池谷和信「アジアの新人文化における装身具について―マレー半島の狩猟採集民の事例」
本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究B01「アジア新人文化形成プロセスの総合的研究」2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 32)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P1-4)。この他にも興味深そうな論文があるので、今後読んでいくつもりです。
初期現生人類(Homo sapiens)の象徴行動(symbolic behavior)のうち、顔料の使用や副葬品による埋葬などとともに、ビーズの存在が一つの指標として注目されてきました。これまで、アジア・アフリカにおける更新世の各地の遺跡から様々な素材のビーズが報告されています。イスラエルの海岸部のスフール(Skhul)洞窟では巻貝やムシロガイ、内陸部のカフゼー(Qafzeh)洞窟では二枚貝、アフリカ東部の内陸部の遺跡ではダチョウの卵殻、インドネシアのスラウェシ島ではバビルサの骨などです。中部旧石器時代のレヴァントにおけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類の行動様式には共通点が多く見られますが、違いの一つは貝製ビーズの利用で、現時点で現生人類の洞窟遺跡でしか見つかっていない、との指摘もあります(関連記事)。
しかし、数万年前の先史狩猟採集民を対象にした考古学的ビーズ研究では、その年代やビーズの素材は明らかになりますが、誰が身に着けたのか、どのように入手し、どのような役割があったのか、把握することは困難です。本論文は、現存する狩猟採集民のなかでビーズの素材や製作技術や利用と役割についての基礎資料を提示します。著者はこれまで、ボツワナのカラハリ砂漠のサン人およびタイ南部のマニ人という二つの狩猟採集民社会で、人類のビーズ利用に関して民族考古学やエスノヒストリー調査を実施してきました。本論文では、マレー半島に位置するタイ南部のマニ人集落の調査結果が報告されます。マニ人はオラン・アスリ(マレー半島の先住少数民族)の北部集団に分類されます。現在マニ人は、定住化した集団と半定住化した集団と遊動している集団に分類され、調査地は遊動している集団の事例です。
キャンプAでは、5事例が報告されています。事例1では、成人女性は細長い黄色の筒と3 個と黒の玉を半分にしたもの2 個を組み合わせていました。黄色の筒は動物(ジャコウネコ)の骨、黒色の球形は植物の実です。彼女がなぜそれらを選んだのか、不明です。また、なぜ複数の素材を組み合わせたのも不明です。ただ、動物の骨は同じキャンプの狩猟者からもらい、植物は自分が採集した、との情報が得られました。事例2では、成人女性が3 種類の異なる素材を使っています。上述と同じ木の実が1 個、木の根が3 個、アルマジロの甲羅の破片が1 個です。部材の合計の数は5 個で、素材は事例1 と比較してさらに多様になっています。事例3では、子供男性が2 個の黄色の骨に1 個の木の根を組み合わせています。事例4では、子供男性が2 個の木の根のみを身に着けています。事例5では、1 個の木の根と2 個のプラスティク製のものを身に着けています。キャンプBでは、1事例が報告されています。事例6では、成人女性が15 個の部材を身に着けていました。12 個が上述と同じ木の実で、2 個がアナグマ(Hog badger)の歯から構成されています。キャンプ内では肉が食用にされて、犬歯の部分が装身具に使われています。この二つのキャンプの事例から、この地域のビーズの素材として、植物の実や根や骨や歯が利用されている、と明らかになりました。
これらの事例では、ビーズを身に着けていたのは成人女性と子供で。成人男性の事例は見いだせませんでした。これは、著者が現地で観察したカラハリの狩猟採集民の事例ともよく類似しています。成人女性は、ダチョウの卵殻や木の実やガラスなどの素材のビーズを、首のみならず頭飾りとしても利用していました。子供の場合は、誕生後に手首などに着けられます。一方で、キャンプのなかのすべての女性がビーズを見に着けているわけではありません。両キャンプのビーズを比較すると、数の違いはありますが、木の実の利用が広く共通して見られました。同時に、誰一人として同じ素材を組み合わせる人はいなかった点が注目されます。ここから、ビーズは人々の美しさのためだけではなく、自らの個性を示すものであり、よい匂いなどの目的のために身に着けている、と分かりました。
