更新世における島嶼部の動物絶滅への人類の影響
更新世における島嶼部の動物絶滅への人類の影響を検証した研究(Louys et al., 2021)が公表されました。現生人類(Homo sapiens)が最初にニュージーランドの島々に到達した時、モアの9種を含む多様で豊かな生態系が存在しました。現生人類の到達後200年以内に、それらは少なくとも25種の他の脊椎動物とともに全て絶滅しました。後期完新世に、この一連の出来事は太平洋の40以上の島で発生し、平均して太平洋の島嶼部の鳥のほぼ50%が現生人類の定住後に絶滅し、これらの絶滅の大半はヨーロッパ人との接触前に起きました。これらのパターンは、マスカリン諸島やマダガスカル島を含むインド洋の島々の絶滅記録を反映しており、現生人類の定住直後の島嶼部の世界的な絶滅パターンを示唆します。
島は大陸と比較して、生物相の広範な絶滅が生じやすい傾向にあります。それは、生息する動物相と個体数が少なく、遺伝的多様性が低くて、確率的過程に影響されやすく、再定着の可能性が少なくて、固有性がより高水準だからです。太平洋とインド洋の島々の驚くような絶滅は、現生人類の活動、とくに乱獲と生息地改変と侵入種の導入に起因します。島嶼部動物の絶滅と現生人類の定住の年表は、大陸における大型動物絶滅を理解するための魅力的な類似を提供してきました。以前の研究では、マダガスカル島とニュージーランドにおける人為的絶滅の明示的参照による過剰殺戮仮説が提示され、アフリカと南北アメリカ大陸の大型動物絶滅を説明するのに同様のメカニズムが適用できる、と主張されました。
島と大陸の生態系間に存在する重要な違いが認められているにも関わらず、島嶼部の記録はその後、更新世の絶滅が大陸でどのように展開したのか理解する理想的なモデルとよくみなされてきました。現在、島嶼部の動物の絶滅は、5万年以上前に現生人類により開始された世界的な絶滅事象の継続と解釈する見解が圧倒的に優勢です。現生人類の到来と大型動物絶滅との間の密接な関連がしっかりと確立されている島嶼部のよく知られている記録は、他の大陸における人為的絶滅仮説の裏づけとして広く引用されています。したがって、島嶼部の大型動物絶滅は、大型動物現象の原因に関する議論において重要な構成要素です。
現生人類が島嶼部の動物絶滅の主因との仮説は、現生人類が「未開の生態系(過去に現生人類との接触がない生態系)」に到来したことが動物絶滅と密接に関連していることを示唆する、ほぼ同時代の記録に依拠しています。しかし、世界的絶滅仮説の評価において多くの島が考慮されてきましたが、それらの考慮はほぼ完全に完新世の現生人類の存在に焦点が当てられてきました。この枠組みでは更新世島嶼部の重要性と、第四紀における島嶼部の定住事象の増加している考古学的記録にも関わらず、更新世の記録を有する島が、第四紀の絶滅の世界的評価に明示的に含まれることはほとんどありません。技術と行動と、人類種さえ、島嶼部で均一ではないので、これは重要です。人類は少なくとも前期更新世以来、海洋の島々を訪れたか、そこで居住し(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、現生人類は少なくとも5万年前頃には島嶼部に存在しており、この期間に多くの顕著な進化的・行動的・文化的変化が起きました。人類の到来と絶滅との間の関連が更新世に人類が存在した島々に当てはまるのかどうか再調査することは、この研究の不足への対処における重要な第一段階です。
本論文は、更新世における人類の島嶼部への到達が、島嶼部の動物分類群の消滅と一致している、との仮説をデータが裏づけるのかどうか、調べます。本論文は、更新世における人類存在の記録があり、動物絶滅のいくつかの記録がある全ての島の考古学および古生物学的記録を調べます。本論文は、海洋の島々、つまり第四紀に大陸と陸続きになったことのない島々と、大陸部の島々、つまり最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)やそれ以前に大陸と陸続きになっていたものの、現在では島となっている地域を別々に扱います。また、火山活動など大規模な地質学的事象と、島の生態系へのさまざまな人類の明らかな生態学的影響に関連するデータも調べられます。
本論文は、動物分類群絶滅と人類の到来との間に時間的重複が存在するのかどうか確立するため、評価を限定しました。本論文は、これが人類の到来と動物絶滅との間の因果関係を意味するとは主張せず、むしろ、そのような関係が存在した可能性を示す最初の兆候とみなします。これにより、人類がそれまで人類の存在しなかった生態系に常に悪影響を及ぼした、との提案を評価できます。この長期的視点は、現代の生態系への現生人類の影響を理解し、島の保全活動に情報を提供するうえで必要な段階です。
●非現生人類ホモ属の島々
海洋の島における人類最古級の記録(図1および図2)は、フローレス島で100万年以上前の単純な石器(関連記事)、スラウェシ島で194000~118000年前頃の単純な石器(関連記事)、ルソン島で709000年前頃の石器や解体痕のあるサイの骨など(関連記事)が見つかっています。ルソン島における動物種(Nesorhinus philippinensis)とイノシシ科動物(Celebochoerus cagayanensis)の絶滅は、最初の人類の到来とほぼ同時かもしれませんが、現時点では、証拠は単一の年代測定された地点にのみ基づいており、人類と絶滅動物の共存期間に関する確たる洞察は提供されていません。フィリピンの大型動物の多くは6万~5万年前頃に絶滅した可能性があり、その頃までにルソン島に存在していたかもしれない(関連記事)ホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)との明確な関連はないようです。大型ラット(Batomys sp.)や小型スイギュウ(Bubalus sp.)は、ホモ・ルゾネンシスと同じ層で見つかっています。それらは、ルソン島北部のカラオ洞窟(Callao Cave)の後の堆積層、もしくはルソン島のこれまで発掘された他の遺跡には存在せず、更新世末の前に絶滅した可能性が示唆されます。以下は本論文の図1です。
