現代人の骨盤の性差の起源
現代人の骨盤の性差の起源に関する研究(Fischer et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。平均して、現代人の骨では骨盤で最も性差が強くなります。骨盤は、男性よりも女性の方が平均的に大きい唯一の人骨です。男性と比較して女性では、出産に関連する骨盤管が大きく、恥骨下角と坐骨切痕が広くなっています。これらの違いにより、現生人類(Homo sapiens)の骨盤は、性別決定の最も信頼できる部位となります。
ヒトと非ヒト霊長類の骨盤の性差は、出産と関連する雌に作用する選択の証拠として、長く解釈されてきました。しかし、骨盤の性差の出産と関連する重要性については、議論があります。児頭骨盤比が高い霊長類(母親の骨盤と比較して胎児の頭が大きいこと)は、強い骨盤の性差を示す傾向があります。しかし、(ヒトを除く)大型類人猿など出産に制約の少ない種でも軽度の骨盤の性差が存在するので、出産が骨盤の性差の選択に排他的な役割を担ってきたのか、議論があります。重量では新生児が母体のわずか0.01%にすぎない有袋類であるキタオポッサム(Virginia opossum)のような出産上の制約がほとんどない種でも、身体サイズの違いとは無関係に骨盤の性差が存在します。ステロイドホルモンは二形性成長と再構築だけではなく、他の多くの発達的および生理学的過程にも関わっているので、骨盤の性差は少なくとも部分的には、他の解剖学的もしくは生理学的特性の自然選択に由来する可能性がある、と示唆されています。
二足歩行の進化は、男女ともに骨盤を含むヒト骨格の大きな変化と一致しました。しかし、保存状態の良好な骨盤化石が不足しているため、現代人的な骨盤の性差が中新世から鮮新世の二足歩行で現れたのか、更新世の脳の巨大化で現れたのか、あるいは両方の過程に先行したのかどうか、不明です。また、化石記録からの推測も、標本の性別が不明なために妨げられています。たとえば、女性と考えられてきた、アウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)の化石として最も保存状態が良好で骨盤を含むルーシー(Lucy)と呼ばれる個体(A.L. 288-1)でも、男性の可能性が指摘されています(関連記事)。
身体比と身長はヒトでは骨盤形態と相関しており、大型類人猿における骨盤の性差は、部分的には性別間の身体サイズの違いの結果である、と一部の研究では示唆されています。しかし現代人の場合、全体的なサイズの違いは骨盤形態の性差に最小限にしか寄与しない、と示されてきました。本論文は、現代人とその最近縁現生種であるチンパンジー(Pan troglodytes)の骨盤の変異の包括的な形態計測により、ヒトの骨盤の性差の進化的起源に取り組みます(図1)。チンパンジーではヒトよりも出産は容易な過程で、これは新生児の頭が母体の最小骨盤寸法の約70%しかなく、分娩が通常は短いためです。チンパンジーの胎児の頭も出産中に回転するように見えますが、ヒトと同一ではありません。それにも関わらず、チンパンジーは通常、骨盤に起因する出産制約があったとしても、ほとんどない種とみなされます。チンパンジーの骨盤の性差を調べた研究のほとんどは、骨器寸法の微妙な違いを記録しています。以下、本論文の図1です。
●分析結果
骨盤形態の個体差を調べるため、チンパンジー34個体とヒト99個体を対象に主成分分析が実行されました(図2)。ヒト(赤色が雌、青色が雄)とチンパンジー(薄赤色が雌、薄青色が雄)はPC1軸に沿って明確に分離しており(図2a)、ヒトとチンパンジー両方の性差はPC2軸とPC3軸により表されます(図2b)。骨盤形態の両種の違いは、両種の性差とは明らかに異なっています。PC2軸とPC3軸では、ヒトとチンパンジー両種の両性はほぼ一共線で、性差のパターンが両種でひじょうによく似ていることを示します。しかし、チンパンジーの性差の全体的な程度は、ヒトの52%にすぎません。以下、本論文の図2です。
