アメリカ大陸へのイヌの最初の拡散経路
アメリカ大陸へのイヌの最初の拡散経路に関する研究(Coelho et al., 2021)が報道されました。イヌは家畜化されて以来、世界中で人類とともに移動しており、アメリカ大陸への人類の拡散にも不可欠だった、と考えられています(関連記事)。しかし、アメリカ大陸への人類の移動の正確な年代と(複数かもしれない)経路は、イヌの場合と同様に未解決です。遺伝的証拠からは、アメリカ大陸先住民はアジア東部現代人の祖先と23000年前頃以降に分岐したと提案されており(関連記事)、考古学的証拠からは、16000年以上前にアメリカ大陸氷床の南に人類集団が存在した、と示唆されていますが、示唆されていますが(関連記事)、北アメリカ大陸最古の人類遺骸は12600年前頃(12707~12556年前頃)までにしかさかのぼりません(関連記事)。なお、この人類遺骸の年代は、最近12905~12840年前と修正されました(関連記事)。
イヌの遺伝的データでは、アフロユーラシアにおける家畜化は32100~18800年前頃に起きたと示唆されており、北アメリカ大陸への人類最初の移住よりも前となりそうです。しかし、人類と同様に、イヌの考古学的証拠はDNAに基づく年代よりも遅れており、アフロユーラシアでは15000~12500年前頃以降となります。遺伝的証拠と遺骸証拠との間の間隙は、イヌがアメリカ大陸への人類最初の移住に同行していたのかどうか、あるいは、イヌは人類とともにもっと後のアメリカ大陸への移住の波でのみ到来したのか、という問題を残します。これまでのところ、北アメリカ大陸における最古の確認されたイヌ遺骸は、イリノイ州のコスター(Koster)遺跡およびスティルウェル2(Stilwell II)遺跡の埋葬で発掘されており、その年代は10190~9630年前頃で、最古の確認された人類遺骸よりも2000年以上新しくなります。最近の遺伝的研究では、これら初期のヨーロッパ人との接触前のイヌ(PCD)は、北アメリカ大陸の北アメリカ大陸のオオカミから家畜化されたのではなく、シベリア東部のジョホフ(Zhokhov)島の9000年前頃のイヌ集団との共有祖先から分岐した、と示されています(関連記事)。
アメリカ大陸の人類とイヌの先史時代は、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)およびその直後の生物学的生産性および食料入手可能性と同様に、氷期の年代と程度にも密接に依存しています。LGMにおいて、ローレンタイド(Laurentide)氷床とコルディレラ(Cordilleran)氷床は北アメリカ大陸の大半を覆っており、人類と他のほとんどの動物相および植物相にとって、この地域の生息もしくは通過さえ不可能でした。この回廊は早ければ15000年前頃には開けていたかもしれませんが、13000年前頃までは生物は生存できなかった可能性が高そうです。
別の仮説は、北西太平洋沿岸(NPC)に沿ったコルディレラ氷床の後退が、現在よりも低い海面と組み合わさり、初期人類と他の生物相にとってより早期の無氷沿岸回廊を提供した、というものです。アレクサンダー諸島を含む北西太平洋沿岸諸島は、独特な生物多様性を保持しており、コルディレラ氷床がその最西端で後退し始めた17000年前頃まで資源の利用が可能でした。この時期は、アメリカ大陸への人類最初の移住時期の遺伝的証拠とほぼ同じで、イヌがすでに家畜化されていたことを示唆する遺伝的証拠と一致します。イヌが北アメリカ大陸に最初の人類とともに到来したのか、その後なのかいずれにしても、イヌはアメリカ大陸全域に拡大しました。考古学的証拠では、イヌは1万年前頃にはアメリカ大陸中央の異なる遺跡に存在しており、それは4000年前頃までにはニューファンドランドからアラバマとカリフォルニアに、1000年前頃までには南アメリカ大陸に及びました。
現代および古代のイヌは、主要な4ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)と、少数派の2mtHgに分類されます。mtHg-Aは最も多様で、ほとんどの犬種とPCD下位クレード(単系統群)を含みます。過去2000年、アメリカ大陸への少なくとも3回のイヌの移動が、PCD集団に直接的に影響を及ぼしました。第一に、チューレ(Thule)文化とともにアジア東部から北極圏のイヌが到来しました。チューレ文化の前には、イヌはアメリカ大陸北極圏では稀でした。北アメリカ大陸北極圏全域のイヌの急速な拡大は、後のイヌイットのそりイヌ文化と関連していた可能性が高そうです。ヨーロッパ人は、現代の犬種の新たな波をもたらし、ほとんどのPCDはおもに文化的選好のため置換されました。ヨーロッパからアメリカ大陸への入植者たちは、集落や家畜を守る能力がより高く、軍用犬もしくは狩猟犬として使えるため、小さなPCDよりも大きなヨーロッパの品種を好みました。ヨーロッパの犬種は、在来のPCDが感染しやすい病気をもたらした可能性もあります。さらに後になって、シベリアンハスキーがアラスカのゴールドラッシュのさいに導入されました。
