バスク人の起源と遺伝的構造

 バスク人の起源と遺伝的構造に関する研究(Flores-Bello et al., 2021)が公表されました。ピレネー山脈を介してスペインとフランスの国境の西部を含むフランコ・カンタブリア地域は、ヨーロッパの人類史における役割から、いくつかの分野で注目されています。フランコ・カンタブリア地域は、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)のヨーロッパにおいて最も人口密度の高い氷期退避地の一つで、重要な考古学的発見、とくに最古となる既知のヨーロッパの洞窟壁画と関連しています(関連記事)。

 フランコ・カンタブリア地域の最も興味深い特徴の一つは、バスク人の存在です。バスク人は歴史的にピレネー山脈の西端に沿って分布しており、スペインとフランスにまたがっていて、現在は7行政区分で構成されています。それは、ピレネー山脈の西側のギプスコア(Gipuzkoa)県とビスカヤ(Bizkaia)県とアラバ(Araba)県、ナファロア(Nafarroa)県、ピレネー山脈の北側のスベロア(Zuberoa)地域とラプルディ(Lapurdi)地域とナファロア・ベヘレア(Nafarroa Beherea)県です。バスク人はヨーロッパの文脈内でその特異性と孤立を定義する歴史的・人類学的・生物学的特徴のために、おそらくは際立っています。

 注目すべき特徴はバスク語で、5つの主要な方言があり(図1)、他のあらゆる現存言語と密接な関連のない孤立した非インド・ヨーロッパ語族言語です。ロマンス諸語の圧力による地理的後退の前には、現在の分布を超えて、バスク語は歴史的に7つの地方で話されていました。さらに、古代のバスク語関連言語はずっと広範に話されていた、と提案されています。この地域には、近隣のスペイン北部地域やフランスのアキテーヌ地方南部が含まれます。バスク語がバスク人の近隣人口集団との間の文化的障壁だった可能性が指摘されてきましたが、バスク語方言は内部障壁としても機能した可能性があります。バスク語方言は相互理解性の低下を示し、バスク語の標準語は1968年まで確立せず、1980年代以降にのみ広く使用されるようになりました。以下は本論文の図1です。
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 バスク人の遺伝に焦点を当てた研究は多くありますが、その人口史に関する活発な議論が続いています。そうした関心は、新生児溶血性疾患と関連する遺伝的多様体である、Rh-血液型の高頻度の注目すべき観察で始まりました。より多くの遺伝的標識を用いたその後の研究では、バスク人はヨーロッパ人の遺伝的文脈内ではとくに分化している、と明らかになりました。これらの結果は、考古学的・文化的・言語学的データとともに、この地域において孤立し続けた古代の人口集団から派生したバスク人として解釈されました。しかし、他の研究では、バスク人集団の遺伝的特異性の証拠は提供されておらず、ヨーロッパ全域の遺伝的均質性が示唆されています。

 バスク人の起源も議論になってきました。片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)に基づく一部の研究では、バスク人は、LGM後に氷河の退避地からヨーロッパに再居住した後にその地に留まった、孤立した新石器時代前のヨーロッパ人集団を表している、と提案されました。逆に他の研究では、バスク地域における新石器時代の移住の影響が示され、旧石器時代以来の遺伝的継続性に反論しています(関連記事)。

 片親性遺伝標識の徹底的な分析は、バスク人における新石器時代以前からの継続性と、ローマ期の前の遺伝的構造を示しました。これを支持するのは古代DNAデータで、バスク人は共通のイベリア半島鉄器時代人口集団として実際に説明でき、新石器時代後の草原地帯牧畜民祖先系統の重要な遺伝的影響があるものの、ローマ人やアフリカ北部人のようなその後イベリア半島に侵入してきた人口集団からの混合を欠いている、と示唆されました(関連記事)。

 バスク人についての論争では、バスク人の特徴と起源だけではなく、バスク人内部の遺伝的異質性にも焦点が当てられてきました。バスク人集団のゲノム規模データは矛盾した結果を示してきており、一部の研究ではフランスのバスク人はスペインのバスク人と著しく異なり、後者は他のイベリア半島人口集団と類似している、と示唆されたのに対して、他のデータは、バスク人内部の均質性と非バスク人集団との顕著な遺伝的分化を示すものと解釈されました。