ヒトはチンパンジーよりも身体サイズはずっと大きく、両種で雄は雌よりも大きいので、両種で相対成長や身体サイズと形態の関連が調べられました。骨盤相対成長は両種で類似しているものの、性的二形の方向性と種の違いは明確に異なる、と分かりました。ヒトとチンパンジーの性差の同様のパターンは、骨盤形態の3次元視覚化でも明らかです(図3)。両種で骨盤入口の相対的な横径と恥骨下角は、雄と比較して雌の方が大きくなっています。雌は平均して雄よりも広いものの短い仙骨を有しています。雄は雌よりも比較的大きくて裾幅の広い腸骨片を有しています。以下、本論文の図3です。
骨盤形態の両種間の強い違いとは無関係に、両種間の性差パターンをよりよく比較するため、チンパンジーの性差ベクトルが、ヒトの性差ベクトルと同じ長さに調整された後で、ヒトの性差平均値に加えられました。換言すると、ヒトの二形性と同じ程度に調整されたチンパンジーの二形性をヒト雌の平均形態に追加し、この調整されたチンパンジーの二形性をヒト男性の平均形態から差し引いたことになります。これにより、骨盤形態のヒトの性差がほぼ完全に再構築され(図4)、性差のパターンが両種でじっさいにほぼ同じと示されます(上段がヒト、下段がチンパンジー)。以下、本論文の図4です。
産道の性差をより具体的に評価するため、骨盤入口の形態が個別に分析されました。産道と最も関連性がある寸法は、骨盤管の上側または冠状部分である骨盤入口と、骨盤の正中面および出口により決定されます。ヒトとチンパンジーの間で最も容易に比較できる入口では、性差のパターンは両種でひじょうに類似していました。平均して、入口の横径は両種において雌の方で相対的により広く、雄と比較して雌では丸い産道がもたらされました(図5)。入口のサイズは、両種で雄よりも雌の方が大きく、その違いは平均して、ヒトでは11%、チンパンジーでは10%です。以下、本論文の図5です。
●考察
ヒトの骨盤は出産時に大きな胎児を収容し、直立運動を可能にしなければならず、これは人類進化の中心とみなされる二つの特徴です。このヒト中心の観点からは、チンパンジーが基本的にヒトと同じ骨盤の性差パターンを有している、との本論文の知見は驚くべきことのように思われます。ヒトの骨盤形態は、進化のトレードオフ(交換)の結果と考えられています。出産の安全には広い産道への選択が課されますが、二足歩行の生体力学と直立姿勢の骨盤底安定性には狭い骨盤への選択が課されます。さらに、拡張された雌の骨盤管は、子宮や膣や生殖腺の空間的要件によっても発達的に誘発されるかもしれない、と示唆されています。明らかに、より広い空間的産道への出産の選択は、ヒトよりもチンパンジーでかなり弱いものの、より狭い産道への拮抗も、二足歩行をしないチンパンジーではヒトよりもずっと弱くなります。したがって、チンパンジーの骨盤の最適な「妥協形態」は、新生児が比較的小さいにも関わらず、ある程度の性的二形を含んでいるかもしれません。これは、以前の研究で指摘されているように、チンパンジーや他の大型類人猿の骨盤の二形性の程度を説明できるかもしれません。
二形性の程度の違いや、出産と生物力学の全ての違いにも関わらず、チンパンジーの骨盤の性差のパターンがヒトとひじょうによく似ている理由は、あまり明白ではありません。ヒトとチンパンジーの骨盤の性差の顕著な類似性から、それらが現生人類で新規に進化せず、すでにヒトとチンパンジーの共通祖先において存在していたので、その程度は異なっていたものの、絶滅したホモ属およびアウストラロピテクス属種と、サヘラントロプス属など推定される人類にも存在していた、と示唆されます。
しかし、骨盤の性差のパターンはずっと古く、初期哺乳類か、あるいは羊膜類に由来するかもしれません。大きな胎児に起因する困難な分娩はヒトに限らず、テナガザルやマカク属やリスザルなどいくつかの他の霊長類にも見られます。コウモリやアザラシやいくつかの齧歯類やほとんどの有蹄類でさえ、ヒトよりも相対的に大きな新生児を有します。大きな新生児を有する種は、より顕著な性差を示す傾向にもあります。爬虫類と鳥類は産卵しますが、それでも、キーウィ鳥や小型カメのように、母親の体格と比較して卵のサイズが大きい場合には、同じように「出産」の問題に直面する可能性があります。
じっさい、骨盤の性差は、アフリカ獣上目や真主齧上目や真無盲腸目や翼手目や鯨偶蹄目や異節上目といった全ての主要な胎盤クレード(単系統群)で報告されてきており、骨盤の性差のパターンは、これらの集団間で類似しているようで(およびヒトのパターンとも類似しており)、その違いはおもに恥骨領域に集中しています。同様の微妙な骨盤の性差はいくつかの爬虫類と鳥類に存在します。これは、性的二形の骨盤はすでに初期哺乳類か、あるいは羊膜類にさえ存在しており、それが哺乳類の祖先的状態を構成している、という仮説につながります。この共通祖先はすでに骨盤において性的二形を進化させ、成体と比較して大きな仔もしくは大きな卵を産んだ、と本論文は提案します。