最古のアメリカ大陸のイヌ遺骸はアメリカ大陸中西部で発見されたので、PCDがアメリカ大陸への移動のさいにどの経路で持ち込まれたのか、強力な洞察を提供しません。北西太平洋沿岸の古代PCD個体群の直接的証拠は、この難問を解決するのに役立つでしょう。本論文は、古代のイヌ1頭のミトコンドリアゲノムを報告します。このイヌの年代は10150±260年前頃で、アラスカ南東部のアレクサンダー諸島のランゲル(Wrangell)島の東のアラスカ本土に位置する法曹洞窟(Lawyer's Cave)で発掘されました(図1)。この1頭のイヌはPP-00128として知られ、法曹洞窟で発見された最古の骨遺骸を表しており、アメリカ大陸で発見された最古の遺伝的に確認されたイヌです。法曹洞窟では、PP-00128標本以外にも、さまざまな哺乳類や鳥や魚の骨や人類遺骸や人工物が発見されています。人工物には、骨製品や貝殻のビーズや黒曜石の細石刃および剥片などが含まれています。PP-00128標本は当初、クマの骨片と考えられていました。以下、本論文の図1です。
●放射性炭素年代と炭素13同位体分析
放射性炭素年代測定では、PP-00128の較正年代は10150±262年前となり、既知のアメリカ大陸最古のイヌ遺骸の年代9910±280年前より240年ほど古いことになります。PP-00128の炭素13値から、その食性はおもに海洋性動物に依存しており、アラスカ南西部のユピク(Yup'ik)の遺跡のあるヌナレク(Nunalleq)で発見された1頭の古代イヌと類似しています。これは、現代のイヌの範囲の下限と重複し、非肉食性哺乳類の範囲内にある北アメリカ大陸中西部地域の他の同時代のイヌとは対照的です。
●系統分析
分析された全ての系統樹において、PP-00128はPCD内に収まり、mtHg-Aに分類され、シベリア東部のジョホフ島のイヌ集団と密接に関連しています。北アメリカ大陸北極圏地域とグリーンランドの古代および現代のイヌもジョホフ島系統のmtHg-A2aに分類されます。PCD系統はmtHg-A2bとなり、本論文の分析では下位クレード3系統に分離します(図1b・2b)。mtHg-A2b1はシベリアのコスター遺跡の古代のイヌや、北アメリカ大陸全域やカリフォルニアのチャネル諸島や南アメリカ大陸の4000~1000年前頃のイヌや、現代の犬種を含みます。mtHg-A2b2はおもに、イリノイ州のジェニ・B・グード(Janey B. Goode)遺跡とオハイオ州のサイオト洞窟(Scioto Caverns)のイヌに加えて、アラバマ州やミズーリ州の4000年以上前のイヌが含まれます。mtHg-A2b3は、北極圏全域およびブリティッシュコロンビアのプリンスルパート島(Prince Rupert Island)からカリフォルニアまでの太平洋沿岸の4000年前頃以降のイヌで構成されます。PP-00128のmtHgにおける位置づけはデータセットにより異なり、mtHg-A2b1の姉妹系統とも、mtHg-A2b1・A2b2の両方を含むより大きな系統の姉妹系統とも分類されます。mtHg-A2b3の位置づけはデータセット間で大きく異なり、mtHg-A2b2姉妹系統とも、mtHg-A2b1の姉妹系統とも、mtHg-A2全体の姉妹系統とも位置づけられます。以下、本論文の図2です。
ミトコンドリアゲノムのハプロタイプネットワーク(図3)では、mtHg-A2aとA2bは6ヶ所の置換により区別されます。mtHg-A2bでは、PP-00128はネットワークの中心にあり、そこからPCDの下位クレードが放散します。PP-00128は他のイヌとは共有されない4ヶ所の変異を有しており、コスター遺跡のイヌ個体群と密接に関連し、それらとは7~9ヶ所の置換により分離します。他の全てのPCDは、少なくとも9ヶ所の置換によりPP-00128と分離します。mtHg-A2b内の下位3クレードは、最大で6ヶ所置換により相互に異なります。以下、本論文の図3です。
●分岐年代と個体群統計学的推定
