前期新石器時代~漢代の山東省の人類の母系の遺伝的構造
前期新石器時代~漢代にかけての、現代の中華人民共和国山東省の人類の母系の遺伝的構造に関する研究(Liu et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。古代DNA研究により、アジア東部の南北の古代人口集団間の遺伝的区別など、ユーラシア東部の人口史と進化が明らかにされてきました(関連記事)。山東省は中国の北部沿岸地域に位置し、中国の南北を地理的に接続しています。山東省は多文化の中心地として、大汶口(Dawenkou)文化(6000~4600年前頃、黄河下流域)や山東省龍山(Longshan)文化(4600~4000年前頃、龍山文化の地域的文化)が存在しました。以前の古代DNA研究では、いくつかの山東省で発見された人類遺骸のミトコンドリアDNA(mtDNA)の短い超可変領域1に焦点が当てられていましたが、ハプログループを識別する能力は限定されていました。
最近、ゲノム規模研究(関連記事)とユーラシア東部の人口史の概説(関連記事)により、古代山東省個体群はアジア東部の人口集団の遺伝的歴史と過去の移住の特定に重要な役割を果たした、と明らかになりました。4ヶ所の前期新石器時代遺跡の古代山東省6個体(9500~7700年前頃)は、アジア東部北方人口集団と関連する祖先系統を有し、これは後にアジア東部南方への拡大した祖先的系統構成要素だった、と示されました。しかし、これらの研究は標本の不足により限定的で、山東省およびその近隣地域の経時的な変化する遺伝的関係の理解には大きな間隙があります。
本論文は、山東省の12ヶ所の遺跡(図1a)で発見された古代人86個体(9500~1800年前頃)の高品質で完全なmtDNA配列(16569塩基対)の分析と、mtDNAハプログループ(mtHg)の分類を提示します。本論文は、山東省の母系の遺伝的構造に関する人口集団動態と、これらの人口集団が山東省外の人口集団とどのようにつながっていたのか、説明するにあたって、以前の研究よりも時空間的に広範で精細な解像度を提供します。以下、本論文の図1です。
●4600年前頃までに分離された遺伝的構造
山東省の古代人86個体(9500~1800年前頃)から、合計56個のハプロタイプが特定されました。A5aやB5b2a2など特定のハプロタイプは、蓓倩(Beiqian)遺跡の同じ墓に葬られた2~5個体に共有されている、と明らかになり、これら被葬者間の母系親族関係が示唆されます。母系親族関係の可能性がある標本に関しては、その後の遺伝的分析のために1個体のみが対象とされ、10個体は除外されました。56個のハプロタイプは13個の基底的mtHgに分類され、それはA・B・C・D4・D5・F・G・M8・M9・M11・N9a・R・Zです。AMOVAを用いて、標本の年代に基づきどの人口集団グループ化が山東省の全遺跡の遺伝的構造を最もよく表すのか、検証されました。その結果、最大の分散は人口集団が4600年前頃よりも古いものとそれよりも新しいものとに区分した時に観察され、これは6000~4600年前頃の大汶口文化期と4600~4000年前頃の龍山文期との間隔に一致します。
●4600年前頃以前の山東省における母系の遺伝的構造
28個体が4600年前頃以前となります。その内訳は、9500年前頃の變變(Bianbian)遺跡1個体、8200年前頃の小高(Xiaogao)遺跡の1個体、8200年前頃の淄博(Boshan)遺跡の1個体、8000~7700年前頃の小荆山(Xiaojingshan)遺跡の3個体、6000~4600年前頃の伏佳(Fujia)遺跡の3個体、5500~5300年前頃の蓓倩遺跡の19個体です。これらの個体群のうち、4600年前頃よりも古い標本は、mtHg-B(B4c1とB5b2で24.14%)とD(D4とD5で37.93%)の高頻度を示します。
