『卑弥呼』第60話「油津の怪」
『ビッグコミックオリジナル』2021年4月20日号掲載分の感想です。前回は、吉備で疫病によると考えられる死者をトメ将軍一行が見つけたところで終了しました。今回は、ヤノハが輿に乗り、山社(ヤマト)から出立する場面から始まります。日見子(ヒミコ)たるヤノハの乗った輿を先導するのはチカラオ(ナツハ)とオオヒコで、ヌカデも同行しています。ヤノハを見送るイクメは不安そうですが、父のミマト将軍は娘を宥めます。閼宗(アソ)までの道は安全で、閼宗には那(ナ)王の軍が迎えに来ている、というわけです。ヤノハが父を同行させなかったことを不安に思う娘に対して、テヅチ将軍が不在なので山社を守るのは自分しかいないし、オオヒコが同行しているので心配不要だ、と言います。それでも不安そうなイクメは、他に不安があるのか、父に尋ねられると、先日の大火以降、ヤノハが変わった、と答えます。事代主(コトシロヌシ)との面会でもヤノハは自分を遠ざけ、ヌカデを指名した、というわけです。ヤノハもそろそろ独り立ちしたいのだろう、と苦笑気味に言う父に対して、事代主は「知の巨人」と言われているが、ヤノハは幼い頃から祈祷女(イノリメ)としての教えを受けてきたわけではない、となおもイクメは不安を討ち受けます。するとミマト将軍は、ヤノハの強さは自分の無知を恐れないことだ、と力強く断言します。ヤノハは事代主の前で心を曝け出すだろう、というわけです。しかしイクメには、それ以上に気がかりなことがありました。それは、ヤノハが倭国の未来を平気で事代主に託しそうなことです。そうなれば、少なくとも筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)は再び乱れるだろうな、とミマト将軍は言います。
ヤノハ一行は夜になって休息し、ヌカデとオオヒコは、今後の道のりを相談していました。閼宗で那軍と合流して那国の「首都」である那城(ナシロ)に向かい、そこから身像(ミノカタ、現在の宗像でしょうか)と岡まで陸路を進み、舟で弁都留島(ムトルノシマ、現在の六連島でしょうか)に渡る手はずだ、とオオヒコはヌカデに説明します。舟に乗るのはヤノハ(日見子)一人なのか、とヌカデに問われたオオヒコは、ナツハ(チカラオ)が漕ぎ手を務めるが、上陸するのはヤノハだけだ、と答えます。ヤノハが受け入れたから仕方ないが、そもそも事代主は信用できるのか、とヌカデは疑っていました。ヤノハは弟のチカラオに、なぜ事代主に会ってから姿を消すのか、説明します。ヤノハは豊秋津島(トヨアキツシマ、本州を指すと思われます)の人に会ったことがないので、豊秋津島で生まれた事代主から金砂(カナスナ)や出雲やその他の国を聞いてみたい、場合によってはチカラオと二人で豊秋津島に住んでみるのも一興だ、と笑顔で言います。ヤノハは心配そうなチカラオに対して、まずは事代主に倭国安寧を託し、自分の大役はそこで終わる、と諭します。
日向(ヒムカ)を併合して成立した山社国の小肥(ヲビ)では、テヅチ将軍が訓練を終えた兵士たちに訓示していました。実に逞しくなり、よく頑張った、と兵士を褒めたテヅチ将軍は、いつ伊予之二名島(イヨノフタナジマ、四国と思われます)から賊が攻め寄せてきても容易に撃退できる、と力強く言います。テヅチ将軍は、自分は近く山社に戻る予定なので、ナギヒコ校尉の支持に従うよう、兵士たちに命じます。そこへ、油津(アブラツ、現在の宮崎県日南市油津港でしょうか)の邑で異変が起きた、と報告が入ります。油津に30艘の船が大挙して押し寄せた、との報告に、五百木(イオキ)の賊の仕業ではないか、とテヅチ将軍は疑います。急遽油津に向かうことになった兵士たちは、これが初陣だと意気軒昂です。
その頃、山社にはテヅチ将軍から書簡が届いていました。その書簡には、西海道の若者たちはなかなか優秀な兵になり、もういかなる海賊も追い払えるので、テヅチ将軍は近く山社に戻る、とありました。イクメは父のミマト将軍に、テヅチ将軍の帰還を待ってヤノハ(日見子)に合流するよう、進言します。油津に到着したテヅチ将軍の部隊は、海岸に停泊した船にも、油津の邑にも人の気配がなく、さらには襲撃の痕跡がないことや、昼間に襲撃してきたことも不審に思います。テヅチ将軍は、朝まで待ち、動きがなければ自ら攻めることにします。夜が明け、なおも邑が静まりかえっていることから、テヅチ将軍は、部隊を二分し、半分をナギヒコが率いて邑へ、半分を自身が率いて浜へと向かうことにします。船の中には、醜い瘡のできた多数の死者がいました。邑人は全員、身体に膿疱ができて悶え苦しみ、死にかかって家にいました。テヅチ将軍が、これは厲鬼(レイキ)、つまり疫病神(エヤミノカミ)の祟りで、五百木の賊は厲鬼に憑かれ、それが油津の邑に蔓延したのだ、と悟るところで今回は終了です。