素材は、植物の実や根や動物の骨でした。これに、貝類の素材を加えることからビーズの製作技術について考えてみると、まず、貝類のなかでは人の手を加えることなしに穴があくものもあります。また動物の骨は、なかに空洞が見られるので、その中に糸を通すことが可能である。一方、木の実や根茎は穴を開けるための道具が必要です。それに使用されたのは、動物の角や石器などの可能性が高そうですい。これに対して、ダチョウの卵殻には、これらの素材との比較ではあるものの、かなりの労力が必要になってくると推定されます。
他地域の事例として、カメルーン南東部の森林地域で暮らすピグミーの場合には、森の産物を用いたビーズを身に着けています。子供が産まれると、親は「赤子が早く歩き出すように」、「災難から守ってくれるように」と願いを込めて、森で見つけた木の実や枝、野生動物の骨や角に穴を開け、首やお腹や手首に巻きつけます。また、ピグミーが重い病気の時のみ、呪術が込められたお守りとしてのビーズが知られています。
以上のようなことから、以下のようにまとめられます。ビーズを身に着ける目的に関して、当初は、自らの美しさのため、よい匂い、魔除け(ピグミーの事例、呪術的意味)などのために、植物や動物の素材をビーズに使用していた段階(マニの事例)があった、と推測されます。続いて、ダチョウの卵殻や貝の首飾りのように製作や交易に労力を費やすものが生まれ、集団間の社会関係や集団のアイデンティティのために用いられるようになった段階(サンの事例)に変化した、と推定されます。
考古資料と民族誌資料との関係について、民族誌の事例では、素材の組み合わせにより作られた首飾りが知られていますが、初期人類の考古資料からは見つかっていません。これには、植物製の素材が残りにくいことも関与しているかもしれません。本論文の報告では、個々のビーズが他地域から伝播したものなのか、個々に独立発生したものであるのか、充分十分に区別できていません。ビーズの民族誌は、どのような点で考古資料の解釈に有効であるのか否か、今後の課題として残されています。
参考文献:
池谷和信(2021)「アジアの新人文化における装身具について―マレー半島の狩猟採集民の事例」『パレオアジア文化史学:アジア新人文化形成プロセスの総合的研究2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 35)』P1-4
初期現生人類(Homo sapiens)の象徴行動(symbolic behavior)のうち、顔料の使用や副葬品による埋葬などとともに、ビーズの存在が一つの指標として注目されてきました。これまで、アジア・アフリカにおける更新世の各地の遺跡から様々な素材のビーズが報告されています。イスラエルの海岸部のスフール(Skhul)洞窟では巻貝やムシロガイ、内陸部のカフゼー(Qafzeh)洞窟では二枚貝、アフリカ東部の内陸部の遺跡ではダチョウの卵殻、インドネシアのスラウェシ島ではバビルサの骨などです。中部旧石器時代のレヴァントにおけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)と現生人類の行動様式には共通点が多く見られますが、違いの一つは貝製ビーズの利用で、現時点で現生人類の洞窟遺跡でしか見つかっていない、との指摘もあります(関連記事)。
しかし、数万年前の先史狩猟採集民を対象にした考古学的ビーズ研究では、その年代やビーズの素材は明らかになりますが、誰が身に着けたのか、どのように入手し、どのような役割があったのか、把握することは困難です。本論文は、現存する狩猟採集民のなかでビーズの素材や製作技術や利用と役割についての基礎資料を提示します。著者はこれまで、ボツワナのカラハリ砂漠のサン人およびタイ南部のマニ人という二つの狩猟採集民社会で、人類のビーズ利用に関して民族考古学やエスノヒストリー調査を実施してきました。本論文では、マレー半島に位置するタイ南部のマニ人集落の調査結果が報告されます。マニ人はオラン・アスリ(マレー半島の先住少数民族)の北部集団に分類されます。現在マニ人は、定住化した集団と半定住化した集団と遊動している集団に分類され、調査地は遊動している集団の事例です。
