加藤真二「華北におけるMIS3の大型石器インダストリー」
本論文は、文部科学省科学研究費補助金(新学術領域研究)2016-2020年度「パレオアジア文化史学」(領域番号1802)計画研究A01「アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築」2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 32)に所収されています。公式サイトにて本論文をPDFファイルで読めます(P27-31)。この他にも興味深そうな論文があるので、今後読んでいくつもりです。
近年、古代ゲノム研究が飛躍的に発展しており、ユーラシア西部、とくにヨーロッパと比較して大きく遅れていたユーラシア東部についても、草原地帯(関連記事)やアジア東部(関連記事)の包括的な研究が提示されました。華北で遺伝的に確認されている最古の現生人類(Homo sapiens)遺骸は、北京の南西56kmにある 田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃(関連記事)の現生人類(Homo sapiens)男性1個体で(関連記事)、この個体はユーラシア東部というかアジア東部基層集団の一員と推測されています。つまり4万年前頃には、アジア東部現代人の祖先がすでに華北に存在した可能性は高そうです。本論文は、このアジア東部基層集団の存在を示す可能性がある、華北の海洋酸素同位体ステージ(MIS)3大型石器インダストリーを取り上げています。
大型石器インダストリーとは、礫器(PaleoAsia mode C1)を中心として、不定形で粗雑なスクレイパー(PaleoAsia mode D1)などの剥片石器を組成するインダストリーです。礫器・剥片石器群(PF群)、長型石核石器(Long core tool:LCT:PaleoAsia mode E1)を有する礫器・剥片石器群(PFL群)、礫器を多く有する鋸歯縁石器群(DP群)などがこれに相当します。これらの大型石器インダストリーは、中国南半部の長江流域・華南東部などで盛行する、と知られています。一方、中国北半部、とくに華北地方南部の嵩山東麓地区を中心に、若干の大型石器インダストリが見られます。
●華北の大型石器インダストリー
河南省織機洞8・9層は、嵩山東麓の丘陵地帯に所在する洞窟遺跡です。第8層の上に堆積する第7層の光刺激ルミネッセンス法(OSL)年代(49700±5760年前)や花粉分析により、温和で比較的乾燥した温帯草原環境が復元されたことから、MIS3初頭の段階と考えられ、56000~50000年前頃と想定されます。遺跡付近の河床で採集された、石英砂岩の礫を多用する礫器・剥片石器群(PF群)が出土しましたが、少数(第8層では75個、第9層では27個)です。第7層からは、鋸歯縁石器群(3574個)も検出されています。
河南省方家溝5・6層および8・9層は、織機洞から南西へ30kmの地点に所在する開地遺跡です。主要な石器群である6層下面に開口した溝状遺構(G1)出土石器群(6050個)の上下の層位から、石英砂岩・石英岩の石核・礫器を有する少数の礫器・剥片石器群(PF群)が出土しました(5層では13個、6層では49個、8層では40個、9層では96個)。両者の間に位置するG1出土石器群は石英製鋸歯縁石器群(DQ群)です。5層は放射性炭素年代測定による較正年代で41887~40810年前と42168~41269年前、9層はOSで56400±3500年前と推定されています。また花粉分析では、5・6層はキク科・ヨモギ属とアカザ科が繁茂する草原環境と復元され、気候の乾燥寒冷化が進むと推測されました。一方、8~9層は、キク科・ヨモギ属とアカザ科の草原と落葉広葉樹、針葉樹林が見られる温暖湿潤環境と復元されています。
