ヨーロッパ最古級となるバチョキロ洞窟の現生人類のゲノム解析

 ヨーロッパ最古級の現生人類(Homo sapiens)のゲノム解析結果を報告した研究(Hajdinjak et al., 2021)が公表されました。ヨーロッパにおける中部旧石器時代から上部旧石器時代への移行は47000年前頃に始まり(関連記事)、現生人類(Homo sapiens)の拡大、および4万年前頃のネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の消滅(関連記事)と重なっています。ネアンデルタール人と現生人類のゲノム分析から、両人類集団間で6万~5万年前頃に遺伝子流動が起き(関連記事)、その場所はおそらくアジア南西部だった、と示されています。

 しかし、4万年前頃前後以上前のユーラシアの現生人類遺骸は不足しており、ゲノム規模データが利用可能なのは、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」で発見された39980年前頃の「Oase 1」(関連記事)と、シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44380年前頃となる男性の左大腿骨(関連記事)と、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された男性(関連記事)の3個体だけです(図1)。なお、これらの年代は放射性炭素年代測定法の最新の較正曲線(IntCal20)に基づいており(関連記事)、以下の年代でもIntCal20に基づいている場合は年代の後に(IntCal20)と示します。

 したがって、ユーラシアの最初期現生人類の遺伝的情報、つまりネアンデルタール人のような絶滅ホモ属(古代型ホモ属)との相互作用や後の人口集団への寄与の程度については、ほとんど知られていません。たとえば、39980年前頃のOase 1と、44380年前頃のウスチイシム個体は、その後のユーラシア人口集団との特定の遺伝的関係を示しませんが、39980年前頃の田園個体は、古代および現代のアジア東部人口集団の遺伝的祖先系統に寄与しました(より厳密には、当時存在したアジア東部現代人の主要な直接的祖先集団と遺伝的にきわめて近縁で、わずかに現代人にも直接的な遺伝的影響を残しているかもしれません)。別の未解決の問題は、現生人類がヨーロッパとアジア全域に拡大した時、ネアンデルタール人とどの程度混合したのか、ということです。Oase 1では地域的な交雑の直接的証拠が得られており、その4~6世代前の祖先にネアンデルタール人がいた、と推測されています。以下、本論文の図1です。
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●バチョキロ洞窟

 本論文は、ブルガリア中央部のドリャノヴォ(Dryanovo)の西方5km、バルカン山脈の北斜面に位置し、ドナウ川からは南へ約70kmとなるバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)で発見された現生人類遺骸のゲノム規模データを報告します。バチョキロ洞窟(図1-1)では、当初はバチョキリアン(Bachokirian)と報告され、後に初期上部旧石器(Initial Upper Paleolithic、以下IUP)インダストリーの一部とされた石器群が発見されており、その石器群と直接的に関連している人類遺骸と、もっと新しい2個の人類遺骸が発見されています。

 IUPは、年代的に、中部旧石器時代の最後の石器群と、上部旧石器時代の最初の小型石刃(bladelet)インダストリーとの間に収まる石器群をまとめています。IUPはアジア南西部とヨーロッパ中央部および東部からモンゴルまで(関連記事)広範な地域にまたがっています(図1)。石器技術に基づいて、これらの石器群をまとめる理由はありますが、IUPは大きな地域的変異性も示します。したがって、IUPが中緯度ユーラシア全域の現生人類の拡散なのか、特定の技術的着想の拡散なのか、独立した発明なのか、これらの一部もしくは全ての組み合わせのどれを表しているのか、議論されています(関連記事)。IUPはヨーロッパ中央部および西部では後期ネアンデルタール人の遺跡と同年代で(関連記事)、プロトオーリナシアン(Proto-Aurignacian)やオーリナシアン(Aurignacian)などヨーロッパにおける後の上部旧石器技術複合に数千年先行します。