フローレス島では、最初の人類の出現と密接に関連する既知の絶滅はありません。スラウェシ島では、まだ特定されていない人類種の到来と動物の消滅との間で、明確な時間的関連性は示されていませんが、ステゴドン(Stegodon sp.)およびスイギュウ(Bubalus grovesi)の絶滅は、その下限年代が真の絶滅年代に近いとしたら、人類の到来と関連しているかもしれません。ギリシアのナクソス島(Naxos)で記録されている唯一の絶滅したゾウ種(Paleoloxodon lomolinoi)は、人類到来からかなり後のことです。サルデーニャ島では、人類の出現は同様に動物の消滅と関連していません。しかしクレタ島では、フクロウ(Athene cretensis)とイヌワシ(Aquila chrysaetos simurgh)とイタチ(Lutrogale cretensis)の絶滅が、人類の到来と関連しているかもしれません。以下は本論文の図2です。
大陸部の島では、人類最初の記録はジャワ島の130万年前頃のホモ・エレクトス(Homo erectus)となり(関連記事)、ブリテン島では100万年前頃までさかのぼり、ホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)かもしれない足跡が確認されています(関連記事)。台湾では、分類未定の人類種の存在が45万年前頃までさかのぼる可能性があります(関連記事)。これらの人類の到来と同時の絶滅は記録されていませんが(図3)、これらの絶滅は、島が大陸と陸続きになった時期に起きており、「未開の生態系」への人類の到来というよりもむしろ、これらの人類の範囲拡大の文脈で理解する必要があります。古生物学的および考古学的記録は明らかに限定的ですが、この証拠に基づくと、ルソン島とスラウェシ島とクレタ島では合計7種が非現生人類の到来の結果絶滅したかもしれません。以下は本論文の図3です。
●現生人類が存在する海洋の島々
海洋の島々における現生人類の最初の直接的証拠は、アジアにおいて5万年前頃までさかのぼります(図1)。想定される最も広い意味での現生人類最初の到来と時間的に関連している絶滅(5000年以内)は、カリフォルニアのチャネル諸島の2種の長鼻類(Mammuthus columbiaおよびMammuthus exilis)とハタネズミ(Microtus miguelensis)、アイルランドのギガンテウスオオツノジカ(Megaloceros giganteus)とレミング(Dicrostonyx torquatus)、スラウェシ島のゾウ(Elephas/Paleoloxodon large sp.)、ティモール島のツル(Grus sp.)です。
フローレス島では、コウノトリ(Leptoptilos robustus)とハゲワシ(Trigonoceps sp.)と鳴鳥(Acridotheres)と小型ステゴドン(Stegodon florensis insularis)とホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)が、最初の現生人類の到来と近い時期および同時期の噴火の頃に消滅しています(図2)。フィリピンでは、ホモ・ルゾネンシスが55000年前頃もしくはその直前までルソン島に存在しており、パラワン島における現生人類最初の証拠は現時点では47000年以上前です。キプロス島と久米島だけで、現生人類到来後すぐに全ての記録された動物の絶滅が起きた、という証拠があります。これらのデータに基づくと、海洋の島々におけるほとんどの既知の絶滅は、更新世人類の到来と関連づけられないか、もしくは非人為的過程との切り離しはできなさそうです。
●現生人類が存在する大陸部の島々
大陸部の島々に関しては、現生人類最初の記録はスマトラ島(関連記事)で得られていますが(73000~63000年前頃)、この時点でスマトラ島は大陸部と陸続き(スンダランド)だったので、その観点から解釈されます(図3および図4)。ただ、スマトラ島の初期現生人類の年代には疑問が呈されています(関連記事)。ボルネオ島やスマトラ島における動物絶滅の記録は乏しく、とくにジャワ島に関してはほとんど記録がありません。現生人類が到来した時にスマトラ島に生息していたサイやトラやバクなどほとんどの大型哺乳類は、つい最近まで生存していました。
ジャワ島における動物絶滅は、現生人類の可能性があるジャワ島における最初の人類の記録の前に起きており、氷期におけるアジア南東部本土への一時的なつながりに起因する、動物相交替事象と関連しています。これらの絶滅は、サバンナの広範な喪失と閉鎖的林冠への置換により起きた可能性があります(関連記事)。同様にブリテン島では、ほとんどの動物絶滅が現生人類の到来前に起きました。島の段階での絶滅は、おそらくブリテン島とアイルランド島の氷床拡大に起因しますが、ほとんどの動物絶滅はヨーロッパ本土と陸続きだった期間に起きた可能性が高く(図4)、ヨーロッパ本土の絶滅の文脈で理解されるべきです。これらの絶滅は一般的に、環境変化に起因しています。
