東アジアの考古学は国の歴史以外のなにものでもない
検索して見つけた報告(吉田.,2017)で、表題の興味深い指摘を知りました。この報告によると、「東アジア」諸国の考古学は以下の3種類に区分されているそうです。それは、中華人民共和国とベトナム社会主義共和国と朝鮮民主主義人民共和国で顕著な「土着発展(The indigenous development model)」型、日本国で顕著な「同一性連続(The continuity with assimilation model)」型、大韓民国で顕著な「単一始祖系譜(The single ancestral antecedent model)」型です。
おそらく現在では、各国において程度の差はあれども、こうした現代の国家を前提とした考古学研究は相対化されつつあるでしょうが、歴史教育などを通じて一般層には強い影響力を及ぼし続けているかもしれません。「東アジア」とあるように、これらの国々は漢字文化圏だった地域が主体となって成立し、今ではベトナム社会主義共和国は完全に漢字文化圏から離脱し、朝鮮民主主義人民共和国はかなりの程度、大韓民国は一定程度離脱した、と言えるかもしれません。まだ漢字文化圏と言える中華人民共和国と日本国に関しても、前者は簡体字、後者は常用漢字の使用が一般的となり、前近代の漢字文化とはかなり異なっている、とも評価できるでしょう。こうした「一国的」考古学の在り様は前近代の漢字文化に由来する、とも考えたくなりますが、近代化における一般的な反応と評価する方が妥当かもしれません。また「土着発展」型に関しては、社会主義との関連も想定すべきかもしれません。
ベトナム社会主義共和国と朝鮮民主主義人民共和国の事情はよく知りませんが、大韓民国に関しては、20世紀末の高校の歴史教科書『新版 韓国の歴史―国定韓国高等学校歴史教科書』において、
どの国の歴史でもすべての種族は近隣の種族と交流して文化を発展させ、民族を形成してきた。
東アジアでは先史時代に諸民族が文化の花を開かせたが、そのなかでもわが民族は独特の文化を作りあげていた。人種上では黄色人種に属し、言語学上ではアルタイ語系に属するわが民訴は、久しい以前から一つの民族単位を形成し、農耕生活を基礎にして独自な文化を築きあげた。
われわれの祖先はだいたい、遼西、満州、韓半島を中心にした東北アジアに広く分布していた。わが国に人が住みはじめたのは旧石器時代からであり、新石器時代から青銅器時代を経る過程で民族の基礎が築きあげられるようになった。
と述べられており(P30)、「一国的」考古学が窺えます。日本国に関しては、本報告において、「左右」両方の政治的立場で、同質的な日本を前提とし、それが縄文時代にまでさかのぼるという認識がある、と指摘されています。
中華人民共和国における「土着発展」型考古学との認識は、中華人民共和国がかつては現生人類(Homo sapiens)多地域進化説の主要拠点の一つだったこと(関連記事)を考えると、説得力があるように思います。「土着発展」型考古学は、長期にわたる地域的発展の連続性を前提として、現生人類多地域進化説ときわめて親和的です。アジア東部における現生人類多地域進化説の根拠としてよく言われていたのがシャベル型切歯で、貝塚茂樹・伊藤道治『古代中国』など一般向けの歴史書でも取り上げられたことから(P44~45)、現在でも日本ではアジア東部におけるホモ・エレクトス(Homo erectus)から現代人への連続性の根拠と考える人が一定以上いるかもしれません。しかし、シャベル型切歯の遺伝的基盤となる変異は派生的で、3万年前頃(分子時計は確定的ではないので、この年代は前後する可能性があります)と現生人類の進化史でもかなり最近になって出現したと推測されており、「北京原人」からアジア東部現代人の連続的な進化、あるいは「北京原人」から(他の絶滅ホモ属を経由して)の遺伝子流動による表現型と考えることは無理筋と言うべきでしょう(関連記事)。
問題となるのは、今ではほぼ否定された「北京原人」など非現生人類ホモ属から現代人に至る地域的連続性だけではなく、現生人類の地域的連続性です。これは古代DNA研究の進展に伴ってますます明らかになりつつあり、ヨーロッパ(関連記事)でもアジア東部北方(関連記事)でも、最初期の現生人類集団は同地域の現代人にほとんど遺伝的影響を及ぼしていない、と推測されています。しかし近年(2019年)でも、地域的連続性を前提として現生人類の起源を論ずる研究が有力誌に掲載され、強く批判された事例があるように(関連記事)、人類集団の地域的連続性を前提とする認識は今でも根強いのかもしれません。今後、アジア東部に関して、この問題を取り上げる予定です。
参考文献:
貝塚茂樹、伊藤道治(2000)『古代中国』(講談社)
