『卑弥呼』第66話「陣形」
『ビッグコミックオリジナル』2021年7月20日号掲載分の感想です。前回は、事代主(コトシロヌシ)が日見子(ヒミコ)たるヤノハに、妊娠しているのではないか、と問いかけるところで終了しました。今回は、日下(ヒノモト)の国の船着き場で、重臣にしてフトニ王(記紀の第7代孝霊天皇でしょうか)の息子に自分の娘を嫁がせているシコオが、配下からトメ将軍とミマアキが船着き場を避けて北西に向かっている、と報告を受けている場面から始まります。シコオは、筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)の長脛者(ナガスネモノ、勇猛果敢な戦人の通称)は愚かではなかったようだ、と言ったシコオは、トメ将軍とミマアキの一行が舟を捨て、徒歩で胆駒山(イコマヤマ)を越えるつもりだ、と推測します。部下に対応を問われたシコオは、日下には12の川があり、胆駒山まで行き着くには少なくとも4つの川を越えねばならないと言って、その途中で待ち伏せることにします。トメ将軍とミマアキの一行は、邑外れの兵庫(武器庫)で武器を得ることに成功します。一行は、日下が常に外敵に備えていることを自分たちも見習わねばならない、と考えます。盾を入手できたのは不幸中の幸いだった、と言うミマアキに、盾こそ生きて帰るための必需品だ、とトメ将軍とは言います。トメ将軍は対岸に人影が見えないことを確認して、万一敵が潜んで矢を射かけてくる場合に備えて、念のために陣形をとります。
弁都留島(ムトルノシマ、現在の六連島でしょうか)では、事代主(コトシロヌシ)との会談を終えたヤノハが、弟のチカラオ(ナツハ)とともに筑紫島に帰ろうとしていました。ヤノハは事代主と会った後、チカラオとともに姿を消すつもりでしたが、事代主に諭され、せめて厲鬼(レイキ、疫病)から民を救う手立てを伝えねば天が赦さないだろうから、筑紫島へ戻ると伝え、チカラオも納得します。ヤノハが妊娠していることに気づいた事代主は、ヤノハの反応から望まない妊娠だったことを悟ります。事代主はヤノハに、堕胎するなら良い薬を煎じて差し上げるが、産みたいのならば知恵を授けよう、とヤノハに決断を委ねます。
胆駒山へと急ぐトメ将軍とミマアキの一行は、堀江(運河)を何本も渡り、疲弊していました。待ち伏せているシコオはフトニ王から、筑紫島の動静を知りたいので、数人を生け捕りにせよ、との新たな指令を受け、策を変えて全ての兵を一列に河原に立たせることにします。シコオの配下は、トメ将軍とミマアキの一行はなかなかの戦上手かもしれないので、兵をみすみす曝すことに反対しますが、シコオは、長蛇の陣形で待ち、鶴翼の陣形で迎え撃つ、と考えを打ち明け、配下も納得します。対岸に日下の兵が姿をさらしているのを見たトメ将軍の配下は、自分たちの渡河の途中まで隠れて一気に矢を射れば自分たちを全滅させられるのに、何を考えているのか、と不審に思います。トメ将軍は、弓を使わないのは、自分たちのうち何人かを生け捕りにしたいのだろう、と推測します。トメ将軍は正面突破しようと考え、亀の陣形をとって渡河します。その途中で、背後に潜んで偵察していたミマアキは、日下の中央の兵が数名わずかに後ろにさがったことをトメ将軍に報告します。トメ将軍から日下の兵が次にとる陣形を問われたミマアキは、自分たちが正面突破を試みた途端、鶴翼の陣形に変えて中央に自分たちを誘い込んで挟み撃ちにするつもりだろう、と答えます。どうすべきかトメ将軍に問われたミマアキは、日下の地形は東西に流れる大きな河(大和川でしょうか)と南北に分かれた支流からなるので、無理に斜め(北西方向)に進まずとも、どこかで曲がれば胆駒山にたどり着ける、と答えます。トメ将軍はその返答に満足したようです。トメ将軍は兵士に鎧を脱いで盾を捨てるよう命じ、身軽になって逃げることにします。それを見たシコオは、最善の策を取った、天晴れだ、と感心します。