 これらの注目すべき矛盾した結果は、限定的な方法論と解像度により説明できるかもしれません。バスク人およびその近隣地域集団を表すとされた、これらの分析で用いられた標本数の少なさが、主要な制限要因と考えられてきました。さらに、そうした分析は古典的な遺伝標識のアレル(対立遺伝子)頻度か、片親性遺伝標識の系統か、標本と遺伝標識の減少した数に基づいています。以前の研究の限界を克服するため、本論文では堅牢なゲノム規模研究設計が採用され、その独自性や起源や遺伝的構造を含む、議論のあるバスク人の人口史の解明が可能となりました。

 本論文で提示される全フランコ・カンタブリア地域の独特で網羅的なデータセットは、以前の研究に影響を及ぼしたあらゆる標本抽出の偏りの可能性を制限し、小地域および大規模な水準での徹底的な分析を提供します。さらに、本論文の標本抽出で考慮された民族言語学的情報により、バスク人とその周辺人口集団の遺伝的項羽像の形成において文化的要因がどのように関連し得たのか考慮して、遺伝的データを超えて結果を解釈することが可能となりました。最後に、より正確なハプロタイプに基づく手法を活用して、精細な遺伝的構造と混合パターンが明らかになります。


●ヨーロッパ・地中海におけるバスク人の特異性

 バスク地域の標本抽出地点18ヶ所からの新たな190個体を含む、1970個体の現代人および古代人標本で、合計629000個のゲノム規模多様体が分析されました。まず、バスク人が広範な文脈で調べられ、大規模で多様な人口集団群内の遺伝的多様性が評価されました。主成分分析では、バスク人はアフリカ北部人の反対側の端に位置し、サルデーニャ島人と類似してヨーロッパの周辺に位置しており、バスク周辺集団(伝統的にガスコーニュ語とスペイン語の地域を取り囲んでいます)はその中間に位置します(図2A)。

 混合分析を用いて、これらの人口集団の広範な遺伝的祖先系統構成要素を考慮すると、バスク人で差異を示す遺伝的パターンが観察されます(図2B)。K(系統構成要素数)=6では、バスク人はおもに2つの構成要素を示します。主要な構成要素(深緑色)はヨーロッパ人にも存在しており、中東・コーカサスとアフリカ北部でも低頻度で見られます。もう一方のより割合の低い構成要素(濃赤色)は、ヨーロッパ中央部・東部において高頻度で見られます。ヨーロッパの残りの集団で見られる他の構成要素は、バスク人では存在しません(頻度1%未満)。バスク周辺地域標本群は、バスク人と類似のパターンを示すものの、バスク人では存在しない他の外部構成要素が低頻度で見られます。K=7では、新たな特定の構成要素が出現し(水色)、バスク人では最大となり、バスク周辺地域では50%以上の頻度です。この構成要素はスペインとフランスの標本群でも観察されますが、他の外部ヨーロッパ人標本群では実質的に存在しません。以下は本論文の図2です。
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 fineSTRUCTUREで実行されたハプロタイプに基づく分析を用いて、バスク人における顕著な水準の分化が検出されました(図3)。まず、バスク人集団は大規模なヨーロッパ人の分枝内でクラスタ化しますが、それは他のヨーロッパ人標本群の外部でのことです(図3A)。この結果は、バスク人クラスタと他のヨーロッパ人集団との間で共有されるハプロタイプの少なさと、バスク人の明確な内部および特有の遺伝的特性を示します。次に、バスク周辺地域集団も他の外部人口集団と分化を示しており、ヨーロッパ人の内部でクラスタ化するものの、スペイン人標本群とクラスタ化するカンタブリア地域標本(gCAN)を除いて、特定の分枝を形成します。

 fineSTRUCTURE分析では、フランコ・カンタブリア地域標本群の過剰表現による推定される不自然な結果を破棄するために、フランコ・カンタブリア地域の無作為標本抽出が実行され、類似の結果が得られました。さらに、非負制約付最小二乗法(NNLS)分析で計算された祖先系統特性は、上述の結果を反映しています(図3B)。バスク人はフランコ・カンタブリア地域の内部集団とのみハプロタイプを共有しています。バスク周辺地域人はおもに、地域内の集団とハプロタイプを共有していますが、非フランコ・カンタブリア地域のスペイン人およびフランス人集団ともハプロタイプを共有しており、バスク人とその周辺の外部人口集団との間の緩衝地帯として機能しています。