 最近の発掘で、バチョキロ洞窟では人類遺骸5個が回収されました。下顎大臼歯1個(F6-620)は主区域のJ層下部で、4個の断片的な骨(AA7-738、BB7-240、CC7-2289、CC7-335)は壁龕1区域I層で発見されました。これらの直接的な放射性炭素年代は44640~42700年前頃(IntCal20)で、そのミトコンドリアゲノムは現生人類の変異内に収まりましたから、ヨーロッパでは最古級の上部旧石器時代現生人類と示唆されます(関連記事)。

 1個の断片的な骨(F6-597)は主区域B層で発見され、もう1個の断片的な骨(BK1653)は1970年代の発掘において、B層とC層の境界面に対応する位置で発見されました。F6-597とBK1653の直接的な放射性炭素年代は、それぞれ36320~35600年前頃と35290~34610年前頃です。より新しい層の石器群は疎らですが、オーリナシアンの可能性が高そうです。また、考古学的文脈外で見つかったOase 1の追加のデータも生成されました。

 歯または骨のこれら8標本からDNAが抽出されました。このうち6標本では、古代DNAの指標とされるシトシンからチミンへの置換が一定以上の割合で確認されました。F6-620とAA7-738とBB7-240とCC7-335は男性、BK1653とCC7-2289は女性と推定されますが、データ量が少ないためCC7-2289の性別判断は暫定的です。大臼歯F6-620と骨片AA7-738は同じミトコンドリアゲノム配列を有しており、ともに男性です。一塩基多型でのこれら2標本間の塩基対ミスマッチ率は0.13で、同じ標本のライブラリー間のミスマッチ率と類似しています。対照的に、他のバチョキロ洞窟標本ではミスマッチ率は0.23で、他の研究での無関係な古代人と類似しています。したがって、F6-620とAA7-738は同一個体か、可能性はずっと低いものの、一卵性双生児だった、と結論づけられます。

 Y染色体DNAでは、F6-620で15.2倍、BB7-240で2.5倍、CC7-で1.5倍の網羅率のデータが得られました。F6-620はY染色体ハプログループ(YHg)F(M89)の基底部系統で、BB7-240とCC7-335のYHgはC1(F3393)です。YHg-Cはアジア東部とオセアニアの男性では一般的ですが、YHg-FおよびC1は現代人では比較的低頻度で、オセアニアやアジア南東部本土や日本列島などにおいて低頻度で見られます。


●ゲノム解析

 外群f3統計を用いて、バチョキロ洞窟個体群と他の初期現生人類との間の遺伝的類似性の程度が推定されました。バチョキロ洞窟のIUP期3個体は、他のあらゆる古代の個体よりも相互に類似しています。対照的に、そのずっと後となる35000年前頃のBK1653は、ヨーロッパの38000年前頃以降の上部旧石器時代個体群とより類似しています。たとえば、ベルギーのゴイエット(Goyet)遺跡で発見された35000年前頃の1個体(Goyet Q116-1)や、さらに後のグラヴェティアン(Gravettian)石器群と関連する、チェコのドルニー・ヴェストニツェ(Dolní Věstonice)遺跡の3万年前頃の個体群に因んで、ヴェストニツェ遺伝的クラスタと呼ばれる個体群の方と類似しています。バチョキロ洞窟個体群を現代の人口集団(関連記事)と比較すると、IUP個体群は、ユーラシア西部人口集団よりも、アジア東部および中央部とアメリカ大陸先住民の人口集団の方と多くのアレル(つまり、より多くの遺伝的多様体)を共有していますが(図2a)、BK1653は、現代ユーラシア西部人口集団の方と多くのアレルを共有しています。

 次に、これらの観察結果は、現代のユーラシア西部人口集団が「基底部ユーラシア人」(関連記事)からの祖先系統の一部に由来する、という事実に起因するのかどうか、調べられました。基底部ユーラシア人とは、出アフリカ現生人類系統ではあるものの、非アフリカ系現代人の主要な祖先集団とは早期に分岐し、ネアンデルタール人の遺伝的影響をほとんど受けなかった、と仮定されている集団(ゴースト集団)で、ユーラシア西部人口集団とIUP個体群との間で共有されるアレルを「希釈」した可能性があります。

