デニソワ洞窟の堆積物のmtDNA解析(追記有)
シベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)の堆積物のミトコンドリアDNA(mtDNA)解析結果を報告した研究(Zavala et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。シベリア南部のデニソワ洞窟は、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)だと初めて確認された遺骸が発見された有名な遺跡です(関連記事)。デニソワ洞窟ではネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の遺骸や、ネアンデルタール人の母親とデニソワ人の父親の間に生まれた娘の遺骸も発見されています(関連記事)。
デニソワ洞窟は、中期更新世から完新世にかけての層序系列の堆積物を含む、3ヶ所の空間で構成されています(主空間と東空間と南空間)。デニソワ洞窟の更新世堆積物では、骨と歯と炭の放射性炭素年代(5万年前頃以降)と堆積物の光学的年代(光ルミネッセンス年代測定法、30万年以上前)が得られています。主空間と東空間の光学的年代(図1a~c)は共通の時間枠で調整できますが、南空間では発掘が進行中で、層が暫定的にしか認識されていません。以下は本論文の図1です。
mtDNAと核DNAが8点の人類化石から回収されており、デニソワ人4個体(デニソワ2・3・4・8号)、ネアンデルタール人3個体(デニソワ5・9・15号)、上述のネアンデルタール人の母親とデニソワ人の父親の間に生まれた娘(デニソワ11号)に分類できます。しかし、化石が少なすぎるので、人類居住の年代と順序の詳細な復元と、デニソワ洞窟で識別された早期中部旧石器時代(以下、eMP)と中期中部旧石器時代(以下、mMP)と初期上部旧石器時代(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)の石器群と、特定の人類集団との関連づけができません。さらに、IUP層では2点のデニソワ人化石(デニソワ3・4号)が発見されているものの、現生人類遺骸は発見されていないので、IUPに関しては、非現生人類ホモ属(古代型ホモ属、絶滅ホモ属)と現生人類のどちらがIUP関連の装飾品や骨器を製作したのか、議論されています。
デニソワ洞窟の堆積物のDNA保存に関する以前の予備的研究では、52点の標本のうち12点で非現生人類ホモ属のmtDNAが特定されました(関連記事)。本論文は、デニソワ洞窟の3空間の堆積物から、10~15cmの碁盤目状パターンで収集された728点の標本の分析結果を報告します。29万年以上前のものを含む全ての標本抽出された層の685点の標本で、古代の哺乳類のmtDNAが識別されました。これらのmtDNAには、古代DNAの特徴である脱アミノ化による置換が確認されました。この置換は年代がさかのぼるとともに著しく増加し、他の層への浸透がなかったことを示唆します。また、年代がさかのぼるにつれて、平均的なDNA断片長とmtDNAの数が大幅に減少することも確認されましたが、層間のバラツキは脱アミノ化の場合よりも大きく、環境の局所的違いに起因すると考えられます。
●古代の人類のmtDNA
3空間ほぼ全ての層にわたる175点の標本で古代の人類のmtDNAが検出されました(図1a~c)。4点の標本はおもに1つのハプロタイプが存在する証拠を示し、80%以上の完全なmtDNAコンセンサス配列を復元するのに充分なmtDNA断片が得られました。東空間第11.4および第11.4/12.1層の標本E202・E213と主空間第19層の標本M65は、既知のmtDNAで構築された系統樹のネアンデルタール人とまとまり、具体的には、デニソワ5号および15号とメズマイスカヤ1号(Mezmaiskaya)とスクラディナI-4A(Scladina I-4A)です(図1d)。主空間第20層の標本M71のmtDNAはデニソワ人型で、デニソワ2号および8号の基底部に位置します。主空間のネアンデルタール人の最も完全なmtDNA配列(M65、再構築されたミトコンドリアゲノムの99%以上)は、遺伝的推定年代が14万年前頃(95.4%最高事後密度区間で181000~98000年前)で、第19層の堆積年代(151000±17000~128000±13000年前)と一致します。
残りの171点の標本も、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人に分類されました。その結果、ネアンデルタール人のmtDNAは3系統が区別されました。まず、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下 、SHと省略)の43万年前頃のネアンデルタール人系統で、デニソワ人と最も密接に関連しています。次に、ドイツ南西部のホーレンシュタイン-シュターデル(Hohlenstein–Stadel)洞窟(以下HST洞窟と省略)の12万年前頃のネアンデルタール人系統で、他の全てのネアンデルタール人のmtDNAの基底部に位置します。最後に、「典型的な」ネアンデルタール人のmtDNAで、他の全てのネアンデルタール人はこれに区分されます。
古代の現生人類のmtDNAの存在は、現代人のDNA汚染の影響を軽減するため、脱アミノ化断片に分析を限定することにより評価されました。デニソワ人と典型的なネアンデルタール人のmtDNAはそれぞれ79点と47点の標本で、現生人類のmtDNAは35点の標本で識別されました。10点の標本で人類2集団のDNAが検出され、それは単一のライブラリ内の場合か、独立した下位標本から準備されたライブラリ全体にわたっている場合です。