 バスク周辺地域人で観察された中間的な祖先系統特性は、フランコ・カンタブリア地域集団とその外部集団との間の遺伝子流動を示唆します。したがって、可能性のある混合事象が、GLOBETROTTERの使用によりバスク周辺地域で検証され、fineSTRUCTUREにより推定されたバスク人と全ての外部クラスタが代理として考慮されました。2つの供給源集団を含む単一の混合事象が、全ての対象とされたバスク周辺地域集団で検出され、11~16世紀頃と推定されました。類似の供給源が各対象クラスタで説明されました。主要な供給源はおもにバスク人とスペイン人の祖先系統により表され、より影響の小さい供給源はおもにスペイン人祖先系統により表されます。さらに、ブートストラップから推定された年代の信頼区間は、各バスク周辺地域の対象、とくにフランスのビゴール(Bigorre)地区で重複した幅広い範囲となりました。これは、バスク周辺地域における混合の単一ではあるものの継続的な波と、11~16世紀と最近の歴史時代においてバスク周辺地域に影響を及ぼした一般的な大規模人口統計的事象を呼び起こしたかもしれません。

 バスク人の遺伝的分化をさらに調べるため、ROH(runs of homozygosity)が分析されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレルのそろった状態が連続するゲノム領域(ホモ接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。バスク人はROHの全体的な最大総数(NROH)と全長(SROH)示し、長いROHを有しており、ヨーロッパ人の平均をわずかに上回るROH値を示すと報告されているサルデーニャ島人よりもさらに高く、バスク周辺地域集団が続きます(図3C)。中間のROH区分では、外部人口集団で表される標本群の合計割合はひじょうに小さくなっています。このことから、これらの区分がバスク人やサルデーニャ島人やバスク周辺地域集団といった孤立した集団でより一般的ではあるものの、外部集団では観察された値が不可解に近親交配の外れ値と関連している可能性があることを示します。

 これらの結果は、集団内の標本間で共有される同祖対立遺伝子(identity-by-descent。かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示し、同祖対立遺伝子領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります)の割合(PI_HAT)の調査と一致しています。さらに、経時的な有効人口規模(Ne)の推定がバスク人の低く安定した値を示す一方で、スペイン人やフランス人など外部集団は1000世代前の頃に劇的な増加を示します。これらの結果は、バスク人には近親交配を伴う孤立のパターンがあり、バスク周辺地域人にはその程度がより低いことを示唆します。そのような孤立のパターンは、他の全ての証拠によりずっと最近と推定され、周辺の人口集団における明らかな有効人口規模の旧石器時代の成長の痕跡を消すのに充分な深さだったようです。以下は本論文の図3です。
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●鉄器時代後の人口史に起因するバスク人の遺伝的独自性

 次に、バスク人の遺伝的特異性の起源を解明するため、古代の標本を含めて分析されました。古代の標本を投影した主成分分析では、バスク人は新石器時代前の狩猟採集民および新石器時代ヨーロッパ農耕民だけではなく、ポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)のヤムナヤ(Yamnaya)文化集団祖先系統と関連する一部の新石器時代後の草原地帯牧畜民にもより近い、と示されます。

 ADMIXTURE分析(K=4)では、他のヨーロッパ人口集団と比較して、バスク人とバスク周辺地域人はレヴァントおよびイラン関連新石器時代構成要素の割合が最低で、アナトリア半島・ヨーロッパの農耕民構成要素の割合がやや高い、と示されます。古代の標本群と共有される浮動を検証すると、外群f3統計は、バスク人とヨーロッパの3つの主要な古代構成要素(旧石器時代狩猟採集民、新石器時代農耕民、ヤムナヤ文化祖先系統と関連する新石器時代後の牧畜民)との間で共有される高い浮動を示します。