山西省下川富益河圪梁地点中文化層は、太行山脈南端にあたる中条山脈の山間盆地に位置する開地遺跡です。細石刃石器群(MB群)、台形様石器、ナイフ形石器を有する石器群(TB群)を含む、上文化層の下に堆積する褐赤色亜粘土層(中文化層)に包含される少量の石器群が確認されます(34個超)。石英砂岩製の礫器・石核・剥片とともに、石英岩製のノッチ・ベックをもつDP群と見られます。年代は放射性炭素年代測定の非較正年代では36200年前頃で、下川旧石器後期文化初期段階(較正年代で43000~39000年前頃)に相当すると考えられます。
●華北の大型石器インダストリーの荷担者
このようにわずかな事例ですが、華北南部ではMIS3の較正年代で56000~50000年前頃から40000万年前頃にかけて、大型石器インダストリーが確認されます。上述のように、大型石器インダストリーは中国南半部の長江流域・華南東部などで盛行します。MIS5~3にかけて長江流域では、犀牛洞や黄龍(Huanglong)洞や棗子坪や水湾や烏鴉山や小河口など、また華南東部では、大梅下文化層や船帆洞上・下文化層や宝積岩などが挙げられ、大型石器インダストリーがこれらの地域で展開する、と確認できます。このため、華北地方にみられる大型石器インダストリーは、中国南半部の人類集団が荷担したもので、その移動・拡散に伴って華北に持ちこまれた、と推定できます。つまり、MIS3の時期には数度にわたり、中国南半部の集団が、大型石器インダストリーをもって中国北半部へ北上・拡散したと考えられます。問題となるのは、中国南半部から華北へ移動してきた大型インダストリーの荷担集団が何者だったのか、ということです。
上述の長江流域石器群のうち、湖北省北部の鄖西(Yunxi)県から25kmに位置する黄龍洞第3層(103700±1600~79400±6300年前)では、礫器・剥片石器群(PF群)とともにシャベル型門歯を含む現代型新人の歯化石(鄖西人)が出土しています。また、中国南半部では、113000~100000年前頃と推定されている広西壮族(チワン族)自治区崇左市の智人洞窟(Zhirendong)や、10万年以上前と推定される咁前洞や、12万~7万年前頃と推定される陸那(Luna)洞などで、かなり古い現生人類化石が検出されています。
しかし、その理化学年代は、しばしば過度に古い年代が測定される場合もある鍾乳石を試料としたウラン系列年代です。このため、年代については、さらなる検証が必要で、MIS3の前半期における石器群の荷担者については、現時点で不明です。じっさい、おそらく本論文脱稿後の公表となる研究では、黄龍洞は35000年前頃以降、陸那洞はおおむね完新世と推定されており(関連記事)、本論文の懸念は妥当だったと言えそうです。一方、華北最古の現生人類化石である4万年前頃の田園洞人や、中国南半部で最古の後期旧石器文化と考えられる、43500年前頃以降となる雲南省硝洞(Xiaodong)6層の石器群(石斧をもつ礫器・剥片石器群:PFAX)は、現生人類の所産だった可能性が高そうです。
●華北地方における現生人類集団の出現と拡散
華北地方の大型石器インダストリーの年代に注目すれば、織機洞8・9層、方家溝8・9層の56000~50000年前頃と、方家溝5・6層、下川富益河圪梁地点中文化層の4万年前頃という2つの年代が見られます。このうち56000~50000年前頃は、MIS3cの比較的温暖な湿潤期に相当します。一方、4万年前頃は、ハインリッヒイベント(HE)4もあり、比較的寒冷・乾燥化した時期です。このため、環境変化による居住可能領域の拡大などとは別の解釈が必要とされます。むしろ、MIS3においては、人口増などの理由から中国南半部の集団の北上圧力が常に高かった、と解釈できそうです。たまたま、考古学的に把握されたのが、上述の2つの年代だっただろう、というわけです。