さらに、HSTと典型的なネアンデルタール人のmtDNAに共有されている分枝を裏づける人類のmtDNA断片を含む1標本(主空間第20層のM76の)が特定されましたが、どちらの分枝もそれらの系統を定義していません(図1d)。この兆候は、ネアンデルタール人とデニソワ人と古代もしくは現代の現生人類からのmtDNA断片の混合により作成できません。祖先化したネアンデルタール人のmtDNAとのシミュレーションに基づくと、この標本のmtDNAはこれまで知られていなかったネアンデルタール人のmtDNA系統の存在と一致しており、典型的なネアンデルタール人のmtDNA系統とは255000~230000年前頃に分岐し、それはHSTと典型的なネアンデルタール人のmtDNA系統の分岐の20000~45000年後になる、と推定されます。
回収された最古の人類のmtDNAはデニソワ人に分類され、250000±44000年前に堆積が始まった主空間第21層に由来します。これは、デニソワ洞窟における人類の居住に関する最初期の遺伝的証拠を提供します。デニソワ2号はその下層となる第22.1層で発見されましたが、おそらく上層からの嵌入で、推定年代は194400~122700年前頃です(関連記事)。主空間と東空間のeMP層の標本223点のうち、50点はデニソワ人のmtDNAを含んでおり、ネアンデルタール人のmtDNAを含むのは3点だけで、それは全て主空間の第20層に由来します。この標本3点のうち2点(M174とM235)は典型的なネアンデルタール人のmtDNAを含んでおり、上の堆積物との小規模な混合が起きた可能性のある区画に由来します。もう1点の標本M76は第20層の中間に由来し、上述の未知のネアンデルタール人のmtDNA系統を有しています。
これらの結果は、eMP石器群の最初の主要な製作者がデニソワ人で、170000±19000年以上前だったことを示します。この解釈と一致して、以前の予備的研究(関連記事)では、東空間のeMP第14層の堆積物標本でネアンデルタール人のmtDNAが検出されましたが、これは不正確な分類に起因しており、後に東空間の第11.4層のmMPに修正されました。本論文の結果も、ネアンデルタール人がeMPの末にデニソワ洞窟に初めて居住し、それ故にその後の段階でこれら石器群の製作に寄与した可能性がある、と示唆します。
主空間と東空間のmMP 層(16万~6万年前頃)の173点の標本のうち40点で、ネアンデルタール人および/もしくはデニソワ人のmtDNAが検出され、6点の標本で両者が存在しました(図1a~c)。ネアンデルタール人およびデニソワ人両集団のmtDNAは、南空間の変形したMP層にも含まれています。注目されるのは、主空間と東空間の120000±11000~97000±11000年前の堆積物ではデニソワ人のmtDNAが検出されなかったものの、12点の標本にはネアンデルタール人のmtDNAが含まれていることです。これは、この期間にデニソワ洞窟に居住したのがネアンデルタール人だけで、おそらくは海洋酸素同位体ステージ(MIS)5の大半にわたっていたことを示唆します。
44000±5000~21000±8000年前となる主空間の第11.4層以上のIUPおよび上部旧石器時代(UP)層では、ネアンデルタール人のmtDNAが検出された第11.2層のIUP期の標本1点を除いて、古代の現生人類のmtDNAのみが検出されました。IUP石器群と現生人類の出現との間の関連は、47000±8000年前以後に堆積された、IUPとなる南空間第11層の標本1点の現生人類のmtDNAの回収により、さらに裏づけられます。東空間のこの状況はより複雑です。デニソワ人とネアンデルタール人と古代の現生人類のmtDNAがIUPとなる第11.2層で、ネアンデルタール人と古代の現生人類のmtDNAがIUPとなる第11.1層で回収されました(図1a)。これらの結果と、IUP石器群と関連する層からの2点のデニソワ人化石(デニソワ3号および4号)を考えると、現生人類に加えて、デニソワ人とネアンデルタール人がIUP石器群の製作期にデニソワ洞窟に存在した可能性を無視できません。
100以上の脱アミノ化された人類のmtDNA断片が検出された37点の標本のうち34点で、特定のネアンデルタール人およびデニソワ人のミトコンドリアゲノムとの類似性が特定されました(図1a~cの円以外の記号)。この分析により、250000±44000年前となる主空間と東空間のeMP層、および146000±11000年前となる東空間の最初のmMP層は、デニソワ2号およびデニソワ8号的なmtDNA断片を含みます。これは、80000±9000年前以後に堆積したmMP層で回収されたデニソワ人のmtDNAと対照的で、それらは南空間の標本群と同様にデニソワ3号および4号的な配列が検出されました。
これらの結果は、146000~80000年前頃のある時期に、デニソワ人のmtDNA配列に変化が起きたことを示唆し、おそらくは異なるデニソワ人集団を反映しています。本論文の結果は、デニソワ2号・3号・4号のモデル化された年代や、分子年代測定から推定されたデニソワ8号の相対的年代ともよく一致します(関連記事)。MIS5において、13万~10万年前頃(その後の2万年の時間差を考えると、恐らくはそれ以上)の堆積物には、ネアンデルタール人のmtDNAと化石の証拠のみが含まれており、デニソワ11号的なmtDNA配列は、8万年前頃以後の堆積物でのみ検出されます。
●非ヒト動物のmtDNA
