大河ドラマ『麒麟がくる』第44回(最終回)「本能寺の変」
安土城に徳川家康を招いた宴の場で明智光秀(十兵衛)を折檻した織田信長は、饗応役を解かれますが、直後に信長は光秀を密かに呼び、光秀を折檻したのは家康を試したためで、接待役を指名してきた家康の増長を戒めるためだった、と光秀に説明します。信長はその後で光秀に、光秀が取次を務めている長宗我部を討伐する、と告げます。さらに信長は、備中高松で毛利軍と対峙する羽柴秀吉への援軍を命じますが、本当の使命は備後の鞆にいる足利義昭の殺害だと光秀に指示します。信長は自分を諫める光秀に、自分を変えたのは光秀だ、と告げて、と命じます。信長は光秀に、天下が治まれば光秀とゆっくり過ごしたい、と言いますが、光秀は、その命には従えない、と信長に答えます。さらに光秀は、正親町天皇への譲位要請や家臣団の扱いなど、最近の信長は戦で変わってしまい、多くの点で間違っている、と信長に諫言します。しかし信長は、自分を変えたのは光秀だ、と反論します。大きな国を作れと言って自分の後押しをしたのは光秀で、もう止められない、というわけです。信長は、光秀が義昭を殺さないのならば自分が殺す、と光秀に言います。
義昭の殺害指示に納得できない光秀は、細川藤孝と会います。藤孝は近衛前久から、安土城で光秀が家康の饗応役を解かれた、と聞きます。近衛前久は藤孝に、信長と光秀が対立したらどちらに加担するのか、と問い、そうならないようにする、と藤孝は答えます。藤孝から、義昭の打倒を信長に命じられたのではないか、と問われた光秀は、断ったが、信長は納得しないのでもう一度説得する、と答えます。信長の気性からそれを危ぶむ藤孝に、覚悟はあるのか、と光秀は尋ねます。覚悟とはどのようなものなのか、と藤孝に問われた光秀は、覚悟には限りはない、と答えます。藤孝は光秀を危ぶみ、変事を案じて備中の秀吉に使者を派遣します。藤孝からの書状を受け取った秀吉は、光秀が信長を討てば面白いと言い、黒田官兵衛に毛利との講和を急ぐよう命じます。
近衛前久は光秀と信長の不仲を案じ、両者が対立した時にどちらに味方するのか、正親町天皇に謁見して尋ねます。正親町天皇は、流れをただ見守るだけだ、と答えます。光秀は正親町天皇や帰蝶の言葉を想起し、明智左馬助(秀満)や藤田伝吾や斎藤利三を前に、信長を討って太平の世を導く、と決意を打ち明け、3人も同意します。明智の陣を、家康から光秀を守るよう命じられている菊丸が訪ねてきます。光秀は菊丸に、信長を討った後は家康と手を組んで世を治めたい、もし自分が敗れれば後を頼むと家康に伝えるよう、命じて家康への書状を渡します。
1582年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)6月2日早朝、明智軍は信長のいる本能寺を襲撃します。明智軍に包囲されたと知った信長は、悲しむような自嘲するような笑いを浮かべ、覚悟を決めて戦った後、森蘭丸に火を放つよう命じ、自害します。信長の遺骸は見つからず、それでもよい、と光秀は家臣に命じます。信長を討った直後の光秀に伊呂波太夫が語りかけ、正親町天皇も光秀が美しい都を取り戻すと喜んでいるだろう、と言います。光秀は伊呂波太夫に、麒麟の来る世を必ず自分がもたらすと駒に伝えるよう、頼みます。しかし、本能寺の変の直後の6月13日、光秀は秀吉の軍勢に敗れます。1585年、正親町天皇と望月東庵は双六をしており、正親町天皇は、泰平の世はいつ訪れるのか、と言います。駒は備後の鞆に足利義昭を訪ねます。義昭は駒に、世を変えるのは志で、信長にも光秀にもそれかがあった、と言います。駒は義昭に、光秀がまだ生きているとの噂話を伝えます。最後に、駒が市場で光秀らしき人物を見かけ、光秀が馬に乗って駆けているところで本作は終了となります。