小さな新生児を有する一部の哺乳類でさえ、骨盤で微妙な性差を示します。有袋類の骨盤は小さな胎児に充分な空間を提供し、出産の選択では骨盤の性差の存在を明確に説明できません。それでも、その性的二形の一部はヒトのパターンと類似しています。出産が完全に骨盤により制約されていない哺乳類種の骨盤の性差は「痕跡パターン」である、と本論文は提案します。つまり、初期哺乳類もしくは羊膜類の祖先で出産において適応的だった発達の残滓だった、というわけです。根底にあるホルモン誘導のため、有袋類のようにもはや出産に必要がなくなったとしても、進化的に骨盤の性差を除去するのは困難かもしれません。微妙な性差は適応の不利益を有さない可能性があり、したがって単純に痕跡的特徴として存続したのかもしれません。
発達上、骨盤の性差のパターンは、おもにエストロゲンとアンドロゲンとリラキシンのホルモン受容体の空間分布と、ホルモン誘発性の骨再構築により決定されます。たとえばヒトでは、これらのホルモンは思春期の骨盤再構築を調整すると示されてきましたが、これらのホルモンの骨盤受容体は、すでに胎児で発達しています。骨盤の性的二形の程度も、他の組織のエストロゲンの広範で多面的な効果に影響を受けるかもしれません。じっさい、さまざまな体幹要素が、異なる程度ではあるものの、ヒトとチンパンジーの形態学的統合の類似のパターンを示す、と報告されてきました。
内分泌系のほとんどの側面は脊椎動物間で高度に保存されているので、骨盤の性差の根底にある遺伝的発達機構も、霊長類と、おそらくは羊膜類の進化でさえ比較的安定してきた、と本論文は提案します。しかし、この機構を制御する発達上の「取手」、つまり骨盤におけるホルモン分泌の量と持続期間、および対応する受容体の全体的な反応性は、ずっと進化可能で、迅速に適応できます。進化可能性におけるこの不一致は、霊長類と哺乳類の骨盤の性差の保存されたパターンと、そのひじょうに変動的な程度を説明できるかもしれません。したがって、更新世のヒト系統で新生児の脳サイズが大きく増加した時、より広い雌の骨盤を進化させる遺伝的および発達的機構はすでに存在しており、新たに進化する必要はありませんでした。この進化共同体化が現生人類の骨盤の二形へとつながり、それはほとんどの霊長類では突出した大きさではあるものの、おそらくはほとんどの他の哺乳類と同様のパターンです。
この見解は、進化発生学と拡張進化合成の中心的概念である、「促進された変化」という概念とひじょうに似ています。その概念では、保存された遺伝的および発達的「核構成要素」の「弱い調節連鎖」が、複雑な有機体の進化可能性をひじょうに高めた、と提案されています。古典的な例は、性別決定と性特有の発達です。性別が決定されると、性特異的発達の遺伝と生理は、脊椎動物で強く保存されます(保存された核構成要素)。しかし、性別を決定する方法、つまり雌雄の発達を活性化するスイッチは、系統によりかなり異なります。骨盤の性差の原因となる遺伝的および発達的機構は、それ自体が保存された核構成要素で、高度に進化可能な調整制御を備えている、と本論文は提案します。
骨盤の性差の促進された変動性仮説の裏づけは、ヒトの人口集団の比較に由来します。以前の研究では、本論文の仮説で予測されるように、全人口集団は二形の程度に充分な変動があるにも関わらず、骨盤の性差のひじょうに類似したパターンを有する、と示されました。これまで、霊長類と哺乳類と羊膜類全体の骨盤の性差の広範な定量的比較は行なわれていません。本論文の仮説は、ひじょうに異なる出産と生体力学的要件にも関わらず、哺乳類と他の羊膜類全体で、骨盤の性差の程度ではなくパターンがほぼ保存されている、という検証可能な予測を提供します。
参考文献:
Fischer B. et al.(2021): Sex differences in the pelvis did not evolve de novo in modern humans. Nature Ecology & Evolution, 5, 5, 625–630.