 次にqpGraphを用いて、フランコ・カンタブリア地域集団と他のヨーロッパ人口集団が古代の標本群とモデル化されました。このモデルは検証された各ヨーロッパ人口集団で適合しました。2つの古代構成要素の推定される混合割合は、これら古代構成要素の予測されるヨーロッパの南北の勾配にしたがって、一般的なヨーロッパ人と比較してバスク人の違いを示しません。さらに、フランコ・カンタブリア地域集団を個々にモデル化すると、これら古代構成要素の割合に関して内部の違いは観察されませんでした。この知見からは、バスク人の遺伝的特異性は、ローマ期とイスラム期における最近の歴史的影響のような、鉄器時代後の人口統計学的過程に依存しているかもしれない、と示唆されます。

 したがって、qpAdm分析により、バスク人の特異性を説明できるかもしれない妥当な鉄器時代後の混合モデルが検証されました。この分析では、バスク人はイベリア半島の鉄器時代標本群でほとんど説明でき(関連記事)、バスク周辺地域に隣接する一部の集団ではローマ帝国期の標本群の影響はひじょうに限定的だった(関連記事)、と示されます(図4)。これらのローマ人関連の割合増加は、対象となる人口集団がフランコ・カンタブリア地域から離れるほど増加します。さらに、フランコ・カンタブリア地域ではアフリカ北部の標本群を考慮したどのモデルでも、有意な結果は観察されませんでした(図4)。全体としてこれらの結果は、バスク人がイベリア半島において最近の歴史的事象の期間に限定的な遺伝子流動を受けたかもしれない、と示唆します。以下は本論文の図4です。
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●フランコ・カンタブリア地域の地理と相関した遺伝的不均質

 バスク人に関する主要な論争の一つは内部の遺伝的異質性なので、フランコ・カンタブリア地域に焦点を当てた分析で、内部の遺伝的多様性が調べられました。主成分分析では、PC1軸は全てのフランコ・カンタブリア地域集団を遺伝的勾配で分離し、一方の極には全てのバスク人が、もう一方の極にはスペインとフランスの非フランコ・カンタブリア地域人が、その中間にはバスク周辺地域人が位置します(図5A)。PC2軸は、フランコ・カンタブリア地域を東西で分離します。主成分分析では、バスク人集団の顕著な小地理的遺伝的構造とクラスタ化を示します。

 本論文のような小地理的規模での類似の規模と標本抽出密度の外部参照を取得するため、カタルーニャ地域の標本群が本論文のデータセットと比較されました。カタルーニャ人の主成分分析では、バスク人およびバスク周辺地域人との比較であらゆる地理的構造を示さず、バスク人で観察されるクラスタ化は固有であり、標本抽出戦略とは無関係である、と示唆される可能性があります。フランコ・カンタブリア地域とカタルーニャ地域集団間の遺伝的分化を定量化して比較するため、各組み合わせのFST(遺伝的違い)距離が推定され、MDS(多次元尺度構成法)図で示されました。

 この場合でも、フランコ・カンタブリア地域人が明確な内部の分化を示したのに対して、カタルーニャ人は遺伝的構造もしくは極端な内部分化の証拠を示しませんでした。さらに、さまざまな地理的階層で分子分散分析(AMOVA)により地域内で異質性が検証されました。明らかにされた遺伝的分散は小さかったものの、全ての結果は統計的に有意で、フランコ・カンタブリア地域、とくにバスク人集団での内部分化を示します。じっさい、カタルーニャ人での同じ分析は、全ての比較で説明された分散が低くなりました。

