歯根形態と関連する遺伝子
歯根形態と関連する遺伝子についての研究(Kataoka et al., 2021)が公表されました。日本語の解説記事もあります。人類の歯の経時的な形態変化はよく研究されてきました。以前の研究では、歯の形態における人口集団内および人口集団間の多様性が明らかにされてきました。アジアの人口集団では、いくつかの歯の特徴が、「モンゴロイド歯科複合」と呼ばれる混合表現型としてまとめられています。これは後に、シノドントとスンダドントに二分されました。シノドントの特徴は、上顎中切歯(UI1)のシャベル状、単一歯根の上顎第一小臼歯(UP1)、3本歯根の下顎第一大臼歯(LM1)、C字根の下顎第二大臼歯(LM2)などです。対照的に、スンダドントでは、2本歯根の上顎第一小臼歯と下顎第一大臼歯を示す傾向にあります。
以前の遺伝的研究では、エクトジスプラシンA受容体(EDAR)遺伝子(rs3827760:アミノ酸もしくはヌクレオチド配列に応じて、それぞれ370V/Aもしくは1540T/C)がシノドントおよびスンダドントの歯冠の特徴と強く関連している、と示されています。EDAR遺伝子は、毛髪の太さや直毛度、エクリン汗腺密度、耳たぶや下顎の形態にも影響を与えています。また370Aアレル(対立遺伝子)は、370Vアレルと比較して、乳腺管分岐の増大およびより小さな乳腺脂肪体と関連している、と示されています。370Aアレルは派生的で、3万年前頃の出現との推定もあり(関連記事)、アジア東部およびアメリカ大陸先住民集団でひじょうに高い頻度で見られ、アフリカおよびヨーロッパの人口集団では存在しないか稀です。
さらに、集団遺伝学の研究では、アジア東部において強い選択が370Aアレルに作用した、と示唆されています。乳腺管分岐の増大をもたらす370Aアレルは高緯度地帯において適応的で、ベーリンジア(ベーリング陸橋)において出現して定着したのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。これらの知見から、シャベル型切歯を「北京原人」からアジア東部現代人の連続的な進化の根拠とするような見解(関連記事)は、今ではほぼ完全に否定されたと言えるでしょう。
本論文は、歯冠形成と比較して研究が遅れている歯根形成の分子メカニズムを、EDAR 370V/Aとの関連において、コンピューター断層撮影(CT)画像分析と、反応拡散モデル(空間に分布された一種あるいは複数種の物質の濃度が、物質がお互いに影響し合うような局所的な化学反応、および空間全体に物質が広がる拡散の、二つの過程により変化する様子を数理モデル化したもの)を仮定したコンピューターシミュレーションにより解明します。対象となったのは成人患者255名(男性98名と女性157名)で、CT画像とDNAが分析されました。
255人のうち、EDAR遺伝子の多様体の割合は、Vのホモ接合型が25人(9.0%)、V/Aのヘテロ接合型が120人(47.1%)、Aのホモ接合型が112人(43.9%)です。EDAR遺伝子型と上顎第一小臼歯および下顎第二大臼歯の歯根の形態との間に有意な関連性が観察されました。また、EDAR遺伝子型と下顎第一大臼歯・上顎第一小臼歯・下顎第二大臼歯の歯根形態との関連も示されました。EDAR遺伝子の370Aアレルはシノドントの表現型と有意に関連する、と示されました。しかし、370Aアレルの影響は3種類の歯で異なっており、上顎第一小臼歯では歯根数の減少、下顎第一大臼歯では歯根数の増加、下顎第二大臼歯では歯根の不分離と関連していることも示されました。
反応拡散モデルを想定した単純化コンピューターシミュレーションにより、C字根を含むさまざまな歯根型の形状パターンが、活性因子と抑制因子の誘導の強さを表すパラメーター(αsおよびγ)に依存して生成される、と示されました。歯が成長して断面が大きくなるにつれて、歯根の本数増加の傾向が見られました。活性因子の誘導の強さαsが減少するにつれて歯根の数は増え、増加するにつれてC字型の歯根のパターンが現れることと、抑制因子の誘導の強さγは逆の効果を有することが明らかになりました。
本論文は、用いたモデルが単純化されており、じっさいの発現はもっと複雑である、と注意を喚起しています。それでも、EDAR 370V/A多型が現代アジア人口集団で観察される歯根形態および歯根数と関連している、と明らかになりました。ただ、上述のように歯根数への影響は単純ではありません。また、EDAR遺伝子型はアジアの人口集団で観察される歯の形態の二形性の強力な遺伝的要因ですが、他の遺伝的要因も関わっているかもしれません。以前の研究では、WNT10AおよびPAX9遺伝子の一般的な多様体が歯冠サイズと関連している、と示されており、歯根形態にも関連しているかもしれません。
本論文は、現代アジア東部における人口集団の形成過程の観点でも注目されます。上述のように、現代のアジア東部やアメリカ大陸先住民の人口集団で多いシノドントの遺伝的基盤となるEDAR遺伝子の370Aアレルは派生的で、3万年前頃の出現との推定もあり、その出現候補地としてベーリンジアが指摘されています。最近のアジア東部現生人類(Homo sapiens)集団の古代DNA研究の進展(関連記事)を踏まえると、EDAR遺伝子の370Aアレルが出現したのは、ユーラシア東部北方系統から派生したアジア東部系統のうち、アジア東部北方系統集団だったかもしれません。アジア東部現代人集団の主要な遺伝的祖先はアジア東部北方系統集団で、スンダドントの比率が高いポリネシア人の主要な遺伝的祖先はアジア東部南方系統集団だからです。今後の古代DNA研究の進展により、アジア東部現代人集団の形成過程がより詳しく解明されていく、と期待されます。
参考文献:
