放射性炭素年代と遺伝的データによるマンモスの絶滅過程

 放射性炭素年代と遺伝的データの組み合わせによりマンモスの絶滅過程を検証した研究(Dehasque et al., 2021)が公表されました。後期更新世は大型動物の急速かつ世界的な衰退により特徴づけられます。この絶滅事象の主因は依然として不明で、一般的に気候と人類の相対的な影響を中心に議論が展開されています。この絶滅事象に関して近年では、放射性炭素年代や古代DNAや安定同位体分析や顕微鏡検査など多くの方法が使用されてきました。そのうち一般的に使用されるのは、時間枠内における生物集団の存在と不在の再構築に使用できる放射性炭素年代と、個体群の移動や動態や種構成を経時的に研究できる古代DNAです。しかし、これらの方法は、低解像度データおよび/もしくはデータの欠如により、問題の一部しか解明できないことがよくあります。さまざまな手法の組み合わせで、種の絶滅に至る過程と動態をより詳細に理解できます。大型動物の絶滅事象の解明はより統合的な手法に向かって発展していますが、異なる種類のデータを組み合わせた研究は比較的少ないままです。

 絶滅大型動物でよく研究されている種の一つがマンモス(Mammuthus primigenius)で、多くの出土地点が確認されている標本と、放射性炭素年代値があります。暦年代で28600~22500年前頃(以下、基本的に暦年代です)となる最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)に、マンモスはユーラシアから北アメリカ大陸まで分布していましたが、LGMから14700年前頃に始まる晩氷期の間に、マンモスは一連の連続的な局所的絶滅と部分的な再移動事象を経ました(関連記事)。12900~11700年前のヤンガードライアスにより、マンモスの生息範囲はシベリア最北端とヨーロッパ北部の退避地に限定され、早期完新世の9500年前頃までに、ケナガマンモスはユーラシア本土と北アメリカ大陸全域で絶滅しました。しかし、ケナガマンモスはベーリング海のセントポール島とチュクチ海のウランゲリ島(Wrangel Island)で孤立して完新世まで生き残りました。大陸部の既知の最新のマンモス標本はノヴォシビルスク諸島(当時は大陸の一部)とタイミル半島に由来し、マンモスはこれらの地域からウランゲリ島へと移動した、と提案されました。

 ウランゲリ島は、更新世末期の世界規模の急速な海面上昇に続いて、10500~10000年前頃に本土から切り離されました、ウランゲリ島の更新世マンモス遺骸の年代は、少なくとも4万年前頃から14000年前頃の間までとなり、隣接するシベリア東部本土で発見された最新のマンモス遺骸とほぼ同じ頃です。ウランゲリ島のマンモス遺骸の年代は1万年前頃に再び始まり、4000年前頃まで続きます。晩氷期と完新世最初期のマンモスの化石記録の間隙が地域的な消滅・再移動事象か、あるいは集団のボトルネック(瓶首効果)のどちらに起因するのか、議論が続いています。しかし、完全なケナガマンモスのミトコンドリアゲノムに関する以前の研究では、完新世のウランゲリ島マンモス集団は、単一のミトコンドリアハプロタイプにより始まった可能性が高い、と明らかになっています。

 シベリアのケナガマンモスの絶滅の原因と動態を理解するには、さまざまな地域のマンモスの存在と不在の年代に関する詳細な情報がひじょうに重要となります。しかし、現在の推定絶滅年代は最新の個々の標本の年代に基づいており、これは集団の存在もしくは不在の大まかな推定値にすぎません。最後の既知の標本は実際の絶滅上よりも常に先行するでしょうが、これらがどれだけ近い年代なのかは、標本抽出密度次第です。この問題に対処する一つの手法は、ベイズ年代モデルの使用です。これらのモデルは、標本抽出の偏りと年代測定誤差を考慮しながら、放射性炭素年代を主要な情報として用いて、生物集団の存在の開始と終了の境界を統計的に決定するために使用できます。

 本論文の目的は、放射性炭素年代と遺伝的データ(ミトコンドリアゲノム)の組み合わせにより、大陸本土とウランゲリ島両方のケナガマンモスの絶滅動態を調査することです。そのために、ベイズ年代モデルの証拠を用いて、さまざまな地域(図1)のケナガマンモスの消滅年代と、ウランゲリ島とさまざまな本土地域のマンモス間の遺伝的類似性の推論を可能とするベイズ系統樹が推定されました。以下は本論文の図1です。
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●系統発生分析