上述のように、アジア東部基層集団の現生人類(田園洞人)が、4万年前頃には、北緯39度40分まで北上している。また、同じく4万年前頃以降、中国北半部の主体的な石器群であった鋸歯縁石器群グループに、石刃・縦長剥片や典型的な掻器・彫器など、上部旧石器的な道具・装身具・磨製骨角器・黒曜石等の遠隔地石材の利用など、いわゆる現代的行動様式が見られるようになります(関連記事)。また、華北地方の北端にある泥河湾盆地(The Nihewan Basin)に所在する、較正年代で5万~4万年前頃となる河北省西白馬営では、典型的な鋸歯縁石器群(D群)とともに、現代的行動様式と解釈できる初源的な磨製骨器や火の制御の痕跡が検出されています。
大型石器インダストリーの動きと以上のような中国北半部の石器群の様相をもとにすれば、MIS3の後半期、アジア東部基層集団の現代型新人が大型石器インダストリーを荷担して、中国南半部から北上し、中国北半部、とくに華北地方に拡散していく、と考えられます。その過程で、華北地方に鋸歯縁石器群を荷担する在地集団(古代型「新人」?)と接触して、鋸歯縁石器群を受容し、荷担するようになります。西白馬営の鋸歯縁石器群も、アジア東部基層集団の現生人類が残したと考えられます。また、下川富益河圪梁地点中文化層の礫器をもつ鋸歯縁石器群(DP群)は、アジア東部基層集団が鋸歯縁石器群を受容するさいに出現した、大型石器インダストリーと鋸歯縁石器群のハイブリッドともいえる石器群かもしれません。較正年代で4万年前頃には、鋸歯縁石器群を荷担したアジア東部基層集団が、在地集団と置換したと考えられます。
このように、華北地方の大型石器インダストリーに注目し、その動向を見ると、大型石器インダストリーはMIS3に相当する較正年代で56000~40000年前頃に華北地方南部で見られる、と確認されました。中国南半部での現生人類の出現と拡散状況はまだ詳細不明ですが、中国南半部で後期(上部)旧石器時代が開始される43500年前頃以降は、アジア東部基層集団が大型石器インダストリーを荷担した、と想定されます。アジア東部の後期更新世人類遺骸は少ないので、石器分析からの拡散経路の推測に依拠せざるを得ないところが多分にあります。今後、堆積物のDNA解析が進めば、石器からの推測とは異なる様相の人類集団の拡散や置換が明らかになるかもしれません。
参考文献:
加藤真二(2021)「華北におけるMIS3の大型石器インダストリー」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 32)』P27-31
近年、古代ゲノム研究が飛躍的に発展しており、ユーラシア西部、とくにヨーロッパと比較して大きく遅れていたユーラシア東部についても、草原地帯(関連記事)やアジア東部(関連記事)の包括的な研究が提示されました。華北で遺伝的に確認されている最古の現生人類(Homo sapiens)遺骸は、北京の南西56kmにある 田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃(関連記事)の現生人類(Homo sapiens)男性1個体で(関連記事)、この個体はユーラシア東部というかアジア東部基層集団の一員と推測されています。つまり4万年前頃には、アジア東部現代人の祖先がすでに華北に存在した可能性は高そうです。本論文は、このアジア東部基層集団の存在を示す可能性がある、華北の海洋酸素同位体ステージ(MIS)3大型石器インダストリーを取り上げています。
大型石器インダストリーとは、礫器(PaleoAsia mode C1)を中心として、不定形で粗雑なスクレイパー(PaleoAsia mode D1)などの剥片石器を組成するインダストリーです。礫器・剥片石器群(PF群)、長型石核石器(Long core tool:LCT:PaleoAsia mode E1)を有する礫器・剥片石器群(PFL群)、礫器を多く有する鋸歯縁石器群(DP群)などがこれに相当します。これらの大型石器インダストリーは、中国南半部の長江流域・華南東部などで盛行する、と知られています。一方、中国北半部、とくに華北地方南部の嵩山東麓地区を中心に、若干の大型石器インダストリが見られます。
●華北の大型石器インダストリー