キャンプAでは、5事例が報告されています。事例1では、成人女性は細長い黄色の筒と3 個と黒の玉を半分にしたもの2 個を組み合わせていました。黄色の筒は動物(ジャコウネコ)の骨、黒色の球形は植物の実です。彼女がなぜそれらを選んだのか、不明です。また、なぜ複数の素材を組み合わせたのも不明です。ただ、動物の骨は同じキャンプの狩猟者からもらい、植物は自分が採集した、との情報が得られました。事例2では、成人女性が3 種類の異なる素材を使っています。上述と同じ木の実が1 個、木の根が3 個、アルマジロの甲羅の破片が1 個です。部材の合計の数は5 個で、素材は事例1 と比較してさらに多様になっています。事例3では、子供男性が2 個の黄色の骨に1 個の木の根を組み合わせています。事例4では、子供男性が2 個の木の根のみを身に着けています。事例5では、1 個の木の根と2 個のプラスティク製のものを身に着けています。キャンプBでは、1事例が報告されています。事例6では、成人女性が15 個の部材を身に着けていました。12 個が上述と同じ木の実で、2 個がアナグマ(Hog badger)の歯から構成されています。キャンプ内では肉が食用にされて、犬歯の部分が装身具に使われています。この二つのキャンプの事例から、この地域のビーズの素材として、植物の実や根や骨や歯が利用されている、と明らかになりました。
これらの事例では、ビーズを身に着けていたのは成人女性と子供で。成人男性の事例は見いだせませんでした。これは、著者が現地で観察したカラハリの狩猟採集民の事例ともよく類似しています。成人女性は、ダチョウの卵殻や木の実やガラスなどの素材のビーズを、首のみならず頭飾りとしても利用していました。子供の場合は、誕生後に手首などに着けられます。一方で、キャンプのなかのすべての女性がビーズを見に着けているわけではありません。両キャンプのビーズを比較すると、数の違いはありますが、木の実の利用が広く共通して見られました。同時に、誰一人として同じ素材を組み合わせる人はいなかった点が注目されます。ここから、ビーズは人々の美しさのためだけではなく、自らの個性を示すものであり、よい匂いなどの目的のために身に着けている、と分かりました。
素材は、植物の実や根や動物の骨でした。これに、貝類の素材を加えることからビーズの製作技術について考えてみると、まず、貝類のなかでは人の手を加えることなしに穴があくものもあります。また動物の骨は、なかに空洞が見られるので、その中に糸を通すことが可能である。一方、木の実や根茎は穴を開けるための道具が必要です。それに使用されたのは、動物の角や石器などの可能性が高そうですい。これに対して、ダチョウの卵殻には、これらの素材との比較ではあるものの、かなりの労力が必要になってくると推定されます。
他地域の事例として、カメルーン南東部の森林地域で暮らすピグミーの場合には、森の産物を用いたビーズを身に着けています。子供が産まれると、親は「赤子が早く歩き出すように」、「災難から守ってくれるように」と願いを込めて、森で見つけた木の実や枝、野生動物の骨や角に穴を開け、首やお腹や手首に巻きつけます。また、ピグミーが重い病気の時のみ、呪術が込められたお守りとしてのビーズが知られています。
以上のようなことから、以下のようにまとめられます。ビーズを身に着ける目的に関して、当初は、自らの美しさのため、よい匂い、魔除け(ピグミーの事例、呪術的意味)などのために、植物や動物の素材をビーズに使用していた段階(マニの事例)があった、と推測されます。続いて、ダチョウの卵殻や貝の首飾りのように製作や交易に労力を費やすものが生まれ、集団間の社会関係や集団のアイデンティティのために用いられるようになった段階(サンの事例)に変化した、と推定されます。
考古資料と民族誌資料との関係について、民族誌の事例では、素材の組み合わせにより作られた首飾りが知られていますが、初期人類の考古資料からは見つかっていません。これには、植物製の素材が残りにくいことも関与しているかもしれません。本論文の報告では、個々のビーズが他地域から伝播したものなのか、個々に独立発生したものであるのか、充分十分に区別できていません。ビーズの民族誌は、どのような点で考古資料の解釈に有効であるのか否か、今後の課題として残されています。
参考文献:
池谷和信(2021)「アジアの新人文化における装身具について―マレー半島の狩猟採集民の事例」『パレオアジア文化史学:アジア新人文化形成プロセスの総合的研究2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 35)』P1-4
この記事へのコメント