鳥取市青谷上寺遺跡の弥生時代人骨の核DNA分析
本論文(神澤他.,2021)は、「新学術領域研究(研究領域提案型)計画研究B01【調査研究活動報告2019年度(1)】考古学データによるヤポネシア人の歴史の解明」の研究成果の一環となります。鳥取県鳥取市(旧気高郡)青谷町の青谷上寺遺跡は、弥生時代前期末から古墳時代初期の遺跡です。1998年度から2000年度の発掘調査で、2区から単独の頭蓋骨(頭骨33号)、3区B26南東側から漂着人骨1体、4区北西側と南西側からそれぞれ漂着人骨2と3、8区西側に検出された溝跡(SD38)から人骨約5300点(少なくとも109個体以上)が、土器などの遺物とともに出土しました。堆積層から出土し、同一層に共伴する土器の形式および人骨の年代分析から、頭骨33号と漂着人骨1および2は弥生時代中期、SD38人骨群は弥生時代後期と明らかになっています。人骨は泥湿地から出土したため保存状態が良好で、中には脳が残っている個体もあります。人骨には多数の殺傷痕が認められ、年代が『三国志』に見える「倭国大乱」の時期と重なってくる点で、発見当時から注目された遺跡でした。
青谷上寺遺跡出土の人骨については、形態学的研究とともにDNA解析も行なわれ、32個体のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)が決定され、さらに保存状態良好な6個体で核DNAが解析されました。これらの研究成果の一部はすでに報道されていました(関連記事)。DNA解析から、青谷上寺遺跡出土の人骨については、母系遺伝のmtDNAでは「(縄文時代晩期もしくは弥生時代以降の)渡来系」型が大半なのに対して、父系遺伝のY染色体DNAでは大半が「縄文系」と明らかになり、婚姻が在来系集団と「渡来系」集団との間で無作為に行なわれなかった可能性が示唆されています。一方、核DNA解析では、両集団の混血が進み、総体としては本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」現代人集団に近い遺伝的組成だったことも明らかになりました。また、個体間の遺伝的違いが大きく、混血が充分には進んでいなかったことも示唆されています。これらの知見は興味深いものの、核DNA解析された個体が不充分なので、結論の提示は困難でした。本論文は、新たに核DNAが解析された複数個体の結果を踏まえて、この問題を検証します。
●DNA解析
新たにDNA解析された漂着人骨1号および2号では、mtHgがそれぞれD4b2b1dとN9b3と分類され、前者は「渡来系」、後者は「縄文系」と考えられます。核DNAは、漂着人骨2号からの抽出はできず、1号のみとなりました。新たに合計で7個体の核DNA解析に成功し、平均深度は0.0014~1.57倍です。X染色体とY染色体にマップしたリード数の比から性別が推定され、男性が5個体、女性が2個体です。男性5個体のY染色体ハプログループ(YHg)は、頭骨19号がDもしくはD1b、頭骨25号がO1b2a1、頭骨25号が不明、頭骨9号がD1b、漂着人骨1号がO1b2a1a1です。YHgを定義する変異が明記されていませんが、YHg-D1bは現在のD1a2aだと思います。
主成分分析により、アジア東部の現代人および古代人と比較した結果、青谷上寺遺跡個体群はおおむね現代日本人の分布範囲内に収まりましたが、個体間でバラツキが見られます。これに関してはデータ不足も考慮する必要があるかもしれませんが、比較的核DNAの網羅率が高い漂着人骨1号と8号も離れていることから、このバラツキは個体間の遺伝的構成の違いを反映している、と考えられます。日本列島の古代人では、九州北部の弥生時代中期人骨の福岡県那珂川市の弥生時代の安徳台遺跡5号が最も近接しており、西北九州弥生人の佐世保市下本山岩陰遺跡の2号および3号(関連記事)とは離れています。
f4統計では、核DNAが解析された青谷上寺遺跡13個体のうち6個体は、現代日本人と比較して縄文人的な遺伝要素が少ない傾向にある、と示されました。一方で青谷上寺遺跡8号は、現代日本人と比較して縄文人的な遺伝要素が多い傾向にある、と示されました。これらの結果は、主成分分析のアジア東部大陸部集団から縄文人にかけての中央から左上にかけての軸に沿ったバラツキとも一致します。つまり、青谷上寺遺跡個体群の遺伝的な構成のバラツキが、縄文人的な遺伝要素の大小によることを示しています。
●考察
