仲田大人「人口モデルと日本旧石器考古学」

 本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A01「アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築」2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 32)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P92-100)。この他にも興味深そうな論文があるので、今後読んでいくつもりです。

 本論文は、考古学と文化進化研究との接点を、とくに人口や集団規模との関係を論じた研究に限定して整理しています。人口統計と文化進化についての論文には相反する二つの立場があり、それらの相違を俯瞰して、考古学から文化進化研究にどんな貢献ができそうか、取り組むべき課題を見つける、というわけです。文化進化研究では、考古データや民族誌学データをそれぞれ用いて、生態的・文化的変数と文化変化の相関を調べています。それによって提示されるモデルは、考古学からみてもイメージ通りと思うこと、また逆に、意表を突かれることもあり興味深いものです。それ以上に、他分野でのモデルを知ることは、考古学が前提としてきた見方や条件を点検する良い機会でもあります。文化進化研究で用いられるデータセットは民族誌学のそれが多いものの、考古学であれば、何を、どのように提示をすればよいのか、考えさせてくれます。

 文化変化と人口との相関については、豊富な考古データを擁する日本の旧石器考古学でも検討してみる価値は充分あると考えられ、それはまた石器文化モデルの構築という作業としても有意義な作業になるでしょう。最近では、文化進化研究の概要を知るのに適した邦訳書が相次いで刊行され(関連記事1および関連記事2)、また、このテーマを扱った入門書・教科書においては、文理の境をほとんど感じさせない脱領域的な状況が、日本考古学において芽生えつつあることも読みとれます。以下では、日本の旧石器考古学と文化進化研究との協同を模索する方向で、文化進化モデルの論文をいくつかが取り上げられ、その内容が確認されていきます。なお、今回は体系的な文献渉猟は試みていないので、それは今後の取り組みとして考えている。


●文化進化と集団規模

 なかなか定義しにくいという意味において、文化の概念はとらえどころがありません。考古学においても伝統的な見方、つまりチャイルド(Vere Gordon Childe)のように考古学的実体を措定してその組み合わせを文化と見立てるものや、それを批判してもっと動的なシステムとみなすもの、あるいは主体やその行為実践に文化をみる社会学的な見方など、さまざまな見解が提示されてきました。それでいて、「文化」について互いに意思疎通がなされている状況は奇妙でもあります。文化進化研究では、文化は情報と把握されています。これは生活知識や習慣、成員の性向や信条などを広くかつ単純に述べたもので、技術も情報の一つとみなされます。情報は他から伝えられたり、学んだりするものであることが何よりも重要です。文化進化とは、そうした情報がある集団においてどのくらい継承され、共有されているかどうか、その時間的な変化のことを指します。

 文化進化研究では変化・変異のパターンと人口統計との相関が一つの主題で、進化という観点から変化のモデルが示されています。その重要論文としてとりあげられるのがスティーブン・シェナン(Stephen Shennan)氏とジョセフ・ヘンリック(Joseph Henrich)氏の研究です。これらは、考古学者が参照しても、文化変化について人口の役割がどれだけ重要なものか、改めて考えさせてくれます。ある集団内で、なぜ文化革新が起きて模倣されるのか、という問題に関して、シェナン氏の2001年の研究のシミュレーションでは、孤立した小さな集団では文化形質の模倣率も集団の適応率も低いのに対して、大きい集団では模倣率も適応率も高い、との結果が提示されています。大きな個体群の方がより小さな個体群よりも文化情報の維持という点では有利に働く、というわけです。これは、大きい集団には「優れた人物(biological fitter)」が多く、学習者が模倣のお手本を見つけやすいのに対し、集団が小さいとお手本も少なくなるため、文化形質がその集団内でしか維持されなくなるからだ、とシェナンは指摘します。シェナン氏はこのモデルを用いて、アフリカの中期石器時代文化の多様性と比較してのアジア南東部やオセアニアの旧石器文化との相違を、74000年前頃となるスマトラ島のトバ大噴火に伴う人口のボトルネック(瓶首効果)と、その後の人口回復が論じられます。