Kataoka K. et al.(2021): The human EDAR 370V/A polymorphism affects tooth root morphology potentially through the modification of a reaction–diffusion system. Scientific Reports, 11, 5143.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-84653-4
以前の遺伝的研究では、エクトジスプラシンA受容体(EDAR)遺伝子(rs3827760:アミノ酸もしくはヌクレオチド配列に応じて、それぞれ370V/Aもしくは1540T/C)がシノドントおよびスンダドントの歯冠の特徴と強く関連している、と示されています。EDAR遺伝子は、毛髪の太さや直毛度、エクリン汗腺密度、耳たぶや下顎の形態にも影響を与えています。また370Aアレル(対立遺伝子)は、370Vアレルと比較して、乳腺管分岐の増大およびより小さな乳腺脂肪体と関連している、と示されています。370Aアレルは派生的で、3万年前頃の出現との推定もあり(関連記事)、アジア東部およびアメリカ大陸先住民集団でひじょうに高い頻度で見られ、アフリカおよびヨーロッパの人口集団では存在しないか稀です。
さらに、集団遺伝学の研究では、アジア東部において強い選択が370Aアレルに作用した、と示唆されています。乳腺管分岐の増大をもたらす370Aアレルは高緯度地帯において適応的で、ベーリンジア(ベーリング陸橋)において出現して定着したのではないか、との見解も提示されています(関連記事)。これらの知見から、シャベル型切歯を「北京原人」からアジア東部現代人の連続的な進化の根拠とするような見解(関連記事)は、今ではほぼ完全に否定されたと言えるでしょう。
本論文は、歯冠形成と比較して研究が遅れている歯根形成の分子メカニズムを、EDAR 370V/Aとの関連において、コンピューター断層撮影(CT)画像分析と、反応拡散モデル(空間に分布された一種あるいは複数種の物質の濃度が、物質がお互いに影響し合うような局所的な化学反応、および空間全体に物質が広がる拡散の、二つの過程により変化する様子を数理モデル化したもの)を仮定したコンピューターシミュレーションにより解明します。対象となったのは成人患者255名(男性98名と女性157名)で、CT画像とDNAが分析されました。
255人のうち、EDAR遺伝子の多様体の割合は、Vのホモ接合型が25人(9.0%)、V/Aのヘテロ接合型が120人(47.1%)、Aのホモ接合型が112人(43.9%)です。EDAR遺伝子型と上顎第一小臼歯および下顎第二大臼歯の歯根の形態との間に有意な関連性が観察されました。また、EDAR遺伝子型と下顎第一大臼歯・上顎第一小臼歯・下顎第二大臼歯の歯根形態との関連も示されました。EDAR遺伝子の370Aアレルはシノドントの表現型と有意に関連する、と示されました。しかし、370Aアレルの影響は3種類の歯で異なっており、上顎第一小臼歯では歯根数の減少、下顎第一大臼歯では歯根数の増加、下顎第二大臼歯では歯根の不分離と関連していることも示されました。
反応拡散モデルを想定した単純化コンピューターシミュレーションにより、C字根を含むさまざまな歯根型の形状パターンが、活性因子と抑制因子の誘導の強さを表すパラメーター(αsおよびγ)に依存して生成される、と示されました。歯が成長して断面が大きくなるにつれて、歯根の本数増加の傾向が見られました。活性因子の誘導の強さαsが減少するにつれて歯根の数は増え、増加するにつれてC字型の歯根のパターンが現れることと、抑制因子の誘導の強さγは逆の効果を有することが明らかになりました。
本論文は、用いたモデルが単純化されており、じっさいの発現はもっと複雑である、と注意を喚起しています。それでも、EDAR 370V/A多型が現代アジア人口集団で観察される歯根形態および歯根数と関連している、と明らかになりました。ただ、上述のように歯根数への影響は単純ではありません。また、EDAR遺伝子型はアジアの人口集団で観察される歯の形態の二形性の強力な遺伝的要因ですが、他の遺伝的要因も関わっているかもしれません。以前の研究では、WNT10AおよびPAX9遺伝子の一般的な多様体が歯冠サイズと関連している、と示されており、歯根形態にも関連しているかもしれません。
本論文は、現代アジア東部における人口集団の形成過程の観点でも注目されます。上述のように、現代のアジア東部やアメリカ大陸先住民の人口集団で多いシノドントの遺伝的基盤となるEDAR遺伝子の370Aアレルは派生的で、3万年前頃の出現との推定もあり、その出現候補地としてベーリンジアが指摘されています。最近のアジア東部現生人類(Homo sapiens)集団の古代DNA研究の進展(関連記事)を踏まえると、EDAR遺伝子の370Aアレルが出現したのは、ユーラシア東部北方系統から派生したアジア東部系統のうち、アジア東部北方系統集団だったかもしれません。アジア東部現代人集団の主要な遺伝的祖先はアジア東部北方系統集団で、スンダドントの比率が高いポリネシア人の主要な遺伝的祖先はアジア東部南方系統集団だからです。今後の古代DNA研究の進展により、アジア東部現代人集団の形成過程がより詳しく解明されていく、と期待されます。
参考文献:
Kataoka K. et al.(2021): The human EDAR 370V/A polymorphism affects tooth root morphology potentially through the modification of a reaction–diffusion system. Scientific Reports, 11, 5143.
https://doi.org/10.1038/s41598-021-84653-4
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