 この検証のため、ウスチイシム個体とOase1個体とバチョキロ洞窟個体群が、ヨーロッパロシアにあるコステンキ-ボルシェヴォ(Kostenki-Borshchevo)遺跡群の一つであるコステンキ14(Kostenki 14)遺跡で発見された、ヨーロッパへの「基底部ユーラシア人」祖先系統の導入に先行する38000年前頃の若い男性1個体(関連記事)など、ユーラシア西部の個体群と比較されました。その結果、ウスチイシム個体とOase1個体はユーラシア東部人口集団よりもユーラシア西部人口集団の方と多くの類似性を示さず、以前に示されたように、この2個体は後のヨーロッパの人口集団に遺伝的に寄与しなかった、と示唆されます(関連記事1および関連記事2)。

 対照的に、バチョキロ洞窟のIUP個体群は、コステンキ14個体よりも、4万年前頃の田園個体や他の古代シベリア人(関連記事)やアメリカ大陸先住民(関連記事)の方と多くのアレルを共有します。他のユーラシア西部上部旧石器時代人では、バチョキロ洞窟のIUP個体群は、コステンキ14個体よりも、Oase1個体および35000年前頃のGoyet Q116-1個体の方と多くのアレルを共有しています。とくに、Goyet Q116-1個体は、ヨーロッパの類似した年代の他の個体との比較で、初期アジア東部人とより多くのアレルを共有する、と示されていました(関連記事)。

 混合グラフを用いて上記の観察結果と一致する人口史のモデルを調べると、バチョキロ洞窟のIUP個体群は、田園個体や、より少ない程度ながらGoyetQ116-1個体やウスチイシム個体に祖先系統をもたらした人口集団とも関連していた、と明らかになりました(図2d)。これにより、ベルギーのGoyetQ116-1個体と中国北東部の田園個体間の以前には不明確だった関係が、地理的に離れた2個体間の遺伝子流動を必要とせずに解決されます。このモデルでは、以下のようなことも示唆されます。まず、バチョキロ洞窟でより新しいBK1653個体は、GoyetQ116-1個体の人口集団と関連するものの、同一ではない人口集団に属します。次に、グラヴェティアン石器群との関連で見つかったヴェストニツェ遺伝的クラスタの祖先系統は、BK1653個体のような人口集団に一部が、ロシアのスンギール(Sunghir)遺跡の34000年前頃となる個体群(関連記事)と関連する人口集団に残りが由来します。以下、本論文の図2です。
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●ネアンデルタール人との混合

 バチョキロ洞窟のIUP個体群は、ヨーロッパで末期ネアンデルタール人と同時に存在していたので、高品質なゲノムデータの得られているネアンデルタール人個体、つまりシベリア南部のアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)の個体(関連記事)と、クロアチアのヴィンディヤ洞窟(Vindija Cave)の個体(関連記事)のゲノムデータを用いて、バチョキロ洞窟のIUP個体群のゲノムにおけるネアンデルタール人由来の領域の割合が推定されました。その結果、IUP個体群(F6-620とBB7-240とCC7-335)はそれぞれ、3.8%(95%信頼区間で3.3~4.4%)、3.0%(95%信頼区間で2.4~3.6%)、3.4%(95%信頼区間で2.8~4.0%)と推定されました。これは、他の古代人および現代人の平均1.9%(95%信頼区間で1.5~2.4%)よりも多く、例外はOase1個体の6.4%(95%信頼区間で5.7~7.1%)です。

 対照的に、IUP個体群よりも新しいBK1653個体では、ネアンデルタール人由来の領域の割合は1.9%(95%信頼区間で1.4~2.4%)と推定されており、他の古代人および現代人と類似しています。これまでに研究された全ての現生人類のように、バチョキロ洞窟のBK1653個体とIUP個体群のゲノムにおけるネアンデルタール人由来の領域は、デニソワ洞窟の個体(デニソワ5)よりも、クロアチアのヴィンディヤ洞窟の個体(Vindija 33.19)およびアルタイ山脈のチャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)の個体(チャギルスカヤ8)の方と類似していました。