https://doi.org/10.1038/s41559-021-01425-z
ヒトと非ヒト霊長類の骨盤の性差は、出産と関連する雌に作用する選択の証拠として、長く解釈されてきました。しかし、骨盤の性差の出産と関連する重要性については、議論があります。児頭骨盤比が高い霊長類(母親の骨盤と比較して胎児の頭が大きいこと)は、強い骨盤の性差を示す傾向があります。しかし、(ヒトを除く)大型類人猿など出産に制約の少ない種でも軽度の骨盤の性差が存在するので、出産が骨盤の性差の選択に排他的な役割を担ってきたのか、議論があります。重量では新生児が母体のわずか0.01%にすぎない有袋類であるキタオポッサム(Virginia opossum)のような出産上の制約がほとんどない種でも、身体サイズの違いとは無関係に骨盤の性差が存在します。ステロイドホルモンは二形性成長と再構築だけではなく、他の多くの発達的および生理学的過程にも関わっているので、骨盤の性差は少なくとも部分的には、他の解剖学的もしくは生理学的特性の自然選択に由来する可能性がある、と示唆されています。
二足歩行の進化は、男女ともに骨盤を含むヒト骨格の大きな変化と一致しました。しかし、保存状態の良好な骨盤化石が不足しているため、現代人的な骨盤の性差が中新世から鮮新世の二足歩行で現れたのか、更新世の脳の巨大化で現れたのか、あるいは両方の過程に先行したのかどうか、不明です。また、化石記録からの推測も、標本の性別が不明なために妨げられています。たとえば、女性と考えられてきた、アウストラロピテクス・アファレンシス(Australopithecus afarensis)の化石として最も保存状態が良好で骨盤を含むルーシー(Lucy)と呼ばれる個体(A.L. 288-1)でも、男性の可能性が指摘されています(関連記事)。
身体比と身長はヒトでは骨盤形態と相関しており、大型類人猿における骨盤の性差は、部分的には性別間の身体サイズの違いの結果である、と一部の研究では示唆されています。しかし現代人の場合、全体的なサイズの違いは骨盤形態の性差に最小限にしか寄与しない、と示されてきました。本論文は、現代人とその最近縁現生種であるチンパンジー(Pan troglodytes)の骨盤の変異の包括的な形態計測により、ヒトの骨盤の性差の進化的起源に取り組みます(図1)。チンパンジーではヒトよりも出産は容易な過程で、これは新生児の頭が母体の最小骨盤寸法の約70%しかなく、分娩が通常は短いためです。チンパンジーの胎児の頭も出産中に回転するように見えますが、ヒトと同一ではありません。それにも関わらず、チンパンジーは通常、骨盤に起因する出産制約があったとしても、ほとんどない種とみなされます。チンパンジーの骨盤の性差を調べた研究のほとんどは、骨器寸法の微妙な違いを記録しています。以下、本論文の図1です。
●分析結果
骨盤形態の個体差を調べるため、チンパンジー34個体とヒト99個体を対象に主成分分析が実行されました(図2)。ヒト(赤色が雌、青色が雄)とチンパンジー(薄赤色が雌、薄青色が雄)はPC1軸に沿って明確に分離しており(図2a)、ヒトとチンパンジー両方の性差はPC2軸とPC3軸により表されます(図2b)。骨盤形態の両種の違いは、両種の性差とは明らかに異なっています。PC2軸とPC3軸では、ヒトとチンパンジー両種の両性はほぼ一共線で、性差のパターンが両種でひじょうによく似ていることを示します。しかし、チンパンジーの性差の全体的な程度は、ヒトの52%にすぎません。以下、本論文の図2です。
ヒトはチンパンジーよりも身体サイズはずっと大きく、両種で雄は雌よりも大きいので、両種で相対成長や身体サイズと形態の関連が調べられました。骨盤相対成長は両種で類似しているものの、性的二形の方向性と種の違いは明確に異なる、と分かりました。ヒトとチンパンジーの性差の同様のパターンは、骨盤形態の3次元視覚化でも明らかです(図3)。両種で骨盤入口の相対的な横径と恥骨下角は、雄と比較して雌の方が大きくなっています。雌は平均して雄よりも広いものの短い仙骨を有しています。雄は雌よりも比較的大きくて裾幅の広い腸骨片を有しています。以下、本論文の図3です。