ニューギニアにおけるほぼ全ての更新世の動物絶滅は、現生人類到来後かなり経過してから起きており、動物絶滅も現生人類到来もオーストラリアと陸続き(サフルランド)だった期間のことだったようです(図4)。ウォンバット型亜目種(Hulitherium tomassetti)とヒクイドリ(Casuarius lydekkeri)の絶滅は、その下限年代が化石の実際の年代に近ければ、現生人類の到来と同時だった可能性があります。同様に、カンガルー島では有袋類3種(Procoptodon browneorum、Procoptodon gilli、Procoptodon sp.)は、その下限年代が実際の絶滅年代と近ければ、最初の現生人類の到来と同時期に絶滅した可能性があります。タスマニア島では、2種の有袋類(Protemnodon anakおよびSimosthenurus occidentalis)だけが、現生人類の最初の記録と近い年代に消滅しており、両種のどちらも考古学的記録とは関連していません。大陸部の島々が島だったのは更新世のわずかな期間で、一部の動物絶滅は島嶼化の開始と同時のようですが、ほとんどは大陸と陸続きだった期間に起きました(図4)。したがって、これらの絶滅の根底にあるメカニズムは、海洋の島々に作用するメカニズムと直接比較できる可能性は低そうです。以下は本論文の図4です。
●動物絶滅のまとめ
現生人類も含めて更新世人類集団が後期完新世の現生人類と同じくらい破壊的だったならば、その影響は孤立した海洋の島々でとくに明らかなはずですが、本論文のデータでは観察されませんでした。キプロス島と久米島でのみ、現生人類の到来と同時期の全ての動物絶滅の記録を裏づけるデータがあります。海洋の島々における他の全ての更新世の動物絶滅は、少なくとも現在利用可能な年代解像度の範囲内では、そうした原因とは無関係か、時期がずれているようです。
海洋の島々や遠方の大陸部の島々の累積的動物絶滅は、数は絶対的には少なく、サルデーニャ島とフローレス島でそれぞれ最大12件が記録されています。サルデーニャ島とフローレス島は比較的大きく、とくに孤立していませんが、近くの大陸からは深い海で隔てられています。大陸棚の島々における動物絶滅は、よく表されて制約されている場合でも、時間的にずれており、おもに大陸との陸続きの期間に限定されているようです。最も近い大陸からの分離は、大陸部の島々全体で少なくとも過去50万年間には比較的稀で、間氷期の条件に大きく依存し、顕著な環境変化と関連していました。ジャワ島やブリテン島のような化石記録が豊富な大陸部の島々では、動物絶滅は多発していますが、その原因はおもに、大陸における絶滅のメカニズムの延長線上にある、と考えられるべきです。
●考察
動物相の入れ替わりは海洋の島々では一般的で、動物絶滅は、ひじょうに大きな島であっても、生態系が平衡状態に向かうさいの自然の過程です。より小さくより孤立した島は遺伝的多様性に大きな影響を及ぼし、人類が存在しない場合でさえ絶滅を起こします。この過程は、海面上昇により強化されます。島の大きさ、したがって資源の多様性は、人類の居住成功の最重要の原因である可能性が高く、陸生タンパク質の欠如は明らかな課題です。海洋資源に特化することにより、この制約を取り除けます。その他の資源には石や竹および/もしくは木材や淡水利用可能性が含まれ、これらは、どの島がどのようにどこで利用可能な資源を有していたのか、いくらかの尺度を提供します。海洋の島々では、淡水の利用可能性が定住の最大の制約だった可能性があります。それは、海洋性タンパク質が豊富だったとしても、多くの小さな島々は、淡水の獲得戦略が利用可能になった後期完新世まで人類により居住されなかったからです。
以前の乱獲の概念では、島嶼部における動物絶滅は本土の絶滅の加速版とみなされ、何を狩るべきかの選択がほとんどない、という追加の特徴がありました。K選択分類群は、大型動物絶滅モデルにおいて乱獲による絶滅に最も脆弱である、と考えられています。しかし、人類が関わらない海洋の島々の条件は、r選択された分類群を好む傾向にあるので、大型で繁殖が遅い種は、大陸よりも島の方で見られない可能性が高そうです。注目すべき例外にはカメと長鼻類が含まれますが、長鼻類は島では小型化し、島の条件に応じて進化を示す可能性があります。それにも関わらず、島における乱獲は更新世および完新世の動物絶滅を説明する重要な原因の一つであり続けます。
フローレス島のホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)とルソン島ねホモ・ルゾネンシスのような島に存在した非現生人類ホモ属は、さまざまな陸生動物を利用していました。ジャワ島のホモ・エレクトスは海洋資源の利用が可能でしたが、陸生資源以外のものが消費された明白な証拠はありません。カラオ洞窟では、人類が茶色のシカ(Rusa marianna)やフィリピンヒゲイノシシ(Sus philippensis)を狩るか、その死肉を漁っていました。両種ともルソン島で現存しています。ボルネオ島とジャワ島の動物考古学的記録では、現生人類が陸生と水生と樹上性の脊椎動物を狩り、罠で捕獲するためのさまざまな技術を用いていた、と示唆されます。アジア南東部の広範な地域における遠隔武器(弓矢や槍など)の導入は、狩猟対象の動物相の多様性、とくにサルやジャコウネコのような樹上性分類群に影響を及ぼしたようです。しかし、カニクイザルやリーフモンキーやビントロングのように最も集中的に狩られてきた種は、現存しています。
ワラセアの海洋の島々における現生人類と関連する更新世の記録は、海洋魚介類が優占しており、遠海漁業と複雑な漁業技術の初期の証拠が含まれます。注目すべき例外はスラウェシ島で、44000年前頃の洞窟壁画には、小型スイギュウ(Bubalus depressicornis)やセレベスヒゲイシ(Sulawesi warty pig)とともに狩猟場面の獣人が描かれており(関連記事)、最初期の考古学的堆積物はイノシシ科のバビルサ(Babyrousa babyrussa)と小型スイギュウ(アノア)が優占します。両分類群はスラウェシ島に現存します。琉球列島中央部の沖縄島では、縄文時代の人々がイノシシ(Sus scrofa)を集中的に狩っており、イノシシは6000年前頃までに小型化しました。その後、食資源は貝類に移行し、イノシシは再び大型化しました。これは、絶滅に至る乱獲を抑制する文化的および/もしくは環境的管理が存在したかもしれない、と示唆します。