今回は、本州と四国で蔓延していた疫病(天然痘のようですが、天然痘が日本列島に到来したのは本作の舞台である紀元後3世紀前半よりもずっと後のようなので、別の疫病かもしれません)がついに九州にまで上陸したところまで描かれました。この疫病は、『日本書紀』巻第五(崇神天皇)に見える疫病のことかもしれません。この疫病は倭国情勢を大きく動かすことになりそうで、あるいは、この疫病を契機に西日本は日見子(卑弥呼)の下でまとまる、という話になるのかもしれません。事代主は薬にも通じているとすでに明かされているので、事代主と和議を結んで協力を得たヤノハがこの疫病を収束させ、倭国の王として認められる、という話になるのでしょうか。いよいよ本州や四国も本格的に舞台となってきて、ますます壮大な話となる予感がするので、今後もたいへん楽しみです。
ヤノハ一行は夜になって休息し、ヌカデとオオヒコは、今後の道のりを相談していました。閼宗で那軍と合流して那国の「首都」である那城(ナシロ)に向かい、そこから身像(ミノカタ、現在の宗像でしょうか)と岡まで陸路を進み、舟で弁都留島(ムトルノシマ、現在の六連島でしょうか)に渡る手はずだ、とオオヒコはヌカデに説明します。舟に乗るのはヤノハ(日見子)一人なのか、とヌカデに問われたオオヒコは、ナツハ(チカラオ)が漕ぎ手を務めるが、上陸するのはヤノハだけだ、と答えます。ヤノハが受け入れたから仕方ないが、そもそも事代主は信用できるのか、とヌカデは疑っていました。ヤノハは弟のチカラオに、なぜ事代主に会ってから姿を消すのか、説明します。ヤノハは豊秋津島(トヨアキツシマ、本州を指すと思われます)の人に会ったことがないので、豊秋津島で生まれた事代主から金砂(カナスナ)や出雲やその他の国を聞いてみたい、場合によってはチカラオと二人で豊秋津島に住んでみるのも一興だ、と笑顔で言います。ヤノハは心配そうなチカラオに対して、まずは事代主に倭国安寧を託し、自分の大役はそこで終わる、と諭します。
日向(ヒムカ)を併合して成立した山社国の小肥(ヲビ)では、テヅチ将軍が訓練を終えた兵士たちに訓示していました。実に逞しくなり、よく頑張った、と兵士を褒めたテヅチ将軍は、いつ伊予之二名島(イヨノフタナジマ、四国と思われます)から賊が攻め寄せてきても容易に撃退できる、と力強く言います。テヅチ将軍は、自分は近く山社に戻る予定なので、ナギヒコ校尉の支持に従うよう、兵士たちに命じます。そこへ、油津(アブラツ、現在の宮崎県日南市油津港でしょうか)の邑で異変が起きた、と報告が入ります。油津に30艘の船が大挙して押し寄せた、との報告に、五百木(イオキ)の賊の仕業ではないか、とテヅチ将軍は疑います。急遽油津に向かうことになった兵士たちは、これが初陣だと意気軒昂です。
その頃、山社にはテヅチ将軍から書簡が届いていました。その書簡には、西海道の若者たちはなかなか優秀な兵になり、もういかなる海賊も追い払えるので、テヅチ将軍は近く山社に戻る、とありました。イクメは父のミマト将軍に、テヅチ将軍の帰還を待ってヤノハ(日見子)に合流するよう、進言します。油津に到着したテヅチ将軍の部隊は、海岸に停泊した船にも、油津の邑にも人の気配がなく、さらには襲撃の痕跡がないことや、昼間に襲撃してきたことも不審に思います。テヅチ将軍は、朝まで待ち、動きがなければ自ら攻めることにします。夜が明け、なおも邑が静まりかえっていることから、テヅチ将軍は、部隊を二分し、半分をナギヒコが率いて邑へ、半分を自身が率いて浜へと向かうことにします。船の中には、醜い瘡のできた多数の死者がいました。邑人は全員、身体に膿疱ができて悶え苦しみ、死にかかって家にいました。テヅチ将軍が、これは厲鬼(レイキ)、つまり疫病神(エヤミノカミ)の祟りで、五百木の賊は厲鬼に憑かれ、それが油津の邑に蔓延したのだ、と悟るところで今回は終了です。
今回は、本州と四国で蔓延していた疫病(天然痘のようですが、天然痘が日本列島に到来したのは本作の舞台である紀元後3世紀前半よりもずっと後のようなので、別の疫病かもしれません)がついに九州にまで上陸したところまで描かれました。この疫病は、『日本書紀』巻第五(崇神天皇)に見える疫病のことかもしれません。この疫病は倭国情勢を大きく動かすことになりそうで、あるいは、この疫病を契機に西日本は日見子(卑弥呼)の下でまとまる、という話になるのかもしれません。事代主は薬にも通じているとすでに明かされているので、事代主と和議を結んで協力を得たヤノハがこの疫病を収束させ、倭国の王として認められる、という話になるのでしょうか。いよいよ本州や四国も本格的に舞台となってきて、ますます壮大な話となる予感がするので、今後もたいへん楽しみです。
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