mtHg-B4はおもに現代人ではアジア中央部~東部に分布していますが、mtHg-B4c1は、アジア東部南方(61.70%)と、ムアン(Mueang)やタイ(Tay)やフラ(PhuLa)やキン(Kinh)やラフ(LaHu)といった、アジア東部南方人と密接に関連するアジア南東部人口集団(25.53%)でおもに見られます。mtHg-B5bはアジア東部全域で広範に見られ、現代朝鮮人で最も高い多様性が示されます。mtHg-B5b2は、おもに漢人(Han)やホジェン人(Hezhen、漢字表記では赫哲、一般にはNanai)やミナン人(Minnan)やマカタオ人(Makatao)で見られるmtHg-B5b(63.64)の派生mtHgですが、キン人やブリヤート人(Buryat)やハムニガン人(Khamnigan)やキジ人(Kizhi)など他のアジア東部人でも見られます。
mtHg-Dの場合、D4とD5の両方がアジア東部北方の古代人口集団において高頻度ですが(17.60~43.75%)アジア東部南方の古代人口集団ではそれよりも低頻度です(0~20%)。さらに、mtHg-N9aが8200年前頃の小高遺跡の1個体で見つかっています。mtHg-N9aはユーラシア東部系統に属し、おもにアジア東部に分布しています。これらの結果から、山東省の人口集団は4600年前頃以前にはアジア東部の南北両方と関連するmtHgを含んでいた、と示唆されます。
●4600年前頃以後の山東省における母系の遺伝的構造
山東省の遺跡のほとんどでは、mtHg-BとDが本論文の標本抽出期間(9500~1800年前頃)で高頻度(20%超)を維持していますが、mtHg-C(6.00%、C7a1とC7b)、M9(6.00%、M9a1)、F(2.00%、F1a1とF2aとF4a1)は4600年前頃よりも新しい標本でのみ観察されます(図3b)。これら新たにもたらされたmtHgから、山東省人口集団の母系の遺伝的構造は、龍山文化期(4600~4000年前頃)の開始期により多様になった、と示唆されます。
これら新たなmtHgの起源を調べると、mtHg-Cは、たとえばオロチョン人(Oroqen)集団(29.55%)のようなアジア東部の北方民族集団において優勢で、それはmtHg-Cが北方の民族集団でより多様である、という以前の観察と一致します。mtHg-M9aは、アジア南東部から北に向かってアジア東部本土へと15000年前頃に拡大したと提案されており、アジア東部北方現代人では限定的な分布になっています(0~4.20%)。
mtHg-F1・F4は、アジア東部南方とアジア南東部でアジア東部北方よりも一般的ですが、mtHg-F2はアジア東部北方人においてより高頻度で分布しています。これらのより最近のmtHgはアジア東部の南北両方で見つかっているので、山東省の人類遺骸におけるこれらの出現は、4600年前頃以前に観察されたmtHgの置換なしに、4600年前頃以後の山東省の外部からの人口集団の流入を表しているかもしれません。
さらに、mtHg頻度の主成分分析を用いて、4600~1800年前頃の各遺跡の人口集団が調べられました(図1b)。アジア東部の北方と南方の現代人はPC1軸で区別でき、それはおもにmtHg-D・B・Fの異なる割合に起因します。アジア東部北方現代人は、たとえば、モンゴル人で39.58%、吉林省漢人で35.29%、山東省漢人で36.00%と、mtHg-Dのより高い割合を示しますが、mtHg-B・Fは、たとえば、Bが江西省漢人で34.78%、広東省漢人で30.43%、Fがヴァ人(Va)で31.82%、ラフ人で33.33%、ペー人(Bai)で25.00%と、アジア東部南方現代人においてより高頻度です。
龍山文化期およびその後の4400~3300年前頃となる城子崖(Chengziya)遺跡と、龍山文化期となる4600~4000年前頃の桐林(Tonglin)遺跡の個体群は、PC1軸の中心に位置し(図1b)、それはおもに、この2遺跡がアジア東部人の南方もしくは北方で割合の高いmtHgを高い割合で有することに起因します。具体的には、この2遺跡のmtHg-Bの頻度は37.50%よりも高く、mtHg-Dの頻度は城子崖遺跡で20.00%、桐林遺跡で37.50%です。mtHg-Fも桐林遺跡において12.50%の頻度で見つかります。