各データセットからの推定分岐年代は比較可能です。最も包括的なデータセットに基づく推定分岐年代は図2bに示されます。PCDとジョホフ島のイヌの祖先は16700年前頃、95%最高事後密度(highest posterior density、略してHPD)では18719~14894年前推定されます。PCDの最終共通祖先は16200年前頃(95% HPDで18125~14378年前)で、mtHg-A2b3の分岐年代でもあります。PP-00128系統の分岐は14500年前頃(95% HPDで16261~12988年前)です。mtHg-A2b1とA2b2は14040年前頃(95% HPDで15651~12570年前)に分岐しました。とジョホフ島のイヌと密接に関連する北極圏のそりイヌは、10300年前頃(95% HPDで10998~9197年前)に存在した祖先を共有しています。個体群の統計学的推論では、PCD集団は15000年前頃に合着(合祖)した、と示されます。最初の約5000年間、集団規模は1万年前頃まで増加し、その後では2000年前頃まで一定で、2000年前頃以後に減少が始まりました。
●考察
イヌと人類との間の密接な文化的関係、およびイヌが全大陸で人類に同行したという事実のため、イヌは人類の移住パターンを理解するための代理として使えます。ヨーロッパ人によるアメリカ大陸の植民地化の前には、イヌはベーリンジア(ベーリング陸橋)を通ってアメリカ大陸先住民の祖先とともにアメリカ大陸へと移動してきました。しかし、在来のアメリカ大陸のイヌの遺骸はほとんど確認・分析されてきませんでした。既知の全てのPCDはmtHg-A2bに分類され、全てのアメリカ大陸の在来イヌの間での密接な関係を示唆します(関連記事)。
アメリカ大陸最古の人類遺骸および考古学的証拠は、アメリカ大陸におけるイヌの証拠よりも古いものの、氷床の南のアメリカ大陸への最初の人類の移住に関する現在の遺伝的推定は、シベリア東部のイヌからのPCDクレードの分岐に関する本論文で報告された16700年前頃という年代、およびPCDクレード自身の16200年前頃という合着(合祖)年代と一致します。この年代は、現在の推定値よりも1000年古くなります(関連記事)。北アメリカ大陸の2つの氷床間の内陸部経路は13000年前頃以後に生物学的に利用可能となりましたが、コルディレラ氷床は北太平洋沿岸で急速に後退した可能性が高く、遅くとも17000年前頃にはアラスカ南東部の周囲に生態学的に利用可能な回廊が出現し、15000年前頃までには内陸部のフィヨルドと入り江は無氷になりました。
考古学的(関連記事)および遺伝的(関連記事)証拠は、アメリカ大陸に移住した最初の人類が、大陸経路の代わりに沿岸経路を用いた、という仮説を裏づけます。シベリア東部のイヌとのPCDの推定分岐年代は、提案されている北アメリカ大陸への初期の人類の移住と類似しているので、イヌはアメリカ大陸への北太平洋沿岸経路での人類最初の移住においてもたらされた可能性が高そうです。しかし、人類と同様に、イヌ遺骸は半化石記録ではずっと後の年代でしか知られておらず、PCDはLGMにおいてベーリンジアに存在し、沿岸経路での後の南方への人類の移住に同行した、という可能性を除外できません。
年代測定された法曹洞窟で発掘された人工物は、法曹洞窟のPP-00128標本とは年代が一致しません。興味深いことに、PP-00128標本が見つかった場所からそう遠くない、プリンスオブウェールズ島の「膝の上洞窟(Shuká Káa)」では、10300年前頃の人類遺骸が識別されています(関連記事)。PP-00128標本の系統発生および地理的位置と、時空間的にほぼ同時となるこの人類遺骸から、イヌと人類は前期完新世に北太平洋沿岸に居住しており、遅くともこの時期までには北太平洋沿岸の経路が用いられていた、と示されます。
PP-00128標本の年代は10150±262年前となり、アメリカ大陸で最古の遺伝的に確認されたイヌ遺骸で、スティルウェル2遺跡の1頭のイヌとコスター遺跡の2頭のイヌがその後に続きます。これらの北アメリカ大陸中部のイヌの大きさは中型で、下顎の大きさに顕著な変動がありました。PP-00128標本の限定的な保存(大腿骨の小さな断片)のため、他の初期PCDとの形態的比較はできません。しかし、本論文の全ての系統分析では、PP-00128標本の高網羅率のミトコンドリアゲノムは全てのPCDと密接に関連しており、ほとんどの分析では、古代のスティルウェル2遺跡とコスター遺跡のイヌを含む系統の姉妹系統です。PP-00128標本の、不確実ではあるものの、PCDのハプロタイプ間の提案された基底部の位置は、PP-00128標本がPCDの初期系統に属することを示唆します。
経時的な有効個体数規模の変化を見ると、PCD集団のmtDNAの変異は15000年前頃に合着しており、その後集団は1万年前頃まで拡大しました。PCD集団は2000年前頃まで安定した規模を維持し、その後、おそらくは北アメリカ大陸にヨーロッパのイヌが到来した頃に、系統が絶滅したと推定されるまで減少し始めました。以前の研究では、9000年前頃とより新しい合着年代が明らかになり、その後、ほぼ一定の集団規模が続きました。しかし、以前の研究では、同じ時期の同じハプロタイプのイヌが多数標本抽出されており、そのほとんどはイリノイ州のジェニ・B・グード遺跡に由来します。これは、標本抽出の偏りにつながる可能性があります。