 以前の研究と一致して、北アメリカ大陸とユーラシアのミトコンドリアゲノムでクレードIのマンモス間には、全てが2万年以上前でユーラシアクレードとまとまる北アメリカ大陸の3標本一定の集団規模モデルを除いて、よく裏づけられた遺伝的区別がありました(図2)。完新世のウランゲリ島のマンモスは、ユーラシアクレード内で単一の系統を形成しました。完新世ウランゲリ島のマンモス集団内のミトコンドリアゲノムの関係は充分には解決されず、急速な多様化を示唆します。完新世ウランゲリ島マンモスのクレードと最も密接に関連する本土の個体群は、シベリア中央部(ノヴォシビルスク諸島)および西部(タイミル半島)と15000年前頃のヨーロッパの個体です。以下は本論文の図2です。
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●ベイズ年代モデル

 さまざまな地域(図3)を対象とした本論文のベイズ年代モデルでは、開始の境界はシベリア東部と中央部と西部の放射性炭素年代の限界を表し、終了の境界はその地域のケナガマンモスの最後の出現年代、つまり局所的な絶命の推定年代を表します。晩氷期から完新世初期の後のウランゲリ島に関しては、開始の境界はウランゲリ島におけるケナガマンモスの最初の出現を表す一方で、終了の境界はケナガマンモス種の世界的な絶滅を示します。以下は本論文の図3です。
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 このモデルでは、シベリア東部地域におけるマンモスの消滅(14200~12900年前頃)とウランゲリ島におけるその出現(10200~9800)年前頃との間のほぼ3000年の時間的間隙が明らかになりました。マンモスは大陸部本土では、シベリア中央部(11000~10200年前頃)と西部(11200~10400年前頃)で東部よりも長く存続しました。本論文の分析では、ウランゲリ島におけるケナガマンモスの最終的な絶滅年代は4200~3900年前頃と示唆されます。以下は本論文の図4です。
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●地域的な絶滅の年代

 以前の研究と一致して、本論文のベイズ年代モデルでは、ケナガマンモスの絶滅は単一事象として起きたわけではなく、さまざまな年代のさまざまな地域での絶滅により特徴づけられる、と示されます。マンモス絶滅の究極的原因に関しては、議論が続いています。しかし、LGM後のマンモスの生息範囲の縮小には、気候変化による植生変化が重要な役割を果たしたかもしれません。15000年前頃に始まる後期更新世末に、気候が変化し始めました。より湿潤で温暖な気候条件により、シベリアの乾燥して生産性の高い「マンモス草原地帯」は、湿潤なツンドラと温帯および亜寒帯森林へとじょじょに置換されていきました。これらの不利な条件により、マンモスは樹木のない北方への後退を余儀なくされた可能性があります。

 興味深いことに、本論文の結果では、14200~12900年前頃となるシベリア東部におけるケナガマンモスの絶滅は、14700~12900年前頃となるボーリング-アレロード(Bølling-Allerød)間氷期の開始と一致しません。この遅れた絶滅は、シベリア北東部の樹木の範囲の遅く漸進的な拡大により説明できるかもしれませんが、チュクチ海では、絶滅は11500~8800年前頃の樹木範囲の主要な拡大に先行します。マンモス草原地帯はシベリア最北端ではさらに長く存続し、マンモスはその小さな退避地で生き残り、最終的に本土では早期完新世に絶滅しました。

 シベリア本土東部からのウランゲリ島の分離は10500~10000年前頃と推定されています。本論文のベイズ年代モデルで観察されたウランゲリ島におけるマンモスの出現年代(10200~9800年前頃)がウランゲリ島への完新世の移動を表しているならば、ウランゲリ島は10200年前頃以前には海面上昇により分離されることはあり得ません。以前の研究では、ウランゲリ島におけるケナガマンモスの絶滅は最新標本の年代(4024年前頃)後のいつかに起きた、と推定されていました。しかし、最新標本の年代後にどのくらいの期間で絶滅が起きたのか、不明です。

 本論文のベイズ年代モデルでは、マンモスが最新標本の年代から100年以内に絶滅したと提案され、既知の最新標本は最後のマンモスの1頭を表している、と示唆されます。ウランゲリ島におけるマンモスの絶滅原因は不明なままです。環境確率性、小さな集団規模に起因する遺伝的過程、人類の狩猟が、考えられる原因として提案されてきました。本論文のベイズ年代モデルに基づくと、人類による狩猟仮説は、ウランゲリ島における人類の最初で唯一の既知の先史時代の痕跡が、関連する木材の年代測定で3583年前頃となることから、可能性は低そうです。


●完新世ウランゲリ島集団の地理的パターンと起源

 本論文のベイズ年代モデルでは、マンモスは初期完新世にウランゲリ島で再出現する前に、ほぼ3000年前にシベリア本土東部地域で絶滅した、と示唆されます。しかし、このモデルは均一な分布構造を想定しているので、マンモスが連続した集団として存在したものの、観察された間隙において低密度で存在した可能性を完全には排除できません。一方、本論文のベイズ年代モデルでは、マンモスが12900~11700年前頃のヤンガードライアスおよび11700~10200年前頃の初期完新世にシベリア本土中央部および西部の最北端で生き残っていた、と示唆されます。