3050~1800年前頃の新智(Xinzhi)遺跡と、3050~2750年前頃の後李(Houli)遺跡の個体群は、PC1軸ではアジア東部北方人により近づいており(図1b)、mtHg-Dのより高い割合で説明できます(新智遺跡では50.00%、後李遺跡では33.30%)。3100~1800年前頃の劉家荘(Liujiazhuang)遺跡の集団はアジア東部北方現代人とクラスタ化し(図1b)、これは現代の山東省人口集団とmtHg- A・B・D・G・M11・M8・N9aを59.40%共有することに起因します。他方、2300~1800年前頃の一席(Yixi)遺跡個体群は、mtHg-Fを40.00%有し、PC1軸でアジア東部南方人とより近づいています(図1b)。
●古代山東省人口集団とアジア東部現代人との間の関係
次に、古代山東省人口集団がアジア東部現代人とどのように関連しているのか、調べられました。まず、古代山東省人口集団とアジア東部現代人(漢人および他の民族集団から選択された15人口集団)との間のΦst(集団の遺伝的分化を示す指標)が計算されました(図1c)。5500~5300年前頃の蓓倩遺跡個体群は遺伝的に、アジア東部現代人とのより多くの類似性を示す(0~4人口集団が有意なΦstを示します)より新しい山東省人口集団と比較して、アジア東部現代人とはより大きく異なっている(8人口集団が蓓倩遺跡個体群と有意なΦstを示します)、と明らかになりました。さらに、古代山東省人口集団とアジア東部現代人との間の、(ハプロタイプ頻度の相関に反映される)ハプロタイプ構成が調べられました。古代山東省人口集団は、他のアジア東部現代人カと比較して、ザフやウズベクやウイグルといった北方民族集団、およびペー人やジーヌオ人(Jino)といった南方民族集団とはあまり類似していない、との観察結果が得られました(図1d)。
●山東省の沿岸部と内陸部の間の遺伝的交換の可能性
沿岸部の蓓倩遺跡と内陸部との間の人口動態も経時的に調べられました。沿岸部の蓓倩遺跡個体群には、mtHg-M(10.50%)とA(5.30%)が含まれていました(図3b)。しかし内陸部遺跡群では、これら2つのmtHgは3100年前頃よりも新しい遺跡の個体群(M8が10%、Aが16%)でしか観察されませんでした(図3b)。さらに、沿岸部の蓓倩遺跡の人口集団と3100年前頃よりも古い(4600~3100年前頃)内陸部遺跡の人口集団は、沿岸部の蓓倩遺跡およびより新しい(3100~1800年前頃)内陸部遺跡群との間の遺伝的距離と比較して、遺伝的距離の値がより大きい、と明らかになりました。
AMOVA分析で類似のパターンが観察され、沿岸部の蓓倩遺跡とより古い内陸部遺跡群は、沿岸部の蓓倩遺跡とより新しい内陸部遺跡群との間の分散値よりも大きな分散値を有しています。これらの結果から示唆されるのは、沿岸部と内陸部の人口集団間の遺伝的交換は3100年前頃以前にはより低頻度だということで、それは、龍山文化期およびそれ以前には沿岸部と内陸部との間の文化的違いがあった、という考古学的知見と一致します。代替的な説明は、mtHg-M8・Aをもたらしたアジア東部の他地域からの祖先系統を有する人々の流入に起因するかもしれない、というものです。以下、本論文の図3です。
●山東省におけるmtHg-B5b2の発見
以前の研究では、mtHg-B5bを有する人口集団はアジア東部本土北西部から他のアジア東部地域へと移住した、と推測されていました。それは、アジア東部本土北西部の3000年前頃の個体群に基づくmtHg-B5bが、古代山東省の人類遺骸では観察されていなかったからです。本論文では、山東省の6ヶ所の遺跡(9500~1800年前頃)において、mtHg-B5bの個体群が識別されました。内訳は、變變遺跡で1個体、蓓倩遺跡で4個体、後李遺跡で1個体、桐林遺跡で1個体、新智遺跡で1個体、城子崖遺跡で1個体です。