河南省織機洞8・9層は、嵩山東麓の丘陵地帯に所在する洞窟遺跡です。第8層の上に堆積する第7層の光刺激ルミネッセンス法(OSL)年代(49700±5760年前)や花粉分析により、温和で比較的乾燥した温帯草原環境が復元されたことから、MIS3初頭の段階と考えられ、56000~50000年前頃と想定されます。遺跡付近の河床で採集された、石英砂岩の礫を多用する礫器・剥片石器群(PF群)が出土しましたが、少数(第8層では75個、第9層では27個)です。第7層からは、鋸歯縁石器群(3574個)も検出されています。
河南省方家溝5・6層および8・9層は、織機洞から南西へ30kmの地点に所在する開地遺跡です。主要な石器群である6層下面に開口した溝状遺構(G1)出土石器群(6050個)の上下の層位から、石英砂岩・石英岩の石核・礫器を有する少数の礫器・剥片石器群(PF群)が出土しました(5層では13個、6層では49個、8層では40個、9層では96個)。両者の間に位置するG1出土石器群は石英製鋸歯縁石器群(DQ群)です。5層は放射性炭素年代測定による較正年代で41887~40810年前と42168~41269年前、9層はOSで56400±3500年前と推定されています。また花粉分析では、5・6層はキク科・ヨモギ属とアカザ科が繁茂する草原環境と復元され、気候の乾燥寒冷化が進むと推測されました。一方、8~9層は、キク科・ヨモギ属とアカザ科の草原と落葉広葉樹、針葉樹林が見られる温暖湿潤環境と復元されています。
山西省下川富益河圪梁地点中文化層は、太行山脈南端にあたる中条山脈の山間盆地に位置する開地遺跡です。細石刃石器群(MB群)、台形様石器、ナイフ形石器を有する石器群(TB群)を含む、上文化層の下に堆積する褐赤色亜粘土層(中文化層)に包含される少量の石器群が確認されます(34個超)。石英砂岩製の礫器・石核・剥片とともに、石英岩製のノッチ・ベックをもつDP群と見られます。年代は放射性炭素年代測定の非較正年代では36200年前頃で、下川旧石器後期文化初期段階(較正年代で43000~39000年前頃)に相当すると考えられます。
●華北の大型石器インダストリーの荷担者
このようにわずかな事例ですが、華北南部ではMIS3の較正年代で56000~50000年前頃から40000万年前頃にかけて、大型石器インダストリーが確認されます。上述のように、大型石器インダストリーは中国南半部の長江流域・華南東部などで盛行します。MIS5~3にかけて長江流域では、犀牛洞や黄龍(Huanglong)洞や棗子坪や水湾や烏鴉山や小河口など、また華南東部では、大梅下文化層や船帆洞上・下文化層や宝積岩などが挙げられ、大型石器インダストリーがこれらの地域で展開する、と確認できます。このため、華北地方にみられる大型石器インダストリーは、中国南半部の人類集団が荷担したもので、その移動・拡散に伴って華北に持ちこまれた、と推定できます。つまり、MIS3の時期には数度にわたり、中国南半部の集団が、大型石器インダストリーをもって中国北半部へ北上・拡散したと考えられます。問題となるのは、中国南半部から華北へ移動してきた大型インダストリーの荷担集団が何者だったのか、ということです。
上述の長江流域石器群のうち、湖北省北部の鄖西(Yunxi)県から25kmに位置する黄龍洞第3層(103700±1600~79400±6300年前)では、礫器・剥片石器群(PF群)とともにシャベル型門歯を含む現代型新人の歯化石(鄖西人)が出土しています。また、中国南半部では、113000~100000年前頃と推定されている広西壮族(チワン族)自治区崇左市の智人洞窟(Zhirendong)や、10万年以上前と推定される咁前洞や、12万~7万年前頃と推定される陸那(Luna)洞などで、かなり古い現生人類化石が検出されています。