カリフォルニアのチャネル諸島では、現生人類の到来と同じ時期に3つの陸生分類群の絶滅が記録されていますが、マンモスがそれまでに狩られていた兆候はなく、生計は海洋資源に集中していました。同様に、タスマニア島の考古学的記録では、小型から中型の動物のみが狩られており、絶滅種が現生人類により利用されていた証拠、もしくは現生人類が絶滅の原因である証拠はない、と示されています。キプロス島の考古学的記録は、12000年前頃の現生人類の到来に続く大規模な動物絶滅を示唆しており、これは島嶼部の動物絶滅と最初の現生人類到来との間に説得力のある重複が存在する2つの島のうち一方の事例となります。
絶滅は生計活動と結びついている場合、環境変化の記録から解明することは困難です。フィリピンのパラワン島のタボン洞窟(Tabon Caves)では、47000年前頃となるパラワン島で最初の現生人類の痕跡が確認されており、その頃パラワン島では森林は限定的で、開けた林地が優占していました。後期更新世の狩猟採集民共同体はおもにシカを狩っていました。パラワン島では、前期完新世に熱帯雨林が拡大し、海面上昇のため陸地の80%以上が失われました。シカの個体数は減少し、パラワンイノシシ(Sus ahoenobarbus)は現生人類にとって主要な大型哺乳類資源となりました。3000年前頃までに、シカ集団は絶滅しました。パラワン島では、現生人類の狩猟はシカの絶滅に顕著な役割を果たしましたが、気候と環境の大きな変化も集団回復力に影響を及ぼし、それはより開けた環境を維持しているカラミアン諸島の3島でシカが生存し続けていることにも示されています。
更新世の少なくともいくつかの島では人類も絶滅し(図1)、いくつかの考古学的記録は島の放棄を表しているようです。たとえば、ワラセアの小さな島であるキサール島に現生人類が最初に居住したのは16000年前頃でした。現生人類の居住は、大規模な海上交易ネットワークの確立後にのみ成功し、前期完新世における島の放棄は、これらのネットワークの崩壊と関連していた可能性があります。カンガルー島は、放棄の最良の直接的な肯定的証拠を保存しています。カンガルー島の記録によると、オーストラリア先住民は4000年前頃までに居住を終えましたが、一時的な訪問(もしくは恐らく継続した限定的居住)がさらに2000年続いた可能性があり、ヨーロッパ人がカンガルー島に到来した時までには、人類は存在しなくなっていました。キプロス島では、小型カバの絶滅後、現生人類の存在は前期新石器時代まで制限されていました。
島、とくに小さくて大陸から遠い島は、その小ささと孤立のため、無作為な事象が発生しやすくなります。本論文では、火山活動が恐らくは動物絶滅と同時期だった事例はほとんど見つかりませんでしたが(図2および図4)、これらの事象は島における現生人類最初の到来時期とも区別できません。大規模な噴火の第四紀の歴史は、日本列島でとくによく調査されており、噴火は哺乳類種の絶滅と同時期ではないようです。これはフローレス島の噴火記録にも当てはまります。歴史時代に島で起きた比較的よく記録された大規模噴火でさえ、局所的絶滅に対する噴火の影響を評価することは困難です。それにも関わらず、噴火の生態学的影響の研究は、哺乳類群集における短い回復時間と、長期的変化がないことを示しました。
完新世における島嶼部への現生人類の到来は、島の固有種の大規模な絶滅と同時だった、とよく考えられています。これらの絶滅は概念的に、乱獲や生息地改変や家畜・栽培植物・共生動物の導入のようなメカニズムを通じての、人類の作用と関連しています。家畜・栽培植物・共生動物の導入は間違いなく、島の動物絶滅にずっと大きな影響を及ぼし、それはとくに小型哺乳類や鳥類に当てはまり、それだけではなく大型哺乳類も同様です。たとえば琉球列島の宮古島では、固有種のシカ(Capreolus tokunagai)は最初の現生人類到来により追いやられたのではなく、その絶滅は後期更新世もしくは前期完新世に現生人類がイノシシを導入したことと一致します。
結果として、完新世において島嶼部で起きたことはしばしば、人々と関連する絶滅過程を理解する理論的および実践的枠組みを提供してきました。これは、現生人類が、以前には到達できなかったか、居住し続けられなかった地域へと完新世に拡大することを考えると、説得的です。それは大陸部の島々にも当てはまり、島の状態や技術変化が完新世の始まりと一致していました。しかし、更新世の記録は島の生物相の影響に関してずっと曖昧です。これは、生計戦略と密接に関連する要因、更新世を通じての技術および行動変化、島とその資源の世界的に特徴的な性質によるものです。
本論文のデータは、現生人類を含む人類が、現代人のように島の生態系に悪影響を常に及ぼしてきたわけではない、と示します。むしろ、絶滅の加速は前期~後期完新世において始まり、それは移住機会の拡大、航海能力と拡散能力の向上、広範な土地開拓の導入、共生動物やシナントロープ(スズメなど人間社会の近くに生息してそこから食資源や生活空間を得て存続している動物)の導入、人口密度の増加、動物集団の過剰な搾取を可能とする技術の発展の後に続いた事象です。人類が常に「未開の生態系」に有害だったわけではない、との認識は、人類がより受動的な、あるいは有益でさえあった影響を及ぼしてきた事例の特定に重要です。こうした事例は、島の固有動物相の絶滅危険性を増加させる要因の特定を目的とした比較研究に重要です。このような過程を経てのみ、現在島に残る生物多様性を保全できるでしょう。
参考文献:
Louys J. et al.(2021): No evidence for widespread island extinctions after Pleistocene hominin arrival. PNAS, 118, 20, e2023005118.