 バチョキロ洞窟個体群におけるネアンデルタール人祖先系統の分布を調べるため、ネアンデルタール人および/もしくは種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)のゲノム(関連記事)でアフリカ人のゲノムとは異なる約170万ヶ所の一塩基多型と、古代ゲノムにおける古代型DNAの領域を検出する手法が用いられました。その結果、各個体におけるネアンデルタール人のDNAは合計で、F6-620個体で279.6cM(センチモルガン)、CC7-335個体で251.6 cM、BB7-240個体で220.9cMとなり、これら3個体はそれぞれ、5 cMより長いネアンデルタール人由来のDNA断片を、7ヶ所、6ヶ所、9ヶ所有していました(図3)。ネアンデルタール人から遺伝子移入された最長の断片は、F6-620個体で54.3cM、CC7-335個体で25.6cM、BB7-240で17.4cMでした(図3)。対照的に、BK1653個体のゲノムにおけるネアンデルタール人由来のDNAの合計は121.7 cMで、最長のネアンデルタール人由来の断片は2.5 cMでした(図3)。以下、本論文の図3です。
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 長いネアンデルタール人断片の分布に基づいて、F6-620個体は6世代前未満にネアンデルタール人の祖先がいた、と推定されます。CC7-335およびBB7-240個体は、7世代前頃(信頼区間の上限は、それぞれ10世代前と17世代前)にネアンデルタール人の祖先がいた、と推定されます。したがって、全てのバチョキロ洞窟IUP個体群は、比較的近い世代の祖先にネアンデルタール人がいました。

 バチョキロ洞窟個体群が後のユーラシア人口集団に遺伝的にどの程度寄与したのかさらに調べるため、バチョキロ洞窟個体群のゲノムにおけるネアンデルタール人由来のDNA断片が、現代の人口集団におけるネアンデルタール人由来のDNA断片と、偶然の場合に予測されるよりも多く重複しているのか、検証されました。その結果、現代アジア東部人口集団とバチョキロ洞窟IUP個体群との間で、BK1653個体とよりも多い断片の重複が明らかになりました。対照的に、BK1653個体は、バチョキロ洞窟IUP個体群の場合よりも、現代ユーラシア西部人口集団とネアンデルタール人由来の断片の重複が多い、と示しました。これは、バチョキロ洞窟IUP人口集団が、後のアジア東方集団やアメリカ大陸先住民の方により多く祖先系統をもたらした一方で、BK1653個体はユーラシア西部人口集団により多くの祖先系統をもたらした、との観察結果と一致します。

 次に、ほとんど若しくは全くネアンデルタール人祖先系統を有さない、ヒトゲノムの部分(ネアンデルタール人「砂漠」)間の重複が調べられました。このネアンデルタール人「砂漠」は、ネアンデルタール人からの遺伝子移入直後に、ネアンデルタール人由来のDNAに対する浄化選択により起きた、と考えられています(関連記事1および関連記事2)。その結果、バチョキロ洞窟IUP個体群とOase1で以前に報告された「砂漠」では、ネアンデルタール人から遺伝子移入されたDNAはほぼない、と明らかになりました。これらの比較をより近い世代でのネアンデルタール人からの遺伝子移入に限定すると(つまり、5 cM以上)同様に重複はないと明らかになり、ネアンデルタール人のDNA多様体への選択は交雑後数世代以内に起きたと推測されるものの、この問題を完全に解決するには、より近い世代でのネアンデルタール人祖先系統を有する追加の個体群が必要になるだろう、と示唆されます。


●まとめ

 バチョキロ洞窟個体群のゲノムは、いくつかの異なる現生人類人口集団が初期上部旧石器時代のユーラシアに存在していたことを示します。Oase1個体とウスチイシム個体に代表されるこれら人口集団の一部は、後の人口集団との検出可能な類似性を示しませんが、バチョキロ洞窟IUP個体群と関連する集団は、アジア東方祖先系統を有する後の人口集団や、GoyetQ116-1個体のような一部のユーラシア西部集団に寄与しました。これは、IUP石器群がヨーロッパ中央部および東部から現在のモンゴルまで見つかるという事実、およびヨーロッパ東部からアジア東部へと達する推定上のIUP拡散と一致します。