 ヘンリック氏の2004年の論文は、文化進化と人口・集団規模をめぐって論争を引き起こすきっかけにもなった、重要な研究です。文化(=情報)は世代を越えて継承され、同時に蓄積も進みます。文化情報とは、要するに適応度を高める技能やその蓄積のことです。つまり、累積的で適応的なものであり、そうした文化情報を生み出して実践していくには、社会学習者の数(規模や密度)が何よりも求められます。もしその数が少なくなれば、複雑な技能や技術を実践していくのが難しくなります。学習者間での相互作用が低くなれば、習得された文化情報の蓄積や維持が望めなくなるからです。その一方で、模倣するにも手間のかからない単純な技能は、情報として蓄積されるとも考えられています。

 このモデルで、ヘンリック氏たちは、タスマニアの技術的損失について、気候変化によってオーストラリア南部の社会的ネットワークから孤立し、利用可能な土地面積と社会学習者が減少したこととの相関を指摘しています。これはまた、現代人的行動のような複雑な文化情報の累積的進化を調べる場合にも引用されています(関連記事)。シミュレーションによると、複雑なスキルはメタ集団の絶対的な大きさというより、むしろ下位集団、つまりそこに含まれる文化伝達集団相互の頻繁な移動と接触によって蓄積・維持され得る、と指摘されています。

 このように文化進化と人口・集団規模との関係については、シェナン氏とヘンリック氏の研究に基本を負うところが大きいものの、この理論モデルについてはその是非をめぐって、その後いろいろ検討されています。現状では、人口や集団規模と文化的複雑さの関係を支持するものと、影響は見出せず、別のモデルが提案される、との見解が並立した状況のようです。そこで以下では、後者の立場を積極的にとるマーク・コラード(Mark Collard)氏たちの議論が取り上げられます。


●文化進化とリスク戦略

 考古学や民族誌学などでは、なぜ集団によって複雑な道具組成を持つのか、道具の数に大きな偏りが見られるのか、などの理由を考え、いくつかのモデルを提案してきました。コラード氏たちは、それを以下の4点にまとめ、いずれのモデルが妥当なのか、検証しました。そのモデルとは、オズワルド(Wendell H. Oswalt)氏の食料資源の性格、トレンス(Robin Torrence)氏の資源獲得のリスク、ショット(Michael J. Shott)氏の集団の居住形態、ヘンリック氏の人口規模である。

 オズワルド氏のモデルは、食料資源が植物か動物か、つまり対象物が移動するものかそうでないかにより、道具の数や種類などの複雑さが変わる、というものです。食料資源対象の移動性が高いほど道具は複雑でかつその数も多くなる、と指摘されています。トレンス氏のモデルはオズワルド氏のモデルの改良版と言えそうです。トレンス氏は、緯度が高くなるほど食用資源としての植物の数が減少し、動物資源に依存することになるので資源の追跡時間が大きくなり、それが道具の数や複雑さと関係している、と考えました。これは時間圧モデルと呼ばれ、後にトレンス氏は、精巧で複雑な道具が用意されていることは、それだけ資源入手のための高いリスクを回避するものだ、とのリスク回避モデルを採用します。その方針転換を促したのがショット氏で、居住移動性の高さと運搬コストを考慮したモデルを提案しました。移動頻度の高い場合や長距離を移動する場合、その道具組成の多様性は低くなります。これは、移動民の道具が少ない数の道具をより幅広いタスクに用いる、と意味します。またその分、専門的な道具の数も少ない、といった特徴もあります。ヘンリック氏のモデルは上述のように、人口規模と複雑な技能や道具の多様性は相関する、というものです。

 これらのうち、食料獲得のための道具の複雑性に影響を与えている変数を調べるため、コラード氏たちはいくつかの変数間での検定を実行しました。そこで支持されたモデルは、資源リスクへの対応と、道具組成やその構造の複雑さに相関が見られる、というものでした。しかし、コラード氏たちはこの結果をいったん保留します。コラード氏たちは、選んだ変数(有効温度と地上生産数)や集団標本に偏りがあると認めて、自らのモデルを再検討しました。有効温度や地上純生産数がリスク回避モデルを支持する変数だと主張されましたが、これらの変数はおもに植物利用者に関連するもので、動物資源の利用者にとって重要ではない、というわけです。