https://doi.org/10.1073/pnas.2023005118
島は大陸と比較して、生物相の広範な絶滅が生じやすい傾向にあります。それは、生息する動物相と個体数が少なく、遺伝的多様性が低くて、確率的過程に影響されやすく、再定着の可能性が少なくて、固有性がより高水準だからです。太平洋とインド洋の島々の驚くような絶滅は、現生人類の活動、とくに乱獲と生息地改変と侵入種の導入に起因します。島嶼部動物の絶滅と現生人類の定住の年表は、大陸における大型動物絶滅を理解するための魅力的な類似を提供してきました。以前の研究では、マダガスカル島とニュージーランドにおける人為的絶滅の明示的参照による過剰殺戮仮説が提示され、アフリカと南北アメリカ大陸の大型動物絶滅を説明するのに同様のメカニズムが適用できる、と主張されました。
島と大陸の生態系間に存在する重要な違いが認められているにも関わらず、島嶼部の記録はその後、更新世の絶滅が大陸でどのように展開したのか理解する理想的なモデルとよくみなされてきました。現在、島嶼部の動物の絶滅は、5万年以上前に現生人類により開始された世界的な絶滅事象の継続と解釈する見解が圧倒的に優勢です。現生人類の到来と大型動物絶滅との間の密接な関連がしっかりと確立されている島嶼部のよく知られている記録は、他の大陸における人為的絶滅仮説の裏づけとして広く引用されています。したがって、島嶼部の大型動物絶滅は、大型動物現象の原因に関する議論において重要な構成要素です。
現生人類が島嶼部の動物絶滅の主因との仮説は、現生人類が「未開の生態系(過去に現生人類との接触がない生態系)」に到来したことが動物絶滅と密接に関連していることを示唆する、ほぼ同時代の記録に依拠しています。しかし、世界的絶滅仮説の評価において多くの島が考慮されてきましたが、それらの考慮はほぼ完全に完新世の現生人類の存在に焦点が当てられてきました。この枠組みでは更新世島嶼部の重要性と、第四紀における島嶼部の定住事象の増加している考古学的記録にも関わらず、更新世の記録を有する島が、第四紀の絶滅の世界的評価に明示的に含まれることはほとんどありません。技術と行動と、人類種さえ、島嶼部で均一ではないので、これは重要です。人類は少なくとも前期更新世以来、海洋の島々を訪れたか、そこで居住し(関連記事1および関連記事2および関連記事3)、現生人類は少なくとも5万年前頃には島嶼部に存在しており、この期間に多くの顕著な進化的・行動的・文化的変化が起きました。人類の到来と絶滅との間の関連が更新世に人類が存在した島々に当てはまるのかどうか再調査することは、この研究の不足への対処における重要な第一段階です。
本論文は、更新世における人類の島嶼部への到達が、島嶼部の動物分類群の消滅と一致している、との仮説をデータが裏づけるのかどうか、調べます。本論文は、更新世における人類存在の記録があり、動物絶滅のいくつかの記録がある全ての島の考古学および古生物学的記録を調べます。本論文は、海洋の島々、つまり第四紀に大陸と陸続きになったことのない島々と、大陸部の島々、つまり最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)やそれ以前に大陸と陸続きになっていたものの、現在では島となっている地域を別々に扱います。また、火山活動など大規模な地質学的事象と、島の生態系へのさまざまな人類の明らかな生態学的影響に関連するデータも調べられます。
本論文は、動物分類群絶滅と人類の到来との間に時間的重複が存在するのかどうか確立するため、評価を限定しました。本論文は、これが人類の到来と動物絶滅との間の因果関係を意味するとは主張せず、むしろ、そのような関係が存在した可能性を示す最初の兆候とみなします。これにより、人類がそれまで人類の存在しなかった生態系に常に悪影響を及ぼした、との提案を評価できます。この長期的視点は、現代の生態系への現生人類の影響を理解し、島の保全活動に情報を提供するうえで必要な段階です。
●非現生人類ホモ属の島々
海洋の島における人類最古級の記録(図1および図2)は、フローレス島で100万年以上前の単純な石器(関連記事)、スラウェシ島で194000~118000年前頃の単純な石器(関連記事)、ルソン島で709000年前頃の石器や解体痕のあるサイの骨など(関連記事)が見つかっています。ルソン島における動物種(Nesorhinus philippinensis)とイノシシ科動物(Celebochoerus cagayanensis)の絶滅は、最初の人類の到来とほぼ同時かもしれませんが、現時点では、証拠は単一の年代測定された地点にのみ基づいており、人類と絶滅動物の共存期間に関する確たる洞察は提供されていません。フィリピンの大型動物の多くは6万~5万年前頃に絶滅した可能性があり、その頃までにルソン島に存在していたかもしれない(関連記事)ホモ・ルゾネンシス(Homo luzonensis)との明確な関連はないようです。大型ラット(Batomys sp.)や小型スイギュウ(Bubalus sp.)は、ホモ・ルゾネンシスと同じ層で見つかっています。それらは、ルソン島北部のカラオ洞窟(Callao Cave)の後の堆積層、もしくはルソン島のこれまで発掘された他の遺跡には存在せず、更新世末の前に絶滅した可能性が示唆されます。以下は本論文の図1です。