現時点では主空間と東空間でのみ利用可能なデニソワ洞窟の古生物学的記録に存在する全ての大型哺乳類も、堆積物のDNAで特定されました。さらに、東空間第12層の標本1点でラクダ類の古代DNAが見つかり、デニソワ洞窟一帯におけるラクダ種(Camelus knoblochi)の更新世の存在と一致します。大型哺乳類とは対照的に、メクラネズミ類やウサギ科やリス科など小型哺乳類は、生物量が少ないか、捕獲調査の提示不足のため、遺伝的データがほとんど含まれていません。主空間の第22.1層と第21/20層の間のように、隣接する層の一部における動物相mtDNA構成間には鋭い境界があり、DNAの堆積後の浸出があったとしても限定的だった追加の証拠を提供します。
デニソワ洞窟における化石のひじょうに断片的な性質と、さまざまな種により堆積したかもしれないDNAの可変的な量にも関わらず、経時的な哺乳類のDNAの相対的存在量の変化は、ウシ科やハイエナ科やクマ科やイヌ科などの系統の骨格記録の変化とほぼ一致します。遺伝的データも、ゾウ科やクマ科やハイエナ科のように包括的参照データが利用可能な場合、種もしくは集団水準での動物相多様性の調査機会を提供します。ゾウ科のmtDNAは全ての層でおもにケナガマンモスに分類されましたが、クマ科種の相対的存在量は、187000±14000年前以前に堆積した層で検出されたおもにホラアナグマから、112000±12000年前以後に堆積した層で検出されたヒグマのみに変わりました。
また、以前に報告されたブチハイエナ属(ブチハイエナとドウクツハイエナ)のmtDNAハプログループ3系統(関連記事)の存在も検出されました。20万年前頃以前および12万~8万年前頃以後に堆積した層ではほとんど、アフリカのブチハイエナとヨーロッパのドウクツハイエナで見られるmtHg-Aが検出されましたが、中間の年代の層では、アジア東部のドウクツハイエナ(mtHg-D)とヨーロッパのドウクツハイエナの一部(mtHg-B)のmtDNAがおもに検出されました。したがってアルタイ山脈は、哺乳類骨格遺骸の研究で以前に示唆されたように、人類とハイエナや他の動物の異なる系統の接触地帯だったかもしれません。
堆積物のDNAから、大型哺乳類の少なくとも2回の大きな交代が明らかです(図2)。まず、ウシ科とイヌ科とウマ科とクマ科のmtDNA断片の相対的な割合の著しい変化と、ブチハイエナ属のmtHgの交代と、ホラアナグマからヒグマへの変化が19万年前頃に起き、これは間氷期のMIS7から氷期のMIS6への気候変化とほぼ同年代です。ネアンデルタール人のmtDNAの最初の痕跡もこの頃に出現します。次の交代は13万~10万もしくは8万年前頃に起き、MIS6~MIS5の気候変化の期間およびその後です。ウシ科とイヌ科とネコ科とクマ科のmtDNAの割合が減少した一方で、シカ科とウマ科の割合は増加し、ホラアナグマとブチハイエナ属の2系統のmtHgが消滅しました。この期間は、デニソワ洞窟の堆積物でデニソワ人のmtDNAが存在しないことでも注目されます。これらの変化は、人類と非ヒト動物の集団の交代がつながっており、生態学要因と関連していたかもしれない、と示唆します。以下は本論文の図2です。
●考察
175点の標本における古代の人類のmtDNAの識別は、デニソワ洞窟の堆積物から回収された人類化石の数を桁違いに上回り、更新世層のほぼ全てで人類の存在の遺伝的特性を提供します。これらのデータは685点の標本からの非ヒト動物のmtDNA配列により補完され、それは他の大型哺乳類の多様性とその相対的存在量の変化についての情報を提供します。しかし、人類と非ヒト動物の洞窟利用の推定された順序は、いくつかの要因により制約されることに注意が必要です。層序記録には2つの大きな間隙があること(170000~156000年前頃と97000~80000年前頃)、各堆積層の蓄積に固有の平均時間、穴掘り動物もしくは小規模な混合に起因する一部の層の堆積後の攪乱、年代推定に使用される光学的年代の精度です。
本論文の結果は、人類によるデニソワ洞窟利用の歴史を復元するだけではなく、人類の過去の理解へのより広範な示唆になります。まず、8万年前頃以後に堆積したデニソワ洞窟のmMP層で回収されたデニソワ人のmtDNA断片は一貫して、デニソワ3号および4号と最高の類似性を示し、ほぼ同年代(70000~45000年前頃)となる、チベット高原の北東面に位置する中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)の堆積物で回収されたmtDNA断片と同様です(関連記事)。このパターンは、デニソワ3号および4号のmtDNA系統が8万年前頃以後にはデニソワ人では最も豊富だったことを示唆します。
古生物学的研究では、更新世の哺乳類はアジア南東部からヒマラヤ山脈の東方山麓に沿ってアルタイ地域北西部に移住した、と示唆されています。これらの動物相の移動は、デニソワ人のアルタイ山脈への拡散を駆り立てたかもしれません。次に、17万年前頃以後のネアンデルタール人のmtDNAの存在は、ネアンデルタール人の歴史における初期の事象の年代をさらに制約します。43万年前頃となるSHの初期ネアンデルタール人で見つかったmtDNA系統は、43万~17万年前頃に現生人類により近い集団からの遺伝子移入により置換された、と推測されます(関連記事)。したがって、堆積物のDNAの高解像度鑑定は、骨格遺骸の発見とは関係なく、人類の進化史と古生態学の知識における間隙を埋める、効果的な手段を提供できます。
以上、本論文についてざっと見てきました。洞窟堆積物のDNA解析の進展は目覚ましく、最近もスペイン北部の洞窟の堆積物のネアンデルタール人の核DNA分析結果が報告されました(関連記事)。その研究は、アルタイ山脈のチャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)の堆積物のDNA解析結果も報告しています。更新世の人類遺骸はきわめて少ないだけに、今後は洞窟の堆積物のDNA解析が更新世人類の研究において大きな役割を果たすのではないか、と予想されます。日本人の私としては、更新世の人類遺骸がきわめて少ない日本列島での洞窟堆積物のDNA解析の進展に期待しています。
