クロアチアの中期銅器時代の虐殺犠牲者の遺伝的分析

 クロアチアの中期銅器時代の虐殺犠牲者の遺伝的分析に関する研究(Novak et al., 2021)が報道されました。スーダンのジェベルサハバ(Jebel Sahaba)の墓地で発見された致命的な暴力的傷害を示す、両性と全年齢の多数の骨格遺骸により証明されるように、少なくとも13000年前頃にはヒト社会において大規模な暴力が存在していました。ジェベルサハバの事例は一般的に、集団的暴力もしくは戦争の最初の証拠を表すとみなされています。この仮説は、ケニアのトゥルカナ湖西方で2012年に発見されたナタルク(Nataruk)遺跡の、先史時代の狩猟採集民集団の虐殺を報告した最近の研究(関連記事)によりさらに強化されましたが、ナタルク遺跡が初期の集団間暴力を表すとの結論を疑う人もいます。

 ヨーロッパでは、タールハイム(Talheim)とアスパルン・シュレッツ(Asparn/Schletz)の前期新石器時代となる線形陶器文化(Linear Pottery、Linearbandkeramik、略してLBK)遺跡の他に、ドイツ(関連記事)などで先史時代となるいくつかの類似の事例が報告されています。古代の虐殺の古ゲノムおよび生物人類学的研究が浮き彫りにしてきた遺跡に関しては、犠牲者が、男性でおそらくは戦闘で全員死亡したか(関連記事)、共同体の部分集団に意図的に向けられた殺害から予測されるように同じ家族の構成員として処刑されたか(関連記事)、あるいは虐殺された個体がおそらくは以前に確立していた集団との対立で移民共同体の構成員だったか(関連記事)、あるいは殺害が宗教的儀式の一部だった証拠があります。

 古代と現代の両方の文脈でそうした事象を扱う場合、「虐殺」という用語の明確な定義が必要です。これに関してはさまざまな定義が用いられており、本論文では、スウェーデンのサンドビーボルグ(Sandby borg)遺跡の虐殺に関する研究で用いられた、「戦闘準備をしていない多数の人々に対する意図的な殺害行為で、集団により行なわれる殺害を伴う」という定義が採用されます。本論文は、クロアチア本土のポトチャニ(Potočani)の銅器時代の集団埋葬から回収された41個体の報告された虐殺犠牲者のうち38個体で、ゲノム規模古代DNAの生成により、特定の家族に向けられなかった大規模な殺害の証拠を提供します(図1)。以下、本論文の図1です。
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 ポトチャニ集団埋葬地は小さな坑で表され、直径は約2m、深さは約1mです。多くの混合された、場合によってはまだ関節がつながっているヒトの骨格遺骸は41個体分あり、両性と広範囲な年齢にまたがっています(図2a・b)。具体的には、遺伝学と形態学から、男性21個体と女性20個体と確認されています。このうち半数以上(21個体)は未成年で、2~5歳の幼い子供が2個体、6~10歳の年長の子供が9個体、11~17歳の思春期が10個体です。成人20個体の内訳は、18~35歳の青年が14個体、36~50歳の中年が5個体、死亡年齢を特定できなかった成人が1個体です。

 複数個体の病変とともに、13個体の頭蓋骨で負傷が確認されています。観察可能な頭蓋負傷のパターンは、年齢と性別の特定のパターンに従っておらず、幼い男子1個体、年長の女子1個体、思春期の男子3個体と女子1個体、青年期の男性1個体と女性4個体、中年男性2個体です。頭蓋の負傷のほとんどは、側面と後部および/または上部にあります。考古学的背景と絶対年代を組み合わせると、さまざまな武器による負傷は、単一の実行事象を示します。窒素と炭素の安定同位体分析から、同時代のクロアチア本土の集団と比較して、ポトチャニ集団はより多くの動物性食品を消費していた、と示唆されます。以下、本論文の図2です。
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 直接的な放射性炭素年代(紀元前4200年頃)と、いくつかの回収された土器の破片から、ポトチャニ遺跡の虐殺犠牲者は、クロアチア本土やボスニア北部やスロヴェニアやオーストラリア東部やハンガリー西部に広範に拡大した、中期銅器時代のラシニヤ(Lasinja)文化に分類されます。ラシニヤ文化はレンジェル(Lengyel)文化に由来する、と一般的に信じられていますが、その広大な範囲と追加の影響のため、起源の問題には追加の複雑さがあります。ラシニヤ文化は、何らかの方法で在来の新石器時代人口集団により「刺激を受けた」一連の推進力に起因する、経済および社会変化が起きた銅器時代となります。