フローレス島では、最初の人類の出現と密接に関連する既知の絶滅はありません。スラウェシ島では、まだ特定されていない人類種の到来と動物の消滅との間で、明確な時間的関連性は示されていませんが、ステゴドン(Stegodon sp.)およびスイギュウ(Bubalus grovesi)の絶滅は、その下限年代が真の絶滅年代に近いとしたら、人類の到来と関連しているかもしれません。ギリシアのナクソス島(Naxos)で記録されている唯一の絶滅したゾウ種(Paleoloxodon lomolinoi)は、人類到来からかなり後のことです。サルデーニャ島では、人類の出現は同様に動物の消滅と関連していません。しかしクレタ島では、フクロウ(Athene cretensis)とイヌワシ(Aquila chrysaetos simurgh)とイタチ(Lutrogale cretensis)の絶滅が、人類の到来と関連しているかもしれません。以下は本論文の図2です。
大陸部の島では、人類最初の記録はジャワ島の130万年前頃のホモ・エレクトス(Homo erectus)となり(関連記事)、ブリテン島では100万年前頃までさかのぼり、ホモ・アンテセッサー(Homo antecessor)かもしれない足跡が確認されています(関連記事)。台湾では、分類未定の人類種の存在が45万年前頃までさかのぼる可能性があります(関連記事)。これらの人類の到来と同時の絶滅は記録されていませんが(図3)、これらの絶滅は、島が大陸と陸続きになった時期に起きており、「未開の生態系」への人類の到来というよりもむしろ、これらの人類の範囲拡大の文脈で理解する必要があります。古生物学的および考古学的記録は明らかに限定的ですが、この証拠に基づくと、ルソン島とスラウェシ島とクレタ島では合計7種が非現生人類の到来の結果絶滅したかもしれません。以下は本論文の図3です。
●現生人類が存在する海洋の島々
海洋の島々における現生人類の最初の直接的証拠は、アジアにおいて5万年前頃までさかのぼります(図1)。想定される最も広い意味での現生人類最初の到来と時間的に関連している絶滅(5000年以内)は、カリフォルニアのチャネル諸島の2種の長鼻類(Mammuthus columbiaおよびMammuthus exilis)とハタネズミ(Microtus miguelensis)、アイルランドのギガンテウスオオツノジカ(Megaloceros giganteus)とレミング(Dicrostonyx torquatus)、スラウェシ島のゾウ(Elephas/Paleoloxodon large sp.)、ティモール島のツル(Grus sp.)です。
フローレス島では、コウノトリ(Leptoptilos robustus)とハゲワシ(Trigonoceps sp.)と鳴鳥(Acridotheres)と小型ステゴドン(Stegodon florensis insularis)とホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)が、最初の現生人類の到来と近い時期および同時期の噴火の頃に消滅しています(図2)。フィリピンでは、ホモ・ルゾネンシスが55000年前頃もしくはその直前までルソン島に存在しており、パラワン島における現生人類最初の証拠は現時点では47000年以上前です。キプロス島と久米島だけで、現生人類到来後すぐに全ての記録された動物の絶滅が起きた、という証拠があります。これらのデータに基づくと、海洋の島々におけるほとんどの既知の絶滅は、更新世人類の到来と関連づけられないか、もしくは非人為的過程との切り離しはできなさそうです。
●現生人類が存在する大陸部の島々
大陸部の島々に関しては、現生人類最初の記録はスマトラ島(関連記事)で得られていますが(73000~63000年前頃)、この時点でスマトラ島は大陸部と陸続き(スンダランド)だったので、その観点から解釈されます(図3および図4)。ただ、スマトラ島の初期現生人類の年代には疑問が呈されています(関連記事)。ボルネオ島やスマトラ島における動物絶滅の記録は乏しく、とくにジャワ島に関してはほとんど記録がありません。現生人類が到来した時にスマトラ島に生息していたサイやトラやバクなどほとんどの大型哺乳類は、つい最近まで生存していました。
ジャワ島における動物絶滅は、現生人類の可能性があるジャワ島における最初の人類の記録の前に起きており、氷期におけるアジア南東部本土への一時的なつながりに起因する、動物相交替事象と関連しています。これらの絶滅は、サバンナの広範な喪失と閉鎖的林冠への置換により起きた可能性があります(関連記事)。同様にブリテン島では、ほとんどの動物絶滅が現生人類の到来前に起きました。島の段階での絶滅は、おそらくブリテン島とアイルランド島の氷床拡大に起因しますが、ほとんどの動物絶滅はヨーロッパ本土と陸続きだった期間に起きた可能性が高く(図4)、ヨーロッパ本土の絶滅の文脈で理解されるべきです。これらの絶滅は一般的に、環境変化に起因しています。
ニューギニアにおけるほぼ全ての更新世の動物絶滅は、現生人類到来後かなり経過してから起きており、動物絶滅も現生人類到来もオーストラリアと陸続き(サフルランド)だった期間のことだったようです(図4)。ウォンバット型亜目種(Hulitherium tomassetti)とヒクイドリ(Casuarius lydekkeri)の絶滅は、その下限年代が化石の実際の年代に近ければ、現生人類の到来と同時だった可能性があります。同様に、カンガルー島では有袋類3種(Procoptodon browneorum、Procoptodon gilli、Procoptodon sp.)は、その下限年代が実際の絶滅年代と近ければ、最初の現生人類の到来と同時期に絶滅した可能性があります。タスマニア島では、2種の有袋類(Protemnodon anakおよびSimosthenurus occidentalis)だけが、現生人類の最初の記録と近い年代に消滅しており、両種のどちらも考古学的記録とは関連していません。大陸部の島々が島だったのは更新世のわずかな期間で、一部の動物絶滅は島嶼化の開始と同時のようですが、ほとんどは大陸と陸続きだった期間に起きました(図4)。したがって、これらの絶滅の根底にあるメカニズムは、海洋の島々に作用するメカニズムと直接比較できる可能性は低そうです。以下は本論文の図4です。