筑紫島では、岡(ヲカ)にてイクメとヌカデとオオヒコがヤノハとチカラオを待っていました。ヌカデから事代主について尋ねられたヤノハは、信頼できる人だったと答え、イクメとヌカデとオオヒコは安堵します。事代主から厲鬼退治の術を授けられたヤノハは、その内容を伝えるので文にまとめるよう、イクメに指示します。ヤノハはオオヒコには、使者を7人用意するよう、命じます。厲鬼退治の術を山社(ヤマト)と講和した国々にも知らせねばならない、というわけです。ヤノハは事代主から授かった出雲文字で書かれた薬草の目録を筑紫島の文字に訳し、写本を作るよう、イクメに命じます。ヤノハはヌカデには、山社に戻らず、作るため300日の祈祷に入るので自分に付いてくるよう、命じます。不安げなイクメが、山社ではなくどこで祈祷するのか、とヤノハに尋ねるところで今回は終了です。
今回は、トメ将軍とミマアキの優れた判断力と豪胆とともに、ヤノハの決断が描かれましたが、ヤノハがどこで祈祷するのかは明かされていません。日下のシコオは、フトニ王から信頼されているだけあって、軍人として優れているようです。トメ将軍とミマアキは厳しい状況のなか、シコオも認める最善の策を選択したようですが、筑紫島に帰還するまでには、まだ何度も危機を乗り切らねばならないようです。ヤノハの決断は、事代主からの献策を受け入れてのものなのでしょうが、山社に戻らず300日祈祷することを選択したのは、出産すると決意したからでしょうか。ヤノハがどこで祈祷するのかも気になりますが、おそらく、人目を避けられる場所に行き、長期の祈祷中に密かに出産するつもりなのでしょう。ヤノハはチカラオを連れて行くでしょうが、ヌカデも同行するよう命じたのは、ヤノハの本性を知るヌカデには妊娠と出産を打ち明けてもよい、と考えたからでしょうか。このヤノハの300日の祈祷から、『三国志』に見えるように卑弥呼(日見子)はほとんど人と会わなくなったのかもしれません。ヤノハとチカラオとの間の子供の娘(ヤノハの孫)が『三国志』に見える台与と予想していますが、どうなるでしょうか。
弁都留島(ムトルノシマ、現在の六連島でしょうか)では、事代主(コトシロヌシ)との会談を終えたヤノハが、弟のチカラオ(ナツハ)とともに筑紫島に帰ろうとしていました。ヤノハは事代主と会った後、チカラオとともに姿を消すつもりでしたが、事代主に諭され、せめて厲鬼(レイキ、疫病)から民を救う手立てを伝えねば天が赦さないだろうから、筑紫島へ戻ると伝え、チカラオも納得します。ヤノハが妊娠していることに気づいた事代主は、ヤノハの反応から望まない妊娠だったことを悟ります。事代主はヤノハに、堕胎するなら良い薬を煎じて差し上げるが、産みたいのならば知恵を授けよう、とヤノハに決断を委ねます。