在来のイヌと同様に、アメリカ大陸先住民集団の有効人口規模は同じ時期に減少しました。この現象は、イヌイット文化の移動の始まりと一致します。さらに、同じ時期に、イヌイット到来前に北極圏に存在したイヌも集団規模で減少しました。これらの結果と本論文の結果は、人類とイヌ両集団が同じ時期に減少を経たことになるので、イヌは人類集団の移住や人口統計学的パターンさえ分析する代理として使えるかもしれない、という考えを裏づけます。アメリカ大陸への到来後、PCDは2000年前頃まで孤立していました。この時期以後、北アメリカ大陸への3回の新たなイヌの導入があり、PCDの個体数減少を加速した可能性があります。イヌイットは北極圏のイヌをシベリア東部からも導入し、ヨーロッパのイヌは15世紀に始まる植民者に同行し、もっと最近では、シベリアンハスキーが20世紀のアラスカのゴールドラッシュ期に導入されました。
ヨーロッパの犬種がアメリカ大陸にもたらされた時、PCD集団はすでに減少しつつあり、遺伝的浸透を通じて容易に置換もしくは吸収された可能性があります。ヨーロッパの犬種と北極圏のそりイヌはPCDを完全に置換したように見えますが、一部の現代の品種ではPCDのわずかな遺伝的遺産があるようです(関連記事)。たとえば、PCDクレード内で7頭の現代のイヌがまとまっており、さらには2頭の歴史時代のイヌも同様です。本論文の分析では、別の現代のアラスカのアメリカエスキモー犬は、これら他の現代のイヌとは異なるPCD下位クレードに分類されます。これらの知見は、まだほとんど標本抽出されていないPCD祖先系統のより高い程度が、現代もしくは歴史時代のアメリカ大陸のイヌに存在しているかもしれない、と裏づけます。
安定同位体は、生物の古食性を推測する代理として用いることができます。安定同位体分析により、食性が異なる光合成経路(C3やC4)で構成されているのかどうか、食性が海洋性と陸生どちらの食資源の消費に基づいているのか、区別できます。海洋食資源とC4植物は、食物連鎖でより高次の消費者では炭素13値濃度がより高くなる傾向があります。アラスカ南東部の現代の動物の食性を調べることで、PP-00128標本がどの食資源にどの程度依存していたのか、推定できます。
PP-00128標本の食性は海洋哺乳類の範囲と推定され、ベーリング海沿いのアラスカ南西部の古代のイヌと類似しており、海洋性食資源に大きく依存している人口集団のとも一部重複します。アラスカでは最近まで魚がそりイヌの主食で、人類があまり食べない一部のサケもあります。たとえば、アラスカ南部全域ではイヌのサケとも呼ばれるシロザケ(Oncorhynchus keta)は、PP-00128標本が存在した頃にアラスカ南東部でイヌに餌として与えられていたかもしれません。臓器など人類の狩猟の残り物もイヌの餌として使われてきた、と報告されており、そうした動物にはアラスカ南東部のアザラシやクジラが含まれていたかもしれません。したがって、PP-00128標本は海洋性食資源に依存した食性を有しており、前期完新世にアラスカ南東部沿岸に居住した人類と同様だった可能性があります。
●まとめ
本論文の結果から、PP-00128標本は初期に分岐したPCDを表している、と示唆されます。本論文は、PP-00128標本が、アメリカ大陸への移住期に人類に同行した最初の家畜化されたイヌの近縁だったかもしれない、と提案します。PP-00128標本の沿岸部の位置は、最初のアメリカ大陸のイヌおよび氷床の南方の人類の拡散に関する、放射性炭素年代および分子時計と組み合わされて、アメリカ大陸最初の人類とイヌの移住は、内陸部経路とその後の沿岸部への西進ではなく、北太平洋沿岸経路だったことを裏づけます。PCDは、後のイヌイットのそりイヌおよびヨーロッパの植民者とともに到来したヨーロッパの犬種によりほぼ完全に置換され、現代のイヌではわずかなPCDの遺伝的影響しか残っていません。PP-00128標本を含めてPCDの将来の核ゲノム分析は、PCDの運命についてより詳細な洞察を可能とするでしょう。
参考文献:
Coelho FAS.. et al.(2021): An early dog from southeast Alaska supports a coastal route for the first dog migration into the Americas. Proceedings of the Royal Society B, 288, 1945, 20203103.