本論文の知見からは、デニソワ洞窟を最初に利用した人類はデニソワ人で、その後にネアンデルタール人が到来し、ネアンデルタール人のみが利用していた期間を経た後にデニソワ人が再度利用するようになり、45000年前頃以降はほぼ現生人類のみが利用していた、と考えられます。ただ、こうした動向がアルタイ山脈全域にも当てはまるのか、今後の研究の進展が期待されます。本論文が示唆するように、アルタイ山脈は人類に限らず複数の動物にとって異なる分類群の接触地帯だったかもしれません。遺骸から分布範囲がある程度推測できるネアンデルタール人は、ヨーロッパからアルタイ山脈へと東進してきた、と推測されます。一方デニソワ人に関しては、遺伝的データと形態学的データの照合が困難なので(関連記事)、洞窟堆積物のDNA解析により、分布範囲の推定が進むと期待されます。現時点での化石証拠と合わせて考えると、デニソワ人の主要な分布範囲はアジア東部で、時としてアルタイ山脈へと西進してきたのかもしれません。
また本論文は、デニソワ洞窟ではIUP期に現生人類だけではなくネアンデルタール人とデニソワ人も存在した可能性を指摘します。古代ゲノムデータと考古学的データとを組み合わせた最近の研究では、出アフリカ現生人類で遺伝的にユーラシア東部系統に分類される集団とIUPの拡大が関連づけられています(関連記事)。その研究からは、ヨーロッパにおけるIUP現生人類集団とネアンデルタール人との共存が示唆されます。その意味で、アルタイ山脈においてもIUP現生人類集団とネアンデルタール人やデニソワ人との共存があったとも考えられ、そこで遺伝的な側面とともに石器技術など文化面でも相互作用が起きたかもしれません。近年の古代DNA研究の進展は目覚ましく、考古学や形態学や古気候学など関連分野との関連づけも進んでいくのではないか、と期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
進化:デニソワ洞窟に居住していたのは誰?
ロシアのデニソワ洞窟では、デニソワ人がネアンデルタール人よりも前から居住していた可能性のあることを報告する論文が、今週、Nature に掲載される。今回の研究で、最終氷期にユーラシアに住んでいたヒト集団の理解を深める重要な考古学的遺跡であるデニソワ洞窟での居住に関する年表が明らかになった。
デニソワ洞窟で発見された化石から抽出された古DNAについて、これまでに実施された解析からは、この洞窟にネアンデルタール人、デニソワ人、両者の混血の子孫が居住していたことが明らかになっていた。しかし、遺骸化石の数が少ないため、居住の時期と順序は不明のままだった。今回、Elena Zavalaたちの研究チームは、この問題を解決するために、30万~2万年前の700点以上の堆積物試料を収集し、堆積物中の有機物(例えば、ヒトや動物の遺骸の微細な断片)に由来すると考えられるDNAを抽出した。これらの試料のうちの175点からヒト族のミトコンドリアDNAが回収された。25万~17万年前のものとされた旧石器時代の石器との関連性を有する最古のヒト族DNAはデニソワ人のDNAで、最古のネアンデルタール人のDNAは旧石器時代の終わり頃のものだった。
685点の堆積物試料からは動物のミトコンドリアDNAが検出され、さらなる状況が明らかになった。ヒト族のミトコンドリアDNAには複数回のターンオーバーが見られ、それに加えて、動物(例えば、イヌ科、クマ科、ウマ科の動物)のミトコンドリアDNAの組成にも変化が認められた。Zavalaたちは、気候の変化に応じて、さまざまなヒト族と動物が現れて、洞窟内で居住し、去っていったという考えを示している。また、Zavalaたちは、約4万5000年前の堆積物試料から現生人類のミトコンドリアDNAを初めて検出したことから、デニソワ人とネアンデルタール人が、この洞窟に繰り返し居住し、それが4万5000年前頃まで続いたと考えている。デニソワ洞窟で現生人類の化石が発見されていないため、今回の研究では、ヒトの進化史を解明するのに役立つ堆積物分析の価値についても強調されている。
参考文献:
Zavala EI. et al.(2021): Pleistocene sediment DNA reveals hominin and faunal turnovers at Denisova Cave. Nature, 595, 7867, 399–403.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03675-0
追記(2021年7月15日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
進化学:更新世の堆積物中のDNAから明らかになった、デニソワ洞窟におけるヒト族および動物相の入れ替わり
進化学:堆積物中の古代DNAから得られた、デニソワ洞窟のヒト族と動物相に関する知見
ロシアのデニソワ洞窟からはヒト族の遺骸が数多く出土しているが、異なるヒト族集団がこの洞窟に居住した時期と順序、そうした集団の考古学的遺物や環境的背景との関連性についてはあまり分かっていない。今回E Zavalaたちは、デニソワ洞窟の3つの空洞全てにおいて、30万~2万年前の地層断面から堆積物を系統的に採取し、計728点の堆積物試料についてDNA解析を行った結果を報告している。175点の試料からヒト族のミトコンドリアDNA(mtDNA)断片が回収され、この洞窟にはデニソワ人がネアンデルタール人よりも先に居住したこと、そして、この遺跡の歴史全体を通してヒト族集団の入れ替わりが複数回あったことが明らかになった。現生人類のmtDNAは後期旧石器時代の層でしか発見されていない。動物相のmtDNAからは大型哺乳類の入れ替わりも明らかになり、それらが、今回調べられた期間に起こったいくつかの気候変動事象と関連する可能性が示された。