 最終的に、バチョキロ洞窟IUP個体群と関連する人口集団は、バチョキロ洞窟のBK1653個体を含む後の個体群が現代アジア東方人口集団よりも現代ヨーロッパ人口集団の方と遺伝的に近い、という事実により示唆されるように、ユーラシア西部では後の人口集団に検出可能な遺伝的寄与を残さずに消滅しました。ヨーロッパでは、連続的な人口集団置換との見解は考古学的記録とも一致し、IUPは中部旧石器に対して明確に侵入的であり、石刃への共通の焦点を除いて、IUPとその後のオーリナシアン技術との間の明確な技術的つながりはありません。最後に、末期ネアンデルタール人と年代的に重複し、そのゲノム規模データが得られているヨーロッパの4個体(F6-620とBB7-240とCC7-335とOase1)全てで、近い世代の祖先にネアンデルタール人がいたことは驚くべきです(図3)。これは、ネアンデルタール人とヨーロッパへ到来した最初の現生人類との間の混合が、想定されるよりも一般的だったことを示唆します。


 以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、ヨーロッパ最古級の現生人類のゲノム規模データを提示した点はもちろん、出アフリカ現生人類の複雑な移動を浮き彫りにし、謎めいた遺伝的事象の説明を提供できた点でも、たいへん意義深いと思います。ベルギーの35000年前頃となるGoyet Q116-1個体と、中国北部の4万年前頃の田園個体との遺伝的類似性の解釈はこれまで難問でしたが(関連記事)、バチョキロ洞窟IUP個体群のゲノム規模データにより、ユーラシア西部集団よりもアジア東部集団の方と遺伝的に近縁で、おそらくはアジア東部集団の主要な祖先集団の一方ときわめて近縁な集団が、45000年以上前のヨーロッパ東部に存在した、と明らかになりました。この遺伝的構成の集団は上部旧石器時代にヨーロッパでは消滅したようですが、一部の上部旧石器時代ヨーロッパ集団に遺伝的影響を残し、それがGoyet Q116-1個体と田園個体との遺伝的類似性をもたらしたのでしょう。

 ユーラシア中緯度地帯にIUPを広めた人口集団は、遺伝的に均一ではなかったかもしれませんが、少なくともその一部は、アジア東部人口集団に大きな遺伝的影響を残したようです。もちろん、バチョキロ洞窟IUP個体群が現代アジア東部人口集団の直接的祖先である可能性は低く、同時代の直接的祖先はもっと東方に存在した可能性の方が高そうですが。最近のアジア東部人口集団に関する包括的な古代ゲノム研究(関連記事)に従うと、IUPを広めた集団の少なくとも一部は、ユーラシア東部内陸部系統に位置づけられる可能性が高そうです。その意味で、ユーラシア東部内陸部系統の拡散経路と時期の指標として、IUPは重要な意味を有してくるかもしれません。ヨーロッパ上部旧石器時代における現生人類人口集団の置換を改めて示した点でも、本論文は注目されます。現在の分布からの人口史の推定には限界があり、古代DNA研究が必要になる、と再確認されます。

 ネアンデルタール人と現生人類との混合が一般的だったことを示唆する知見も注目されます。アルタイ山脈ではネアンデルタール人とデニソワ人との混合が一般的だったと推測されており(関連記事)、後期ホモ属において異なる系統間の混合は珍しくなかったのかもしれません。これと関連して、非アフリカ系現代人全員の共通祖先集団とネアンデルタール人との混合以外に、ヨーロッパ系現代人と東アジア系現代人の祖先集団がそれぞれ、ネアンデルタール人と追加の交雑をした可能性が高い、と推測されていますが(関連記事)、本論文の知見は、アジア東部現代人の祖先集団とネアンデルタール人との追加の混合がどこで起きたのか、という観点からも注目されます。