 コラード氏たちは2011年の論文で、再度リスク回避モデルを検証しました。接触期の北アメリカ大陸西海岸狩猟民を対象に改めてデータが選ばれ、海岸部と高原にそれぞれ居住する16集団が対象とされました。しかし、この場合も結果は芳しくなく、生態学的な変数は海岸部と比較して高原地域のリスクが高いことは示せたものの、道具組成との相関が見られませんでした。この結果についてコラード氏たちは、海岸部と高原の生態学的なリスク差が大きくなく、それ故に道具組成や構造に違いが見つからなかったのだろう、と解釈しました。

 コラード氏たちは2013年の論文で、標本数を80以上に増やして点検してみたところ、降水量と地上での純生産量の二つの変数で、道具組成・構造との間に相関が見られました。集団規模が小さい狩猟採集民では、食糧生産者に比べてその道具組成に環境や資源へのリスク回避が働いている場合が多い、というわけです。これは、何を食糧とするか、つまり生産形態や社会の違いにより採用されるモデルも変わってくることを意味しているのではないか、とコラード氏たちは指摘します。じっさい、食糧生産者の道具組成を調べたコラード氏たちの2013年の論文では、リスク回避モデルよりも人口モデルが支持される結果となっています。

 しかし、たとえ小さな集団であったとしても、ヘンリック氏やパウエル(Adam Powell)氏たちが予測しているように、集団の移動や接触で文化進化は促されます。ストラスバーグ(Sarah Saxton Strassberg)氏とクレンザ(Nicole Creanza)氏は、2021年の論文、集団間の接続についての研究を紹介しています。新しい道具をある集団の道具組成に取り入れてあげると、その集団間で共有される道具の数が増えていくというもので、接続性が道具組成の規模と正の相関関係があることを示唆しています。多くの道具を持つ大きな集団に接続すると、新しい道具の導入可能性があり、反対に、単純な道具組成しか持たない小集団と接続しても、それほど有益にはならない、というわけです。

 こうしたモデルの不一致について、いくつかの論文で気づかされるのは、標本抽出や量的な問題、またデータの使用法に関することです。文化進化モデルの提示を受けて、考古学の側も自らのデータについて洗い直してみたり、考古データとはどういう性質のものなのか、それを理解したりすることが、考古学にとって一層必要な作業になるでしょう。さらに、その認識を異分野間の研究者で共有することが最重要課題となります。


●考古学による人口推定

 これらのモデルのうち、著者が興味を持っているのは人口モデルです。その他のモデルについても関心はあるものの、人口モデルは、石器文化や石器技術がどれだけの人々により支えられてきたのか、という素朴な疑問に最も迫るモデルだから、というわけです。しかし、人口や集団規模サイズを考古学的データから見出していくには、いくつかの前提や条件を踏まえたうえで作業せざるを得ません。たとえば、遺跡数や遺構数を用いる場合は、人が増えれば、考古学的な指標も比例して増えるという単純な論理を前提にしています。じっさい、この手法は、研究者が経験的に感じる部分と相まって、分かりやすいといえば聞こえはよいものの、遺跡数や遺構数は調査における標本抽出の偏りが深く、大きくか変わります。また、居住形態による遺跡利用の違いや、一つの遺跡が実際に一つの集団により利用されたのか、などの見極めも必要です。

 石器群の年代値(放射性炭素年代)は考古事象の豊富さを反映する属性であると考えて、人口の復原に用いられる研究もよくある手法です。しかし、これにも標本抽出や統計的な問題が伴います。標本抽出では、たとえば遺跡や遺構にどれだけ試料が残っているのか、回収率では、発掘した場所や遺構の性質などで、大きく異なってきます。また、研究者がどの時期の遺跡の年代に興味があるか、つまり調査者の研究対象によっても、試料への選択が作用します。測定値の網羅性も問題で、あるデータセットにおいてどれだけ測定値がまとっているかにより、推定される人口値に影響が出る、と予想できます。さらに、データをどう統計的に処理するか、その手法の適切さも問われ続けるでしょう。

