中国南部における初期現生人類の年代の見直し(追記有)
中国南部における初期現生人類の年代を検証した研究(Sun et al., 2021)が公表されました。化石記録では、現生人類(Homo sapiens)は31500年前頃までにアフリカで進化し(関連記事)、アジア西部に177000年前頃以前に拡大しましたが(関連記事)、アジア西部では消滅し、75000~55000年前頃までにネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)に置換されたようだ(関連記事)、と示唆されています。いわゆる解剖学的現代人(現生人類)によるアフリカからの第二および最後の拡散は、最後の古代型人類(絶滅人類)の消滅の直後に起き、ほぼ一致します。この現生人類の拡散は、非アフリカ系現代人全員の祖先を含み、分子データによると65000~45000年前頃に起きました。現生人類の起源や拡散については、最近総説が公表されました(関連記事)。
この「後期拡散」理論の追加の裏づけは、現代および古代のアフリカ東部集団と密接に関連する全ての非アフリカ系現代人のDNA系統の地理的構造や、アフリカからユーラシアへの減少する多様性の勾配パターン、つまり連続創始者効果の痕跡により提供されます。この確証は、古代DNA分析により判明した、シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)近郊で発見された較正年代で46880~43210年頃の大腿骨(関連記事)や、較正年代で42000~39000年前頃の中国北東部の田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された男性遺骸(関連記事)の古代DNA分析により判明した、ユーラシア東西の人口間の47000~42000年前頃という推定分岐年代にも提供されます。その後の研究では、この分岐年代は43100年前頃と推定されています(関連記事)。さらに、この現生人類の拡散の上限年代は、65000~47000年前頃に起きたと推定される初期現生人類とネアンデルタール人との間の交雑と、現代ニューギニア人の祖先と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との46000年前頃と30000年前頃という推定交雑年代(関連記事)により制約されます。
対照的に、一部の古人類学者は、現生人類がアジア東部大陸部にずっと早く、12万~7万年前頃に定住し、「早期拡散」理論と一致する、と提案します。このモデルは、中国南部の黄龍(Huanglong)洞窟や月(Luna)洞窟や福岩(Fuyan)洞窟(関連記事)で発見された遊離した人類の歯と、智人洞窟(Zhirendong)で発見された部分的下顎(関連記事)の年代測定におもに基づいています。しかし、何人かの研究者は、それらの遺骸のうち一部の現生人類としての識別や、人類遺骸と年代測定された物質との間の関係、もしくは堆積物の文脈と年代測定について利用可能な限定的情報に関する不確実性に基づいて、これらの遺跡や他の早期の年代を示す遺跡に関して疑問を呈しています(関連記事)。
本論文は、明らかに初期現生人類の遺骸が発見された洞窟遺跡で、人類の歯の古代DNA分析や流華石と堆積物と化石遺骸と炭の年代測定を用いて、中国南部における現生人類の到来年代の調査結果を報告します。この5ヶ所の遺跡とは以下の通りです。
(1)黄龍洞窟(図1の1)
湖北省北部の鄖西(Yunxi)県から25kmに位置します。2004~2006年の発掘では、91の分類群と中期~後期更新世のジャイアントパンダ属・ステゴドン動物相を表す化石記録、石器、7点の現生人類の歯が見つかり、薄い流華石層のウラン-トリウム法年代測定による間接的な年代は、101000~81000年前頃です。
(2)月洞窟(図1の2)
広西チワン族自治区(Guangxi Zhuang Autonomous Region)の布兵(Bubing)盆地の南東部のカルスト山脈に位置します。ジャイアントパンダ属・ステゴドン動物相の哺乳類化石の小規模標本、石器、2個の現生人類の歯が、2004年と2008年の発掘で見つかりました。流華石のウラン-トリウム法年代測定による間接的な年代は、127000~70000年前頃です。
(3)福岩洞窟(図1の3)
湖南省永州市(Yongzhou)道県(Daoxian)に位置します。2011年と2013年の発掘では、ジャイアントパンダ属・ステゴドン動物相の哺乳類化石の小規模標本と、47個の現生人類の歯が発見されましたが、関連する人工物はありません。流華石のウラン-トリウム法年代測定による間接的な年代は、12万~8万年前頃です。同じ場所で2019年に現生人類の歯がさらに2個発見され、層序的には以前の発見と関連しています。
(4)楊家坡(Yangjiapo)洞窟(図1の4)
湖北省恩施トゥチャ族ミャオ族自治州建始(Jianshi)県の大規模なカルスト地形です。2004年の発掘では、ジャイアントパンダ属・ステゴドン動物相の80種の断片的な骨との関連で11個の歯が発掘され、光龍洞窟や月洞窟や福岩洞窟と類似の年代と示唆されています。石器や他の文化的遺物は見つかりませんでした。
(5)三游(Sanyou)洞窟(図1の5)
湖北省宜昌(Yichang)市付近の長江と西陵峡(Xiling Gorge)の合流点に位置する石灰岩の丘に位置する小さな洞穴です。1986年の小規模な発掘により、後期更新世の可能性がある、部分的な現生人類の頭蓋冠が見つかりました。以下、本論文の図1です。
●古代DNA分析
上記5ヶ所の洞窟のうち、光龍洞窟と月洞窟の人類遺骸は利用できず、他の3ヶ所の人類遺骸からDNA抽出が試みられました。その結果、楊家坡洞窟の8個の歯と福岩洞窟の2個の歯でDNA配列に成功し、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)が決定されました(図2)。mtHgは、楊家坡洞窟の8個の歯のうち、標本JJD301.1とJJD301.6がD4b2b5、標本JJD301.2とJJD301.3がB4a4a 、標本JJD301.4とJJD301.8がB5b2c、標本JJD301.9とJJD301.11がA17です。福岩洞窟の2個の歯では、mtHgはともにD5a2aで、標本FY-HT-1がD5a2a1ab、標本FY-HT-2がD5a2a1h1です(図2のII)。次に、楊家坡洞窟の4個の歯と福岩洞窟の2B比の歯、多様な地域の53個体、ネアンデルタール人10個体、デニソワ人2個体、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された40万年以上前のネアンデルタール人的な形態を示すホモ属1個体、チンパンジー1個体のmtDNA配列を用いて、最大節約系統樹が構築されました(図2のI)。驚くべきことに、福岩洞窟の標本FY-HT-2のmtDNA系統はチベット・ビルマ集団の現代人でも検出され、両者の遺伝的つながりの可能性が明らかになりました。