骨盤形態の両種間の強い違いとは無関係に、両種間の性差パターンをよりよく比較するため、チンパンジーの性差ベクトルが、ヒトの性差ベクトルと同じ長さに調整された後で、ヒトの性差平均値に加えられました。換言すると、ヒトの二形性と同じ程度に調整されたチンパンジーの二形性をヒト雌の平均形態に追加し、この調整されたチンパンジーの二形性をヒト男性の平均形態から差し引いたことになります。これにより、骨盤形態のヒトの性差がほぼ完全に再構築され(図4)、性差のパターンが両種でじっさいにほぼ同じと示されます(上段がヒト、下段がチンパンジー)。以下、本論文の図4です。
産道の性差をより具体的に評価するため、骨盤入口の形態が個別に分析されました。産道と最も関連性がある寸法は、骨盤管の上側または冠状部分である骨盤入口と、骨盤の正中面および出口により決定されます。ヒトとチンパンジーの間で最も容易に比較できる入口では、性差のパターンは両種でひじょうに類似していました。平均して、入口の横径は両種において雌の方で相対的により広く、雄と比較して雌では丸い産道がもたらされました(図5)。入口のサイズは、両種で雄よりも雌の方が大きく、その違いは平均して、ヒトでは11%、チンパンジーでは10%です。以下、本論文の図5です。
●考察
ヒトの骨盤は出産時に大きな胎児を収容し、直立運動を可能にしなければならず、これは人類進化の中心とみなされる二つの特徴です。このヒト中心の観点からは、チンパンジーが基本的にヒトと同じ骨盤の性差パターンを有している、との本論文の知見は驚くべきことのように思われます。ヒトの骨盤形態は、進化のトレードオフ(交換)の結果と考えられています。出産の安全には広い産道への選択が課されますが、二足歩行の生体力学と直立姿勢の骨盤底安定性には狭い骨盤への選択が課されます。さらに、拡張された雌の骨盤管は、子宮や膣や生殖腺の空間的要件によっても発達的に誘発されるかもしれない、と示唆されています。明らかに、より広い空間的産道への出産の選択は、ヒトよりもチンパンジーでかなり弱いものの、より狭い産道への拮抗も、二足歩行をしないチンパンジーではヒトよりもずっと弱くなります。したがって、チンパンジーの骨盤の最適な「妥協形態」は、新生児が比較的小さいにも関わらず、ある程度の性的二形を含んでいるかもしれません。これは、以前の研究で指摘されているように、チンパンジーや他の大型類人猿の骨盤の二形性の程度を説明できるかもしれません。
二形性の程度の違いや、出産と生物力学の全ての違いにも関わらず、チンパンジーの骨盤の性差のパターンがヒトとひじょうによく似ている理由は、あまり明白ではありません。ヒトとチンパンジーの骨盤の性差の顕著な類似性から、それらが現生人類で新規に進化せず、すでにヒトとチンパンジーの共通祖先において存在していたので、その程度は異なっていたものの、絶滅したホモ属およびアウストラロピテクス属種と、サヘラントロプス属など推定される人類にも存在していた、と示唆されます。
しかし、骨盤の性差のパターンはずっと古く、初期哺乳類か、あるいは羊膜類に由来するかもしれません。大きな胎児に起因する困難な分娩はヒトに限らず、テナガザルやマカク属やリスザルなどいくつかの他の霊長類にも見られます。コウモリやアザラシやいくつかの齧歯類やほとんどの有蹄類でさえ、ヒトよりも相対的に大きな新生児を有します。大きな新生児を有する種は、より顕著な性差を示す傾向にもあります。爬虫類と鳥類は産卵しますが、それでも、キーウィ鳥や小型カメのように、母親の体格と比較して卵のサイズが大きい場合には、同じように「出産」の問題に直面する可能性があります。
じっさい、骨盤の性差は、アフリカ獣上目や真主齧上目や真無盲腸目や翼手目や鯨偶蹄目や異節上目といった全ての主要な胎盤クレード(単系統群)で報告されてきており、骨盤の性差のパターンは、これらの集団間で類似しているようで(およびヒトのパターンとも類似しており)、その違いはおもに恥骨領域に集中しています。同様の微妙な骨盤の性差はいくつかの爬虫類と鳥類に存在します。これは、性的二形の骨盤はすでに初期哺乳類か、あるいは羊膜類にさえ存在しており、それが哺乳類の祖先的状態を構成している、という仮説につながります。この共通祖先はすでに骨盤において性的二形を進化させ、成体と比較して大きな仔もしくは大きな卵を産んだ、と本論文は提案します。