https://doi.org/10.1098/rspb.2020.3103
イヌの遺伝的データでは、アフロユーラシアにおける家畜化は32100~18800年前頃に起きたと示唆されており、北アメリカ大陸への人類最初の移住よりも前となりそうです。しかし、人類と同様に、イヌの考古学的証拠はDNAに基づく年代よりも遅れており、アフロユーラシアでは15000~12500年前頃以降となります。遺伝的証拠と遺骸証拠との間の間隙は、イヌがアメリカ大陸への人類最初の移住に同行していたのかどうか、あるいは、イヌは人類とともにもっと後のアメリカ大陸への移住の波でのみ到来したのか、という問題を残します。これまでのところ、北アメリカ大陸における最古の確認されたイヌ遺骸は、イリノイ州のコスター(Koster)遺跡およびスティルウェル2(Stilwell II)遺跡の埋葬で発掘されており、その年代は10190~9630年前頃で、最古の確認された人類遺骸よりも2000年以上新しくなります。最近の遺伝的研究では、これら初期のヨーロッパ人との接触前のイヌ(PCD)は、北アメリカ大陸の北アメリカ大陸のオオカミから家畜化されたのではなく、シベリア東部のジョホフ(Zhokhov)島の9000年前頃のイヌ集団との共有祖先から分岐した、と示されています(関連記事)。
アメリカ大陸の人類とイヌの先史時代は、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)およびその直後の生物学的生産性および食料入手可能性と同様に、氷期の年代と程度にも密接に依存しています。LGMにおいて、ローレンタイド(Laurentide)氷床とコルディレラ(Cordilleran)氷床は北アメリカ大陸の大半を覆っており、人類と他のほとんどの動物相および植物相にとって、この地域の生息もしくは通過さえ不可能でした。この回廊は早ければ15000年前頃には開けていたかもしれませんが、13000年前頃までは生物は生存できなかった可能性が高そうです。
別の仮説は、北西太平洋沿岸(NPC)に沿ったコルディレラ氷床の後退が、現在よりも低い海面と組み合わさり、初期人類と他の生物相にとってより早期の無氷沿岸回廊を提供した、というものです。アレクサンダー諸島を含む北西太平洋沿岸諸島は、独特な生物多様性を保持しており、コルディレラ氷床がその最西端で後退し始めた17000年前頃まで資源の利用が可能でした。この時期は、アメリカ大陸への人類最初の移住時期の遺伝的証拠とほぼ同じで、イヌがすでに家畜化されていたことを示唆する遺伝的証拠と一致します。イヌが北アメリカ大陸に最初の人類とともに到来したのか、その後なのかいずれにしても、イヌはアメリカ大陸全域に拡大しました。考古学的証拠では、イヌは1万年前頃にはアメリカ大陸中央の異なる遺跡に存在しており、それは4000年前頃までにはニューファンドランドからアラバマとカリフォルニアに、1000年前頃までには南アメリカ大陸に及びました。
現代および古代のイヌは、主要な4ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)と、少数派の2mtHgに分類されます。mtHg-Aは最も多様で、ほとんどの犬種とPCD下位クレード(単系統群)を含みます。過去2000年、アメリカ大陸への少なくとも3回のイヌの移動が、PCD集団に直接的に影響を及ぼしました。第一に、チューレ(Thule)文化とともにアジア東部から北極圏のイヌが到来しました。チューレ文化の前には、イヌはアメリカ大陸北極圏では稀でした。北アメリカ大陸北極圏全域のイヌの急速な拡大は、後のイヌイットのそりイヌ文化と関連していた可能性が高そうです。ヨーロッパ人は、現代の犬種の新たな波をもたらし、ほとんどのPCDはおもに文化的選好のため置換されました。ヨーロッパからアメリカ大陸への入植者たちは、集落や家畜を守る能力がより高く、軍用犬もしくは狩猟犬として使えるため、小さなPCDよりも大きなヨーロッパの品種を好みました。ヨーロッパの犬種は、在来のPCDが感染しやすい病気をもたらした可能性もあります。さらに後になって、シベリアンハスキーがアラスカのゴールドラッシュのさいに導入されました。