楊家坡系統と福岩系統の合着(合祖)年代が、最尤法とρ統計手法を用いて推定されました。これらの標本で見られる系統と関連する系統のmtDNA配列を用いると、クレード(単系統群)推定分岐年代は、mtHg-D4b2b5で3630年前頃と3360年前頃、mtHg-B4a4aで11010年前頃と10910年前頃、B5b2cで12400年前頃と14380年前頃、A17で15610年前頃と12200年前頃、D5a2a1abで16900年前頃と12900年前頃、D5a2a1h1で7440年前頃と6680年前頃です。これらの結果を合わせると、楊家坡洞窟と福岩洞窟の標本群の上限年代は15600年前頃未満と示唆されます。BEASTソフトウェアで実行されたベイジアン枠組みでも年代が推定され、楊家坡洞窟では、標本JJD301.1とJJD301.6が2400年前頃、標本JJD301.2とJJD301.3が2700年前頃、標本JJD301.4とJJD301.8が3000年前頃、標本JJD301.9とJJD301.11が7600年前頃で、福岩洞窟の標本と類似しています(標本FY-HT-1は3700年前頃、標本FY-HT-2は12000年前頃)。以下、本論文の図2です。
●複数の手法による年代測定
光龍洞窟では、人類化石が見つかった第3層の6点の堆積物標本で光刺激ルミネッセンス法(OSL)年代測定が行なわれ、全て215000年以上前でした(図3)。これらの結果は、洞窟の流華石のウラン-トリウム法年代に基づく既知の後期更新世の年代(人類遺骸の年代は103000~81000年前頃)とは対照的です。第3層の哺乳類の歯4個と骨1個では少ないながらコラーゲンが得られ、加速器質量分析法(AMS法)による放射性炭素(炭素14)年代測定結果は、較正年代(以下、AMS炭素14年代測定の年代は基本的に較正されています)で26700~25940年前から8620~8450年前でした(確率68.2%)。AMS炭素14年代測定結果が得られた13個の哺乳類の歯は種水準で識別され、現生のスイギュウ(Bubalis bubalis)とシカ属種もしくは完新世に絶滅したインドサイ属種(Rhinoceros sinensis)系統を表します。第3層で収集された炭標本の断片も、AMS炭素14年代測定で34850~35540年前から33920~33290年前(確率68.2%)との結果が得られ、哺乳類の歯の年代を裏づけます。
月洞窟では2個の現生人類の歯が発見され(深さ70~65cm)、以前にウラン-トリウム法年代測定に標本抽出されたのと同じ層(深さ70~60cm)から、流華石が収集されました。新たなウラン-トリウム法年代測定では、97000±3000年と推定され、以前の127000±2000年前という推定よりかなり新しくなりました。次に深さ80~10cmで収集された6点の堆積物標本にOSLが適用され、78000~11000±2000年前という年代が得られました(図3)。現生人類の歯に層序的に最も近い堆積物標本のOSL年代は、それぞれ78000年前(深さ80cm)と42000年前(深さ60cm)でした。9個の哺乳類の歯のうち2個と、2個の骨標本では充分な量のコラーゲンが得られ、AMS炭素14年代測定で9530~9420年前(標本LND-C-6-2)と6710~6490年前(標本LND-C-6-4)という結果が得られました(確率68.2%)。残りの歯のコラーゲンは少なく、15500~14860年前から4780~4530年前という結果が得られました(確率68.2%)。AMS炭素14年代測定に用いられた哺乳類の9個の歯は種水準で識別され、現生分類群の、イノシシ(Sus scrofa)が5個、ウシ科が2個、シカ属が2個でした。さらに、人類遺骸が発見された層(深さ32~25cm)のすぐ上の堆積物で2個の炭標本が収集され、堆積物の年代は7160~7040年前から4780~4550年前と推定されました(確率68.2%)。
福岩洞窟では、47個の現生人類の歯が発見された第2層のすぐ上に位置する、第1層の洞窟生成物標本が採集されました。3点の流華石標本のウラン-トリウム法年代測定では、142000±2000年前、95000±1000年前、168000±2000年前という、さまざまな年代が得られました(図3)。第2層の6点の堆積物標本のOSL年代は、302000~200000±29000年前でした。予備検査(コラーゲンが重量比1%超)後、上述のDNAが解析された2個の人類の歯(FY-HT-1とFY-HT-2)を含む同じ位置の16個の人類の歯にAMS炭素14年代測定が適用され、2個の標本(FY3-1とFY3-5)でそれぞれ13590~13350年前と9390~9160年前という結果が得られました。コラーゲンの年代は全有機体炭素(TOC)の年代と同じで、優れた品質の年代測定結果を示唆します。明らかに現生人類のもので、計測的および形態的に福岩洞窟の以前発見された歯の範囲内にある2個の人類の歯の年代は、9479~9290年前から2670~2370年前です(確率68.2%)。人類の歯の1標本(FY-HT-1)は2回年代測定され、ほぼ同じ結果が得られました。追加のコラーゲンの少ない歯では、15290~14660年前から6210~6050年前という結果が得られましたが(確率68.2%)、慎重に解釈する必要があります。炭素14年代測定に用いられた現生人類の歯以外に、合計14個の哺乳類の歯が種に同定され、その全ては現生分類群で、イノシシが2個、ヤマアラシ科種(Hystrix subcristata)が2個、シカ属が10個です。同じ場所で収集された2個の炭標本のAMS炭素14年代は4410~4300年前と3330~3230年前(確率68.2%)で、人類と他の哺乳類標本のAMS炭素14年代が完新世であることを裏づけます。
楊家坡洞窟で発見された11個の人類の歯は、歯冠および歯根の形態と歯冠測定と古代DNA分析の観点から、全て明確に現生人類に分類されます。人類の歯の地質年代を測定するため、第4層底部と人類の歯が発見された第2層の堆積物内の洞窟生成物に、ウラン-トリウム法年代測定がまず適用されました。結果は、第4層が317000±1100年前で、第2層が151000±6000年前と90000±3000年前でした。第2層で得られた堆積物標本7点のOSL年代測定結果は、205000±14000年前と94000±7000年前の間でした(図3)。したがって、これらの年代を組み合わせると、現生人類の歯の年代は205000~90000年前の範囲内に収まります。しかし、16個の哺乳類の歯のうち、充分なコラーゲンの得られた2個の歯のAMS炭素14年代は、29390~28550年前(YJP-1054)と4050~3850年前(YJP-2936)でした(確率68.2%)。残りのコラーゲンの少ない標本の年代は、19800~19100年前と9410~9170年前の間でした(図3)。Beta Analytic社によるさらなる11個数の骨標本からコラーゲンが抽出され、炭素14年代は44370~43090年前から4900~4850年前でした。DNAも分析された人類1標本(JJD301.11)の単一の歯のAMS炭素14年代測定結果(確率68.2%)は、完新世の3370~3280年前でした(図3)。現生人類以外に合計16個の哺乳類の歯が種水準で識別され、その全てはイノシシやヤマアラシ科種(Hystrix subcristata)やシカ属のような現生分類群か、完新世に絶滅したインドサイ属種(Rhinoceros sinensis)系統でした。