●動物絶滅のまとめ
現生人類も含めて更新世人類集団が後期完新世の現生人類と同じくらい破壊的だったならば、その影響は孤立した海洋の島々でとくに明らかなはずですが、本論文のデータでは観察されませんでした。キプロス島と久米島でのみ、現生人類の到来と同時期の全ての動物絶滅の記録を裏づけるデータがあります。海洋の島々における他の全ての更新世の動物絶滅は、少なくとも現在利用可能な年代解像度の範囲内では、そうした原因とは無関係か、時期がずれているようです。
海洋の島々や遠方の大陸部の島々の累積的動物絶滅は、数は絶対的には少なく、サルデーニャ島とフローレス島でそれぞれ最大12件が記録されています。サルデーニャ島とフローレス島は比較的大きく、とくに孤立していませんが、近くの大陸からは深い海で隔てられています。大陸棚の島々における動物絶滅は、よく表されて制約されている場合でも、時間的にずれており、おもに大陸との陸続きの期間に限定されているようです。最も近い大陸からの分離は、大陸部の島々全体で少なくとも過去50万年間には比較的稀で、間氷期の条件に大きく依存し、顕著な環境変化と関連していました。ジャワ島やブリテン島のような化石記録が豊富な大陸部の島々では、動物絶滅は多発していますが、その原因はおもに、大陸における絶滅のメカニズムの延長線上にある、と考えられるべきです。
●考察
動物相の入れ替わりは海洋の島々では一般的で、動物絶滅は、ひじょうに大きな島であっても、生態系が平衡状態に向かうさいの自然の過程です。より小さくより孤立した島は遺伝的多様性に大きな影響を及ぼし、人類が存在しない場合でさえ絶滅を起こします。この過程は、海面上昇により強化されます。島の大きさ、したがって資源の多様性は、人類の居住成功の最重要の原因である可能性が高く、陸生タンパク質の欠如は明らかな課題です。海洋資源に特化することにより、この制約を取り除けます。その他の資源には石や竹および/もしくは木材や淡水利用可能性が含まれ、これらは、どの島がどのようにどこで利用可能な資源を有していたのか、いくらかの尺度を提供します。海洋の島々では、淡水の利用可能性が定住の最大の制約だった可能性があります。それは、海洋性タンパク質が豊富だったとしても、多くの小さな島々は、淡水の獲得戦略が利用可能になった後期完新世まで人類により居住されなかったからです。
以前の乱獲の概念では、島嶼部における動物絶滅は本土の絶滅の加速版とみなされ、何を狩るべきかの選択がほとんどない、という追加の特徴がありました。K選択分類群は、大型動物絶滅モデルにおいて乱獲による絶滅に最も脆弱である、と考えられています。しかし、人類が関わらない海洋の島々の条件は、r選択された分類群を好む傾向にあるので、大型で繁殖が遅い種は、大陸よりも島の方で見られない可能性が高そうです。注目すべき例外にはカメと長鼻類が含まれますが、長鼻類は島では小型化し、島の条件に応じて進化を示す可能性があります。それにも関わらず、島における乱獲は更新世および完新世の動物絶滅を説明する重要な原因の一つであり続けます。
フローレス島のホモ・フロレシエンシス(Homo floresiensis)とルソン島ねホモ・ルゾネンシスのような島に存在した非現生人類ホモ属は、さまざまな陸生動物を利用していました。ジャワ島のホモ・エレクトスは海洋資源の利用が可能でしたが、陸生資源以外のものが消費された明白な証拠はありません。カラオ洞窟では、人類が茶色のシカ(Rusa marianna)やフィリピンヒゲイノシシ(Sus philippensis)を狩るか、その死肉を漁っていました。両種ともルソン島で現存しています。ボルネオ島とジャワ島の動物考古学的記録では、現生人類が陸生と水生と樹上性の脊椎動物を狩り、罠で捕獲するためのさまざまな技術を用いていた、と示唆されます。アジア南東部の広範な地域における遠隔武器(弓矢や槍など)の導入は、狩猟対象の動物相の多様性、とくにサルやジャコウネコのような樹上性分類群に影響を及ぼしたようです。しかし、カニクイザルやリーフモンキーやビントロングのように最も集中的に狩られてきた種は、現存しています。
ワラセアの海洋の島々における現生人類と関連する更新世の記録は、海洋魚介類が優占しており、遠海漁業と複雑な漁業技術の初期の証拠が含まれます。注目すべき例外はスラウェシ島で、44000年前頃の洞窟壁画には、小型スイギュウ(Bubalus depressicornis)やセレベスヒゲイシ(Sulawesi warty pig)とともに狩猟場面の獣人が描かれており(関連記事)、最初期の考古学的堆積物はイノシシ科のバビルサ(Babyrousa babyrussa)と小型スイギュウ(アノア)が優占します。両分類群はスラウェシ島に現存します。琉球列島中央部の沖縄島では、縄文時代の人々がイノシシ(Sus scrofa)を集中的に狩っており、イノシシは6000年前頃までに小型化しました。その後、食資源は貝類に移行し、イノシシは再び大型化しました。これは、絶滅に至る乱獲を抑制する文化的および/もしくは環境的管理が存在したかもしれない、と示唆します。