青谷上寺遺跡で発見された人骨40点のうち36点でmtDNA分析が成功し、血縁関係が疑われる個体を除くと、31系統が確認されました。そのうち、在来の縄文人系のmtHgは2系統です。父系遺伝のY染色体では、現代日本人におけるYHgの頻度は、Cが5.4%、Dが39.6%、Oが53.8%です(2013年の研究)。2019年の研究では、日本列島本土現代人集団でCが8.2%、Dが35.34%、Oが55.1%です(関連記事)。青谷上寺遺跡個体群では、在来の縄文人系統のYHg-C・Dはそれぞれ2個体と3個体の計5個体(と本論文は示しますが、縄文人でまだYHg-Cは確認されていないと思います)、渡来系のYHg-Oが3個体と、依然として縄文人系統の割合は高いものの、現代日本人の比率とそうかけ離れた割合ではありません。これに関しては、婚姻が無作為ではなかった可能性も指摘されていますが、より多い情報を有するX染色体からも検証は可能で、今後の課題となります。
核DNAが解析された青谷上寺遺跡13個体は、集団の総体として現代日本人に近い遺伝的傾向を示します。一方で、個体間のバラツキが見られ、その要因は縄文人的遺伝要素の強弱にある、と示されました。この強弱の要因の検討点として、資料の年代差、階層との関連、外部集団の流入や混血、在来系と渡来系の混血開始から経過した世代が浅くて充分な混血が進んでいない可能性、などが挙げられます。
このうち年代については、青谷上寺遺跡の人骨はおそらく同時期に8区画西側の溝に放棄されており、強弱の要因とは考えられません。青谷上寺遺跡33号および漂着人骨1号と溝跡の人骨群との関係は明らかではありませんが、それで結論が変わることはありません。階層については、青谷上寺遺跡のように溝から無秩序に産卵した状態からの人骨からの検討は難しそうで、他の遺跡も含めて階層のはっきりした試料の分析により検討が可能になるかもしれません。外部集団との関りについては、mtHgの多様性から、ヒトの流入が多かったと推測されています。
以上、本論文についてざっと見てきました。青谷上寺遺跡は、DNAが解析された個体数の多さからも、現代日本人の形成過程の考察において今後も重要な役割を果たすことになるでしょう。青谷上寺遺跡個体群は遺伝的に、おおむね日本列島本土現代人集団の範疇に収まるものの、個体差が大きく、これをどう解釈するかは、本論文が指摘するように今後の課題となります。青谷上寺遺跡個体群からは、渡来系の女性を在来(縄文人)系の父系集団が受け入れていった、とも解釈したくなりますが、現代日本人のYHg-C・Dのうち、本当に縄文人由来と言える系統がどれだけあるのか、という点も今後の検討課題になるように思います(関連記事)。青谷上寺遺跡は、九州北部系土器の出土がないことから直接的に朝鮮半島と交易したと推測されており(関連記事)、この考古学的知見も青谷上寺遺跡個体群の遺伝的構成を解釈するうえで重要となりそうです。
参考文献:
神澤秀明、角田恒雄、安達登、篠田謙一(2021)「鳥取県鳥取市青谷上寺遺跡出土弥生後期人骨の核DNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P295-307
青谷上寺遺跡出土の人骨については、形態学的研究とともにDNA解析も行なわれ、32個体のミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)が決定され、さらに保存状態良好な6個体で核DNAが解析されました。これらの研究成果の一部はすでに報道されていました(関連記事)。DNA解析から、青谷上寺遺跡出土の人骨については、母系遺伝のmtDNAでは「(縄文時代晩期もしくは弥生時代以降の)渡来系」型が大半なのに対して、父系遺伝のY染色体DNAでは大半が「縄文系」と明らかになり、婚姻が在来系集団と「渡来系」集団との間で無作為に行なわれなかった可能性が示唆されています。一方、核DNA解析では、両集団の混血が進み、総体としては本州・四国・九州を中心とする日本列島「本土」現代人集団に近い遺伝的組成だったことも明らかになりました。また、個体間の遺伝的違いが大きく、混血が充分には進んでいなかったことも示唆されています。これらの知見は興味深いものの、核DNA解析された個体が不充分なので、結論の提示は困難でした。本論文は、新たに核DNAが解析された複数個体の結果を踏まえて、この問題を検証します。
●DNA解析
新たにDNA解析された漂着人骨1号および2号では、mtHgがそれぞれD4b2b1dとN9b3と分類され、前者は「渡来系」、後者は「縄文系」と考えられます。核DNAは、漂着人骨2号からの抽出はできず、1号のみとなりました。新たに合計で7個体の核DNA解析に成功し、平均深度は0.0014~1.57倍です。X染色体とY染色体にマップしたリード数の比から性別が推定され、男性が5個体、女性が2個体です。男性5個体のY染色体ハプログループ(YHg)は、頭骨19号がDもしくはD1b、頭骨25号がO1b2a1、頭骨25号が不明、頭骨9号がD1b、漂着人骨1号がO1b2a1a1です。YHgを定義する変異が明記されていませんが、YHg-D1bは現在のD1a2aだと思います。