三游洞窟の層序系列は単純で、単一の堆積単位のみで構成されており、人類遺骸は深さ20cmで発見されました。人類遺骸の上に位置し、堆積物を塞いでいる流華石標本7点のウラン-トリウム法年代測定結果は、129000±900年前と107000±900年前でした(図3)。さらに、深さ20cmの小さな鍾乳石のウラン-トリウム法年代測定結果は、17000±100年前~16000±100年前で、塞いでいる流華石のかなり後に形成され、おそらくは堆積物の形成と一致していることを示唆します(図3)。しかし、人類遺骸の回収場所から150cm離れて場所で収集された堆積物標本4点のOSL年代測定結果は、35000±4000年前(深さ30cm)、30000±4000年前(深さ20cm)、32000±4000年前(深さ15cm)、23000±3000年前(深さ10cm)と、垂直的な年代系列を示しました。人類の後頭骨標本のAMS炭素14年代測定結果(確率68.2%)は1730~1640年前でした(図3)。以下、本論文の図3です。
●考察
本論文の結果は、人類進化における重要な事象に時間枠を設定するのに、単一の手法に過度に依存することから生じるかもしれない問題のいくつかを浮き彫りにします。この事例では、中国南部における現生人類の到来年代の推定に、洞窟の流華石のウラン-トリウム法年代測定を用いると、誤って古い年代が得られ、化石と遺伝的データとの間の間違った対立が生じました。一部の古人類学者は、現生人類が中国南部に12万~7万年前頃に到来した、と考えていますが、本論文の結果はそうではないことを示します。調査した5ヶ所の洞窟遺跡で、洞窟の流華石のウラン-トリウム法年代測定により、研究者たちは人類遺骸の年代を誤解し、提案された早期の到来年代は精密な調査に耐えられない、と明らかになりました。
福岩洞窟の以前に発見された47個の人類の歯および層序的に関連した2個の人類の歯と、楊家坡洞窟の8個の人類の歯のmtDNAが配列決定され、その全ては上限合着年代が16000年前未満でした。12000~2400年前という年代は、流華石のウラン-トリウム法から推定される年代(151000~90000年前)よりも桁違いに新しいものでした。予想されるように、福岩洞窟の人類の歯のAMS炭素14年代(2510±140年前、2540±130年前、9380±90年前)は、分子年代(それぞれ、3700年前、3700年前、12000年前)よりもやや新しいものでした。同じ状況は、楊家坡洞窟の単一の人類の歯(AMS炭素14年代で3310±75年前、分子年代で7600年前)にも当てはまります。それでも、福岩洞窟の堆積物で発見された人類遺骸の年代に関しては、以前に示唆された12万~8万年前頃ではなく、完新世であることは明らかです。
5ヶ所の洞窟の堆積物のOSL年代と動物遺骸および炭のAMS炭素14年代も、流華石の年代との大きな違いを浮き彫りにします。1ヶ所の遺跡のみで、堆積物の年代と流華石の年代が一致し、他の遺跡全てで大きな不一致が見られました。同様に、現生人類も含めて動物遺骸の推定された同時代性はそのままで、流華石は5ヶ所の洞窟全てで不正確と示され、その違いは1桁になりました。本論文で検証された最後の仮定は、動物遺骸と炭とが、それらを含む堆積物と同年代だった、というものでした。これは、月洞窟ではおおむね正しいものの、光龍・福岩・楊家坡・三游洞窟では却下され、それらの洞窟の堆積物は、動物遺骸や炭よりもかなり古い、と明らかになりました。さまざまな標本にわたるそのような大きな年代の違いは、洞窟生成物の起源や堆積や侵食や再堆積といった事象を含む、これらの洞窟全てにおけるひじょうに複雑な堆積史を浮き彫りにします(図3および図4)。
流華石の形成は一定の時点を表すので、静的な時系列標識を提供します。流華石はほとんどの場合、これらの洞窟において温暖湿潤期の海洋酸素同位体ステージ(MIS)5に形成されました(図3および図4)。一方、堆積物の形成ははるかに動的な過程で、経時的に各場所で機能する水文の枠組みにおける違いを表します(図4)。本論文では、地下に小川が流れる巨大な洞穴である楊家坡洞窟において最も単純な事例が観察され、そこでは流華石と堆積物が中期更新世後期から後期更新世初期にかけて形成されたものの、哺乳類遺骸は43600年前頃(おそらくはもっと早いものの、炭素14年代測定の限界を超えています)から後期完新世まで堆積しました。そのような状況は、比較的低いエネルギーの水による侵食と、OSL年代をリセットしない暗い洞窟内での再堆積の複数の事象によってのみ説明できます。複雑な堆積史は、5ヶ所の洞窟全てで起きていたに違いありません。なぜならば、動物の歯(および、存在するならば炭)は常に流華石よりもずっと新しく、4ヶ所の洞窟では堆積物がそれらを囲んでいたからです。さらなるあり得る説明は、完新世における小規模な侵食事象、堆積物崩壊、生物攪乱、もしくは人為的攪乱を通じての、より新しい動物遺骸のより古い堆積物への嵌入です。以下、本論文の図4です。
またここで関連するのは、中国南東部の広西壮族(チワン族)自治区崇左市の智人洞窟(Zhirendong)で発見された人類の下顎で、以前には流華石のウラン-トリウム法年代測定を用いて層序的に10万年以上前と推定され(関連記事)、その後の研究で19万~13万年前頃と改訂されました。直接的な年代測定が欠如している場合、本論文で取り上げられた5ヶ所のカルスト洞窟の分析から得られた教訓は、智人洞窟にも当てはまる可能性があり、その年代を確信する前に、直接的な年代測定もしくは古代DNA分析が待たれます。さらに、智人洞窟の下顎の分類は、初期現生人類との主張もありますが、議論が続いています。智人洞窟の人類の2個の臼歯はひじょうに摩耗しており、形態学的特徴の識別と現生人類への分類には疑問が呈されています。対照的に、智人洞窟の人類遺骸は、身体の厚さや形態、真の現生人類の顎に特徴的な解剖学的構成要素の欠如など、絶滅ホモ属(古代型ホモ属)分類群との多くの類似性を示します。現生人類で見られるものと並行して、華奢化への長期の傾向はインドネシアのホモ・エレクトス(Homo erectus)や中国の中期更新世人類でも報告されており、これは智人洞窟個体と初期現生人類との間の歯の類似性を説明できるかもしれません。