mtHg-B5bをより詳細に調べるため、アジア東部現代人20個体のmtHg-B5bの完全な配列が得られました。内訳は、北部漢人2個体、南部漢人3個体、ホジェン人1個体、ミナン人1個体、マカタオ人1個体、客家(Hakka)1個体、キルギス人2個体、ティンリー人(Tingri)1個体、ブリヤート人1個体、ハムニガン人1個体、キジ人1個体、日本人1個体、スワイ人(Suay)1個体、シャン人(Shan)1個体、キン人2個体です。ミトコンドリアゲノムの合着(合祖)年代は、BEASTを用いて完全なデータから推定されました。
mtHg-B5b2では、蓓倩遺跡の5500~5300年前頃の個体(BQ-M2*)の下位系統B5b2a2が、現代人ではホジェン人1個体(HGDP01238)・ブリヤート人1個体(JN857016)・ハムニガン人1個体(JN857039)と共通祖先を有しています(図2a~c)。mtHg-B5b2a2の最新の共通祖先(TMRCA)の推定年代は、95%最高事後密度(highest posterior density、略してHPD)で8056年前です。さらに、蓓倩遺跡の2個体(BQ-M31-AとBQ-M24*)は、共通のmtHg-B5b2a祖先を13040年前頃(95% HPDで20329~7595年前)に有しています。蓓倩遺跡の1個体(BQ-M139-D)と新智遺跡の1個体(XZ-M59)は、共通のmtHg-B5b2b祖先を、南方漢人1個体(HG00690)および北方漢人1個体(NA18643)と11513年前頃(95% HPDで18102~6368年前)に有しています。
したがって、これらの個体は全員、9500年前頃の變變遺跡1個体と関連する共通のmtHg-B5b2祖先を17293年前頃(95% HPDで26726~10503年前)に有しています。これらの結果から、9500年前頃の變變遺跡1個体で見られるmtHg-B5b2は、アジア東部人およびアジア北部人の祖先である可能性が高い、と示唆されます(図2a~c、図3a)。これは、以前の研究で提案された、アジア東部の西方と南方への拡大、および仰韶(Yangshao)文化のような他の文化との相互作用を有する、山東省における人口動態と一致します。以下、本論文の図2です。
●まとめ
本論文では、過去9000年にわたる山東省人口集団の母系の遺伝的構造が再構築されました(図3)。9500年前頃以降、アジア東部北方および南方の現代人の主要なmtHgは、山東省の古代人口集団で観察できます。4600年前頃以後、山東省の内外の人口集団間で追加の接続が識別されました。3100年前頃以後、山東省内の沿岸部と内陸部の間での遺伝的交換の可能性が観察されました。さらに、山東省人口集団で新たに発見されたmtHg-B5b2では、9500年前頃の變變遺跡1個体がアジア東部人および北部人の祖先的系統に属する可能性が高いことと、9500年前頃の變變遺跡1個体から5500~5300年前頃の蓓倩遺跡人口集団への継続的な母系の遺伝的構造が観察されました。より広範囲の時空間的なY染色体および核ゲノムデータが、これらの洞察に基づいてさらに構築され、古代山東省の人々の遺伝的歴史と人口移動のより包括的な全体像を提供できるでしょう。以下、本論文の要約図です。
以上、本論文についてざっと見てきました。本論文が指摘するように、mtDNAからは母系の遺伝的関係しか明らかにならないので、今後はY染色体および核ゲノムデータが望まれます。しかし、mtDNAは核DNAよりもずっと解析が容易で、Y染色体とは異なり全員が保有しているため、核ゲノムよりも多くの標本数を得やすい、という利点があります。その意味で、これまでの研究よりも時空間的に分析範囲を広げた本論文の意義は大きいと思います。ユーラシア西部、とくにヨーロッパと比較して大きく遅れていた、アジア東部も含むユーラシア東部の古代DNA研究が近年大きく進展しつつあるように思われるので、今後がたいへん楽しみです。
参考文献:
Liu J. et al.(2021): Maternal genetic structure in ancient Shandong between 9500 and 1800 years ago. Science Bulletin, 66, 11, 1129-1135.