 考古データからの人口推定は困難な作業です。遺跡や遺構数にしても年代値のセットにしても、それらは人口に見立てる代替データであり、人口変化についての記述に変換する方策が取られているにすぎなません。それを承知で人口復元を試みようとするならば、できるだけ考古データと年代データが揃っている地域を取り上げ、量的な保証を伴った人口モデルを立てるしかありません。さらに、数値として時間的な変化や地域的な差異が目に見えることも必要です。

 その一例として、メラーズ(Paul Mellars)氏とフレンチ(Jennifer C. French)氏の研究が挙げられます(関連記事)。これは、フランス南西部の現生人類(Homo sapiens)遺跡と絶滅ホモ属(古代型ホモ属)、具体的にはネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)遺跡の規模を比較した論文で、表題で現生人類遺跡の規模の大きさが示されています。この論文で採用された遺跡規模を調べる方法は、面倒な手続きが必要ではなく、日本の旧石器遺跡でも検討できます。ごく簡単に言えば、遺跡規模を密度値で示すものです。観察項目は、遺跡の調査面積、出土石器の総数、二次加工石器の総数、遺跡の継続年代です。これに動物遺骸の最小個体数や重量も加えて遺跡規模サイズが推定され、それが人口量に見立てられます。人工物や動物遺骸の密度値を1000年あたりの値に揃えることで、石器文化により継続期間が異なる場合の遺跡を比較対象とできます。日本列島で行なうのならば、石器密度はこの方法で問題なく調べられます。日本列島では動物遺骸は欠落してしまいますが、これを母岩別・個体別資料の点数や重量に置き換えて、遺跡における居住強度と関連づけて人口を考えてもよいかもしれません。

 この論文に対しては批判も提示されています。論文の内容が現生人類とネアンデルタール人の古人口推定に関してでもあるので、石器文化や遺跡の年代について疑問が指摘されている中で注意したいのが、石器組成への言及です。つまり、活動内容により二次加工石器は再利用される可能性があるので、石器数はその頻度に左右されるものだ、と批判されています。消耗の激しいような活動を行なった遺跡では、その分、石器再生も活発になって二次加工石器数も増えるのではないか、というわけです。

 これらの批判に対してメラーズ氏たちは、組成については現生人類遺跡とネアンデルタール人遺跡でその密度値に違いはなく、これは動物遺体の密度値も同様であり、現生人類とネアンデルタール人の居住強度に差はみられないことを強調します。現生人類とネアンデルタール人それぞれの石器文化の継続年代に長短の差があるという事実から、遺物密度データを平均化し、それで得られた値の違いこそ人口差を反映している、という論理です。メラーズ氏たちがネアンデルタール人と現生人類の違いとして重視するのが遺物データの総量であることはよく分かりますが、これは石器組成データが人口を推測するうえでかなり有用な情報であることをよく示しています。

 石器組成をどう考えるのかも議論のある問題ですが、一般的には、それをそのまま過去の行動や信念の痕跡とはみなせない、との認識で落ち着いています。機能主義の主張では、石器組成とその構造は人々の活動形態やその性格を表していると仮定され、道具の組み合わせの違いが活動の空間配置を示す、と考えられます。しかし、行動とはなんの関係もない要因も組成には一定の影響を与えることが無視されている、というのが行動考古学の見解です。行動考古学では、過去の行動がそのまま痕跡となるわけではなく、歪みをともなうものであることが強調されました。機能主義的考古学の看板ともいえる技術的組織という考え方についても、組成の違いが過去の行動を本当に正しく反映しているのか、問われることになりました。