中国南部の他のいくつかの後期更新世洞窟は、初期現生人類もしくは予期せぬ形態の人類遺骸が発見されているため、興味深い存在です。柳江(Liujiang)で発見された現生人類頭蓋は、その周囲の継続的な不確実性にも関わらず、流華石のウラン-トリウム法分析から、層序的に139000~68000年前頃の年代と推定されています(関連記事)。雲南省の龍潭山1(Longtanshan 1)遺跡では、おそらくは現生人類のひじょうに摩耗した2個の歯が、流華石と哺乳類の骨のウラン-トリウム法分析で年代測定されており、下限年代が83000~60000年前と推定されています。
対照的に、雲南省の馬鹿洞(Maludong)遺跡(関連記事)や、広西チワン族自治区田東県林逢鎮の独山洞窟(Dushan Cave)遺跡(関連記事)や、隆林洞窟(Longlin Cave、Laomaocao Cave)遺跡の人類遺骸は、古代型ホモ属(絶滅ホモ属)もしくは古代型ホモ属と現生人類特有の特徴のモザイク状を示し、間接的に15000~11000年前と年代測定されてきました。しかし、シカの骨と歯の従来のウラン-トリウム年代測定とレーザーアブレーション・ウラン-トリウム年代測定により、馬鹿洞遺跡の化石の中には実際には中期更新世のものがある、と判明しました。したがって、本論文の結果と組み合わせた馬鹿洞遺跡における最近の研究からは、中国南部におけるほとんどの更新世の古人類学的洞窟は、推定されてきたよりも複雑な堆積史を示す可能性が高い、と強く示唆されます。したがって、これらの人類遺骸に関して、できれば炭素14年代測定もしくは古代DNA分析を用いる直接的な年代測定が成功するまで、それらの年代は恐らく不確実であるとみなされるべきである、と本論文は強調します。
さらに遠方では、ラオスのフアパン(Huà Pan)県にあるタムパリン(Tam Pa Ling)洞窟遺跡の頭蓋(関連記事)や、スマトラ島中部のリダアジャー(Lida Ajer)洞窟遺跡(関連記事)の歯や、マレー半島北部西方のレンゴン渓谷(Lenggong Valley)のコタタンパン(Kota Tampan)開地遺跡の石器(関連記事)が、現生人類のユーラシア東方への早期到来の証拠と主張されています。おそらく48000年以上前となるタムパリン遺跡の人類遺骸は、部分的な下顎だけです。しかし、これに関して、下顎と関連したOSL石英年代(48000±5000年前)は赤外光ルミネッセンス法(IRSL)の長石年代(70000±8000年前)よりも信頼性が高い、と考えられます。リダアジャー洞窟世紀では、1880年代に発見された現生人類の歯を含む哺乳類遺骸の標本が、ウラン系列法と電子スピン共鳴法(ESR)で73000~63000年前と年代測定されました。この層序年代は慎重な裏づけを得ていますが、人類遺骸の直接的な炭素14年代測定もしくは古代DNA分析により、さらなる確信が得られるでしょう。コタタンパン遺跡の人工物は最近の再分析により、OSL年代測定で7万年前頃と推定されました。それでも本論文は、将来の研究では、遺跡の堆積史の理解と、人工物と年代測定されたトバ噴火堆積物との間の関係の評価が要求される、と注意を喚起します。
本論文の知見に照らすと、光龍洞窟や月洞窟や福岩洞窟で報告されているような中国南部における現生人類の早期到来との主張は、現時点では実証できていない、と結論づけられます。代わりに、中国南部における現生人類の最初の証拠は35000年前未満で、50000~45000年前頃という分子推定年代と一致する、と明らかかになりました。中国の現生人類の直接的な年代測定の他の2事例が、後期更新世と主張されていた人類遺骸は完新世だった、と確証したことも注目されます。ヨーロッパにおける同様の試みでも、かつて後期更新世と考えられていた骨格が完新世に関連づけられました。この一覧に中国の楊家坡・三游・福岩洞窟が追加されます。本論文は、中国南部のような亜熱帯地域のカルスト洞窟における堆積史の復元と関連した課題の理解を提供します。この堆積史には、侵食と再堆積の事象、おそらくは遅ければ後期完新世に起きた嵌入が含まれ、包括的な年代測定戦略を通じてのみ検出できます。今後、中国南部を対象とする研究者にとって、直接的な炭素14年代測定や古代DNA分析のために人類類遺骸を標的とすることを含む、複数手法戦略を常に採用することが急務となります。
以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、中国南部における現生人類早期到来の根拠と主張された人類遺骸が、直接的な年代測定や古代DNA分析の結果、16000年未満で、完新世のものも少なくないことを示しました。まだ直接的な年代測定や古代DNA分析が行なわれていない、5万年以上前と主張される中国南部の現生人類遺骸もありますが、現時点では、中国南部に5万年以上前に現生人類が到来した確証は得られていない、と考えるべきでしょう。ただ、古代DNA分析の成功は重要な成果で、今後は核DNAの解析の成功が期待されます。
福岩洞窟の現生人類の歯は、上述のように以前は12万~8万年前頃と推定されており、レヴァントのスフール(Skhul)やカフゼー(Qafzeh)といった洞窟で発見された10万年前頃の初期現生人類化石の歯よりも派生的で、現代人に類似していることから、現生人類の拡散に関して有力説に疑問が呈されていました。さすがに、現生人類の起源地が中国も含むアジア東部だとまで主張する人は、少なくとも専門家にはいなかったと思いますが、上記のような中国南部における一連の10万年前頃かそれ以上前の現生人類の存在との主張から、現生人類アフリカ単一起源説に疑問を呈し、多地域進化説を支持する根拠として肯定的に評価する専門家はいたようです(関連記事)。
中国では現生人類多地域進化説が長く大きな影響力を有してきたようで、ナショナリズムを背景とする歪みがあるのではないか、と私は考えてきましたが、中国も含めてアジア東部が人類進化史の研究において軽視されてきた、との中国の研究者の不満に尤もなところがあるとは思います(関連記事)。とはいえ、この研究が中国人主体であるように、中国人研究者から中国のナショナリズム昂揚と親和的な見解を実証的に否定する他の研究も提示されているわけで(関連記事)、人類進化史に関して中国は基本的に健全な状況にあると考えてよさそうです。
私は、ギリシアで20万年以上前となる広義の現生人類系統の遺骸が発見されていることから、アフリカやレヴァントを越えて広義の現生人類が世界に広く拡散していたとしても不思議ではない、と考えています。その意味で、中国南部に限らずユーラシア東部において、10万年以上前の現生人類の存在が確認される可能性はあり、それが現生人類アフリカ単一起源説を否定することにはならない、と考えています。また、ユーラシア東部にそうした初期の現生人類が存在していたとしても、現代人への遺伝的影響はほぼ皆無である可能性が高い、とも予想しています。
参考文献:
Sun X. et al.(2021): Ancient DNA and multimethod dating confirm the late arrival of anatomically modern humans in southern China. PNAS, 118, 8, e2019158118.
