『卑弥呼』第61話「日下」
『ビッグコミックオリジナル』2021年5月5日号掲載分の感想です。前回は、テヅチ将軍の率いる部隊が、油津(アブラツ、現在の宮崎県日南市油津港でしょうか)の邑で疫病の流行に気づくところで終了しました。今回は、トメ将軍とミマアキが、難波碕(ナニワノミサキ)に到達した場面から始まります。サヌ王(記紀の神武天皇と思われます)の兄であるミケイリ王は筑紫島(ツクシノシマ、九州を指すと思われます)に戻り、最初の日下(ヒノモト)は難波碕かに見える山の北側の湖岸、比羅哿駄(ヒラカタ、現在の枚方市でしょうか)にあった、と伝えたそうです。その後、サヌ王はその山の背後の外敵が攻めにくい場所に遷都したそうです。
金砂(カナスナ)の国と宍門(アナト)の国の境目に到達した事代主の一行は、阿武(アブ)の邑に向かったシラヒコから、宍門が国境の門を閉ざし、阿武の邑に誰も入ってはならないと通達してきた、と報告します。宍門のニキツミ王からは宍門の通過を許してもらったはずだ、と事代主は不審に思います。するとシラヒコは、邑長が塀越しに、事代主一行のためと伝えてきた、と言います。宍門国も疫病神(エヤミノカミ)に祟られていたのでした。ニキツミ王は、阿武の前の砂浜に舟を用意したので、海岸沿いに目的地まで行くよう、シラヒコに伝えてきました。宍門の民が次々に死んでいる、とシラヒコから報告を受けた事代主は、自分たちにも鬼(疫病)が迫っているので、急いで海に出るよう進言するシラヒコに対して、その前に阿武の邑長と話したい、と言います。
那(ナ)の国の「首都」である那城(ナシロ)では、ヤノハがウツヒオ王から、厲鬼(レイキ)が豊秋津島(トヨアキツシマ、本州を指すと思われます)を襲い、大勢が死んでいる、と報告を受けていました。ニキツミ王の使者は上陸せず舟から、今回の厲鬼はまず悪寒がして、やがて燃えるほど熱くなり、口の中に発疹ができ、やがて全身に膿疱が生じて1ヶ月以内に多くの者が死に、筑紫島もいつ祟られるから分からないので、じゅうぶん用心するよう、那国に伝えてきました。するとヤノハは、その鬼がもはや筑紫島に上陸し、我々の近くに迫っていると覚悟すべきではないか、とウツヒオ王に言います。そうなれば自分の祈祷など空しい、と率直に言ったヤノハは、この難局を乗り切るには出雲の毉(クスシ)の技に頼るしかないのでは、とウツヒオ王に提案します。確か出雲には人を死より遠ざける祈祷がある、とウツヒオ王から聞いたヤノハは、事代主なる現人神にはやはり合わねばならない、と言って明日出立の予定だったところ、すぐに出立するとことにします。
阿武の邑に到達した事代主は塀越しに邑長に話しかけます。事代主は自分の配下の巫覡(フゲキ)4人を邑に入れてもらうよう、邑長に要請します。巫覡は毉の技を持つので宍門の人々にも役立つはずだ、というわけです。自分たちは目に見えない鬼とも戦える禁厭(マジナイ)を心得ており、助けられる人は助けよ、というのが自分たちの奉る大穴牟遅神(オオアナムヂノカミ)の教えだ、と事代主は訴えます。すると、阿武の邑の門が開き、事代主はヤノハと会うために弁都留島(ムトルノシマ、現在の六連島でしょうか)へと急ぎます。
日下の邑に到達したトメ将軍とミマアキは、邑に人がおらず、遺体も見つからなかったが、邑外れに多くの土盛りがあった、と報告を受けます。トメ将軍は、一気に川(大和川でしょうか)を上ってサヌ王の都まで進むことに決めます。トメ将軍とミマアキは舟で日下に到達し、ミマアキはその美しい都に感嘆します。都の背後に見える巨大な土盛りを見たミマアキは、サヌ王の霊廟だろう、と推測します。トメ将軍もその土盛りの大きさに感嘆し、筑紫島では誰も造れないだろう、と言うミマアキに対して、戦になれば我々は負けるな、と率直に呟きます。ミマアキもトメ将軍の率直な発言に同意します。都には人の気配が全くなく、王も貴族も民の姿も見当たりません。厲鬼に襲われ皆逃げてしまったのか、とトメ将軍が言い、あるいは全滅したのだろうか、とミマアキが案じるところで今回は終了です。
今回は、これまで語られるだけだった日下の様子がついに描かれましたが、まだ日下の人々は登場していません。さすがに全滅したわけではないでしょうが、日下から出雲への干渉が止まったくらいですから、疫病で大打撃を受けたことは間違いないでしょう。現時点では、この疫病は瀬戸内海とその周辺地域を中心に広がっているようで、出雲が無事なことから推測すると、日本海側では流行していないようです。あるいは、出雲が無事なのは、その治療技術のためかもしれません。この疫病に出雲の治療技術が有効かもしれず、それが、西日本の統合を促進する、という話になるとしたら、間もなく描かれるだろう日見子(ヒミコ)たるヤノハと事代主との会見が大いに注目されます。今回の描写から、日下はすでにかなり強大な勢力を築いているように思われます。トメ将軍とミマアキも感嘆した日下の都は纏向遺跡でしょうか。大きな土盛りは纒向石塚古墳かもしれませんが、あるいは現在には残っていない墳丘か、後に箸墓古墳へと改築された巨大墳丘とも考えられます。ヤノハと事代主との会見とともに、日下の王がどのような人物なのか(疫病で没して王が不在かもしれませんが)、日下を目指した穂波(ホミ)のトモは日下に到達できたのか、ということも注目されます。ついに日下も描かれ、ますます壮大な話になってきたので、今後もたいへん楽しみです。
