アルタイ山脈のネアンデルタール人の新たなゲノムデータ(追記有)

 シベリア南部のアルタイ山脈のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の新たなゲノムデータに関する研究が報道されました。この研究は、今月(2021年6月)1~4日にかけてオンラインで開催された第9回生体分子考古学国際研究討論会で報告されたそうです。この研究が論文として公表されるのはしばらく後かもしれませんが、たいへん興味深いので取り上げます。

 49000年以上前、ネアンデルタール人がシベリアのアルタイ山脈に存在した時、バイソンやアカシカや野生ウマが存在しました。洞窟の主空間で、10代の少女が、父親もしくはその親族が広大な草原で狩ってきたバイソンをかじっているさいに歯を失いました。現在、研究者たちはこの父と娘およびその親族12個体のゲノムを分析しています。これらの個体の多くは100年以内に同じ洞窟で暮らしていました。これらの新たなゲノムが得られた個体数は、ゲノムデータが得られている既知のネアンデルタール人個体数(19個体)と近く、ネアンデルタール人の分布範囲の東端における、絶滅の危機に瀕していた頃のネアンデルタール人集団およびその社会構造の手がかりを提供します。これら新たな古代ゲノムデータから、ネアンデルタール人における最初の父親と娘の組み合わせが特定され、多くの現代人社会のように、男性たちが成人として家族集団に留まっていたことが示唆されます。この新たなゲノムデータの意義の一つは、既知のゲノムデータが得られているネアンデルタール人は女性が多かったのに対して、男性が多いことです。

 この研究は、アルタイ山脈のチャギルスカヤ(Chagyrskaya)洞窟とオクラドニコフ(Okladnikov)洞窟で発見された歯・骨片・顎骨などのネアンデルタール人遺骸から、DNAを抽出して解析しました。ネアンデルタール人遺骸の周囲の堆積物の光刺激ルミネッセンス法(OSL)によると、これらネアンデルタール人遺骸の年代は59000~49000年前頃と推定されます。チャギルスカヤ洞窟とオクラドニコフ洞窟は、種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)が発見されたデニソワ洞窟(Denisova Cave)の近くに位置し、27万~5万年前頃にかけてデニソワ人とネアンデルタール人の双方が断続的にデニソワ洞窟を利用しました(関連記事)。

 この研究は、チャギルスカヤ洞窟の男性7個体と女性5個体、オクラドニコフ洞窟の男女1個体ずつのゲノムの、70万ヶ所以上の部位を分析しました。その結果、家族関係が明らかになり、チャギルスカヤ洞窟の1点の骨片は父親で、歯はその10代の娘でした。一部の個体は、2種類のミトコンドリアDNA(mtDNA)を共有していました。これらのゲノムはまだ相互に区別されないので、同じ世紀に生きていたに違いありません。

 ゲノムデータからはネアンデルタール人の社会構造も推測されました。チャギルスカヤ洞窟の男性数人は、同じ最近の祖先からの同一の核DNAの長い塊を有していました。彼らのY染色体も同じで、既知のネアンデルタール人男性と同様に(関連記事)、(広義の)現生人類(Homo sapiens)系統に由来します(デニソワ人よりも現生人類の方と近いことになります)。また核DNA解析では、これらのネアンデルタール人が同じアルタイ山脈のデニソワ洞窟で発見されたそれ以前のネアンデルタール人個体(関連記事)よりも、スペインで発見されたそれ以降のネアンデルタール人の方に近いことも明らかになり、移住が示唆されます。

 新たにゲノムデータが得られたアルタイ山脈のネアンデルタール人個体群で見られる男性間の遺伝的類似性は、これらのネアンデルタール人が子供のいる男性数百人程度の1人口集団に属していたことを示唆します。これは、絶滅危惧種である現代のマウンテンゴリラ(Gorilla beringei beringei)の繁殖年齢の男性とほぼ同じ数です。この推定が妥当ならば、この時期のアルタイ山脈のネアンデルタール人は絶滅の危機に瀕していたことになるでしょう。Y染色体と核DNAとは対照的に、これら新たにゲノムデータが得られたアルタイ山脈のネアンデルタール人のmtDNAは比較的多様で、男性よりも女性の祖先の方が人口集団の遺伝的多様性に寄与したことを示唆します。これは創始者効果の可能性があり、最初の集団では女性よりも男性の方が子孫を残す個体数は少なかったかもしれません。あるいは、これはネアンデルタール人社会の性質を反映している可能性があります。子孫を残すのは女性よりも男性の方が少なかったか、女性が頻繁に集団間を移動していた、というわけです。