https://doi.org/10.1073/pnas.2019158118
追記(2021年12月7日)
本論文に対する反論と再反論が公表されたので、当ブログで取り上げました(関連記事)。トラックバック機能が廃止になっていなければ、トラックバックを送るだけですんだので、本当に面倒になりました。
この「後期拡散」理論の追加の裏づけは、現代および古代のアフリカ東部集団と密接に関連する全ての非アフリカ系現代人のDNA系統の地理的構造や、アフリカからユーラシアへの減少する多様性の勾配パターン、つまり連続創始者効果の痕跡により提供されます。この確証は、古代DNA分析により判明した、シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)近郊で発見された較正年代で46880~43210年頃の大腿骨(関連記事)や、較正年代で42000~39000年前頃の中国北東部の田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された男性遺骸(関連記事)の古代DNA分析により判明した、ユーラシア東西の人口間の47000~42000年前頃という推定分岐年代にも提供されます。その後の研究では、この分岐年代は43100年前頃と推定されています(関連記事)。さらに、この現生人類の拡散の上限年代は、65000~47000年前頃に起きたと推定される初期現生人類とネアンデルタール人との間の交雑と、現代ニューギニア人の祖先と種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との46000年前頃と30000年前頃という推定交雑年代(関連記事)により制約されます。
対照的に、一部の古人類学者は、現生人類がアジア東部大陸部にずっと早く、12万~7万年前頃に定住し、「早期拡散」理論と一致する、と提案します。このモデルは、中国南部の黄龍(Huanglong)洞窟や月(Luna)洞窟や福岩(Fuyan)洞窟(関連記事)で発見された遊離した人類の歯と、智人洞窟(Zhirendong)で発見された部分的下顎(関連記事)の年代測定におもに基づいています。しかし、何人かの研究者は、それらの遺骸のうち一部の現生人類としての識別や、人類遺骸と年代測定された物質との間の関係、もしくは堆積物の文脈と年代測定について利用可能な限定的情報に関する不確実性に基づいて、これらの遺跡や他の早期の年代を示す遺跡に関して疑問を呈しています(関連記事)。
本論文は、明らかに初期現生人類の遺骸が発見された洞窟遺跡で、人類の歯の古代DNA分析や流華石と堆積物と化石遺骸と炭の年代測定を用いて、中国南部における現生人類の到来年代の調査結果を報告します。この5ヶ所の遺跡とは以下の通りです。
(1)黄龍洞窟(図1の1)
湖北省北部の鄖西(Yunxi)県から25kmに位置します。2004~2006年の発掘では、91の分類群と中期~後期更新世のジャイアントパンダ属・ステゴドン動物相を表す化石記録、石器、7点の現生人類の歯が見つかり、薄い流華石層のウラン-トリウム法年代測定による間接的な年代は、101000~81000年前頃です。
(2)月洞窟(図1の2)
広西チワン族自治区(Guangxi Zhuang Autonomous Region)の布兵(Bubing)盆地の南東部のカルスト山脈に位置します。ジャイアントパンダ属・ステゴドン動物相の哺乳類化石の小規模標本、石器、2個の現生人類の歯が、2004年と2008年の発掘で見つかりました。流華石のウラン-トリウム法年代測定による間接的な年代は、127000~70000年前頃です。
(3)福岩洞窟(図1の3)
湖南省永州市(Yongzhou)道県(Daoxian)に位置します。2011年と2013年の発掘では、ジャイアントパンダ属・ステゴドン動物相の哺乳類化石の小規模標本と、47個の現生人類の歯が発見されましたが、関連する人工物はありません。流華石のウラン-トリウム法年代測定による間接的な年代は、12万~8万年前頃です。同じ場所で2019年に現生人類の歯がさらに2個発見され、層序的には以前の発見と関連しています。
(4)楊家坡(Yangjiapo)洞窟(図1の4)
湖北省恩施トゥチャ族ミャオ族自治州建始(Jianshi)県の大規模なカルスト地形です。2004年の発掘では、ジャイアントパンダ属・ステゴドン動物相の80種の断片的な骨との関連で11個の歯が発掘され、光龍洞窟や月洞窟や福岩洞窟と類似の年代と示唆されています。石器や他の文化的遺物は見つかりませんでした。
(5)三游(Sanyou)洞窟(図1の5)
湖北省宜昌(Yichang)市付近の長江と西陵峡(Xiling Gorge)の合流点に位置する石灰岩の丘に位置する小さな洞穴です。1986年の小規模な発掘により、後期更新世の可能性がある、部分的な現生人類の頭蓋冠が見つかりました。以下、本論文の図1です。
●古代DNA分析
上記5ヶ所の洞窟のうち、光龍洞窟と月洞窟の人類遺骸は利用できず、他の3ヶ所の人類遺骸からDNA抽出が試みられました。その結果、楊家坡洞窟の8個の歯と福岩洞窟の2個の歯でDNA配列に成功し、ミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)が決定されました(図2)。mtHgは、楊家坡洞窟の8個の歯のうち、標本JJD301.1とJJD301.6がD4b2b5、標本JJD301.2とJJD301.3がB4a4a 、標本JJD301.4とJJD301.8がB5b2c、標本JJD301.9とJJD301.11がA17です。福岩洞窟の2個の歯では、mtHgはともにD5a2aで、標本FY-HT-1がD5a2a1ab、標本FY-HT-2がD5a2a1h1です(図2のII)。次に、楊家坡洞窟の4個の歯と福岩洞窟の2B比の歯、多様な地域の53個体、ネアンデルタール人10個体、デニソワ人2個体、スペイン北部の通称「骨の穴(Sima de los Huesos)洞窟」遺跡(以下、SHと省略)で発見された40万年以上前のネアンデルタール人的な形態を示すホモ属1個体、チンパンジー1個体のmtDNA配列を用いて、最大節約系統樹が構築されました(図2のI)。驚くべきことに、福岩洞窟の標本FY-HT-2のmtDNA系統はチベット・ビルマ集団の現代人でも検出され、両者の遺伝的つながりの可能性が明らかになりました。