 考えられる理由の一つは、ウシの増加です。ウシは集落周辺の牧草地を枯渇させた後、より頻繁な生息地の変化を要求します。ラシニヤ文化の人々にとってのウシの重要性は、動物考古学的記録により確認されており、ウシの飼育が人々の生活において重要な、さらには支配的な役割を果たした、と示唆されています。より大きな遊動性はおそらく、異なる文化集団間のより大きな意思疎通につながりました。これら全ての事象に影響を及ぼす要因は、ヴィンチャ(Vinča)文化の衰退と消滅です。この期間の他の重要な特徴は、強化された銅採掘およびこれらの過程と関連するネットワークの形成です。クロアチアのラシニヤ文化の遺跡ではごくわずかの銅しか知られていませんが、銅器時代のクロアチアの人々は異なる鉱床(炭酸塩と硫化鉱)からの銅を用いていたので、銅生産に精通していました。さまざまな銅器時代文化の金属と堆積物からの鉱石標本に関する以前の研究から、発掘された鉱石と金属の循環が複雑なネットワークに続いた、と示されています。

 ゲノム規模データの得られた38個体の分析の結果、その祖先系統は均一と示されました。主成分分析では、この38個体はアナトリア半島新石器時代クラスタからヨーロッパ西部狩猟採集民の方向にわずかに動いており、草原地帯祖先系統の到来前となる他の中期~後期新石器時代農耕民に類似しているものの、とくにヨーロッパ東部の祖先系統と類似している、と明らかになりました(図3A)。このパターンは、ポトチャニ個体群を、草原地帯関連祖先系統の証拠なしに、おもにアナトリア半島新石器時代祖先系統と9%程度のヨーロッパ西部狩猟採集民祖先系統(図3B)の混合としてモデル化できることにより、確認されます。これはさらに、バルカン半島の新石器時代人口集団に典型的な父系である、Y染色体ハプログループ(YHg)G2・I2・C1a2(V20)の存在と、草原地帯関連集団の拡大に典型的なYHg-R1a・R1b1a1b(M269)の欠如により裏づけられます。全体的に、本論文の片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)の分析は、異なるミトコンドリアの30系統とY染色体6系統を識別し、ポトチャニ遺跡の犠牲者は女性系統の多様な遺伝子プールを有する大規模な共同体に属していた、と示唆されます。以下、本論文の図3です。
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 次に、常染色体で親族関係が調べられ、38個体のうち11個体のみが密接に(3親等もしくはそれ以上)関連しており(図4)、異なる4家系に属する、と明らかになりました(図5)。若い男性(I10068)には6~10歳の少女I10070と11~17歳の少女I10074という2人の娘と、6~10歳の甥I10045がいました。6~10歳の姉妹I10067とI10293には、3親等の若い親族男性I10295がいました。中年男性I10061には、11~17歳の息子I10294がいました。6~10歳の少年I10054には、母方のオバもしくは異母姉妹の若いI10065がいました。以下、本論文の図4です。
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 いくつかの1親等および2親等の関係を通じてつながった拡大家族を表すポーランド南部のコシツェ(Koszyce)村の紀元前3000年頃の集団墓地とは異なり(関連記事)、ポトチャニ遺跡の虐殺は、親族集団が標的ではなく、分析された個体群の約70%は被葬者に近親者がいませんでした。これは、共同体内の少数の家族を標的にした殺害ではなく、多くの家族集団で構成される共同体における個体群の小さな部分集合を標的とする暴力的攻撃を示唆します。遺伝的分析は性的偏りがないことを明らかにし(女性20個体と男性18個体)、虐殺は戦闘で予想される男性間の戦いの結果でも、特定の性の個体群を標的とする報復事象の結果でもなかったことを示します。以下、本論文の図5です。
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 ホモ接合性連続(両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じ対立遺伝子のそろった状態が連続するゲノム領域)の分析は、個体の両親がどの事例でも密接に関連していないことを明らかにします。この分析で充分な網羅率を有する27個体のうち、ホモ接合性の長い連続(20センチモルガン超)の欠如により反映されるように、1親等もしくは2親等のイトコ水準で近親交配は検出されませんでした。27個体のうち21個体では、4cM(センチモルガン)以上の連続さえありませんでした(図6)。そのような低い出自関連性は、数十世代にわたって持続する大きな地域的人口規模を示します。ホモ接合性が4~20cMの長さの連続の割合を用いて、任意交配祖先系統プールと過去数十世代にわたる一定規模の人口集団を仮定すると、最近の有効人口規模は20100~75600と推定され、農耕への移行後のユーラシア西部人口集団に典型的な推定範囲内に収まります。以下、本論文の図6です。
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 ポトチャニ遺跡の集団埋葬は、2つの軍隊間の戦いではなく、性別や年齢に偏りがない人口集団の無関係な部分集合の無差別殺害の結果です。この仮説は、若い男性や中年男性が圧倒的な戦闘関連個体群で見られる分布とは異なる、両性とさまざまな年齢集団を含む、ポトツァニ遺跡個体群の人口統計学的構成に基づいています。人口統計学的分布の観点では、ポトチャニ遺跡個体群は、タールハイムやアスパルン・シュレッツやシェーネック・キリアンシュテッテン(Schöneck-Kilianstädten)やコシツェのような他の先史時代虐殺とほぼ同じですが、共同体の全体もしくは一部が殺されたもっと新しい事例とも同じであることは明らかです。ヨーロッパにおける新石器時代(および銅器時代)の虐殺発生と大規模な暴力の急増の理由は、複雑で多因子的です。それにも関わらず、気候条件不順と人口規模における有意な増加の組み合わせが、通常はこの現象の最も可能性が高い理由として挙げられます。