ついに最終回を迎え、主要人物の配役交代や新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による中断など、苦難の多かった本作が放送開始から1年以上かけて無事完結したのは、何とも感慨深く、また寂しいものです。結局光秀が信長に叛いたのは、泰平の世の到来の妨げとなった信長の非道を阻止するためと、そのような信長を育ててしまったのは自分であるとの責任感からでした。家康や正親町天皇など周囲の人物からの期待を受けて信長を討ったものの、その直後に討たれた光秀には、周囲の期待を受けて内部告発をしたものの、その後は不遇だった、というような現代社会の理不尽も感じさせ、そこに感情移入した視聴者もいるかもしれません。本能寺の変の描写はなかなか迫力のあるもので、過去の大河ドラマの本能寺の変の描写と比較しても見劣りしなかったと思います。本作の時間配分など色々と批判はあるでしょうが、私は全体的にかなり楽しめました。
義昭の殺害指示に納得できない光秀は、細川藤孝と会います。藤孝は近衛前久から、安土城で光秀が家康の饗応役を解かれた、と聞きます。近衛前久は藤孝に、信長と光秀が対立したらどちらに加担するのか、と問い、そうならないようにする、と藤孝は答えます。藤孝から、義昭の打倒を信長に命じられたのではないか、と問われた光秀は、断ったが、信長は納得しないのでもう一度説得する、と答えます。信長の気性からそれを危ぶむ藤孝に、覚悟はあるのか、と光秀は尋ねます。覚悟とはどのようなものなのか、と藤孝に問われた光秀は、覚悟には限りはない、と答えます。藤孝は光秀を危ぶみ、変事を案じて備中の秀吉に使者を派遣します。藤孝からの書状を受け取った秀吉は、光秀が信長を討てば面白いと言い、黒田官兵衛に毛利との講和を急ぐよう命じます。
近衛前久は光秀と信長の不仲を案じ、両者が対立した時にどちらに味方するのか、正親町天皇に謁見して尋ねます。正親町天皇は、流れをただ見守るだけだ、と答えます。光秀は正親町天皇や帰蝶の言葉を想起し、明智左馬助(秀満)や藤田伝吾や斎藤利三を前に、信長を討って太平の世を導く、と決意を打ち明け、3人も同意します。明智の陣を、家康から光秀を守るよう命じられている菊丸が訪ねてきます。光秀は菊丸に、信長を討った後は家康と手を組んで世を治めたい、もし自分が敗れれば後を頼むと家康に伝えるよう、命じて家康への書状を渡します。
1582年(西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)6月2日早朝、明智軍は信長のいる本能寺を襲撃します。明智軍に包囲されたと知った信長は、悲しむような自嘲するような笑いを浮かべ、覚悟を決めて戦った後、森蘭丸に火を放つよう命じ、自害します。信長の遺骸は見つからず、それでもよい、と光秀は家臣に命じます。信長を討った直後の光秀に伊呂波太夫が語りかけ、正親町天皇も光秀が美しい都を取り戻すと喜んでいるだろう、と言います。光秀は伊呂波太夫に、麒麟の来る世を必ず自分がもたらすと駒に伝えるよう、頼みます。しかし、本能寺の変の直後の6月13日、光秀は秀吉の軍勢に敗れます。1585年、正親町天皇と望月東庵は双六をしており、正親町天皇は、泰平の世はいつ訪れるのか、と言います。駒は備後の鞆に足利義昭を訪ねます。義昭は駒に、世を変えるのは志で、信長にも光秀にもそれかがあった、と言います。駒は義昭に、光秀がまだ生きているとの噂話を伝えます。最後に、駒が市場で光秀らしき人物を見かけ、光秀が馬に乗って駆けているところで本作は終了となります。
ついに最終回を迎え、主要人物の配役交代や新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)による新型コロナウイルス感染症(COVID-19)による中断など、苦難の多かった本作が放送開始から1年以上かけて無事完結したのは、何とも感慨深く、また寂しいものです。結局光秀が信長に叛いたのは、泰平の世の到来の妨げとなった信長の非道を阻止するためと、そのような信長を育ててしまったのは自分であるとの責任感からでした。家康や正親町天皇など周囲の人物からの期待を受けて信長を討ったものの、その直後に討たれた光秀には、周囲の期待を受けて内部告発をしたものの、その後は不遇だった、というような現代社会の理不尽も感じさせ、そこに感情移入した視聴者もいるかもしれません。本能寺の変の描写はなかなか迫力のあるもので、過去の大河ドラマの本能寺の変の描写と比較しても見劣りしなかったと思います。本作の時間配分など色々と批判はあるでしょうが、私は全体的にかなり楽しめました。
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