楊家坡系統と福岩系統の合着(合祖)年代が、最尤法とρ統計手法を用いて推定されました。これらの標本で見られる系統と関連する系統のmtDNA配列を用いると、クレード(単系統群)推定分岐年代は、mtHg-D4b2b5で3630年前頃と3360年前頃、mtHg-B4a4aで11010年前頃と10910年前頃、B5b2cで12400年前頃と14380年前頃、A17で15610年前頃と12200年前頃、D5a2a1abで16900年前頃と12900年前頃、D5a2a1h1で7440年前頃と6680年前頃です。これらの結果を合わせると、楊家坡洞窟と福岩洞窟の標本群の上限年代は15600年前頃未満と示唆されます。BEASTソフトウェアで実行されたベイジアン枠組みでも年代が推定され、楊家坡洞窟では、標本JJD301.1とJJD301.6が2400年前頃、標本JJD301.2とJJD301.3が2700年前頃、標本JJD301.4とJJD301.8が3000年前頃、標本JJD301.9とJJD301.11が7600年前頃で、福岩洞窟の標本と類似しています(標本FY-HT-1は3700年前頃、標本FY-HT-2は12000年前頃)。以下、本論文の図2です。
●複数の手法による年代測定
光龍洞窟では、人類化石が見つかった第3層の6点の堆積物標本で光刺激ルミネッセンス法(OSL)年代測定が行なわれ、全て215000年以上前でした(図3)。これらの結果は、洞窟の流華石のウラン-トリウム法年代に基づく既知の後期更新世の年代(人類遺骸の年代は103000~81000年前頃)とは対照的です。第3層の哺乳類の歯4個と骨1個では少ないながらコラーゲンが得られ、加速器質量分析法(AMS法)による放射性炭素(炭素14)年代測定結果は、較正年代(以下、AMS炭素14年代測定の年代は基本的に較正されています)で26700~25940年前から8620~8450年前でした(確率68.2%)。AMS炭素14年代測定結果が得られた13個の哺乳類の歯は種水準で識別され、現生のスイギュウ(Bubalis bubalis)とシカ属種もしくは完新世に絶滅したインドサイ属種(Rhinoceros sinensis)系統を表します。第3層で収集された炭標本の断片も、AMS炭素14年代測定で34850~35540年前から33920~33290年前(確率68.2%)との結果が得られ、哺乳類の歯の年代を裏づけます。
月洞窟では2個の現生人類の歯が発見され(深さ70~65cm)、以前にウラン-トリウム法年代測定に標本抽出されたのと同じ層(深さ70~60cm)から、流華石が収集されました。新たなウラン-トリウム法年代測定では、97000±3000年と推定され、以前の127000±2000年前という推定よりかなり新しくなりました。次に深さ80~10cmで収集された6点の堆積物標本にOSLが適用され、78000~11000±2000年前という年代が得られました(図3)。現生人類の歯に層序的に最も近い堆積物標本のOSL年代は、それぞれ78000年前(深さ80cm)と42000年前(深さ60cm)でした。9個の哺乳類の歯のうち2個と、2個の骨標本では充分な量のコラーゲンが得られ、AMS炭素14年代測定で9530~9420年前(標本LND-C-6-2)と6710~6490年前(標本LND-C-6-4)という結果が得られました(確率68.2%)。残りの歯のコラーゲンは少なく、15500~14860年前から4780~4530年前という結果が得られました(確率68.2%)。AMS炭素14年代測定に用いられた哺乳類の9個の歯は種水準で識別され、現生分類群の、イノシシ(Sus scrofa)が5個、ウシ科が2個、シカ属が2個でした。さらに、人類遺骸が発見された層(深さ32~25cm)のすぐ上の堆積物で2個の炭標本が収集され、堆積物の年代は7160~7040年前から4780~4550年前と推定されました(確率68.2%)。
福岩洞窟では、47個の現生人類の歯が発見された第2層のすぐ上に位置する、第1層の洞窟生成物標本が採集されました。3点の流華石標本のウラン-トリウム法年代測定では、142000±2000年前、95000±1000年前、168000±2000年前という、さまざまな年代が得られました(図3)。第2層の6点の堆積物標本のOSL年代は、302000~200000±29000年前でした。予備検査(コラーゲンが重量比1%超)後、上述のDNAが解析された2個の人類の歯(FY-HT-1とFY-HT-2)を含む同じ位置の16個の人類の歯にAMS炭素14年代測定が適用され、2個の標本(FY3-1とFY3-5)でそれぞれ13590~13350年前と9390~9160年前という結果が得られました。コラーゲンの年代は全有機体炭素(TOC)の年代と同じで、優れた品質の年代測定結果を示唆します。明らかに現生人類のもので、計測的および形態的に福岩洞窟の以前発見された歯の範囲内にある2個の人類の歯の年代は、9479~9290年前から2670~2370年前です(確率68.2%)。人類の歯の1標本(FY-HT-1)は2回年代測定され、ほぼ同じ結果が得られました。追加のコラーゲンの少ない歯では、15290~14660年前から6210~6050年前という結果が得られましたが(確率68.2%)、慎重に解釈する必要があります。炭素14年代測定に用いられた現生人類の歯以外に、合計14個の哺乳類の歯が種に同定され、その全ては現生分類群で、イノシシが2個、ヤマアラシ科種(Hystrix subcristata)が2個、シカ属が10個です。同じ場所で収集された2個の炭標本のAMS炭素14年代は4410~4300年前と3330~3230年前(確率68.2%)で、人類と他の哺乳類標本のAMS炭素14年代が完新世であることを裏づけます。
楊家坡洞窟で発見された11個の人類の歯は、歯冠および歯根の形態と歯冠測定と古代DNA分析の観点から、全て明確に現生人類に分類されます。人類の歯の地質年代を測定するため、第4層底部と人類の歯が発見された第2層の堆積物内の洞窟生成物に、ウラン-トリウム法年代測定がまず適用されました。結果は、第4層が317000±1100年前で、第2層が151000±6000年前と90000±3000年前でした。第2層で得られた堆積物標本7点のOSL年代測定結果は、205000±14000年前と94000±7000年前の間でした(図3)。したがって、これらの年代を組み合わせると、現生人類の歯の年代は205000~90000年前の範囲内に収まります。しかし、16個の哺乳類の歯のうち、充分なコラーゲンの得られた2個の歯のAMS炭素14年代は、29390~28550年前(YJP-1054)と4050~3850年前(YJP-2936)でした(確率68.2%)。残りのコラーゲンの少ない標本の年代は、19800~19100年前と9410~9170年前の間でした(図3)。Beta Analytic社によるさらなる11個数の骨標本からコラーゲンが抽出され、炭素14年代は44370~43090年前から4900~4850年前でした。DNAも分析された人類1標本(JJD301.11)の単一の歯のAMS炭素14年代測定結果(確率68.2%)は、完新世の3370~3280年前でした(図3)。現生人類以外に合計16個の哺乳類の歯が種水準で識別され、その全てはイノシシやヤマアラシ科種(Hystrix subcristata)やシカ属のような現生分類群か、完新世に絶滅したインドサイ属種(Rhinoceros sinensis)系統でした。