最古のアメリカ大陸のイヌ遺骸はアメリカ大陸中西部で発見されたので、PCDがアメリカ大陸への移動のさいにどの経路で持ち込まれたのか、強力な洞察を提供しません。北西太平洋沿岸の古代PCD個体群の直接的証拠は、この難問を解決するのに役立つでしょう。本論文は、古代のイヌ1頭のミトコンドリアゲノムを報告します。このイヌの年代は10150±260年前頃で、アラスカ南東部のアレクサンダー諸島のランゲル(Wrangell)島の東のアラスカ本土に位置する法曹洞窟(Lawyer's Cave)で発掘されました(図1)。この1頭のイヌはPP-00128として知られ、法曹洞窟で発見された最古の骨遺骸を表しており、アメリカ大陸で発見された最古の遺伝的に確認されたイヌです。法曹洞窟では、PP-00128標本以外にも、さまざまな哺乳類や鳥や魚の骨や人類遺骸や人工物が発見されています。人工物には、骨製品や貝殻のビーズや黒曜石の細石刃および剥片などが含まれています。PP-00128標本は当初、クマの骨片と考えられていました。以下、本論文の図1です。
●放射性炭素年代と炭素13同位体分析
放射性炭素年代測定では、PP-00128の較正年代は10150±262年前となり、既知のアメリカ大陸最古のイヌ遺骸の年代9910±280年前より240年ほど古いことになります。PP-00128の炭素13値から、その食性はおもに海洋性動物に依存しており、アラスカ南西部のユピク(Yup'ik)の遺跡のあるヌナレク(Nunalleq)で発見された1頭の古代イヌと類似しています。これは、現代のイヌの範囲の下限と重複し、非肉食性哺乳類の範囲内にある北アメリカ大陸中西部地域の他の同時代のイヌとは対照的です。
●系統分析
分析された全ての系統樹において、PP-00128はPCD内に収まり、mtHg-Aに分類され、シベリア東部のジョホフ島のイヌ集団と密接に関連しています。北アメリカ大陸北極圏地域とグリーンランドの古代および現代のイヌもジョホフ島系統のmtHg-A2aに分類されます。PCD系統はmtHg-A2bとなり、本論文の分析では下位クレード3系統に分離します(図1b・2b)。mtHg-A2b1はシベリアのコスター遺跡の古代のイヌや、北アメリカ大陸全域やカリフォルニアのチャネル諸島や南アメリカ大陸の4000~1000年前頃のイヌや、現代の犬種を含みます。mtHg-A2b2はおもに、イリノイ州のジェニ・B・グード(Janey B. Goode)遺跡とオハイオ州のサイオト洞窟(Scioto Caverns)のイヌに加えて、アラバマ州やミズーリ州の4000年以上前のイヌが含まれます。mtHg-A2b3は、北極圏全域およびブリティッシュコロンビアのプリンスルパート島(Prince Rupert Island)からカリフォルニアまでの太平洋沿岸の4000年前頃以降のイヌで構成されます。PP-00128のmtHgにおける位置づけはデータセットにより異なり、mtHg-A2b1の姉妹系統とも、mtHg-A2b1・A2b2の両方を含むより大きな系統の姉妹系統とも分類されます。mtHg-A2b3の位置づけはデータセット間で大きく異なり、mtHg-A2b2姉妹系統とも、mtHg-A2b1の姉妹系統とも、mtHg-A2全体の姉妹系統とも位置づけられます。以下、本論文の図2です。
ミトコンドリアゲノムのハプロタイプネットワーク(図3)では、mtHg-A2aとA2bは6ヶ所の置換により区別されます。mtHg-A2bでは、PP-00128はネットワークの中心にあり、そこからPCDの下位クレードが放散します。PP-00128は他のイヌとは共有されない4ヶ所の変異を有しており、コスター遺跡のイヌ個体群と密接に関連し、それらとは7~9ヶ所の置換により分離します。他の全てのPCDは、少なくとも9ヶ所の置換によりPP-00128と分離します。mtHg-A2b内の下位3クレードは、最大で6ヶ所置換により相互に異なります。以下、本論文の図3です。
●分岐年代と個体群統計学的推定
各データセットからの推定分岐年代は比較可能です。最も包括的なデータセットに基づく推定分岐年代は図2bに示されます。PCDとジョホフ島のイヌの祖先は16700年前頃、95%最高事後密度(highest posterior density、略してHPD)では18719~14894年前推定されます。PCDの最終共通祖先は16200年前頃(95% HPDで18125~14378年前)で、mtHg-A2b3の分岐年代でもあります。PP-00128系統の分岐は14500年前頃(95% HPDで16261~12988年前)です。mtHg-A2b1とA2b2は14040年前頃(95% HPDで15651~12570年前)に分岐しました。とジョホフ島のイヌと密接に関連する北極圏のそりイヌは、10300年前頃(95% HPDで10998~9197年前)に存在した祖先を共有しています。個体群の統計学的推論では、PCD集団は15000年前頃に合着(合祖)した、と示されます。最初の約5000年間、集団規模は1万年前頃まで増加し、その後では2000年前頃まで一定で、2000年前頃以後に減少が始まりました。