主成分分析により、アジア東部の現代人および古代人と比較した結果、青谷上寺遺跡個体群はおおむね現代日本人の分布範囲内に収まりましたが、個体間でバラツキが見られます。これに関してはデータ不足も考慮する必要があるかもしれませんが、比較的核DNAの網羅率が高い漂着人骨1号と8号も離れていることから、このバラツキは個体間の遺伝的構成の違いを反映している、と考えられます。日本列島の古代人では、九州北部の弥生時代中期人骨の福岡県那珂川市の弥生時代の安徳台遺跡5号が最も近接しており、西北九州弥生人の佐世保市下本山岩陰遺跡の2号および3号(関連記事)とは離れています。
f4統計では、核DNAが解析された青谷上寺遺跡13個体のうち6個体は、現代日本人と比較して縄文人的な遺伝要素が少ない傾向にある、と示されました。一方で青谷上寺遺跡8号は、現代日本人と比較して縄文人的な遺伝要素が多い傾向にある、と示されました。これらの結果は、主成分分析のアジア東部大陸部集団から縄文人にかけての中央から左上にかけての軸に沿ったバラツキとも一致します。つまり、青谷上寺遺跡個体群の遺伝的な構成のバラツキが、縄文人的な遺伝要素の大小によることを示しています。
●考察
青谷上寺遺跡で発見された人骨40点のうち36点でmtDNA分析が成功し、血縁関係が疑われる個体を除くと、31系統が確認されました。そのうち、在来の縄文人系のmtHgは2系統です。父系遺伝のY染色体では、現代日本人におけるYHgの頻度は、Cが5.4%、Dが39.6%、Oが53.8%です(2013年の研究)。2019年の研究では、日本列島本土現代人集団でCが8.2%、Dが35.34%、Oが55.1%です(関連記事)。青谷上寺遺跡個体群では、在来の縄文人系統のYHg-C・Dはそれぞれ2個体と3個体の計5個体(と本論文は示しますが、縄文人でまだYHg-Cは確認されていないと思います)、渡来系のYHg-Oが3個体と、依然として縄文人系統の割合は高いものの、現代日本人の比率とそうかけ離れた割合ではありません。これに関しては、婚姻が無作為ではなかった可能性も指摘されていますが、より多い情報を有するX染色体からも検証は可能で、今後の課題となります。
核DNAが解析された青谷上寺遺跡13個体は、集団の総体として現代日本人に近い遺伝的傾向を示します。一方で、個体間のバラツキが見られ、その要因は縄文人的遺伝要素の強弱にある、と示されました。この強弱の要因の検討点として、資料の年代差、階層との関連、外部集団の流入や混血、在来系と渡来系の混血開始から経過した世代が浅くて充分な混血が進んでいない可能性、などが挙げられます。
このうち年代については、青谷上寺遺跡の人骨はおそらく同時期に8区画西側の溝に放棄されており、強弱の要因とは考えられません。青谷上寺遺跡33号および漂着人骨1号と溝跡の人骨群との関係は明らかではありませんが、それで結論が変わることはありません。階層については、青谷上寺遺跡のように溝から無秩序に産卵した状態からの人骨からの検討は難しそうで、他の遺跡も含めて階層のはっきりした試料の分析により検討が可能になるかもしれません。外部集団との関りについては、mtHgの多様性から、ヒトの流入が多かったと推測されています。
以上、本論文についてざっと見てきました。青谷上寺遺跡は、DNAが解析された個体数の多さからも、現代日本人の形成過程の考察において今後も重要な役割を果たすことになるでしょう。青谷上寺遺跡個体群は遺伝的に、おおむね日本列島本土現代人集団の範疇に収まるものの、個体差が大きく、これをどう解釈するかは、本論文が指摘するように今後の課題となります。青谷上寺遺跡個体群からは、渡来系の女性を在来(縄文人)系の父系集団が受け入れていった、とも解釈したくなりますが、現代日本人のYHg-C・Dのうち、本当に縄文人由来と言える系統がどれだけあるのか、という点も今後の検討課題になるように思います(関連記事)。青谷上寺遺跡は、九州北部系土器の出土がないことから直接的に朝鮮半島と交易したと推測されており(関連記事)、この考古学的知見も青谷上寺遺跡個体群の遺伝的構成を解釈するうえで重要となりそうです。
参考文献:
神澤秀明、角田恒雄、安達登、篠田謙一(2021)「鳥取県鳥取市青谷上寺遺跡出土弥生後期人骨の核DNA分析」『国立歴史民俗博物館研究報告』第228集P295-307
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