三游洞窟の層序系列は単純で、単一の堆積単位のみで構成されており、人類遺骸は深さ20cmで発見されました。人類遺骸の上に位置し、堆積物を塞いでいる流華石標本7点のウラン-トリウム法年代測定結果は、129000±900年前と107000±900年前でした(図3)。さらに、深さ20cmの小さな鍾乳石のウラン-トリウム法年代測定結果は、17000±100年前~16000±100年前で、塞いでいる流華石のかなり後に形成され、おそらくは堆積物の形成と一致していることを示唆します(図3)。しかし、人類遺骸の回収場所から150cm離れて場所で収集された堆積物標本4点のOSL年代測定結果は、35000±4000年前(深さ30cm)、30000±4000年前(深さ20cm)、32000±4000年前(深さ15cm)、23000±3000年前(深さ10cm)と、垂直的な年代系列を示しました。人類の後頭骨標本のAMS炭素14年代測定結果(確率68.2%)は1730~1640年前でした(図3)。以下、本論文の図3です。
●考察
本論文の結果は、人類進化における重要な事象に時間枠を設定するのに、単一の手法に過度に依存することから生じるかもしれない問題のいくつかを浮き彫りにします。この事例では、中国南部における現生人類の到来年代の推定に、洞窟の流華石のウラン-トリウム法年代測定を用いると、誤って古い年代が得られ、化石と遺伝的データとの間の間違った対立が生じました。一部の古人類学者は、現生人類が中国南部に12万~7万年前頃に到来した、と考えていますが、本論文の結果はそうではないことを示します。調査した5ヶ所の洞窟遺跡で、洞窟の流華石のウラン-トリウム法年代測定により、研究者たちは人類遺骸の年代を誤解し、提案された早期の到来年代は精密な調査に耐えられない、と明らかになりました。
福岩洞窟の以前に発見された47個の人類の歯および層序的に関連した2個の人類の歯と、楊家坡洞窟の8個の人類の歯のmtDNAが配列決定され、その全ては上限合着年代が16000年前未満でした。12000~2400年前という年代は、流華石のウラン-トリウム法から推定される年代(151000~90000年前)よりも桁違いに新しいものでした。予想されるように、福岩洞窟の人類の歯のAMS炭素14年代(2510±140年前、2540±130年前、9380±90年前)は、分子年代(それぞれ、3700年前、3700年前、12000年前)よりもやや新しいものでした。同じ状況は、楊家坡洞窟の単一の人類の歯(AMS炭素14年代で3310±75年前、分子年代で7600年前)にも当てはまります。それでも、福岩洞窟の堆積物で発見された人類遺骸の年代に関しては、以前に示唆された12万~8万年前頃ではなく、完新世であることは明らかです。
5ヶ所の洞窟の堆積物のOSL年代と動物遺骸および炭のAMS炭素14年代も、流華石の年代との大きな違いを浮き彫りにします。1ヶ所の遺跡のみで、堆積物の年代と流華石の年代が一致し、他の遺跡全てで大きな不一致が見られました。同様に、現生人類も含めて動物遺骸の推定された同時代性はそのままで、流華石は5ヶ所の洞窟全てで不正確と示され、その違いは1桁になりました。本論文で検証された最後の仮定は、動物遺骸と炭とが、それらを含む堆積物と同年代だった、というものでした。これは、月洞窟ではおおむね正しいものの、光龍・福岩・楊家坡・三游洞窟では却下され、それらの洞窟の堆積物は、動物遺骸や炭よりもかなり古い、と明らかになりました。さまざまな標本にわたるそのような大きな年代の違いは、洞窟生成物の起源や堆積や侵食や再堆積といった事象を含む、これらの洞窟全てにおけるひじょうに複雑な堆積史を浮き彫りにします(図3および図4)。
流華石の形成は一定の時点を表すので、静的な時系列標識を提供します。流華石はほとんどの場合、これらの洞窟において温暖湿潤期の海洋酸素同位体ステージ(MIS)5に形成されました(図3および図4)。一方、堆積物の形成ははるかに動的な過程で、経時的に各場所で機能する水文の枠組みにおける違いを表します(図4)。本論文では、地下に小川が流れる巨大な洞穴である楊家坡洞窟において最も単純な事例が観察され、そこでは流華石と堆積物が中期更新世後期から後期更新世初期にかけて形成されたものの、哺乳類遺骸は43600年前頃(おそらくはもっと早いものの、炭素14年代測定の限界を超えています)から後期完新世まで堆積しました。そのような状況は、比較的低いエネルギーの水による侵食と、OSL年代をリセットしない暗い洞窟内での再堆積の複数の事象によってのみ説明できます。複雑な堆積史は、5ヶ所の洞窟全てで起きていたに違いありません。なぜならば、動物の歯(および、存在するならば炭)は常に流華石よりもずっと新しく、4ヶ所の洞窟では堆積物がそれらを囲んでいたからです。さらなるあり得る説明は、完新世における小規模な侵食事象、堆積物崩壊、生物攪乱、もしくは人為的攪乱を通じての、より新しい動物遺骸のより古い堆積物への嵌入です。以下、本論文の図4です。
またここで関連するのは、中国南東部の広西壮族(チワン族)自治区崇左市の智人洞窟(Zhirendong)で発見された人類の下顎で、以前には流華石のウラン-トリウム法年代測定を用いて層序的に10万年以上前と推定され(関連記事)、その後の研究で19万~13万年前頃と改訂されました。直接的な年代測定が欠如している場合、本論文で取り上げられた5ヶ所のカルスト洞窟の分析から得られた教訓は、智人洞窟にも当てはまる可能性があり、その年代を確信する前に、直接的な年代測定もしくは古代DNA分析が待たれます。さらに、智人洞窟の下顎の分類は、初期現生人類との主張もありますが、議論が続いています。智人洞窟の人類の2個の臼歯はひじょうに摩耗しており、形態学的特徴の識別と現生人類への分類には疑問が呈されています。対照的に、智人洞窟の人類遺骸は、身体の厚さや形態、真の現生人類の顎に特徴的な解剖学的構成要素の欠如など、絶滅ホモ属(古代型ホモ属)分類群との多くの類似性を示します。現生人類で見られるものと並行して、華奢化への長期の傾向はインドネシアのホモ・エレクトス(Homo erectus)や中国の中期更新世人類でも報告されており、これは智人洞窟個体と初期現生人類との間の歯の類似性を説明できるかもしれません。
中国南部の他のいくつかの後期更新世洞窟は、初期現生人類もしくは予期せぬ形態の人類遺骸が発見されているため、興味深い存在です。柳江(Liujiang)で発見された現生人類頭蓋は、その周囲の継続的な不確実性にも関わらず、流華石のウラン-トリウム法分析から、層序的に139000~68000年前頃の年代と推定されています(関連記事)。雲南省の龍潭山1(Longtanshan 1)遺跡では、おそらくは現生人類のひじょうに摩耗した2個の歯が、流華石と哺乳類の骨のウラン-トリウム法分析で年代測定されており、下限年代が83000~60000年前と推定されています。