 現代の虐殺の事例では、虐殺は通常、経時的に展開し、さまざまな方法で現れる特定の暴力パターンを有する過程です(および単一の事象ではありません)。この文脈では、虐殺の前後の事象や行動の理解が重要です。なぜならば、これらは虐殺の感情的条件に寄与するからです。一部の著者によると、虐殺は、通常加害者により「他者」とみなされる犠牲者を軽蔑し、破壊することを含む、精神的複合体により特徴づけられます。この過程が終了した後でのみ、犠牲者は殺されます。換言すると、指導者たちは、社会全体に存在する苦しみや辛さに関して特定の集団を非難し、その集団が排除された後に状況が改善するだろう、と示唆します。共同体の不安を標的となる集団への恐怖に向けることは、最終的には恐れられている「他者」を排除するという欲求に変わっていく憎悪で、「他者」である集団への憎悪を生じます。無実の非戦闘員の虐殺に寄与するかもしれない追加の重要な側面は、アイデンティティの構築と「他者」の非人間化過程であり、そこでは「他者」は脅威として認識され、社会を救うために「他者」は破壊されねばならない、という考えにつながります。

 本論文は現時点で古代の虐殺の最大規模の遺伝的分析であり、大規模社会の台頭前の組織化された暴力の様相への洞察を提供します。虐殺の頃の人口集団置換の兆候は見つからず、前期新石器時代のピレネー山脈(関連記事)もしくは球状アンフォラ(Globular Amphora)文化(関連記事) での虐殺パターンとは対照的です。それらの虐殺では、新たな人々の到来が重要な役割を果たした可能性が高そうです。報復もしくは懲罰殺害により予想されるような、虐殺において性的もしくは年齢的に偏っているか、特定の家族を標的とする証拠もありません。代わりにデータは、この期間の組織化された暴力は、無差別殺害が歴史時代もしくは現代の生活の重要な特徴であったように、無差別だった可能性を明らかにします。今後の研究の重要な方向性は、古代の暴力のこのパターンの流行を決定するために、追加の虐殺遺跡を調べることです。


参考文献:
Novak M, Olalde I, Ringbauer H, Rohland N, Ahern J, Balen J, et al. (2021) Genome-wide analysis of nearly all the victims of a 6200 year old massacre. PLoS ONE 16(3): e0247332.
https://doi.org/10.1371/journal.pone.0247332

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