デニソワ洞窟は、中期更新世から完新世にかけての層序系列の堆積物を含む、3ヶ所の空間で構成されています(主空間と東空間と南空間)。デニソワ洞窟の更新世堆積物では、骨と歯と炭の放射性炭素年代(5万年前頃以降)と堆積物の光学的年代(光ルミネッセンス年代測定法、30万年以上前)が得られています。主空間と東空間の光学的年代(図1a~c)は共通の時間枠で調整できますが、南空間では発掘が進行中で、層が暫定的にしか認識されていません。以下は本論文の図1です。
mtDNAと核DNAが8点の人類化石から回収されており、デニソワ人4個体(デニソワ2・3・4・8号)、ネアンデルタール人3個体(デニソワ5・9・15号)、上述のネアンデルタール人の母親とデニソワ人の父親の間に生まれた娘(デニソワ11号)に分類できます。しかし、化石が少なすぎるので、人類居住の年代と順序の詳細な復元と、デニソワ洞窟で識別された早期中部旧石器時代(以下、eMP)と中期中部旧石器時代(以下、mMP)と初期上部旧石器時代(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)の石器群と、特定の人類集団との関連づけができません。さらに、IUP層では2点のデニソワ人化石(デニソワ3・4号)が発見されているものの、現生人類遺骸は発見されていないので、IUPに関しては、非現生人類ホモ属(古代型ホモ属、絶滅ホモ属)と現生人類のどちらがIUP関連の装飾品や骨器を製作したのか、議論されています。
デニソワ洞窟の堆積物のDNA保存に関する以前の予備的研究では、52点の標本のうち12点で非現生人類ホモ属のmtDNAが特定されました(関連記事)。本論文は、デニソワ洞窟の3空間の堆積物から、10~15cmの碁盤目状パターンで収集された728点の標本の分析結果を報告します。29万年以上前のものを含む全ての標本抽出された層の685点の標本で、古代の哺乳類のmtDNAが識別されました。これらのmtDNAには、古代DNAの特徴である脱アミノ化による置換が確認されました。この置換は年代がさかのぼるとともに著しく増加し、他の層への浸透がなかったことを示唆します。また、年代がさかのぼるにつれて、平均的なDNA断片長とmtDNAの数が大幅に減少することも確認されましたが、層間のバラツキは脱アミノ化の場合よりも大きく、環境の局所的違いに起因すると考えられます。
●古代の人類のmtDNA
3空間ほぼ全ての層にわたる175点の標本で古代の人類のmtDNAが検出されました(図1a~c)。4点の標本はおもに1つのハプロタイプが存在する証拠を示し、80%以上の完全なmtDNAコンセンサス配列を復元するのに充分なmtDNA断片が得られました。東空間第11.4および第11.4/12.1層の標本E202・E213と主空間第19層の標本M65は、既知のmtDNAで構築された系統樹のネアンデルタール人とまとまり、具体的には、デニソワ5号および15号とメズマイスカヤ1号(Mezmaiskaya)とスクラディナI-4A(Scladina I-4A)です(図1d)。主空間第20層の標本M71のmtDNAはデニソワ人型で、デニソワ2号および8号の基底部に位置します。主空間のネアンデルタール人の最も完全なmtDNA配列(M65、再構築されたミトコンドリアゲノムの99%以上)は、遺伝的推定年代が14万年前頃(95.4%最高事後密度区間で181000~98000年前)で、第19層の堆積年代(151000±17000~128000±13000年前)と一致します。
残りの171点の標本も、現生人類とネアンデルタール人とデニソワ人に分類されました。その結果、ネアンデルタール人のmtDNAは3系統が区別されました。まず、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下 、SHと省略)の43万年前頃のネアンデルタール人系統で、デニソワ人と最も密接に関連しています。次に、ドイツ南西部のホーレンシュタイン-シュターデル(Hohlenstein–Stadel)洞窟(以下HST洞窟と省略)の12万年前頃のネアンデルタール人系統で、他の全てのネアンデルタール人のmtDNAの基底部に位置します。最後に、「典型的な」ネアンデルタール人のmtDNAで、他の全てのネアンデルタール人はこれに区分されます。
古代の現生人類のmtDNAの存在は、現代人のDNA汚染の影響を軽減するため、脱アミノ化断片に分析を限定することにより評価されました。デニソワ人と典型的なネアンデルタール人のmtDNAはそれぞれ79点と47点の標本で、現生人類のmtDNAは35点の標本で識別されました。10点の標本で人類2集団のDNAが検出され、それは単一のライブラリ内の場合か、独立した下位標本から準備されたライブラリ全体にわたっている場合です。
さらに、HSTと典型的なネアンデルタール人のmtDNAに共有されている分枝を裏づける人類のmtDNA断片を含む1標本(主空間第20層のM76の)が特定されましたが、どちらの分枝もそれらの系統を定義していません(図1d)。この兆候は、ネアンデルタール人とデニソワ人と古代もしくは現代の現生人類からのmtDNA断片の混合により作成できません。祖先化したネアンデルタール人のmtDNAとのシミュレーションに基づくと、この標本のmtDNAはこれまで知られていなかったネアンデルタール人のmtDNA系統の存在と一致しており、典型的なネアンデルタール人のmtDNA系統とは255000~230000年前頃に分岐し、それはHSTと典型的なネアンデルタール人のmtDNA系統の分岐の20000~45000年後になる、と推定されます。