 完新世のウランゲリ島マンモス集団の起源をさらに調べるため、ユーラシアおよび北アメリカ大陸全域のクレードIのミトコンドリアゲノムが分析されました。本論文の系統発生分析では、完新世ウランゲリ島マンモス集団は、地理的により近いシベリア本土東部や北アメリカ大陸のマンモスではなく、シベリア本土西部および中央部のマンモスと最も密接に関連しています。これは、更新世と完新世のウランゲリ島マンモス集団間の遺伝的構成の違いを示唆しており、13000~10000年前頃のウランゲリ島を含むシベリア東部における年代の間隙は、シベリア東部におけるマンモスの不在が事実上の原因である、との仮説を裏づけます。

 さらに、本論文のベイズ年代モデルと一致して、完新世ウランゲリ島マンモス集団がシベリア本土西部集団と密接な遺伝的関係を有していることから、完新世ウランゲリ島マンモス集団の起源はシベリア本土中央部および/もしくは西部集団に由来するか、あるいはその集団と密接に関連しています。そのため本論文は、マンモスが現在ではラプテフ海と東シベリア海により水没している地域を移動することによりウランゲリ島に到達した、とのモデルを提案します。

 シベリアの海岸線は後期更新世にはさらに北方に伸びており、マンモスはセヴェルナヤ・ゼムリャ(Severnaya Zemlya)諸島に相当する、現在では水没している北シベリア平原に生息していた可能性が高そうです。マンモスはLGMには広範に分布していましたが(図5A)、晩氷期には北方へと後退しました。12900年前頃から、本論文の結果では、マンモスの分布範囲は北緯72度以北の地域に限定されており、現在ではノヴォシビルスク諸島となる中央部地域や現在のタイミル半島となる西部地域だけではなく、北シベリア平原も含まれます(図5B)。しかし、ウランゲリ島は北緯72度未満に位置し、この時期にマンモスがウランゲリ島に存在しなかったことと一致します。

 興味深いことに、マンモスは南方へと拡大し、初期完新世にはまだベーリンジア(ベーリング陸橋)本土の一部だったウランゲリ島へと再度移動しました。温暖な気候の期間におけるこの範囲拡大は、マンモスの気候変化への対応が複雑だったことを示します。しかし、完新世の温暖化事象の直後に海面が上昇し始め、マンモスは急速にウランゲリ島に閉じ込められました(図5C)。本論文のデータからは、ウランゲリ島のマンモスが、北シベリア平原を通ってシベリア本土の中央部と西部どちらから移動してきたのか、あるいは北東シベリア平原の報告されていない集団に由来するのか、判断できません。以下は本論文の図5です。
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●結論

 大陸規模では、気候温暖化による晩氷期から完新世にかけての森林拡大が、ユーラシア北部全域の開けた生息地の大幅な減少、したがってマンモスおよび他の「草原地帯・ツンドラ」動物の範囲の縮小につながったことは明らかです。しかし、細かい規模では、この過程は気候および植生の変化の複雑な時空間的パターン、退避地における哺乳類種の生存、局所的絶滅、一時的な範囲拡大で構成されていました。本論文は、遺伝的データと年代測定データと生物地理的データの組み合わせをモデル化することで、この過程、したがって最終的な絶滅のパターンと考えられる原因の詳細に焦点を当てられました。この過程における人類の追加の役割を無視できませんが、少なくともシベリア北東部では、考古学的データが限定されているので、この可能性を検証できません。

 原則として、ベイズ年代モデルと遺伝的データを組み合わせるという本論文の手法は、他の哺乳類種における集団置換および絶滅の特定に適用できます。これは現在、データの利用可能性により制限されており、マンモスでは他のあらゆる種よりも広範にわたるデータが利用可能です。ケブカサイ(Coelodonta antiquitatis)も絶滅しましたが、それは完新世の前で、その分布範囲全域でマンモスよりも同時的でした(関連記事)。バイソンやウマやジャコウウシなど他の種の生息範囲はこの期間に北方へと広く後退しましたが、これらの種は世界規模では絶滅しませんでした。さらにデータがあれば、本論文で強調された手法は、これらのさまざまなパターンを理解し、現在の気候変化に対する絶滅危惧の北方種の反応をより正確に予測するための、潜在的な鍵を提供します。マンモスはその生息範囲から古代DNA研究に適しており、最近では100万年以上前の個体のDNAも解析されています(関連記事)。今後のマンモスの古代DNA研究にも大いに期待できそうです。


参考文献:
Dehasque M. et al.(2021): Combining Bayesian age models and genetics to investigate population dynamics and extinction of the last mammoths in northern Siberia. Quaternary Science Reviews, 259, 106913.
https://doi.org/10.1016/j.quascirev.2021.106913

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