●考察
イヌと人類との間の密接な文化的関係、およびイヌが全大陸で人類に同行したという事実のため、イヌは人類の移住パターンを理解するための代理として使えます。ヨーロッパ人によるアメリカ大陸の植民地化の前には、イヌはベーリンジア(ベーリング陸橋)を通ってアメリカ大陸先住民の祖先とともにアメリカ大陸へと移動してきました。しかし、在来のアメリカ大陸のイヌの遺骸はほとんど確認・分析されてきませんでした。既知の全てのPCDはmtHg-A2bに分類され、全てのアメリカ大陸の在来イヌの間での密接な関係を示唆します(関連記事)。
アメリカ大陸最古の人類遺骸および考古学的証拠は、アメリカ大陸におけるイヌの証拠よりも古いものの、氷床の南のアメリカ大陸への最初の人類の移住に関する現在の遺伝的推定は、シベリア東部のイヌからのPCDクレードの分岐に関する本論文で報告された16700年前頃という年代、およびPCDクレード自身の16200年前頃という合着(合祖)年代と一致します。この年代は、現在の推定値よりも1000年古くなります(関連記事)。北アメリカ大陸の2つの氷床間の内陸部経路は13000年前頃以後に生物学的に利用可能となりましたが、コルディレラ氷床は北太平洋沿岸で急速に後退した可能性が高く、遅くとも17000年前頃にはアラスカ南東部の周囲に生態学的に利用可能な回廊が出現し、15000年前頃までには内陸部のフィヨルドと入り江は無氷になりました。
考古学的(関連記事)および遺伝的(関連記事)証拠は、アメリカ大陸に移住した最初の人類が、大陸経路の代わりに沿岸経路を用いた、という仮説を裏づけます。シベリア東部のイヌとのPCDの推定分岐年代は、提案されている北アメリカ大陸への初期の人類の移住と類似しているので、イヌはアメリカ大陸への北太平洋沿岸経路での人類最初の移住においてもたらされた可能性が高そうです。しかし、人類と同様に、イヌ遺骸は半化石記録ではずっと後の年代でしか知られておらず、PCDはLGMにおいてベーリンジアに存在し、沿岸経路での後の南方への人類の移住に同行した、という可能性を除外できません。
年代測定された法曹洞窟で発掘された人工物は、法曹洞窟のPP-00128標本とは年代が一致しません。興味深いことに、PP-00128標本が見つかった場所からそう遠くない、プリンスオブウェールズ島の「膝の上洞窟(Shuká Káa)」では、10300年前頃の人類遺骸が識別されています(関連記事)。PP-00128標本の系統発生および地理的位置と、時空間的にほぼ同時となるこの人類遺骸から、イヌと人類は前期完新世に北太平洋沿岸に居住しており、遅くともこの時期までには北太平洋沿岸の経路が用いられていた、と示されます。
PP-00128標本の年代は10150±262年前となり、アメリカ大陸で最古の遺伝的に確認されたイヌ遺骸で、スティルウェル2遺跡の1頭のイヌとコスター遺跡の2頭のイヌがその後に続きます。これらの北アメリカ大陸中部のイヌの大きさは中型で、下顎の大きさに顕著な変動がありました。PP-00128標本の限定的な保存(大腿骨の小さな断片)のため、他の初期PCDとの形態的比較はできません。しかし、本論文の全ての系統分析では、PP-00128標本の高網羅率のミトコンドリアゲノムは全てのPCDと密接に関連しており、ほとんどの分析では、古代のスティルウェル2遺跡とコスター遺跡のイヌを含む系統の姉妹系統です。PP-00128標本の、不確実ではあるものの、PCDのハプロタイプ間の提案された基底部の位置は、PP-00128標本がPCDの初期系統に属することを示唆します。
経時的な有効個体数規模の変化を見ると、PCD集団のmtDNAの変異は15000年前頃に合着しており、その後集団は1万年前頃まで拡大しました。PCD集団は2000年前頃まで安定した規模を維持し、その後、おそらくは北アメリカ大陸にヨーロッパのイヌが到来した頃に、系統が絶滅したと推定されるまで減少し始めました。以前の研究では、9000年前頃とより新しい合着年代が明らかになり、その後、ほぼ一定の集団規模が続きました。しかし、以前の研究では、同じ時期の同じハプロタイプのイヌが多数標本抽出されており、そのほとんどはイリノイ州のジェニ・B・グード遺跡に由来します。これは、標本抽出の偏りにつながる可能性があります。