 ADMIXTUREを用いてフランコ・カンタブリア地域で行なわれた遺伝的構成要素の分析は、上述の結果を反映しています(図5B)。K=2(交差検定誤差が最良)では、バスク人は主要な構成要素(深緑色)を示し、これはバスク周辺地域集団でもかなりの割合で存在し、外部標本群でもわずかに見られます。K=3および4では、内部の異なる構成要素がバスク人内部で出現します。K=3では、バスク人関連構成要素は西部(紫色)と東部(深緑色)の2つの特定構成要素に分かれます。これらの構成要素は非フランコ・カンタブリア地域標本群ではほとんど示されません。K=4では別の構成要素(濃赤色)が出現し、アラバ県およびその周辺集団で最大化します。したがって、これら4構成要素は、非フランコ・カンタブリア地域(橙色)と東部バスク人関連(深緑色)と中央部バスク人関連(紫色)と西部バスク人関連(濃赤色)にまとめることができます。

 標本間のこれら構成要素の分布は、フランコ・カンタブリア地域における遺伝子と地理との間の相関を証明しています。この相関を検証するため、距離による分離(IBD)分析が行なわれました。マンテル検定がFST値と地理的距離との間で適用され、正の明確な統計的に有意な結果が得られました。次に、空間的に明示的な統計手法であるEEMS(推定された有効移動面)は、バスク地域とバスク周辺地域の間およびその内部の両方で、よく定義された障壁の内部パターンを示しました。じっさい、移動率がより高い回廊のパターンは、標準偏差が重複している集団間で、ADMIXTURE分析と主成分分析で観察された関係を反映しています(図5)。カタルーニャ人標本群で同じ分析が実行され、類似の規模の地域にも関わらず、結果は、マンテル検定に対して有意ではなく負の傾向と、EEMS分析における障壁の欠如を示します。以下は本論文の図5です。
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 最後に、フランコ・カンタブリア地域内の人口集団間の関係を洗練するため、ハプロタイプに基づく手法が適用され、内部の異質性の類似のパターンが観察されました(図3および図6)。fineSTRUCTURE樹状図(図3A・B)では、バスク人クラスタの区別に加えて、フランコ・カンタブリア地域におけるいくつかの内部クラスタがおもに地理および言語と関連して定義できます。一方では、バスク人の分枝において3クラスタが示され(図6A)、その一つは、中央部バスク人クラスタに加えて東部バスク人と西部バスク人のクラスタを含みます。他方では、バスク周辺地域人の分枝で2クラスタが示され(図6A左側)、それは西部および東部バスク周辺地域人クラスタと、外部スペイン人クラスタ内に収まるカンタブリア地域標本群(gCAN)です。

 データセットを削減する分析では、類似のクラスタが観察されます。バスク人で見つかった違いも、NNLS分析で計算された祖先系統特性で示されます(図3Bおよび図6B)。バスク人クラスタはバスク人もしくはバスク周辺地域人構成要素でのみ形成されますが、バスク周辺地域人は外部の祖先系統も示します。バスク人に焦点を当てると、中央部集団がバスク人祖先系統でのみ定義されるのに対して、東部および西部バスク人はバスク周辺地域人祖先系統を25%程度示します。西部バスク人集団におけるスペイン人およびフランス人祖先系統の一部の痕跡にも関わらず、他の外部祖先系統はバスク人では存在せず、外部からの寄与なしにフランコ・カンタブリア地域内でハプロタイプが共有されていることを示唆します。以下は本論文の図6です。
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●考察

 本論文の結果は、小さな有効人口規模、ROHの数の多さと長さ、PI_HAT値(図3C)に反映されている継続的な近親交配の証拠とともに、全ての分析においてヨーロッパ人の中でのバスク人の明確な遺伝的特異性を示します。それは、最近の歴史におけるバスク人の遺伝的孤立のパターンを示唆します。対照的に、バスク周辺地域人は、バスク人と外部のスペインおよびフランスの人口集団との間の移行を示し、開かれた人口集団と孤立した人口集団との間の中間事例となります。じっさい、バスク人は非フランコ・カンタブリア地域集団との最近の混合事象の証拠を示しませんが、バスク周辺地域人は少なくとも中世以来の遺伝子流動を示します(図3Bおよび図6B)。