小さな新生児を有する一部の哺乳類でさえ、骨盤で微妙な性差を示します。有袋類の骨盤は小さな胎児に充分な空間を提供し、出産の選択では骨盤の性差の存在を明確に説明できません。それでも、その性的二形の一部はヒトのパターンと類似しています。出産が完全に骨盤により制約されていない哺乳類種の骨盤の性差は「痕跡パターン」である、と本論文は提案します。つまり、初期哺乳類もしくは羊膜類の祖先で出産において適応的だった発達の残滓だった、というわけです。根底にあるホルモン誘導のため、有袋類のようにもはや出産に必要がなくなったとしても、進化的に骨盤の性差を除去するのは困難かもしれません。微妙な性差は適応の不利益を有さない可能性があり、したがって単純に痕跡的特徴として存続したのかもしれません。
発達上、骨盤の性差のパターンは、おもにエストロゲンとアンドロゲンとリラキシンのホルモン受容体の空間分布と、ホルモン誘発性の骨再構築により決定されます。たとえばヒトでは、これらのホルモンは思春期の骨盤再構築を調整すると示されてきましたが、これらのホルモンの骨盤受容体は、すでに胎児で発達しています。骨盤の性的二形の程度も、他の組織のエストロゲンの広範で多面的な効果に影響を受けるかもしれません。じっさい、さまざまな体幹要素が、異なる程度ではあるものの、ヒトとチンパンジーの形態学的統合の類似のパターンを示す、と報告されてきました。
内分泌系のほとんどの側面は脊椎動物間で高度に保存されているので、骨盤の性差の根底にある遺伝的発達機構も、霊長類と、おそらくは羊膜類の進化でさえ比較的安定してきた、と本論文は提案します。しかし、この機構を制御する発達上の「取手」、つまり骨盤におけるホルモン分泌の量と持続期間、および対応する受容体の全体的な反応性は、ずっと進化可能で、迅速に適応できます。進化可能性におけるこの不一致は、霊長類と哺乳類の骨盤の性差の保存されたパターンと、そのひじょうに変動的な程度を説明できるかもしれません。したがって、更新世のヒト系統で新生児の脳サイズが大きく増加した時、より広い雌の骨盤を進化させる遺伝的および発達的機構はすでに存在しており、新たに進化する必要はありませんでした。この進化共同体化が現生人類の骨盤の二形へとつながり、それはほとんどの霊長類では突出した大きさではあるものの、おそらくはほとんどの他の哺乳類と同様のパターンです。
この見解は、進化発生学と拡張進化合成の中心的概念である、「促進された変化」という概念とひじょうに似ています。その概念では、保存された遺伝的および発達的「核構成要素」の「弱い調節連鎖」が、複雑な有機体の進化可能性をひじょうに高めた、と提案されています。古典的な例は、性別決定と性特有の発達です。性別が決定されると、性特異的発達の遺伝と生理は、脊椎動物で強く保存されます(保存された核構成要素)。しかし、性別を決定する方法、つまり雌雄の発達を活性化するスイッチは、系統によりかなり異なります。骨盤の性差の原因となる遺伝的および発達的機構は、それ自体が保存された核構成要素で、高度に進化可能な調整制御を備えている、と本論文は提案します。
骨盤の性差の促進された変動性仮説の裏づけは、ヒトの人口集団の比較に由来します。以前の研究では、本論文の仮説で予測されるように、全人口集団は二形の程度に充分な変動があるにも関わらず、骨盤の性差のひじょうに類似したパターンを有する、と示されました。これまで、霊長類と哺乳類と羊膜類全体の骨盤の性差の広範な定量的比較は行なわれていません。本論文の仮説は、ひじょうに異なる出産と生体力学的要件にも関わらず、哺乳類と他の羊膜類全体で、骨盤の性差の程度ではなくパターンがほぼ保存されている、という検証可能な予測を提供します。
参考文献:
Fischer B. et al.(2021): Sex differences in the pelvis did not evolve de novo in modern humans. Nature Ecology & Evolution, 5, 5, 625–630.
https://doi.org/10.1038/s41559-021-01425-z
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