が公表されました。アフリカ西部中央の古代人とその埋葬慣行についての知識は、文献の欠如と人類遺骸の不足のためひじょうに限定的です。これに関連して、豊富な人工物と関連する何千点もの人類遺骸を含むガボンのングニエ州(Ngounié Province)のイルング洞窟(Iroungou Cave)遺跡(図1)の発見は、豊富な例外的で新規の情報を表します。

 イルング洞窟は1992年にリチャード・オズリスリー(Richard Oslisly)氏により発見され、2018年に初めて調査され、天井の2ヶ所の開口部を介して表と接続しており、現在では懸垂下降によってのみ入れます。深さ25mの空洞は4ヶ所の主要な階層により構成され、その領域は合計で2000m³になります(図1)。洞窟内に入ることと洞窟内での移動が困難なため、また骨の長期保存を確実にするため、2018年以降に実施された調査は4回だけです。全ての人類遺骸はその場に残されましたが、床に見える人工物は3D写真測量およびレーザースキャンで位置を記録した後で収集されました。以下は本論文の図1です。
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●イルング洞窟埋葬遺跡

 イルング洞窟では骨格要素と人工物は全体に散らばっており、天井の特定された開口部の真下に最も密度の高い蓄積物があります。骨格の保存状態は、完全なものからひじょうに断片的なものまでひじょうに多様です(図2)。一部の骨は堆積物で覆われており、方解石で表見が形成されているか、齧歯類(ヤマアラシ)の歯の跡を示しており、自然作用(重力や水や動物)を含む堆積後の攪乱を示唆します。逆に、人類による遺骸の意図的加工の証拠はありません。解剖学的関連はほとんど保存されていませんが(図2c)、全ての骨格部分が表されており、乾燥した骨ではなく死体が上から投げられたか、洞窟に降ろされたことを示唆します。以下は本論文の図2です。
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 右大腿骨の20点の標本が年代測定の目的で収集されました。充分なコラーゲンが得られた標本10点の放射性炭素年代から、空洞は紀元後14世紀および15世紀に2回もしくはそれ以上死体を埋めるのに用いられた、と示唆されます(図3)。この年代は、15世紀末のポルトガル人との接触の直前となります。以下は本論文の図3です。
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 関連する人工物には、486個の鉄と26個の銅の物質と127個の大西洋の貝殻(そのうち15個は穿孔されています)と39個の穿孔された肉食動物の歯が含まれます。最も代表的な金属性の物質は腕輪と指輪(38.7%)で、小刀(27.9%)と斧(13.5%)と鍬(9.4%)もあります。鉄とは異なり、銅の供給源はアフリカ西部中央では少なく、銅はこの地域では何世紀にもわたって貴重な金属とみなされました。最も可能性の高い銅の供給源は、コンゴ共和国のニアリ盆地(Niari Basin)のミンドゥリ(Mindouli)地域で、イルング洞窟遺跡から約400km離れており、紀元後13世紀以降採掘されてきました。


●骨格標本の構成と身体修飾

 個体群の最少人数(MNI)は、最も代表的な骨格要素の数と年齢の不一致の両方を考慮して評価されました。少なくとも24個体の成人(15歳以上)が下顎体の右側断片の数に基づいて特定され、4個体の非成人も特定されました。全ての年齢層は幼児から中年までで代表されます。利用可能な寛骨のその場の研究から、成人標本には男性(MNI=7)と女性(MNI=3)両方の骨が含まれる、と示されました。

 保存された上顎(MNI=22)のうち、中央もしくは横側の永久歯の切歯を示すものはありません(図4)。全事例で歯槽骨吸収が明らかなので、この欠如は死後の喪失とは関係ありません。むしろ、何らかの文化的慣習の文脈で、標本における歯の喪失の対称性と体系的な繰り返しは抜歯(特定の歯の意図的な除去)を明確に示します。保存された切歯部分を有する下顎(MNI=19)では、抜歯は存在しません。前歯の除去は発音を変え、顔の特徴においてひじょうに視覚的な変化を誘発するので、強い民族的指標として作用します。以下は本論文の図4です。
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 イルング洞窟における体系的な抜歯から、全個体は少なくともいくつかの共通の価値と信念を共有していた、と示唆されます。歯の詰め物や剥離や抜歯など、意図的な歯の修飾はアフリカでは長い歴史があります。アフリカ人の骨格遺骸では、アフリカ外で発見された奴隷も含めて、そうした行為が繰り返し観察されてきました。興味深いことに、上顎の永久歯の切歯4点は全て除去されており(下顎の切歯は除去されていません)、アフリカのほとんどの地域では比較的稀な歯の修飾形態です。これはおもに、19世紀~20世紀初期の民族誌学者によりアフリカ西部中央人口集団に関して報告されてきており、この地域における身体修飾の長い歴史と継続の可能性を示唆します。


●習慣的な埋葬か犠牲かエリートの埋葬慣行か

 アフリカ西部中央では多くの後期鉄器時代の埋葬が報告されてきており、一部では豊富な鉄製人工物が含まれますが、ほとんどは開地遺跡に位置する埋葬遺構の堆積物で構成されています。何百もの金属製人工物と関連する、1ヶ所の洞窟の多くの個体の骨の蓄積は、この地域の考古学的記録では同等のものが知られていませんでした。最も密接な対応物は、年代的および地理的両方の意味で、ナイジェリアのベニンシティ(Benin City)のかつての貯水池で見つかった、紀元後13世紀の人骨の蓄積です。これは大規模埋葬と言われており、40個体以上の遺骸(ほぼ若い成人女性)が含まれており、中央集権を示唆する儀式の犠牲の証拠として解釈されてきました。

 そうした解釈はイルング洞窟では主張できませんが、人骨と関連する豊富な物質は少なくとも、イルング洞窟が単に一般的な葬儀のためだけに用いられた可能性を除外します。物品の量と人類遺骸の人口統計学的特性と明らかな生前の外傷の欠如からも、この堆積物が戦争と関連している可能性はなさそうで、むしろ重要な個体とその付随的な死者(家臣の犠牲、殉死)のための特別な埋葬場所だった可能性を示唆します。将来の考古学的発掘と生物人類学的研究により、この仮説は検証されていくでしょう。最近、ケニアにおいてアフリカでは最古となる埋葬の痕跡が確認されており(関連記事)、サハラ砂漠以南のアフリカにおける埋葬習慣の多様性と変遷についての解明がいっそう期待されます。


参考文献:
Villotte S. et al.(2021): Mortuary behaviour and cultural practices in pre-colonial West Central Africa: new data from the Iroungou burial cave, Gabon. Antiquity, 95, 382, e22.
https://doi.org/10.15184/aqy.2021.80

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