 これまで、ユーラシア東方では少なくともアルタイ山脈にまでネアンデルタール人は拡散していたので、アルタイ山脈などユーラシア東部が追加の混合の場所だったかもしれない、と私は考えていました。しかし、本論文の知見を踏まえると、ヨーロッパでアジア東部現代人の祖先集団とネアンデルタール人との追加の混合が起きたかもしれせん。じっさい、アルタイ山脈のデニソワ洞窟のネアンデルタール人個体と遺伝的に近い集団と、アジア東部現代人の祖先集団との混合に関しては、否定的な知見も提示されています(関連記事)。ただ、上述のチャギルスカヤ洞窟のネアンデルタール人個体は、デニソワ洞窟のネアンデルタール人個体よりもヨーロッパのヴィンディヤ洞窟のネアンデルタール人個体の方と遺伝的に近いので、そうしたネアンデルタール人集団とアジア東部現代人の祖先集団が、ユーラシア東部で混合した可能性も考えられます。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用ですが、もう一方の研究は後日取り上げる予定です。


集団遺伝学:後期旧石器時代初頭のヨーロッパの人類はネアンデルタール人を近い祖先に持っていた

進化:ヨーロッパで最古の現生人類に関する解明が進んだ

 約4万5000年前のものとされるヨーロッパで最古の現生人類の骨の化石のゲノム解析が行われ、ヨーロッパにおける初期人類の移動に関する新たな知見が得られたことを報告する2編の論文が、それぞれNature とNature Ecology & Evolution に掲載される。これら2つの研究は、ヨーロッパにおける初期現生人類集団の複雑で多様な歴史を描き出している。

 ヨーロッパで最古の現生人類の骨の化石は、ブルガリアのバチョキロ洞窟で発見され、放射性炭素年代測定法によって4万5930~4万2580年前のものと決定された。この最古の現生人類集団が、約4万年前まで生存していたネアンデルタール人とどの程度交流していたのかは解明されておらず、その後の人類集団にどのように寄与したのかについても、ほとんど分かっていない。

 Nature に掲載される論文では、Mateja Hajdinjakたちが、バチョキロ洞窟で採集された人類標本の核ゲノム塩基配列の解析が行われて、これらの人類個体の祖先についてと、これらの個体と現代人の関係についての手掛かりが得られたことを報告している。最古の3個体は、西ユーラシアの現代人集団よりも、東アジア、中央アジア、アメリカ大陸の現代人集団と共通の遺伝的変異の数が多かった。また、これら3個体のゲノムに占めるネアンデルタール人のDNAの割合は3~3.8%であり、これら3個体のゲノムにおけるネアンデルタール人の遺伝物質の分布から、わずか6世代前かそれより近い世代の祖先がネアンデルタール人であったことが示された。これらのデータは、現生人類とネアンデルタール人の交雑が、これまで考えられていたよりも頻繁だった可能性のあることを示唆している。

 Nature Ecology & Evolution に掲載される論文では、Kay Prüferたちが、チェコのZlatý kůň遺跡から出土した4万5000年以上前のものと考えられる女性の現生人類の頭蓋骨化石のゲノム塩基配列解析結果を報告している。Prüferたちは、この人類個体が、ゲノムに占めるネアンデルタール人のDNAの割合が約3%で、その後のヨーロッパ人集団、アジア人集団のいずれにも遺伝的に寄与していないと思われる集団に属していたことを明らかにした。この頭蓋骨化石は、汚染のために放射性炭素年代測定には失敗したが、ネアンデルタール人に由来するゲノム中のDNA断片が、他の初期現生人類個体のゲノムのそれよりも長かったため、この個体は4万5000年以上前に生存しており、アフリカから各地に広がった後のユーラシアにおける最古の現生人類集団の1つに属していたことが示唆された。

 以上の知見を総合すると、ヨーロッパにおける人類集団の交代が連続的に起こったとする従来の学説が裏付けられる。



参考文献:
Hajdinjak M. et al.(2021): Initial Upper Palaeolithic humans in Europe had recent Neanderthal ancestry. Nature, 592, 7853, 253–257.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03335-3

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