金砂(カナスナ)の国と宍門(アナト)の国の境目に到達した事代主の一行は、阿武(アブ)の邑に向かったシラヒコから、宍門が国境の門を閉ざし、阿武の邑に誰も入ってはならないと通達してきた、と報告します。宍門のニキツミ王からは宍門の通過を許してもらったはずだ、と事代主は不審に思います。するとシラヒコは、邑長が塀越しに、事代主一行のためと伝えてきた、と言います。宍門国も疫病神(エヤミノカミ)に祟られていたのでした。ニキツミ王は、阿武の前の砂浜に舟を用意したので、海岸沿いに目的地まで行くよう、シラヒコに伝えてきました。宍門の民が次々に死んでいる、とシラヒコから報告を受けた事代主は、自分たちにも鬼(疫病)が迫っているので、急いで海に出るよう進言するシラヒコに対して、その前に阿武の邑長と話したい、と言います。
那(ナ)の国の「首都」である那城(ナシロ)では、ヤノハがウツヒオ王から、厲鬼(レイキ)が豊秋津島(トヨアキツシマ、本州を指すと思われます)を襲い、大勢が死んでいる、と報告を受けていました。ニキツミ王の使者は上陸せず舟から、今回の厲鬼はまず悪寒がして、やがて燃えるほど熱くなり、口の中に発疹ができ、やがて全身に膿疱が生じて1ヶ月以内に多くの者が死に、筑紫島もいつ祟られるから分からないので、じゅうぶん用心するよう、那国に伝えてきました。するとヤノハは、その鬼がもはや筑紫島に上陸し、我々の近くに迫っていると覚悟すべきではないか、とウツヒオ王に言います。そうなれば自分の祈祷など空しい、と率直に言ったヤノハは、この難局を乗り切るには出雲の毉(クスシ)の技に頼るしかないのでは、とウツヒオ王に提案します。確か出雲には人を死より遠ざける祈祷がある、とウツヒオ王から聞いたヤノハは、事代主なる現人神にはやはり合わねばならない、と言って明日出立の予定だったところ、すぐに出立するとことにします。
阿武の邑に到達した事代主は塀越しに邑長に話しかけます。事代主は自分の配下の巫覡(フゲキ)4人を邑に入れてもらうよう、邑長に要請します。巫覡は毉の技を持つので宍門の人々にも役立つはずだ、というわけです。自分たちは目に見えない鬼とも戦える禁厭(マジナイ)を心得ており、助けられる人は助けよ、というのが自分たちの奉る大穴牟遅神(オオアナムヂノカミ)の教えだ、と事代主は訴えます。すると、阿武の邑の門が開き、事代主はヤノハと会うために弁都留島(ムトルノシマ、現在の六連島でしょうか)へと急ぎます。
日下の邑に到達したトメ将軍とミマアキは、邑に人がおらず、遺体も見つからなかったが、邑外れに多くの土盛りがあった、と報告を受けます。トメ将軍は、一気に川(大和川でしょうか)を上ってサヌ王の都まで進むことに決めます。トメ将軍とミマアキは舟で日下に到達し、ミマアキはその美しい都に感嘆します。都の背後に見える巨大な土盛りを見たミマアキは、サヌ王の霊廟だろう、と推測します。トメ将軍もその土盛りの大きさに感嘆し、筑紫島では誰も造れないだろう、と言うミマアキに対して、戦になれば我々は負けるな、と率直に呟きます。ミマアキもトメ将軍の率直な発言に同意します。都には人の気配が全くなく、王も貴族も民の姿も見当たりません。厲鬼に襲われ皆逃げてしまったのか、とトメ将軍が言い、あるいは全滅したのだろうか、とミマアキが案じるところで今回は終了です。
今回は、これまで語られるだけだった日下の様子がついに描かれましたが、まだ日下の人々は登場していません。さすがに全滅したわけではないでしょうが、日下から出雲への干渉が止まったくらいですから、疫病で大打撃を受けたことは間違いないでしょう。現時点では、この疫病は瀬戸内海とその周辺地域を中心に広がっているようで、出雲が無事なことから推測すると、日本海側では流行していないようです。あるいは、出雲が無事なのは、その治療技術のためかもしれません。この疫病に出雲の治療技術が有効かもしれず、それが、西日本の統合を促進する、という話になるとしたら、間もなく描かれるだろう日見子(ヒミコ)たるヤノハと事代主との会見が大いに注目されます。今回の描写から、日下はすでにかなり強大な勢力を築いているように思われます。トメ将軍とミマアキも感嘆した日下の都は纏向遺跡でしょうか。大きな土盛りは纒向石塚古墳かもしれませんが、あるいは現在には残っていない墳丘か、後に箸墓古墳へと改築された巨大墳丘とも考えられます。ヤノハと事代主との会見とともに、日下の王がどのような人物なのか(疫病で没して王が不在かもしれませんが)、日下を目指した穂波(ホミ)のトモは日下に到達できたのか、ということも注目されます。ついに日下も描かれ、ますます壮大な話になってきたので、今後もたいへん楽しみです。
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