カリフォルニアのチャネル諸島では、現生人類の到来と同じ時期に3つの陸生分類群の絶滅が記録されていますが、マンモスがそれまでに狩られていた兆候はなく、生計は海洋資源に集中していました。同様に、タスマニア島の考古学的記録では、小型から中型の動物のみが狩られており、絶滅種が現生人類により利用されていた証拠、もしくは現生人類が絶滅の原因である証拠はない、と示されています。キプロス島の考古学的記録は、12000年前頃の現生人類の到来に続く大規模な動物絶滅を示唆しており、これは島嶼部の動物絶滅と最初の現生人類到来との間に説得力のある重複が存在する2つの島のうち一方の事例となります。
絶滅は生計活動と結びついている場合、環境変化の記録から解明することは困難です。フィリピンのパラワン島のタボン洞窟(Tabon Caves)では、47000年前頃となるパラワン島で最初の現生人類の痕跡が確認されており、その頃パラワン島では森林は限定的で、開けた林地が優占していました。後期更新世の狩猟採集民共同体はおもにシカを狩っていました。パラワン島では、前期完新世に熱帯雨林が拡大し、海面上昇のため陸地の80%以上が失われました。シカの個体数は減少し、パラワンイノシシ(Sus ahoenobarbus)は現生人類にとって主要な大型哺乳類資源となりました。3000年前頃までに、シカ集団は絶滅しました。パラワン島では、現生人類の狩猟はシカの絶滅に顕著な役割を果たしましたが、気候と環境の大きな変化も集団回復力に影響を及ぼし、それはより開けた環境を維持しているカラミアン諸島の3島でシカが生存し続けていることにも示されています。
更新世の少なくともいくつかの島では人類も絶滅し(図1)、いくつかの考古学的記録は島の放棄を表しているようです。たとえば、ワラセアの小さな島であるキサール島に現生人類が最初に居住したのは16000年前頃でした。現生人類の居住は、大規模な海上交易ネットワークの確立後にのみ成功し、前期完新世における島の放棄は、これらのネットワークの崩壊と関連していた可能性があります。カンガルー島は、放棄の最良の直接的な肯定的証拠を保存しています。カンガルー島の記録によると、オーストラリア先住民は4000年前頃までに居住を終えましたが、一時的な訪問(もしくは恐らく継続した限定的居住)がさらに2000年続いた可能性があり、ヨーロッパ人がカンガルー島に到来した時までには、人類は存在しなくなっていました。キプロス島では、小型カバの絶滅後、現生人類の存在は前期新石器時代まで制限されていました。
島、とくに小さくて大陸から遠い島は、その小ささと孤立のため、無作為な事象が発生しやすくなります。本論文では、火山活動が恐らくは動物絶滅と同時期だった事例はほとんど見つかりませんでしたが(図2および図4)、これらの事象は島における現生人類最初の到来時期とも区別できません。大規模な噴火の第四紀の歴史は、日本列島でとくによく調査されており、噴火は哺乳類種の絶滅と同時期ではないようです。これはフローレス島の噴火記録にも当てはまります。歴史時代に島で起きた比較的よく記録された大規模噴火でさえ、局所的絶滅に対する噴火の影響を評価することは困難です。それにも関わらず、噴火の生態学的影響の研究は、哺乳類群集における短い回復時間と、長期的変化がないことを示しました。
完新世における島嶼部への現生人類の到来は、島の固有種の大規模な絶滅と同時だった、とよく考えられています。これらの絶滅は概念的に、乱獲や生息地改変や家畜・栽培植物・共生動物の導入のようなメカニズムを通じての、人類の作用と関連しています。家畜・栽培植物・共生動物の導入は間違いなく、島の動物絶滅にずっと大きな影響を及ぼし、それはとくに小型哺乳類や鳥類に当てはまり、それだけではなく大型哺乳類も同様です。たとえば琉球列島の宮古島では、固有種のシカ(Capreolus tokunagai)は最初の現生人類到来により追いやられたのではなく、その絶滅は後期更新世もしくは前期完新世に現生人類がイノシシを導入したことと一致します。
結果として、完新世において島嶼部で起きたことはしばしば、人々と関連する絶滅過程を理解する理論的および実践的枠組みを提供してきました。これは、現生人類が、以前には到達できなかったか、居住し続けられなかった地域へと完新世に拡大することを考えると、説得的です。それは大陸部の島々にも当てはまり、島の状態や技術変化が完新世の始まりと一致していました。しかし、更新世の記録は島の生物相の影響に関してずっと曖昧です。これは、生計戦略と密接に関連する要因、更新世を通じての技術および行動変化、島とその資源の世界的に特徴的な性質によるものです。
本論文のデータは、現生人類を含む人類が、現代人のように島の生態系に悪影響を常に及ぼしてきたわけではない、と示します。むしろ、絶滅の加速は前期~後期完新世において始まり、それは移住機会の拡大、航海能力と拡散能力の向上、広範な土地開拓の導入、共生動物やシナントロープ(スズメなど人間社会の近くに生息してそこから食資源や生活空間を得て存続している動物)の導入、人口密度の増加、動物集団の過剰な搾取を可能とする技術の発展の後に続いた事象です。人類が常に「未開の生態系」に有害だったわけではない、との認識は、人類がより受動的な、あるいは有益でさえあった影響を及ぼしてきた事例の特定に重要です。こうした事例は、島の固有動物相の絶滅危険性を増加させる要因の特定を目的とした比較研究に重要です。このような過程を経てのみ、現在島に残る生物多様性を保全できるでしょう。
参考文献:
Louys J. et al.(2021): No evidence for widespread island extinctions after Pleistocene hominin arrival. PNAS, 118, 20, e2023005118.
https://doi.org/10.1073/pnas.2023005118
この記事へのコメント