 このように遺跡の石器組成については、機能的な行動だけではなく、道具の再生や廃棄など、さまざまな要因によって形成されたものである、と現在では認識されているようです。ショット氏の1989年の論文は、組成の規模と多様性(多様度)に注目して、機能的行動(同論文では「実質的な行動」)の内容と性質について推論しています。ショットが注目するのは、道具の組成規模とその多様性である。この二つの変数については、道具の使用期間と居住期間を反映するものである、との見解がすでに提示されており、道具の廃棄率や廃棄量と居住期間の総日数が調べられ、集団規模の推定にも役立てられる、と指摘されました。廃棄率が低く使用寿命が長い道具は、作業期間が長いほど出現しやすくなる、と想定されます。ショット氏は、この論理がクン人の民族誌データには当てはまらないことを指摘したうえで、パレオ・インディアン期の組成の規模と多様性を分析し、規模と多様性の関係は、一つの文化体系における技術変異パターンを表している、と整理しました。

 この結論は、組成規模と多様性の関係が居住形態や移動頻度と関係することを明晰に述べています。民族誌データや考古データでのモデルをそれぞれ統計的に検証し、人口モデルを棄却して、むしろ居住形態モデルを採用する点で、この論文はショット氏の1986年の論文と同じ結論に達している、と了解されます。この検討には確かに説得力がありますが、道具の量的規模や堆積量の時間的経過が直ちに居住パターン違いにのみ還元されるものでもないでしょう。遺物の累積量を調べる研究モデルが、人口規模を論じるのにも有効な属性であることは間違いありません。それを日本列島の考古学でも実践するならば、たとえば組成中の欠損品率や製作品と搬入品との割合や遠隔石材の比率など、規模も含めていくつかの属性が多様性(多様度指数)とどう相関するのか、調べると面白そうです。


●今後の課題

 旧石器考古学のデータから古人口を復元できるか、ほとんど疑わしくなってきますが、データは豊富にあるので、それをどう利用するのか、考えねばなりません。何が難しく、何が課題になるのか、以下では、フレンチ氏の2016年の論文をが参照されつつ整理されます。考古記録には基本的に人口情報が含まれません。日本列島の場合、古人類学的な情報にもそれは言えます。旧石器時代では、琉球諸島を除いてその証拠を把握できません。考古学的証拠については、人口情報に端的につながる属性が何か、直接的には見出せていません。間接的には試行錯誤があっても、どう「見立て」るのか、難しいことは事実です。どのような考古学的パターンが人口へ接近するのに有効なのか、考古記録から観察できたパターンから過去の人口の理解に移行するのに必要な「理論的な飛躍」をどう最小に留められるのか、という2点をの解決が決定的に重要になってきます。

 パターンの説明が必ずしも人口の説明にのみ作用するわけではないことは、ショット氏の1989年の論文に述べてられている通りで、データのパターンが示す可能性をどれか一つに絞り込むことは困難です。それが人口動態と相関するものと考られる代理指標を、考古学者はまだ理解しきれていません。もちろん研究背景にも左右されるところですが、それ故に、組成量の変異が示す意味を、研究者は時間圧モデルや居住モデル、人口モデルという形でそれぞれ説明しているのでしょうし、あるいは説明できてしまうのかもしれません。その意味では、人口動態を反映する、確からしい代理指標をどのように見つけてどう組み合わせるのか、その能力向上が問われます。

 これは、解決すべき二つめの点にも関係してきます。データと説明を結びつける可能性のある中位理論の構築ということです。いわば、指針のような役目を果たすもので、考古データと人口との関係を強く示唆する、そうした民族誌学データや歴史データが思い浮かびます。民族考古学の成果は、とくに人口モデルに異を唱えるモデル研究でよく引用されているようです。民族誌データは道具の廃棄や使用期間、居住状況など詳細なデータを提示してくれますが、考古データとの大きな違いは、観察している時間幅にあります。考古学ではいくつもの行動の結果として累積したデータを取り扱っていることが多いのに対して、民族誌データは長期的観察にもとづくデータもありますが、考古データと比較すると瞬間の切り取りにも近い生活の一コマの記録と言えます。その一コマをモデルとして旧石器時代の人口動態を丸々代弁してもらおうとするのは、間違っているかもしれません。