 この研究は後者の可能性を示唆します。モデル化研究では、ヨーロッパからシベリアへ拡大する移民の小集団が、ほとんど女性で男性が少ない可能性は低い、と示します。代わりに、これらのネアンデルタール人は30~110個体の繁殖可能な成人で構成されるひじょうに小さな集団で暮らしており、若い女性は出生集団を去って配偶相手の家族と暮らす、と考えられます。ほとんどの現代人の文化も父方居住で、ネアンデルタール人と現生人類の類似性を示すもう一つの慣行です。ただ、この研究は、14個体のゲノムでは全てのネアンデルタール人の社会生活を明らかにできない、と注意を喚起します。また、この研究は、男性の低い遺伝的多様性に不吉な兆候を見出します。ネアンデルタール人は絶滅に近づいており、この新たにゲノムデータが得られた個体群から5000~10000年後にネアンデルタール人は絶滅しました。


 以上、この研究に関する報道についてざっと見てきました。この研究は、ネアンデルタール人14個体のゲノムデータを一気に報告し、その中にこれまでゲノムデータの少なかった男性が多く含まれる点で、画期的と言えるでしょう。とくに注目されるのはネアンデルタール人の社会構造で、イベリア半島北部のネアンデルタール人に関する以前の研究で示唆されていたように(関連記事)、59000~49000年前頃のアルタイ山脈のネアンデルタール人集団も父方居住である可能性が示唆されました。もちろん、この研究が指摘するように、これがネアンデルタール人社会全体に当てはまるとは断定できませんが、同じ頃の遠く離れたネアンデルタール人社会において類似の社会行動が見られるわけですから、ネアンデルタール人社会の全てではないとしても、広範囲に父方居住が行なわれていた可能性は高いように思います。

 現代人およびネアンデルタール人の直接的祖先ではないだろうアウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)およびパラントロプス・ロブストス(Paranthropus robustus)では、男性よりも女性の方が移動範囲は広く(関連記事)、現代人も含む現生霊長類では母系社会の方が優勢ですが、現代人も含まれるその下位区分の現生類人猿(ヒト上科)は、オランウータンに関してはやや母系に傾いていると言えるかもしれないものの、現代人の一部を除いて非母系社会を形成します。現代人と最近縁の現生系統であるチンパンジー属(チンパンジーおよびボノボ)は父系社会を形成し、次に近縁な現生系統であるゴリラ属は、非単系もしくは無系と区分すべきかもしれませんが、一部の社会においては父親と息子が共存して配偶者を分け合い、互いに独占的な配偶関係を保ちながら集団を維持するという、父系的社会を形成しています(関連記事)。

 これらの知見を踏まえると、現代人(ホモ属)とチンパンジー属とゴリラ属の最終共通祖先の段階では、非母系社会もしくは時として父系に傾いた社会が見られ、現代人とチンパンジー属の最終共通祖先の段階では、かなり父系に傾いた社会が形成されていたのではないか、と推測されます。人類はチンパンジー属との分岐後も長く父系的な社会を維持していたものの、現代人につながる進化系統のどこかの時点で、出生集団から離れて他の集団に移っても元の集団への帰属意識を持ち続けるようになり、そうした特徴が人類社会を重層的に組織化した(関連記事)、と考えられます。これは、現代人が多くの場合複数の自己認識・帰属意識を有することと関連しているのでしょう。私は、こうした現代人社会の基本的な特徴を双系的と考えています(関連記事)。それ故に、現代人は父系に偏った社会から母系に偏った社会まで、さまざまな形態の社会が存在するのだろう、というわけです。現代人社会に父方居住が多いのは、単に農耕開始以降の社会構造の変化(国家形成など)が原因ではなく、元々進化史において長期にわたって父系的な社会が維持されていたからだろう、と私は考えています。

 これまでの知見からは、ネアンデルタール人社会で強く示唆される父方居住は、現生人類との類似性というよりは、チンパンジー属との最終共通祖先までさかのぼるかもしれない行動に進化的起源がある、と評価する方が妥当なように思います。ネアンデルタール人社会には、現生人類社会で見られるような、出生集団から離れて他の集団に移っても元の集団への帰属意識を持ち続けるようなことがあった、ということを示す強力な証拠はまだないように思います。しかし、ネアンデルタール人社会でも黒曜石の長距離移動の事例が報告されており、ある程度以上の広域的な社会的ネットワークが存在した可能性は高そうですから(関連記事)、現生人類との違いがあるとしても、ネアンデルタール人社会においても、出生集団から離れて他の集団に移っても元の集団への帰属意識を持ち続けるようなことはあったかもしれません。


追記(2022年10月23日)
 この研究が『ネイチャー』本誌に掲載されたので、当ブログで取り上げました(関連記事)。

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