回収された最古の人類のmtDNAはデニソワ人に分類され、250000±44000年前に堆積が始まった主空間第21層に由来します。これは、デニソワ洞窟における人類の居住に関する最初期の遺伝的証拠を提供します。デニソワ2号はその下層となる第22.1層で発見されましたが、おそらく上層からの嵌入で、推定年代は194400~122700年前頃です(関連記事)。主空間と東空間のeMP層の標本223点のうち、50点はデニソワ人のmtDNAを含んでおり、ネアンデルタール人のmtDNAを含むのは3点だけで、それは全て主空間の第20層に由来します。この標本3点のうち2点(M174とM235)は典型的なネアンデルタール人のmtDNAを含んでおり、上の堆積物との小規模な混合が起きた可能性のある区画に由来します。もう1点の標本M76は第20層の中間に由来し、上述の未知のネアンデルタール人のmtDNA系統を有しています。
これらの結果は、eMP石器群の最初の主要な製作者がデニソワ人で、170000±19000年以上前だったことを示します。この解釈と一致して、以前の予備的研究(関連記事)では、東空間のeMP第14層の堆積物標本でネアンデルタール人のmtDNAが検出されましたが、これは不正確な分類に起因しており、後に東空間の第11.4層のmMPに修正されました。本論文の結果も、ネアンデルタール人がeMPの末にデニソワ洞窟に初めて居住し、それ故にその後の段階でこれら石器群の製作に寄与した可能性がある、と示唆します。
主空間と東空間のmMP 層(16万~6万年前頃)の173点の標本のうち40点で、ネアンデルタール人および/もしくはデニソワ人のmtDNAが検出され、6点の標本で両者が存在しました(図1a~c)。ネアンデルタール人およびデニソワ人両集団のmtDNAは、南空間の変形したMP層にも含まれています。注目されるのは、主空間と東空間の120000±11000~97000±11000年前の堆積物ではデニソワ人のmtDNAが検出されなかったものの、12点の標本にはネアンデルタール人のmtDNAが含まれていることです。これは、この期間にデニソワ洞窟に居住したのがネアンデルタール人だけで、おそらくは海洋酸素同位体ステージ(MIS)5の大半にわたっていたことを示唆します。
44000±5000~21000±8000年前となる主空間の第11.4層以上のIUPおよび上部旧石器時代(UP)層では、ネアンデルタール人のmtDNAが検出された第11.2層のIUP期の標本1点を除いて、古代の現生人類のmtDNAのみが検出されました。IUP石器群と現生人類の出現との間の関連は、47000±8000年前以後に堆積された、IUPとなる南空間第11層の標本1点の現生人類のmtDNAの回収により、さらに裏づけられます。東空間のこの状況はより複雑です。デニソワ人とネアンデルタール人と古代の現生人類のmtDNAがIUPとなる第11.2層で、ネアンデルタール人と古代の現生人類のmtDNAがIUPとなる第11.1層で回収されました(図1a)。これらの結果と、IUP石器群と関連する層からの2点のデニソワ人化石(デニソワ3号および4号)を考えると、現生人類に加えて、デニソワ人とネアンデルタール人がIUP石器群の製作期にデニソワ洞窟に存在した可能性を無視できません。
100以上の脱アミノ化された人類のmtDNA断片が検出された37点の標本のうち34点で、特定のネアンデルタール人およびデニソワ人のミトコンドリアゲノムとの類似性が特定されました(図1a~cの円以外の記号)。この分析により、250000±44000年前となる主空間と東空間のeMP層、および146000±11000年前となる東空間の最初のmMP層は、デニソワ2号およびデニソワ8号的なmtDNA断片を含みます。これは、80000±9000年前以後に堆積したmMP層で回収されたデニソワ人のmtDNAと対照的で、それらは南空間の標本群と同様にデニソワ3号および4号的な配列が検出されました。
これらの結果は、146000~80000年前頃のある時期に、デニソワ人のmtDNA配列に変化が起きたことを示唆し、おそらくは異なるデニソワ人集団を反映しています。本論文の結果は、デニソワ2号・3号・4号のモデル化された年代や、分子年代測定から推定されたデニソワ8号の相対的年代ともよく一致します(関連記事)。MIS5において、13万~10万年前頃(その後の2万年の時間差を考えると、恐らくはそれ以上)の堆積物には、ネアンデルタール人のmtDNAと化石の証拠のみが含まれており、デニソワ11号的なmtDNA配列は、8万年前頃以後の堆積物でのみ検出されます。
●非ヒト動物のmtDNA
現時点では主空間と東空間でのみ利用可能なデニソワ洞窟の古生物学的記録に存在する全ての大型哺乳類も、堆積物のDNAで特定されました。さらに、東空間第12層の標本1点でラクダ類の古代DNAが見つかり、デニソワ洞窟一帯におけるラクダ種(Camelus knoblochi)の更新世の存在と一致します。大型哺乳類とは対照的に、メクラネズミ類やウサギ科やリス科など小型哺乳類は、生物量が少ないか、捕獲調査の提示不足のため、遺伝的データがほとんど含まれていません。主空間の第22.1層と第21/20層の間のように、隣接する層の一部における動物相mtDNA構成間には鋭い境界があり、DNAの堆積後の浸出があったとしても限定的だった追加の証拠を提供します。