https://doi.org/10.1016/j.scib.2021.01.029
最近、ゲノム規模研究(関連記事)とユーラシア東部の人口史の概説(関連記事)により、古代山東省個体群はアジア東部の人口集団の遺伝的歴史と過去の移住の特定に重要な役割を果たした、と明らかになりました。4ヶ所の前期新石器時代遺跡の古代山東省6個体(9500~7700年前頃)は、アジア東部北方人口集団と関連する祖先系統を有し、これは後にアジア東部南方への拡大した祖先的系統構成要素だった、と示されました。しかし、これらの研究は標本の不足により限定的で、山東省およびその近隣地域の経時的な変化する遺伝的関係の理解には大きな間隙があります。
本論文は、山東省の12ヶ所の遺跡(図1a)で発見された古代人86個体(9500~1800年前頃)の高品質で完全なmtDNA配列(16569塩基対)の分析と、mtDNAハプログループ(mtHg)の分類を提示します。本論文は、山東省の母系の遺伝的構造に関する人口集団動態と、これらの人口集団が山東省外の人口集団とどのようにつながっていたのか、説明するにあたって、以前の研究よりも時空間的に広範で精細な解像度を提供します。以下、本論文の図1です。
●4600年前頃までに分離された遺伝的構造
山東省の古代人86個体(9500~1800年前頃)から、合計56個のハプロタイプが特定されました。A5aやB5b2a2など特定のハプロタイプは、蓓倩(Beiqian)遺跡の同じ墓に葬られた2~5個体に共有されている、と明らかになり、これら被葬者間の母系親族関係が示唆されます。母系親族関係の可能性がある標本に関しては、その後の遺伝的分析のために1個体のみが対象とされ、10個体は除外されました。56個のハプロタイプは13個の基底的mtHgに分類され、それはA・B・C・D4・D5・F・G・M8・M9・M11・N9a・R・Zです。AMOVAを用いて、標本の年代に基づきどの人口集団グループ化が山東省の全遺跡の遺伝的構造を最もよく表すのか、検証されました。その結果、最大の分散は人口集団が4600年前頃よりも古いものとそれよりも新しいものとに区分した時に観察され、これは6000~4600年前頃の大汶口文化期と4600~4000年前頃の龍山文期との間隔に一致します。
●4600年前頃以前の山東省における母系の遺伝的構造
28個体が4600年前頃以前となります。その内訳は、9500年前頃の變變(Bianbian)遺跡1個体、8200年前頃の小高(Xiaogao)遺跡の1個体、8200年前頃の淄博(Boshan)遺跡の1個体、8000~7700年前頃の小荆山(Xiaojingshan)遺跡の3個体、6000~4600年前頃の伏佳(Fujia)遺跡の3個体、5500~5300年前頃の蓓倩遺跡の19個体です。これらの個体群のうち、4600年前頃よりも古い標本は、mtHg-B(B4c1とB5b2で24.14%)とD(D4とD5で37.93%)の高頻度を示します。
mtHg-B4はおもに現代人ではアジア中央部~東部に分布していますが、mtHg-B4c1は、アジア東部南方(61.70%)と、ムアン(Mueang)やタイ(Tay)やフラ(PhuLa)やキン(Kinh)やラフ(LaHu)といった、アジア東部南方人と密接に関連するアジア南東部人口集団(25.53%)でおもに見られます。mtHg-B5bはアジア東部全域で広範に見られ、現代朝鮮人で最も高い多様性が示されます。mtHg-B5b2は、おもに漢人(Han)やホジェン人(Hezhen、漢字表記では赫哲、一般にはNanai)やミナン人(Minnan)やマカタオ人(Makatao)で見られるmtHg-B5b(63.64)の派生mtHgですが、キン人やブリヤート人(Buryat)やハムニガン人(Khamnigan)やキジ人(Kizhi)など他のアジア東部人でも見られます。
