朝ドラ『繭子ひとり』で延命の嘆願が寄せられた露口茂氏
『女性自身』2021年3月23・30日号に朝ドラ特集記事が掲載されていました。朝ドラ史上平均視聴率が最高の作品は、1983年4月1日から1984年3月31日まで放送されていた『おしん』であることは、よく知られています。この特集記事によると、朝ドラ史上平均視聴率第2位の作品は、1971年4月5日から1972年4月1日にかけて放送された『繭子ひとり』とのことです。『繭子ひとり』は総集編も含めて映像が全く残っていなかったそうですが、出演者の1人である杉良太郎氏からNHKに提供されたビデオの中に第125回の一部の映像が含まれていたそうです(関連記事)。
『繭子ひとり』の主役は山口果林氏演じる加野繭子で、繭子は雑誌社の女性記者となり、北川編集長に恋をしますが、どうも北川編集長は原作では死ぬ設定の役だったようで、この特集記事によると延命嘆願が寄せられたそうです。北川編集長を演じたのは露口茂氏なので注目したわけですが、ウィキペディアの記事を読むと、すでに書かれていた情報でした。勝手に少し興奮して損をした気分になりましたが、1972年7月21日放送開始の『太陽にほえろ!』前の露口氏の芸能界における立場を窺える興味深い情報が得られたので、読んで正解でした。
『太陽にほえろ!』での露口氏は、山さん役で一定以上の年齢の女性からの人気がひじょうに高かったそうですが(若い女性から高い人気を得たのは殿下役の小野寺昭氏)、すでに『太陽にほえろ!』の放送開始前に、『繭子ひとり』などで一定以上の年齢の女性から高い支持を受けていたのかもしれません。露口氏は北川編集長をひじょうに魅力的に演じたのでしょうから、映像がほとんど残っていないのは何とも残念です。
1973年に放送された大河ドラマ『国盗り物語』も、露口氏が葛籠重蔵役で出演していますが(関連記事)、総集編しか映像が残っておらず、この頃のNHKのドラマの映像がほとんど残っていないのは日本の芸能史における大きな損失だと思います。ネットで見かけた情報だと、『国盗り物語』本編で葛籠重蔵の出番は多かったそうなので、いつか本編の録画も見つかるのではないか、と期待してきたのですが、残念ながら叶わないようです。
私は戦後芸能史に詳しくないので、『太陽にほえろ!』放送開始前の露口氏の立場がどのようなものだったのか、ほとんど知りませんが、『繭子ひとり』での演技が評判だったことや、山口崇氏が出演していた、1972年5月6日~1972年8月26日まで放送された『お祭り銀次捕物帳』でクレジットのトメは露口氏でしたから、すでにかなりの地位を確立していたように思います。『太陽にほえろ!』のサウンドトラックの解説(確か1975年頃発売のレコード盤の解説そのままだと思います)で、プロデューサーの岡田晋吉氏が、露口氏が出演依頼を承諾してくれた時に成功の手応えを感じた、というようなことを述べていたと記憶していますが、これも『太陽にほえろ!』放送開始直前の時点で、すでに露口氏が俳優として高く評価されていた傍証になりそうです。
『繭子ひとり』の主役は山口果林氏演じる加野繭子で、繭子は雑誌社の女性記者となり、北川編集長に恋をしますが、どうも北川編集長は原作では死ぬ設定の役だったようで、この特集記事によると延命嘆願が寄せられたそうです。北川編集長を演じたのは露口茂氏なので注目したわけですが、ウィキペディアの記事を読むと、すでに書かれていた情報でした。勝手に少し興奮して損をした気分になりましたが、1972年7月21日放送開始の『太陽にほえろ!』前の露口氏の芸能界における立場を窺える興味深い情報が得られたので、読んで正解でした。
『太陽にほえろ!』での露口氏は、山さん役で一定以上の年齢の女性からの人気がひじょうに高かったそうですが(若い女性から高い人気を得たのは殿下役の小野寺昭氏)、すでに『太陽にほえろ!』の放送開始前に、『繭子ひとり』などで一定以上の年齢の女性から高い支持を受けていたのかもしれません。露口氏は北川編集長をひじょうに魅力的に演じたのでしょうから、映像がほとんど残っていないのは何とも残念です。
1973年に放送された大河ドラマ『国盗り物語』も、露口氏が葛籠重蔵役で出演していますが(関連記事)、総集編しか映像が残っておらず、この頃のNHKのドラマの映像がほとんど残っていないのは日本の芸能史における大きな損失だと思います。ネットで見かけた情報だと、『国盗り物語』本編で葛籠重蔵の出番は多かったそうなので、いつか本編の録画も見つかるのではないか、と期待してきたのですが、残念ながら叶わないようです。
私は戦後芸能史に詳しくないので、『太陽にほえろ!』放送開始前の露口氏の立場がどのようなものだったのか、ほとんど知りませんが、『繭子ひとり』での演技が評判だったことや、山口崇氏が出演していた、1972年5月6日~1972年8月26日まで放送された『お祭り銀次捕物帳』でクレジットのトメは露口氏でしたから、すでにかなりの地位を確立していたように思います。『太陽にほえろ!』のサウンドトラックの解説(確か1975年頃発売のレコード盤の解説そのままだと思います)で、プロデューサーの岡田晋吉氏が、露口氏が出演依頼を承諾してくれた時に成功の手応えを感じた、というようなことを述べていたと記憶していますが、これも『太陽にほえろ!』放送開始直前の時点で、すでに露口氏が俳優として高く評価されていた傍証になりそうです。
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