在来のイヌと同様に、アメリカ大陸先住民集団の有効人口規模は同じ時期に減少しました。この現象は、イヌイット文化の移動の始まりと一致します。さらに、同じ時期に、イヌイット到来前に北極圏に存在したイヌも集団規模で減少しました。これらの結果と本論文の結果は、人類とイヌ両集団が同じ時期に減少を経たことになるので、イヌは人類集団の移住や人口統計学的パターンさえ分析する代理として使えるかもしれない、という考えを裏づけます。アメリカ大陸への到来後、PCDは2000年前頃まで孤立していました。この時期以後、北アメリカ大陸への3回の新たなイヌの導入があり、PCDの個体数減少を加速した可能性があります。イヌイットは北極圏のイヌをシベリア東部からも導入し、ヨーロッパのイヌは15世紀に始まる植民者に同行し、もっと最近では、シベリアンハスキーが20世紀のアラスカのゴールドラッシュ期に導入されました。
ヨーロッパの犬種がアメリカ大陸にもたらされた時、PCD集団はすでに減少しつつあり、遺伝的浸透を通じて容易に置換もしくは吸収された可能性があります。ヨーロッパの犬種と北極圏のそりイヌはPCDを完全に置換したように見えますが、一部の現代の品種ではPCDのわずかな遺伝的遺産があるようです(関連記事)。たとえば、PCDクレード内で7頭の現代のイヌがまとまっており、さらには2頭の歴史時代のイヌも同様です。本論文の分析では、別の現代のアラスカのアメリカエスキモー犬は、これら他の現代のイヌとは異なるPCD下位クレードに分類されます。これらの知見は、まだほとんど標本抽出されていないPCD祖先系統のより高い程度が、現代もしくは歴史時代のアメリカ大陸のイヌに存在しているかもしれない、と裏づけます。
安定同位体は、生物の古食性を推測する代理として用いることができます。安定同位体分析により、食性が異なる光合成経路(C3やC4)で構成されているのかどうか、食性が海洋性と陸生どちらの食資源の消費に基づいているのか、区別できます。海洋食資源とC4植物は、食物連鎖でより高次の消費者では炭素13値濃度がより高くなる傾向があります。アラスカ南東部の現代の動物の食性を調べることで、PP-00128標本がどの食資源にどの程度依存していたのか、推定できます。
PP-00128標本の食性は海洋哺乳類の範囲と推定され、ベーリング海沿いのアラスカ南西部の古代のイヌと類似しており、海洋性食資源に大きく依存している人口集団のとも一部重複します。アラスカでは最近まで魚がそりイヌの主食で、人類があまり食べない一部のサケもあります。たとえば、アラスカ南部全域ではイヌのサケとも呼ばれるシロザケ(Oncorhynchus keta)は、PP-00128標本が存在した頃にアラスカ南東部でイヌに餌として与えられていたかもしれません。臓器など人類の狩猟の残り物もイヌの餌として使われてきた、と報告されており、そうした動物にはアラスカ南東部のアザラシやクジラが含まれていたかもしれません。したがって、PP-00128標本は海洋性食資源に依存した食性を有しており、前期完新世にアラスカ南東部沿岸に居住した人類と同様だった可能性があります。
●まとめ
本論文の結果から、PP-00128標本は初期に分岐したPCDを表している、と示唆されます。本論文は、PP-00128標本が、アメリカ大陸への移住期に人類に同行した最初の家畜化されたイヌの近縁だったかもしれない、と提案します。PP-00128標本の沿岸部の位置は、最初のアメリカ大陸のイヌおよび氷床の南方の人類の拡散に関する、放射性炭素年代および分子時計と組み合わされて、アメリカ大陸最初の人類とイヌの移住は、内陸部経路とその後の沿岸部への西進ではなく、北太平洋沿岸経路だったことを裏づけます。PCDは、後のイヌイットのそりイヌおよびヨーロッパの植民者とともに到来したヨーロッパの犬種によりほぼ完全に置換され、現代のイヌではわずかなPCDの遺伝的影響しか残っていません。PP-00128標本を含めてPCDの将来の核ゲノム分析は、PCDの運命についてより詳細な洞察を可能とするでしょう。
参考文献:
Coelho FAS.. et al.(2021): An early dog from southeast Alaska supports a coastal route for the first dog migration into the Americas. Proceedings of the Royal Society B, 288, 1945, 20203103.
https://doi.org/10.1098/rspb.2020.3103
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