mtHg-Dの場合、D4とD5の両方がアジア東部北方の古代人口集団において高頻度ですが(17.60~43.75%)アジア東部南方の古代人口集団ではそれよりも低頻度です(0~20%)。さらに、mtHg-N9aが8200年前頃の小高遺跡の1個体で見つかっています。mtHg-N9aはユーラシア東部系統に属し、おもにアジア東部に分布しています。これらの結果から、山東省の人口集団は4600年前頃以前にはアジア東部の南北両方と関連するmtHgを含んでいた、と示唆されます。
●4600年前頃以後の山東省における母系の遺伝的構造
山東省の遺跡のほとんどでは、mtHg-BとDが本論文の標本抽出期間(9500~1800年前頃)で高頻度(20%超)を維持していますが、mtHg-C(6.00%、C7a1とC7b)、M9(6.00%、M9a1)、F(2.00%、F1a1とF2aとF4a1)は4600年前頃よりも新しい標本でのみ観察されます(図3b)。これら新たにもたらされたmtHgから、山東省人口集団の母系の遺伝的構造は、龍山文化期(4600~4000年前頃)の開始期により多様になった、と示唆されます。
これら新たなmtHgの起源を調べると、mtHg-Cは、たとえばオロチョン人(Oroqen)集団(29.55%)のようなアジア東部の北方民族集団において優勢で、それはmtHg-Cが北方の民族集団でより多様である、という以前の観察と一致します。mtHg-M9aは、アジア南東部から北に向かってアジア東部本土へと15000年前頃に拡大したと提案されており、アジア東部北方現代人では限定的な分布になっています(0~4.20%)。
mtHg-F1・F4は、アジア東部南方とアジア南東部でアジア東部北方よりも一般的ですが、mtHg-F2はアジア東部北方人においてより高頻度で分布しています。これらのより最近のmtHgはアジア東部の南北両方で見つかっているので、山東省の人類遺骸におけるこれらの出現は、4600年前頃以前に観察されたmtHgの置換なしに、4600年前頃以後の山東省の外部からの人口集団の流入を表しているかもしれません。
さらに、mtHg頻度の主成分分析を用いて、4600~1800年前頃の各遺跡の人口集団が調べられました(図1b)。アジア東部の北方と南方の現代人はPC1軸で区別でき、それはおもにmtHg-D・B・Fの異なる割合に起因します。アジア東部北方現代人は、たとえば、モンゴル人で39.58%、吉林省漢人で35.29%、山東省漢人で36.00%と、mtHg-Dのより高い割合を示しますが、mtHg-B・Fは、たとえば、Bが江西省漢人で34.78%、広東省漢人で30.43%、Fがヴァ人(Va)で31.82%、ラフ人で33.33%、ペー人(Bai)で25.00%と、アジア東部南方現代人においてより高頻度です。
龍山文化期およびその後の4400~3300年前頃となる城子崖(Chengziya)遺跡と、龍山文化期となる4600~4000年前頃の桐林(Tonglin)遺跡の個体群は、PC1軸の中心に位置し(図1b)、それはおもに、この2遺跡がアジア東部人の南方もしくは北方で割合の高いmtHgを高い割合で有することに起因します。具体的には、この2遺跡のmtHg-Bの頻度は37.50%よりも高く、mtHg-Dの頻度は城子崖遺跡で20.00%、桐林遺跡で37.50%です。mtHg-Fも桐林遺跡において12.50%の頻度で見つかります。
3050~1800年前頃の新智(Xinzhi)遺跡と、3050~2750年前頃の後李(Houli)遺跡の個体群は、PC1軸ではアジア東部北方人により近づいており(図1b)、mtHg-Dのより高い割合で説明できます(新智遺跡では50.00%、後李遺跡では33.30%)。3100~1800年前頃の劉家荘(Liujiazhuang)遺跡の集団はアジア東部北方現代人とクラスタ化し(図1b)、これは現代の山東省人口集団とmtHg- A・B・D・G・M11・M8・N9aを59.40%共有することに起因します。他方、2300~1800年前頃の一席(Yixi)遺跡個体群は、mtHg-Fを40.00%有し、PC1軸でアジア東部南方人とより近づいています(図1b)。