デニソワ洞窟における化石のひじょうに断片的な性質と、さまざまな種により堆積したかもしれないDNAの可変的な量にも関わらず、経時的な哺乳類のDNAの相対的存在量の変化は、ウシ科やハイエナ科やクマ科やイヌ科などの系統の骨格記録の変化とほぼ一致します。遺伝的データも、ゾウ科やクマ科やハイエナ科のように包括的参照データが利用可能な場合、種もしくは集団水準での動物相多様性の調査機会を提供します。ゾウ科のmtDNAは全ての層でおもにケナガマンモスに分類されましたが、クマ科種の相対的存在量は、187000±14000年前以前に堆積した層で検出されたおもにホラアナグマから、112000±12000年前以後に堆積した層で検出されたヒグマのみに変わりました。
また、以前に報告されたブチハイエナ属(ブチハイエナとドウクツハイエナ)のmtDNAハプログループ3系統(関連記事)の存在も検出されました。20万年前頃以前および12万~8万年前頃以後に堆積した層ではほとんど、アフリカのブチハイエナとヨーロッパのドウクツハイエナで見られるmtHg-Aが検出されましたが、中間の年代の層では、アジア東部のドウクツハイエナ(mtHg-D)とヨーロッパのドウクツハイエナの一部(mtHg-B)のmtDNAがおもに検出されました。したがってアルタイ山脈は、哺乳類骨格遺骸の研究で以前に示唆されたように、人類とハイエナや他の動物の異なる系統の接触地帯だったかもしれません。
堆積物のDNAから、大型哺乳類の少なくとも2回の大きな交代が明らかです(図2)。まず、ウシ科とイヌ科とウマ科とクマ科のmtDNA断片の相対的な割合の著しい変化と、ブチハイエナ属のmtHgの交代と、ホラアナグマからヒグマへの変化が19万年前頃に起き、これは間氷期のMIS7から氷期のMIS6への気候変化とほぼ同年代です。ネアンデルタール人のmtDNAの最初の痕跡もこの頃に出現します。次の交代は13万~10万もしくは8万年前頃に起き、MIS6~MIS5の気候変化の期間およびその後です。ウシ科とイヌ科とネコ科とクマ科のmtDNAの割合が減少した一方で、シカ科とウマ科の割合は増加し、ホラアナグマとブチハイエナ属の2系統のmtHgが消滅しました。この期間は、デニソワ洞窟の堆積物でデニソワ人のmtDNAが存在しないことでも注目されます。これらの変化は、人類と非ヒト動物の集団の交代がつながっており、生態学要因と関連していたかもしれない、と示唆します。以下は本論文の図2です。
●考察
175点の標本における古代の人類のmtDNAの識別は、デニソワ洞窟の堆積物から回収された人類化石の数を桁違いに上回り、更新世層のほぼ全てで人類の存在の遺伝的特性を提供します。これらのデータは685点の標本からの非ヒト動物のmtDNA配列により補完され、それは他の大型哺乳類の多様性とその相対的存在量の変化についての情報を提供します。しかし、人類と非ヒト動物の洞窟利用の推定された順序は、いくつかの要因により制約されることに注意が必要です。層序記録には2つの大きな間隙があること(170000~156000年前頃と97000~80000年前頃)、各堆積層の蓄積に固有の平均時間、穴掘り動物もしくは小規模な混合に起因する一部の層の堆積後の攪乱、年代推定に使用される光学的年代の精度です。
本論文の結果は、人類によるデニソワ洞窟利用の歴史を復元するだけではなく、人類の過去の理解へのより広範な示唆になります。まず、8万年前頃以後に堆積したデニソワ洞窟のmMP層で回収されたデニソワ人のmtDNA断片は一貫して、デニソワ3号および4号と最高の類似性を示し、ほぼ同年代(70000~45000年前頃)となる、チベット高原の北東面に位置する中華人民共和国甘粛省甘南チベット族自治州夏河(Xiahe)県の白石崖溶洞(Baishiya Karst Cave)の堆積物で回収されたmtDNA断片と同様です(関連記事)。このパターンは、デニソワ3号および4号のmtDNA系統が8万年前頃以後にはデニソワ人では最も豊富だったことを示唆します。
古生物学的研究では、更新世の哺乳類はアジア南東部からヒマラヤ山脈の東方山麓に沿ってアルタイ地域北西部に移住した、と示唆されています。これらの動物相の移動は、デニソワ人のアルタイ山脈への拡散を駆り立てたかもしれません。次に、17万年前頃以後のネアンデルタール人のmtDNAの存在は、ネアンデルタール人の歴史における初期の事象の年代をさらに制約します。43万年前頃となるSHの初期ネアンデルタール人で見つかったmtDNA系統は、43万~17万年前頃に現生人類により近い集団からの遺伝子移入により置換された、と推測されます(関連記事)。したがって、堆積物のDNAの高解像度鑑定は、骨格遺骸の発見とは関係なく、人類の進化史と古生態学の知識における間隙を埋める、効果的な手段を提供できます。
以上、本論文についてざっと見てきました。洞窟堆積物のDNA解析の進展は目覚ましく、最近もスペイン北部の洞窟の堆積物のネアンデルタール人の核DNA分析結果が報告されました(関連記事)。その研究は、アルタイ山脈のチャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)の堆積物のDNA解析結果も報告しています。更新世の人類遺骸はきわめて少ないだけに、今後は洞窟の堆積物のDNA解析が更新世人類の研究において大きな役割を果たすのではないか、と予想されます。日本人の私としては、更新世の人類遺骸がきわめて少ない日本列島での洞窟堆積物のDNA解析の進展に期待しています。