しかし、その理化学年代は、しばしば過度に古い年代が測定される場合もある鍾乳石を試料としたウラン系列年代です。このため、年代については、さらなる検証が必要で、MIS3の前半期における石器群の荷担者については、現時点で不明です。じっさい、おそらく本論文脱稿後の公表となる研究では、黄龍洞は35000年前頃以降、陸那洞はおおむね完新世と推定されており(関連記事)、本論文の懸念は妥当だったと言えそうです。一方、華北最古の現生人類化石である4万年前頃の田園洞人や、中国南半部で最古の後期旧石器文化と考えられる、43500年前頃以降となる雲南省硝洞(Xiaodong)6層の石器群(石斧をもつ礫器・剥片石器群:PFAX)は、現生人類の所産だった可能性が高そうです。
●華北地方における現生人類集団の出現と拡散
華北地方の大型石器インダストリーの年代に注目すれば、織機洞8・9層、方家溝8・9層の56000~50000年前頃と、方家溝5・6層、下川富益河圪梁地点中文化層の4万年前頃という2つの年代が見られます。このうち56000~50000年前頃は、MIS3cの比較的温暖な湿潤期に相当します。一方、4万年前頃は、ハインリッヒイベント(HE)4もあり、比較的寒冷・乾燥化した時期です。このため、環境変化による居住可能領域の拡大などとは別の解釈が必要とされます。むしろ、MIS3においては、人口増などの理由から中国南半部の集団の北上圧力が常に高かった、と解釈できそうです。たまたま、考古学的に把握されたのが、上述の2つの年代だっただろう、というわけです。
上述のように、アジア東部基層集団の現生人類(田園洞人)が、4万年前頃には、北緯39度40分まで北上している。また、同じく4万年前頃以降、中国北半部の主体的な石器群であった鋸歯縁石器群グループに、石刃・縦長剥片や典型的な掻器・彫器など、上部旧石器的な道具・装身具・磨製骨角器・黒曜石等の遠隔地石材の利用など、いわゆる現代的行動様式が見られるようになります(関連記事)。また、華北地方の北端にある泥河湾盆地(The Nihewan Basin)に所在する、較正年代で5万~4万年前頃となる河北省西白馬営では、典型的な鋸歯縁石器群(D群)とともに、現代的行動様式と解釈できる初源的な磨製骨器や火の制御の痕跡が検出されています。
大型石器インダストリーの動きと以上のような中国北半部の石器群の様相をもとにすれば、MIS3の後半期、アジア東部基層集団の現代型新人が大型石器インダストリーを荷担して、中国南半部から北上し、中国北半部、とくに華北地方に拡散していく、と考えられます。その過程で、華北地方に鋸歯縁石器群を荷担する在地集団(古代型「新人」?)と接触して、鋸歯縁石器群を受容し、荷担するようになります。西白馬営の鋸歯縁石器群も、アジア東部基層集団の現生人類が残したと考えられます。また、下川富益河圪梁地点中文化層の礫器をもつ鋸歯縁石器群(DP群)は、アジア東部基層集団が鋸歯縁石器群を受容するさいに出現した、大型石器インダストリーと鋸歯縁石器群のハイブリッドともいえる石器群かもしれません。較正年代で4万年前頃には、鋸歯縁石器群を荷担したアジア東部基層集団が、在地集団と置換したと考えられます。
このように、華北地方の大型石器インダストリーに注目し、その動向を見ると、大型石器インダストリーはMIS3に相当する較正年代で56000~40000年前頃に華北地方南部で見られる、と確認されました。中国南半部での現生人類の出現と拡散状況はまだ詳細不明ですが、中国南半部で後期(上部)旧石器時代が開始される43500年前頃以降は、アジア東部基層集団が大型石器インダストリーを荷担した、と想定されます。アジア東部の後期更新世人類遺骸は少ないので、石器分析からの拡散経路の推測に依拠せざるを得ないところが多分にあります。今後、堆積物のDNA解析が進めば、石器からの推測とは異なる様相の人類集団の拡散や置換が明らかになるかもしれません。
参考文献:
加藤真二(2021)「華北におけるMIS3の大型石器インダストリー」『パレオアジア文化史学:アジアにおけるホモ・サピエンス定着プロセスの地理的編年的枠組みの構築2020年度研究報告書(PaleoAsia Project Series 32)』P27-31
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