●古代山東省人口集団とアジア東部現代人との間の関係
次に、古代山東省人口集団がアジア東部現代人とどのように関連しているのか、調べられました。まず、古代山東省人口集団とアジア東部現代人(漢人および他の民族集団から選択された15人口集団)との間のΦst(集団の遺伝的分化を示す指標)が計算されました(図1c)。5500~5300年前頃の蓓倩遺跡個体群は遺伝的に、アジア東部現代人とのより多くの類似性を示す(0~4人口集団が有意なΦstを示します)より新しい山東省人口集団と比較して、アジア東部現代人とはより大きく異なっている(8人口集団が蓓倩遺跡個体群と有意なΦstを示します)、と明らかになりました。さらに、古代山東省人口集団とアジア東部現代人との間の、(ハプロタイプ頻度の相関に反映される)ハプロタイプ構成が調べられました。古代山東省人口集団は、他のアジア東部現代人カと比較して、ザフやウズベクやウイグルといった北方民族集団、およびペー人やジーヌオ人(Jino)といった南方民族集団とはあまり類似していない、との観察結果が得られました(図1d)。
●山東省の沿岸部と内陸部の間の遺伝的交換の可能性
沿岸部の蓓倩遺跡と内陸部との間の人口動態も経時的に調べられました。沿岸部の蓓倩遺跡個体群には、mtHg-M(10.50%)とA(5.30%)が含まれていました(図3b)。しかし内陸部遺跡群では、これら2つのmtHgは3100年前頃よりも新しい遺跡の個体群(M8が10%、Aが16%)でしか観察されませんでした(図3b)。さらに、沿岸部の蓓倩遺跡の人口集団と3100年前頃よりも古い(4600~3100年前頃)内陸部遺跡の人口集団は、沿岸部の蓓倩遺跡およびより新しい(3100~1800年前頃)内陸部遺跡群との間の遺伝的距離と比較して、遺伝的距離の値がより大きい、と明らかになりました。
AMOVA分析で類似のパターンが観察され、沿岸部の蓓倩遺跡とより古い内陸部遺跡群は、沿岸部の蓓倩遺跡とより新しい内陸部遺跡群との間の分散値よりも大きな分散値を有しています。これらの結果から示唆されるのは、沿岸部と内陸部の人口集団間の遺伝的交換は3100年前頃以前にはより低頻度だということで、それは、龍山文化期およびそれ以前には沿岸部と内陸部との間の文化的違いがあった、という考古学的知見と一致します。代替的な説明は、mtHg-M8・Aをもたらしたアジア東部の他地域からの祖先系統を有する人々の流入に起因するかもしれない、というものです。以下、本論文の図3です。
●山東省におけるmtHg-B5b2の発見
以前の研究では、mtHg-B5bを有する人口集団はアジア東部本土北西部から他のアジア東部地域へと移住した、と推測されていました。それは、アジア東部本土北西部の3000年前頃の個体群に基づくmtHg-B5bが、古代山東省の人類遺骸では観察されていなかったからです。本論文では、山東省の6ヶ所の遺跡(9500~1800年前頃)において、mtHg-B5bの個体群が識別されました。内訳は、變變遺跡で1個体、蓓倩遺跡で4個体、後李遺跡で1個体、桐林遺跡で1個体、新智遺跡で1個体、城子崖遺跡で1個体です。
mtHg-B5bをより詳細に調べるため、アジア東部現代人20個体のmtHg-B5bの完全な配列が得られました。内訳は、北部漢人2個体、南部漢人3個体、ホジェン人1個体、ミナン人1個体、マカタオ人1個体、客家(Hakka)1個体、キルギス人2個体、ティンリー人(Tingri)1個体、ブリヤート人1個体、ハムニガン人1個体、キジ人1個体、日本人1個体、スワイ人(Suay)1個体、シャン人(Shan)1個体、キン人2個体です。ミトコンドリアゲノムの合着(合祖)年代は、BEASTを用いて完全なデータから推定されました。