胆駒山へと急ぐトメ将軍とミマアキの一行は、堀江(運河)を何本も渡り、疲弊していました。待ち伏せているシコオはフトニ王から、筑紫島の動静を知りたいので、数人を生け捕りにせよ、との新たな指令を受け、策を変えて全ての兵を一列に河原に立たせることにします。シコオの配下は、トメ将軍とミマアキの一行はなかなかの戦上手かもしれないので、兵をみすみす曝すことに反対しますが、シコオは、長蛇の陣形で待ち、鶴翼の陣形で迎え撃つ、と考えを打ち明け、配下も納得します。対岸に日下の兵が姿をさらしているのを見たトメ将軍の配下は、自分たちの渡河の途中まで隠れて一気に矢を射れば自分たちを全滅させられるのに、何を考えているのか、と不審に思います。トメ将軍は、弓を使わないのは、自分たちのうち何人かを生け捕りにしたいのだろう、と推測します。トメ将軍は正面突破しようと考え、亀の陣形をとって渡河します。その途中で、背後に潜んで偵察していたミマアキは、日下の中央の兵が数名わずかに後ろにさがったことをトメ将軍に報告します。トメ将軍から日下の兵が次にとる陣形を問われたミマアキは、自分たちが正面突破を試みた途端、鶴翼の陣形に変えて中央に自分たちを誘い込んで挟み撃ちにするつもりだろう、と答えます。どうすべきかトメ将軍に問われたミマアキは、日下の地形は東西に流れる大きな河(大和川でしょうか)と南北に分かれた支流からなるので、無理に斜め(北西方向)に進まずとも、どこかで曲がれば胆駒山にたどり着ける、と答えます。トメ将軍はその返答に満足したようです。トメ将軍は兵士に鎧を脱いで盾を捨てるよう命じ、身軽になって逃げることにします。それを見たシコオは、最善の策を取った、天晴れだ、と感心します。
筑紫島では、岡(ヲカ)にてイクメとヌカデとオオヒコがヤノハとチカラオを待っていました。ヌカデから事代主について尋ねられたヤノハは、信頼できる人だったと答え、イクメとヌカデとオオヒコは安堵します。事代主から厲鬼退治の術を授けられたヤノハは、その内容を伝えるので文にまとめるよう、イクメに指示します。ヤノハはオオヒコには、使者を7人用意するよう、命じます。厲鬼退治の術を山社(ヤマト)と講和した国々にも知らせねばならない、というわけです。ヤノハは事代主から授かった出雲文字で書かれた薬草の目録を筑紫島の文字に訳し、写本を作るよう、イクメに命じます。ヤノハはヌカデには、山社に戻らず、作るため300日の祈祷に入るので自分に付いてくるよう、命じます。不安げなイクメが、山社ではなくどこで祈祷するのか、とヤノハに尋ねるところで今回は終了です。
今回は、トメ将軍とミマアキの優れた判断力と豪胆とともに、ヤノハの決断が描かれましたが、ヤノハがどこで祈祷するのかは明かされていません。日下のシコオは、フトニ王から信頼されているだけあって、軍人として優れているようです。トメ将軍とミマアキは厳しい状況のなか、シコオも認める最善の策を選択したようですが、筑紫島に帰還するまでには、まだ何度も危機を乗り切らねばならないようです。ヤノハの決断は、事代主からの献策を受け入れてのものなのでしょうが、山社に戻らず300日祈祷することを選択したのは、出産すると決意したからでしょうか。ヤノハがどこで祈祷するのかも気になりますが、おそらく、人目を避けられる場所に行き、長期の祈祷中に密かに出産するつもりなのでしょう。ヤノハはチカラオを連れて行くでしょうが、ヌカデも同行するよう命じたのは、ヤノハの本性を知るヌカデには妊娠と出産を打ち明けてもよい、と考えたからでしょうか。このヤノハの300日の祈祷から、『三国志』に見えるように卑弥呼(日見子)はほとんど人と会わなくなったのかもしれません。ヤノハとチカラオとの間の子供の娘(ヤノハの孫)が『三国志』に見える台与と予想していますが、どうなるでしょうか。
この記事へのコメント
のちの「とよ」ですね。
現時点で紀元後210年頃で、卑弥呼死後に王となった時点で台与は13歳なので、台与はヤノハが今回産む子供ではなく、その子の娘、つまりヤノハの孫ではないか、と予想しています。