本論文の知見からは、デニソワ洞窟を最初に利用した人類はデニソワ人で、その後にネアンデルタール人が到来し、ネアンデルタール人のみが利用していた期間を経た後にデニソワ人が再度利用するようになり、45000年前頃以降はほぼ現生人類のみが利用していた、と考えられます。ただ、こうした動向がアルタイ山脈全域にも当てはまるのか、今後の研究の進展が期待されます。本論文が示唆するように、アルタイ山脈は人類に限らず複数の動物にとって異なる分類群の接触地帯だったかもしれません。遺骸から分布範囲がある程度推測できるネアンデルタール人は、ヨーロッパからアルタイ山脈へと東進してきた、と推測されます。一方デニソワ人に関しては、遺伝的データと形態学的データの照合が困難なので(関連記事)、洞窟堆積物のDNA解析により、分布範囲の推定が進むと期待されます。現時点での化石証拠と合わせて考えると、デニソワ人の主要な分布範囲はアジア東部で、時としてアルタイ山脈へと西進してきたのかもしれません。
また本論文は、デニソワ洞窟ではIUP期に現生人類だけではなくネアンデルタール人とデニソワ人も存在した可能性を指摘します。古代ゲノムデータと考古学的データとを組み合わせた最近の研究では、出アフリカ現生人類で遺伝的にユーラシア東部系統に分類される集団とIUPの拡大が関連づけられています(関連記事)。その研究からは、ヨーロッパにおけるIUP現生人類集団とネアンデルタール人との共存が示唆されます。その意味で、アルタイ山脈においてもIUP現生人類集団とネアンデルタール人やデニソワ人との共存があったとも考えられ、そこで遺伝的な側面とともに石器技術など文化面でも相互作用が起きたかもしれません。近年の古代DNA研究の進展は目覚ましく、考古学や形態学や古気候学など関連分野との関連づけも進んでいくのではないか、と期待されます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用です。
進化:デニソワ洞窟に居住していたのは誰?
ロシアのデニソワ洞窟では、デニソワ人がネアンデルタール人よりも前から居住していた可能性のあることを報告する論文が、今週、Nature に掲載される。今回の研究で、最終氷期にユーラシアに住んでいたヒト集団の理解を深める重要な考古学的遺跡であるデニソワ洞窟での居住に関する年表が明らかになった。
デニソワ洞窟で発見された化石から抽出された古DNAについて、これまでに実施された解析からは、この洞窟にネアンデルタール人、デニソワ人、両者の混血の子孫が居住していたことが明らかになっていた。しかし、遺骸化石の数が少ないため、居住の時期と順序は不明のままだった。今回、Elena Zavalaたちの研究チームは、この問題を解決するために、30万~2万年前の700点以上の堆積物試料を収集し、堆積物中の有機物(例えば、ヒトや動物の遺骸の微細な断片)に由来すると考えられるDNAを抽出した。これらの試料のうちの175点からヒト族のミトコンドリアDNAが回収された。25万~17万年前のものとされた旧石器時代の石器との関連性を有する最古のヒト族DNAはデニソワ人のDNAで、最古のネアンデルタール人のDNAは旧石器時代の終わり頃のものだった。
685点の堆積物試料からは動物のミトコンドリアDNAが検出され、さらなる状況が明らかになった。ヒト族のミトコンドリアDNAには複数回のターンオーバーが見られ、それに加えて、動物(例えば、イヌ科、クマ科、ウマ科の動物)のミトコンドリアDNAの組成にも変化が認められた。Zavalaたちは、気候の変化に応じて、さまざまなヒト族と動物が現れて、洞窟内で居住し、去っていったという考えを示している。また、Zavalaたちは、約4万5000年前の堆積物試料から現生人類のミトコンドリアDNAを初めて検出したことから、デニソワ人とネアンデルタール人が、この洞窟に繰り返し居住し、それが4万5000年前頃まで続いたと考えている。デニソワ洞窟で現生人類の化石が発見されていないため、今回の研究では、ヒトの進化史を解明するのに役立つ堆積物分析の価値についても強調されている。
参考文献:
Zavala EI. et al.(2021): Pleistocene sediment DNA reveals hominin and faunal turnovers at Denisova Cave. Nature, 595, 7867, 399–403.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03675-0
追記(2021年7月15日)
本論文が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、以下に『ネイチャー』の日本語サイトから引用します。
進化学:更新世の堆積物中のDNAから明らかになった、デニソワ洞窟におけるヒト族および動物相の入れ替わり
進化学:堆積物中の古代DNAから得られた、デニソワ洞窟のヒト族と動物相に関する知見
ロシアのデニソワ洞窟からはヒト族の遺骸が数多く出土しているが、異なるヒト族集団がこの洞窟に居住した時期と順序、そうした集団の考古学的遺物や環境的背景との関連性についてはあまり分かっていない。今回E Zavalaたちは、デニソワ洞窟の3つの空洞全てにおいて、30万~2万年前の地層断面から堆積物を系統的に採取し、計728点の堆積物試料についてDNA解析を行った結果を報告している。175点の試料からヒト族のミトコンドリアDNA(mtDNA)断片が回収され、この洞窟にはデニソワ人がネアンデルタール人よりも先に居住したこと、そして、この遺跡の歴史全体を通してヒト族集団の入れ替わりが複数回あったことが明らかになった。現生人類のmtDNAは後期旧石器時代の層でしか発見されていない。動物相のmtDNAからは大型哺乳類の入れ替わりも明らかになり、それらが、今回調べられた期間に起こったいくつかの気候変動事象と関連する可能性が示された。
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