対照的に、雲南省の馬鹿洞(Maludong)遺跡(関連記事)や、広西チワン族自治区田東県林逢鎮の独山洞窟(Dushan Cave)遺跡(関連記事)や、隆林洞窟(Longlin Cave、Laomaocao Cave)遺跡の人類遺骸は、古代型ホモ属(絶滅ホモ属)もしくは古代型ホモ属と現生人類特有の特徴のモザイク状を示し、間接的に15000~11000年前と年代測定されてきました。しかし、シカの骨と歯の従来のウラン-トリウム年代測定とレーザーアブレーション・ウラン-トリウム年代測定により、馬鹿洞遺跡の化石の中には実際には中期更新世のものがある、と判明しました。したがって、本論文の結果と組み合わせた馬鹿洞遺跡における最近の研究からは、中国南部におけるほとんどの更新世の古人類学的洞窟は、推定されてきたよりも複雑な堆積史を示す可能性が高い、と強く示唆されます。したがって、これらの人類遺骸に関して、できれば炭素14年代測定もしくは古代DNA分析を用いる直接的な年代測定が成功するまで、それらの年代は恐らく不確実であるとみなされるべきである、と本論文は強調します。
さらに遠方では、ラオスのフアパン(Huà Pan)県にあるタムパリン(Tam Pa Ling)洞窟遺跡の頭蓋(関連記事)や、スマトラ島中部のリダアジャー(Lida Ajer)洞窟遺跡(関連記事)の歯や、マレー半島北部西方のレンゴン渓谷(Lenggong Valley)のコタタンパン(Kota Tampan)開地遺跡の石器(関連記事)が、現生人類のユーラシア東方への早期到来の証拠と主張されています。おそらく48000年以上前となるタムパリン遺跡の人類遺骸は、部分的な下顎だけです。しかし、これに関して、下顎と関連したOSL石英年代(48000±5000年前)は赤外光ルミネッセンス法(IRSL)の長石年代(70000±8000年前)よりも信頼性が高い、と考えられます。リダアジャー洞窟世紀では、1880年代に発見された現生人類の歯を含む哺乳類遺骸の標本が、ウラン系列法と電子スピン共鳴法(ESR)で73000~63000年前と年代測定されました。この層序年代は慎重な裏づけを得ていますが、人類遺骸の直接的な炭素14年代測定もしくは古代DNA分析により、さらなる確信が得られるでしょう。コタタンパン遺跡の人工物は最近の再分析により、OSL年代測定で7万年前頃と推定されました。それでも本論文は、将来の研究では、遺跡の堆積史の理解と、人工物と年代測定されたトバ噴火堆積物との間の関係の評価が要求される、と注意を喚起します。
本論文の知見に照らすと、光龍洞窟や月洞窟や福岩洞窟で報告されているような中国南部における現生人類の早期到来との主張は、現時点では実証できていない、と結論づけられます。代わりに、中国南部における現生人類の最初の証拠は35000年前未満で、50000~45000年前頃という分子推定年代と一致する、と明らかかになりました。中国の現生人類の直接的な年代測定の他の2事例が、後期更新世と主張されていた人類遺骸は完新世だった、と確証したことも注目されます。ヨーロッパにおける同様の試みでも、かつて後期更新世と考えられていた骨格が完新世に関連づけられました。この一覧に中国の楊家坡・三游・福岩洞窟が追加されます。本論文は、中国南部のような亜熱帯地域のカルスト洞窟における堆積史の復元と関連した課題の理解を提供します。この堆積史には、侵食と再堆積の事象、おそらくは遅ければ後期完新世に起きた嵌入が含まれ、包括的な年代測定戦略を通じてのみ検出できます。今後、中国南部を対象とする研究者にとって、直接的な炭素14年代測定や古代DNA分析のために人類類遺骸を標的とすることを含む、複数手法戦略を常に採用することが急務となります。
以上、本論文についてざっと見てきました。本論文は、中国南部における現生人類早期到来の根拠と主張された人類遺骸が、直接的な年代測定や古代DNA分析の結果、16000年未満で、完新世のものも少なくないことを示しました。まだ直接的な年代測定や古代DNA分析が行なわれていない、5万年以上前と主張される中国南部の現生人類遺骸もありますが、現時点では、中国南部に5万年以上前に現生人類が到来した確証は得られていない、と考えるべきでしょう。ただ、古代DNA分析の成功は重要な成果で、今後は核DNAの解析の成功が期待されます。
福岩洞窟の現生人類の歯は、上述のように以前は12万~8万年前頃と推定されており、レヴァントのスフール(Skhul)やカフゼー(Qafzeh)といった洞窟で発見された10万年前頃の初期現生人類化石の歯よりも派生的で、現代人に類似していることから、現生人類の拡散に関して有力説に疑問が呈されていました。さすがに、現生人類の起源地が中国も含むアジア東部だとまで主張する人は、少なくとも専門家にはいなかったと思いますが、上記のような中国南部における一連の10万年前頃かそれ以上前の現生人類の存在との主張から、現生人類アフリカ単一起源説に疑問を呈し、多地域進化説を支持する根拠として肯定的に評価する専門家はいたようです(関連記事)。
中国では現生人類多地域進化説が長く大きな影響力を有してきたようで、ナショナリズムを背景とする歪みがあるのではないか、と私は考えてきましたが、中国も含めてアジア東部が人類進化史の研究において軽視されてきた、との中国の研究者の不満に尤もなところがあるとは思います(関連記事)。とはいえ、この研究が中国人主体であるように、中国人研究者から中国のナショナリズム昂揚と親和的な見解を実証的に否定する他の研究も提示されているわけで(関連記事)、人類進化史に関して中国は基本的に健全な状況にあると考えてよさそうです。
私は、ギリシアで20万年以上前となる広義の現生人類系統の遺骸が発見されていることから、アフリカやレヴァントを越えて広義の現生人類が世界に広く拡散していたとしても不思議ではない、と考えています。その意味で、中国南部に限らずユーラシア東部において、10万年以上前の現生人類の存在が確認される可能性はあり、それが現生人類アフリカ単一起源説を否定することにはならない、と考えています。また、ユーラシア東部にそうした初期の現生人類が存在していたとしても、現代人への遺伝的影響はほぼ皆無である可能性が高い、とも予想しています。
参考文献:
Sun X. et al.(2021): Ancient DNA and multimethod dating confirm the late arrival of anatomically modern humans in southern China. PNAS, 118, 8, e2019158118.
https://doi.org/10.1073/pnas.2019158118
追記(2021年12月7日)
本論文に対する反論と再反論が公表されたので、当ブログで取り上げました(関連記事)。トラックバック機能が廃止になっていなければ、トラックバックを送るだけですんだので、本当に面倒になりました。
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