 むしろ、民族誌において、人口に関係しそうな行動代理指標を複数取り上げ、その組み合わせのうち、最も影響力の強い変数を提示してもらうことが、手続きとして重要になります。その民族誌的変数の中から考古学的に検討ができるものを選び、古人口研究に落としこんでみることが効果的と思われます。フレンチ氏の2016年の論文はこれを「マルチプロキシ・アプローチ(多代理指標手法)」と呼んでおり、たとえばビンフォード(Lewis R. Binford)氏の2011年の民族誌集成や、ケリー(Robert L. Kelly)氏の1995年の民族考古学アトラスに示されている膨大なデータから、人口代理指標とみなせる情報を特定していくよう、提案しています。複数のデータが人口情報に関係がありそうならば、そこに一定の傾向が把握されることになり、さらにそれらが考古学的にも検討できる性格のものならば、古人口の復元にも妥当性が得られる、というわけです。

 こうした方法はとくに目新しいものではなく、北アメリカ大陸の民族考古学などではやり尽くされている感があるかもしれませんが、民族学や考古学や数理人類学などの研究者が大勢集まり、人口推定に関するモデルの構築に取りかかるとなると、そう多くないでしょう。とくに旧石器時代については、古代型ホモ属と現生人類の交替に関するものや、現代人的行動の出現といった主題に集中するようです。いくつか研究が出されているなか、若野友一郎氏と門脇誠二氏たちによる2018年と2021年の研究は、独自の数理モデルに基づいて古代型ホモ属と現生人類をめぐる人類学的・考古学的考察を発表しており、人口モデルが応用されています。日本列島のデータは組み入れられていませんが、このような共同作業により、モデルはより蓋然性が高まったり、反対に、問題点が掘り下げられて明確になったりを繰り返します。


●まとめ

 本論文では、著者の関心から、文化進化研究と考古学研究の人口について取り上げられました。なぜ人口モデルなのか、と問われても論理立てて答えられるほど整った意見はないので、日本の旧石器研究を進めてきたなかで、感覚的にこのモデルで説明できそうなことがあるといった程度だ、と著者は述べます。それ故に、この感覚を具体的にしていかねばならない、と指摘されます。

 田村隆氏の2017年の論文は、人口という観点に立ち、日本列島の旧石器時代を3段階に分けています。つまり、少なくとも3回、日本列島では人口の増減が明確になる事象が起き、その度に生活戦略の刷新を繰り返し、環境変化への対応を図ってきた、というわけです。この回復力の過程を、田村氏は適応サイクル・モデルと名づけています。3つの画期とは、(1)本州では38000年前頃で古北海道島では3万年前頃、(2)25000年前頃の最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)、(3)2万年前頃以降の旧石器時代終末期です。

 著者もこれらの時期の人口推定に関心を抱いています。(1)に関しては、日本列島に到来してきた集団の規模はどのくらいだったのか、日本列島ではなぜ現代人的行動が顕著に現れないのか、という問題です。これらは人類の進化史的にみても重要な問題と言えます。その意味で、最近の井原泰雄氏たちの2020年の論文で提示された人口シミュレーション研究は、大きなヒントを与えてくるかもしれません。(2)に関しては、石器の様式性の高まりと情報交換網の形成がなぜ寒冷期に促進されるのかが、問題なるでしょう。(3)は土器技術についてです。新技術が現れる背景と、なぜそれが当初緩やかにしか増えず、完新世に入って急速に普及するのか、という問題です。

 これらの主題が人口とどのように関係するのか興味のあるところで、詳しい解析には文化進化研究との協同がどうしても必要になってきます。また、これらの主題は日本列島の地域的な事象にとどまらず、世界の先史学にも充分な貢献が期待できる普遍的な主題性を備えています。豊富な考古データを持つ日本列島で、協同研究を少しずつ進展させていくことが今後の課題になるでしょう。


参考文献:
仲田大人(2021)「人口モデルと日本旧石器考古学」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 32)』P92-100

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