 これらの集団で推測された混合事象は、フランコ・カンタブリア地域関連集団とスペイン関連集団を含む可能性がおり、おもにいわゆるレコンギスタ期とその直後の数世紀にさかのぼります。これは、イベリア半島における領土を維持するためのイスラム軍とキリスト教王国との間の紛争により特徴づけられる長い期間で、718年のコバドンガの戦いから、1492年のグラナダのナスル朝の滅亡によるイベリア半島のイスラム教勢力支配の終焉まで拡大しました。それは、イベリア半島の歴史における複雑な政治的および行政的状況をもたらしたので、これらの結果は、フランコ・カンタブリア地域と特にバスク周辺地域に沿ってこれら数世紀に繰り返された領土再編成の結果を反映しているかもしれません。

 それにも関わらず、本論文の分析は、バスク人の遺伝的独自性は他のイベリア半島人口集団と比較して異なる起源に由来するのではなく、以前の研究で示唆されたように(関連記事)、鉄器時代以降の外部からの遺伝子流動の減少と不定化に起因する可能性がある、という見解を支持します。バスク地域で観察された鉄器時代後の遺伝子流動の勾配は、バスク人特有の遺伝的特性が最近の遺伝子流動の欠如により説明できる可能性を示唆します。

 本論文の分析は、バスク人が周辺地域人口集団と類似のパターンで鉄器時代までのヨーロッパにおける主要な移住の波に影響を受けた、と確証します。当時、バスク人は現在の遺伝的景観で観察されるように、ローマ化やイスラム教勢力の支配など、イベリア半島に影響を及ぼした後の人口移動との混合がひじょうに少ないことにより特徴づけられる、孤立の仮定を経ました(図3B)。これは短いROHと小さな有効人口規模値により証明されるように、それ以前の孤立期間の可能性を排除するわけではありません。短いROHと小さな有効人口規模値はバスク地域における古代の交雑の兆候を裏づけ、それはサルデーニャ島人よりもさらに高く、新石器時代後の孤立が示唆されています。したがって、約1000世代前の外部集団でのみ観察された有効人口規模の増加は、LGMおよびその後の拡大期における氷期の退避地としてのフランコ・カンタブリア地域の役割と関連している可能性があります。

 本論文の結果は、現代バスク人のほとんどにおける鉄器時代からの遺伝的継続性を裏づけますが、バスク中核地域の周辺に位置する集団は、イベリア半島におけるローマ帝国の存在と適合する接触の兆候を示します(図4)。これらの結果は、考古学および歴史的記録と一致します。ローマ帝国の重要な存在はフランコ・カンタブリア地域全体で報告されてきましたが、学者たちは、南部の周辺地域、とくにナファロア県とアラバ県におけるずっと高い影響を示唆しています。それ以外では、アフリカ北部の影響は、イベリア半島南部および北西部の人々が含まれるモデルにのみ適合します(図4)。これは、すでに片親性遺伝標識を用いた研究と、ゲノム規模およびハプロタイプに基づく最近の研究で報告されているように、イスラム教勢力支配期におけるアフリカ北部からの流入者とのイベリア半島の東部および北部の集団との間の遺伝子流動の減少を確証します。

 言語は集団の人口統計学的過程において主要な役割を果たす可能性があり、本論文では、バスク語の驚くべき特性を考えると、バスク地域の民族・言語シナリオは分析の解釈において考慮されるべきです。本論文の結果は、鉄器時代後の大きな遺伝子流動を妨げ、バスク地域の遺伝的概観を形成する主因の一つとしてのバスク語と適合的です。他の研究で以前に示唆されているように(関連記事)、鉄器時代以来のバスク人の遺伝的継続性も、草原地帯祖先系統の拡大はヨーロッパ西部において先インド・ヨーロッパ語族完全には消し去らなかった、という仮説を裏づけます。ローマ人のイベリア半島への到来前には、バスク語はイベリア語るなど他の先インド・ヨーロッパ語族と共存していました。