mtHg-B5b2では、蓓倩遺跡の5500~5300年前頃の個体(BQ-M2*)の下位系統B5b2a2が、現代人ではホジェン人1個体(HGDP01238)・ブリヤート人1個体(JN857016)・ハムニガン人1個体(JN857039)と共通祖先を有しています(図2a~c)。mtHg-B5b2a2の最新の共通祖先(TMRCA)の推定年代は、95%最高事後密度(highest posterior density、略してHPD)で8056年前です。さらに、蓓倩遺跡の2個体(BQ-M31-AとBQ-M24*)は、共通のmtHg-B5b2a祖先を13040年前頃(95% HPDで20329~7595年前)に有しています。蓓倩遺跡の1個体(BQ-M139-D)と新智遺跡の1個体(XZ-M59)は、共通のmtHg-B5b2b祖先を、南方漢人1個体(HG00690)および北方漢人1個体(NA18643)と11513年前頃(95% HPDで18102~6368年前)に有しています。
したがって、これらの個体は全員、9500年前頃の變變遺跡1個体と関連する共通のmtHg-B5b2祖先を17293年前頃(95% HPDで26726~10503年前)に有しています。これらの結果から、9500年前頃の變變遺跡1個体で見られるmtHg-B5b2は、アジア東部人およびアジア北部人の祖先である可能性が高い、と示唆されます(図2a~c、図3a)。これは、以前の研究で提案された、アジア東部の西方と南方への拡大、および仰韶(Yangshao)文化のような他の文化との相互作用を有する、山東省における人口動態と一致します。以下、本論文の図2です。
●まとめ
本論文では、過去9000年にわたる山東省人口集団の母系の遺伝的構造が再構築されました(図3)。9500年前頃以降、アジア東部北方および南方の現代人の主要なmtHgは、山東省の古代人口集団で観察できます。4600年前頃以後、山東省の内外の人口集団間で追加の接続が識別されました。3100年前頃以後、山東省内の沿岸部と内陸部の間での遺伝的交換の可能性が観察されました。さらに、山東省人口集団で新たに発見されたmtHg-B5b2では、9500年前頃の變變遺跡1個体がアジア東部人および北部人の祖先的系統に属する可能性が高いことと、9500年前頃の變變遺跡1個体から5500~5300年前頃の蓓倩遺跡人口集団への継続的な母系の遺伝的構造が観察されました。より広範囲の時空間的なY染色体および核ゲノムデータが、これらの洞察に基づいてさらに構築され、古代山東省の人々の遺伝的歴史と人口移動のより包括的な全体像を提供できるでしょう。以下、本論文の要約図です。
以上、本論文についてざっと見てきました。本論文が指摘するように、mtDNAからは母系の遺伝的関係しか明らかにならないので、今後はY染色体および核ゲノムデータが望まれます。しかし、mtDNAは核DNAよりもずっと解析が容易で、Y染色体とは異なり全員が保有しているため、核ゲノムよりも多くの標本数を得やすい、という利点があります。その意味で、これまでの研究よりも時空間的に分析範囲を広げた本論文の意義は大きいと思います。ユーラシア西部、とくにヨーロッパと比較して大きく遅れていた、アジア東部も含むユーラシア東部の古代DNA研究が近年大きく進展しつつあるように思われるので、今後がたいへん楽しみです。
参考文献:
Liu J. et al.(2021): Maternal genetic structure in ancient Shandong between 9500 and 1800 years ago. Science Bulletin, 66, 11, 1129-1135.
https://doi.org/10.1016/j.scib.2021.01.029
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