申奎燮、大槻健、君島和彦訳『新版 韓国の歴史―国定韓国高等学校歴史教科書』(明石書店、2000年)
吉田泰幸(2017)「縄文と現代日本のイデオロギー」『文化資源学セミナー「考古学と現代社会」2013-2016』P264-270
https://doi.org/10.24517/00049063
おそらく現在では、各国において程度の差はあれども、こうした現代の国家を前提とした考古学研究は相対化されつつあるでしょうが、歴史教育などを通じて一般層には強い影響力を及ぼし続けているかもしれません。「東アジア」とあるように、これらの国々は漢字文化圏だった地域が主体となって成立し、今ではベトナム社会主義共和国は完全に漢字文化圏から離脱し、朝鮮民主主義人民共和国はかなりの程度、大韓民国は一定程度離脱した、と言えるかもしれません。まだ漢字文化圏と言える中華人民共和国と日本国に関しても、前者は簡体字、後者は常用漢字の使用が一般的となり、前近代の漢字文化とはかなり異なっている、とも評価できるでしょう。こうした「一国的」考古学の在り様は前近代の漢字文化に由来する、とも考えたくなりますが、近代化における一般的な反応と評価する方が妥当かもしれません。また「土着発展」型に関しては、社会主義との関連も想定すべきかもしれません。
ベトナム社会主義共和国と朝鮮民主主義人民共和国の事情はよく知りませんが、大韓民国に関しては、20世紀末の高校の歴史教科書『新版 韓国の歴史―国定韓国高等学校歴史教科書』において、
どの国の歴史でもすべての種族は近隣の種族と交流して文化を発展させ、民族を形成してきた。
東アジアでは先史時代に諸民族が文化の花を開かせたが、そのなかでもわが民族は独特の文化を作りあげていた。人種上では黄色人種に属し、言語学上ではアルタイ語系に属するわが民訴は、久しい以前から一つの民族単位を形成し、農耕生活を基礎にして独自な文化を築きあげた。
われわれの祖先はだいたい、遼西、満州、韓半島を中心にした東北アジアに広く分布していた。わが国に人が住みはじめたのは旧石器時代からであり、新石器時代から青銅器時代を経る過程で民族の基礎が築きあげられるようになった。
と述べられており(P30)、「一国的」考古学が窺えます。日本国に関しては、本報告において、「左右」両方の政治的立場で、同質的な日本を前提とし、それが縄文時代にまでさかのぼるという認識がある、と指摘されています。
中華人民共和国における「土着発展」型考古学との認識は、中華人民共和国がかつては現生人類(Homo sapiens)多地域進化説の主要拠点の一つだったこと(関連記事)を考えると、説得力があるように思います。「土着発展」型考古学は、長期にわたる地域的発展の連続性を前提として、現生人類多地域進化説ときわめて親和的です。アジア東部における現生人類多地域進化説の根拠としてよく言われていたのがシャベル型切歯で、貝塚茂樹・伊藤道治『古代中国』など一般向けの歴史書でも取り上げられたことから(P44~45)、現在でも日本ではアジア東部におけるホモ・エレクトス(Homo erectus)から現代人への連続性の根拠と考える人が一定以上いるかもしれません。しかし、シャベル型切歯の遺伝的基盤となる変異は派生的で、3万年前頃(分子時計は確定的ではないので、この年代は前後する可能性があります)と現生人類の進化史でもかなり最近になって出現したと推測されており、「北京原人」からアジア東部現代人の連続的な進化、あるいは「北京原人」から(他の絶滅ホモ属を経由して)の遺伝子流動による表現型と考えることは無理筋と言うべきでしょう(関連記事)。
問題となるのは、今ではほぼ否定された「北京原人」など非現生人類ホモ属から現代人に至る地域的連続性だけではなく、現生人類の地域的連続性です。これは古代DNA研究の進展に伴ってますます明らかになりつつあり、ヨーロッパ(関連記事)でもアジア東部北方(関連記事)でも、最初期の現生人類集団は同地域の現代人にほとんど遺伝的影響を及ぼしていない、と推測されています。しかし近年(2019年)でも、地域的連続性を前提として現生人類の起源を論ずる研究が有力誌に掲載され、強く批判された事例があるように(関連記事)、人類集団の地域的連続性を前提とする認識は今でも根強いのかもしれません。今後、アジア東部に関して、この問題を取り上げる予定です。
参考文献:
貝塚茂樹、伊藤道治(2000)『古代中国』(講談社)
申奎燮、大槻健、君島和彦訳『新版 韓国の歴史―国定韓国高等学校歴史教科書』(明石書店、2000年)
吉田泰幸(2017)「縄文と現代日本のイデオロギー」『文化資源学セミナー「考古学と現代社会」2013-2016』P264-270
https://doi.org/10.24517/00049063
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