 本論文の分析で確認されたように(図4)、ローマ人、したがってラテン語との接触は、イベリア半島地中海沿岸地域ではより早くてより強く、その後で大西洋沿岸へと拡大し、フランコ・カンタブリア地域にはその後に到来し、影響はより低くなりました。したがって、ラテン語はローマにより強く支配された強い地域では影響がより大きく、言語の置換が加速したのに対して、バスク語はほとんど影響を受けなかった、と予測されます。ラテン語がイベリア半島の大半で定着すると、バスク語は遺伝子流動の文化的障壁として機能し、バスク人の遺伝的分化と、バスク語における言語的ロマンス諸語基層の低い影響につながったかもしれません。

 地理との正の強い相関とともに、本論文の結果は、バスク人とバスク周辺地域人における明確な内部の異質性を確証します。この異質性では、東西の遺伝的クラスタがフランコ・カンタブリア地域に沿って明らかで、核地域から外部地域への最も密接な集団間のより高い遺伝子流動を伴う遺伝的勾配が示されます。この遺伝的下部構造は、ピレネー山脈により隔てられている、現在のスペインとフランスとの間の南北の山岳および行政的境界よりも複雑です。代わりに、ハプロタイプに基づく手法は、中央部バスク人クラスタに加えて西部および東部バスク人とバスク周辺地域人の遺伝的クラスタを正確に定義でき(図3Bと図5と図6)、古典的な遺伝的指標によるフランコ・カンタブリア地域におけるこのパターンをほとんど示唆しなかった以前の結果を明確にします。

 東部および中央部バスク人が外部供給源集団との明らかな遺伝子流動を示さなかった一方で、西部バスク人クラスタは外部集団とのわずかな遺伝子流動を示します(図3Bと図4と図5と図6)。この遺伝的下部構造は、バスク人とその近隣地域集団との間の歴史的および言語的状況を反映しています。その外部地域から最も遠い場所と関連する歴史に沿って外部供給源集団からの影響がより小さため、バスク中央部の遺伝的構造が最も分化しています。さらに、バスク中央部と東部地域の言語と政治と行政の状況は、歴史時代にはひじょうに安定していました。しかし、バスク西部地域は複雑なシナリオにより特徴づけられ、行政区分の再編成、および周辺のロマンス諸語とおもにスペイン語の強い影響に起因するバスク語の後退と関連しています。

 現代バスク人の遺伝的下部構造におけるバスク語方言の役割を評価することは、より困難です。ほとんどの言語学者は、最も密接な方言間の近い距離を伴う東西の方言の不連続性について合意しています。それらの方言の起源について最も受け入れられている仮説は、中世に出現した、というものです。しかし本論文の結果は、より早期に形成されたかもしれないバスク人内の明確に定義された遺伝的構造を明らかにします。じっさい、先ローマ期の遺伝的下部構造は、すでに片親性遺伝標識に基づいて提案されてきました。したがって、バスク人内の方言の多様化と遺伝的異質性は、共通して地理と相関している可能性があり、言語学的研究においてバスク語方言のより早期の起源を再考する価値があるかもしれません。

 本論文は、新たな観点からバスク人の遺伝的独自性に関する長年の議論を解明し、バスク人の人口史に関する議論の解決に役立つ、より精細で信頼性の高い結論を提供します。これは、ある種の祖型ヨーロッパ人としてのバスク人の立場を裏づける明確な証拠がほとんど存在しなかったとしても、ひじょうに頻繁に推測されるバスク人の遺伝的特徴を解明するのに役立ちます。さらに、いくつかの一連の新たな証拠が考古学と人類学の分野に提示され、さらに調べることができます。本論文の遺伝学的結果は、古代遺跡との人類学および年代とのつながりや、バスク語とその方言を中心とした歴史的および言語的関係を裏づけます。集団の進化と人口史を研究して、それを文脈化し、仮説を検証して結果を解釈するさいには、学際的手法の重要性を強調する必要があります。この意味で、完全かつ対照的で信頼性の高い研究を後押しするために、さまざまな知識分野の統合と共同研究を促進することが重要です。


参考文献:
Flores-Bello A. et al.(2021): Genetic origins, singularity, and heterogeneity of Basques. Current Biology, 31, 10, 2167–2177.E4.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2021.03.010

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